今、歌を作っているところ。
それはとても小さな歌である。
特に、がんばろうと訴えるような内容にはなっていない。
ほんと普通の歌。
届けたいのは、CDのような形でなく、
食べられる果物のような歌がいい。
何度も何度も食べられる果物やお菓子。
そんな歌がいい。
宅急便で届くような形でなく、
紙飛行機や伝書鳩にも乗せられる歌がいい。
「言葉は戻ってきている」'11.3.29
今、僕の頭の中は歌のことでいっぱいになっている。
震災のあった直後は、言葉さえも失うほどのショックであった。
歌の無力さを感じるほどで、こんなときは演奏の方が伝わると実感した。
そして徐々に、言葉が戻ってきた。
歌もまた、同じように戻ってきた。
僕の中の歌へのベクトルも、かなり強くなってきて、いろんな想いがわきあがって来ている。
どんな歌が出来るのかは、まだ自分にもわからないのだが、
出来るなら、送る歌でないほうがいいなと思っている。
どのみんなも歌える歌にしたい。僕は歌の力を信じている。
でも、無理しても、歌は出来ない。
歌はそこに落ちていて、ひろうようなものかもしれない
そのために僕と心は歩く。歌を見つけたいために。
「わかったのだ」'11.3.27
3月11日の午後3時前のこと、
東京も大きく揺れた。震度5強であったともいう。
僕はアパートの部屋にいたので、すぐに出てみんなと細い路地の真ん中に立った。
近所の猫も一緒にそばにいた。
だんだんと揺れは大きくなり、街全体がごうごうと言い出した。
僕の住んでいるモルタル造りのアパートも、ガダガタと揺れた。
まるでオモチャの家のように。。
電線は揺れ、路地はガガガガと鳴った。
街に巨人でもやって来たのではないかと思えた。怪獣映画の世界がそこにあった。
街がごうごうと揺れて鳴り始めたとき、近所の人たちと僕らは道の真ん中にかたまっていた。
眼鏡のおばさんは「なにこれー!!」と声をあげた。
僕は、日本昔ばなしのような世界を感じていた。今はコンピューターの時代であったとしても、
そんなのは地球には関係がない。その昔もこうして大地震はやって来たのであろう。
街がおもちゃのように揺れたとき、僕はもうだめだと思えた。だんだん揺れは大きくなりそのうち、
地割れがするように思えた。関東にも大地震がとうとう来たのだと。
幸運にも揺れはそこでおさまった。
ニュースを見れば、震源は東北のほうであった。それはそれで大変だ。
関東にもいずれ本当の大地震が来ると言われて久しい。
「わかったのだ」'11.3/27
3月11日の午後3時前のこと、
東京も大きく揺れた。震度5強であったという。
僕はアパート部屋にいて、すぐに出て、みんなと細い路地の真ん中にいた。
近所の猫も一緒にそばにいた。
だんだんと揺れは大きくなり、街全体がごうごうと言い出した。
僕の住んでいるモルタル造りのアパートも、ガダガタと揺れた。
まるでオモチャの家のように。。
電線は揺れ、路地はガガガガと鳴った。
街に巨人でもやって来たのではないかと思えた。怪獣映画の世界がそこにあった。
街がごうごうと揺れて鳴り始めたとき。近所の人たちと僕らは道の真ん中にかたまっていた。
眼鏡のおばさんは「なにこれー!!」と声をあげた。
僕は、日本昔ばなしのような世界を感じていた。今はコンピューターの時代であったとしても、
そんなのは地球には関係がない。その昔もこうして大地震はやって来たのであろう。
街がおもちゃのように揺れたとき、僕はもうだめだと思えた。だんだん揺れは大きくなり、
地割れがするように思えた。関東にも大地震がとうとう来たのだと。
幸運にも揺れはそこでおさまった。
ニュースを見れば、震源は東北のほうであると言う。それはそれで大変だ。
関東にもいずれ本当の大地震が来ると言われて久しい。
「しっかり繋ぎ止めよ、そこにあるリズムを」'11.3/25
いくら映像で、震災の状況が観られるとしても、
やっぱりそれは、テレビ越しのことになってしまう。
応援する気持ちは強いのだが、どこか離れている気持ちは残る。
僕も歌を作ろうと思っているが、東北の歌うたいさんたちにしか、
出来ないことが多くなってくるのではないか。
強い想いとともに、今、がんばっていると思う。
もし、歌を作ろうと思うなら、ひとつお願いがある。
今、感じていること、そのリズムをしっかりと繋ぎ止めて欲しい。
土地の言葉の響きを持つ、歌い手さんたちよ。
いままで聞いてきた歌、自分のレパートリーの歌、
テレビで流れる歌、お兄さん、父さん、友達が聞いている歌、
そのメロディーとリズムを持ってくる前に、始めの一行を書く前に、
次々と起こる事態を身近に感じながら、そのやるせなさを、
わきあがる土地の想いを、しっかり伝わるリズムを探して欲しい。
そのリズムは、かつて書かれた歌のどこにもないはず。
土地の言葉の響きが世界じゅうのどこにもないように。
今、自分の中に流れ感じるリズムを見つけて欲しい。
「若い頃、そして今」'11.3/22
今回の震災は、東京でも大きく揺れたということもあり、
とても身近に感じられた。
他人事ではなく、明日は我が身だなと。
大地震のあった日、路地を若者が大きな笑い声とともに通っていった。
ニュースを観ていないのか、今を楽しんでいるのか。
しかし思い出してみれば、僕だって若い頃は各地で震災があっても、
まるでテレビの中で起こっているような感じであった。
たぶん、今の中学生、高校生たちもそんな感覚の中にいるみんなが多いのではないか。
「明日は我が身」。そんなふうに自分が今、他人事ではないように思えるのは、
この年齢にもなると、いくつもの命びろいのような体験もあり、
そろそろアンラッキーなことも、起こるのではないかと思っている。
若い頃は生命力が強いというか、人生というものがまだまだ未知数のままにあるというか、
漠々ととした生命の大きな流れをいつも感じているのではないか。
もっと小さい頃なら、もっと。
思い出せば、自分自身がそうだった気がする。
そして今は、ほんと自分のことのように感じる。
「タコのボンボン」'11.3/20
この10日、余震も多く、部屋もかなり揺れた。
地震かなと思うとき、すぐにわかるものが、この部屋にはある。
それは、物干しハンガーのクリップ群だ。
ほんのちょっと揺れでも、ハンガーのクリップが微妙に揺れる。
意外なものが、地震にすばやく反応してくれていた。
たぶん、みんなそれぞれに部屋にいて、揺れる何かをすぐに見るようになっているだろう。
新潟県の海沿い、柏崎に実家があり、そのすぐそばに小さな水族館があった。
そこの売店に、たこの頭にパネのついた、揺れるボンボンが売られていた。
足もバネだったような記憶がある。
それを、テレビのある部屋の天井に吊して、実家では地震の揺れを判断していた。
定期的に、そのタコのボンボンを買っていた。
それはただの面白く揺れるタコのぶらさげものだったかもしれないが。
やがて近くの水族館もなくなり、頭にバネのついたタコのボンボンは、
