「今日の夜話」過去ログ'03.11〜'04.3月
「ランブリンボーイ」3/31イギリスのシンガーソングライター「ドノバン」のアルバムはとても良くて、もう20年以上聞き続けている。
'66年頃からは、ドノバンサウンドを展開してゆき、独自の世界感を作ってゆき、多くの名曲も残していった。
最近、ドノバンデビュー当時の弾き語り時代のアルバムを聴いていると、他のフォークの弾き語りのアルバムと、何か違うものが流れているような気がするのだ。
どの曲も普通にアメリカのトラディショナル風のフォークソングであり、ギターの弾き方もまた、特別なわけではない。有名な「キャンディマン」もそのまま歌われている。
「キャンディマン」の楽曲でさえも、完全にドノバンの世界になっていて、まったく古さを感じさせない。
初期の頃の楽曲で「ランブリンボーイ」という歌があり、シンプルなメロディーにのせて、「僕はさすらいの子」とくり返しドノバンは歌う。
実にこの歌が、初期のドノバンに似合っていて、まるでこの歌の主人公そのものがドノバンであるように思えてくる。
(オリジナルであるので、それは言えてるのだが・・)
・・・・・
ギターを持った、さすらいの歌うたいが、村にやってくる。ハンティング帽子に、カーキ色の紐しぼりの袋を、背にしょって。。それは誰であってもいいのだけれど、ドノバンは、いかにもという感じでやってくるだろう。
「♪僕はランブリンボーイ・・」
小柄な美少年のドノバン。もしも映画があったなら、やっぱりドノバンは、最適な役どころとなるだろう。
実際、そんな映画が作られたわけではない。なぜ、作らなかったのだろう。
「オオサンショウウオ」3/28
オオサンショウウオが亡くなったときいた。
それも今ではない。
それは以前一度だけ、見に行ったことがある、オオサンショウウオだ。
調べてみると、70年ほどは生きるのだという。その天寿をまっとうしたのかもしれない。
井伏鱒二の「山椒魚」での印象が誰もが強いと思うのだが、実際、どのオオサンショウウオもその主人公だった気がしてくる。
その水槽のサンショウウオに話しかけても、答えてはくれなかった。写真を撮ってみたけれど、ぼけた写真になってしまった。
その場所を訪れた人たちの誰もが僕と同じ気持ちを持ったことだろう。そして、そこに小さかった頃から山椒魚がいて、安心していたのだ。
しかし、そのオオサンショウウオが亡くなっても、大きなニュースになるわけでもない。
大きなニュースになるわけではないけれど、その水槽の前に立った誰の心の奥にも住んでいた。
きっと、『ずっと変わらないもの』の象徴だったのかもしれない。
そのオオサンショウウオが亡くなったときいて、僕の心はかなりがっかりした。
「カバンのない日」3/24
いつもようにバイト先に出かけるとき、どうしても、カバンを肩に掛けたくない日がある。
それは誰にでもあるだろう。
僕の中では、カバンのない日はそうとうに疲れているか、休みの前日である。一秒でも早く部屋に帰って来たいときだ。
さて、カバンを持ってないからと言って、何秒帰宅時間が早くなるというのか。
それでも体は軽く、どこも寄り道はしないで帰宅する。
多少は早く、部屋に着くだろう。
こころはもう、そこにあるのだ。
どこにも出かけないのだから、カバンもいらない。
部屋の外に自分はいるけれど、参加していないのだ。
まるで空気のように、漂うように行って帰ってくる。
そうなると、どうしてもカバンがいらない。
カパンの無いぶん、電車も軽い、道も軽い、時間も軽い、影も軽い。
「一本だけ」3/21
実は一本だけ、ギターが欲しいと思っている。
マーチンのJMというギターだ。このギターを使っている人はあまり聞いたことはないのだが、フォークタイプのボデイよりも少し大きくて深いのだ。
マーチン社のギターはどれも素晴らしいのだけれど、フォークタイプのギターはやっぱりボリュームがなく、それでいて大きなDタイプではボリュームがありすぎる。その中間が、マーチンJMだ。
ボディの材質もマホガニーで、やわらかい音がするだろう。僕自身としては、大きなボディの音量が欲しいという気持ちが強いのだけれど、あのボティの形が実に弾きにくいのだ。
小さなボディでありながら、大きなボディに近い音量のギター「マーチンJM」。このギターは理想に近いのだけれど、僕は買いそびれてしまった。買おうと思った時期に発売がされてなかったのだった。
まちがいなくいいギターだと思うのだけれど、現実はどうもそうではないらしい。
現実はそうでもないんだよね。
なぜだ。なぜだと言っても、僕にもわからない。
たぶん、マーチンJMは、なかなか見つけることは出来ないだろう。
どこか、僕の理想と世の中のギターの理想がずれている。
ただ、このギターが欲しいとここに記しておこう。
