「ソングBOOKのある暮らし」4/29
最近、またソングブックをチラチラと見てはギターを弾いている。
思いかえせば、ギターを弾き始めた頃は、常にソングブックと暮らしていたのだ。今の自分のギターテクニックもソングブックから得たことがほとんどだ。
ここ15年くらいは、自分の歌の創作ばかりにギターを弾いていて、なかなか他のアーティストの曲を歌おうという余裕がなかった。
僕の中の、ギター弾きライフの充電池は、ここ15年は充電されてなかったようだ。ソングブックを開いて、いろんな歌をチラチラと弾いていると、だんだんとギター弾き充電池が充電されてゆくのがわかる。
それは、一般の充電池の補充と同じ仕組みかもしれない。
ときどきの充電では、その能力は十分に発揮されない。毎日のようにソングブックを開いて、自分の中のギター弾きライフを充電してゆかないとだめなようだ。
しかし、ここ10年ほど聞いているみんなのソングブックというものが出ていない。そのへんがさびしい。ということは、僕らの歌をソングブックで弾いている若者もいないということだ。
自分のソングブックを作ってもいいな。意外と自分が使ったりするかもしれないが。。
「一番笑ったアニメ」4/26
昨日「トムとジェリー」のDVDをワンコインシリーズの500円で買った。
アカデミー賞受賞作品の「ピアノ・コンサート」には笑った。傑作中の傑作だろう。
トムとジェリーはテレビで見ててもいつも可笑しかった。僕の記憶が確かならば、同じ番組の時間で、ちがうアニメも時々やっていて、その中で、おかしな二人組の話があった。トムとジェリーのケンカにも笑ったけれど、そのアニメには爆笑させられた。
ストーリーの記憶はあいまいだが、とにかく大声が出せないという設定なのだ。たぶん誰かが寝ていたのかな。その男がクギを踏んだりすると、大声を出すために、隣の山まで行って叫ぶのだ。それが実に可笑しい。
登場するもうひとりの男も、何かあって、大声が出したいたびに隣の山まで走ってゆく。たった15分もないアニメだったけれど、僕は最高に笑った。はじめて見たのは、高校か中学のときの話だ。
・・ツボにはまったんだな・・
それからまた10年ほどたって、仕事から帰って来て、テレビをつけたらそのアニメをやっていた。奇跡のようだ。
「これだよ、これ!!」
やっぱり最高に可笑しかった。話の展開としては単純だけれど・・。
誰かそのアニメをおぼえている人はいないだろうか。「トムとジェリー」のシリーズのときに一緒にやっていたのだ。
そんな幻を今も待っている。いつかまたテレビをつけたらやっていて欲しい。
「うずまきデニッシュ回想」4/23
バイト代がもうすぐ入るので、今は金欠の日々だ。
こんなときは、コンビニエンスストアーで、お得なパンを買ってとりあえずお腹を満たすことが多い。そしてここはパンの棚の前。
(なんのパンがあるかなぁ・・ )
そして目に入ってきたのは「うずまきデニッシュ」だ。
(へえーっ、うずまきデニッシュって言うのかぁ・・)
それが正式名称だとは思わないが、パン屋さん業界では、きっとそう呼ばれているのだろう。
「うずまきデニッシュ」現在の値段100円。大きさは約16cm。かなりお得に感じがする。そして限りなく甘い。その大きさは今も昔も変わっていない。今から30年前、ぐるぐるデニッシュは80円だった。(60円ってことはないと思う)
その頃、日々のお金を貯めるとしたら昼食代を浮かすしかなくて、僕はよく学校の前の店に行き、お得なこの「ぐるぐるデニッシュ」を買って食べたのだ。
もうすっかり飽きるほど・・。
高校を卒業して30年。僕の視界の中に「うずまきデニッシュ」が、美味しそうに映ることはなかった。見ただけで、その味が思い出され、学校時代のあの切ない日々がよみがえってくるのだ。
「うずまきデニッシュ」に別にうらみはないが・・。
それから30年たったけれど「うずまきデニッシュ」は、パンの棚の中にあっても、目立つくらいに一番大きい。それでいて安い。その存在感は変わっていない。
(なぜ、おまえはいまだにそのままなのだ)
そのうずまきの中から、抜け出せない男がここにいる。
(いや、ここは気持ちを変えて、買ってみよう。味が変わったかもしれない)
公園のベンチに座り、僕は「うずまきデニッシュ」をかじってみた。
(かわってない・・)
「時間」4/20
土曜日は休みなのだけれど、あっという間に夕方になってしまう。
中学・高校の頃、あの45分の授業時間の長かったこと・・。
もっと長かったのは、高校生の夏に、工場でネジをはめるアルバイトをしていたときだ。夕方の5時から5時25分までが気が遠くなるほど長かった。
