「今日の夜話」過去ログ'13.12月〜'14.3月
「かわいい歌には旅をさせよ」14..3/31
動画サイトの「You Tube」には、関連動画というものが右に並ぶ。
他の動画から飛んできたり、他の動画に飛んだり、
キーワード、他いろいろな要素で、そこに出てくる。
大変に良い機能で、おかげで思いがけない動画と出会ったりするのだ。
・・・・・・・・・・・・
今はもう音楽活動をしていなくても、以前にはライブをしていて、
これぞ自分の中の傑作と思っている歌を、持っているシンガーさんも多いだろう。
そんな歌の数々が、自主テープの中に入ったままになるのは、実にもったいない。
どうだろう、思い切って、You Tubeの動画サイトにアップしてみては。
・・・・そんなの誰が観たり、聞いたりするんだい??
そう思うシンガーさんも多いだろうけれど、
ここはひとつ、キーワードをいくつか入れて、「関連動画」に、任せてみては。
ひとつの歌が新しい旅をしてゆくだろう。
かわいい歌には旅をさせよ、、。
「ヘッドホン」14..3/29
昨日、新宿にヘッドホンを買いに出かけた。
大きな電気屋さんに。
最近はどのヘッドホンも、試し聞きが出来るようになっている。
恥かしながら、予算は二千円ほどであった。
ヘッドホン売り場にゆくと、千円台から六万円台までさまざま。
その全部が試し聞きできるので、自分の音楽プレーヤーの音源を、
次々と聞いていった。やっぱり一万円くらい出すと、それなりの音になるということがわかった。
その音を聞いてしまうと、三千円くらいのヘッドホンの音質が値段相応のように思えてしまう。
こりゃまいったな。結局、ヘッドホンは買えずに終わってしまった。
高いヘッドホンの音を聞かなければ、それなりに満足して、二千円のヘッドホンを買っただろうに。
思い返せば、中学の頃からヘッドホンを買ってきた。それなりによい音だと信じながら。
高いヘッドホンの音なんて知らなかったんだ。それで良かったんだ。
最高の気分で音楽を聞いていたんだ。
「もう10曲」14..3/25
アルバムを作る限りは、僕にも夢がある。
10曲から12曲。
喫茶店で流れていたとしても、あきることなく終わりまで聞いてもらいたい。
それって、なかなか大変。
よしだたくろろうの「ライブ'73」は傑作だったね。
まあ、選んであるということかもしれないけれど。。
あのくらいの曲順の豊かさがなくっちゃね。
アルバムって、やっぱりA面が大事。
2曲目、3曲目、4曲目くらいまでは、シングルカットしてもいいくらいのナンバーがいい。
B面は、味のあるナンバーでも、かまわない。
今度出るアルバムは、かなりいい感じで仕上がっている。
数年前出した、弾き語りのアルバムでほとんどの歌を入れてしまった。
次のアルバムを作るためには、また歌を作らねばならない。
アルバム一枚ぶんたまるまでに、どのくらいかかるであろうか。
また歌作りの日々が始まる。
「ラーメン屋」14..3/23
ラーメン屋、特にカウンター席。
座った席によっては、コショーとかしょうがとか、
隣の席まで手を伸ばさないと届かないときってありますよね。
隣でラーメンを食べているときなんかは、完全に届かないときってありますよね。
「あっ、すいません」と言って、手を伸ばすことも出来ますが、
ちょっと信じられない。
どう考えても、届かないって思えるときがある。
それはしかたのないことなのか。
たまたま届かない席に座った自分が不運なのか。
昨日入った店では、六人がけ大きめのテーブル席に、
ひとつのセットしかおいていなかった。
ありえない。
「忘れていたこと」14..3/20
映画を観た。
あるシーンで、僕はすっかり忘れていたことを思い出した。
なぜ、こんなことを忘れていたのかと思うようなことを。
そのことが、どんなに大事なことかもわかっているのに、
僕はそのことを忘れていた。
ああ、びっくりした。
人は、何かに意識が向くと、大事なことを忘れてしまう。
そのことに頭が占領されてしまうのだ。
思い出してよかった。
人は大事なことを忘れがちだ。
「その部屋には僕はいない」14..3/17
ラーメン屋で、次々と懐かしい歌がかかっていた。
アリスの「走っておいでよ恋人」がかかった。
もろにフォークだったなぁ。
でも、とっても品の良いサウンドと歌だったなぁ。
東京の下町のどこかのアパートで、
セーターを着た女子大生。
あったかいコタツ。そして、ラジカセ。
(U4かな、、)