「次の一手」3/18
僕のパソコンのキーボードの前には、鬼太郎とねずみ男が将棋をしている小さなフィギィアがある。
フィギィアというのは最近の言い方で、姿をまねた小さな玩具だ。他にいい言い方があったかもしれない。
背の高さは、2センチもないほど。お菓子に付いてきたのだ。
1センチほどの将棋盤に向かいあっている二人。将棋板のすみには、2ミリほどの目玉のオヤジが立っている。
あごに手をあてて、考えているねずみ男。次の一手は、たぶんねずみ男の方だろう。
そうやって、もう2年。ねずみ男はまだ考えている。
この先ぃったいいつねずみ男は、次の一手が打てるのか。
3年後も5年後も10年後も、まだ考えいるだろう。
ここにいる鬼太郎とねずみ男は、どこにも出かけることもない。
一年に一度でいい、新しいふたりのフィギィアがここに送られてこないものか。
いや、やっぱりシンプルに、腕とか動けば済む話かもしれないが。
僕は基本的に、こういう設定のシーンは嫌いではない。
しかし、これはやりすぎだ。
毎日見ている僕が言っているのだから、本当だ。
次の一手がないのは、困る。
「ろうそく」3/14
暗い芝居小屋の中、燃えるろうそくの炎ふたつ。
先日、観に出かけた芝居の中で、久し振りのろうそくの炎を見た。
電化生活を送っていると、普段ろうそくに出会うことは、まずない。
ガスコンロの炎や、ガスストーブともちがう。
ほんの150年まえまでは、夜を照らしていた炎。
・・・・
風のない空間で燃える炎は上に昇り、今さらながら不思議さを伝えてくれている。
どの炎も同じ形をしている。
闇の中に見える炎の形。
僕は江戸時代にも、室町時代にも行ったことはないけれど、太古の昔からそれは変わっていないものだろう。
そのろうそくの回りから広がる昔のままの闇の続き。
・・・・
僕は思った。ろうそくは炎を発していると同時に、その回りに電気のないの闇を作っているのだと。。
タイムトラベルようではある。その闇についてゆくと、日本中、世界中に行けそうな気がしてくる。
「一秒の一万分の一」3/10
近所に、我が道を行く人がいる。
その人は、かなり独特だ。
家に壁には、いろんな格言が貼られている。
通りかかったとき、その人はこんなことを言っていた。
「人の一生なんて、一秒の一万分の一にしかすぎないんだ!!」
通りすぎて僕は、(あれぇ、今の言葉だって一秒以上かかってるのになぁ)と、素朴な疑問を持ったりしたものだった。
そして最近、アインシュタイン博士の「相対性理論」がわかりやすく書いてある本を読んでいたら、どんどんと時間の観念が崩れてきて、先日の彼の言葉もあながち嘘ではないなと思えて来た。
もしかしたらそうかもしれない。
いや、そんなことはない。
まあ、そうともいいきれないんだが。。
・・・・
たぶん彼が言いたかったのは、我が道を行けということだったのだろう。
「吸血鬼の気持ち」3/7
3月としては、かなり冷えた夜、友達が泊まってゆくことになった。
友達が泊まるときは、僕はいつもは行かないコタツテーブルの出てる奥の部屋に布団を敷いて眠る。
部屋がいろいろと狭いので、足が半分コタツテーブルの下に入ってしまう。
友達は先に眠ってしまったので、暗闇の中、僕は暖房のない部屋で、布団にくるまるように横になった。
コタツ。。
・・・・
コタツ。。ここ4年ほどは冬はコタツでは寝ていないが、思い返してみると、僕は約30年くらいは、冬はコタツで眠ることが多かったのだ。
今夜は、テーブル代わりにしてるコタツに足だけ入っているとはいえ、なんとも懐かしい気持ちになった。
それも暗闇の中、ごそごそと布団にくるまってみると、、、
布団にくるまってみると、、
妙な安心感があった。
・・・・
そして僕は思った。
夜に徘徊し、そしてまた棺桶に戻ってくるという、あの吸血鬼もまたこんな気持ちだったのではないかと。
いや、僕の方が今、吸血鬼の気持ちに近いのだろう。
冬の風の冷たい夜、徘徊して戻って来たメガネをかけた吸血鬼は、コタツの下にまるまった。
僕の中にもうひとりの僕がいて、彼はいまだにコタツを求めている。
「カトマンドゥ」3/3
僕の歌に「彼はまだまだ帰って来ない」という歌があるが、、
友達が今、ネパールから帰って来ない。
(と言っても、まだ10日くらいなものだけれど・・)
僕にはなんだか、彼が帰って来ない気持ちがよくわかる気がするのだ。
ネパールと言えば、首都「カトマンドゥ」とのんびりとした湖の町「ポカラ」のどちらかに居ると思うのだけれど、
きっと、彼は日程の終わったあと、カトマンドゥにいるのではないかと思う。
カトマンドゥという町は、魔力のある場所だ。
インド旅行に疲れた人が、ひと休みをするために訪れる場所とも旅人の間では言われてはいる。
