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THEATER 隠れ家

 

ハード&ソフトあれこれ Vr. V (オーディオ&ヴィジュアル)       最終更新2010.4.29

 最近は日本の創作オペラが大変盛んで、こんなのもあるの!というくらいあるが、それらはオペラのページに譲ることにする。テレビで放映されたり、LDやCDなどでも発売されたりしたのに買い損ねたり録画し損ねたりしたものがたくさんあったが、LDの時代が終わってしまったし、再放送もめったにない。もっとも、最近はハイビジョンというチャンネルのおかげで再放送が増えてきて重宝してはいるが、是非聴いて(観て)みたかったのに逃したものがたくさんある。DVDの時代になったじゃないかといわれるかもしれないが、LDが出たときと状況がだいぶ違う。あれは大衆若者路線で、LDのときのような興奮や文化事業的盛り上がりが購買側にもソフト会社側にも足りなかったように思う。不景気も関係しているとは思うが、簡単にはリリースされず、入手も困難である。しかし、映画や大衆路線が洪水のように出回るようになっている中で、最近はDVDでたくさんリリース(再発売も)されるようになった。定番の売れ筋中心ではあるが、レアものも多い。しかし、再発売が絶望的なものも多い。かつてはBSでON AIRされたものがかなりリリースされていたものだが・・・・・・。しかし、最近は輸入盤も含めてかなりいろいろ出るようになってきた。特に高音質高画質のBDが出始めているが、高価で買えない。古くて低画質でもないようのいいものが廃盤になってしまうのは惜しい。高画質でもつまらないものはいらない。リサーチがまだまだ足りないのかもしれない。質へのこだわりが薄れてしまっている今日、大切なものが情報の氾濫の渦にかき消されていくようで寂しい。しかし、それらを支えるのも我々愛好家かなとも思う。

 そういうわけで、今となっては放送のエアチェックが大変重要である。ベータビデオでたくさん撮ってあるが、2002年末でベータは生産終了となったのが不安材料ではある。2台のベータのデッキのうち一台はイジェクトメカが動かなくなった。残りのSL-2100を最近修理した。大切に使っていきたい。LDプレーヤーもイジェクト不良で修理した。パッケージ・メディアやハードウエアのフォーマットの変遷がめまぐるしく、目覚しい進歩ではあるが、追いかけるのが大変である。おいそれとみんな手を出せなくなる。今までSVHSでせっせと録ってきたが、電気店の品揃えを見ても、VHSも終わりが近いようだ。私はベータ党であるが、当時からなくなるときはいっしょだと思っていたが、やはりそのようだ。SVHSはとっくに店頭から消えたが、意外にベータはまだある。要するに、ヒモから皿へである。しかし、DVDで出ないものもあるし、経費や保管上の問題もある。カラオケも通信になったように、PPVとか、インターネット配信の時代が来ると思うが、やはり所有したいものについてはコピーでは満足できないし、オンエアが期待できないものが多いから、パッケージメディアは重要である。

  ようやく青色レーザーのブルーレイの時代が来た。皿のメリット、編集、画質に見合った性能や機能のことを考えると魅力的だ。ディスクの価格も下がってきたのでBDレコーダーを導入した。DVDやBDはオペラ録画ではチャプター検索が魅力である。放送もデジタル化したし、このフォーマットが長く続いてほしい。規格的には長寿が期待できる。8ミリやVHS、ベータの私的録画を編集してDVD化しておきたいものあるので、DTMや動画編集できる高性能パソコンを整備したいと思う。映画などの放送のエアチェックは安くなったDVD−RやRWで録っているが、テープもたくさん所有しているので、映画のハイビジョンはDVHSで当分録ろうと思う。DVHSは画質もよい。特にパナソニックのBDレコーダーのiLink接続のDVHSのハイビジョンは圧倒的にきれいだ。デジタルハイビジョンでオペラを残したいが、ブルーレイが現実的になったのでコンサートものも含めて今は全てBDだ。音楽ものは再放送も期待できないのでテープでは録らない。映画はテープや機器がだめになっても一度見れば再放送も市販も期待できる。PDPやHVプロジェクターを設置して最近BSデジタルにしてからは、ハイビジョンの圧倒的な高画質・高音質の前に、かつて感動した衛星放送(アナログBS)の音質や画質も、今となってはひどく色褪せて見えるほどである。技術の進歩は際限がない。特に2008年以降はBSデジタルの画質もかなり向上したので、DVHS(HV)テープもどんどん録り直している。SDは長時間もの意外はテープでは録らず、BDやDVD−Rで録る。録画するのはいいものにしたいのは人情である。また、場所を取らないほうがいい。

