はじめてのお家


シリアに到着して3日間はホテル暮らしだったが、家が用意されていたので

早速荷物を持って移動した。

身の回りの品以外はアナカンで送っていて、まだ到着していなかったから

私の荷物はトランクひとつとスキーバッグひとつだった。

調整員から同期の家がまだ決まっていないので同居するように言われた。

彼女とは訓練所も同室だったが、私の天敵だと思わざるをえないほど

相性が悪かったからものすごく嫌だった

彼女のほうはそう思っていなかったようだが、私は訓練所での同居がつらくて

協力隊参加をやめようかと真剣に考えるくらい苦手だった。

世の中にこんなやつがいるのかと我が目を疑うくらい自分勝手なのである。

私は思ったことは言わずにはいられない性格だが、同時に平和主義者でもあるので

人と言い争うのは好きではなかった。

自分が我慢してその場が納まるなら「まぁ、いっか。」と思ってしまうのである。

険悪な雰囲気になるのも嫌だし、くだらないことで言い合いするのが

面倒くさいのである。

三ヶ月間の我慢なんだ、訓練が終われば開放されるのだと

自分に言い聞かせ、訓練を乗り切ったのである。

ここで、悪夢再びは勘弁してくれと思ったが、調整員に頼み込まれて仕方なく承諾した。

ものすごく憂鬱だった。

シリアも首都は人口密度が高く、集合住宅が多かった。

私の家はダマスカスの象徴、カシオン山の下のほうの

シェイハ・ムハイッディーンという地区にあった。

歩いて1分くらいのところにスーク・ジュマといわれる庶民的なスーク(市場)があり

生活するにはよさそうなところだった。

シリアでは、半地下の家があり、私の家は4階建て集合住宅の半地下だった。

道路の脇に門があり、階段をおりると玄関がある。

玄関を開けるとすぐにリビングになっていた。

ろうかをはさんで洗面所とシャワールームがあり、

その隣がベッドルームで向かいが台所だった。

珍しいことに廊下の突き当たりがドアになっていて

そこを開くと離れのような部屋がひとつとトイレとベランダになっていた。

一人で住むには十分である。

同期には家が見つかるまで、離れにすんでもらうことにした。

半地下のためか、薄暗く、建物が古いのか、ほったらかしになってたためか

かなり荒れていたが、生まれてはじめての一人暮らしをこれからするのだと思うと

快適に住めるようにしなくてはという気持ちが先走り、スークに掃除道具を

買いに走った。

 

 

 

 

 

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