僕の印象では「カトマンドゥ」は極端なたとえかもしれないけれど、「少年漫画雑誌」のような町という印象がある。
朝から夜にかけて、町のどこかで、少年漫画の中のようなドラマが生まれているようだ。
重くなく、それでいておおげさで、なおかつ、血が燃えてくるようなストーリー。
やってくる旅人たちが、作るストーリーといってもいい。
入り組んだ路地。にぎわいのあるメインストリート。そしてたっぷりとある時間。なんでもある美味しい食事。
きっと、彼はこんな世界に毎日、住んでいたかったのではないかと思えてくる。
カトマンドウで旅人のゆくメインストリートは「タメルストリート」だ。「タメルストリート」を歩けば、たいがいの旅の友だちには会えた。
会いたい人にまた会えるのだ。
そしてまたつながる話。
きっと今、彼はカトマンドゥのタメルストリートを歩いているだろう。
「オーッ!!」
「再会」2/29
先日、友達と卓球をした。
僕は中学時代卓球部だったこともあり、もちろん卓球が出来る。友達もまた家に卓球台があったので、それなりにうまい。
25年振りにする卓球。しているうちに、だんだんと感覚を思い出して来た。
一時間もすると、もう疲れてきたので、試合を友達とやった。
卓球台の向こうにいる友達。
(そうだ、思い出したよ)
中学時代、卓球大会があるたびに、多く対戦した他の中学のみんな。その日、はじめて会った人であっても、そのテクニックと実力を読みとり、3セットの試合の間に、勝てるように、弱点を見抜いたりしたものだった。
それは、今思えば、かなしい戦いだったのかもしれない。
僕に負けていった人たち。それ人もまたその日は勝つつもりで試合にやって来たのだろう。
試合の勝ち負けは別のテーマだとして、僕が思うのは、卓球台の向こうにいる人は、ほとんどが知らない人だったのであり、その後、友達になった人もいれば、一回きりの試合の相手だったこともある。
相手の持ってる必殺技の読み。僕に勝とうと計画している相手の、その裏をゆく僕のたくらみ。
先日、20年来の友達と試合をしたとき、中学時代の感覚が戻った。はじめて会うわけではないのに、はじめての試合。何百人とやった試合の相手のひとりになった、僕の古い友達。
「素晴らしき平日の午後」2/26
バイト先の帰り道に博物館がある。
毎日ポスターを眺めていると、数年に一度は入ってししまう。
今、やっているのが円山応挙展だ。ポスターの孔雀の絵が良かったのだ。
平日の昼間だったせいもあり、僕の足は博物館に向かった。
円山応挙と言えば、江戸時代を代表する写実の画家だ。今でも人気はかなりものだろう。
扉を開けるとびっくり。
今日は平日の昼間のはずなのに、人でいっぱいなのだ。
それもみんな、ご老人。
(なるほど、ご老人のみなさんには、日曜はあまり関係がないのか)
それにしても、これは日曜の混んだ状態と同じだ。
平日の博物館。いつもなら話す人もなく、静かなはずなのだけれど、今日はちがう。
ご老人のみなさんは、友達とみんな来ていて話しながら絵を見てゆく。
にぎやかで、いいんですけど。。
いや、にぎやかで良かったんです。
僕は聞いた。おじいさん、おばあさんたちの感動の言葉を。
応挙展は、もちろん素晴らしかった。
そして、それぞれの絵の前で解説してくれるご老人の言葉も素晴らしかった。
「2時間半後の明日」2/23
今日と明日の間は何時なんだろう。
僕はそれは午前3時だと確信する。
いつも5時半くらいに起きるのだけれど、先日、夜更かしをして午前3時に床に入った。
目をつぶりながらこう思ったのだ。
(ホントにあと二時間半で明日が来るのか? )
明日は来る。
二時間半しかなくても。
でも、ちょっと無理があるだろう。
それは、僕が午前3時まで起きてしまったからだ。
もしも二時だったら、あと三時間は眠れるので、明日はそれでも、なんとか準備をしてやって来てくれるだろう。
そして僕は気付いた。
今日と明日の境は午前3時なのだ。
僕の部屋には柱時計がある。3時になると、短針も重力の関係で下へと向かう。
「すごく便利な顛末」2/18
こんなことは実はもう常識なのかもしれない。
つい先日のことだ。友達に携帯のメールアドレスを教えてもらおうと思ったら、その友達は、あれ携帯がないと言って、リュックの中じゅうを探し出したのだ。
「あれ、ホントにないよ。やばいなぁ・・」
よく忘れ物をするその友達なので、僕は心で(またかなぁ・・)と思っていた。
リュックの中のものを全部出してみるけれどない。
そこにやって来たもうひとりの友達が、まるで当然のことのように、その人の携帯を鳴らせてみせた。
ルルルルルル・・・
鳴ってる。
鳴ってるけれど、それがどこだかわからない。
また友達は大騒ぎだ。
リュックの中をまた探す。
ポケットの中も探す。
ポケットの中?