 生録も好きでよくやってきた。高校大学時代はオープンリールで、その後カセットテープが野外、カーステレオやオーディオで長く使った。1985年ころからビデオデッキを使ったPCMプロセッサーでのデジタル録音、DATポータブルを経て、今はローランドのメモリーに録音するタイプになっている。軽くて小さいののに音質はあきれるほどいい。レコード会社が傾くわけである。これも機器が動くうちに早くWAVEファイルに変換しておく必要がある。

 それにしても、版権の問題で発売されないこともよくあるし、すばらしいソースが存在することが明々白々なのに一度も世に出たことのないものもある。ホロヴィッツ・オン・TVはその代表。クナッパーツブッシュの「神々の黄昏」みたいに50年間お蔵になっていた貴重な録音が最近CDで発売された例もある。カイルベルトの「リング」もそうだ。これは是非入手して聴きたいものだ。ワグナーは大好きなのだ。残りも早く出してほしい。雑誌やインターネットのCDやDVDのリリース情報には手を出したくなるものが最近目白押しである。再発売なんて期待できないし、早晩入手しないと生きてるうちには無理だなんて、そんな殺生な。

 以下に、これまでの楽しい悪戦苦闘の数々を紹介していきたいと思う。                                  

 

音楽の泉 Vr.U メディアとともに(完全版)     最終更新2010.11.5    読みやすいA4版 縦4段組原稿はこちら

     

この世に生を受けて以来七年間、私は電気文明の外に生きていた。ラジオも無く、動物や風などの自然音のほかに、音楽との最初の出会いは母の歌だった。今でも庭先で歌うもんぺ姿や歌声はっきりと思い浮かべることができる。それがブラームスやシューベルト、メンデルスゾーンなどの名曲だったと知ったのはずっと後だった。小学校に入ったころ、学校の用務員さんから手作りのラジオを頂いた。これはAMラジオでは高級回路のいいものだった。これでようやく我が家ではラジオが聴けるようになり、聴きたい番組の時間になるとラジオの前に座った。専ら歌謡曲やラジオ・ドラマを聴いていた。そのころ、近所ではテレビを買う家庭が出始めていた。小学生時代は近所の映画館にもよく通った。3本立て30円、選択の余地のない中で出会った総天然色映画、題名は忘れたが、ウィーン少年合唱団と共演した山本富士子やりんごの花の艶やかさ、「この道」のコーラスやヴァイオリンの音色の美しさは鮮烈だった。これが音楽映画等のAV体験の原点となった。

中学生になるといつの間にかラジオでいろんなジャンルの音楽を聴くようになっていた。アルゼンチンタンゴなどラテン音楽の魅力にとりつかれたのはこの頃だったろう。若き美空ひばりの歌う「りんご追分」(オリジナル旧録音)の素晴らしさにも息を飲んだ。曲も歌も今だに私の中ではトップテン入りだ。

 高校に入った昭和39年4月、当時最新鋭のFM付きトランジスタラジオを買ってもらった。NHKの実験放送が始まっていたからだ。しかし県内ではまだNHK仙台のFM電波が届かないところが多かった。私は一本松(小浜城址)に針金を張っておき、アンテナにしてよく聴きに行ったものだ。しかしその年の7月には福島放送局から電波が送信されるようになり、鮮明な高音質で音楽が聴けるようになったのがとても嬉しかったのを覚えている。BBCのクラシック音楽専門ラジオ局をモデルにしたものだったので、内容は今とは比較にならない充実ぶりだった。民族音楽や民謡、海外の伝統音楽以外はクラシックの名曲名演のレコードを使って実験放送を流していた。うるさいトークも無く、専門的な短い解説によるレコードの放送が多かったのでとても有難かった。レコードは買える時代ではなかった。詳細な番組表を毎月NHKから送ってもらい、むさぼるように聴いた。たくさんの名曲や名演奏に出会うことができた。