買うことはできなくなった。
あれは良かった。どんな小さな揺れにもタコは反応して揺れた。
実家近くの水族館がなくなってから、40年以上はたった。
あれから僕はずっとタコのボンボンを探している。
部屋の天井にあの赤いタコを下げていたい。
「ノートとペンを」'11.3/17
大津波が来ると聞いて、着の身着のままで家を出た人たちも多いであろう。
財布と携帯電話くらいを持って。
今、避難所にいるみんなは、いろんな物資に困っているとニュースが伝えている。
僕は思うのだが、ひとりひとりにノートとペンはあるだろうか。
食べ物や水はもちろん大事だ。着るものも、そして毛布も。
そして、もし可能であるならば、全員にノートとペンを渡してもらいたい。
そこに書くといい。今日しようと思うことを。
そこに書くといい。何が必要なのかを。
そこに書くといい。生まれてくるアイデアを。
そこに書くといい。忘れたくないものを。
そこに書くといい。明日しようと思うことを。
ここまでのことを。思い出したことを。
今、ないものを、あんまり考え過ぎないように。。
ノートに書いておくといい。ないもののページに。必要なもののページに。
そしたら、気持ちは少しだけ次に進む。
ノートとペン、それは僕らのとても古い友達。
「僕らは笑顔を持っている」'11.3/15
東京でも大きな地震があった翌週の月曜日、
仕事先の事務所に次々と、知っている顔がやって来た。
ひとりひとり、いい顔で。
こんなときに笑顔とはと思うかもしれないが、そこには嬉しさがあるからだ。
つらいのはわかっている。
でも、あなたとわたしと話すとき、そこには距離はない。
「鐘」'11.3/13
今回の地震を、予想できなかったものか。
誰ひとりとして。
そういう地震が来るかもしれないと、それだけでも。
停電となり、津波は来た。
ラジオをつけられた人はどれだけいるのか。
ニュースでは、4Mとか、7Mとか言うけれど、
それがどんな状況になるかは、うまく伝わっていない。
映像で観たが、家が流されるほどなので、
なにもかも置いていかねばならない。
見れば、雪も降っていて足元も悪い。
それでも逃げねばならない。
海岸沿いの町はみんなそうなる可能性がある。
地デジ化を伝えるよりも、もっと大切なこと。
電気もなく、ラジオもなく、それでも、伝わるもの。
それは鐘とかではないか。
「じゃぱんみゅーじっく考」'11.3/11
ここ数日、ずっとブラジル音楽を聴いているのだが、
かなりはまって来た。音に余裕があるんだよね。
大人の響きというのかな。腹がすわっているというか。
ほんとうに落ち着いていて、その余裕の中で、楽しんでいるのがわかる。
それは民族性というところまでかかわってくる響きのようだ。
日本の音楽にはこの余裕さが足りないなと思う。
・・・・・・・・・
以前、ギリシアからイタリアまでの客船に乗ったとき、
三人の日本人の男性の旅行者と知り合った。
イタリアに着く直前、トイレに行ったら、なんとその三人ともトイレに来ていたのだ。
日本人ってそうなんだよね。降りる前にトイレに行っておこうと思う。
どこか心配性というかな。もっとどーんと落ち着いたりできないものか。
たとえば、一国の代表として国際会議に日本人も出てるとしたら、
一見、落ち着いているように見えて、実は、こまかく気を使っているのでないか。
そんな日本人に比べて、諸外国の代表は、心に余裕を持っている人が多いような気がする。
日本人は、落ち着いているふりをしているのが本当のところだろう。
・・・・・・・・
さて、ブラジル音楽の話にまた戻るが、
聞いていると、地にちゃんと足のついた余裕さが感じられる。
こんな余裕さが日本人にないものか。どーんとした落ち着き。
織田信長はそうであったか。徳川家康はそうであったか。
諸外国の代表の中にいても、どーんと落ち着いていられる人。
僕は、日本の音楽の響きの中に足りないものは、
「憎たらしいくらいの余裕の響き」のように思える。
・・・・・・・・・
日本のミュージックシンガーさんたちは、どうなのか。
高田渡さんなんか、そんな響きを出している一人かもしれないな。
僕の音楽なんて、余裕とは、ほど遠いところにある。
まるで落ち着きのない、ワンちゃんのような響きだ。
それはそれで、良いとは思っているのだが。
僕らはもう一度、自分の中に見つけにいかねばならない。
「疲れていても」'11.3/8
昨日は雪の中で作業していたせいもあり、
さすがにヘトヘトになって帰って来た。
遠方の友達より、お茶のような電話もあったが、
今夜は日が悪い。もう眠くて意識がもろろうとしているのだよ。
僕は思うのだが、創作のとき必要なのは、感覚のギター変換である。
どこかにあるメロディーを見つける作業ではなく、
自分の中からフレーズを見つけていかねばならぬ。
たとえて言えば、野球選手と似ているかもしれない。
パッティングも守備も、自分の感覚と直結しているものだろう。
試合がないとしても、練習を一日休めば感覚も一日遠くなる。
どんなに疲れていても、感覚のギター変換の練習はおこたってはいけない。
やっておかないと、メロディをどこかからもらって来てしまう。
「ストローク奏法、憧れ」'11.3/6
中三か高校生のときのこと、
テレビで沢田研二の「時の過ぎゆくままに」のバック (井上堯之バンドの演奏)の中で、
生ギターを弾いている姿を観た。そのギターストロークは、その曲にとても合っていて、
ほんとにかっこよかった。
ジャガジャガと大きくかき鳴らすわけでもなく、それでいて、うねりのあるストロークであった。
生ギターのストロークの響きの良さが、じんじんと伝わってきた。
それを観ていた、中三の青木少年は、ギターのストローク奏法の極みを感じた。
寄せる波のようなギターストローク奏法。
たった一回か二回、テレビで観たそのストローク奏法。
それが僕の中に深く刻まれた。もう35年も前のこと。
・・・・・・・・・・
先日、ライブのサポートで生ギターを弾いた映像を自分で観ていたら、
あることに気がついた。僕の弾く生ギターのストローク奏法が、
まさに「時の過ぎゆくままに」のときに観たときの生ギターの弾き方になっていた。
たぶん一番気持ちの良い音を出しているつもりなのだろう。
僕はまだ、あのとき観たテレビのギター演奏から逃れられないでいる。
ああ、人生の不思議さよ。ストローク奏法、憧れ。
「話からDVDへ」'11.3/4
話しを持っていったのは、半年前であった。
70分のライブをしませんかと。
まず最初に「話し」があった。
それから、イメージが生まれた。
ベースとエレキギターの人と、一緒に演りたいと。
ブルースも歌いたいと。
それから曲を何曲も作り、バンドのメンバーもそろえて、
リハをして、また曲を作り、またリハをして、
70分のライブの曲をそろえ、
そのライブは実現した。
そして今、DVDに焼いているところ。
話は半年かかって、DVDになった。
DVDは半年前は、話であった。