同じ時間なのに、この早さはなんだ。平日にしたって、仕事中あっというまに夕方になってしまう。だいたい現場を終えるのは午後4時だ。それからは自転車に乗ったり、事務所で話したり、飯を食べたり、電車に乗ったりして、夜7時頃に部屋に戻ってくる。その三時間が記憶がいつもない。
そして部屋に戻って来て、なんたかんだってやっていると、またすぐに3時間くらいたってしまう。3時間と言ったら、映画が二本見れる時間だ。自分はいったい何をやってるのかな。
昨日、土曜日、ちょっと自分が何をやっているか、ちょっと自分でチェックしてみた。
だいたい20分くらい作業すると「あーっ疲れたー」とか言って、すぐ横になっていた。
そして起きると、インターネットをチラチラと見て、また何かやろうかなーっと思っては、お茶とか飲んでいた。
結局、一時間の内20分くらいしか、何かしていていないのだ。日によっては、夕方まで記憶がないときも多い。
・・一度、自分をビデオカメラで撮ってみるかな。。
もういちど、中学校のときの授業を受けてみたい。果たして同じ時間が流れているのだろうか。
「創作環境」4/17
ここに越して来てもう5年にはなるけれど、唄の創作環境がもうひとつベストとはいえない。
と言うか、ベストになる環境がうまく自分自身よくわかってないのだ。
先日、大部屋のある一軒家に遊びに行ったのだけれど、そこは音も出せて、自然に歌いたくなる雰囲気があった。
この部屋には丸いテーブルがあり、そこでノートを開く。しかし、ついつい他のことに目がいってしまう。この部屋にはそんなに物があるわけじゃない。逆にそれが集中力をさまたげてしまうようだ。
最初に住んだ四畳半と六畳では真ん中にこたつがあり、回りは本やオーディオで囲まれていた。すると自然にノートに向かうことができた。なんというか、囲まれているのが好きなのだろう。そしてこたつだ。僕は新潟生まれなのでこたつで物事を考えギターを弾き、創作ノートをひらいてきた。
ひろいかせまいか。。その環境が僕には必要なのだろう。この部屋は中途半端だ。こたつがあれば多少は気持ちも変わるかもしれない・・。
今、創作できる部屋にするべくいろいろと思案中だ。むずかしいね。
「そんな犬時間」4/14
僕もまた二ヶ月に一度、同じ場所を通る。
もう7年とか8年くらい、同じ道に僕は行く。すると同じように同じ犬が吠える。
その犬は雑種だ。そんなには大きくはない。背の高い柴犬のようだ。あれから7年。7年はたってはいるけれど、まったく大きくはなっていない。・・そうか、成犬だったのだね。
しかし、成犬と呼ぶには、あまりに落ち着きがない。それも僕に会ったときの反応がまったく一緒だ。
そんな犬時間。
・・猫ならば多少は落ち着きとか出てくるだろうに。まったく犬ときたら。
僕も忘れてしまうほど、時間が変わっていない。何度、その道に行っても、最初の時に戻ってしまう。
あのワンちゃんたちの中では、どんなふうに時間がたっているのか。
たぶん、それはたぶん、過ぎてゆく自分の中の変化を忘れてゆくことに一生懸命なのではないか。
犬って不思議だよ。時間のたっていない時間に会えるなんて嬉しいな。
「電話の鳴らない日」4/11
まだインターネットの「イ」の字もなかった頃、友達からの連絡はほとんどが電話だった。
バイトから帰り部屋にいて、電話が一本でもあれば、なんとなくその日一日は何かあったなぁと言う気になったものだった。
そして電話が鳴らなかった日は、なんとなく淋しい気持ちになった。
・・・鳴らない電話の唄・・。
その頃はまだ留守番電話もなくて、電話器もダイヤル式だ。何日か電話がならないと、もしかしたら電話器が壊れているんじゃないかと思って、受話器をあげてみたりしたものだった。
(今日も僕に誰も用事がなかったのだね・・)
電話が鳴らないからと言って、時間は同じなのだから、部屋ではなんだかんだといろいろと忙しくして、やがては夜の1時すぎとかになってしまう。
そうなったら少しは楽になる。
何日間か電話の鳴らない日があったあと、電話がやっと鳴ったと思ったら、よくオフクロだったりしたものだった。
時は経って、今、インターネットの時代になり、迷惑メールも含めて、僕の情報受信機にゼロという日がない。友達との掲示板もあり、どこかつながっているようだ。
電話に関しては今も状況は変わってはいないのだけれど、メールが出来るようになったぶん電話器は、どこか生き物のような存在感の強さが、小さくなったようだ。
「午後11時神話」4/7
どうしても、それはどうしてもの話。
何か創作や手紙を書いたりするのは、午後11時すぎからになってしまうのだ。
午後11時には、何がある? もうちょっとで12時ということか?