「ポケットになんてないよう。。あれ、あった」
という顛末だ。
携帯探しって便利なんだな。
「外」2/16
今朝は、妙に寒く起きた。
温度計を見ると10度なので、そんなには冷えてはいないはずだ。
外では、風がびゅーびゅー言っている。
アパートの外で、トタン板が鳴っている。
トタン板が鳴る冬の夜や朝は、僕の小さい頃の新潟での記憶とも重なっていて、外の冷え冷えとした感覚がよみがえってくる。
北風だ。
空き缶を出そうと、夜明けすぎに外に出てみると、なんとも寂しい風景になっていて、恐怖さえ感じた。
そこで見た印象は、実家にいた頃に似ていた。
僕は急いでまた部屋に戻った。
実家にいた頃、冬の外は、実に冷たい印象だった。
ひとりあばれている怪物のようでもあった。
うらむべきなにもないけれど、そこは「外」と呼ばれる別世界であった。
東京に出てきてから、ずっと忘れていたものだ。
ここから外の景色は、ただのアパートと普通の路地の景色だ。
それでも、ときにはこんなにも寒々としてしまう。
「ストーリー」2/13
ああ、僕の記憶力よ。。
最近、ふと思い出したことがあった。
僕は高校時代、毎日新聞の四コマ漫画「アサッテ君」の開始と同時に、切り抜き集めて、たしか1000枚ほど集めたのだ。
しかし、しかしだ。今思い出してみると、そのうちのひとつもどうだったか思い出せない。
今朝はテレビ漫画「タイガーマスク」のことも思った。どんな試合だったか、ひとつも思い出せない。
タイガーマスク。ミスターX。虎の穴。主題歌。それくらいしか記憶に残っていない。
それなのに、自分では「タイガーマスク」のことをよく憶えているつもりでいたのだ。
これは、そのことに限ったことではなくて、毎回かかさず見ていたテレビドラマのストーリーも、ひとつも思い出せないことが多い。
ひとつもだ。
「太陽にほえろ!!」だって、ひとつもストーリーが思い出せない。
そんなばかなと思うけれど、本当だ。
二三年前に見たトレンディードラマなら、なんとか記憶に残っている。
ああ「太陽にほえろ!!」もそうだったのか。。
それさえも記憶がない。「水戸黄門」のストーリーだって、ひとつも憶えていない。
憶えていないけれど、もしかしたら憶えているのかもしれない。
思い出すきっかけがないんのかもしれない。
映画のストーリーはなんとなく憶えている。これは不思議だ。
ほんとはもっと憶えていてもいいのにな。
(せめて、ひとつくらいは)
「日記」2/10
もう三ヶ月くらい日記を書くのを、ためている。
・・・それじゃ日記じゃない。
いつもはひと月くらいはよく、まとめて書いていた。
書けるだろうか。
ふつうに何もなかった日はたぶん思い出せない。
しかし、何かあった日のことは、細かく思い出せる。
いままではひと月くらいは、思い出せて当然だと思っていたが、
三ヶ月ともなると、記憶の負担も大変だろう。
でも、ない。
それも逆に、はっきりと残っているようだ。
そういうことはあるかもしれない。
歌の歌詞だって、見なければ、憶えてしまうだろう。
・・・
でも、きっと四ヶ月たつと忘れてしまいそうだから、そろそろ書いておこう。
「フィンガーチョコ哀愁」2/6
先日、アルバイト先の休憩テーブルの上に、フィンガーチョコが置かれていた。
最近はあまり見かけなくなったが、金・銀色の紙に包まれた、サクッとした中身の表面のみのチョコレート菓子だ。
小さい頃、なぜかよく食べた。
そのフィンガーチョコ。
金と銀の包み紙。
おぼえているか、金と銀の包み紙。いや、正確には、銀と金の包み紙だ。
おぼえているか、銀のフィンガーチョコがほとんどの中で、金色のフィンガーチョコが数本混じっていたことを。
そして、金の銀もまったく同じ味だったことを。
しかし、それでも、何かラッキーな気持ちになったことを。
・・・・
先日、テーブルの上に置かれていたフィンガーチョコは、全部か金色の包み紙だった。(それも袋詰めで)
これでいいのか!!
まあ、銀よりも金の方か美味しそうには思えるのかもしれない。
このきびしい経済状況の中では、しかたがなかったのかもしれない。
たしかに食べてみると、なんとなく美味しいような気もしてくる。
(そういうことか。。)
販売会議で、金の包み紙に決定したときの光景が目に浮かぶようだ。
「目覚まし時計」2/2
時計から手紙が来た。
僕がいつも「目覚まし時計をかけて眠る」って言うけれど、
それは「時計の目覚ましをかけて眠る」が本当らしい。
たしかに言われてみればそのとおりだ。
しかし、そんなには悪い気はしてないらしい。
それも時計の楽しみということだろう。
僕が思うに、時計はすべてつながっていて、ひとつの河のような空気の中にいるのだろう。
ひとつの目覚ましは、その部屋にある時計全部の代表なのかもしれない。
だから、目覚ましをかけるということは、時間そのものと約束しているということなのだろう。
「落ちていたギター」1/29
ギターが落ちていた。ここ杉並区ではなく、アルバイト先の墨田区で。
燃えないゴミの日に一緒に出されていたのだ。
僕は足を止めないわけにはいかない。
10年くらい前のエレアコのギターだ。埃をかぶっているものの、まだ充分に使える。
いつもだったら、何も悩まずに、そのまま持って帰っていたのだけれど、さすがに最近は、しばらく考えてしまう。
だって、部屋には、11本以上もギターはあるのだし、結局、拾ったギターもずっと持ち歩いてしまうことになってしまう。
弾かないのに、何10年も。。
だいたいよく考えてみれば、そのギターが自分に必要なのかというとそんなことはない。
ただ、どうしても、見捨てられないのだ。
しばらく見つめる僕。
(きっと誰か必要な人がひろうだろう。)
そう自分で思うしかない。
しかし、そうではないかもしれない。
しかし、どうしてももう拾うことが出来ない。
僕は思う。
これは、こういう場面だったのだと。
拾うことはできなかったけれど、拾おうとした人が寄ったのだと。
「吹雪」1/26
日本海側では、大雪になることは多い。
僕の生まれは新潟なので、冬といえば雪の季節だ。海岸沿いの町という事もあり、時には吹雪いた。