また、東京オリンピックの開会式の日に英語の勉強に必要だという名目でテープレコーダー(オープンリール)を買ってもらった。気に入った曲や何度も聴きたい曲は録音して繰り返し聴くのに大いに活用した。このころマーラーの長大なシンフォニーはひたすら我慢して聴いたおぼえがある。あの耽美的で濃厚な音楽も当時は無機的な響きにしか聴こえなかった。しかし、その後も分かりにくい曲でも繰り返し聴くことによりだんだん楽しめるようになっていった。

ラジオ片手に庭先の陽だまりで聴いたドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は脳髄が痺れて金縛り、あれ以来この曲は聴かない。聴いても今は何の感興も湧かないのだ。もう感受性が鈍ってしまったのと、後にワグナーの毒にあたってしまったせいかも知れない。

また、トスカニーニアワーで聴いた数々の峻厳な名演は、忘れられない。ヴェルディなどのオペラやメンデルスゾーン、ベートーベンやブラームス、ワグナーは絶対だと思った。後にレコードでトスカニーニ全集を買うことになる。                ヘ ヘレン・メリルがクリフォード・ブラウンのトランペットをバックに歌うあの有名な曲との出会いも衝撃的だった。ジャズに開眼した瞬間だった。後にクリフォード・ブラウンのレコードはほぼ全部集めた。今でも新発見のライブ盤やこの時代のジャズ音楽(1950年代のハードバップ)を求め続けている。

高校3年のときカラヤンがBPOを率いて来日した。ビートルズも来日、テレビ中継やラジオに釘付けで受験勉強は進まなかった。それでなくても深夜放送全盛時代だった。このころからオーディオにも関心を持ち始め、資料を集めてオーディオルームの構想を練っていた。

 NHKFMの本放送が始まったのは大学入学後の昭和44年だった。ステレオセットで聴くようになっていたが、このころからあまりラジオは聴かなくなった。番組が万人向けに変わっていき、つまらなくなってきたからだ。そういう中でも、昭和45年FM放送で流れたオットマール・スウィトナーが指揮するモーツァルトのオペラの響きは理想的なものに聴こえた。モーツァルトに不可欠なニュアンス豊かな軽やかでこぼれるような愉悦感が印象に残っている。結婚して間もないころ、彼の指揮するベルリン国立歌劇場管弦楽団(東ベルリン)の公演を郡山の市民会館に二人で聴きに行った。モーツァルトのシンフォニーが素晴らしかった。だいぶ後になってからレコードセットを買って聴いた。

 学生時代は、ステレオ実況録音のコンサート番組が放送されるようになったのでよく聴いた。コンサートはレコード以上に夢の世界だったからだ。海外のオペラやコンサートの放送では印象に残る演奏がいくつもあった。年末恒例のバイロイト音楽祭の放送もその一つだ。長時間の忍耐の彼方に輝かしい愛の陶酔が聴こえてから、ワグナーが大好きになった。ワグネリアンにはルードヴィッヒU世やヒトラーをはじめ、哲学者や石原慎太郎、小泉純一郎など特異な政治家や文化人が多いし、ある意味不健康な音楽なので公言ははばかるが、大好きだ。現実にはありえない不健康な世界で具現化された愛や夢の世界のたとえようもない感動と陶酔からはもう抜け出せない。品行方正とは別格の世界がある。 

このころ少しずつレコードを買うようになった。アルバイト代は全部レコード代に消えた。大卒の初任給が3万前後の時代に1枚2千円は高かった。今なら1万円以上に値する。おりしもベートーベン生誕200年記念の年に合わせてヨーロッパでは盛んに素晴らしい企画のレコードがたくさんリリースされた。ラジオでもたくさん放送されたので、ベートーベンの音楽に心酔していくきっかけになった。

 このころ夢中になったのはフルトヴェングラーだ。特にベートーベンの3番、5番、9番やブラームスの3番、4番、ブルックナーの8番などの実演は絶品で、他の演奏はもう聴けなくなった。貧しい音質にもかかわらず、魔法にかかった楽団員の信じられないような名演奏が伝わってきた。このような演奏はもうありえない時代になってしまった。だから記録の重要性はますます増している。この実演に居合わせた幸せな人たちの感動はいかばかりだったろうと考えるとため息しか出ない。今では音は古くても録音技術に感謝する次第だ。また、録音された後に生まれたことに心底感謝したものだ。