「そういうふうに作られたもの」'11.3/2
先日のライブのとき、リハが終わりBGMがかかったのだが、
その音は、耳馴染みのある音であった。
ちょっと変わっていて、それでいて印象的、音程外れのような楽器の音が
からんでくる女性シンガーのアルバムであった。
さて、どこでこのアルバムを聴いたのだろう。。
そして思い出してみたら、数年前にジャケット買いしたアルバムだったと思い出した。
最近は、ネットでアルバムの試聴も出来るので、ジャケ買いすることもほんとなくなっていた。
そのジャケットは、イラストではあったが、ひとつのトーンがあり、
ばっと見て、かなりひきつけられた。どこかの国のアルバムだとはすぐにわかった。
内容はわからないが、ジャケットを信じて買ってみた。
部屋に帰って聞いてみると、現代風のような、北欧のような、
不思議なサウンドであった。しかし、かなり地味なアルバムにも思えた。
それから数年して、先日またライブハウスで聞いたわけだ。
すると、どうだろう。以前聞いたときは、外れた音のように聞こえていた楽器の音でさえも、
みごとなまでに効果的に使われているのだと知った。
それは、どこにもないようなサウンドであった。地味に感じられた歌の展開も、
それもまた、印象深く耳に残った。(へえーっ、いいアルバムだったんだな)。
結局、あのジャケットの良さそのもののサウンドとアルバムだったと知った。
数年たって、ふいに聞くことが出来て。
思うに、きっとそういうふうにこのアルバムは作られているのではないか。
ふと、気になって振り返って見た人と、
「私のバンダ論」'11.2/28
パンダさんがやって来ましたね。
パンダといえば、あの特徴的な顔の模様である。
目と耳が黒い。他は白。
以前テレビで、パンダが座っている格好を観ていて、気付いた事がある。
それは、まるで「骸骨」のようだということ。
そこで思ったのが、パンダは自分の身を守るために、自ら骸骨の模様になったのではないか。
パンダは、前向きにどかっと座り、じっとしているイメージがある。
通りかかった天敵の動物たちが、その姿をチラッと見て、
(あっ、骸骨だ。行ってもしかたがないし、近寄らない方がいいな)と、判断するのではないか。
「傘がない」'11.2/26
我が家には、一本もまともな傘がない。
いままで買った数知れない傘は、ここにはない。
壊れたというより、置き忘れて来たのであろう。
50年生きてきて、現在、まともな傘が一本もなし。
なんだろうね。この事態。
今、雨の日、駅まで出かけようとしても折れた傘しかない。
それも100円ショップ買ったような数年前のビニール傘だ。
仕事でよく、アパートの家々を訪ねるが、
何十本もビニール傘が玄関にたまっている人もある。
そういう人もまた、悩み多い傘の持ち主かもしれないが、
一本もない人というのも、悩み多い人かもね。
「さあ、もういっぺん」'11.2/24
昨日からまた、古いライブビデオテープのデジタル化を始めた。
以前もやっていたが、三ヶ月ほど休んでしまった。
本当なら、今年の始めには終わっている予定だったのだが、、。
ひと月前に、自分の50歳の誕生日があり、そのときまでにいろいろ終わっているはずだったのに。
それは実現できなかった。部屋の片付けも、ビデオのデジタル化も、ローンの返済も。
期限切れのようになってしまった。
どのことも一年がんばれば、なんとかなると思うのだが。。
それで、一年がんばってみようかなと思う。あきらめないで。
来年の誕生日には、なんとかそれを実現したい。
一年の余裕をもらった。表現はおかしいが、まるで執行猶予の者のように。
「山さん」'11.2.22
二十歳の頃、製版の会社に働いていた。
そこでお世話になったのが「山さん」であった。
三年半、「山さん」の下で何でも教えてもらった。
「山さん」はカーディガンをいつも着ていた。
最初に会ったとき、40歳だったと思うが、とても落ち着いた人であった。
よく怒られもしたが、人生で大切なこともいろいろ教えてくれた。
一眼レフカメラをもらったり、テレビをもらったりもした。
僕は今年で50歳になったが、それよりも10歳も若い、その頃の「山さん」であった。
たぶん、今の僕よりもずっと落ち着いていた。
その会社とは、僕は三年後にやめてしまったが、それからの製版業界は大変であったろう。
たぶん「山さん」も、パソコンに向かようになったのではないか。
あれから30年たっているので、今はもう70歳を越えているだろう。
一度、会って「お世話になりました」と、挨拶をしたいものだが、
たぶんこの先、会えないかもしれないな。
会えないと思うけれど、しっかりと感謝している。
「歴史好き」'11.2.20
最近、いろいろ日本の歴史のことに興味が湧いていて、
ホームページで、よく調べたりしているが、
個人で作っているホームページは、どれも文字だらけで驚いている。
とくに戦国時代が好きな人たちは、、。
見ていてぴっくりするくらいに、文字でびっしりだ。
あれは、だぶん、年齢層の高い人たちが、ホームページを作っているのだろう。
それとも、歴史好きの人たちは、びっしりとした文字が好きなのか。
とにかく非常に見づらい。笑ってしまうくらいに。
たぶん、言いたいことが伝えたいことが、山ほどあるのであろう。
その山ほど、言いたいこと、伝えたいことがある、歴史好きな人たちが、
ホームページを作っているのだろう。
「なぜ買わなかったのだろう」'11.2.18
もうずーと前のことを思い出した。
「ベンソン」というメーカーのベージュ色のバックを気に入って使っていた。
京都に遊びに行ったとき、デパートにて、ベージュ色の同じベンソンバックを見つけて憶えておいた。
その使っていたベンソンバックがだめになって、東京のデパートに行ったら、もうないと言われた。
そこで若かった僕は、友達から余った「青春18きっぷ」をもらって、日帰りで京都のデパートへ向かったのだ。
半年ほど前にベンソンバックを見かけてデパートへ、各駅停車に乗ってはるばると。。
しかし行ってみたけれど、ベンソンバックはもうなかった。
店員さんに問い合わせもらったら、僕の欲しい大きさのベンソンバックが在庫であるという。
しばらくして持って来たくれた、その「ベンソンバック」は、
ベージュ色ではなくて、薄い緑色であった。。せっかくあったのに。
僕は結局、ベージュ色のベンソンバックが見つかったら連絡してくれる約束して、
手ぶらに京都から帰っていった。ほんの2・3時間くらい、京都にいて。。
そのときは、ベー ジュ色にこだわっていたけれど、
今思い出したら、あの薄緑のベンソンバックも良かったなぁと思った。
せっかく京都まで行って、なんとか見つかったベンソンバック。。
僕はなぜ、あの薄緑色のベンソンバックを買わなかったのだろう。
今なら、迷わずに買うのになぁ。
ちがう色が逆に新鮮で良いこともあるって、まだわからなかった。
「遠くの大声」'11.2.16