歌を作るとき、僕はどんなに時間がせまっていても、午後11時前には、手をつけないことが多い。
なんだか世界中の雑音電波に体が反応しているようなのだ。
11時をめどに、布団をしいたり、テレビを消したり、作業をやめたりする人は多いのかもしれない。
「あと、1時間かあ。。。」と、その切迫感が、創作をうながすのかもしれない。
たとえば、50才が人の寿命だとしたら、やっぱり人は最後の一年を大事に生きるだろう。それと似ているようだ。
そんな素晴らしい午後11時を待って、いつも僕は、一日にしなくてはいけないことをとっておく。
「さて、やるかな」と、創作時間に向かう。やる気いっぱいで、何かを始めるのだけれど、12時になったくらいから瞼がトロトロっとしてくる。あーあ、もう眠たくなってくるのだ。そんな不条理な。。
12時には12時でまた、眠くなる精たちが、またおそってくる時間なのだ。その歴史も長い・・。
「くそーっ、眠いー、なぜだー」と、そういいながら布団を敷いている自分がいます。
「コード進行療法」4/3
海外で長期旅行していたとき、三ヶ月目のインドあたりで、自分がおかしくなって来てしまった。
どうも精神的に落ち着かないのだ。そして小さなギターを一本手に入れて弾き初めたら、すっかり落ち着いた。ただコードを心のままにポロポロと弾き鳴らしていただけだ。それからの旅はかなり精神的に楽になった。
ここ数日どうも体調が悪く、「気」のバランスが崩れているのは、自分自身はすぐにわかる。いろんな物につまづいたりするのだ。そんな日にギターをポロポロと弾くと心が癒されるように落ち着いてくるのだ。
ギターで、曲を作ったり歌ったりするとき、ギターのコードを押さえる指と、脳の中とギターから出てくるサウンドは一致している。それはかなり無意識の部分とつながっている。メロディーが先がコードの指押さえが先か? それは鶏と卵とどっちが先か?という話に似ている。
「気」のバランスが崩れているとき、ギターのコードの指押さえ反応や、コード進行を無意識で押さえてゆくことは、かなり「気」の流れの正常化に役立つようだ。
ここでもう一歩すすんで、コード進行を指で押さえてゆくことによって、体の「気」を正常化してゆくことが治療として出来るかもしれない。僕の場合、無意識でコードを心のままに鳴らしてゆくとかなり効果があるようだ。
もう三歩すすめて、「腰痛」に効くコード進行とか、「疲労」に効くコード進行とか、「内蔵疾患」に効果があるコード進行というものもあるかもしれない。いや、きっとある。
病院へ行く。医者は「楽器とか弾かれますか?」ときく。「はい」と答えると、体のキーを計測してくれる。「キーはE♭ですね」とか言われる。「では、コード処方箋を出しておきます。この二曲を一日に三回、処方して下さい」とか、会話があるかもしれない。きっとその日は近い。
毎日、ギターや楽器にさわらないっていう人も多いけれど、もったいない気がする。体調の悪いとき、コードが体に沁みるのがよくわかるのだ。
「42番目の春」3/31
歌うたい岡林信康の「26番目の秋」は、なんともしゃれたタイトルだ。中学生のときに発売されたそのアルバムはタイトルを見ただけで、なんとも名盤のにおいを感じたものだった。
今日は4/1日。まだ肌寒いけれど、いよいよもって春本番だ。しかし僕の体はいまだに「冬」のままだ。今年の冬は寒かったような気がする。気温的には、例年どうりだったとは思う。そして昨年の夏のことがまったく思い出せない状況だ。
体が季節を記憶する能力がすっかり衰えてしまっているようなのだ。まず僕の中には「冬」と「夏」しかないようだ。体の中のスイッチがON・OFFのようにふたつしかないようなのだ。
・・「春」と「秋」はどこにいった?・・
夏になると、ここ数年、僕の体は暑さでいつもまいってしまっている。まずそれがおかしい。その夏が近づくと、体がパニックになってしまう。それは「冬」も同じだ。
