青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'07.11〜'08.2月

「歌詞ノートの中で」'08.2/28

 久し振りに唄う歌がある。

 ずっと歌詞ノートの中で、唄われるのを待っていたのかなと思う。

 それらの歌には、唄い方や、ギター演奏がそれぞれに付いていて、

 それは、その歌の持っている財産のような気がしたのだ。

 歌詞ノートの中で、あまり唄われない歌は、自分のことを語るとき、

 その事細かな、演奏を友達の歌詞に語るだろう。

 「ほんとだよ。ほんとうだって、すごいんだから」

 久し振りに歌う唄がある。

 演奏と歌い方。それは唄の財産。

 歌詞ノートの歌詞の、ひとつの誇り。



「とても忙しくなると」'08.2/26

 これからの一週間、いろいろとやることがある。

 ほんとに、それはできるのか? きっとできると思うのだけれど。。

 僕はこんなとき、まず一冊のノートを買うことにしている。

 ノートには、一日ごとにやることを書き、用意するものを書き出す。

 実現は不可能だが、分刻みのスケジュールを書く。

 なんとか、すべてできるように、予定だけは立てる。

 いままで、こうやっとノートを作ってやってきたし、

 今回もまず、ノートを用意した。

 いつかのときも、ノートを用意した。

 すると、たいがいは何とかなる。

 ノートには、魔法がある。

 そしてあと、三色ボールペンね。



「電器敷毛布」'08.2/24

 高校時代から、僕は電器毛布を愛用している。

 新潟の冬はさすがに寒く、小さい頃は「あんか」であった。

 電器毛布は冬の夜を、あたためてくれる。

 まあ、のどが乾くという別の面もあるが・・。

 高校時代から使っていたナショナル製の電器毛布は、ほんとに長持ちした。

 それが壊れてからが、電気毛布の旅が始まってしまう。。

 二年おきくらいに、必ず反応しなくなってしまうのだ。

 まあ、一番安いものを買っているせいもあるのだが。。

 昨年の冬に電器毛布が反応しなくなっていたので、この冬のはじめに買いにでかけた。

 もちろん電器掛毛布を買うつもりでいたが、電器敷毛布はとてもとても安かったのだ。

 4割くらい安かったかな。

 (まあ、敷毛布でもいいかな・・)

 僕は人生初、電器敷毛布を買ってみた。これが、けっこう小さいんだよね。

 僕は結局、敷毛布としては使用せず、掛毛布として使ってしまう。

 ひとりの大人が使うには、まるで小さい。

 失敗すると、体ごと毛布からはずれてしまう。

 そんなことが、もう4ヶ月くらい続いている。

 「それは、掛毛布として使っているからだよ!!」と、ご批判もあろう。

 1500円くらい安かった電器敷毛布。なぜ、僕はその1500円が惜しかったのか。。

 教訓は身にしみて、充分によくわかりました。



「美味しいもの」'08.2/22

 外仕事中、昼に中華屋に入る。ここのレバニラ定食は最高にうまい。

 790円と、少し値段は高めなのだけどね。

 しかし、最高にうまい。もやしの最後の一本までうまい。

 僕の人生の中で食べたレバニラ定食の中でも一番うまい。

 そんなに美味しい食事は、すでに790円の値段を超えている。

 財布の中身は、給料日も近いので余裕はまったくない。

 本当なら、節約値段の昼食となるところだが、それだって450円くらいする。

 この少ない財布の中身で、790円を昼食に使うことは、財布的には常識に反するが、

 この先の5日間の僕の魂には、強いエールをくれる。

 このレバニラ定食は、無限大の価値を持っている。

 人生の幸せをくれる。一瞬ではあるが、空高く舞い上がるようだ。

 僕はこの気持ちをパワーにして、残りの5日間を乗り切るだろう。

 僕はきっと、たぶんきっと、お金の使い方をまちがっていない。



「雪玉」'08.2/20

 小さい頃、中学、高校と僕は雪国にいた。

 冬、学校の帰り道、飛んで来たのは雪玉。

 アノラックやコートにすっぽりと帽子をかぶり、ぶあつい手袋にそして長靴。

 背中に飛んでくる雪の玉はバスンと鈍い音がする。誰かがぶつけたのだ。

 着ぶくれているので、振り向くにも精一杯だ。

 「誰だよーっ」

 そして、こちらも雪玉を作り、相手に投げる。

 怒りの理由は簡単だ。

 それは雪玉をぶつけられたられだ。

 雪玉をぶつけるのは、仲良しでなければいけない。

 そうでないと、大変なことになる。

 雪のあまり降らない地域では、雪玉の替わりは何になるだろう?

 雪玉はシンプルだ。大人もどんどんとすればいいのに。 
 



「時間です」'08.2/18                                       

 僕の使っている留守番電話は、目覚まし時計替わりにもなっている。

 「あと30分です」「あと20分です」「あと10分です」、そしてセットした時刻になると、

 「時間です。時間です。時間です。時間です。・・・・」と繰り返すのだ。

 セットは6時になっているのだが、「6時です」とは言わない。

 たしかに、僕の留守番電話には、時刻担当の一人の女性が住んでいる。

 一日に一度は、自分の存在を伝えているのかな。

 それにしても、僕らは「そろそろ時間だよ」とか、「時間が来た」と常日頃使っている。

 「時間が来た」と「お客さんか来た」とは言い方が似ている。

 コンコンと扉を叩く者あり。「どなた?」「時間です」

 時間というのは、変幻自在の百面相なのだ。きな画像で見ると感動も大きいのかもしれないが、

 写真は手帖サイズであっても、それで良いような気がしてくる。

 カメラは逆に小さくはなっている。

 もし大きな写真が大きなカメラで撮れることだったのなら、カメラの雰囲気も変わっているだろう。

 ほとんどのカメラは手のひらの中におさまっている。そこからパチリと撮る。

 ポスター写真などは「はーい、撮りますよー!!」と、言って撮るのだろう。

 そっと撮る写真がある。それはやっぱり、そっと存在しているのが似合っているのかもしれない。

 ビデオカメラは、連続のシーンであるが、写真は一瞬である。

 そこにある撮った人の一瞬のこころ。

 それは、ポスターサイズになることは思っていないだろう。

 写真はL版くらいがいい。手紙の封筒に入るくらいがいい。  




        

「キンカン素人民謡名人戦」'08.2/16

 今はテレビで、民謡番組をあまりみ見かけなくなった。

 土曜日だったかな、テレビをつけるあたりまえのように、テレビで民謡番組をやっていた。

 「キンカン素人民謡名人戦」だ。

 データによれば、1961年から1993年まで放送されていたという。 

 ということは、僕が生まれたときからやっていたのだ。

 「飛び入りコーナー」とか、「ゲストコーナー」とか、なかなか充実していた。

 各地の民謡も聞けたし、歌のうまさのちがいも実感できた。

 素人が歌うのも含めて、最高じゃなかったか。

 たしかにマンネリだったかもしれないが、そういう次元ではなかった。

 僕は実家にいた1979年までずっと見ていたので、18年も見ていたのか。

 そのわりには、曲をほとんど憶えていないが。。

 僕も年齢的にも、これからというときになったが、もう「キンカン素人民謡名人戦」はやっていない。

 そういえば「大相撲ダイジェスト」もなくなった。

 民謡はテレビでやらなくなっても、その土地土地で歌い継がれていけば、良いのだけれど、

 それではさびしい。

 1961年から1993年まではあった民謡番組。僕らはそれをなくして、まだ15年だ。

 朝7時からでもいい。民謡番組は復活しないものか。

 でももしかしてNHKでは、今もやっているのかな?



