青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'11.4月〜'11.7月

「ギブソンに助けられる」'11.7/30

 昨日は100曲録音のラスト10曲を録りに行った。

 いよいよラストレコーディングではあるが、そのラスト10曲はフィンガーが約半分ほどあり、

 我ながら心配だった。特にある一曲は、難しい指づかいがあるのだった。

 昨日は、いつものギルドのギターの他に小さなギブソンのギターも持っていった。

 ギブソンのギターは、部屋ギターで15年ほど使い続けていて、録音やライブでは使わなかったが、

 創作はほとんどこのギブソンでしていたので、今回の100曲録音のラスト2曲で弾こうと決めていたのだ。

 録音は順調に進んでいったが、難しいフィンガーピッキングの歌だけが、何度やってもうまく録音できなかった。

 いつもなら普通に弾けるし、充分に練習もしてきたのだけれど、指づかいに無理があるために、

 録音では失敗してしまうのだった。ギルドのギターで何回も失敗してしまった。

 ラストにその曲だけ残った。その曲は僕の大事な一曲でもあった。

 録音担当の友達が「「録音ってこういうものだよ。こうなると思ったよ」と言った。

 そして「ギブソンで弾いてみなよ」と言った。

 たしかにギブソンギターの方が弦高が低く、フィンガーピッキングが弾きやすいのだった。

 しかし、たぶん同じように失敗するであろう。それがレコーディングだ。

 そう思いながら録音してゆくと、なんと奇蹟的にラストまでまちがわずに弾くことが出来た。

 ギブソンに助けられた。そして100曲の録音は完了した。

 もう5年ほどギターケースにしまっていた、ギブソンB25に。


「たましいがへるおもい」'11.7/28

 昨日の録音では、10曲目までワンテイクで行くことが出来た。

 時間的な制限もあり、いっきに録音していった。

 そのうちの二曲は、とても想い入れのある歌であった。

 自分の中の「裏名曲」の存在になっているうた。

 この二曲だけは、ベストテイクで録音したいと思っていた。

 無事にとてもよいテイクで録音できた。

 録音されたものを再生できいてみたら、ただならぬ想いが伝わって来ていた。

 それは叫ぶとか、重いとかではなく、大切さが出ていた。

 100曲録音の中で、この二曲を気に入る人がきっといるだろう。

 10曲の録音を終わってみると、体も感覚もへなへなになっていた。

 たましいが半分くらいの重みになったようだった。


「即座に変える」'11.7/26

 先日の録音は、かなり苦労した。

 練習もしていったのだけれど、何曲か、その場で曲の雰囲気を変えた。

 ギターの弾き方を急に変えて、録音。それでもそれは、それなりにうまく録音できた。

 録音していながら、何かちがうと思えたのだ。

 それは前の曲との、つながりの関係でもあッたし、

 部屋で弾いている音とはちがうイメージになったりもしたからだった。

 録音している途中で止めてもらい、即座に弾き方やアレンジを変えた。

 フィンガーピッキングだったものを、ピック奏法に変えてみたり、

 前の曲と「間」が似ているのがわかり、変えてみたり、

 即座に変更したものを、正式録音とした。

 それが大事であった。練習してきたからと言って、それがいいテイクになるとは限らない。

 「カン」が大事だ。

 唄っていって、二番と三番の間のアレンジを唄いながら何度も変えた。

 それはそれが必要だと思えたからだ。

 急に変えられるのも、弾き語りアルバムの良いところでもある。


「洞窟のうた」'11.7/24

 とある異国の洞窟に、とある人たちが住んでいて、

 そこを訪ねたとき、「うた」を聴くことになる。

 そのうたは、聴いたことあるような聴いたことがないようなうた。

 いつかの昔、そこを訪ねた誰かが唄ってくれた「うた」が、長い間にその人たちのものとなった「うた」。

 元うたと歌詞は似ているかもしれない。メロディーも似ているかもしれない。

 新しく訪ねた人に、もてなしとして、そのうたは唄われる。

 その元うたを知っていたとしても、もうそれは別のうただろう。

 どこか似ているとしても。

 遠い昔に、誰かが持ってきたひとつのうた。

 聴いたときからもう、それはもうそのひとたちのもの。

 そこからが歌の旅。


「フランスパン」'11.7/21

 食堂にいると、あるテーブル人たちがフランスパンの話題を話していた。

 フランスパン、、。なんてダイナミックなネーミングなのだろうと思う。

 僕が初めてフランスパンを食べたのは、小学生の高学年のときだったかな。

 '72年頃。かあちゃんが買ってきて、歯でちぎって食べたあの味。

 「これがフランスパンだこて!!」

 そして僕は考える。フランスの人にフランスパンときいても、たぶんわからないだろうと。 

 「バケット」なら、わかるだろうけれど。。フランスパンではなぁ。

 これは日本で作られた言葉なのだろう。他にもいろいろある。

 インドカレー、天竺棉、韓国のり、チャイナドレス、朝鮮漬け、etc

 このダイナミックなネーミングは、何とも味がある。

 たぶん誰というわけでなく、そう呼び始めたのであろう。

 本当の呼び名とは別に。

 僕らの作品もそんなふうにならないかなと思う。


「よかったと言われた歌」'11.7/18

 僕の歌に8分近くの歌があり、それはライブでも数回しか歌ったことがない。

 もう25年ほど前、その歌を作った頃に一度だけ、ライブで歌った。

 その帰り道、普段はあまり話さない友達が、

 「あの歌よかったね」と、言ってくれた。

 その歌をいいねと言ってくれたのは、その人だけであった。

 今回、レコーディングでその歌を入れたのだけれど、

 とてもその言葉が心のささえとなった。

 録音してくれた友達も「なげーよ」と笑っていた。

 それでも、その歌には、ひとつの「よかった」がある。

 その歌にしかない。

 あのとき、友達にその言葉を言われなかったら、

 僕のこころは曲の長さにめげて、レコーディングには入れなかったでああろう。

 7分の最後まで、歌いきれなかったかもしれない。

 「よかった」には、強い効果がある。


「靴の帰郷」'11.7/16

 ほんとに長持ちする靴を仕事ではいている。

 それでもたいがいは外側が切れてしまい、限界までは使えないのだが、

 今回は、靴の裏側がすべてへり、穴があき、靴下が見えるほどまではくことが出来た。

 しかしこの暑さでは、その穴はきつい。

 なかなかその靴は、ふつうの靴やでは売っていないのだが、

 外仕事で寄る下町の小さな靴やさんに置いてあったのを思い出した。

 「ごめんください。この靴、置いてありましたよね」「あるよ」

 同じサイズの同じ靴を用意してもらい、目の前にあった中敷きも買った。

 お店のおじさんは、端数の65円はサービスだよと言った。

 そして僕は買った靴ははいたままで、穴のあいた靴を持ち、きいた。

 「これおいてっていいですか」「ああ、いいよ」

 ここまで来て、僕はすべてを思い出した。

 10ヶ月ほど前、まったく同じようにここでこの靴を買ったのだ。

 そのときも中敷きを買い、端数のお金をサービスしてくれて、