テレビはまだ音楽鑑賞に堪えるレベルではなかったが、フランソワの来日公演は衝撃的だった。リヒテルの名演でなじんでいたベートーベンの「熱情ソナタ」が全く違う音楽に聴こえて新鮮だった。ショパンなどのCDを買って聴くようになったのはずっと後だったが、テクニックは別にして、彼は私の知る限りにおいて最高の天才ピアニストだと思う。早逝は実に残念だ。 

当時地方ではコンサートを聴く機会は大変少なかったが、今はない福島市公会堂で聴いたショスタコーヴィッチの「森の詩」の苔むした森の湿っぽい情景描写が印象に残っている。これはスターリン政権の植林政策を讃えるための忘れられた駄作だということは最近になって知った。今ではめったに演奏されないので貴重なものを聴いたことになる。R・シュトラウスの「祝典序曲、紀元2600年」という大作をFM放送で聴いたのもこのころだったような気がする。最初は日本政府が皇紀2600年奉祝曲としてブリテン(イギリス)に委嘱し、「シンフォニア・ダ・レクイエム」という曲もできたが、当時の国策に相応しくないなどの理由で演奏されず、あらためてR・シュトラウスに委嘱したらしい。彼もヒトラー政権下では作るしかなかったのだろう。ときどきドラの音が入っていたことぐらいしか覚えていない。これも忘れられた駄作だ。ブリテンの曲は聴いたことはなかったが、何と今年5月のN饗定期で下野竜也が取り上げていた。BSで聴いたが、荘重な鎮魂曲で聴き応えがあり、駄作ではなかった。両親の思い出に捧げる気持ちで作曲したらしい。政治的な要素が入った委嘱作品で傑作が生まれることは稀だが、時代の気風や亡国の危機に熱い思いを寄せた、作曲者の心の奥底から湧き出てくる気高く深い作品に結実した例は、ベートーベンやショパンをはじめ、たくさん聴いてきた。

大学4年の年には県文化センターが落成し、その杮落とし公演でN響のコンサートと日本人演奏家による歌劇「蝶々夫人」の上演を聴いたのを覚えている。今とは比較にならないレベルではあったが、地方においてはライブコンサートは貴重な体験だった。

いつの間にかオペラをよく聴くようになっていた。この年、ベルリン・ドイツオペラの来日公演(一流歌劇場の引っ越し公演ラッシュのさきがけとなったもの)があり、日生劇場で上演された「魔弾の射手」を観に行った。字幕のない時代だったので対訳書で一生懸命予習していった。深々としたドイツ音楽の豊かな響きや幻想的な生の舞台は忘れられない。当時は日生劇場以外に適当なホールは無かったのだろう。

学生時代は小遣いが続く限り映画もよく見た。印象に残っているのは、数々のミュージカル映画だ。「サウンド・オブ・ミュージック」「南太平洋」「マイ・フェア・レディ」「ウエストサイド・ストーリー」「略奪された七人の花嫁」などだ。下手な時代遅れのオペラや喜歌劇などよりはるかに素晴らしい音楽で、LPのサントラ盤を買って何度も聴いた。後にLDやBS放送などでも繰り返し視聴して楽しんだ。そのころの感動体験も、後に自宅に高音質大画面再生ができる完全遮音の音楽室を造ることにつながった。

オペラがプッチーニで終焉を迎え、多くの作曲者たちは新しいメディアの映画の分野で活躍し始めた。そういえばプッチーニは映画っぽいところがあるし、R・シュトラウスなど映画音楽そのものみたいだ。日本人では武満徹が世界的に有名で、コンサートで聴くよりも映画の中で聴いていたほうがよほどしっくり聴ける。こうして世はメディアの進化に沿ってAV志向となっていった。指揮者ではカラヤンが旗振り役で、いろいろ実験的な取り組みが目立った。ユニテルなどの映画会社などが貴重な映像記録をたくさん残してくれたおかげで、現在でも過去の名演奏を映像とともに親しむことができる。その後、音楽界全体がそうなっていき、今日の隆盛を見ることになる。