先日買った、古いライブ盤を聴いていた。
じょるじゅ・むすたきさん。
その中の一曲に、ラテン風の楽曲があり、
そのラストにかすかに聞こえる、バックメンバーの、大きな声が入っていた。
マイクを通さないでの直接ホールに響いていた声であったが、
そのリアルさは、マイクを通した大きな声と、まったく変っていなかった。
考えてみれば、僕らが聞こえてくる声に感じているものは、音量とは関係ないもので、
遠く大声であっても、確実に感じることが出来るであろう。
かすかに耳に聞こえてくるものであっても。
ライブ盤に入っていた、遠くの大声はとても効果的に伝わって来た。
「リフが決まる」'11.2.14
新曲のためのギターリフが、なんとか見つかった。
次はメロディーだ。
僕の場合はいつものように、録音器を回しながら作ってゆく。
だって、せっかくメロディーが出来ても、すぐに忘れてしまうからだ。
これで、どんなメロディーを自分が作っても再生可能。
作ってゆくうちに、だいたいの流れが出来てきて、
ノーマルの感じで、最後まで、とりあえずは出来る。
でもそれは、町で言ったら、本町通りを行くようなもので、
ちょっと面白みにかけてしまう。
そこから寄り道をしに少し路地に入ってみる。
それでも、もちろん目的地には行けるものだ。
いろんな寄り道をしてみる。
あまり本町通りからはなれないように、
「町はずれのうた」'11.2.12
歌にもいろいろあるけれど、
やっぱり口ずさむ歌がいいな。
町はずれにひとりいて、
そこにやって来るワンちゃんのような。
おうおう、おまえもこんなところに来たのだね。
どこかに家にいたのだろうに、、。
それはワンちゃんでなくても良いのだけれど、、。
町はずれにやって来たワンちゃんは、多少は汚れている。
それはしかたのないことだ。それは旅のあかし。
町はずれで出会う歌はそんなふうに、
みんなちょっと汚れているんじゃないかな。
それは僕の持論。
ワンちゃんと会うのは、駅前のマックではない、
ファミレスでもない、部屋の中でもない、なじみの食堂でもない。
「2200年」'11.2.10
秋葉原のホームにて、待ち合わせをしていた。
ベートーベンを聴きながら。
すぐ近くにドリンクの自販機があったのだが、
大きなテレビ画面に、ドリンクが写っていて、それをタッチするという最新式のものであった。
また振り返り、電車の乗り降りをまた見ていた。
200年前のベートーベンを今、聴いているが、200年後の2200年、
まだベートーベンはそのまま残って聴かれているだろう。
それは変わらないとして、人々の生活はどうなっているのだろう。
もしかしたら、みんな電車に乗ったりしていないのではないか。
200年後は。みんな自宅にいて、大きな大画面が部屋にあるのではないか。
待ち合わせで、どこかに出かけることはまずない。みんな大画面で会うのではないか。
ライブも、仕事も、本読みも、音楽も、スポーツも、
みんなその大画面で、済んでしまうのではないか。
どれも同じシンプルな部屋にみんな住んでいるのではないか。
電車も乗り手がなく、赤字になり、なくなってしまっているかもしれない。
空飛ぶマシンが、変わりに飛んでいるかも。。
「ひとつのライブは一曲と似ている」'11.2.8
先日、観たライブは50分ほどであったが、
聴いているうちにひきこまれた。
それまでの人生を感じさせてくれる長い50分であった。
曲と曲の間の話が、それを感じさせてくれた。
ひとつの50分という時間をどう使うか、どう伝えるか、
それは、一曲を創作するときと似ているのではないか。
一曲の中にある、展開。
自分では、充分に伝わっていると思っていても、
意外と途中でストーリーが逃げてしまうこともある。
それは歌の構成が、うまく行っていないことが要因かもしれない。
僕は思うが、一曲はきっと、その人のひとつのライブと似ているのではないか。
一曲をどう構成するかと、ひとつのライブをどう構成するかは、その人の感性とかかわりがある。
一曲がきちんと終わりまで聴かせられる人は、ひとつのライブも聴かせられるであろう。
まじめな話になってしまったが、たとえば、連続ドラマの、どれか一回を観れば、
その連続ドラマ全体のストーリーがしっかりしているかも、わかるだろうという話。
一曲はひとつのライブと似ている。
僕はどんなライブをやっているのだろう。しっかりと歌が伝わっているだろうか。
「寝ちがえ」'11.2.6
十日ほど前に、首を寝ちがえてしまった。
一度、かなり良くなったが、また一昨日くらいに痛めてしまった。
帰りの電車で30分ほど眠ったら、、。
この十日、いろんなことが起こった。
珈琲カップの珈琲を全部こぼす。
ジャケットのボタンを、一日にみっつ取る。
500mmの缶を手から下に落とす。
帰り道、ペットボトルの水を飲んでいて、肩肘を電柱にぶつけて落とす。
トイレに行くのに、部屋のものに常にぶつかる。
こんなんばかりである。
先日、50歳になったので、じわじわとモウロクして来たかなと思ったが、
たぶん、寝ちがえが原因じゃないか。
体の感覚が、首ひとつで変わってくるのだろう。
「人に付箋」'11.2.4
ミニコミの編集作業で、今回、付箋(ふせん)をかなり使った。
600枚くらい。
こんなに付箋を使ったのは、生まれて初めてであるし、
作業にそうとうに役立った。付箋さまさまだ。
もし付箋がなかったら、どんなに大変だったろう。
しかし、付けた付箋は、もう一度外さねばならないのは、しかたのないことだ。
300枚ほど、いっきに外した。
朝、電車に乗り、仕事先のロッカー室で作業着に着替えていたら、
足元に、付箋がハラリと落ちた。家からくっついて来たのであろう。
こういうこともあるだろうなぁ。
人に付箋を付けたりすることも。便利だからね。
いやだな。
電車の後ろの人が、僕の付箋を見つける。
(あら、この人、背中に付箋がついているわ、、)
笑っていいのか、笑えないのか。
「忘れるくらい楽しんで!!」'11.2.2
下町を歩いていると、自転車の後ろに子供を乗せた若いお母さんが、
僕を追い越しながら、こう声をかけていた。
「忘れるくらい楽しんで来て」と。
(えっ、それはどういう意味なんだろう。わかるようでわからないぞ)
ものすごく楽しかったことは、忘れちゃうのかな。
忘れるくらいに楽しいんだな。
当たっているような気がする。
僕もそんな時間を持ちたいな。
「蓄音機の向こう側」'11.1.31
イベントにて、古い蓄音機の音を聴いた。
よくテレビやラジオでも流れるので、その録音は耳馴染みはあった。
バイオリンの演奏、人のボーカル、とても自然に聞こえた。
しかし、アコーディオンなどは、あの針からどうやって出てくるなの だろうと不思議だった。
いろんな音源を聴いたが、ショパンのピアノの楽曲がとても印象的であった。
その音源で、僕らを酔わせるには充分だなと思えた。
時代にはあまり関係なく。
古くから続いている音楽であり、レコードが出来て、それはその途中であり、
