やっぱりホントだった年恵の超能力

 

  鶴岡で酒井藩下級武士の娘に生れた長南年恵は、日本の神々にこよなく可愛がられて学問もないのに雄渾な書を揮毫して「弘法大師様が私の手を持って書いたの」と見せた。この実物は、さる平成13年6月16日の長南氏のルーツを語る会鶴岡の会場に、年恵の母の実家、千葉聡子さんが持参して披露してくれたばかり。

  世界的にも珍しい超能力を、神戸地方裁判所でも実演して無罪になったあと、弟の勇吉らの消息はプッツリ途絶えていた。

  ところが13年8月13日配達された葉書は「突然の郵便にびっくり致しました。私は祐弘の妻、博子と申します。血のつながりはありませんが、先祖がどんな方か知りたいと思います。義母の叔母が長南年恵で鶴岡の神社にまつられていると聞き、行ってみたいと思っていますが、実現はまだです。」

  藤原富士子さんが酷暑の中、図書館に十余日も通って調べてくれた関西の長南氏へ一斉に送った通信の反響の最大の収穫でした。さっそく注文の本を届けると、博子さんからすぐFAXが入った。

  「長南氏の研究と長南年恵の雑誌が届き、あまりの分厚さにびっくり致しました。身近な長南年恵さんの所が何もかも興味があり、夢中で夜更かししてしまいました。聞いていたことは本当だったんだと、本を見ての実感です。前よりいっそう山形に行ってみたくなりました」として系図を添えてくれた。

                                                                                                    中村  就一  

長南政之助系 系図

                                 2001/10/01 中村就一調
                                 協力    近藤満致子
                                       長南 民子
                                       長南 博子
政之助      寛信(千葉)B
 |       |
 +−−桃春@−−+−−+−−直友D +−−重晴
 |   |   |  |      |
 |   +−−−美江C+−−寅蔵E +−−ウタ
 |   |      |  |   |
     沢A     |  +−−−|
            |  |   +−−重夫
            |  エツF |
            |      |
            +−−登志恵G+−−信夫
            |  (年恵)|           +−−満致子(近藤)
            |      |           |
            |      +−−三男夫      +−−賢子(三浦)
            |      |           |
            |      |           +−−久子(白土)
            |      +−− 富美江     |
            |      |    |      +−−由子(服部)
            +−−雄吉H |    +−−満致子L|
               |   |    |      +−−弘子(柳)
               |   |    明J     |
               シゲI +−−保夫 |     +−−叶子(水野)
                         |     |
                         +−−−−−+−−民子
                         |     |
                         |     +−−−祐弘 +−−祐子(寺岡)
                         貞K    |   |  |
                               |   +−−+−−耕史
                               |   |  |
                               |   博子 +−−恵子
                               |
                               +−−−訓弘 +−−匡昭
                                   |  |
                                   +−−+
                                   |  |
                                   加代 +−−紀子

@桃春   1809(文6)家督相続、俳人。「長南史の研究」P.1010参照

A沢(サワ)   千葉善蔵次女

B寛信  「長南史の研究」P.1011参照

C美江(ミエ) 1839(天10)10.9生、1905(明38)没67歳(数え年)

D直友     1882(明15)6.29隠居し、雄吉が家督相続

E寅蔵     父小林寛信、1865(慶1)1.2生1940(昭15)1.16没76歳

Fエツ     石川直敬、タミの養女1937(昭12)10.26没68歳

G登志恵   1863(文3)10.26生、1907(明40)10.29没44歳(満年齢)、1967(昭12)9.26

           鶴岡市戸籍による。通称年恵「長南史の研究」P.1012参照

H雄吉     1868(明1)4.21生、1925(大14)7.25没58歳。鶴岡市最上町16から1906

          (明39)大阪市東区大木町5-170へ転居、オサナミと改称

Iシゲ   父大久保勇三郎母チエ長女1876(明9)12.7生、1923(大)1212.14没48歳

J明アキラ   ライオン歯ブラシ製造業ではオサナミ耕平と称した。

K貞    1909(明42)生、1945(昭20)福島県鏡石町に転居。1984(昭59)和歌山県岩出町に転居。        1990(平2)没82歳

L満致子マチコ 母富美江 トミエ が27歳で天折し、母の従姉妹のサダに引き取られた