「冬」になったら体のスイッチは「夏」。「冬」になったら体のスイッチは「夏」。そんなふうに季節を感じているとしか思えない。
だから「春」「秋」もどっちかにされてしまう。
・・哀しい色やね・・意味不明。
「ラジオ体操」3/27
最近、大変に体が調子悪い。
と、言うか、ベストな状態ではない。頭が痛かったり、腰が痛かったり、足が痛かったりなのだ。
と、言うわけで、なんだかラジオ体操を思い出して体を動かしてみた。
ボキッボキッボキッボキッ、カキカキカキカキ、、
体じゅうからボキッボキッっと音がするのだ。ラジオ体操第一をやってみると、実に体をまんべんなく、動かしてくれているのがそのボキボキサウンドで実によくわかる。
ラジオ体操第一はこんなにも、素晴らしかったのだ。ここだけの話、ずっとラジオ体操を軽く思っていた。その頃は体も柔らかくこんな音もしなかった。
その昔、僕と同年代の人たちは、一緒にラジオ体操をするたびに、その完成度に驚いていただろう。
ラジオ体操しようかな。まじで。でもラジオというわけでもないので、今はインターネット体操か?
「無力感」3/23
2003年3月終わり。今、僕のように思っている友達は多いだろう。
僕の歌の作り始めは、'73年頃で、反戦も含めた一連のメッセージソングに感動したのがきっかけだった。
・・反戦歌・・
みんなで肩を組み唄う写真に、なんでも出来そうなパワーを感じていた。僕自身も中学性の頃、直接的な反戦歌をいくつも作った。
しかし今、この無力感はどこからくるんだろうと思う。
世界大戦の頃、ある日本の国民詩人と言われた人が、戦争賛成とも思える詩を書き、あとになってそのことで、相当に自分自身を苦しめることになったと言う。
今はまさにそんな雰囲気ではないか。
微妙なバランスで「いい戦争」が定義されそうになっている。
今回は戦争で、唄う人に限らず多くの人が、無力感を感じているだろう。それはなんなのか、すぐには理解はできないけれど、武器は歌さえも、壊してしまうとしかいいようがない。
ただひとつわかることは、この「無力感」もまた戦争がもたらすものだ。
僕はまた新しい歌を作ろうと思う。テーマはまた別のところにあるような気がしている。
「旅愁」3/19
先日、銭湯にて唱歌「旅愁」を聴いた。きれいな男性コーラス陣によるハーモニー鮮やかな歌だ。
・・旅愁・・
それは僕が中2の頃だったか、音楽の授業で「旅愁」を唄った。低音・中音・高音の三部コーラス。先生にそれぞれ指名され、ソロ三人で前に出て唄い、それがその学期のテストにもなった。僕はなぜか低音部に指名された。低音担当は人数が少なく、テストのときに何組も担当して唄うことになった。
それが僕にとっては、地獄の思い出になっている。僕はとても歌の音程が悪く、残り二人に迷惑をかけてしまったのだ。それもテストで。
(えーっ、青木かよ〜)と、そんな心の声が聞こえてくるようだった。僕は僕なりに帰り道や、家に帰ってからも自分なりに練習した。音楽の授業はあまり好きではなかったので、それもせつなかった。
音楽テストの日は、まるで生き地獄のようだった。僕と当たった人は不幸だったろう。僕の不幸に中学時代の思い出。
その思い出は「旅愁」のメロディーとともに僕の中につらく残り続けていた。そして25年以上たって、しみじみと銭湯で聞いた「旅愁」のコーラス。そのコーラスはあのときのままだ。
(意外といいじゃん!!)と、思えるほど、時間がたって、今ではひとつの思い出になっていたのだ。やっと、今やっと「旅愁」の歌詞も聞こえて来た。
「旅愁」の歌がやっと、僕の中でひとつの「旅愁」になっていたのだ。
「寒さ」3/15
最近、信じられないくらい寒さが身にしみるようになった。
新潟の実家にいた頃は、東京よりもずっと気温も低かったはずなのだ。
今思い返しても、寒かったとという記憶あまりない。そんなバカな。。
いやホントだ。ただ、体はいつも分厚いアノラックの中だったような気がするが。
年か・・?