吹雪・・。
そういえば、東京では、あまり吹雪くということがないように思う。と、いうか、記憶にない。。
(もしかしたら、あるかもしれないが・・)
東京の雪のパターンといえば、朝起きたときとても静かで、外に出ると雪が積もっているとパターンがほとんどだ。
降るときは、風もなく、空から落ちてくるという感じだ。
なぜか、いつもそうだ。
風で雪が舞うような事はあまりない。
東京の雪はおとなしい。一日とか降って、もう消えてしまう。暴れることもあまりないようだ。
でも、なぜ雪のときに風が強く吹かないのだろう。いつも、しんしんと降ってばかりだ。
東京の特徴なのか。「吹雪」からは遠い。
東京には吹雪がかけている。もしかしたら新潟とはちがうタイプの雪なのかもしれない。
「帰り道」1/23
高校生の時がどんなに楽しかったとしても、僕は決して、憧れたりはしなかった。
東京に出てきて、僕は現実というものが、どんなにも切なくて素晴らしいものなのか知ったからだ。
おもうようにゆかないことの中に、すべてがあると思ったのだ。
しかし、僕の高校時代といえば、いろいろとあったとしても、それはほとんどが僕の頭の中の出来事ばかりだ。
18才になろういうとき、完結した時間がやってきたように思えて、僕は哲学や宗教の本をよく読んでいた。
たしかに、小さな円はそこでつながり完結したのかもしれない。
今、思い返しても、その頃の時間が僕には、嫌で嫌でしかたがない。
正しいことばかりの世界に住んでいたような気がしていたけれど、まるっきりまちがいだらけだった。
ボブ・ディランの歌ではないけれど、今よりも、もっと老けていた。
しかし、その頃の時間がなければ、それからの僕もないという事にはなるのだが・・。
・・・
さて、帰り道。
僕の隣を、ひと組の高校生のカップルが話をしながら歩いていた。男のコの方は、濃い紺のダッフルコート。今時の流行の若者というふうではない。女のコの方は髪が長く、やっばり濃紺のあたたかなコートを着ていた。背の高さも同じくらい。どこかに向かいながら、楽しそうに静かに話していた。
彼らの行く先に、どこかの商店街があるとしても、粉雪が煙るような景色が見えてくるとしても、迷い犬が横切るとしても、横切った後で、ふたりが気が付くとしても、、その先に待っているのは、コタツやテーブルの上のあたたかいご飯であり、明日の仕事といえば、また学校に行くことである。
彼らに横にある壁は、アパートのモルタル造りの壁ではなく、少年ジャンプや、チャンピオンの漫画本の厚みでできている壁のようだ。
左のてのひらに乗っている「今日」は、そっくりそのままの重さで、右のてのひらに乗せられ「明日」になってゆくようだ。
それはちょうど、食パン一枚くらいの重さと厚み・・。
ふたりは、いったい何を話していたのだろう。科学のことかもしれない。虹色の包装紙のついた会えない未来の話かもしれない。その帰り道の先は、ぐるりとめぐってまた明日も同じ道に戻ってくる。
僕はもう一度、あのふたりの帰り道に戻ることがあるだろうか。
・・・いつも何かしなくちゃならないことで、いっぱい。
僕は学生時代に、ほとんど憧れはなかったけれど、はじめて、その帰り道に嫉妬を感じた。
「あっ、雪だ。」
空のいっぺんを見上げているのは、僕ではなくて彼らの方。
その気持ちは、雪のひとひらと同じくらいに軽い。
「グレープフルーツ」1/16
グレープフルーツではなくてはだめなときもある。
グレープフルーツ。この果物はいつからあるのだろう。
昔むかしからあるのか。それとも掛け合わせなのか。
・・・
僕の記憶では、初めてグレープフルーツを食べたのは、1972年頃だったと思う。
(ちがっているかもしれない)
ちょっと調べてみました。
・・1930年に日本初上陸。・・1971年に輸入自由化・・
なるほど。。。もしかしたら、1960年代に産まれた果物かと思った。
(まあ、歴史については、ここで話してもしかたがない)
僕が思うのは、グレープフルーツがあって良かったということだ。
オレンジもアップルも、大好きだけれど、やっぱりどこか甘い。
グレープフルーツのすっばさと甘さのバランスがちょうどいいときがある。
レモンともちがう。カボスともちがう。
その昔は、高級果物だったというグレープフルーツ。
明治、大正時代、昭和の最初、なかなか一般では食べることはなかった。
1970年以降に産まれた人たちには、最初からある果物なのだろう。
そして僕には、新しく食べた果物の味だ。
最初に食べてからもう30年以上たっているが、今だにグレープフルーツは、僕の中では、新しい果物の味がする。
「アノラック宇宙人」1/10
今、僕はもう、一番あたたかい防寒具を着て町へ出ている。
あたたかいコートに、マフラーに帽子だ。これ以上増えるとすれば、手袋くらいか。
まあ、東京では、これくらいで充分なのだが、実家の新潟に居た頃は、冬といえばアノラックの登場となる。そしてブーツかな。
小さい頃からアノラックは僕にとって、ひとつ楽園であったと言える。
それは、帽子をすっぽりとかぷり、紐をしめてしまうと、もう誰でもなくなるからだ。
しぼった紐の小さな穴からのぞく商店街の雪の降る風景。もちろん手袋をした手は、両方のポケットに入れなければならない。
もちろんアノラックは、ひとサイズ大きくなければいけない。
もちろん長靴のサイズが0.5大きくなければいけない。
もちろん持っている黄色い傘は、ポケットに入れた手にひっかけてなければいけない。
もちろんその傘の先が、下とこすっていないといけない。
そのまま進んで行く、商店街のアノラック宇宙人。
信号機のところで、立ち止まり、しぼった穴の中から、信号機の色を確かめる。
たいへんに見づらいために、首をあげる角度はいつもよりも大きい。
その瞬間は最高だ。
信号機は、ぜったいに無視してはいけない。
それがアノラック宇宙人の鉄則だ。
・・・
ここ東京では、雪もそんなには降らないので、そんな宇宙人を見ることはまずない。
残念なことだ。
もしも今もアノラックを着る機会があるならば、一年に一度くらいは、そうやって商店街を歩きたい。