 穴のあいた靴を置いていったのだ。

 靴の帰郷。

 ここで新品で買った靴を、ここに置いてゆくのだ。

 ほんとに限界まではいたあと。

 僕もおじさんも靴も、思い出したであろう。


「へばった弦」'11.7/14

 先日の録音では、思いのほか弦の鳴りが弱かったので、

 弦の交換をした。つい先日、交換したばかり。

 まだ新しいのになぁと思っていたが、弦を外してみるとかなり錆びが出ていた。

 これでは鳴りが弱くなるのも当然である。

 びっくりしたな。一週間でここまで弦がへばるとは。

 梅雨の季節だからか。湿度にもよるのか。

 僕は弦を交換しないタイプで。

 一週間と言ったらまだ新品状態という認識であった。

 どうもそうでもないらしい。

 弦もへばるときはへばる。日数ではないのだな。

 ある条件が重なったのであろう。

 弦の熱中症かもしれない。


「7分後の世界」'11.7/12

 今、仕事先まで通っている電車は、だいたい5分から7分おきに出ている。

 秋葉原乗り換えの日比谷線は、7分おきに電車が出る。

 いつもの電車に乗ってゆくと、同じ人に多く会う。

 日比谷線の南千住で降りてから、事務所までの道ですれちがう人も同じ人がいる。

 これが電車が一本ちがうと、会う人がまたがらりと変わる。

 7分後の世界ってあるんだな。ほんと不思議。

 ほんの7分ですよ。

 先日観ていたテレビでは、世界はひとつではなく、

 いくつも重なっているパラレルワールドであるという設定であった。

 まさにそんな感じ。

 電車が一本ちがうと、ちがう世界が待っている。


「そんな音を聞いた」'11.7/10

 ギターの弦を張り替えてまだ10日なのだが、

 かなりこの暑さが弦にこたえたのか、こもった音になってしまった。

 僕の部屋で弾く分には、あまりわからなかったが、

 友達の部屋の録音室では、かなりその音のちがいがわかった。

 友達が言うことには、湿度も関係しているのだという。

 7時間ほど、その部屋にいて、その終わりにギターをじゃらんと鳴らしてみたら、

 古い古い音がした。

 長いこと古道具さんで吊り下げられていたような、そんな音。

 その古い古い音には、僕自身はよく知っていた。

 僕のギターは「ギルド」というメーカーなのだが、

 弦をほとんど交換しないでいたギルドの友達のギターのような音になっていた。

 あと、古道具屋で弾かせてもらった、外国製のギターの音にも似ていた。

 ま る で お じ い さ ん の よ う な お と

 よく見れば、僕のギターは作られて40年もたっているので、

 ギターとしたら、かなりの年齢になるだろう。この暑さでへばったのか、

 一瞬ではあったが僕のギターが、おじいさんのように思えた。

 (そうか、きみは、おじいさんだったのか・・)

 若い若いと思っていたけれど、、。

 ふと、僕は今日、ギターの横顔を見た。


「オリンピック選手」'11.7/8

 オリンピック選手は集中している。

 なにしろ、それはオリンピックだからだ。

 スポーツをがんばって来たのは、このときためではないかと思うほどに。

 そんなことはないでしょうと、言う人もいる。

 しかし、それはわからないものですよね。

 このときにがんばるためにがんばってきたのかもしれない。

 プレッシャーの中、普段通りの実力は最低でも出したい。

 できれば、それ以上、いやもっと望むのが本当のところ。

 集中の上に、さらに集中しないといけない。

 数多くのそれまでの大会もあった。それと同じではないだろう。

 たかがスポーツで、なぜにそこまで 、、もっと楽しいめば、、と、おっしゃる方もいるであろう。

 参加することに意義があると、おっしゃる方もいるだろう。

 たぶん、そういう次元ではないのではないか。

 ベストを尽くしたい。ただそれだけではないか。

 オリンピック選手は集中している。

 自分の演技や、その体の動きが、スローモーションに思えるくらいに。

 確実にそして余裕をもって、自分ができるくらいに。


「ムスタフアのために歌う」'11.7/6

 アルバムの正式盤として録音をしているのは、これで四枚目となるが、

 今回はまるでちがった気持ちでマイクの前に向かっているような気がする。

 とくに気をつかっているのは、その状況と風景が浮かぶようにしているということ。

 そのうたの生まれたところまで戻るくらいに。

 「さよなら、ムスタファ」という歌を先日、録音したのだが、

 ワンテイクで、本当によいテイクで録音が出来た。

 1991年より、何度も何度もライブで歌ってきている歌だが、たぶん一番のベストテイクであろう。

 この歌の場面設定は、トルコ共和国のネブシェヒールという町からアンカラ行きのバスを僕が待っているところで、

 その町で出会ったムスタファという男のことを回想し歌いかけるというものなのだが、

 本当に、そのときのバス停で僕が待っていて、歌いかけるように歌うことが出来た。

 それは録音を聞いてみれば、必ず伝わると思う。

 いままで、ライブで何度もこの歌をうたってきたが、やっぱりそれは聴いているお客さんのために歌って来たのだ。

 今回の録音は、僕と歌とムスタファと風景がマイクの前にある。

 これはライブではできなかったこと。

 今回の録音は、いままでとちがう集中力で歌っている。


「君に未来を見た」'11.7/4

 日曜の各駅停車の優先席の向かい側で、

 ひとりの小学生が目をキラキラさせて本を読んでいた。

 ニコニコして、ページの中を目で追っていた。

 よほど面白い本を読んでいるのであろう。

 たぶん漫画のコミック本かな。

 あまりにその表情が、にこやかなので、その少年をしばらく見ていたら、

 その本は普通の文字の本であった。

 よほど面白いのであろう。

 何の物語であろうか。気になるところではある。

 しかし、そのにこやかな顔は、漫画コミックの笑いとはちがった。

 文字文化はまだまだ生きている。嬉しいな。

 僕には見える。その文章の向こうにたっぷりとした情景があることを。

 歌だって同じだと思う。浮かべてみたいんだ、たっぷりとした情景を。

 君に未来を見た。


「かっこつけてどうするの?」'11.7/2

 また、今日も午後には録音がある。

 100曲の録音。今回は旅から帰ってからの10曲。

 その中の半分は、歌い慣れたものがある。

 もう30曲、録音してきたが、それはふだんは歌っていないものばかりであった。

 それらはとてもよく録音できた。

 さて、今日の10曲はどれだけベストテイクで残すことが出来るであろう。

 試しに一度、自分で通して自宅で歌ってみて録音してみた。

 その録音を聴きながら、出かけてみた。

 それはいつも自分がライブで歌っているテイクに近いものではあるが、

 どの曲も録音のテイクとするには、足りないものがあると思えた。

 いままで録音してきた30曲とは、確実にちがう。面白くない。

 なぜだ、なぜだ。

 もう20年以上も歌っている作品ばかりなので、歌い慣れが起こっているのだ。

 ひとつの作品を、そして、かっこよく歌おう歌おうとしている自分がいた。

 かっこつけてどうすんの??