かかっているのはアリスのカセットテープ。
きれいに手書きのタイトルの書かれた。
うん、やっぱり部屋に似合う音楽ってあるのかな。
ずっと音楽やってきたけれど、
僕の歌が似合わない部屋ってあるのかもね。
心のこりなんだよなぁ。そのへんが。
「でこぼこ道きらい!!」
そのひとことですぎてしまいそうだ。
「夢だった」14..3/14
新しいアルバムを録音している。
もうあとはミックスを仕上げるところまで来ていて、とても楽しみだ。
そのうちの何曲かは、ラジオから流れたら、とても良いのになぁと思えた。
あのラジオの音質で。
何か作業をしている、その片隅で。
僕の中学、高校時代は、ラジオは音楽の主役であった。
FMチェックも大切な時間であった。
街でも、有線放送の音楽を聞くことはあるが、
メジャーポップな歌ぱかりで、話の途中で流れる感じではないのだ。
しかし、もしも、ラジオで流れたとしても、それをどけだけの人が聞くがどうか、、。
今の時代はインターネットの動画サイトなのかな。
ちょっとちがうんだよね。やっぱりラジオから流れたい。
僕が若い頃、ラジオでいろんな歌を聴いた。
その記憶が、夢のように、今も僕をとらえている。
不思議なものさ。
今もそんなふうに思い、信じているなんて。
でも、録音した歌に、そんな響きが入っているのではないかと思う。
「震災から三年」14..3/11
東日本大震災から今日で三年がたった。
やっぱり、とてもリアルに憶えていて、忘れるどころの問題ではないな。
逆に三年という月日のことを思ってみた。
この三年、いろんなことがあったなぁと。
たしかに、震災を境になにかが動き出したような気がする。
それも人生だったか。
故郷を離れたみんなは、以前の夢を観るとき、
昔のままの景色や街を観るのだろうか。
夢から覚めたとき、どんな気持ちになるのだろう。
この三年より前に亡くなった先輩や友がいる。
もしまた会うことがあったら、まっさきにこの震災のことを伝えたい。
ああ、、知っているよ、、。と、言われるかもしれないが、、。
僕は今でもよく憶えている。
大震災があった次の日の気持ちを。
どう考えても、あの日より前と同じようには戻れない。
三年たった。あの日から三年がたった。
今の僕はたしかに、あの日から始まっている。
「そんな気持ち」14..3/7
最近、ふとしたきっかけで、ビートルズを聴いている。
動画サイトで、「ヘイ・ジュード」の録音のリハをしているのを見た。
本人たちは、その曲がやがては大きくなることを知っているのか、いないのか。
たぶんだが、知っていたのではないかな。
僕なんかとビートルズを比べるなんて、まるでおかしな話ではあるけれど、
レコーディングのマイクに向かうとき、とても神聖な気持ちになる。
この歴史的名曲をこれから録音するのだと。。
まだデビューもしていない僕が、こんなことを思うなんて、
妙なことかもしれないし。
録音したからって、それが全世界で発売されるわけでもない。
しかし、それでも、なにか同じような気持ちで録音マイクに向かったような気がする。
音楽をやってきて、そんな気持ちになれたなんて、
かなり、しあわせ。
まったく結果がついてきてはいないのだけれど。
「デットストック本屋さん」14..3/5
街と街の間の通りに、
昔ながらの小さな本屋さんがあるのを見つけた。
まだときどき見かけることはあるが、全部新刊本だとしたら、
商売としたら今は、かなりきびしいのではないかなと、
人ごとながら心配してしまう。
でも、もしも、、。
昔ながらの本屋さんで、古い本をそろえていたら、、。
デットストック本屋さんとして、商売できないだろうか。
たとえば、1976年7月3日に本を残したまま閉店して、
そのままデットストックになった本屋さん、
ポスターも予約受付もそのままになっている本屋さん、
入場料は300円かな。立ち読み専門。
その受付をやりたいな。
デットストック本屋さんは、年代が重なってないところがいいだろう。
もっと古い時代の本屋さんでもいいな。
僕が訪ねたこともないような。
デットストック本屋さんのいいところは、その時代が感じられることだ。
入ってみないとわからない。
東京中で、デットストック本屋さんを多く作って、
デットストック本屋さんマップを作ろう。
「ビデオを観る」14..3/2
ライブのビデオを観た。
つい昨日の、、。
ライブのときのりのままが記録されているのは、よくわかる。
だからそれでいいのだが、、。