こうして、学生時代は終わった。

 教職についてからは聴く時間も少なくなっていったが、ジャズのレコードやオペラのレコードをよく買うようになった。しかし、針を一度通しただけになることが多くなっていった。初めて買ったオペラの全曲盤はカラヤン指揮の「アイーダ」だった。6千円、初任給の2割近い値段だ。今なら3万円以上になるだろう。当時はとても買えなかった名レコードが今ではたくさんCDに復刻されてとても安く買えるようになったのはありがたい。しかし、宝物のようなありがたみは感じなくなった。電源を入れ、プレーヤーの回転数を安定させ、レコード針を洗浄したり針圧を確認したりしたあと、白い手袋をはめ、ジャケットの中袋から盤面に触れないように注意しながらゆっくり取り出してターンテーブルにのせ、湿らせたクリーナーで盤面を拭き、慎重に針を降ろすなどという儀式は大幅に少なくなってしまった。期待感や音楽の重みもいっしょに薄まってしまったように思う。しかし、一枚一枚大変な思いをして買ったレコードは今でも大切にしている。再生機器はAV志向で新しくなったが、レコード針(カートリッジ)も最新のものに更新した。今聴き直してもCDや放送メディアとは比べ物にならない雰囲気と感動の思い出と熱い音が蘇ってくる。

 初任地は雪国昭和村だった。昭和46年9月、NHK招聘の第六次イタリアオペラ公演の放送が視たくて、無理してローンでカラーテレビを買った。給料の約5ヶ月分の値段だった。今なら高級大画面ハイビジョンテレビが2台買える金額だ。中継アンテナが近くに無く、アンテナを高くしてブースターを付け、やっと何とか映った。「ノルマ」「ラ・ファヴォリータ」「リゴレット」など、本場の一流のイタリアオペラを堪能した。

車も持たず、山間奥地にこもっていたのでラジオも聴きたかった。5素子の八木アンテナを二段スタックにして新潟のFM局をようやく受信できた。しかし、豪雪で毎年グジャグジャに曲がり、毎春買って立て直した。40年ぶりの豪雪の年もあり、テレビのアンテナも必死で立て直した。窮乏生活は急激なインフレでチャラになっていった。

 安達に戻る頃には激しい右肩上がりの時代を迎えて収入も増えたが、レコードの値段はあまり変わらなかった。西ドイツ直輸入盤などで「トリスタンとイゾルデ」や「ローエングリン」「タンホイザー」「さまよえるオランダ人」などのワグナー物のレコードセットを買って聴いた。ワーグナーでは演奏に16時間もかかる長大な「ニーベルングの指輪」が特に大好きで、その後もレコードやCD、映像ソフトを追い求めている。

 車の時代になり、忙しくもなってきて、いつの間にか音楽がゆっくり聴けるのは車内だけという情けない時代になっていった。カセットテープの時代になり、好きな曲をFM放送やレコードから録って聴くことが多くなった。自然とカーオーディオにも目が行き、3台目の車のときはエアコン代を削って当時最先端の音のよいカーオーディオコンポ(パイオニア)を付けた。暑いのを我慢し、高音質のテープを選んでいろんな音楽を録音して聴いた。今でもカーステレオは純正品ではとても我慢できず、現在の車もパイオニアの良質なスピーカーに換装し、満足できる音質で主にジャズやオペラ、ピアノ曲などのCDを聴いている。

 このころ、4チャンネルステレオというのが流行していた。買うのは無理でも興味があったので、秋葉原で部品やハンダ付けのセットと単体スピーカーも買って、マトリックス四チャンネルのデコーダーとスピーカーを組み立てて楽しんだ。このシステムは間もなく廃れ、レコード針やレコードも含めて市場から姿を消した。その後、ドルビーサラウンドステレオに発展し、LD時代に四チャンネルアンプを買って楽しんだ。これは現在のAV時代の高音質の7・1サラウンドステレオとして更に発展し、大画面ハイビジョンで楽しめるようになっている。

その後マリア・カラスを知るところとなり、「ノルマ」や「カルメン」「トスカ」のレコードを聴いて圧倒された。「トスカ」は後にLDで第二幕だけのモノクロ映像もパリとロンドンの2種類視たが、あの迫真的な演技と歌唱はひとつの絶対的な完成の域に達していて、これを超えるものは今後出ないと思わせるものだった。ミラノ・スカラ座の「椿姫」公演(1955年)もそういう記念碑的公演だったと言われているが、モノクロ写真と貧弱な録音(歌や演奏の素晴らしさは十分伝わってくる)があるだけだ。なんで舞台の映像記録を残さなかったのか、恨めしくとても残念だ。イタリアという国のお国柄もあるのだろう。身近に常に最高のオペラがあるのでよりよく記録しようとは考えないのかも知れない。