 ひとつの形に、歌をまとめようとしているが、その分、新鮮さが失われている。

 いつもながらの演奏と歌で、録音することもできる。

 それでよしとすることもできる。それが一番という人も多いであろう。

 しかし、今回はどの曲も、作りたてのような感覚で録音して来ようと思う。

 もう一度、生まれたての言葉のように歌って来よう。


「あんな声を出さねばならない」'11.6/30

 くーくーくっくーくう くーくーくっくくーくう

 朝、部屋の外で山鳩が鳴いている。

 あんな声を出さねばならない。

 一人の弾き語りシンガーとして。

 ちょっとかすれた響き、そして胸の奥から吹き出す音のまるさ。

 風景との一体感。

 あんな声を出したい。


「ギターマジック」'11.6/28

 今、100曲の録音をしていて、やっと30曲終わったところ。

 時期的には、僕が旅に出る前までの期間で、録音には愛器のYAMAHA FG180のギターを使った。

 当時の僕はヤマハのギターを使っていたので、サウンド的にもぴったりだと思えたのだ。

 そして次の録音からは、現在使っているギルド F47のギターでの録音にしようと決めている。

 ヤマハのギターでの録音は、普通に弾き、そのとおりの音での録音を良しとしたが、

 ギルドのギターでは、僕の弾き方ひとつで、いろんな表情の音が出るので、

 一曲一曲ごとに、弾き方を作っていかねばならない。

 ちょっとだけギターマジックを使おうと思う。

 歌に入るまで前奏で、風景が作れるくらいに。

 ほんの少しの弾き方の差ではあるが、それが大きくイメージを変える。

 魂込めて弾いてきます。


「ハーモニカホルダー」'11.6/26

 1960年代のニューポートフォークフェスティバルに出ていた頃の、

 ボブ・ディランの映像を昨日観ていた。

 アップになったとき、ハーモニカホルダーも映った。

 ハーモニカホルダーは、ギターを弾きながらも一緒にハーモニカも吹けるというすぐれものであるが、

 よく観れば、大道芸の人たちのアイデアだったではないかと思うほど、傑作な一品である。

 僕なんかハーモニカホルダーにとてもお世話になっているので、感謝しきれないほどだ。

 よく考えたね。ほんとに。

 あるひとりの大道芸の人によって生まれたのではないかな。ほんとに。

 そんな深い想いで、ディランの映像を観ていた。

 ・・・・・・・・ 

 それからその日はレコーディングがあったので、その後、用意をして出かけた。

 現地に着いて、友達の車に乗ったのだが、もしかしたらハーモニカホルダーを忘れたと思えた。

 まったくギターケースに入れた記憶がなかった。

 忘れたことなんてないのだが、入れた記憶がない。今日はアウトかもしれない。

 あはらめ半分で、ギターケースを見てみると、ハーモニカホルダーが入っていた。

 無意識とは、ありがたいものである。 

 人生とはほぼこういうものかもしれない。

 (もしなかったら、ハンガーできっと作っていただろうなぁ)


「目覚ましみっつかけてみた」'11.6/24

 これならば必ず起きるだろうと、

 同じタイプの目覚ましをみっつかけてみた。

 どれも同じ電子音の目覚まし。

 朝4時に鳴ったのは憶えていた。

 しかし、その30分後、はっと目を覚ますと、

 みっつの目覚まし音は、きれいハーモニーになっていた。

 ああ、起きれない・・。


「歌が呼ぶ」'11.6/22

 今、毎週10曲ずつ録音をしている。

 次に録音する曲ももう決めてあった。

 そして昨日の仕事中、ふとある曲が記憶によみがえった。

 (そういえば、そんな曲あったなぁ・・)