ほぼ初めて歌うレパートリーがあり、
うーん、感情が入りすぎて失敗したのがわかった。
でも、それで良い。
次回は、もっとよく歌えるだろう。
それはしょうがないんだよね。最初は、
それがないと、ライブではうまく歌えない。
ビデオを観る。
最初があるから、次がある。
「300年」14..2/26
先日のこと、
外仕事にて、お寺に寄ったとき、
ふと帰りに地蔵さんが目にとまった。
目にとまったと言うより、何か吸い寄せられた。
それはなんとも言葉で表現しがたい。
近付いて立て看板を読むと、江戸時代初期のお地蔵さんで、
この区でも最古のものだという。
300年、、約300年、、。
このお地蔵さんは、みんなを見守ってきたわけだ。
僕は今、50歳になっている。
300年というと、果てしなく遠い昔のような気もするが、
僕の今の人生の6倍である。
まあ、6倍であったなら、そんなに遠い昔でもないな。
もし僕が20歳であったなら、300年は、15倍で、もっと遠い昔と感じられたであろう。
もし僕が100歳であったなら、300年は、3倍と感じられるであろう。
僕の人生の50年はあっと言う間だったので、300年もそんなに遠い昔でないような、
そんなふうに思えた。
それは当たっているのか、外れているのか。
あっと言う間の50年×6倍。
300年って意外と近いかもね。
「今観るとね、、」14..2/22
約20年ほど前のライブ映像をデジタル化のために観ていた。
20年前ももちろん観ているのだが、当時はどう映っているかとか、
見た目を気にして観ていたが、今は、音楽のテイクそのものが、
なんと言っても一番だ。
少しくらい、見た目が良く映っていなくても、いいじゃないか。
今、観るとね、、。
「ビデオカメラ」14..2/22
もう30年ほど前から、ライブをビデオカメラで撮り残している。
30年の間には、ビデオカメラもかなり進化した。
買い換えたビデオカメラは6台ほど。思い出すだけで懐かしい。
8mmテープから、デジタルテープに変わったときも大きな変化であったが、
テープから、内臓メモリーに変わったときも、画期的であった。
今使っているビデオカメラは、暗いところでもきれいに撮れるというもので、
暗いライブハウスでは、相当に役にたった。
色の素晴らしい映像をたくさん撮ってくれた。
暗くても、ほぼ原色と同じ色で。なんて素晴らしいこと。
そのビデオカメラはまだまだ現役なのだが、
もうちょっと音のよく録音できるビデオカメラを買おうかな思っている。
そうすると、今のビデオカメラは引退ということにはなるのだが、
いろんな名作映像を残してくれた。
もう半年もしたら、僕は新しいビデオカメラを使っているだろう。
もう撮ることの出来ないライブを、しっかりと残してくれた前のビデオカメラ、
感謝の気持ちでいっぱいである。
誰がなんと言おうと、感謝の気持ちでいっぱいである。
「ギター演奏」14..2/17
自分のソロアルバムを聞いてみると、
がんばっていろんなギターテクニックを使って弾いているのだけれど、
録音されたものを聞いてみると、あまりそんなふうに聞こえない。
音数が多いのかな。
印象的なフレーズをいろいろ弾いているんだけどなぁ。
ボブ・ディランのギター弾き語りを聞いていると、
シンプルながらも、印象的にフレーズが聞こえてくる。
僕もあんなふうに弾きたいのに、なぜか、あんな音が出せない。
なんだか、サウンドが、がちゃがちゃしている。
低音弦を弾いているのだけれど、なぜかそれが聞こえてこない。
ちゃんと弾いているのだけれどね。
自分の弾き方が悪いのか。
おかしいなぁ。
やっぱり、もっとシンプルにした方がいいのか。
悩みの種だ。
もしかしたら、自分が弾いているから、印象的に聞こえないのかな。
「引越一年」14.2/12
ふと気が付けば、昨年の今日、引越しをした。
片付ける荷物も多く、ほんと大変であった。
終わってからがまた、いろいろと苦労したのだが、
落ち着いてから、半年がたった。
半年は静かな暮らしであった。
ずいぶんとここの暮らしにも慣れた。
人間とは不思議な生き物である。
引越しが終わってからの5日間、
運びきれなかった壊れものなどを、自転車で深夜まで毎日運んだ。
自転車にやまほど荷物を積んで、背中にも両手にも荷物を持って。
深夜の道を自転車で走った。
それが本当に大変だった。
今思い出しても、その夜道がはっきり思い出される。
あれから一年。