「夢のギター屋」'08.2/14

 4時に起きる予定であったが、結局また眠ってしまった。

 そして夢を見た。

 それは関西の通り沿いにある、中古の楽器屋さん。店内には段ボール箱があふれている。

 20代後半と思われる、髪の長い店員さんがいた。

 若者がギターを買った持って店から出てきた。ギターケースのチャックが壊れていて、ギターが見えている。

 ボデイはヤマハなのに、ベッドが違うギター。(あれー、あんなの見たことないよー)

 店内をごぞごそと進んでゆくと、ピンク色でボデイの薄い12弦ギターがあった。とても小さい。

 ふつうならばチューニングが狂うはずであるが、なぜか完璧だ。

 僕は店内にあるギターを見て回った。まだ修理途中のギター。見たこともないメーカーのギター。

 ことこまかに、見てゆくと、段ボールに埋まった向こうのショーウインドウの中に隠れたギターがあることがわかった。

 そのギターには見覚えがある。いつか夢で訪れたギター屋にあった中古のギター数々だった。

 そのときもリアルでびっくりした夢だった。

 僕は思った。(あの夢で見た中古楽器屋が改装したのだな・・)と。

 夢の中でオープンしている中古楽器屋さん。前回に寄ったのは、もう一年以上前だった。

 再会する売れ残ったギターたち。

 これらのギターは、次に売れているだろうか。。商売はうまくゆくだろうか。

 また、夢で訪ねるときを楽しみにしている。



「ミスター高円寺」'08.2/12

 ミスター高円寺は、また手を振って行ってしまった。

 この連休にミスター高円寺は、ほんと何年か振りでやって来たのだ。

 突然に決めて。

 懐かしい店々を回り、限られた何回かの食事を好きだった店に振り分け、

 高円寺をあびるように、楽しんでいった。

 ある一軒の中華屋に寄ったとき、彼はおじいさんになったオヤジさんを「マスター」と呼んだ。

 「はいよ」と、マスターと呼ばれたおやじさんは返事をした。

 一軒のとんかつ屋に寄ったときは、何年振りかであったので、彼は憶えていないだろうと声をかけなかった。

 しかし帰り際に「元気にしとったかね」と、マスターは声をかけた。

 彼は言う「マスターは唐津の生まれまんですよ。それにしても俺のことよく憶えていたなぁ。まあ、俺は印象的だからなぁ・・」

 ミスター高円寺は、高円寺のことを最高だっていう。

 好きな食堂には、二回ずつ寄っていった。

 「元気にしとったかね」

 高円寺はそう声をかける。

 「必ず戻ってきすよ」

 ミスター高円寺は、そしてそう答える。



「21才の頃」'08.2/10

 21才頃の歌詞ノートを見ていた。

 1ページに2曲ずつ、歌詞だけが書いてある。

 自分の歌の他に、ウディ・ガスリーの歌、ボブ・ディランの歌、アメリカンフォークトラッド、

 日本のフォーク、友達の歌、演歌、他

 数えてみたら、360曲はあった。ストリートをやってたので、それらの歌は、くまなく歌っていた。

 360曲というのは一部で、それまで聴いてきた日本のフォークの歌のレパートリーを合わせれば、

 歌えた歌は500曲は軽くすぎていただろう。いやもっとだ。

 外国の歌も多く訳していたし。

 今、これらの歌の中で、 レパートリーして残ったのは10曲もないかな。。

 その頃って、すごい吸収力があったんだなと思う。

 それもギターコードなんて書いてないものね。

 でも歌は、ただ普通に歌えるという程度のレベルのもの。

 そして、それからちょっとすると、それらの歌を全部、レパートリーから消すことになってしまう。

 一曲、二曲、三曲と、自分なりのオリジナルSONGを作っていった。

 あれから、ずいぶんとまたレパートリーは増えたけれど、その容量は同じような気がする。

 テープを巻き戻してゆくと、その頃の僕が出てくる。



「面会」'08.2/8

 ライブの近くなると、いつもやる曲を決める。

 そのとき、自分の歌本を開くのだが、そこには作った年代順に歌がファイルされている。

 僕は丁寧に1ページ1ページ開いてゆき、ちらちらっとギターで弾きながら、唄いたい歌を出してゆく。

 そのとき、前回のライブでの曲は、ファイルに戻してはいない。

 どの歌を選ぶかは、自分でもわからない。ひらいたファイルの歌とひとつひとつに問い合わせてみる。

 ときには、歌に呼ばれたりもする。

 必ず、ファイルの全曲の歌詞ノートをひらいて確認する。

 それはそんなに時間はかからない。30分もあればできる。

 ライブをするとき、僕は必ずレパートリー全曲と面会する。

 あの曲、この曲と、まずは何も決めない。

 面会して、決める。それが基本。

 唄わない歌とも、必ず会う。

 もし自分が歌だったら、やっぱりそうしてもらいたいから、

 ね。



「鼻歌を唄う動物」'08.2/6

 外仕事をしていると、冬はさすがに寒い。

 ついつい鼻歌をともに、外を歩いてしまう。

 そんな僕のそばを学校帰りのまだ小さな女の子が、鼻歌を歌いながら通っていった。

 人はみんな鼻歌をうたう動物なのかな。僕もまた鼻歌歴は長い。この道、ウン十年だ。

 みなそれぞれにカバンを持っているように、みなそれぞれに鼻歌を持っているのだろう。

 人類の歴史のどのくらいまで、さかのぼれるだろう。

 たぶん一生、人は鼻歌を歌っているのはないか。

 今年の手帖というものがいつも発売されているけれど、

 「本日の鼻歌」を書けるスペースがあるといいな。

 まじめにそう思う。



「朝青龍に学ぶ」'08.2/4

 先日、スタジオに入ってギターを弾いてみたが、どうも様子がちがう。

 毎日毎日ギターを弾いていれば、そんなことはないのだが、

 練習不足のため、感覚が戻ってこない。

 ここで思い出すのが、大相撲での「朝青龍」の話。

 いろいろあって二場所休場したあとのこと、解説の人もみなしきりに

 「すもうのカン」という言葉を使った。

 二日目に一敗したときも、「すもうのカン」という言葉が何度も使われた。

 実際は、そのあと勝ち続けたので、そんなに影響はなかったのかもしれないが、

 万全だと思われたいた朝青龍に使われた「すもうのカン」。

 僕もある程度はギターが弾けるけれど、練習不足だと「カン」が戻ってこない。

 おもうようにはギターが弾けない。それなりに弾いてはいるが、何かがちがう。

 それを朝青龍と比べるのは大いに無理があるが、つい比べてしまう。

 「ギターのカン」。日々、弾いていないと、それはつかめないものだ。



「ウインドウ」'08.2/2

 駅からの帰り道、ちょっと入ったところに中古楽器屋がある。

 そこで見つけたギルドF-47のギター。

 多くのギターが並ぶ中、表板がとても焼けていて、良い音で鳴りそうだった。

 その頃、僕は経済的にも、そのギターを買うだけの余裕はなかった。

 僕はほぼ毎日、そのギターを店先まで見にいった。

 今日もあるかなと思いながら。。そうやって、ひと月、ふた月、三月。

 やがて半年。そしてもっと。。

 ギルドF-47は売れないで、そこに飾られていた。

 結局は、僕はそのギターを20回ローンで買ってしまう。

 あと数ヶ月で、買って二年になる。もうローンも払い終えたであろう。

 ギターを買ってからは、一週間に一度くらいしか、中古楽器はのぞかなくなった。

 しかし、二年前はほぼ毎日、ギルドギターに会いにいっていたのだ。

 あの約10ヶ月間の帰り道。

 買って二年もたつと、ギターの音も慣れてしまった。

 あの買ったときの感動も思い出せないくらいだ。

 それが悔しくてしかたがない。僕はぜったいに忘れるものかと思う。

 忘れるはずがないのに。



「デジタル文化と立ち蕎麦」'08.1/31

 僕の毎日の日課は今、一日一枚ずつCD-RやDVDを作るを事になっていて、

 アナログ記録のデジタル変換化に苦労している。デジタルは実にやっかい。

 今日も一日、デジタル文化とつきかう予定であった。

 そんな今朝は朝食に、立ち食い蕎麦を食べに出かけた。

 立ち食い蕎麦を食べながら、僕は立ち食い蕎麦の歴史を思っていた。

 今でいうファーストフードとかいう次元ではなく、もってもっと古いものがあるのは知っている。

 夜鷹そば、夜泣きそば、屋台をひいて夜をゆく蕎麦屋。

 もちろん、みんな立って食べていたであろう。立ち食い蕎麦の歴史は長い。

 今は、江戸時代ではないし、夜鷹そばの頃のことは僕自身もまるで知らない。

 しかし、僕の心はなんの躊躇もなく、江戸時代に飛んでしまう。

 立ち蕎麦を食べながら。。

 江戸時代はいったい、どのくらい前なんだ?