現代でも、同じように残っている音楽である。
まるでリレーような、ひとつの音源。
その音源を聴いて、心震えた人たちの気持ちも伝わってくる。
流行に関係なく。
「映画・はだしのゲン」'11.1.29
先日、漫画「はだしのゲン」を実写版で映画化した三部作をDVDにて観た。
知ってのとおり、「はだしのゲン」は、ヒロシマでの被爆、そしてその後の生活の戦いを描いたものだ。
1970年代、僕も漫画でよく読んでいて、印象深く記憶に残っている。
ラッキーなことに近くのDVDレンタル屋さんにそろえられていて、その実写版の映画がやっと観られた。
映画そのものは、'70年代のフィルムという感じであった。現代なら、もっとリアルに表現していたかもしれない。
今回、観て、一番に感じたことは、広島弁のやさしさと強さの響きだった。
僕の生まれは新潟なので、広島弁にそんなになじみがあるわけではないが、
三部作も観ていると、かなり広島弁が自然に感じられた。
「ゆくんじゃあ〜」「「〜せえよ」「わしゃあ」「〜じゃのう」「じゃったかいねー」「ええけ」「〜してつかあさい」etc、、。
映画全体のストーリーの流れも含めて、僕にはそれが広島弁の響きのように感じられた。
その土地で起こった出来事は、いつも土地の言葉とともにある。
てこを底から押し上げるのは、やっぱり土地の言葉なのではないか。
「そんなふうに書いたっていいんだよ」'11.1.27
江戸時代よりも前の女性の書いた書状を見た。
それは感情のままのように、筆をやわらかく滑らしていて、、
一枚の絵のようでもあった。
男たちの手紙はほとんど、ほぼ同じ大きさの文字で書かれているが、
女性の残した手紙きなんとも優雅であることか。
文字に大きさというものがない。
手紙を書くということは、感情を伝えることだったのかもしれない。
それとも筆の流れに沿っていくと文字が大きくなったり小さくなったりするのか。
そんな文化があったのになぁ。現代ではすっかり消えてしまった。
そんなふうに書いたっていいのになぁ。
「それはたましいとかよばれるもので」'11.1.25
友達のことを想うとき、長いつきあいになると、
いつのことを想えばいいのかなと思う。つい最近の事を思い浮かべればいいのか。
30年前も今も、そんなに変わらない印象がある。
ただ少し容姿が変わっただけで。
つまり、現在からまた30年前に戻る旅でも、同じなのだ。
あまりそんなふうにはおもったこともなかったのだが、
ひとのうちがわにはたましいとやらがあるのではないかとおもう。
そのたのしいとやらにはきっとねんれいとかないのではないか。
「カタログ希望」'11.1.23
中学の頃、フォークギターブームがあり、
僕はギターメーカーに次々と「カタログ希望」と葉書に書いて送った。
1974年頃かな。楽器屋さんでもらえたカタログもあった。
新潟の柏崎にいた少年は、葉書一枚をギターメーカーに送った。
すると10日もしないうちに、ギターカタログが送られてきた。
その頃、葉書は一枚、25円くらいだったか?
葉書一枚でカタログが送られてくるなんて、素晴らしいかったな。
夢のようにカタログを見たものだ。ギター雑誌にもあまり載っていないメーカーも。
「好きこそカタログよく憶える」とはよく言ったもので、
カタログに書いてあることはほぼ全部憶えた。材利から値段から飾りまで。
たぶん学校でカタログテストでもあったら98点とっていただろう。
その頃、世の中が不思議だった。
葉書一枚で、わざわざカタログを送ってきてくれるなんて。
「50代」'11.1.21
ああ、なんと僕も50歳になった。信じられないことよ。
昨日は、40代最後の日であった。
一日の何をしても、40代最後。夕御飯を食べても、お風呂に行っても。
昨日は、12時近くに銭湯に行っていた。
湯船につかり、しみじみとしていた。もうすぐ50歳になってしまうのだよ。
すると想像もしていないことがそこにあるのがわかった。
今日と明日では10歳もちがうようだ。意外と、差があるな。
銭湯からの冷えた帰り道、夜道のライトがしみじみと光っているのが見えた。
街灯なんて、ゆっくりと見たこともなかったけれど、
夜道を照らしてなんとも、いとしいものであった。日中はめだたないけれど。
僕の50代は、あの夜道のライトのようになりたいな。
「夜明け前に出かける人」'11.1.19
冬になると、夜明け前に出かけることが多くなる。
それはそれでとても良いものである。
いつも歩いている住宅街の路地ではあるが、
僕にはなんだか、昭和40年頃までの街のように見えてきてしまう。
夜明け前に出かける人は、古い街を歩く。
小さい頃、夜中にこっそり外に出てみると、木造の家々がそこに並んでいた。
今でも、夜明け前の街は、そのままなのではないかなと思ってしまう。
だんだんと夜が明けてくれば、それと違うとはっきりとわかる。
なぜだろう。夜明け前の街が、古く思えるのは。
いや、古い街なのではない。昭和の頃の当時の街なのだ。
夜明け前の街を行く人はたぶん今も昔も変わらない。
「よく鳴るスペース」'11.1.17
小さなライブスペースでリハをしたが、
ギターがとても良い音で鳴っていた。
音響セットも何もなかったのだが、、。
そのギターは部屋でずっと弾いているので、もともとの音をよく知っている。
しかしそのスペースで弾くと、じゃらーんとひと弾きしただけで、音のふくらみがちがうのがわかる。
壁の反響音などでそう聞こえるのだろう。ぴっくりするくらいによい音なのだ。
それはもともとの音を知っているからで、知らないままで、
もしこんなスペースでギター選びをしたならば、すっかりかんちがいをしてしまうだろう。
部屋の残響音抜きで、そのギターの音を聴くのはまずできない。
それは幸せなこと。おもうぞんぶんそれを楽しむべきだ。
音の良く聞こえるスペースでは、話し声でさえも、いい響きになっているであろう。
「A面のラスト」'11.1.15
僕らが失った最大なもの。それは、、
A面のラストと、B面の一曲目かもしれない。
先日もLP時代の作品がCDになったものを聴いたが、
レコード時代のA面のラストにあたる曲が、実にみごとにはまっていた。
それはレコードのタイトル曲でもあった。
レコードのタイトル曲は、現在ならCDの一曲目に来ることは多い。
しかし、そのLPではA面のラストがとても似合っていた。
コンサートなどで言えば、第一部のラストの曲という感じか。
人生で言えば、30代の終わりくらいか。
まだ体力もばっちりある頃。パワーも満ちていて、まだまだこれからを予感させる頃。
腕の力こぶを作らなくても、自然に勢いが出ている頃。
それは、聴いている側にも言えることで、A面のラストの頃はまだまだ耳は疲れていない。
LPレコードの頃のA面のラストは、素晴らしいスペースであった。
次を予感させる、しばしの別れ。
手にコンサートや芝居のチケットにぎったままで、休憩所でするひと休み。