もうひとつの始まりだった日。
大切だったものは、自分で運んだ。
それが自分としたら良かった。
何か大切なものを、次に運んだのだ。
「1曲1車」14.2/8
久し振りに歌ううたがあり、
歌い出すと、なんだかその歌を作った頃のことを思い出して、
とても歌いごたえのある作品のように感じられることがよくある。
さっと作れた歌には、そんなふうに思えないかもしれないが、、。
なんだか1曲1曲に、作ったときのパワーが付いているような気がしている。
久し振りであっても、歌い出してみると、その曲の構成で、苦労したことが、
よみがえってくるのだ。言葉を選んでまるで街を作るように、歌詞を作ったことが。
それはひとつの車のエンジンのように思える。
1曲1車。
歌うことは、うまくその車に乗るということ。
パワーダウンしていても、心配しなくてもよい。
その歌には、その歌のエンジンがある。
「レコーディングマジック」14.2/5
新しいアルバムのために録音を進めている。
一応、12曲録ったのだけれど、ギターがどれも難しかった。
いままでだって、沢山弾いてきたのにと思うかもしれないが、
ノリやビートを出すということと、まちがえないというプレッシャー、
なんとかがんばって録音した。自分としたら、大変であった。
それは聞いていただければ、わかると思える。
ギターに関しては、すみずみにまで音の命が入っている。
しかしだ、、。
こうしてレコーディングがひととおり終わってみると、
あれだけ苦労した楽曲も、みんなすらすらとすぐに弾けるような気がしてくるのだ。
不思議なものだ。
これがレコーディングマジックなのかな。
「いつだってわかっている」14.2/2
中学時代、高校時代と、ずっと国産のギターを使っていた。
当時、フォークブーム1だったせいもあるけれど、
僕の耳は、国産フォークギターから、輸入ギターまで、
聞き分ける自信があった。なぜかはわからない。
輸入もののギターはレコードから、その音の響きをたどった。
国産ギターしか買えない僕には輸入もののギターは、夢のまた夢であった。
自分の国産ギターの音色のこともよくわかっていた。
じゃらーん、と弾いたときの音色が、輸入もののギターはまるでぢかう。
それはよくわかっていた。
東京に出てきて、僕はしぱらくしてマーチンのギターを買った。
キブソンも買った。国産も使っていたけれど、今はギルドギターを使っている。
どこでギルドギターを弾いても、それは素晴らしい音だとわかる。
国産ギターの音ではないことは、いつでも思い出せる。
なんてぜいたくなギター生活なんだろうといつも思う。
あのマーチンギターを買ってからだって、35年ほどたっている。
人間、35年もたてば、慣れてしまうだろうと思うかもしれないが、
いまだに、それは良い音だってわかっている。
のどから手が出るほど憧れていたギターの音だと、わかっている。
僕は幸せものである。
毎日、このギターが弾けるのだから。
「いろいろギターを見たけれど、、」14.1/31
先日、御茶ノ水の楽器屋さん通りで、中古ギターをいろいろと見た。
中古と言っても、きれいなギターが多かった。
ぼろぼろに弾き込まれたというような印象のギターはあまりなかった。
お店に並べる段階で、きれい直されている可能性は高いのだが、、。
それにしても、使用感があまり感じられなかった。
僕が住んでいる街で買ったギルドのギターは、とても弾き込まれていた。
驚くほど、、。ハードケースもぼろぼろだったし。
いかにも中古ギターという感じであった。
そして何か魂のようなものを感じた。
ギターから声が聞こえるようであった。
表板は、とてもとても陽に焼けていた。
小さな中古ギター屋だったから出逢えたのかな。
先日見た、中古ギターはどれも「商品」という感じであった。
ケースの中で眠っていた眠り姫のような。
僕のギターなんて最初からぼろぼろだ。
そのぼろぼろが呼んでいた。
「犬時間、通り過ぎ、、」14.1/28
毎朝、家を朝5時過ぎに出ている。
細道を通り、普通の坂道に出る。
そこでいつもゆっくり歩きの年取ったワンちゃんをつれている赤いダウンジャケットのおぱさんに出逢う。
「おはようございます」
いつもさわやかな声であいさつをされる。
家を早めに出たときは、
坂道の途中で、ワンちゃんとおばさんにすれちがう。
まあたいがいは、坂道に出たくらいのところでちょうどすれちがうパターンが多い。
年取ったワンちゃんはそんな朝のあいさつには無関心で、ただひたすらにゆっくりと歩く。