「夢野楽器店」1/7
先日、ギターを試し弾きする夢を見たが、自転車に乗っていて、かつて見た夢をまるまる思い出した。
それもまた、楽器屋でギターを試し弾きをする夢。。
たしか2年くらい前に見た夢だが、あまりにリアルだったのだ。
それも、日本ではなくて、アメリカの。
友達と何回も通い、いろんなギターや、他の楽器を眺めては、買おうかどうしようか悩んだのだ。
そして試し弾きもして、そのギターの音色も確かめた。。
とにかく変わったギターが多かったのだ。そのギターデザインの細部まで確認する僕。
しかし、これはみんな夢の中の出来事。変わってるギターも当たり前だ。
とにかく、目がさめたとき、その夢のリアルさに驚いたのだ。
・・・
で、ここで昨日の自転車での話に戻る。
そんな夢のことはすっかり何年間も忘れていたのに、まるで実際に行ったかのようによみがえるのだ。
ただそこは、アメリカの楽器屋ということで、夢の話だとすぐに思い出せたけれど、これが日本の楽器屋の夢だったら混乱していただろう。
僕の夢の中だけにある古道具もある。その古道具に僕は数年に一度、夢の中で訪ねている。(くじらのひげが置いてある)
それもリアルな夢だ。
こうしてみると、僕の場合、古楽器、古道具を買おうとする夢はリアルなのかもしれない。
いや、今日の話はそれがテーマじゃない。
リアルだった夢を夢として認識しているうちは、問題ないが、夢だということを忘れたら大変だという話がしたかったのだ。
ホントに探したりしたらどうしょう。ホームページに書いたらどうしよう。
「探し物」1/4
さて、これから探し物をするわけだけれど。。
見つかるかどうかは不明だ。
しかし、捨ててないかぎり見つかるとは思う。
奥の部屋のどこかにあるはずなのだ。
パソコンならば、検索機能ですっと出るけれど、パソコンでも検索機能がなかったら、大変な労力がいるだろう。
これから奥の部屋を探すけれど、まるでそれは僕の記憶の中を探すようなものだ。
脳の中の検索機能があれば、すっと出るはずなのにな。
体内の中を探検に行く、ミクロの決死圏という映画があったが、今まさに僕の脳の中の記憶に向かう人のような心境だ。
「初夢」1/1
初夢というけれど、思い返せば、意味があるような初夢を見たのは、たったの一度きり。
いつも、なんだか素晴らしい夢が見られるような気がして布団に入るけれど、朝になってみると、まったく見られていない。
まあ、毎年そんな感じ・・。
一日、二日の夢は、見なかったことにして、三日まで待ってみるけれど、いつもたいした夢を見るわけではない。
いつも意味深い初夢を見る友達もいる。そんな友達はちょっとうらやましい。
僕は今年もきっと、普通の夢を見て終わるだろう。
しかし、一度だけ、たった一度だけ、僕は信じられないくらいの初夢を見たことがある。
まるで短編映画のようであり、僕の今までの人生の中でも、とても意味深い夢だった。
そう思うと、やっばり初夢は、何か特別なものかもしれない。
僕にしてみると、そのたった一回の初夢でかなり救われたので、たぶんもうそんな初夢は見ないだろうとは思っている。
「犬話アゲイン・2」12/29
昨日も犬に会った。
室内犬。みんながパーティーをやっている中、食べものの匂いに身をもだえているワンちゃんの姿。
犬の世界はどうなっているんだろう。。
犬は、新宿区や杉並区の違いを知っているのだろうか。
中国やインドがあることを知っているのだろうか。
ワンちゃんは、自分の目で見えるという望遠鏡の先までしか意識がつながっていない。
犬は、相手を気づかうことはあるけれど、いつも一対一。
脳の中は、いつも自分の感情でいっばいだ。
ひとりで寝転がり、かゆいところをかんでいる。
室内犬を飼ったことはないけれど、室内犬というのは、こんな感じなのか。
仕事がら毎日毎日、室内犬には吠えられまくっているけれど、、今はじめてカワイイと思えた。
・・・しかし、この可愛さに受け入れてしまうと、たぶん溺愛になってしまいそうだ。
愛がいっばいあってもいいじゃないか。
まあね。
その話は、今度するとして、僕が今日話したいのは、犬の世界についてだ。
犬の世界。その頭の棚には、ひとつのことしか常にのらないようだ。
「カセットテープ文化」
カセットテープ文化はまだまだ生きている。
まず、今まで録音してきた膨大なテープ音源を再生しなくてしてはいけない。
もう買うことがないは思っていたのに、
ああ、またカセットデッキを買ってしまった。
こんな話を聞いても、ピンと来ない人が多いかもしれない。
ちょっと品名を変えて、ビデオデッキとしてみれば、ちょっとは伝わるかなぁ。
僕の記憶のはるか向こうにあるカセットデッキ。カセットテープ文化が華やかだった頃、なんといっても必需品だったのだ。
必需品だったために、使用頻度も高く、よく壊れもした。
だいたい、カセットデッキには多くの無理がある。
回転速度。他のテープデッキとの相性。ステレオのL・Rのレベル。録音ノイズ。再生ノイズ。etc、、。
「カセットデッキが調子悪くて・・」
これはよく聞いた話だ。
そして、何が悲しかったって、録音できるデッキが一台もない状態になったということだ。
まるで、雨が降っているのに、傘が自宅に一本もないときのよう。
あれだけ買ったカセットデッキで、使えるものが一台もないなんて、、。
そしてまた新しい一台が我が家にやってきた。
これが最後と思いたい。
・・・・
いつかずっとたった日。一本のカセットを取り出し、久し振りに、カセットデッキの電源を入れる日がくるだろう。
「古い楽器屋」12/22
お茶の水の楽器屋さん通りを降りて行って、細道を入ったところに、一軒の楽器屋さんがある。
その楽器屋さんは、中古(今で言うところのセカンドハンズ)を扱っていて、20年くらい前くらいよく僕が通っていた店だ。
国産ギターだけではなくて、いろんなアンプ、バイオリン、フルート、そしてなぜか麻雀パイ、ほら貝なども売られていた。
と、僕の記憶の中ではあったのだけれど、さて、この2003年にもまだその店はあるだろうか?