じーんと、一部の終わりの余韻を、耳と目に残して。
A面のラストは、相撲で言えば関脇の頃のようだ。
「冬の耳」'11.1.13
冬でも外歩きの仕事をているが、
なんと言っても耳をあたためるのが良い。
ニットの帽子でもいいし、耳あてでもいい。
それでかなり寒さの感じ方が違う。たぶん脳にも近いからであろう。
僕の部屋は今、暖房をつけていないが、
昨夜なんかは、布団で寝ていても、耳が冷たいなと実感した。
そうだよ。布団から顔が出ているじゃないか。
この部屋はすきま風もあったりしてどんどん冷えるんだよね。
・・やっぱり耳あてがいるかな。
いままでそんなこと考えたこともなかったけれど、
「古い録音を聴く」'11.1.11
友達に、古い音源のオーケストラ演奏が良いよと勧められた。
それを信じてわくわくして音源を買ってみたが、古い音源はやっぱり古い音源であった。
それは単に僕の耳が、オーケストラの良い音源を聞き分ける力不足なのだけれど。
今日の帰りは、ピアノの古い音源を電車で聴いてきた。
ピアノならば、なんとか古い音源であっても、その音の響きの良さが多少はわかるようである。
それでも、僕の耳はまだまだだなぁ。
もしこれがギターの音だったなら、古い音源であっても、かなり良いところまで聞き分ける自信がある。
モノラル音源であっても、安いテープレコーダーの録音であっても。
ギターの弾き語りの音源であったなら、目の前で弾いているかのように、頭の中で再現できるのになぁ。
友達はきっと、古いオーケストラの音源を聴いても、目の前で演奏しているように再現出来るのであろう。
「サビの効用」'11.1.9
何回かしか聴いたことのない歌でも、
サビの部分は耳に残っていて、つい歌ってしまうことがある。
途中の歌詞は、ところどころしか記憶にないのに、
サビに自然につながって、まるでちゃんと一曲を歌っているような気分にもなる。
サビって素晴らしいな。映画や本ではこうはいかないかもしれない。
もしかしたら、サビこそが、歌そのものなのかもしれない。
サビまでは、気分や言葉での流れで、そこから感情が盛り上がって、サビで、つい口に出て歌ってしまうもの。
一曲の構成としてサビがしっかりしている歌は、それまでをあやふやに憶えていても、一曲の良さが生まれる。
サビを持っている「歌」って素晴らしいよ。そこには何か大きなパワーがある。
サビの持っている効用は無限大かもしれない。
もしかして、生きることの本質があるのではないか。
つい先日も、あの一曲のサビの部分を、何度も繰り返して口ずさんでいた。幸せだったなぁ。
久しく忘れていたような感覚。まだまだ、僕は歌人間なんだと実感した。
「定位置」'11.1.7
外仕事には、いつも自転車で出かけている。
行く場所場所で、どこかに自転車をとめるのだが、
なかなかとめる場所も見つからなくなった。
あっちにもこっちにもというわけにはいかず、同じ場所にとめることがほとんど。
トイレに行ったり、食事に行ったりしても、また同じ場所に自転車は戻ってくる。
小さい頃、トンボが同じ場所に戻り、止まるのを、よく待っていた。
近くの川の同じ場所に鮠(はや)が、そっと留まっているのを見た。
まるでそのことと似ていた。
街は広いのに、同じ場所に戻ってくる。
「雑種の犬のいなくなった風景」'11.1.5
最近は、東京では雑種の犬をあまり見なくなりましたね。
地方に行くと、まだそうでもないのかもしれないのですが。。
小さい頃からワンちゃんを何度か飼ったことがあるけれど、
みんな、ひろったりやって来た犬で雑種であった。
犬は犬小屋にいた。夜もよく吠えた。
ペットも家族の一員と言いますね。
今は、本当に家族のように家の中で暮らしているワンちゃんも多い。
ふわふわの毛並み。暖房のある部屋でそれをなでる生活もあるだろう。
ソファーかなんかに座り。ワンちゃんのいる幸せの時間。
僕なんか自分のことを実は犬なんじゃないかなと思っていて、
そうだとしたら雑種にまちがいないであろう。
人のようにはきっと暮らさない。冬は寒いし夏は暑い。
し あ わ せ っ て な ん な ん だ
僕にもよくわかりませんが、、。
歌の響きのことを考える。なんだか自分にとってしっくりこない歌がある。
そのへんの要因は、ワンちゃんに関係しているのではないか。
「一年の始まり」'11.1.3
一月二日、昨夜は新宿に出かけて、
プレイガイドで映画のチケットの購入、そして座席の予約もしてきた。
新年早々の新宿はもう人でいっぱいであった。
夜7時45分頃に着いて、チケットプレイガイドにまず寄るのだが、
さて、今日やっているかどうか。それも8時までやっているかどうか。
そしてチケットがまだあるかどうかもわからない。
場所もうろおぼえであった。
何とかプレイガイドにたどり着き、チケットは買えた。今度は映画館へ向かった。
映画館のある場所もうろ憶えであった。
もう席もいっぱいではないかという噂もあったので、さてたどり着いても席があるかどうか。
それもわからないが、とりあえず向かった。なんとか着いて、席の予約も無事出来た。
なんともあたふたとした45分であったが、なんとなく一年の始まりを感じた。
今年はきっとこんな感じで進むのではないかな。
のんびりゆっくり過ごすのは来年以降かもしれない。
今年のゼンマイを巻いてみた。そしてブリキのロボットは動いた。
「うたもの」'11.1.1
新年になりました。
昨年は、べートーベンに出会えたことが、一番の収穫であった。
そして昨年はほとんどはクラシックばかりで、歌もののアルバムを聴くことが少なかった。
ベートーベン熱も、ひととおり落ち着いて来たので、
今年は、また歌もののアルバムを聴いていくことになりそうな予感がする。
うたもの。
いろんな日本の歌があり、聴くぶんには聴けるのだけれど、
実際に、その歌を口ずさんでゆくとなると、かなり限られてくる。
でも、それでいいじゃないか。好きな歌をうたう。それでいい。
誰かが、その歌がいいよ、いいよって、確信的に言ってくれたとしても、
それぞれが鼻歌のように口ずさむかは、まったくの別だろう。
気がつけば、僕はほとんど自分の歌を口ずさんでいる。
それはそれで自然な流れであるだろう。
「昨夜観た風景」'10.12/30
高円寺にて、昨夜は恒例の年末ライブがあった。
その帰り、もう午前1時近くであったが、友達がストアーに寄っているときに、
店の前で待っていると、通りの向こうから、ほろ酔いの人たちが次々とやって来るのが見えた。
まあ、僕らもそうではあるのだが。。
そのみんなの顔がみんな、なんとも嬉しそうであった。
こんな時間に外を歩いているなんて、年末の飲み会の帰りがほとんどなのかな。
やって来る人、やって来る人、みんな嬉しそう。
仕事帰りの人の姿ではない。普通だったら半々くらいの人の数だろうが、
昨夜は、みんな飲み会の帰り、幸せそうな、こんな夜道を見た。
お祭りの帰りのような。
「定期券」'10.12/28