同じ歩幅で。おばさんはただそれに合わせているのだ。
今朝は少しだけ家を出るのが遅くなってしまった。
細い道を抜け、坂道に出ると、いつものワンちゃんと赤いダウンジャケットのおばさんは、
坂道の先をもう10メートルほど下っていた。
僕が家を出るのが遅れたのがそれでよくわかった。
あの年老いたワンちゃんは同じ歩幅で、ゆっくりと歩いてゆく。
それは正確に時を刻んでいるようだ。
この世にはいろんな時計があるが、
まるい針のついた時計だけではないんだな。
「フィンガーピッキング」14.1/25
以前は毎日、5分10分とギターにさわってきた。
ほとんどフィンガーピッキングで。
フィンガーピッキングだけは、毎日指慣らしをしておかないと、
ステージでうまく弾けないからだ。
普通にならいくらでも弾けるけれど、微妙なビートを出すには、
やっぱり普段からフィンガーピッキングをしていないとだめだ。
それも既成の曲ではなく、その場で、思い通りに指を動かしてゆく。
先日のライブのとき、リハーサルでフィンガーピッキングを弾いてみたら、
なんだかうまく指が動かなかった。ピッキングが早いというせいもあるが。
昨夜弾いたときはも普通に出来たのに。
毎日ギターを弾いていた頃はこんなことはなかったのに、、。
うーん、ライブはやっぱり生き物なんだな。
いつか、紅白歌合戦やレコード大賞でも、フィンガーピッキングで演奏したいと思っているが、
中野サンプラザや日本武道館でもフィンガーピッキングで歌いたいと思っているが、
なんだかこわくなって来た。。
アルペジオのようなリズムなら、大丈夫なのだが、、。
オリジナルスリーフィンガーピッキングなどでは、やっぱり慣れ必要だ。
自分でも気付かないほどの緊張でもベストプレイが出来なくなってしまう。
フィンガーピッキング、あなどるなかれ。
「ステージ」14.1/21
昨年、シンガーソングライターの
スティーヴ・フォーバートのステージを観た。
先日、そのスティーヴも歌ったことのある同じステージに、
自分も立って歌った。
若い頃憧れていたシンガーと同じ場所に立った。
共演したというわけではないので、同じステージとはいえないのだが・・。
昨年、スティーヴをすぐ真近で観た。
ステージに登場して、歌とパフォーマンスでその場所を湧かした。
その場所で歌うのは初めてであったろう。
僕も同じ場所で歌ってみた。声の響き具合、ギターの鳴り具合、
そこから見える客席の感じ。
スティーヴは、靴を鳴らして熱いステージをみせてくれた。
僕はそんなふうには出来なかったけれど、
そこで勝負したことは同じであった。
スティーヴを初めて聞いてから、もう35年ほどたったけれど、
とても身近に感じられる今日である。
「おっもいだすにゃあ」14.1/17
今、メール受信といったら、光回線なので、
すーっ、ピローンと受信してしまう。
パソコンを買って、インターネットを始めた頃、
まだ普通の電話回線であったので、
メールチェックをすると、くるくるくるとマークが回り、
メールが来ていないと「メールがありません」と表示。
メールが来ていると、途中で回転が止まり、受信に入る。
5秒10秒たつと、チャリーンとメール受信。
あのドキドキ感。
ナツカシイ。
まだダイヤル回線だった頃。
「おどろいたな」14.1/14
阿佐ヶ谷の商店街を歩いていると、
お相撲さん関係と思われる数人が、太鼓を鳴らし、
年始の挨拶で、商店を回っていた。
一人はのどを鳴らし、相撲甚句のようなものを歌っていた。
最初はカセットか何かで音源を流しているかと思ったら、
本当に歌っていた。よくテレビの相撲中継で聞こえたような、
のど鳴らしの歌であった。
そばを通りかかったが、僕はびっくりした。
おどろくほど、それがうまかった。
あの響き具合。マイクなど必要がないと思えるほどの声量。
それでいて、とても軽い。
軽い上に、聞き応えは十分だった。
まいったなぁ、あの響きに比べたら、僕の歌なんて、
重い重い。言葉を理解したり、メロディーを意識したり、
リズムを感じたり、ビートに体を預けたり、
やっぱりどこか文学的なんだよね。
ほんと少しだけだったが、そこで聞いた声の響きは、
まるで龍が雲間をうねっているようであった。
翼はないが、空に浮かび飛ぶ気の力。
そこにある、メロディーともリズムとも言えない、
漂う、音楽。
のど鳴らしをしていた人は、余裕で次の店に向かっていた。