そのイタリアのミラノ・スカラ座でさえ、その後「椿姫」の上演を1992年まで封印したのだから、よほどの名演奏だったのだろう。しかし、今ではただの伝説でしかない。やはり記録は大切だ。ジャズのブルーノートやイギリス・デッカのバイロイト録音のような、職人気質を感じさせる良心的な仕事をイタリア人に期待するのは無理なのかもしれないと思ったものだ。しかし、ヴェルディ没後百年記念のビッグ・プロジェクト(2000年6月)はすごかった。パリで行った野外ロケ実況中継放送の「椿姫」は内容も素晴らしかったが、26億円という法外な経費と35台のカメラにも驚かされた。久しぶりに「椿姫」に泣かされた。やはり、イタリアは普通ではないと思い知らされた。

カラスのレコード買いが始まった。深夜独りでカラスを聴いて正座する日が続いた。LDもいろいろ集めたが、レコードが入手困難になったこともあり、収集をあきらめた。最近になってようやくCDボックスで全集を買ったが、あまり聴き直している時間はない。

また、ラジオやテレビの映画などでエディット・ピアフにも魅了された。「愛の賛歌」は下手なピアノのレパートリーにもなっている。ポップス系ではほかにナットキング・コールも好きで、よく聴いたが、CDを買ったのはずっと後だった。今はほとんど聴かない。旬の時代は終わっていた。やはり熱いときに聴くべきなのだが、時間的経済的にできなかったのが現実だ。この辺が古典との違いだろう。そういう意味ではビートルズは古典だ。ビートルズ第一世代(団塊の世代)としてはラジオで聴いたり、録音したりしてずいぶん聴いたものだ。ロックはエレキがかったジャズやフュージョンも含めて全般に生理的な嫌悪感を感じて拒否してきたが、ビートルズは別格だ。音楽史に貢献することが少なかったアングロサクソン(イギリス)の歴史においてビートルズの果たしたポジションはとても大きいと思う。エルガーに匹敵すると言ったら言い過ぎか。叙勲は外貨獲得がきっかけだったにせよ、今となっては実に意義深い処遇だったと思う。(このことに抗議して叙勲を辞退した方々に叱られそうだが)

「ホロヴィッツ・オン・TV」(米CBSテレビ)のテレビ放送も衝撃的だった。特にショパンのバラードは圧倒的な演奏だった。こんな演奏は後にも先にもないだろう。スクリャービンの魅力も初めて知った。さっそく実況録音盤を買ったが、音が格段にいいこともあって、あらためて聴き惚れた。しかし、不思議なのはAV花盛りの時代になっても再放送やソフトの正規発売が無いことだ。NHKで1970年前後に2回放送されたっきりだ。ゴミのようにビデオ音楽ソフトが溢れている時代に、これはとても解せない。その後レコードが入手できなくなるまでホロヴィッツのレコードを買い続けた。ショパンに対する認識も一変した。数年後の初来日公演(TV放送)は期待が大きかっただけに不調で残念だった。2度目の来日公演は前回で懲りたのかテレビ放送はなく、FM放送だけだったが、このときは調子がよく、素晴らしかった。こうしてショパンが好きになり、いろいろなピアニストのCDを買って聴いたり、テレビ番組をチェックしたりするようになった。管弦楽よりもピアノ音楽や歌をよく聴くようにもなった。

 ラジオでも印象に残っている演奏はたくさんある。ピエール・ブーレーズの指揮するベートーベンの第五は頭を殴られたようなショッキングな演奏だった。譜面のオタマジャクシの隙間から向こう側が透けて見えるような演奏だった。

その後レコードがCDに取って代わってコレクションが頓挫し、忙しくなってきたことも重なって、いつの間にか音楽ソフトは買わなくなり、疎遠になっていった。

 ちょうどこの頃(1985年)ビデオデッキ(β)を買い、テレビで音楽番組を録画して楽しむようになった。また、絵の出るレコード(LD)も導入し、マリア・カラスやオペラのディスクなどAVソフトに関心が移っていった。20インチの画面ながら、レーザーディスクで視たまばゆいばかりの絢爛たるゼッフィレルリ演出の「椿姫」の素晴らしさは圧倒的だった。