来年からかなり生活が厳しくなる予定なのだが、
この二ヶ月ほどよく食べ、体重もそのぶん増えた。
こんなことで、節約生活が出来るのかと自分でも思うけれど、まあ、最初はこんなものでしょう。
だって、そうならざるえないのだから。
以前、友達と一緒に自転車でちらっとでかけたとき、
「こんなに自転車の運転がへたな人、見たことないわ」と、言われたことがある。
そう言われても、日々、仕事で自転車に乗って、もう20年なんだけどなぁ。
自転車乗りに関しては、まあ、自分では心配してはいない。どんな混んでる歩道でもすいすいと行きますよ。
なんとか泳いでゆくように。
そんなふうに来年になったなら、僕は自分の実力のすべてでなんとか状況を泳いでいかないといけない。
創作だって、いっそう頑張る予定だ。そうでないと自分がやっていけない。
そう言う状況が来るのは確実なことはわかっている。僕は徹夜をするときは、まず眠るタイプだ。
今、持っている定期券は、偶然にも12月31日で切れてしまう。
新年の仕事始めには、もちろん新しい定期券は買うのだが。
12月31日までの定期券。その定期が切れるまでは、まあ今のままでいよう。
「脳のスイッチ」'10.12/26
目覚まし時計なしでも、朝5時ぴったりに起きたが、
今朝はもう二時間ぐっすりと眠った。
めまいのような睡魔がやってきたのだ。
ときどきあるこんな睡魔。これがやってきたら、一時間でも二時間でも30分でも眠る。
寝不足の睡魔とはちがうのはわかる。脳が何かしたいのだ。
起きてみると、気分がすっきりとしていた。なんだかちがう。
脳のスイッチでも切り替えたのかな。
強力に眠くなるときって、不思議に自宅で、そこに布団がある。
眠る用意がばっちりだ。予定もない。
「ゴスペル」'10.12/24
昨日、古い喫茶店を訪ねたとき、ジャズ風の外国の女性ボーカルのアルバムがかかっていた。
何気なく聞いていたが急に曲調が変わり、耳なじみの良い'60年代フォーク調の歌になった。
とっても良く知っているような歌であったが、それは思い出せない。
思い出せないが、とてもシンプルで、なおかつ言葉の響きが優れているのは十分に感じられた。
カウンターの横にCDが飾られてあったので、見てみると「ニーナ・シモン」であった。
アルバムジャケットをおぼえて、帰り、新宿にて同じアルバムを手に入れた。
部屋にて歌詞を観てみると、フォーク曲というより、ゴスペルに近い内容であった。
それにしても僕はこの曲をよく知っているのだが、どこで聞いたのだろう。
黒人霊歌を聴いた記憶を辿り辿ってゆくと、僕が東京に出てきて、何枚目かにかったレコードが、
マリアン・アンダースンの黒人霊歌集。調べてみると、そのアルバムに入っていたのだ。
「 He's Got The Whole World In His Hands」
ニーナ・シモンの方は、もうちょっとリズムがしっかり感じられるが、曲の印象としたらほぼ同じ感じだ。
なんとか訳して年末に歌えたらと思ったが、完全なゴスペルソングで、あきらめてしまった。
あきらめてしまったが、遠い日に、魂にその歌が触れていたのがよくわかった。
30年ほど前、よくこの歌を口ずさんでいたのだ。
ゴスペル。それは歌詞の内容だけじゃないんだな。
「かなしい音がしている」'10.12/22
今、まだ夜、5時半前、外は大雨が降っている。
ばさばさばさと、窓のひさしが雨に鳴っている。
その音はほんとかなしく心に響く。
外仕事をしているので、雨については人一倍身に沁みている。
思い出してみれば、23歳のときに神田市場にバイトで入って以来、
仕事は変わってもずっと外仕事なので、約25年は外仕事している。
雨の日はカッパを着て。
いつも雨に負けまいと頑張っているのだけれど、
実は、雨に負けっぱなし。心はくじけっぱなし。
泣きたくなって、あきらめるのだ。
この25年、部屋の仕事をしたことがない。
「名前はロボット」'10.12/20
今朝のニュースで、中国に、
日本の有名なキャラクターとほぼ同じような大きなロボットが出現したという。
これは似ているのではないかという質問に、現地の人はこう答えていた。
「このキャラクターの名前は『ロボット』です」と。
なるほど。そう言うことはありえる。
たとえばギターだって、バイオリンだった、ある程度の形は決まっていて、
それをオリジナルとは、誰も主張はしないであろう。
ある程度、完成された形であるからだ。
日本のそのキャラクターだって、ほぼ完成された形でないとは言えないであろう。
それを『ロボット』と呼ぶならば。
僕らだって『人間』というほぽ完成されたキャラクター。
それを自分のオリジナルとは主張しないであろう。
日本人の顔がみな同じに見える人たちもいるという。
それが似ているからって、真似とは言えないかもしれない。
もし、その日本のキャラクターロボットが、ストーリーの中で唯一無二の存在であったなら、、
それはひとつの完成された形であると言えるのだ。
「聞こえない音」'10.12/18
最近、音の不思議な現象を感じている。
先日も、ライブを録音した音源を聞いていたら、とてもギターがよく鳴っていたことがわかった。
「ギルド」というメーカーなのだけれど、とても「ギルド」らしい音で入っていた。
演奏中にはまったく気が付かなかった。恥ずかしながら。
先日も友達のリハを録音した音源を聞いたら、とてもよい残響音が入ったけれど、
それはリハのときにはわからなかった。こんなことがとても多くなった。
どうしてだろう。耳も老化してきたのかな。
でも思えることは、ほぼ聞こえないようなそんな残響音が、
その音の良さにつながっているようだということ。
最初のときには、聞こえない音。それが良い音になって伝わっている。
ほんとかな、ほんとのようだな。
「音源」'10.12/16
先日、ベテランのシンガーソングライターのライブを観に出かけた。
日本の古いシンガー。もうおじいさんのようであった。
立ってはまたどかっと座り、弾き語りで歌ってくれた。
その人のライブを観るのは初めてであった。
実に淡々としていて、トークもほとんどなく、ライブは進んでいった。
そのライブを耳を澄ましてちゃんと歌詞もメロディーもしっかりと聞いた。
録音器も持っていたので、とりあえず録音もしながら。
ほんとのことを言って、ライブ中はピンと来なかった。
もっともっと、声量豊かなライブをイメージしていたからだ。
次の日、録音していた音源を電車で聞いていると、まるでレコードのような音源になっていることびっくりした。
ライブを観ていたときは気付かなかったが、声の表情がとても豊かであった。
もっとびっくりしたことは、そのままレコードになっていてもいいと思うほど、しっかり歌っていたことだ。
僕のライブなんて、とてもそのままレコードになるグレードではない。
たぶん感情が入りすぎていて、、。
しかし、どうして、音源のように聞こえなかったのだろう。それが謎だ。