正直に言おう、ハートに直接響いた。
心のなにかの、スイッチをさわられた。
「新作アルバム」14.1/11
次に出す「兄弟」の新作アルバムは、大いに期待して欲しい。
まだ録音も残っているが、奇跡の一枚になりそうな予感がする。
何曲かは、ベストテイクで録音されていて、それが不思議な光をはなっている。
今回は「兄弟」の三枚目のアルバムになるのだが、
一枚目、二枚目と、お得意ナンバーを入れてあり、
三枚目の今回は、新曲といままでの残り歌みたいなセレクトとなった。
これが実に、いい味を出している。
たとえば、芝居で主役が休んでしまったとき、他の役者さんたちが存在感を出すように。
ブレンドの良い珈琲のような。
どの歌も、馴染みのある中学のときの同級生のようだ。
クラスの中で、それぞれが個性的に楽しませていた。
今回はそんなアルバムになったようだ。
12曲がクラスの同級生のようだ。
「毎朝、同じ人に会うのもよいものだ。電車編」14.1/8
毎朝、同じ電車に乗っていると、
ほぼ同じ席に座ってしまうものだ。
それと同じように、他のみなさんも、ついつい同じ席に座ってしまうようだ。
駅にとまるたびに同じ人が乗ってくる。そして座る。
たぶん相手も僕のことを、同じように思っているだろう。
はじめは、なんだか照れくさい感じもあったが、ほぼ一年乗っていると、
毎朝、同じ人に会うのも良いものだ。
どこに住んでいるかもわからないのに、
同じ席にやってくる人たち。
それだけでドラマである。
「ちがう耳を持っていたにちがいない」14.1/5
江戸の頃、いや、もっとずっと前から、
マイクというシステムはなかったにちがいない。
城で家臣たちを前に話す城主。
そこには拡声機などというものはなく、ひたすらにみんな耳を澄ましていたにちがいない。
そんな場面だけではない。
どんな広い場所にも、マイクアナウンスというものはなく、
みんなしっかりと耳を澄ましていたであろう。
野原の向こうで声をかけらけたときも、
なにもかも、マイクなどなかったにちがいない。
ちがう耳を持っていたにちがいない。
「タイトル」14.1/3
ライブのとき、歌のタイトルを言う人と言わない人がいますよね。
僕なんか、全曲言うタイプです。
若い頃から、ライブ録音のテープを多く作った。
すると曲のタイトルがわからなくて、困ることがあった。
そんな想いからか、ついついタイトルを言ってしまうのか。
英語の詩を読んだりしていると横書きで、
そのラストに詩のタイトルが書かれてあり、
それもそれで味があるなと思う。
しかし、日本の文化では、まずタイトルが出てくる。
歌い終わってからタイトルを言うのもいいけれど、
ちょっとカッコ良過ぎるなと思う。それで照れも出てくる。
タイトルを言うとイメージが固定されるというのもわかる。でも、最初にタイトルを言うって、日本的だよね。
そのへんのリズムと感覚を僕は大事にしている。
「大晦日」13.12/31
今年は、二曲ほど新しい歌を作った。
ここ何十年かで、作った曲数としては一番少ない。
でも、一所懸命に作ったので、それでよい。
それは、しっかりとした二段の階段。
一歩二歩と、階段を作った。
次はどんな階段になるだろうと思う。
「録音」13.12/29
昨日はレコーディングであった。
5曲録音したうち、メインボーカルは3曲。
3曲とも、歌唱が大変なのだが、なんとか歌えて一安心であった。
その中の1曲は、10年ほど前に一度録音してうまくいかず、
そのままになった楽曲であった。
10年ほど前、録音に失敗してから、ライブでも歌わず、
そのままになってしまった。そのまま、ほおって置かれた歌。
インドのジャングルの中に埋もれてしまった、エローラの遺跡のように。
10年たち、普通にまた録音すれば、それでいいのかもしれないのだが、
僕はお返しをしたいと思った。
いよいよ、マイクの前に座り、その楽曲を歌った。
心して。
たぶんベストテイクで歌えたと思う。
今年中に歌えて、本当に良かった。
それは今度のアルバムで重要な1曲になる。
「レコーディング」13.12/27
明日はいよいよレコーディングの日となった。
それは待ちに待った日ではあるけれど、
不安な時間でもある。
何度も録音をしている友達は、
「二回か三回、歌えば、もうOKだ」と、言う。
しかし僕の場合は、ワンテイク目が勝負だ。
うまく歌えたライブのときのようなテイクならば、
「ああ、うまく歌えた、はいOK」ともなるだろう。