年かもしれない。
いや、異常に寒く感じるのだ。もう3月なのに、いつまでも分厚いコートを着ている。それでも寒い。こんなはずじゃなかった。ずっと寒さに強いつもりでいたのに。
何か対応年数が切れた?
切れたかもしれない。
この先もこんな冬が続くのだろうか。それは困る。困るけれど、どうにもならない。
「だるま弁当」3/11
高崎へ新幹線で行った。
そしてその一時間の間にやって来た社内販売のお兄さんが、「高崎名物、だるま弁当、だるま弁当はいかがですか?」と、いつものように声を出していた。
(だるま弁当か・・、懐かしいな)
だるま弁当と言えば、プラスチックのケースに入ったけっこうチャチイ弁当だ。10年くらい前に初めてたべてから、何度か食べたことはある。でも、そのだるまの貯金箱にもなるケースが欲しいわけではない。
ただなんとなく、買ってしまうのだ。しかしさすがの今日は一時間も新幹線には乗らないし、さっきちょっと食べたばかりだし・・。
そして販売車が横に来たとき、勝手に僕の口がしゃべった。
「すいません、だるま弁当ひとつ」
(あーあ、買っちゃったよ・・)。そして僕のひざに乗る、赤いプラスチックのだるま弁当。口の部分がコインの入り口になっている。
それは一生にひとつ買えばいいってことか? ひざの上に乗る同じ赤いだるま弁当よ、また、会っちゃったね。
だるま弁当には不思議な魔力がある。それは、だるまからこんな声が聞こえてくるようなのだ。
「おまえが買わなくって、誰が買うんだ?」
「グァバ茶話」3/6
最近、ちょっとグァバ茶が話題だ。そのグァバ茶の話を少し。
青果市場でアルバイトをしていた'85年頃のこと、僕の店には、人のいい先輩がいた。もう市場には30年くらい働いている先輩だ。どんなふうに人がいいかと言うと、午後の市場にやって来る物売りの人たちのものをついつい買ってしまうのだ。
あるときは花。あるときは柿。そしてあるときは、、グァバ茶ジュース。
「あおきちゃん、あおきちゃん、いいジュースあげるよ。グァバ茶ジュース。健康にいいんだよ」
先輩はついついやっぱり買ってしまったという。それもふた箱分。美味しいかなと思ったら、飲んだこともない味だったという。店のみんなには、ちょっと不人気。。そこで僕の登場となるわけだ。
「あっ、いただきます。どんどん下さい!!」「あおきちゃん、ここにあるからね。毎日、持っていっていいから」
それは緑色に缶に、オレンジの文字で「グァバ茶」と書かれていた。飲んでみる。これがなんともいえない独特な味なのだ。しかし僕は飲めた。と言うか、飲んだ。
とうとうグァバ茶は僕だけの飲み物になってしまった。そんなグァバ茶。
そんなグァバ茶が今、花粉症に効果があると、ひっぱりだこになっているらしい。薬局に行っても売れ切れ状態だ。
「整理してると」3/3
部屋をいろいろと整理していると、ときどきすっかり忘れているものが見つかる。
「あれ〜、こんなもの作ったっけ!!」
そう、自分でも信じられないことをしていたりする。ドサッとまとまって、ルーズリーフの束があると思ったら、なんとインド音楽のレコードをカタカナ語に書き写して、なおかつコードまで探して歌えるようにしてあったのだ。
・・まったく記憶がない。
昔のライブビデオの曲目をひとつひとつ書いてあるノートが見つかったり。。これも記憶がない。
アイデアが浮かぶと、ときどきとりつかれたように作業している自分がいて、たぶんそんなひとつだったのだろう。
自分でも記憶のない、自分のアイデアもの・・。自分で感心。自分で感動。
「あの2月、ストーブ話」2/28
・・なぜ、そんなことにも気が付かなかったのだろう。
僕は商業高校だったので、三年の2月と言ったら、ほとんどのみんなは就職も決まり、のんびりとしていた。車の免許を取りに行ってる奴も多かった。