そう思いながら歩いてゆくと、その楽器屋さんのあった場所に新しいビルが建っていた。
( やっぱりそうか・・)
と、思っていると、その数軒手前に同じ店があった。店は少し狭くなっていたが、20年前とほとんど並んでいるものが変わっていない。
ショーウインドーの中には、いろいろなものが雑多に並べられてあり、まるで「王様のアイデア」状態だ。
しかし、考えてみると、店を移転したのだから少しはリニューアルしてもいいと思うのだが、まったくといっていいほど、変わっていない。この20年の間に少しは変化があってもいいと思うのだが、、。
(さすがに店員さんは変わっていた・・)
僕が寄っていた20年前も、古い感じがしたのだから、もしかしたら店の感じが1960年代から変わっていないのかもれしない。いや、きっとそうだ。
この不況の時代に、ちゃんと店がやっていけているのは、それなりの売り上げはあるのだろう。
一見すると、雑多に並べられてあるような店内だけれど、実は計算されつくされているのかもしれない。
そのへんは僕も認める。
ショーウインドーの中を眺めてゆくと、20年前からほぼ変わっていないと思われるものもある。ほら貝なんて、もしかしたら20年前のままかもしれない。
と、思ってみるが、もしかしたら、ほら貝はよく売れているひとつだったりしてね。
「報告」12/19
先日、創作のひとつとして、外国のCDを聞きながら、勝手に歌詞を聴きながらつけるというアイデアを自分で出した。
我ながら、時間を無駄にしない素晴らしいアイデアだと思い、いろいろやってみました。
・・やってみました。
電車の中、バイト先へ向かう行き帰り。
外国のCDと言っても、英語だと意味のイメージが決まってしまうので、英語以外のCDを聞きます。
CDを聞きながら、歌詞を頭の中でそのままつけてゆくと作業は、ほとんど即興で歌詞をつけて歌うということと似ているというもわかりました。
しかし、頭の中で歌うぶんには、出来ると思えたのです。
タイトルもわかないアフリカのCD。まずイントロが流れます。そのときにだいたいイメージがわいてきます。そして歌い出しが始まってから2秒くらい遅れて、一行目の歌詞が頭の中に浮かびます。
(それはまるでインターネット音源のダウンロードのバファリングの時間に似ています。)
ちょっと遅れて、一行目の歌詞が出てきたら、後は流れに任せて、頭の中で歌詞で出てきます。
アフリカやインドポップスの場合は、歌詞のくり返しが多く、かなり楽です。
一番・二番のつなぎになると、歌詞が出てくるのが、今度は1.5秒くらい遅れます。しかしすぐさま追いついて、そのまま最後まで歌詞が出てきます。
しかし、しかし、、
これはかなり頭の中での高いテンションの運動を使うらしくて、一曲が終わったときには、自分がハイ状態になっているのがわかりました。
そのくらい歌の中に入り込まないと、きっと出来ないのでしょう。
でも、歌詞は勝手に頭で出て来るということがわかりました。
そして、また別の日に同じ曲で、歌詞付けをしてみると、一行目が変わることによって全体の歌詞も変わってしまうこともわかりました。
調子いいじゃん。
後日、英語の歌でもそれを試してみたのですが、これはうまくゆきませんでした。
やっばり、ぜんぜん言葉を知らないほうが、すんなり出来るようです。
「穴ぐらでの生活」12/16
先日、フセイン元イラク大統領が、地面の掘られた穴ぐらから発見された。
それを見ていて、今の生活も見方を変えれば、僕の生活もまた穴ぐらでの生活のような気がした。
ずっとひとりで暮らしているので、ここの部屋では、リラックスしほうだいだ。
好きなCDを聞いて、好きなテレビを見て、好きなときに横になって。。
家族で暮らしていたらそうもいかないだろう。
好き勝手に生活していて、これでいいのかといつも思う。
しかし、ここは洞あななので、それでいいかなとも思う。
人はみんな自分の部屋が必要だ。
ひと部屋で暮らしているカップルの話もよく聞くけれど、それはもう洞穴のない生活かもしれない。
友達が訪ねてくると、ここは僕の部屋になる。しかしそれ以外は、僕の洞穴と言ったほうが近い。
昔、中学時代、半畳の部屋を自分で作ったことがある。すべてのものが手に届く幸せがあった。
幸せだった。。
「世界の響き」12/13
最近、アフリカの音楽を聞いていると、実に言葉の発音が印象的で驚く。
♪ナモナ・モンデ・モンデ・フォー
意味はわからない。しかしなんともいえずその響きには、生きた発音を感じる。
♪ナマエレ・マーレ・マーレ・エレマラー
日本語では、こんなにも語呂のいい言葉になかなか会えない。
♪オノワセ・セレラメ・セレラメ
くやしいな。。
毎日のように聞いていると、メロディーもそうだけれど、だんだんと言葉にはまってくる。
♪ナウバテ・ラールエト・バルケ
まるで言葉で遊んでいるようだ。
アフリカだけではない、インドの言葉も素晴らしく、響きがいい。
♪ゴーンネ・テエターヘ・マハーパト・ギスバー・オーティーへー
日本語だと、基本的に漢字の意味でつながっているので、こうは聞こえてこないだろう。
韻を踏んでるとも思えないし・・
「だよなー」「あるよなー」。がんばって、このくらいかな。
日本語がどんなふうに響いているかは、僕ら自身ではわからないように思う。
はたして、日本語に響きというものはあるのだろうか?
