私を知る人は、「え?着物???!なんでまた、急に・・・」って感じだろう。
自分でも、まさか着物をきることになろうとは夢にも思っていなかった。
着物そのものは持っていた。
実家の母が「着物くらいもってないと恥ずかしい」という考えの持ち主なので、
せっせと作っていて、結婚するとき持たせてくれたからだ。
私自身は成人式でも振袖を着るのはやめて、ドレスにしたくらいで、
着物には全然興味を持っていなかった。
また、当時は本当に着物が似合わない体型でもあった。
着物というのは凹凸のない体型の人が似合う衣装で、当時、エアロビのインストラクターをしていた私は
肩幅は広いわ、胸とヒップのサイズが同じで、ウエストが細く、着物を着るとなると、補正が大変で、
すぐに着崩れしてしまうのだった。
第一、着るのが面倒だし、動きを制限されることは嫌いでもあった。
しかし、現在、その頃の面影はまるでなく、実家に帰って長年ご近所づきあいをしていた方に
挨拶をしたら「どちらさま?」などといわれてしまうくらい、すっかり姿形は変わってしまった。
そりゃ、あの頃よりは年もとったし、20キロも太れば、人相も変わるというものだ。
脱線してしまったが、なぜ着物なのか。
ここ、2、3年、本当に身体の調子が悪い。
老化現象と言われると、受け入れざるを得ないのだが、確実に老いは迫っている。
身辺整理をしておかなくては、なんて考える日もあるくらいだ
(実際のところ、部屋はこれでもか、これでもか、というくらい散らかっているが)
ある日、ふと、私が死んだらこの着物たちはどうなるのだろうか・・・・思ってしまった。
子供がいないので、子供に残すということもない。
非常にもったいないことである。
着物という衣装は本当に高価なものである。
これを宝の持ち腐れといわずになんといおうか。
タンスに肥やしは必要ないのである。
母が一生懸命そろえてくれたのに、その姿を見せないままというのもかわいそうである。
そこで、汚れたらもったいない、などど思わずに着ることにしたのである。
考えてみれば着物は日本人の民族衣装である。
着物というと、なんかすごく特別なもののような印象があるが、
戦争でアメリカに負けるまでは、普段着として着物を着ていたのである。
どの国も自分の国の衣装というのは大切にしている。
日本もそういうところは外国を見習ったほうがいいんじゃないかな、
と思う今日この頃である。
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