 僕の中では時間の感覚が、100年ひと昔くらいなのかな。

 僕は江戸時代のことを、つい昨日のように考える。

 かと言って、100年先のことを明日のようには考えない。

 100年先はものすごく遠い。とんでもない未来だ。

 まあ、それはいいとして、僕はバランスがとれていると思っている。

 デジタル文化批判もしない。良い面はたっぷりだ。

 何かを残そうとした気持ち、それは今も昔も同じだろう。

 同じ同じなんだよ。



「メロディー」'08.1/29

 ここ肝心という旅立ちのときでさえ、きっと僕はあたふたと忘れ物を取りに帰ってゆくだろう。

 駅の改札口では、ポケットというポケットを、ごそごそと切符探しをし、

 知らない街で降りては、マップを見ながらでも、また道に迷ってしまう。

 旅先の自販機では、ボタンを押した後で、しっぱいしたと後悔して、

 せっかく訪ねた先は、本日休みだったりするのだ。。

 だいたい僕はこんなふうな時間に住んでいる。

 冬にギターを弾くときは、指先のあかぎれの痛みにちくしょうと言い、

 カップラーメンのお湯を沸かせば、少し足りなくて、くそーっと思う。

 集中してテレビのシーンを見ていれば、電話が鳴り、

 銭湯に行くと、100円玉と50円玉をまちがえて、部屋に戻ってきたりする。

 たいがいはそんな時間の連続。

 ・・・・・・・

 僕には、いかにもというメロディーのようには、どうもできない。

 マイウエイのような時でさえも、きっと虫歯が痛んでいるだろう。

 僕には、ずっこけチックなメロディーの方が似合っている。

 人生って不思議だ。どんなときも、何か忘れ物をしている。

 その忘れ物の方が、ときに人生だったりするのだ。

 鼻水をたらし、わんわんと泣くだろう。

 しかしそんなときにも、忘れ物がある。それでいい。

 そんなメロディーを、僕は唄いたい。



「手袋をなくす理由」'08.1/27

 一月も終わりになりかなり東京も寒くなった。

 手袋をする人も多くなったのか、道に手袋が落ちているのを毎日見ている。

 そういう僕も小さい頃から、よく手袋を落としてきた。

 つい先日もなくしそうになってしまった。

 手袋というものは落としやすいものベスト1なのではないかと思う。

 まず、手袋片方外すことがあるということが、原因のひとつであろう。

 財布のチャックをあけるとき、切符を買うとき。。

 その外した片方の手袋は、手を使うので、どこかにしまわなければならない。

 ポケットの中か、それとも、使わない方の脇のところか。

 片方の手袋で手袋を持つとこともあるだろう。

 これがいけない。だいたい手袋をしている時点で、手の感覚の上にひとつかぶっているわけで、

 その上にまた手袋を持つなんて、実感がないであろう。

 またポケットの中に手袋をふたつ入れることもあるだろう。

 これもまた無理がある。ポケットの中にふたつ手袋を入れるともう、いっぱいになるであろう。

 弾力で、ひとつが道に落ちてしまう可能性は大だ。

 そして、手袋をなくす最大の理由がある。

 それは道に落ちても、音がしないということだ。これではわからない。

 「あれ?」っということになってしまう。手袋をなくす理由は山ほどある。

 駅に手袋ボックスを作ってはどうだろう。

 街でひろった片方の手袋を入れておくのだ。かなりの確率で見つかり大活躍するだろう。

 地球環境のためにも、ぜひ設置して欲しい。



「一杯のかけそば」
'08.1/25

 仕事帰り、その日はたまたま財布の中にほとんどお金がなかった。

 まあ部屋に帰ればあるのだけれど。。部屋は遠い。お腹はペコペコ。

 駅前まで来て、一番安い食べ物は何かなと思う。

 (かけそばか・・)

 でも今、かけそばっていくらなんだろう。

 とりあえず財布とポケットの中をほじくると、100円玉一枚に、50円玉が三枚、10円玉は一枚はある。

 店の前まで来て、メニューをのぞきこんでみた。

 (うわっ、かけそば270円だ)

 あと10円か、、5円玉2枚ならあるけれど、それを出すのはちょっと・・。

 僕はがんばって、くまなくすべてのポケット、かばんの中を探した。

 10円玉はあった。これで270円はそろった。やった。

 扉を開け、僕は言う。「かけそば下さい」と。。

 「一杯のかけそば」という短編小説が、一時期話題になった。

 内容はあまり知らないのだが、タイトルは、あまりに印象的だ。

 そしてなんだか、そこにある物語はさびしそうだ。

 やがてかけそばは出てきて、僕は細かいお金で払う。

 お金はあり、「ラッキーかけそば」のはずなのだが、その光景はさびしそうだ。

 僕はさびしくなんかないぞ。

 「一杯のかけそば」は、イメージが強烈だ。「シンプルそば」とかにしてもいいな。

 食べおえて外に出た。おいしかった。それでいいじゃないか。

 電車に乗り、部屋に帰り、僕は財布を見た。

 千円札が入っていた。



「手袋のひも」'08.1/23

 冬になった。

 ここ数日、手袋をしている。やっぱり手袋はあったかいね。

 しかし、手袋はなくしやすい。

 外したり、付けたりしているうちに、道に落ちてしまうのだ。

 昨日も道に落ちている手袋を見た。

 そして僕は思い出した。新潟の実家にいた頃の事。

 それも小さな頃。

 手袋には、長いひもが付いていて、それを袖から袖へ通していたのだ。

 アノラックの中を通してね。ひもは母ちゃんがつけてくれた。

 そうでもしないと、すぐに手袋はなくしてしまうからだ。

 ポケットに入れたつもりが片方しかない手袋。

 家じゅうを探しても、見つからない片方の手袋。

 また、なくしたと怒られる予感。

 小さい頃は、手袋どうしをひもで結んだ。

 あれからすでに35年ほどたっているけれど、さて、それは今も続いているか?