「素晴らしい絵を次々と描いたが」'10.12/14
雨の昨日、外仕事は本当に疲れてしまった。
帰りにはもうふらふらであった。
電車では幸運にも座れたが、すぐに半眠り状態になった。
きゅーんと世界が縮まる感じがして、自分が大きく感じられた。
すると、午前中に見た印象的なイラストのポスター浮かんできて、
それから色が変化していった。見る見る形も変わり、
名作みたいな一枚になった。それは細部まではっきりと見えた。
それからまたその絵は変化して、次の名作の絵に変化した。
それも細部まではっきりと見えた。そして四枚ほど、素晴らしい絵を描いた。
それを描いたと言っていいのかはわからないが、、。
もし僕に実際の絵を描く力があったら、あのまま絵にするのに。
一晩眠ったら、ほぼ忘れてしまった。
歌もそんなふうに聞こえてこないかな。
歌だったら、なんとか形になると思うが、さて憶えていられるかが問題だ。
「夢を語れ」'10.12/12
高円寺の商店街で、また恒例の歳末福引きがある。
今年はなかなか景品が充実しているようだ。
一等は、32型シャープの液晶テレビ(ブルーレイ付き)が、3本であった。
これはすごい。今、流行のipodまで、当たる。
僕は高円寺に住んでいるので、買い物もするし、福引きもする可能性も大きい。
そして当たるかもしれない。
僕は液晶テレビも、携帯音楽プレーヤーも持っているので、
そのどちらかが当たっても友達にあげようと思う。
可能性は低いかもしれないが、言葉にはできる。
「福引きで、ブルーレイ付きの32型液晶テレビが当たったら、あげるね」
「福引きで、ipod が当たったら、あげるね」
「えっ、ほんと?」
まあ、こんな会話がきっとあるだろう。
当たるか当たらないかは確率の問題だが、なんだかあげたような気持ちにもなる。
相手ももらったような気持ちになるのではないか。
先日も友達に「映画の招待券に応募したから、当たったら一緒に行こう」と、誘われた。
友川かずきの映画ね。当たるか当たらないかは確率の問題だが、
こういうお誘いも味がある。嘘ではないからね。
「フォーク百科事典」'10.12/10
フォーク百科辞典がある。
その辞典には、フォークのいろいろなことが書いてある。
途中のページからは、日本のフォークの歴史が、、。写真入り。
その百科事典は、1978年までのことが書かれてある。
まあ、架空の本ですが、、。
その本の中の文字のひとつひとつが人の数となり、
ライブハウスの椅子を埋める。
その百科事典は完成されていて、ページは増えていない。
「新・フォーク百科事典」も出そうかという話しもあるようすだが、
いつ出ることやら。。
高校時代、僕はそのページに憧れた。憧れてみたけれど、
完成された本は、当時のままである。
もし、僕らがその本に入っていたら、体がしびれて、動けなくなったであろう。
「たいがいはこんな感じ」'10.12/8
節約生活に入ろうとは思っているが、なかなか始められない。
よし、と心を決める前にも、少しぜいたくを思ってしまう。
昨日は、そんなにお腹もすいていなかったが、仕事中に立ち喰いそば屋に入ってしまった。
こんなぜいたくは最後にするぞと。。
そば屋さんに入ると、ガラスケースの中にトッピングがいろいろ入っていた。
そのひとつに赤い衣のかき揚げのものがあり、とてもとても美味しそうであった。
大量に作ってあったので人気のものなのであろう。
ガラスケースの中、そのかき揚げの前に「ごぼう」と貼り紙があり、
僕は「ごぼう」と、注文をした。
なんだか最期の立ち喰いそばにはぴったりの満足できるトッピングであった。
そして、出てきたのは、その赤いかき揚げとは似ても似つかぬ、ごろんとした揚げ物であった。
(あれっ??)
そうだよ。これが「ごぼう」のトッピングだよ。うぅうぅうぅ・・。
では、あのかき揚げはなんなんだ。「ごぼう」の後ろにあったじゃないか。
たぶん、しょうがのかき揚げか、、。なんだよ、、もう、ほんとがっかりだ。
たしかに「ごぼう」と言って「ごぼう」が出てきたわけだけれど、、
ガラスケースを指差して言ったのだから、気付いてくれよ・・。
まあ、あのかき揚げは。ごぼうには見えないけどね。
最期の立ち喰いそばのつもりだったのにな。
でも、たいがいはこんな感じ。ラストはずっこけが多い。
「うたがおぼえられない」'10.12/6
今度、沖縄の音楽の少しサポートすることになった。
そのうちの一曲はほんの数行ではあるが、一緒に唄うことになった。
音源ももらってあり、何度も聴いているが、これがおぼえられない。
沖縄の言葉もそうだが、メロディーも把握できない。
ちょっと前のライブでも、友達の唄を憶えるのが意外と大変であった。
俺どうしちゃったの??
中学・高校時代、あれだけ曲を憶えたのに。
もう曲を憶えるメモリーがいっぱいなのか。
そのメモリーには、今全部ベートーベンが入っているのか。
うたがおぼえられない。。なさけないほど。
普通の唄でみそうんのだから、沖縄の唄はもっと。
ふだんから、沖縄の唄に親しんでいたら、こんなには苦労しないだろう。
「世界で一番つかいづらいポケット」'10.12/4
12月になって、ダウンジャケットもちょうどいい季節になった。
今着ているのは、ダウンドャケット風のダウンジャケット。
値段は2980円。それでもあったかいのが不思議。
ポケットの中によく手を入れていたせいもあるのだが、
片方が穴があいてしまっている。
先日、買った飴をなめようと思い、右ポケットに手を入れてみたら、
その飴はとれない。さわってみると、右ポケットの下に入っていたのだ。
左ポケットの穴からぐるりとジャケットの中を回り。
その飴のかたまりを取ろうと思ったが、もちろんジャケットの中を、
反対のポケットまで移動させねばならなかった。
ひじょうに使いづらいポケットだ。たぶん世界で一番。
ぐるりと回って、その飴は取れた。とるまでに時間がかかった。
こんなポケットがあってもいいな。
「縦に少し長い波長の形」'10.12/2
先日、弾き語りのライブを観に行ったら、
詩にシンプルなギターコードを乗せて、唄っているのを観た。
とてもなつかしい響き。
それはメロディーというか、言葉をギターにのせて語り唄っているというか。
こういう表現方法もあったなぁと思い出した。それはすっかりと忘れていた。
歌詞をメロディーに乗せて唄っているんだなぁ。
創作のとき、僕はそんなふうに思うことはほとんどない。
やっぱり歌詞のフレーズとメロディーはひとつでなくちゃと思っている。
形でいうと、回るコマのような、糸巻きの糸の棒のような、それは縦に少し長い波長の形。
メロディーについている歌詞は空間の中で、唄うときはもう立体になっている。
と、いつも意識している。
こんにゃくが、箱から押し出されるようにではなく、
空中に浮かぶ立体としてのフレーズを口から出しているのだ。
それは回るコマのような、糸巻きの糸の棒のような、それは縦に少し長い波長の形。