でも、僕はライブとはちがうように歌おうと思う。
たとえて言えば、映画のシーンを撮るような感じか、、。
リアルとはまた別の、、歌の世界というか。
たとえて言えば、一枚の絵の中のパズルの置いてゆくような感じか。
ひとつのピースが、全体につながっているような。
ぐーっと、その歌の中に自分が入らねばならない。
そして一行目は、先の展開を知らないような響きを出さねばならない。
まさに役者の人が映画の撮影をするように。
「むーちゃん、くーちゃん」13.12/24
今年の12月は、どうしてこんなに忙しいと思うほどに、あたふたとしている。
それでもなんとかひとつずつ、なんとかしていった。
むーちゃん、くーちゃんのような日々。
どうしてこう一気にいろんなことが重なるのであろうか。
きわめつけが、年末にあるレコーディングである。
たっふり練習もするので、大丈夫といえば大丈夫なのだが、
あまりにも毎日がせわしない。
余裕などというものはまるでない。
それでもギターを持って出かけ、傑作のアルバムを作ろうと思っている。
レコーディングのときには、僕とギターと歌があるだけなのだ。
心落ち着け、そして歌う。それで良い。
たとえ、むーちゃん、くーちゃんの日々であっても。
「進化」13.12/22
新曲を作ったのは今年10月の終わりであった。
そのときは、とりあえず歌ってみたという感じで、
歌としての完成には、もうふたつくらい足りなかった。
それから歌詞を直し、なんとかまとまったと思った。
次のライブで歌ったあと、ビデオを見直したら、
やっぱりどうも歌がイメージどおりではなかった。
ああ、、、後悔。
じっと観ていると、いくつもアイデアが浮かんだ。
歌う速さや、ギターの弾き方の強弱、歌の展開のアクセント、言葉の強弱、他
次に歌うときは、ほぼいけると思った。
そして歌ってみた。ぐんと良くなり、
かなりイメージどおりの歌になった。
まだビデオを見直し、ハーモニカの流れやラストの決め方を修正して、
声の伸ばすところも発見した。
これでやっと、歌は伝わると思えた。
また歌ってゆくうちに、良くなってゆくだろう。
その歌にははっきりとしたイメージがあった。
やっと、それが伝わる。
「自粛・自販機生活」13.12/19
とある事情から、自販機生活を自粛しようと決めた。
昨日から。
もともと缶コーヒーなどは、気分転換で飲むことが多かった。
節約しなきゃなぁとか思いながら、ついつい。
でも、楽しかったなぁ。自販機生活。
寒い朝に、ホットの缶コーヒーをポケットに入れて、歩くあたたかさ。
新作が出たときは、必ず一回は買った。
特にのどが乾いているわけではなくても。
駅のホームで、出かける前に飲む、オロナミンCは美味しかったなぁ。
夏に100円自販機で買う、500mlの缶は良かったなぁ。
120円自販機で、ときどき100円に値下げされてるおすすめドリンクを買うのも楽しかったなぁ。
ジョージアMAXコーヒーを見つけては買い、そのミルクテイストを味わったなぁ。
小さめのデミタスコーヒーを期待して買うのだけれど、そんなに変わらなくてがっかりしたのも、
楽しかったなぁ。
微糖シリーズも良かったなぁ。エスプレッソにクリームシリーズも良かったなぁ。
しばし、さらば自販機生活。
じっと我慢の子であった。
「たぶん、これはおそらくたぶんなのだが、、」13.12/16
今年の師走は、みんないろいろと大変なのではないか。
友達は五十肩に苦しんでいた。
知り合いはのどの痛みに苦しんでいた。
この前、久し振りに街で会った古い友達が、
「いやぁ、いろいろ大変でさぁ、、、ミスタードーナツいこ!!」と、誘ってくれた。
僕自身も四つほど、ダメージを受けた。
たぶん、これはおそらくたぶんなのだが、
みんなこの師走は、たいへんなのではないか。
そういう年もあるだろう。
「民族音楽のアルバムを聞いていると」13.12/14
民族音楽のアルバムを聞いていると、
現地で録音したときの風景が見えてくる。
それはただの音であっても。
ひとつの映像である。
回りを囲んでいる町内の人たちの顔が見えてくる。
驚きに満ちている子供たちの顔が見えてくる。
録音をしようと、そっとマイクをセッティングした編集員の姿が見える。
ばっちり録音できて、心で(よしっ)と、言っている表情が見えてくる。
見知らぬマイクを見て、少しだけ緊張している歌い手の顔も見えてくる。
録音しているとき、ガチャって音をたててしまった、近所のおじさんの顔が見えてくる。