 雪国の子供たちの手袋はつながっているか。



「あなたの選ぶレコード大賞」
'08.1/21

 先日のエッセイで、みなそれぞれにレコード大賞を選んだら良いと書いた。

 今はインターネットも普及しているので、ある程度は実現可能であろう。

 各自、サイトに投票できれば、それで大丈夫だ。

 その年に自分にとってのレコード大賞だと思う歌を投票するのだ。

 投票された歌は、もちろん全曲、レコード大賞。

 投票は簡単。アーティストと曲名を投票するだけだ。

 検索機能がついていて、アーティスト名を入力すれば、投票された曲名が出てくる。

 投票された人もあるだろうし、ない人もいるだろう。

 それはあまり気にしないで。軽い気持ちでね。応援の気持ちもかねて。

 投票は、パソコンの使える人に頼んでもいい。家族みくなで投票しよう。

 そんなサイトが出来ないかなぁ。



「レコード大賞」'08.1/19

 年明けになったが、こんなことも書いてみよう。

 「レコード大賞」といえば、大晦日の定番のテレビ番組である。

 最優秀新人賞・歌唱賞・レコード大賞と決まってゆく。

 しかしよく考えてみると、日本に住んでいる人は、みな趣味もちがうし、

 音楽の好きずきも、千差万別だ。

 「レコード大賞」のテレビを観ている人にも、みなそれぞれに音楽の一年があり、

 一人一人で、最優秀新人賞・歌唱賞・レコード大賞を決めていいんじゃないかな。

 と、思う。

 大晦日は、ケーキと小さな花束を買ってきて、家族で「レコード大賞」をするのがいい。

 今年の一曲には、ケーキと花束を。

 選考委員は、もちろん自分。

 この一年、世界で流れていた音楽。それはこの耳のまわりの音楽。

 そして、よく口ずさんだ歌。

 大晦日、家族はみな、「レコード大賞」をそれぞれに決める。

 「タカコー、もう今年のレコード大賞は決めたのー?」

 そんな会話が響く大晦日があっていい。



「歌のタイトル」'08.1/17

 最近はライブテープを作るとき、タイトルを入れるようにしている。

 すると、タイトルがわからないことが多く出くる。

 歌のタイトルを言わないで、ライブを進める人のときはとくにね。

 それは、ライブの進め方だし、まったく問題はなし。

 普通に街で流れている音楽はタイトルはわからない。

 もしかしたら、歌のタイトルって、イントロかもしれない。

 ただ、どの歌にも、タイトルがあるのは本当だ。

 人によっては、ずっとライブではタイトルを伝えていないので、

 聞く側もタイトルはわからないという事もある。

 そんな場合は「あの歌」というしかない。

 それとも各自、それぞれに自分なりのタイトルをつけるしかない。

 いつの日かレコードになる日が来る日まで、そのタイトルは伝わらない。

 僕の場合はほとんどライブのとき、歌のタイトルを伝えている。

 ついつい言ってしまう。

 ライブテープをよく作っている友達も、タイトルをかならず伝えている。

 これってきっと、歌のタイトルがわからないで困った経験から来ているのかなと思う。

 だって、タイトルがわからないと、いろいろと困るものね。

 ついつい言ってしまう。



「なくなる」'08.1/15

 ここ一年に多かったこと。

 それは、ぜったいあると思っているものが見つからないということ。

 昨日だって、オーディオの接続コードが見つからなくなった。

 いままで5本くらいは買ったはずのその種類の接続コード。

 なぜ一本もないのか、、、??

 ぜったいに作ったはずのCD-Rの音源も見つからないことがある。

 これは、誰かにあげた可能性もある。。

 どうしても必要な場合は、探し続けなければならない。

 ほんとにそれはあるのか?