「方法」12/10
素晴らしい方法を見つけた。
ここに残しておこうと思う。
それは、僕の脳をもう一度、頑張らせるものだ。
とてもシンプルで、それでいて効果は抜群。
創作していて、こんなことにも気付かなかったのかと思う。
お金もかからないし、どこにいても実行できるものだ。
・・・
最近ずっと、民族音楽ポップスを出かけるたびに聞いているが、
言葉がわからないので、何を歌っているのかさえももちろんわからない。
もちろんわからないが、僕の耳の中では、なんとなくメロディーに合わせて言葉が出てくる。
それだ!!
聞きながら歩きながら、自分で歌詞をつけてゆけばいいのだ。
それは、民族音楽にかかわらず、どんな音楽でも出来るだろう。
うまくすれば、本当に歌える歌詞が出てくるかもしれない。
まあ、それは二次的な効用だとして、僕がこの方法が素晴らしいてシンプルだと思うのは、
そこに題材があるということだ。
僕自身、創作しているが、いつも題材が出てくるのを待っている状態なのだ。
とても、創作したいのに、いままでその題材の段階で、ボツになるか判断してしまっていた。
気持ちはあるのに、道がなかった。
創作しないでいると、脳の創作能力はだんだんと固まって来てしまう。
固まって来てしまうと、いざ作ろうと思っても、すぐには活動できないのだ。
それをなんとかする方法があったのだ。
耳に流れるサウンドとメロディーに、インスピレーションで、歌詞を想像する。
歌の歌詞の展開を総合的に判断して、インスピレーションで、歌詞を想像する。
これはもう、脳内革命に近い。
そして効果はバツグン。
お金もかからないし、どこにいても実行できるものだ。
「ザンビア月間」12/6
最近、アフリカのザンビアの音楽を聞いている。
ザンビアの音楽は耳なじみもよく、しぱらく聞いていると、自然と口ずさんでしまう。
昼間ずっと歌っていて、メロディーも憶えたので、CDをかけながらギターでコードをとろうとするけれど、
これが、さっぱりわからない。リズムとなるともっと複雑だ。
いったい、どんな仕組みになっているのか。
どのコードもまったく拾えない自分がいる。
こんなことで驚くのも今さらだけど、世の中は広いなって思う。コードひとつわからないのに、こんなにも憶えやすい歌があるなんて、、。
だいたい曲の構成も、まったくちがう。ちがうけれども、とても自然。
うまくコピーしたいと思うけれど、いつもどこの民族音楽も中途半端になってしまう。
このままでは、いつまでたっても、同じことのようなので、月単位で決めて、いろんな民族音楽のコピーをしようかと思っている。
アルバムも「これっ」と決めて、コピーしてゆこうと思う。
「そんな楽しみ」12/2
ここ数ヶ月、ずっとレコードやTAPEを、CD-Rに直す作業をしている。
えーっと、数えてみると・・、36枚だ。
ずっと聞いていなかった音源をもう一度聞いてみると、実にいろいろとわかってくる。
そのときはピンとこなかったのに、改めて聞いてみると、印象的だった音源がある。
(うーん、なるほどね)
しばらく聞かないでおくと、音源も印象が変わるようだ。ああ、なんて素晴らしい。
レコードの棚にある、もう聞かなくなった音源がある。買って一度か二度聞いただけのものだ。
20前のレコード、10年前のレコード、どこかの国のレコード。
さて、それらも復活しているか。
意外と今きくと、良かったりするのかもしれない。
しかし、、しかし、、、ほとんどのレコードはやっぱり僕と趣味が合わないままのようだった。
ガッカリ。。。
それにくらべ、友達が「これいいよ」と言って、送ってくれたTAPE音源は、どれもいいということもわかった。
もっている音源は、10年くらいたってから、聞いてみるといいことがある。そんな楽しみ。