 その曲は、僕の歌詞ノートから消えていて、僕の記憶からも20年ほど消えていたのだ。

 20年も忘れていたのに、突然に記憶に戻ってきた。

 そしてその曲を次の録音で歌うことにした。

 その曲なくて、その頃はないようなものだ。

 もし入れなかったら、大きく後悔していただろう。

 これは歌が呼んだとしか思えない。私を忘れるなと。

 よかったよかった。


「ゆっくりと近づく」'11.6/20

 今、100曲のレコーディングをしている。

 一週間に一度。やっと20曲、終わったところ。アルバム二枚。

 28年前、そして27年前の歌。

 その20曲はどれも歌うことでさえも25年振りのようなものだった。

 以前、インドを旅していたとき、一週間ごとに次の街へ向かったことがあったが、

 なんだかそのときと似ている。

 アルバムは10枚となるのだが、それは10の訪ね所のような感じ。

 しっかりとその街や村での、想い出や出来事があり、それを再現しているようだ。

 今のところ、しっかりと歌えている。よいテイクも多い。

 だんだんと今の僕の時間に近づいている。まだ遠いのだが。

 今は、1984年にいる。次は1985年の歌を録音する。

 その街はこれから行くところ。


「道を見つける」'11.6/18

 南千住が事務所になってから二ヶ月。

 そこから墨田区まで自転車でいつも往復している。

 毎日のように自転車で通っていると、

 無駄のない道を発見するようになった。

 次々と少しずつではあるが。

 二ヶ月前とは、まったく別の道で今は往復している。

 時間もそうとうに短縮された。

 南千住から墨田区のある地点まで、自転車での一番早く行ける道がある。

 それは今、発見途中ではあるが、知能との勝負でもある。

 そんなことは、どの本にも書いていない。

 友達だって、ある程度しか知らない。

 おなじように20人ほどが、自分なりの道を見つけて通っている。

 そこが面白いところ。


「歌の待ち合わせ」'11.6/16

 突然、歌に呼び出しがかかった。

 何十年も歌詞ノートの中にいたのに。

 ライブでも、まったく歌われていないのに。

 今度の日曜日に会いましょうと言う。

 久し振りの再会である。歌の待ち合わせ。

 それは、レコーディングのマイクの前。

 ・・・・・・・・・

 今、古い歌を順に録音しているのだが、 

 準備期間が一週間しかない。

 仕事から帰ってきてからギターの練習、そして歌。

 アパートで練習しているので、大きな音を出すことはできない。

 一度も大きな声を出すこともなく、レコーディングに向かう。

 そしてマイクの前に座り、「はい、お願いします」と言われる。

 ワンテイクで録音は決めるのだが、

 さて、自分がどんな声を、どんなふうに出すのか歌い出すまでわからない。

 大きな声で練習していないので。

 それでも、それがなんだか楽しみなのだ。

 まるで、歌と待ち合わせをしているようで。

 練習とは、まるでちがう。ちがうんです。

 歌のたましいが来ているという感じなんです。


「濃厚な日々」'11.6/14

 今、古い歌から録音をしているのだが、

 レコーディングまでの準備期間が一週間しかない。

 その一週間で10曲選び、一枚のアルバムとして録音するのだ。

 もう、時間がないったら、ほんとに時間がない。

 まず曲選びから始まるのだが、とにかく若い頃の僕は多作であった。

 一年で60曲とか作っていた。そのどの曲にも想い出はたっぷり。

 ずっと、曲選びをするために歌っていると、

 僕の日々は新曲とともにあったのだなと思えた。

 時間の流れは、自分の歌とともにあった。

 当時の気持ちもよみがえってくる。

 先日は、30年ほど前の10曲の歌を録音した。

 話が来たのは一週間前。それで歌える状態にまた自分を戻すのは大変であった。

 次の録音までまた一週間。濃厚な日々が続きます。 


「トランプのように」'11.6/12

 トランプのように、

 持ち手で勝負するのです。

 力の強いカードもある。何でもない残りのカードもある。

 大事なことは、何でもない残りのカードを、どう使ってゆくかだ。

 僕には、一日の自由時間が少なかったり、ほかにやることが山ほどあったりするけれど、

 あまり気にしてはいない。それはトランプの持ち手なのだ。

 誰と勝負しているわけではない。

 ただそういう持ち手のカードがあるというだけ。

 一枚であっても、すんばらしいカードもある。

 どんなカードがあるかは、内緒。

 ナイショですよ。


「粗大ゴミと椅子」'11.6/10

 先日、外仕事でマンションのエントランスに入ってゆくと、

 そこに木製の椅子が置かれてあった。

 おっ、待合い用に椅子を置いたのかなと思っていたら、

 貼り紙がしてあった。

 「この椅子は粗大ゴミです」と。

 これは、日本語が合っているようで、なんだかおかしいぞ。

 正確には今は「この粗大ゴミは椅子です」のほうが合っているだろう。

 だって、まだ座れるんだし。

 粗大ゴミとして、まだ出ていないのだから。

 椅子がもし話せるならば、、100パーセント

 「僕は椅子です」と、答えるであろう。


「レコーディング」'11.6/7

 近々、弾き語りのレコーディングをする予定となった。

 どんな形になるかは未定ではあるが、

 レコーディングするなんて、5年ぶりくらい。

 話が決まったら、なんだかちがう自分になってくるような気がしてきた。

 違う生き物のような。

 大工が大工になるような。

 探偵が探偵になるような。

 ミュージシャンになるのとは、少しちがう気持ち。

 全能力をそれに向けて感覚を変えてゆかねばならない。

 一曲一曲と、向き合わねばならない。

 一緒に服を選ばねばならない。


「木の年齢」'11.6/5

 先日、友達が僕のギターでライブをした。

 そのそばで聞いていたが、ギターがなんとも枯れた音が出ていた。

 そのギターは1968年製なので、もう40年たっている。

 40年たっているギターなのだから、深い音が出てくるのも当然であろう。

 それがなんとも空間に自然に溶けている音がギターから出てきていた。

 どう聞いても、それは新しいギターの音ではないのがわかる。

 ギターのサウンドホールを見つめていると、不思議のタイムマシンを眺めているような気分になる。

 音の輪郭というものがつかめない。どこかかからふわっと音が出ている。

 これはやっぱり40年前の木が鳴っているせいなのではないか。

 年輪の中を通り、音が聞こえてくるようだ。



「人生観の変わる声」'11.6/3

 日曜の午後、駅に行く途中、

 なんだか耳なじみのある声の歌が、高円寺の商店街から流れていた。

 と言っても、かすかに聞こえる程度で、まさかととは思ったが、

 よーく聞いてみると、それはボブ・ディランの「親指トムのブルース」であった。

 こんなマニアックな歌がよく流れているなぁ。さすが高円寺。

 「親指トムのブルース」はロックを始めた頃のディランの歌で、

 当時の他の曲に比べても特に声ののばすうねり具合がはっきりわかる楽曲。

 それにしても自分自身が驚いたのは、音痴そうな声がほんとかすかに最初聞こえたとき、

 ぜったいそれはディランの声だと思った。歌いまわしの特徴もあるけれど、

 なんというか、失礼な表現かもしれないが、まともな歌い方をしていないという感じなのだ。

 どこにも属していないというか、ならず者の海賊猫のようなというか、

 常識的でないというか、なぜにそこまで、そうやってひねくれるのかというか、

 とにかく強烈な個性であった。そして、何もかも変えてゆく力を持っていた。

 ほんの二秒か三秒、耳にかすかに聞こえてきただけで。


「夜明けの色」'11.6/1

 今朝は、早く起きた。

 起きてみると、液晶テレビがなんだか夜明けの色のような画面になっていた。

 そうか、夜明けを感じているのは、外だけではないのだな。

 その昔、太古の人々は洞穴や藁小屋のようなものに住んでいただろう。

 その頃は、みんな夜明けの色を体で感じていたにちがいない。

 真っ青で、何かすーっと透明な気持ちになる夜明け。

 動物たちは毎朝、それを感じていたにちがいない。

 自分たちの体の中に。

 夜明けの時間になると、深いブルーになる電球はないものか。

 一年分の時間もセットされていて。

 そのまま明るくならないてもよい。

 ただ夜明けを感じさせていれればよい。

 きっと生活が変わってくるだろう。


「あっというまに時間は過ぎる」'11.5/30

 自主企画のライブイベントが、先日があった。

 午後4時に入り、午後11時すぎまで。

 もう20年以上、その繰り返しなのだが、

 会場に着けば、あっというまに11時になることはわかっている。

 準備、リハ、開場、それからライブ、そのあと、後片付け。

 7時間もあるんですどね。

 それがどんな時間が流れているかはよくわからないのだが、

 会場に着けば、あっというまに時間は過ぎる。

 いろいろやることがあるのは、確かなのだが、

 トラブルもなく、終わりまでやれることが一番の望みである。

 ひとつ終わるとひとつ安心。時間がどれだけ過ぎたかは関係がない。

 その繰り返しで、夜11時すぎになってしまう。

 イベント当日になり、部屋を出るときにはわかっている。

 不思議の時間に向かっているということ。


「えくせるしゃあの音」'11.5/28

 先日、中野の駅前で路上演奏をやっているのを聞いた。

 三人組で、ひとりはアコーディオンであった。

 メーカーはフランスの「エクセルシャー」という一流中の一流メーカー。

 路上で聞いていると、なんともいえない良い響きであった。

 音のかすれぐあいに深い品があるというかな。

 もう前のことではあるけれど、友達がアコーディオンを始めるとき、

 値段は高かったけれど、エクセルシャーを買ったのだ。

 みんなびっくりするほど、それはいい音だった。

 でも、今思うとエクセルシャアは値段が高い。

 普通は、なかなか買えないだろうなぁ。

 それからもう20年近くはたっているけれど、

 友達の使うアコーディオンは、国産のものがほとんどだった。

 どこにいってもアコーディオンは国産のもので、それがアコーディオンの音と感じていた。

 実にしっくりくる音で。

 久し振りにこうして、エクセルシャーの音を聞いてみると、

 その音の響きが高級な感じがしてしまう。フランスのブランド品のような。

 素晴らしい。素晴らしいけれど、あの音を弾きこなすには実力がいるだろうなぁ。