 探すためについやす長い時間。

 ほんとにそれはあるのか。

 結局、見つからないことも多い。

 これは困ったものだ。

 「なくなる」とは、これから長いつきあいになりそうだ。



「珈琲を飲まないと眠れない」
'08.1/13

 昨日、友達と夜遅く銭湯に行った。

 その帰りにお茶を買おうということになり、僕は自販機で緑茶を買った。

 友達は言う。「寝る前に緑茶を飲むと、眠れなくならない?」

 「ああ、、そうか、、まあ、大丈夫だけど・・」と、答えた。。

 そうなんだよね。僕は今まで、カフェインのことは考えたことがなかった。

 小さいころから、寝る前に珈琲を飲むと、眠れなくなるとよく言われたけれど、あまり気にしなかった。

 僕は部屋でお酒はあまり飲まないので、寝る前には、いつも珈琲を入れて、ひと息ついていた。

 そして布団に入れば、パタンQ。

 逆に珈琲を飲まないと、眠れないくらいだ。

 まあ、でも確かに眠気ざましにも珈琲を飲むので、カフェイン効果はあるのだろうね。

 僕の場合は珈琲は「ひと息効果」だ。眠る前の珈琲は「お酒」替わりかな。

 目をつぶれば、すぐに眠りの大波が来て、もう朝まで熟睡。

 珈琲・緑茶は、眠りの小波には効果があるのかもしれない。



「翻訳サービス業」
'08.1/11

 インターネットの動画 サイトを見ていて思ったことがある。

 やっぱり、英語の歌は字幕で日本語が出ているとわかりやすいし、いいなぁと思う。

 そんなふうに、日本語の歌に英語の字幕がついていれば、世界中の人が歌詞を楽しめるだろう。

 そして世界中で歌い出せると思えるのだ。

 ぜひ、それは実現して欲しい僕の願いだ。

 本当はCDアルバムにも、英訳をつけて欲しい気持ちもある。

 歌はやっぱり世界中の人が聞いて、歌い出す方がいい。

 そのためには、歌詞を英語にしなくてはいけないけれど、さて、それが僕らはなかなか難しい。

 もっと簡単に英語に訳してもらえるシステムはないものかと思う。

 一曲の歌詞の英語訳。今、相場はいくらかかるのかは、僕にはわからないが、またまだ高いのではないかと思う。

 また動画に英語訳をつける技術も難しい。

 それを何とか、安い値段でやってもらえるサービスはないだろうか。

 すべて合わせて、一曲1500円くらいで。

 英語に訳すのは、自宅アルバイトでやりたい人も多いだろうと思う。

 漫才にしても、落語にしても、なんでも世界に紹介したい気持ちの人は多いだろう。

 翻訳サービス業は、まだ大手がないのではないか、巨大なビジネスチャンスではないか。



「江戸は本当にあったのか」'08.1/9

 2008年。平成20年。正月。近くのお寺に初詣に行った。

 お寺の外の屋根のある廊下には、江戸に書かれた大きな絵が何枚もかけられていた。

 ガラスもなく、そのままで。

 この場所には誰でも普通に入れるだろうし、

 100年以上、いたずら書きもなく、かけられていたのは、ある意味奇跡にも近いだろう。

 江戸は、明治の前、そして約300年間あった。

 その絵がかけられたとき、お寺の回りは江戸の街であったのだ。

 それから徐々に変わり、今は2008年。

 何も変わらずのそこに残った絵と、変わってしまった街並み。

 初詣からの帰り道、僕はビルの囲まれている街並みを眺めてみた。

 江戸の人たちが見たら、とても驚くだろうと。

 江戸はほんとにあったのか。

 今の時代にやって来た、昔人もそう言うであろう。

 絵は残った。街は残らなかった。



「ボージャングルの川」'08.1/7

 ここ数日、「ミスター・ボージャングルス」の歌のことで自分が盛り上がっている。

 「ミスター・ボージャングルス」のオリジナルはジェリー・ジェフ・ウォーカーの作品であるが、多くの人に歌われている。

 ニューオリンズの監獄で知り合うタップダンサーの旅芸人のおじいさんを歌った歌。

 僕は高校時代にボブ・ディランの歌うテイクを聞き、訳詞を参考にして、自分のレパートリーとした。

 日本語で歌いたかったし、僕もミスター・ボージャングルスを歌う一人になりたかったのだ。

 東京に出てきてストリートで歌うようになり、その度にミスター・ボージャングルスを歌った。

 その5分間の中にあるストーリーを、何度も何度も。

 やがて、ライブハウスで歌う先輩が歌うミスター・ボージャングルスも聞いた。

 その先輩も毎回ライブで、ミスター・ボージャングルスを歌っていた。リパートリー仲間であった。

 歌った数だけ、聞いた人もいるはずで、初めて、この歌の内容を知った人も多いだろう。

 僕がストリートで歌い続けていたときに、聞いた人もいるだろう。

 思い返してみると、ミスター・ボージャングルスの歌は、もう、ひとつの川になっているような気がするのだ。

 一曲が作り出した、ひとつの川。

 その川は、いまもずっと流れ続けている。

 僕は、この歌に出会って本当に良かった。ひとつの川になった歌に会えたこと。

 いつか、僕も川になるような歌を作りたい。



「レコードジャケット」
'08.1/4

 紙で出来たレコードジャケット。

 それはなんとも、部屋の空気になじんでいた。

 夏の日、冬の日。

 一枚の絵のように壁に飾ることもあった。

 しかし今は、プラスチックのCDケースにジャケットは入ってしまった。

 ジャケットは紙であっても、手触りはプラスチックケースだ。

 レコードジャケットに比べて、どこか温もりにかける。

 それはさびしいことだ。

 CDケースはプラスチックで良いのだけれど、

 あたたかみのあるプラスチックにならないものか、、。



「僕も知らない旅が」
'08.1/2

 部屋でメインで弾いているギターが僕には三本ある。

 三本ともセカンドハンドで買ったギターであり、僕のところに来る前にそこに旅があったわけだ。

 ヤマハFG-180には、21年の旅

 ギルドF-47には、34年の旅

 ギブソンB-25には、30年の旅。

 それぞれの旅は、それぞれのギターの味になっている。僕の知らないそれぞれのギターの旅。

 どんな歌を歌ってきたのか。どんな歌が得意だったのか。

 それは、僕の目に見えないもの。

 ギターに手を伸ばし、そして弾き出すとき、僕の足りない心にギターを力を貸してくれるのだ。

 それは、それぞれのギターの見えない旅の力。それぞれの旅の響き。

 ほんのかすかに返ってくるエコー。



「フィンガーピッキング健康法」'07.12/31

 2007年も今日で終わろうとしている。

 今年もいろいろあった。そしてお世話になったものも多い。

 感謝している人が多いのはもちろんだけれど、やっぱりギターには、たいへんお世話になった。

 ギターの楽しみには、いろいろあるけれど、僕を助けてくれたものは、フィンガーピッキングだったと思う。

 フィンガーピッキングは、指の健康法だと思う。それは、心も含めた体の健康法だ。

 ギターでのフィンガーピッキングは、僕自身の意志で動いているというより、指の意思で動いていると思える。

 かゆいところに手が届くという言葉があるけれど、指は、音のツボに指を届かせているのだ。

 そこがとても気持ち良い。美しい。

 そうなのだ。僕の生活、そして僕自身の中に、美しいと思えるものは、ほとんどないのだけれど、

 フィンガーピッキングだけは、僕の中で美しいものなのだ。

 バランスがとれた最善のもの。

 フィンガーピッキング健康法。それはピアノでも同じなのかな。



「朝いちニュース」'07.12/29

 冬の夜明け前、新聞配達の人がアパートの階段を登ってゆく。

 まだ僕は起きていなくて、テレビのニュースも見ていない。

 テレビ文化そしてラジオがまだ一般的でなかった頃は、ニュースは新聞が運んで来たのであろう。

 そんな新聞配達やテレビ・ラジオの朝いちニュースの歴史は長い。

 それは僕が生まれたときからそうであり、当たり前のようになっている。

 しかし、考えてみると、人以外の動物たち、生き物たちは、新聞・ラジオ・テレビは朝いちにはない。

 起きたとき、最初のニュースは、やっぱり自分の事や自分の体のことであったろう。

 体が自分たちに教えてくれるニュースこそ、一番大事であろう。

 日本中・世界中で起こっているニュースよりも先に。。

 体のニュースを受け取って、僕らはそれに答えてゆくだろう。

 新聞よりもそれは先に届いている。



「ある種の職業の人の記憶」'07.12/27