また、NHKによる衛星放送の試験放送が始まって間もない1988年3月、誰よりも早くパラボラアンテナを設置して受信し始めた。ブーレーズが指揮するバイロイトの「指輪」の放送がどうしても視たかったからだ。アンテナの値段は今では十分の一に下がって普及しているが、先行投資にはそれだけの価値がある。カラヤンとキーシンのベルリンフィル生中継など、Bモードステレオの高音質番組のオン・パレードに圧倒された。FM放送のときと同じで、試験放送時代はいい音楽や映画がたくさん放送された。

このころから、全国に音のいいホールが続々でき始めた。 

サントリーホールの素晴らしい響きは、テレビの貧しい音でさえもわかるほどだった。いつかは行ってみたいと思う。福島市音楽堂の響きも素晴らしい。多くの反対を押し切って作っただけのことはある。みんなの意見を聞くといい結果にならないこともあるのだ。近いのにあまり行くことはなかったので、これからは公演情報をチェックして行くようにしたい。宮城県の中新田町のバッハホールも話題になったホールなので、数年前クリスマスコンサートを聴きに大雪の中行って来た。パイプオルガンは期待したほどではなかった。ここは、二本松市コンサートホールを作るときに視察したホールだそうだ。

小澤征爾が指揮するサイトウキネンオーケストラによるブラームスなどもテレビで視た。すごい名演奏だった。今でも小澤征爾の公演番組などはボストン時代からエアチェックし続けている。

FM放送は車中でしか聴かなくなった。CDプレヤーは1993年(平成5)になってからようやく導入した。開発登場してから10年以上経ち、LPの時代は完全に終わっていた。しばらく遠ざかっていた音楽をまた聴き始めた。

グレン・グールドとの出会いはCDだった。これを機会に軍資金の関係で封印していたバッハにようやく手をつけたような感じだった。独特のノリで酔わせるバッハだった。もっと若い時に聴きたかったなとも思った。昔ラジオで聴いたベートーベンの異常なテンポの「皇帝」(バーンスタインと共演したスリリングな演奏)が印象に残っていたピアニストだ。

かつて「マタイ受難曲」で大きな感銘を受けたカール・リヒターのバッハ全集も買い、あらためてバッハを聴き直している。

二本松市のコンサートホールができ、平成元年の最初期から音楽協会に入会し、質の高い生演奏を楽しませていただいている。一流の演奏家による小編成の数多くの多様な楽器やアンサンブルの生演奏は、いつも魅力的でとても貴重だ。

このころからフュージョンなどに埋もれていたジャズが復活し始めていた。大西順子のピアノに打ちのめされ、虜になった。1993年のことだ。リリースされるCDは全部買って聴いている。10年くらい空白があったが、最近またCDを出して活動を再開したのでとても楽しみだ。ライブ(福島市内のライブハウス)も聴きに行った。最近移籍して新譜をリリースしたので是非聴いてみたいものだ。

こうして、ライブやCD、映像付き音楽に夢中になっていたころ、早池峰登山をした日の夜、初めて岩手県一関市にある有名なジャズ喫茶に行った。一九九九年の夏だった。噂に聞いていた憧れの店だった。その晩はちょうどマリーンのライブがあった。キュートでガッツのあるジャズヴォーカルのスタンダードナンバーを至近距離で楽しみ、至福の時を過ごした。それ以来何度も「ベイシー詣で」をすることになった。JBLの2チャンネルステレオシステムのLPレコード演奏を聴いて度肝を抜かれた。音の厚み、奥行き、立体感、温かさ、CDでは聴けない、ライブとは違った、ライブを越えたリアルで熱い音の洪水に圧倒された。本物以上という世界があったのだ。音だけでこれだけのことができるのかと驚いた。著名人が一様に言う「日本一の音」という評判は本当だった。店内の壁は訪れた有名人のサイン(落書き)でいっぱいだ。「レコード演奏家」(店主)の音(音楽)を聴こうとファンが全国(海外からも)から集まってくる。ここは私語厳禁と指示されているわけではないが、とにかく音量が大きいから会話は成立しない。みんな黙って何時間も聴いている。オーダーはタイミングをつかむほかない。今では国内のあちこちのジャズ喫茶めぐりも楽しみの一つになった。

そのうち本格化した衛星デジタルハイビジョン放送を視るようになった。小澤征爾の2002年1月のニューイヤーコンサートは、シンフォニックなウィンナワルツが素晴らしかった。かつて感動したFM放送やBモードステレオの音は色褪せた感じがするほど画質や音質が飛躍的に向上している。贅沢には際限がないものだ。