 路上で聞いた演奏者は、エクセルシャーを自分の音に出来ていた。

 アコーディオンと呼ばれる楽器の素晴らしさを存分に伝えていた。


「楽器の中の道」'11.5/26

 ,部屋に戻ってくる帰り道はいつも決まっているが、

 そんなふうに毎日、ギターを弾くことができたらなぁと思う。

 外に出かけるのに靴を履くように。

 この三週間ほど仕事が多忙で、ギターをまとまって弾くことが出来なかった。

 今、ギターを弾いてみると、創作という感覚に戻るには少し時間がかかる。

 やっぱり何らかの形でギターに触れていたい。

 パソコンを打つとき、キーボードがギターだったらなぁと思う。

 それは可能だと思う。

 とにかく、楽器に触っていたいのだ。

 電話がかかってくる。「もしもし」と、楽器が鳴る。

 「どちらさまですか?」と、こちらも楽器で答える。

 そして、楽器と楽器で会話。これならば、かなり楽器に触れることが出来るだろう。

 道を歩くとき、携帯音楽プレーヤーを聞くことはもう市民権を得ているが、

 それと同じように、街を歩くとき楽器を弾けたらなぁ。

 まるで駅で傘を貸してくれるように。

 ・・・・・・・・

 今は音楽をいろんなところで聞くことが出来るが、

 その昔は楽器の中にほとんどあったのではないか。

 そういう生活に戻ればなぁ。


「ライブビデオ」'11.5/24

 ライブハウスでビデオ撮影をするって、意外と大変。

 スポットライトとか当たってしまうと、顔が白く飛んでしまったりするし。

 いろんな調整をして、ひとつのライブを撮っている。

 最近のビデオカメラは、全部自動でやってくれるのかもしれないけれど。

 もう25年くらいビデオを撮っていると、数多くの失敗もしている。

 そのときの痛みは強く憶えている。バッテリー切れ、テープ切れ、ピントボケ、他、etc

 僕はプロではないけれど、ビデオ撮影には強い想いを持っている。

 イベントを記録するって大切なこと。ズームを使ってどうこうととかではない。

 しっかりと失敗しないで残すということ。ライブ録音ならばなおさらであろう。

 ・・・・・・・・

 僕が20代の頃、そして30代の頃、自分のライブのビデオを観るのは、単純に、

 この前のライブの再現を観るという以外の意識はなかった。

 ビデオを撮って、それから15年ほどたって、もう一度観ると、

 意外な発見をする。そのときはわからなかったもの。

 ボツ歌にしてしまった歌が、それなりに良かったり。

 ハーモニカやギターが、今よりもうまかったり。

 だめだと思っていたテイクが、今聞くと良かったり。

 時がたつということは、そういうことかもしれない。

 もう一度、観る機会があるということが大切だ。

 10年後、15年後、20年後に。そっと棚に置いていてかまわない。


「いままでそんなふうにあまり思わなかったこと」'11.5/22

 僕の玄関を入ったところに、岡鹿之助画伯のポストカードが貼ってある。

 サーカスのテント小屋のような建物のノスタルジックな絵である。

 もう15年そこに貼ってあるので、すっかり目にも残っているのだが、

 自分としては、きっと架空の建物であろうと思っていた。

 しかし、ふと思い直してみると、実際にどこかにある建物ではないかと思えた。

 もし、その建物に会えるなら、、そこに行ってみたい。

 15年毎日、目にしていた絵の建物に。 

 いままで、あまりそんなふうには思わなかったことだが、

 実際の風景や建物や人物を描いた絵であるなら、その絵の実際のものもあるわけだ。

 毎日のように眺めている絵であるならば、ぜひ一度は訪ねてみたい。

 あなたを絵にしたものを、何十年も眺めていましたと。

 風景の絵であったなら、必ずどこかにはある。

 ただ、その場所を探すヒントが少ないだけで。

 その風景に会えたなら、時と時がつながるであろう。

 そして、目と目もつながるであろう。


「濃縮時間還元」'11.5/20

 先週の日曜に財布を落としてから、

 今日までの五日間、ほんとにハードな時間が流れた。

 朝7時から夜8時まで、とにかく全力で仕事をした。

 先週の雨のおかげで、いろいろと追われていて、それを取り返しているのだ。

 やっと昨日、作業が追いついた。睡眠時間、平均4時間であった。

 それでも、音楽を聴いたり、エッセイを書いたり、笑ったり話したりしている。

 ギターは弾けなかったが。

 体と頭は、こんな日々が続くとどうにかバランスを保とうとする。

 聞いた音楽アルバムや、テレビ、事務所まで行き帰りの時間、そのわずかな自由なときを、

 まるで映画のように、感じようとしているのがわかる。

 濃縮時間還元のように。1時間を3時間くらいに。

 それでなんとか自分のバランスを保っている。

 そうでなきゃ、つぶれちゃいますよ。


「夜はイベント」'11.5/18

 いつも、外仕事の後、事務所に7時半くらいまでいるのだが、

 先日は、午後3時に上がらせてもらった。

 用事をいくつか済ませて、それから友達の企画するライブイベントにスタッフとして向かった。

 リハーサルから、ずっと居ることが出来た。

 そして開場から開演までの一時間を、椅子で待った。ひとりひとりやってくるお客さん。

 いつもならまだ事務所で仕事をしている頃。

 開演は7時半で、これからたっぷりとライブが行われるのだ。

 東京中、日本中、世界中のイベント開場ではこうしてライブが行われている。

 居酒屋では、飲み会が。劇場では、劇が。

 たっぷりとした夜の時間。

 いつか見たポンペイ展のことを思い出していた。

 火山の爆発で無くなったイタリアの都市「ポンペイ」。

 夜はみんなでワインを飲み、豊かな生活を楽しんでいたであろう。

 古代のときより、夜こそは楽しみの時間ではなかったか。

 最近の僕の生活ときたら、へとへとになり、夜10時前に帰宅するような毎日である。

 週のうち半分は、そのまま横になってしまうこともある。

 もしかして、これは本来の生活が逆転しているのではないか。

 テレビを観るということともちがう。

 一日はきっと夜のためにある。


「落とし物」'11.5/15

 ああ、ほんの二分か三分。

 自転車に乗っていて、財布を落としてしまった。

 戻ったけれど、もうなかった。なかったんですよ。

 50年生きてきて財布をなくしたのは、小学校の頃、小銭入れを落としただけだ。

 世界旅行に出かけても、財布はなくさなかったのに。

 フランスで買ったズボンのポケットが小さかったのはわかっていたんだけどね。

 ぽろっと、落ちたのであろう。

 午後は、カードや会員証の停止であちこち連絡をした。警察にも行った。

 そして何度も何度も自転車の通り道を歩いては、財布を探してみた。

 駅に出かけるたびに、その道を探した。

 なんだかとてもさびしい気持ちにもなった。

 でも、大震災の津波で家ごとなくしたみんなに比べたら、、財布ひとつなんて。

 ここ数ヶ月、ふいと口に出てきた歌は、よくCMで流れた坂本九さんの歌であった。

 その歌を心で歌いながら、また帰りは財布探しをしようと思ったが、

 それはもうやめたんです。

 ♪う え を む い て あ る こ う


「黒人さんが、なんだかかっこいいグッバイをした」'11.5/14

 電車の乗っていると、ひとりの黒人さんがホームで、

 友達にむかって、なんだかかっこいいグッバイをしたあと、

 電車に乗り込んできた。背の高い黒人さん。

 ほぼ満員電車の中、僕の隣にいました。

 (ああ、さっきのあのグッパイのしぐさ、、なんだかかっこ良かったな・・)

 はっきりとは見ていなかったのだが、指をちょこちょこっとひねったようだった。

 グッバイ・・その言葉はないが、、

 この東京で、、それが二人の絆、

 今度また会うまでの、、かっこいいグッバイ。

 僕らは、そんな文化を考えもしていないな。

 「じゃあ」「ではまた」「それでは」「失礼します」etc、、

 そのくらいなものだ。まさに言葉どおりのグッバイ。

 黒人さんが、、言葉のない、なんだかかっこいいグッバイをした。

 僕らの文化はきっと、まだ言葉の意味にとらわれているのだ。 


「そのとき僕が思っていたことは、、」'11.5/12

 久し振りに「にほんのうた」プロジェクトシリーズのCDアルバムを聴いた。

 三年ほど前かなぁ。友達が音源を聞かせてくれたのだ。

 みんなの知っている「にほんのうた」を、いろんなアーティストが歌っているのだが、

 かなり気に入って、出かけるときはいつも携帯プレーヤーに入れて聞いたものだった。

 それまでは少し、音楽を聴くという日常から離れてしまっていた。

 しかし、「にほんのうた」のアルバムによって、音楽にまた耳を澄ますことを思い出したのだった。

 そのとき僕が思っていたことは、、

 このまま音楽に集中する時間が、知らない間にずっと続かないかな、、ということだった。

 一枚のアルバムをきっかけにして。

 そんなことすら、忘れていたが、

 おかげさまで、それからずっとそのまま、音楽に集中している。

 ありがたや、ありがたや。

 こんなふうに、気が付けば何年もたっている時間が好きだな。


「ディボーティーズ」'11.5/10

 その昔、芸術は芸術家と呼ばれる職業の人たちのものだったのかもしれない。

 ・・・・・・・・

 東京に出てきて、しばらくしてから僕は外で歌い始めた。

 その頃、一番良く歌っていたのが、

 ウディ・ガスリーの「デイポーティーズ」という歌だ。

 その歌を知ったのは、ボブ・ディランの'76年ツアーのTVスペシャルの映像であった。

 このとき「ローリング・サンダー・レヴュー」というツアーを行ったのだが、

 このときの声は、ほんとにパワーがある。

 声量という意味ではなくて、説得力に満ちているというか。

 どこからあのパワーはやってくるのだろうと思っていた。

 今回、その頃の映像をいろいろ観る機会を得た。

 映画「レナルド・アンド・クララ」のオープニングで、

 「私が傑作を描いたときには」という歌を仮面をつけてディランは歌う。

 ローマの道は石ころだらけ
 ・・・・
 いそいでホテルに戻らねばならない
 ボッティリェルリの姪とデートだから
 そこで会おうと約束したのだ
 私が傑作を描いたときには
 ・・・・・
 おんぼろのゴンドラで世界一周の旅 ああ、コカコーラの国に帰りたい。。
 ・・・・・
 到着すると、みんなが
迎えてくれた
 キャンディーを食べている新聞記者は
 大男の警官に道をふさがれた
 いつかすべてが違ってくるだろう
 私が傑作を描いたときには