 商店街に新しい店が出来ると、前にあった店がなかなか思い出せない。

 マンションが建ったりすると、そこにあった多くの店も記憶も消えてしまう。

 今、僕は外仕事をしていて、なくなった店や場所に関して、かなり明細に思い出すことができる。

 どのくらいリアルに思い出せるかというと、そこに建物があっていて、回りの景色や空、そこに転がっていたいろんなもの。

 そこにいた人、時間、距離、隣の家との景色。。。

 それを思い出すためには、住所と名義だけのデータを見るだけでいいのだ。

 どうしてこんなに、良く記憶されているのかと思う。それも、15年くらい前の話だ。

 そこにはもう、新しいマンションや家が建っているのだけれど、僕の記憶の中には、以前の光景がはっきりと残っている。

 巨大な高級マンションが出来るとき、僕は、そこが更地になり、工事が進んでゆく課程のこともよく憶えている。

 それどころか、その以前、そこにあった家の景色や、雑然とした感じや、細かいことも記憶している。

 その高級マンションに人が住み始めて、よく仕事で会ったりもすると、僕はまるで、どこかの新人の坊やのようでもある。

 記憶って不思議なもので、そこに新しい建物が出来たりすると思い出せなくなってしまうものだと思う。

 それがある種の職業の人は、かなり細かくずっと憶えているものなのだ。

 いつか記憶がDVDに焼ける日がくるならすばらしいのにな。




「変な動物」'07.12/25

 僕はアパートの一階に住んでいる。

 道路側に小さな庭があるのだけれど、ドア前に荷物があって、外に出るのが容易ではない。

 もし出るのならば、椅子を乗り越えて行かなくてはいけない。そこには物干し台がある。

 それも昨年、大家さんが窓際の台を撤去してしまったので、物干し台の下の平石に乗るしかない。

 布団を干すときや、洗濯ハンガーを干すときなどは、一苦労だ。

 僕は洗濯ハンガー片手に椅子を乗り越え、窓のところから庭の石に乗る。

 体のバランスをとりながら、物干し台にハンガーをかける。

 よろける前にまた窓のところに戻ってくる。これが布団となるともって大変だ。

 道路側から見ている人には、何をやっていると思えるだろう。

 まるで変な動物だ。

 ほら、窓から出てくるよ。




「IN TO THE MUSIC」'07.12/23

 年末になり、いろんな音楽番組をテレビでもやっている。

 みんなプロであり、歌の演出として、いろんな振り付け表現をしている。

 しかしよく見ると、ボーカルの歌い表現と、バックメンバーの体表現とは、少しちがうように思えた。

 ボーカルの人はやっぱり歌詞に合わせているというかな。

 よく伝えようとしてるし、それはよく伝わってくる。

 僕も歌っていて、あんなふうに感情表現出来たらなぁと思うけれど、どうもそれが出来ない体質のようだ。

 単純にギターやベースの人たちの表現と似てくる。それが精一杯だ。

 歌詞の感情まで、体で表現する余裕がまったくない。

 というか、どうやって表現したらいいか、さっぱりわからないのだ。

 僕は弾き語りのシンガーとしては、かなり体が動く方ではある。

 それは、歌詞にはまったく合わせてなくて、曲の流れとリズムに合わせている。

 歌う意識としては、おかしな話だが、歌を自分から発信しているという気持ちが少ない。

 歌に入ってゆくという意識なのだ。

 一曲はまるで、歌の体内の背骨を渡ってゆくようだ。



「2008年がやってくるところ」'07.12/21

 もうすぐ今年も終わろうとしている。

 いろんなことがあったように思うが、自分のこころ的には満足をしている。

 一・二曲は、イメージ通りの良い歌を作れたなぁと思えるからだ。

 今年の実感は、僕の場合はそこにある。

 いろんな出来事があり、その歌が生まれてきたのだと思うからだ。

 歌作りになまけている気はしていないが、イメージ通りに作るのはなかなかむずかしい。

 そんなふうに作れた歌は、宝となるだろう。

 来年2008年はどこからかやって来て、僕の部屋のどこかにまずとどまるだろう。

 そこは僕の場合、ギターのサウンドホールの中なんじゃないかなと思う。

 元旦の日、2008年はそこからひろがる。



「ウエスタンブーツ」
'07.12/19

 新潟・柏崎にいた高校時代に「ウエスタンブーツ」に憧れ、似たものを買った。

 ウエスタンブーツの上半分をカットしたような形。

 本物のブーツはあまりに値段が高いし、柏崎に売っているか保証はない。

 一般の靴屋さんで見つけた、似たブーツ。

 値段はそこそこしたなぁ。3800円くらいかな。4200円だったかもしれない。

 その頃、憧れのフォークミュージシャンが、ウエスタンブーツをはいていたからだ。

 オフクロに「一生のお願い」を繰り返して買ってもらった。

 雪の日、僕はウェスタンブーツまがいウエスタンブーツをはいて商店街を歩く。

 商業高校に通う。まるで、この街でたった一人がウエスタンブーツをはいているかのように。

 気分は憧れのフォークミュージシャンだった。

 しかし、一日、雪の中を歩くと、すぐに革が濡れてしまった。

 ストーブで乾かす。その日ははけない。次の日ははける。

 その繰り返しであった。

 そのブーツは本当に丈夫だった。気に入って夏の日にもはくようになった。

 二年しないうちに、年季が相当に入ってしまった。

 たぶん今も実家の玄関の下のはしっこに置いてあると思う。



「合唱」'07.12/17

 ギターを買ってもらった中学生の頃、ほんとただ弾くだけで嬉しかった。

 コタツに入り、ギターでただストロークを弾く。

 ストロークとはじゃーんと弾くことである。

 ギターには弦が六本あり、その和音が心地良かったのであろう。

 弦の合唱だ。

 合唱はそんなふうに、ただ音を重ねるだけで心地良いものなのだろう。

 合唱自身は、僕はあまりしたことがないが、やってみたら楽しいのであろう。

 飲み会も合唱かもしれない。

 しらずしらずのうたの楽しさ。



「手持ちのカードと来年SONGS」'07.12/15

 トランプゲームの場合は、持っているカードというのがある。

 そのカードをどうきってゆくかで、その先のゲームの流れが変わるだろう。

 今年も年末になり、僕はカードを手に持っている。

 ゲームは来年にも続き、僕はそのカードをテーブルに出してゆく。

 どんなカードを持っているかは誰もわからない。

 「おお、そんなカードを持っていたのかー!!??」と、驚くかもしれない。

 そんな来年の手持ちのカード。

 実は、まだ真っ白な、そのカードたち。

 僕は歌を作り、そのカードの絵柄にしてゆくだろう。

 どんな絵柄になるかは、来年の僕次第なのだ。

 もちろん人生はゲームではない。

 そして僕はどんな絵柄のカードをテーブルに出すだろう。

 手持ちに持っているまだ白いのままのカードを。

 僕は何もあきらめてはいない。



「そんなアルバム」'07.12/13

 先日、友人より、こんな手紙が来た。

 「20年前にもらったカセットは今もずっと聞いています」と。

 カセットには、有名フォーク歌手のアルバムが入っていた。

 何十年も聞き続けられるアルバム。

 僕もまたそんなアルバムを目指してがんばって来た。

 中学時代に僕を夢中にしてくれたフォークアルバムの数々。

 結局、聞いていたのは、2年か3年だったはずだけれど、

 それは何十年もの間、聞き続けていたかのように僕の中で錯覚されている。

 実際にそんなふうに聞いていた友人もいる。

 ここ20年くらいは、ライブに追われるようにして歌を作ってきた。

 いつのまにかたまったいろんな歌たち。

 中学生が僕の歌を聞いてくれる日はあるのかな。。

 僕はそんなことを、心のどこかで今も思っている。



「小物入れの兄弟」'07.12/11

 今はあまり見かけなくなった、その小物入れ。

 プラスチック製、かまぼこを半分した形、透明なふたがガパッと開く小物入れ。

 '74年頃から爆発的に売れたんじゃないかなぁ。家庭用の薬箱としてとかね。

 実家にいた頃にも、いくつかあった。値段は500円くらいかな。

 大きさも大中小とあった。

 東京に出てきた頃にひとつ、近くの雑貨屋さんで、その小物入れをひとつ買った。

 それから25年、壊れないままで今もある。色は薄草色。

 先日、まったくそれと同じ小物入れを、下町の小さな工場で見た。