得意そうに演奏している、まだ10歳ほどのミュージシャンの顔も見えてくる。
写真を一枚、パチリと撮った編集員の姿も見えてくる。
民族音楽のアルバムを聞いていると、映像が見えてくる。
気温も見えてくる。
「忘れていた民族音楽」13.12/11
海外旅行から帰ってきた'88年。
約1年ほど、勉強やら何やらやってすごした。
その1年の間に、図書館に通い、民族音楽のレコードを集めた。
すっかりその頃は、民族音楽に夢中だったのだ。
自分でもいろいろレコードを集めた。
カセットテープのシリーズも自分で作った。
そして時間のある限り聞き続けた。
インド・アフリカ・中東・アジア・ヨーロッパ・他
それから、もう25年ほどたった。
ねえ君、、25年もたったんだ。
・・・・・・・・・・
今日、当時よく聞いていた南インドの民族音楽の音源を聞いた。
どの曲もはっきりとよくおぼえていた。
25年たっていても。
それも、当時とはまたちがう感覚で聞くことができた。
他にも、音源がテープで30本近くあるが、
同じようにおぼえているだろう。
そのことを忘れていた。
おもわぬ宝物であった。
もう一度、自分に定着させようと思う。
「何か魂のようなものを聞いた」13.12/8
とある老舗のライブハウスにて、
古いレコードを聞いた。
ダラー・ブランドというアフリカンジャズピアノを弾く人のアルバムで、
一曲目は、笛の独奏であった。
民族アルバムで、多くの笛の独奏は聴いてきたけれど、
それとはまた別のものであった。
なんというか、、魂のようなものを感じた。
燃えている炎のゆらぎのようなリアルさを感じた。
笛の音は音楽ではあるけれど、
もうまるで魂が音を鳴らしているようであった。
昔、「タイムトンネル」という海外ドラマがあり、
渦をまいた入口に入ってゆくというシーンがあったが、
そのレコードの笛の音は、そんな別次元へ誘われるようであった。
「ラモーナに」13.12/5
ボブ・ディランの三枚目の弾き語りアルバム
「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」の中に
「ラモーナに」という歌が入っている。
歌の内容は、田舎から都会に出てきて、うまくなじめないでいる恋人に、
向けて歌ったものである。
録音にもよるのだが、とても懐かしい響きのする歌である。
高校時代に、この歌をよく自分でも歌っていた。
先日、ライブ盤で、同じ「ラモーナに」を聞いたが、
まったく別の時間のもののように思えた。
今、思い出しても、三枚目に入っていた録音の「ラモーナに」には、
遠くやっぱり50年前の響きがする。
録音したスタジオの雰囲気も伝わってくる。
高校時代、実家の柏崎にいたとき、僕もこの歌をうたってみた。都会に自分が住んでいるという気持ちで、
田舎から出てきた恋人がいるという気持ちで、
その恋人に歌を送るという気持ちで。
僕にとって「ラモーナに」は、そのときまでさかのぼってしまう。
高校時代に歌ったそのときまで。
いない恋人に向けてほんきで歌った。
この歌のラストの歌詞は、
「うまくはいえないけれど、いつか僕も君の前で泣いてしまうだろうさ・・・」
そう、歌は結ばれている。
そう歌った高校生の僕は、その一時に、
いまでもとどまっている。
「新曲を歌ってみた」13.12/3
今回のライブで、最近の新曲を2曲歌ってみた。
小さなライブでも歌ったし、スタジオでも何回も歌った。
でも、やっぱり大きなステージではちがう。
いままで同じように歌ったのに、なにかしっくり来なかった。
録音した音源を聞いていると、どう歌ったら良かったのか、感覚でわかった。
でも、それはライブには間に合わなかった。
次には、きっともっとよく歌えるであろう。
それはとってもよい進化だ。
それがわかっただけでも、素晴らしいこと。
「リハ疲労ライブ」13.12/1
先日のライブはスタジオリハもたっぷりやって、
当日リハもたっぷりやったので、本番二曲目くらいで声が出づらくなって心配した。
声のことは解決したが、疲労していたことは事実であった。
しかし今回のライブでは、意外にも、想像していなかった歌が、
きらきらっと輝いて歌えた。とても地味な歌なのだが、、。
こういうことってあるのかもね。
ライブはそれで、なんとかバランスがとれたようだ。
疲れていたから、そんな感じの歌がぴったりときたのか。
いやいや、僕は歌に救われたんだな。
たよりになる歌たちだな。ありがとう。