 だいたいこんな内容の歌。

 映画「レナルド・アンド・クララ」は、ボブ・ディラン自身の作った初めての映画である。

 評価は別れるところであろうが、ディランはこの映画で、何かを伝えようとしたのわかる。

 「ローマの道は石ころだらけ・・私が傑作を描いたとき、すべてがちがってくるだろう」

 オープニングのこの歌からもわかるのは、ディランのいる場所である。

 ・・・・・・・・

 同時期のツアー映像が、TVスペシャルとして残っている。

 一度はTV局側のプロのスタッフが屋内ライブを撮ったのだが、

 あまり気に入らなくて、次の日に野外コンサートをディラン側のスタッフで撮影したのだ。

 カメラの揺れもかなりあるのだが、とてもリアルで迫力満点の映像になった。

 映像テクニック的な評価はわからないが、ディランファンには、この上なくかなりの傑作に思える。

 そのライブの中で、ディランとジョーン・バエズが生ギター二本で、

 ウディ・ガスリーの「ディポーティーズ」という歌を歌う。

 作物は熟して取り入れられる・・
 そして、もう一度、おれたちは飛行機に乗る、、さらに働くために、、
 そのときにはもう名前がない。ただ、渡り者(ディボーティーズ)と呼ばれるだけ

 さよならホワン、さよならロザリータ、アディオス、ミソミーゴス、イエスズ・マリア、、
 ここを出るときにはもう名前がない。ディポーティーズと呼ばれるだけ
 ・・・・・・
 俺達はあなた方の丘で死んだ 砂漠で死んだ 俺達はあなた方の谷で死んだ
 草原で死んだ 俺達はあなた方の木の下で死んだ 茂みで死んだ
 河の両岸で同じように死んだのだ

 さよならホワン、さよならロザリータ、アディオス、ミソミーゴス、イエスズ・マリア、、
 ここを出るときにはもう名前がない。ディポーティーズと呼ばれるだけ

 ・・・・・・

 ウディー・ガスリーは民衆の歌い手として、生涯を過ごしたシンガーである。

 そして素晴らしき表現者でもあった。

 この歌をうたうディランとジョーン・バエズの声を聞いていると、

 なんともいえない心揺さぶる響きがある。強さとも迫力ともちがう響き。

 高校時代に初めて僕はこの映像を観たのだが、あまりにも良くて自分のレパートリーにした。

 そして路上でもよく歌った想い出の歌。

 それから30年ほどたち、今一度、このときの映像を観ると、

 その声の響きに惹かれるわけが、なんとなくわかる気がした。

 とんでもなく素晴らしき楽曲はここにもあるのだ。ウディはもう古い人ではあるが。

 そして「私が傑作を描いたときには」の歌が僕の中でリンクした。

 ローマの道は石ころだらけ ああ、コカコーラの国に帰りたい

 '75年のこのツアーライブには、何かのパワーが満ちあふれている。


「100円のイヤホン」'11.5/8

 いつも外歩き用のイヤホンは、ちょっだけ良いものを使っている。

 2000円くらいの。

 いつも基準にしているのは、自分の生ギターの音が同じように聞こえるかということだ。

 やっぱり、2000円くらいイヤホンじゃないとなぁ。

 それでも急に出かけにイヤホンが見つからないときは、途中の100円ショップでイヤホンを買ってゆくことがある。

 100円ですからね。それなりの音しかしませんが、一応ステレオで。

 軽い軽い音も、まあ、一日だけの間に合わせで。

 つい先日も、出かけにイヤホンが見つからず、また100円のイヤホンを持っていった。

 聞いていたのは、自分の生ライブ音源であった。

 ギターの音は、実際の音とは程遠く、薄く軽い音になっていたが、

 よく耳をこらして聞いてみると、これはこれで良い音のギターの音に聞こえてきた。

 1960年代の国産の板の薄いクラシックタイプギターにスチール弦を張ったような音。

 パーンとはじけたような音。これはこれで良い音のギターである。

 歌う声も、なんだかラジオから聞こえてくるような音に聞こえる。

 これはこれで、いい感じだ。

 もう前の話ではあるが、こだわりの音楽好きの友達が100円のイヤホンを使っていて僕は、

 「100円だなんて、、もうちょっと良いのにしなよ。ぜんぜんちがうよ」

 そう言ったものだが、ちょっと反省している。

 小さなラジオで聞く味わいと似ているものね。


「井の頭線」'11.5/6

 先日、久し振りに井の頭線に乗った。

 高円寺からギターを背中に、吉祥寺から乗り換えて。

 井の頭公園駅、三鷹台、久我山、富士見ヶ丘、高井戸、浜田山、、。

 車内はそんなには混んでいなく、

 なんだか、ちょっとフォークの匂いがした。

 フォークといえば、一般的に中央線のイメージが強いが、(ホントか??)

 それはもう昔の話。高円寺には多少、フォークの響きがありますが、

 他はもう、フォークというより、ライブハウスの街であろう。

 高円寺はもっとそうだが。

 そんな高円寺の街から、行ったわけだけれど、

 吉祥寺から乗る井の頭線は、忘れていたフォークの匂いがした。

 窓の外にやわらかい陽光を感じた。

 友達と会い、夜は小さな焼き鳥屋に入った。

 せわしない時間から、そこは少し遠く感じた。


「我が部屋、もうすでに世界中」'11.5/4

 何とか部屋を片付けようと思っているが、

 もういっぱいいっぱいで、スペースがないのが現実だ。

 それでもなんとかしたい。

 しかし、どこから片付けたらいいものか。

 テーブルの上、パソコンの回り、棚のひとつひとつ、

 どれも見ても、まるでひとつの都市のようだ。

 ここは、ただの住所のひとつなのに。

 こまったこまった。

 まるで部屋が、世界中のようだ。

 アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南米、オセアニア、どこだってあります。

 ああ、やんなっちゃうよ。

 片付けという意識ではなく、それぞれの個性を大切にするか。

 グーグルの地図にも載っていませんが、

 ここに世界中があります。


「青木村から来ました。」'11.5/2

 ライブハウスに行き、初めての人を聞くとき、

 どんな声を出すのかと、ひそかに思う。

 それは逆に言えば、自分がステージに立つとき、

 お客さんに、そう思われるということだ。

 どんな声を出そうか。それは声の質や声色のことではない。

 ほんとは、ライブ前にこう言ってみたい。

 「青木村から来ました。」と。

 そういう声を出してみたい。

 歌の声がかすれていたってかまわない。

 堂々と。何も心配せず。歌をうたえばいい。

 杉並区高円寺青木村。


「あんな声を出してみたい」'11.4/30

 ボブ・ディランの'75〜'76年の

 ローリング・サンダー・レビューコンサートの頃に作られた映像を観ている。

 なんと字幕付き。

 どこかの誰かが、もーれつにがんばった。

 このコンサートシリーズで、ディランはあふれるパワーの声と演奏を聴かせてくれている。

 歌い出しがバンドより、少し遅れても、それも歌に感じられる。

 字幕付きで観ていると、その歌詞には、

 歌い出しが遅れるほどの理由があったのてせはないかと思わせる。

 すべてが自然で。

 曲の間に入るブレイクも、自由そのものでいい。

 自由というか、あるがままの「間」なのだな。

 僕もあんな声を出してみたい。真似ではなく。

 あんなバンドの音も出してみたい。ひとつの塊のような。


「子供らの遊びの計画を聞いた」'11.4/28

 先日、外歩きの仕事をしていたら、

 通りかかった子供らの中のひとりが、今日これからの遊びの計画をしっかり立てて、

 それをみんなに伝えていた。細かく。

 それかなんとも可笑しかった。

 たぶん、そういう性格の子供なのであろう。

 しかし、自分の小さかった頃のことを思い出してみれば、

 遊びの計画なんて立てたことがあったか??