 大きさは大きかった。色はまったく同じ。それもむずいぶんと年期の入ったようであった。

 僕が買った時期と同じ頃に買ったのかな。メーカーも同じであろう。

 またがいなく兄弟。そこにある違う小物入れ人生。

 会わせてあげたいなぁ。そんなテレビ番組はないものか。



「もったいないということ」'07.12/9

 ライブとギターの話。

 いつもは小さな店で歌ったりしているので、ちょっと広いスペースだとギターの弾き方が大きくなってしまう。

 それが実にもったいないのだ。

 録音テイクを聞いてみると、ギターの弦だって、二本一組みたいな弾き方をしている。

 ストロークの強弱やビート感、どれも、おおまかになってしまっている。

 僕の使っているギルドのオールドギターは音が丸く、ちょっと気をゆるめると、同じようなサウンドになりがちになってしまう。

 そのかわり、弦を弾く手首の力の入れようしだいでは、七色のサウンドが出すことが出来る。

 曲ごとの微妙な弾き方の変化も僕は出来るのに、ついつい大きめなスペースでは、ふと忘れがちになってしまう。

 ギターの実力が出してあげることが、できない。これが本当にくやしい。

 ついつい歌自身に集中してしまうのだ。そしてギターの弾き方にも、力が入ってしまう。

 まあ、それが大きなライブなのかもしれないけれど、、。

 ライブは僕自身の歌の披露でもあるけれど、ギターにとっても自分の発表場所であるわけだ。

 僕のギターは実は奇跡のような、良い音を出してくれる。

 それが伝えられないのは、ほんともったいないことなのだ。



「最初に休むタイプ」'07.12/7

 ときどき、すごく仕事忙しい日がある。

 9時間以上休みがなく、めいっぱいの日。

 少しでも早く始めないといけないのだけれど、そんな日に限って僕は最初に食事をする。

 たいがいは立ちそばだったりするのだけれど。

 どうしても最初に休まないと、途中でパワーダウンしてしまうのだ。

 (ああ、休みたい・・)と、、。

 しかしまあ、最初に休んでいれば、その心は多少、落ちついてくる。

 パワーダウンしてしまうと、ほんと何をやるのも時間がかかってしまう。

 人によっては、早く終わらせて、ゆっくり休むタイプの人もいる。

 僕は最初に休むタイプ。



「カプリコショック」'07.12/4

 みーんな、知っているかなー、知らない人も多いだろーなー。

 グリコから今も出ている「カプリコ」チョコのシリーズ。

 先日、たまたま買ってみたら、中身がそこそこに大きかったな。

 知っているかなー、知らないかなー。

 カプリコが最初に出たとき、その中身の小ささと来たら、それはそれは衝撃的だったのだ。

 と、いうか外の包装の方がずっと大きかったのかな。

 でも、ふわふわチョコはホントに美味しかった。

 美味しかったけれど、小さかった。。

 ずいぶん、今は大きくなった。カプリコは、、。

 しかし、僕ら(?)には、あの最初のカプリコショックが忘れられない。

 手のひらの中にコロンとあった、あのカプリコ。

 泣きそうに小さかった。でも美味しかった。

 それを僕はカプリコショックと呼んでいる。



「一瞬のこころ」'07.12/2

 最近は大画面テレビがブームになっているが、

 写真の世界はまだ、L版が主流だ。

 確かに、大きな画像で見ると感動も大きいのかもしれないが、

 写真は手帖サイズであっても、それで良いような気がしてくる。

 カメラは逆に小さくはなっている。

 もし大きな写真が大きなカメラで撮れることだったのなら、カメラの雰囲気も変わっているだろう。

 ほとんどのカメラは手のひらの中におさまっている。そこからパチリと撮る。

 ポスター写真などは「はーい、撮りますよー!!」と、言って撮るのだろう。

 そっと撮る写真がある。それはやっぱり、そっと存在しているのが似合っているのかもしれない。

 ビデオカメラは、連続のシーンであるが、写真は一瞬である。

 そこにある撮った人の一瞬のこころ。

 それは、ポスターサイズになることは思っていないだろう。

 写真はL版くらいがいい。手紙の封筒に入るくらいがいい。



「新しい弦」'07.11/30

 ライブも近いので、ギターの弦を新しく交換した。

 弦を替えるのは、なんだかいつも新鮮な気持ちになる。

 ものすごく良い音になるのではないかと。

 交換された弦はピカピカとして、なんとも目に嬉しい。

 中学・高校時代の頃のことを今も思い出してしまう。ギターを買ったばかりのことも思い出してしまう。

 新しい弦の響きはきらきらしているけれど、低音がきれいすぎて困ってしまう。

 でも、中学・高校の頃は、そのきらきらした音が一番良い音だとも思っていた。

 一週間くらいしかもたなかった、そのきらきらした音。

 新しい弦はまだちょっと堅い感じがする。いろいろと弾いている指にくっきりと弦の跡がついてしまう。

 そして、ちょっとそれが痛い。

 35年も弾いているのに、まだ指が痛い。

 三日か四日もすれば、音も馴染んできて、今度はしっくりとした良い音に弦は変わってゆく。

 新しい弦に交換して、いろんなSONGブックを出して、いろいろと歌ってみた。

 歌謡曲とか洋楽ポップスとかね。手当たり次第に何でも歌ってみた。

 まるで新しいギターを買ったときのように、中・高生の頃のように。

 「五番街のマリーへ」とか、歌ってしまった。

 そんなふうに1時間。どんな歌でも歌った。

 新しい弦に替えると、僕はいつもは歌わない歌をうたう。



「慣れ音」'07.11/28

 もう僕には柱時計の音がほとんど聞こえない。

 仕事でも、カチーンカチーンと大きな音がするがそれも普通の音量に聞こえてしまう。

 今、ヘッドホーンで「ノイズキャンセル機能」というものが流行っているが、

 それは外の音をマイナスにして、静かな音を作るというものだ。

 僕らの中にも、その「ノイズキャンセル機能」と似た能力があるような気がするのだ。

 今、弾いている良いギターの音が、だんだん普通の音に聞こえてきている。

 ギターの音に関しては聞き分ける力は変わっていないと思うのだが、

 自分のギターについてはうまくつかめなくなってしまった。

 毎日弾いているから音が慣れてしまったのであろうか。

 柱時計の音が聞こえなくなるのと似ている現象なのかな。

 他のギターの音は判断できるのだけれど、自分のギターの音については判断できなくなってしまっている。

 なんて、、ことだ・・。でも、それは事実かもしれない。自分が自分のことを判断できない状態だ。

 それは実はギターだけではないだろう。

 自分の癖には気付かなくなるものだ。見慣れてしまうと見えなくなってしまうものだろう。

 もう今の自分には自分のギターの音が判断できなくなってしまっている。

 それがわかるというのは、たぶんまともなのかもしれないが。。



「ギター弾き」'07.11/26

 昨日、ライブのリハーサルで四時間ほどギターを弾いた。

 しかし、弦を押さえる指が途中からとても痛くなってしまった。

 左手の人差し指を今、少し怪我をしているというせいもあって、

 この5日ほど、ギターにあまりさわれなかったのだ。

 もう30年以上もギターを弾いているのに、弦を押さえる指の先が痛いなんて。。

 ライブとなるとやっぱり力が入るんだな。

 あとギターにもよるのだけれど。

 5日くらいギターを弾かなくて、指が痛くなるのであるとすれば、

 それはそれで素晴らしいなと思う。

 しっかりと弾いていなかったことがわかるのだ。

 痛みがある。

 僕は毎日、ギターを弾かないとだめなのだ。

 スポーツ選手みたいだなぁ。



「飛行機でも作るということ」'07.11/24

 東京に出てきてから、いろんなものを集めてきた。

 僕はまだ足りない、まだ足りないと、ずっと集めてきた。

 おかげで部屋はかなりせまくなった。

 これ以上集めるとしても、さて、それに限りはあるものなのか。

 もしかしたら、もう充分なのではないのかと思う。

 なんとなく、これで飛行機でも作れるのではないかと思う。

 このアパートのこの部屋の中で。

 飛行機を作るためには、数多くの必要部品がある。

 それがなくちゃ飛べないというものが・・。

 僕はきっと、何十年もかけ、それを集めていたんだ。

 それが何なのかもわからず、ただ心の求めるままに。

 もうそろそろ飛行機でも作れそうな気がしている。それも自分が乗れるものを。

 どうやって・・!?