学校は新潟県の海沿いにあり、冬は寒い。もちろん教室の左前にはストーブがあり、授業と授業の間には、あったまりに手をかざしに行った。
商業高校の三年の2月、その毎日の時間。もうすぐ東京に行く人たち、市内の役所に就職する奴、東京の大学に行く奴といろいろ。
授業と言っても、なんだかのんびりとしていて、学校に来るのも最後だと思う気持ちの方が強く、なんだかしんみりとした時間が毎日、過ぎていった。
休み時間。ストーブの周りにやって来るみんなたち。僕はその常連だった。そこで話したいろいろなことは実に良かった。たいしたことのない内容だったけれど、ながーい休みの途中のような、しみじみとした永遠性があった。
だいたいストーブの周りの来るメンバーは決まっていたけれど、よく考えれば、四・五人しかストーブに周りには来れなかったはずなのだ。・・そうだよなぁ。そうなんだ。
みんな、あったまりに来たかったはずだよ・・。
もうすべて終わったことだ。そして、今おもい返せば、実にわがままだった。ごめんよ、みんな。こんなところで謝ってもしかたがないが。
あの2月、ストーブのそばでの話は実に楽しかった。それは高校での一番の想い出になっている。
「変わる写真」2/25
昨年に撮った写真を、やっと全部整理した。
'96年からコンパクトカメラを持ち、撮り続けて来たけれど、昨年が一番多かった。
並べてみると、一年間のことがよくわかる。それがすごく楽しい。
ときどきはお気に入りの写真も撮れる。
しかしほとんどは駄写真だ。
僕の友達は同じようになにげなく写真を撮るのに、全部いい写真を撮ってしまう。不思議でしょうがない。
しかし駄写真は、年数が経つほどに、味が出てくる。そのときの瞬間が思い出されるのだ。
・・・駄写真もそれなりにいいのだ。
まだ昨年の写真は、どの写真が味が出るかはわからない。
友達に見てもらうと、「いいね」という意外な写真が出てくる。その写真はランクアップだ。
「なぜだろう銭湯MUSIC」2/22
なぜだろう。銭湯で聞くMUSICは、とても耳に響いてくる。
僕の通っている銭湯では、有線ではなく自分のところで音楽は選んでかけているようだ。
よくかかるのが、カーペンターズ、リチャード・クレイダーマン、童謡、そして軽いJAZZ。
普段ならサラッと流してしまうような音楽のジャンルだけれど、これが銭湯で聞くとなかなかに心に沁みてくる。
・・理由はわからない。
童謡なんて特にメロディーが素直に耳に届いてくる。そんなふうに聞いている自分がいて可笑しいけれど・・。
それもベースや、管楽器のひとつひとつの音まではっきり聞こえてくる。
なぜかそのすべての音がやさしい。
それは銭湯の不思議効果だ。
銭湯で聞く音楽は一方的な選曲だけれど、もしもこれが自分の好きな音楽でも同じように感動的に聞こえるのだろうか。
たぶんそうはゆかないだろう。
銭湯では、どんなシンプルなメロディーも感動的だ。
なぜだろう銭湯MUSIC。その「なぜ?」をいつも聞いているようなような気もする。
「壮大な計画」'03.2/16
こんなはずではなかったけれど、ここずっとレコードを聴かなくなった。それはきっとみんなもそうだろう。
だいたいレコードプレーヤーの上にビデオデッキが乗っているので、聞こうにも、問題がある。
先日、とあるCDショップに寄ったとき、かなり大きなCDラックを見つけた。何枚入るだろう。1000枚くらいかな。
(欲しい・・・)
実は先日から、レコードをCD-R化している。いろんな機械もあるので、それは簡単に出来る。
ジャケットの方は、持っているスキャナーで、ジャケットの半分ずつをとり、あとでつなげるのだ。これが意外とうまくゆく。
CD-Rの盤面に印刷できる専門の機械も実は持っている。
できあがるCD-Rはほとんど、市販のCDと変わらない。ちょっとびっくりするくらいだ。
持っているTAPEや、MDのものも、ちゃんとしたCDに出来る。