「一日の薪」'11.4/26

 一日には、火にくべられる薪の数は決まっているように思う。

 体力のエネルギーに限界があるように。。

 薪のほとんどは、まず仕事で使われてしまう。

 部屋に戻る頃には、一日の薪はもう少ない。

 さて、あなたなら、その薪をどう使うだろうか。

 ドアにお客さんが訪ねてくることがある。

 小さくノックするお客さん。気付かなければ、行ってしまう。

 もしお客さんが来たなら、まず、ある薪は、そのために使おう。

 あなたは、歌を残してくれるから。

 そして残った薪がほんの少しだとしたら、もう眠るしかない。

 柱時計は、今日を回っている。

 一日の薪の数は決まっていて、無限にあるわけではない。

 あれもこれもすることはできない。


「バレリーナの伝説の人になるには」'11.4/24

 郊外のイベントにゆくと、友達のまだ小さな娘さんが、

 駐車場で、同じくらいの女の子に、こんな言葉を何度も続けて言っていた。

 「バレリーナの伝説の人になるにはね、、ここをこうやって、、」

 「バレリーナの伝説の人になるにはね、、そんなんじゃ、、」

 「バレリーナのでんせ・・」

 まるで劇漫画『巨人の星』の主人公、星飛雄馬の幼少時代のスパルタ特訓のような響きがあった。

 しかし、ちょっとちがうのは、この言葉を本人が今、言っているということだ。

 本人がまだ伝説のバレリーナにもなっていないのに、それを友達に語る。

 いや、もうすでに彼女は「バレリーナの伝説の人」なのかもしれない。

 4歳の。

 彼女のバリレーナの伝説の人になるための時間は、たぶん数十分ではなかったか。

 素晴らしき、バレリーナの伝説の人。


「30分の重み」'11.4/22

 この四月から、起きるのが30分早くなった。

 正確には、4時55分から4時25分に目覚ましをセットするようになったのだ。

 もう三週間ほど、30分早く起きる生活をしているが、

 一日の生活バランスが崩れてしまっている。

 たかが30分というけれど、朝の30分は大きい。

 今までは、目覚ましが鳴る直前に起きられるほどに、体がしっかり憶えていた。

 もう10年以上、その時間に起きていたので。

 30分前に鳴る目覚ましの音が、まるで地獄の響きのように思える。

 まるですっきり起きられない。

 そして部屋に帰ってから、眠くて眠くてしかたがなくなった。

 原因は少しわかっている。

 いつも、目覚ましをかけるとき、

 『30分早い』と、思っているからだ。

 それを、越えねばならない。


「じゃっくえりおっとはこなかったけれど」'11.4/20

 2011年4月、アメリカからシンガーのランブリン・ジャック・エリオットが来日するはずであった。

 しかし震災の影響により、その来日は中止されたと発表された。

 3月中にそれはニュースで流れたらしいが、僕が知ったのは、つい最近である。

 今週の日曜に、ジャックに会えるとずっと思っていた。

 知ってのとおり3月11日に東日本大震災があった。津波、それと伴った原発事故。

 それ以降、国内でのコンサートやイベントが中止になり、

 多くの海外ミュージシャンの来日もまた中止・延期となった。

 ミュージシャンだけではなく、海外旅行者も減ったときいている。

 それでも、 きっとジャックは来るだろうと僕は思っていた。

 来日して、力強い歌声を聞かせてくれると思っていた。

 (力強いと言っても、もう80歳のおじいさんだが・・)

 そんなふうに思っていたので、つい先日まで来日中止のニュースを見付けることが出来なかった。

 ジャックはきっと来るだろう、そう思っていたのは、僕の思い込みであった。

 しかし考えてみれば、今回の大震災がどうニュースとして海外に伝わっていたかは、はっきりとわからない。

 噂もあるかもしれない。世界中のいろんな場所に、どんなふうに伝わっていたか。それもはっきりわからない。

 思い込みに近いものが、そこにはあるかもしれない。

 もしかしたらジャックは来たいと言ったが、家族がとめたのかもしれない。

 ほんとのところはわからない。住んでいる場所が違えば、伝わる情報もちがう。

 逆にいえば、それは僕らにも言える。何かを思い込んでいる。

 ジャックは来なかったけれど、心平坦でいよう。

 どんどしんくとぅわいすいっつおーるらいと。

 ・・・・・・・・・・

 P.S....友達より、このエッセイに対してコメントをもらいました。

 最近やっと、アメリカから日本への渡航自粛が解除されたのだとのことです。

 早とちりのエッセイになったかもしれません。すんません。


「ソナタ30・31・32番」'11.4/18

 今回の大震災の後、

 ベートーベンのピアノソナタをいろいろ聴いてみた。

 8番「悲愴」、14番「月光」など、有名なピアノソナタもあるが、

 どれも聞き過ぎているせいもあるが、『今』というものがリアルに感じられなかった。

 それはクラシックというか、スタンダード中のスタンダードの響きがあって、

 『今』を感じるには、耳が慣れすぎてしまっていた。

 もちろん何度聞いても新鮮な発見はあるのだが、、。

 ベートーベンのピアノソナタは32番まであり、

 そのラスト30・31・32番を後期のソナタと呼ばれている。

 今回、いろいろ聞いてみて、複雑な現代の状況のすぐそばに、

 寄り添えるピアノソナタは、やっぱり30・31・32番のような気がした。

 ベートーベンの作品だと知らない人であれば、現代の作品だと思えるだろう。

 僕が驚くのは、そんな作品を200年ほど前に作ったことがすごいと思う。

 200年たっても古くならない音楽を、その最後に作ったベートーベン。

 ベートーベンってほんとにすごいと思う。

 第九交響曲にしてもそうだけれど、未来に寄り添う曲をそのラストによく作ったなぁ。

 ピアノソナタ30・31・32番には、特別の響きがあるように感じられる。

 大きく未来にひらいているようだ。

 そんな楽曲を作ったベートーベンはほんとにすごい。


「限られた時間の中での生活」'11.4/16

 この四月から、仕事場が遠くなり、

 通勤も含めて時間が多くかかるようになった。

 朝4時半に起きて、帰宅は夜9時頃になっている。

 それから二時間ほど、うだうだとして今週は横になってしまった。

 限られた時間の中での生活。

 一日が二時間だなんて、おい、どーするんだ俺。

 今週はあえて、すぐに横になってみた。どんなものかなと思って。

 たとえ一日がそうであったしても、僕は元気だとわかった。

 今まで自転車のような生活だったが、これからはオートバイのような感じかもしれない。

 高校時代、僕も50ccのバイクに乗っていた。

 ほこりだらけ、どろが付いたままで物置にあった、あのバイク。

 久し振りにエンジンをかけてみたら、まだまだ乗れる実感を感じた。

 (実際は乗っていないが・・)