今では100インチスクリーンで衛星デジタルハイビジョン放送を5・1サラウンドステレオで楽しんでいる。10数年かけてコツコツと作ってきた7つの自作スピーカーによる7チャンネル・シアターサウンドシステムはまあまあの音で鳴っている。

映画はもちろん、オペラやバレエ、コンサートはこれに限る。ネトレプコの椿姫やボエーム、もうたまりません。小学生のころ視た映画を我が家でもう一度視たいと思っている。あれから50年が経過したが、まだ巡りあっていない。

私はライブが絶対だとは思わない。よく聴こえない、見えないということもあり、野球や相撲もTV中継のほうがいいというのと似ている。よくできた録音録画物のほうがいいものはたくさんある。過去の名演奏など音質が悪くても貴重な演奏が聴ける。でも、これはそこに居合わせることができなかった負け惜しみかもしれない。

わざわざ遠方や海外に行かなくても、我が家は今や多様なメディアで世界とつながっていると自負している。今では高速インターネットでコンサート中継を視ることができる時代になっている。国内ではその気になればいくつかの一流映画館でメトロポリタンオペラの中継を鑑賞することができる。同じ内容の録画番組を数カ月遅れでNHKがハイビジョン放送するので必要性は感じないし、BD(ブルーレイディスク)に録画して楽しめる。今年はついにバイロイト音楽祭の封印が解かれ、国際共同制作でNHKが史上初の実況中継をした。演目は楽劇「ワルキューレ」、大変な時代になったものだ。それでもバイロイト詣での価値は無くならないが、チケットが高額な上に入手困難だそうで、私などには永遠に不可能なことだ。

録画したオペラなどのBDもたまり始めた。しかし、演奏会で生の音楽を聴くことはとても大切だと思う。実際の楽器の音やホールトーン、空気感、響きなどに親しみ、本質的なものや本物体験をすることによってはじめて、メディア(媒体)を通した演奏のよりよい鑑賞が可能になることを実感している。個人差はかなりあるが、脳の内部では不足する情報を補ってくれる働きがあるのだそうだ。私は貧しい音質のレコードでも数分後には演奏の中に入っていけ、音楽を十分に楽しめる。ライブ体験の質と量も功を奏しているのだと思う。

最近は首都圏はもちろん、近隣の都市でのオペラ公演やコンサートにはできるだけ行くように努めている。また、いろいろなホールや地域の音楽会にもなるべく出かけるようにしている。コンサートホールの二本松音楽協会をはじめ、ムッキョジのパオや彦ハウス、音楽ホールエムズサウンド、あちこちのジャズ喫茶やライブハウスなどもとても楽しい。

退職してからは、上京していろいろな公演も聴きに行けるようになった。今年7月のトリノ王立歌劇場引っ越し公演の「ボエーム」、小澤征爾や下野竜也が指揮した9月のサイトウキネンフェスティヴァルはすばらしかった。年内は11月にいわきで「アイーダ」、12月に東京文化会館で「魔笛」を観に行く予定だ。チケット貧乏にならない程度に出かけたい。  

私の音楽遍歴は、テクノロジーに感謝しながらもメディアに頼り、メディアに翻弄されてきた歴史でもある。生録機器や携帯音楽再生機器もいろいろ追いかけてきた。オープンリールのテープレコーダーからカセットテープレコーダー、そして、ビデオが登場した頃PCMデジタル録音システムを導入し、FMや生録をやってきた。その後ポータブルDATになり、今ではSDメディアを使ったPCMレコーダーを使い、パソコンと連携してDTMに進みつつある。MDやiPODなどの携帯音楽機器には関心がなく、導入しなかった。やはりレコードやCD、DVDなどのパッケージメディアと放送番組のエアチェック物がいい。

たまりにたまった録音録画物(ベータ、八ミリ、SVHSやDVHS、DVDやBD)や買ったままのレコードやCDを視たり聴いたりするためにも、残された時間はあまりない。デザート・アイランド・レコードを選べと言われた日にゃあ、お手上げだ。健康増進のために畑や野外に出ることも多く、情報収集やデータ管理ばかりで音楽に親しむ時間がなかなか確保できなくなってきている。旅行もしたいし、精選と工夫が必要なようだ。ドンキホーテにならないようにしなければ。

 

(第2稿)2010.11.5)