まあ、とりあえず、聞きたいレコードをCD-Rに直してゆこうと思う。そして何ヶ月後には、あのCDラックを買おう。
みんな僕の部屋に来ることがあったら、ぜひびっくりして欲しい。
「アラスカコート」2/13
高校三年のとき、僕は街の「おつとめ品」と書かれた安売りコーナーで「アラスカコート」というのを買った。
「アラスカコート」。正式な呼び名はわからない。ただそこにそう書かれていたのだ。
僕の生まれは新潟で、冬は長い。アラスカコートは、全体的には、紺のアノラックで、帽子のところにふさふさの毛が一回りついているのだ。今も街では、よく見かけるコートだ。
「おつとめ品」。値段は1980円。今でこそ安いコートはあるけれど、その頃の1980円は激安だった。
「よし、買った!!」
サイズはLを選び、そのまま買って帰ったのだ。そして、いざ着てみると、これがでかいでかい。まるで3Lであるかのようだ。
「おかしいなぁ、Lって書いてあるのに・・」
そして心の声。
(これは、アラスカコートなのだ。ぶかぶかのこれがあったかさの秘密なのだ。そうにちがいない!!)
僕は次の日から高校に、アラスカコートを着ていった。
「アオキ、なんだよ、そのコートは?」
「これがかっこいいんだよ!! こりゃ、本物だぜ!!」
そして、雪の降る帰り道、アラスカコートの帽子をすっぽりとかぶり、ひもを結んでみると、顔の前に、小さな穴があくくらいになってしまう。まるでどこかの潜水夫のようだ。
そんなアラスカコートの潜水夫がひとり、吹雪の帰り道を行く。そこから見える街の景色。
・・・ホント、あったかかったなぁ・・・
きっとあれは、ロシアかどこかの人の「L」だったのだろう。
「ビデオテープの人」
15年も同じ地区の外回りの仕事をやっていると、いろんなことがある。
とくに、生活変化があると、いろんな話をきくことになる。子供が産まれたり、人が亡くなったり・・。
その道をゆくと、僕の中の記憶のビデオテープから、同じ人が現れて声を掛けてくれる。
毎回、毎回、そうだ。10年たってもそれは変わらない。なにげなくその人がそこに居たシーン。その午後の光。
空気の中にもしも、記録機能があるとしとたら、いちばん繰り返された場面だろう。
僕は二ヶ月に一度、ほとんど同じ時間にそこにやってくる。そんな僕こそ、まるで幻のようかもしれない。
そんな僕は、まるで同じビデオテープの中を歩いているようだ。ホントに。
・・僕はビデオテープの中を歩いている人。
シーンが流れ続けて、そこにとどまることはできない。登場するのは繰り返しの時間に住んでいる人たち。いつも吠える犬。今にも落ちそうな屋根・・。
ときどき不思議になることがある。ときどきやって来る僕こそ、きつねにだまされる役にもなるだろう。
くりかえしのビデオテープの中、そこに居た人は、またそこに登場する。
「あっ、コンチハ!!」
確実にその人たちは声と一緒にあらわれて、一瞬でシーンから消えてしまう。。
「四人の私」2/3
はじめて、僕の部屋にくる人はきっとこう言うだろう。
「あれ、四人暮らし?」
そんなことはない。そんなことはないのだけれど、それらしい、証拠がここから見える。
同じコップが四つ、部屋の中にあるのだ。
もちろんみんな自分が台所から持ってきたものだ。
パソコンの前にひとつ、パソコンのキーボードの横にひとつ、テーブルの右にひとつ、テーブルの左にひとつ。全部同じコップなので、なんともおかしな光景だ。
・・俺って、バカ?
この状態で、次に台所に行くと、そこにはコップはない。
「ないコップ・2003年、台所の旅」
奇々怪々物語。
まあ、それは別として、部屋のここから眺めてみると、最後にコップを置いた場所にいる自分が重なって見える。
四人の私。
重なる四枚の短編フィルム。
そんなドラマが、この部屋で繰り返されている。