 エンジンは快調だ。。それがわかった。

 まだ長い旅は続きますよ。


「100年の友のように」'11.4/14

 とても古い下町の中華屋に寄った。

 とても古いが、入口ののれんは、とても白い中華屋さん。

 老夫婦がふたりでやっている狭いお店だ。

 そこのカレーライスは、昔ながらのアーモンドの形をしたライスで、

 とても懐かしい。そしてうまい。

 一年に一度くらいかな、その地区に寄るたびに入る。

 本棚に置かれている漫画の単行本は、'70年代初頭のもので、

 もう背が油で黒い。あれは40年間、その本棚にあるだろう。

 最近、テレビは地デジになった。

 椅子もテーブルも古いままだが、カレーライスはうまいよ。

 壁のメニューには、カレーライスだけが赤字になっていて、

 自信の一品であるとわかる。

 おばあさんが、何度も水を入れてくれた。

 昼前なのに、お客は僕だけであった。

 食べ終わり、千円札でお釣りをもらおうとしたら、

 おばあさん、小銭をバラバラと落としてしまった。

 そして扉を開け、外に出ようとすると、厨房の方からおやじさんの声が聞こえた。

 「どうも、ありがとーー!!」と。

 まるでその声は、100年の友にでも言うような響きであった。

 ほんとうに、ほんとうに。それがよくわかった。

 どんな言葉でもいい。その言葉の響きの中に。

 「100年の友」に話すようにすることは出来る。

 僕がただのお客であっても。


「ふるさと電車・東京編」'11.4/12

 この四月から、秋葉原乗り換えで、

 地下鉄日比谷線、南千住まで通っている。

 いままでは総武線で、秋葉原からふたつめの両国であった。

 総武線の高円寺から。

 両国には22年ほど通った。通勤はとても快適であった。

 秋葉原で、日比谷線に乗り換えて、それから、

 仲御徒町、上野、入谷、三ノ輪、南千住となる。

 いままで三駅遠くなったわけだけれど、これがなかなか遠く感じられる。

 今、10日ほど通って、入谷とか三ノ輪とか、妙に耳馴染みがあるなと思ったら、

 僕が上京した1979年の一年間。僕はレコード店の寮のある、

 東陽町から竹の塚まで通っていた。

 東西線、茅場町乗り換えで、日比谷線、北千住まで、それから東武鉄道で竹の塚まで。

 昨日の帰り、そのことを思い出したのだ。

 18歳の頃、ほぼ一年間、僕は日比谷線に乗っていた。

 ひと駅、ひと駅、駅名を追いながら、、。

 ほんとによく憶えている。あの頃のことを。

 新潟から初めて上京した年でもあるし、そのときいろいろあったのだ。

 若い頃のいろいな気持ちを抱えて、一年間ほど通った。

 あれから32年ほどたって、また同じ電車に乗っているなんて、不思議だ。

 いやでいやでたまらなかった日比谷線乗り換えが、少し楽になった。

 32年前の四月、この電車に同じように乗っている僕がいる。

 特に、最初のひと月は、不安な顔をしてこの日比谷線に乗っていた。

 同じ僕が、乗っている。あの一年は特別な一年であった。


「Taylorギター」'11.4/10

 先日、駅前を歩いていたら、ゴスペルを歌うグループがいた。

 ひとりがギターであり、女性5人ほどで歌っていた。

 時間も急いでいたので通り過ぎようとしたら、ギターの音が耳に残った。

 普通に考えたら、まあたぶん国産メーカーのギターであると思えるのだが、その音はまるでちがった。

 なんというか、音の粒立ちがよいというか、キラッとしているというか、さざ波のようであるというか、、。

 僕は戻り、そのギターのメーカーを確認した。それはアメリカの「Taylor」社のギターであった。

 マーチンともギブソンともギルドともちがう。

 Taylor社のギターといえば、ここ30年ほどでぐっとトップに出てきたメーカーである。

 そのサウンドは僕の好みとは合わなくて、通り過ぎてきたギターあった。

 こうして5メートルほど離れて、ギターの音を聞いてみると、何かがちがうのがよくわかる。

 安めの国産のギターの音ではない。あのギターは20万前後の値段であるだろう。

 その音色は、ぐっと心をつかむものがあった。

 いったい何がちがうんだろう。耳に聞こえていながらも、届いている大量の情報がある。

 鳴らしているコードは、どのギターでも一緒であろうに。

 トップに出てくるギターメーカーにはそれなりの理由があるんだな。

 何かちがう。それははっきりとわかった。


「アルバムを作りたい」'11.4/8

 心和らげるのは、やっぱりCDアルバムだなと思う。

 一曲に任せるのは、多少荷が重い。

 アルバムには流れがあり、いろいろな感情の旅をすることが出来る。

 最近は「ランダム選曲機能」というものもあるが、僕はあまりおすすめしない。

 そんなふうに楽しめるとも思うが、、。

 僕はアルバムを作りたい。全曲ギター弾き語りでもかまわない。

 ギターで全曲、ちがう響きを出せばよいのだし。

 聞こえないが、そこに聞こえてくる音というものもあるだろう。

 ライブアルバムだっていいんだ。曲順がしっかりしていれば。

 10曲入りのアルバムなら、それは10人の役者みたいなもの。

 それぞれがそれぞれの味を出し、活躍し、ひとつの流れを作る。

 10曲入の詰め合わせお菓子とも、言えるが。

 僕はアルバムを作るとき、ちゃんと歌の役者をそろえたい。

 今、ふたりほど足りない状態だ。

 そのふたりがそろったらアルバムを作ろうと決めている。


「まず、立ち喰いそば屋」'11.4/6

 何年かぶりに、古い街を訪ねたら、

 駅前が再開発されていて、改札口をまちがえたかと思った。

 街もだんだんと変わるのだな。

 帰りに、立ち喰いそばが食べたくなり、駅の回りを探してみたが、

 立ち喰いそば屋は見つけることはできなかった。

 駅から離れれば、いつもの古い街並があるのに、

 駅前に立ち喰いそば屋がないなんて、大事なものが足りない気がする。

 ・・・・・・・

 今、東北の被災地は根こそぎ津波で町が奪われてしまった。

 これから徐々に復興してゆくと思うのだが、

 まず最初に、立ち喰いそば屋が出来て欲しい。

 ほったて小屋でもよいので。

 はじめに立ち喰いそば屋あり。


「ドラム奏者」'11.4/4

 先日、友達のライブを観に出かけたとき、

 他の出演のバンドで、急遽ドラムを叩いた人を観た。

 30分前に知り合ったのだという。

 目の前に僕は座っていたのだが、どんなドラムを叩くのだろうと思った。

 のびたあご髭を蓄えた彼は、まるでサムライのように見えた。

 彼の叩くドラムは正確なリズムというより、揺れながら進むリズムであった。

 とぎすまされた感覚。一曲の前奏からそろそろとドラムは入ってゆくのだが、

 それ以降は適当なドラムではなく、しっかりとアレンジされたドラムであった。

 他のメンバーの演奏を聴きながら、同時にドラムのアレンジをしてゆくのだが、

 その感覚は、耳と腕の間しか時間の誤差がないであろう。

 それは真剣そのものであった。任された限りは、やってのけるという魂があった。

 曲のエンディングデで、そのドラムの彼はスティックを振り下ろして、

 しめの音を出そうとしていたが、叩こうと思って即座にやめるのを観た。

 曲のエンディングのサウンドをしっかり聞いているから出来たのであろう。

 その彼は、どの曲もちがう感じのドラムを叩いていた。8曲のアレンジもほぼ完璧であった。

 頼まれた限りはしっかりとやってのけたドラムの彼。

 その集中力は、あっぱれであった。


「小さな梅酒がいいんじゃないか」'11.4/2

 避難所では、いろんな物資も来ているはずだと思うが、

 アルコール類はなかなかないのではないか。

 しかし、日頃から晩酌にお酒を飲んできたみなさんも多いであろう。

 ここは日本だが、場所が変わればきっと支援物資にお酒が届けられる国も多いであろう。

 せめて、お酒でもと。

 酔って大きな声を出したりしてしまうのは、あまり好ましくはないと思うが、

 多少のアルコールはこんなとき、気持ちを和らげる効果がかなりあると思う。

 からまった糸をほどくような、、。

 思うに、小さな梅酒がいいんじゃないか。

 健康のためにも。心も体もあたたまるだろう。

「エッセイ・インデックス今日の夜話」へ


「今日の夜話・過去ログ'10年12月〜'11年3月」

「ちょっくら・おん・まい・でいず」の本編に戻る

TOP   Jungle