 それはこれからの話。

 でもきっと、部品集めのための旅は終わったのだ。

 小さい頃、僕らは飛行機を作っては飛ばした。



「日中にやろうと思った事」'07.11/22

 この感情には、まだたぶん名前がつけられていない。

 ここ10日間くらいのことだ。

 近所のリサイクル家電の店に、大きな最高級ハイビジョンブラウン管テレビが、二万八千円くらいで出ていて、すごく欲しいと思っていた。

 もともとは20万円以上するしね。二万八千円といえば、ちょっとしたポータブル音響製品と同じ値段だ。

 モニターとしては、言うことはないしね。ブラウン管は今、買っておかないと、もう買えないし。。

 ただ、すごく大きくて重いんだよね。。

 日中、アルバイトの外仕事をしているとき、(よし、今日は買うぞ。ぜったい買うぞ!!)と、気持ちは盛り上がる。

 しかし、帰り道、お店のところまで来ると、(やっぱり、やめよう・・)と、感情は盛り下がるのだ。

 その繰り返し。。我ながら笑ってしまう。

 それは、買い物のことだけではないんだ。いろんな家に帰ってからのやりたい計画のことも、

 実際には、ほとんどできない。ただ日中は、いつも自分なりに盛り上がっている。

 すごく盛り上がるんだ。

 この感情について、まだ表現する名前がない。

 きっと誰もが毎日感じているのではないかな。



「楽しみ」'07.11/20

 電気街に行くと、今は薄型大画面テレビが話題になっている。

 映画などは、やっぱり大きな画面で観ると迫力がちがう。

 40型テレビならば、17万くらいで買える値段になった。本当に安くなった。

 大きな画面で映画を観ると、こんなにも印象がちがうんだなぁと思う。

 ぜんたく品でなければ、僕だって大きな画面で映画が観たいな。

 まだ大画面テレビが高かった頃、買うなんて無理だとみんな思っていただろう。

 しかし今は、そこそこの買いやすい値段になった。

 大きな画面で映画を観るというのは、とてもシンプルで素晴らしい喜びだ。

 まあ、僕は買うことはできないけれど、大画面テレビを買う人をぜいたくとは思わない。

 僕だって、良いギターを買った。それと同じであろう。

 シンプルで、なおかつとてもわかりやすい楽しみ。

 人生には楽しみが必要だ。



「二日も」'07.11/18

 なんだかんだと忙しくて、二日ほど、ほんの少ししかギターが弾けなかった。

 一日は、完全に弾かなかった。

 たった二日であったけれど、ギターがまるでちがって聞こえてしまう。

 ほぼ毎日ギターを弾いているのに、それを忘れるなんて、よほど疲れていたか、

 他のことに集中していたのであろう。

 二日振りにギターを弾いてみると、まるで懐かしい友にあったようだ。

 この感覚は、実家に何日間か帰ったあとに部屋に戻ってきた感じと似ている。

 それなのに、バイト先に一週間行かなくてもそんな感覚にはならない。

 これは不思議だ。

 何か感情が呼び合っているのであろう。

 一体感があるというのかな。

 しかし二日たって、ギターを弾いてみると、驚くほど新鮮だ。

 まるでひと月くらい弾かなかったように。。

 では、ひと月ならば、二年弾かないようなものか。



「その自動車工場群」'07.11/16

 墨田区に立川という地区があり、そこには、小さな自動車工場が数多くある。

 僕は20年、そこの地区に通っているのだけれど、その小さな自動車工場は今も以前も変わっていない。

 下町の他の地区では、どんどん小さな作業場がなくなっているのだけれど、ほとんど変わらずに残っている。

 その自動車工場では、主に高級外車の自動車部品を扱っているのだ。ベンツとかね。

 工場の中は所狭しと、自動車の各部品が並んでいる。その部品には、年代のようなものが書かれている。

 テールランプならテールランプが、ずらりと並んでいるという状況だ。

 その地区でよく目にするのが、自動車が車に乗せられてやってきて、工場の前で解体されている光景だ。

 ドアならドアがずらりとならぶ。エンジンならエンジン。

 僕が見て不思議なのは、各工場工場で、専門の部品があるようすなのだ。

 それはもしかして、一台の車からの部品を分けているのかな。

 その辺がよくわからないのだけれど。自動一台分の部品を並べるって大変だものね。

 スペース的に無理があるんじゃないかな。

 そして店によってはほぼ一日のように電話で話しているところもある。

 ・・・・・・

 僕が感心しているのは、ベンツとか高級外車ならば、それぞれの型によって部品が必要になってくるだろうし、

 その部品が残っているという場所があるというのが、素晴らしい考えだと思う。

 日本中の自動車整備工場から、問い合わせの電話がかかってくるだろう。「何年型の何の部品はありますかと?」

 できれば、それぞれの店のそれぞれに専門の部品を扱っている方がいい。スペース的にもね。

 何々の部品のストックに関しては日本一と呼ばれるくらいに。

 「あの工場ならあるかもしれない」と、思われるような工場。

 2007年の今も、立川のそれぞれの店は変わらずにそこにある。ブームとか、そういう次元ではなく。

 必要だからであろう。店の中に無駄なものがひとつのないのだ。

 「こんなものが・・」と思われるものを探している人がいるかもしれない。

 立川の自動車工場群はこれからも続いてゆくだろう。景気はどうなのかなと思うが。。

 そこには20年前とまるで変わらぬ景色がある。



「記録とは未来なのか?」'07.11/14

 最近、しきりとブルーレイ記録ディスクのコマーシャルが流れている。

 ブルーレイとはDVDの約5倍の記録容量があるディスクで、フルハイビジョン放送が二時間記録できるのだ。

 まさにこれからの記録メディアなのかなと思う。

 と、思うのだけれど、それはハイビジョンという未来のものを録画するためには必要なものなのだろう。

 DVDでは、容量不足でそれが出来ないのだ。

 「これからはブルーレイ・・」って、言うけれど、DVD の立場を少しは考えないとね。

 今、液晶やプラズマ大画面テレビで、綺麗な画質で見ようとしたら、DVDでは画質が荒くなってしまうのだ。

 大型画面で見ようとするから、無理があるんだよね。

 「ビデオテープ」や「8mmビデオ」などのアナログ入力のものに関しては、

 画素数が少なく、小さな画面でもきれいに見られないという現状だ。

 だから「これからはブルーレイ・・」というのは、ちょっと納得できない。

 「ビデオテープ」も綺麗に見られるように努力しようよ。

 「それは無理だから」とか言わないで。。

 記録とは未来のためだけのものではないだろう。かつての記録もまた大事なものだ。

 未来優先は、記録に関しては必ずしも当たってはいない。



「瓶の底と聞きすぎSONG」'07.11/12

 中学時代にホントによく聞いたアルバムがある。

 先日、その中の楽曲を聞く機会があったのだけれど、懐かしいとか言う気持ちにはならなかった。

 かと言って、新鮮なわけではないのだが。。

 聞きすぎた楽曲。それはもう、想い出や時間にすっかり溶け込んでしまっていて、唄というより風景に近いのだ。

 その楽曲抜きで、その時を語ることはできない。

 唄を聞いていると、その時の空気がよみがえってくる。

 そのよみがえってくる空気の中にその楽曲が流れているのだ。

 お腹がいっぱいになることを、ひとつの瓶としてたとえるならば、その瓶の底は抜けている。

 聞いても聞いても、お腹いっぱいにならない唄がある。

 聞きすぎて、瓶の底が抜けてしまっている楽曲。

 その楽曲は閉じこめられてはいない。何度も見ている故郷の道のように。

 走っても走っても追い越せないものがある。



「東京はよく歩く」
'07.11/10

 「こっちに来ると、よく歩くよ」と、よく聞く。

 北海道とか、ちょっと地方から出てきたみんながそう言う。

 向こうでは、ほとんど車なんだと言う。それは言えているかもしれない。

 昨日一日だって考えても、駅まで二回往復しているし、バイト先までの道だって、往復している。

 日中は仕事で一日歩いているし、帰ってきてからだって、5分ほどのレンタルビデオ屋に二回往復した。

 また5分ほどのコンビニエイストアーにも往復した。ちゃっちゃかちゃっちゃか、よく歩くよ。

 東京はよく歩く。

 そんな生活はいいなと思う。体のためにもね。あっちに行ったり、こっちに行ったり。

 よく歩く東京での生活は、東京都民の健康もまた守っているのではないかな。

 偶然にもね。そして僕らに考える時間をくれているのかもしれない。

 もし東京での生活が歩くことがなくなったら、バランスが崩れる気がするのだ。

 街ってよく出来たものだ。よく歩く東京。



「日光写真コピー案」'07.11/8

 ここに一枚の紙がある。

 それをコピーするには、いろいろな方法がある。

 先日、コンビニエイスストアーから遠いところの部屋で、一枚の紙をコピーしようとした。

 もしその部屋が、この部屋であったなら、店が近くになくてもコピーはできる。

 まず、FAXがあるので、FAXのコピー機能、あと当然ながらスキャナーがある。

 デジタルカメラはない。まあ、それでもなんとかなる。

 しかし、FAXもスキャナーもデジタルカメラもない部屋では、他にコピーできる方法はないものか。

 何かいいアイデアはないかな・・?

 考えても考えても、いいアイデアがない。

 コンピューター時代というけれど、たった一枚の紙をなんとかコピーできないものかと思う。

 小学校の頃、日光写真コピーってあったはずだ。

 あの日光写真のように、コピーしたい紙に特別の紙をのせて、光とか、こするとかでコピーできないものか。

 文字が読めるくらいでいいから。

 そんなコピー用紙、どうしてないんだろう? 現代の文化ならそれくらいは出来るだろう。

 しかし、それがない、、。そうなんだ、コピー機もFAXもスキャナーもデジカメのなかった時代。

 今だっていつだって、その状況はある。そんなときのために、日光写真的コピー用紙を開発して欲しい。

 こすると、移る(写る)とかね。



「使い切ること」'07.11/6

 先日、机の上にあるポータブルCDプレーヤーが壊れた。

 ほんの数日の間に、CDを読み込まなくなってしまった。

 思えば、そのCDプレーヤーは三年ほど前、古道具で1500円ほどで買ったものだ。

 それはポータブルCDプレーヤーの初期型のもので、ひととおり使ってから、古道具屋に出したのであろう。

 それを買ってからまた三年。ときどきは、読み込まなくなりつつもクリーニングを繰り返し三年たった。

 毎日、毎日、机の上で便利にCDをかけ続けた。よく持つなぁと思いながら。

 先日、CDを読み込まなくなって、今回こそクリーニングも効かなかった。さすがに引退かな。お疲れさま。

 最近、電化製品がよく壊れるが、そのどれもがまだまだ使えそうな状態のものばかりであった。

 ボールペンで言えば、まだまだ芯が残っているので出なくなるような感じである。

 使い切ることの充実感があったのは、久し振りであった。

 僕の部屋には読んでいない本が実に多い。まとめていない音源や映像も多い。

 てきれば、充分に活用してあげたいものである。

 それらは途中で故障したりしないのだしね。



「リサイクル家電」'07.11/4

 最近、高円寺の商店街にリサイクル家電の店が出来た。

 帰り道なので注目していたが、オープン初日より、人でにぎわっていた。

 もちろん僕も見て回った。ブラウン管テレビがすらりと並んでいたのは嬉しかったなぁ。

 面白いのは、店の左側はキッチン・掃除系の家電であり、店の右半分は映像オーディオ系の物が並んでいた。

 僕もひと時代前の小さな携帯CDプレーヤーを買った。リモコンが付く前のやつね。操作ボタンが付いているものね。

 パソコンの机の上に置いて、オーディオにつないであるのだ。これが実に使いやすく、場所もとらずにいいんだな。

 当時の値段で2万円はしたであろう。しかし、1500円であった。ひと月保証で、だめなら持って来て下さいというもの。

 部屋に帰って試してみれば、完璧であった。僕が嬉しいのは、それが1500円であるというところだ。

 かつてものが悪いなんていうことはない。逆に使いやすい場合もあるのだ。丈夫という場合もある。

 どんどん家電は進化してゆくので、一つ前のタイプのものを壊れていなくても売るんだよね。

 そんな感じの家電がそろっていて、いいんだな。

 たぶん、壊れていない電化製品をひきとっているんだろうなぁと思う。

 僕が嬉しいのは、その店がにぎわっているということだ。



「伝達物質」'07.11/2

 ライブハウスに通い始めた頃、僕もよく録音していた。

 その頃、録音機能付き携帯カセットテープレコーダーが流行っていたせいもある。

 メジャーシンガーを聞きに行った場合は必ず録音していたなぁ。

 ライブを聴きゆくと、不思議な事も起こる。

 録音をしていないライブに限って、すごく良かったりするのだ。あれは不思議だ。

 カメラを忘れたときに限って、撮りたい場面があるのと一緒だ。

 そんなふうに、ほんとに良いライブや良いシーンは、記録できないものだとも思っている。

 ライブを録音していたのには、いくつか理由がある。

 その大きな理由のひとつに、良い歌をどんどん自分のレパートリーにしたいという事があった。

 やっぱり自分で歌うということは、聞くのとは少しちがう。また伝えることが出来るからだ。

 1曲を自分なり歌うようにするには、まず何度も何度も聞かないとだめだ。(そうでない場合もあるが・・)

 ライブを録音するとき、ライブの良さそのものもあるけれど、歌いたい歌探しの要素も強かった。

 今でも自分のライブでは、他の人の作品を1曲は必ず唄っている。

 歌いたいんだよね。そんな伝達物質が自分の中にあるような気がする。

 歌を作るのも、同じ伝達物質のせいかもしれない。

 とにかくそんなふうに録音してきたライブが山ほどある。

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