青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「今日の夜話」過去ログ'05.2〜4月


「また夏か。。」'05.4/30

 ここ数日、夏のような日々が続いている。

 つい先日までコートを着ていたというのに、今日はTシャツで過ごしている。

 夏か。。

 夏かもな。。

 あの、暑かった夏だぜ・・。

 一年は四季に分かれてはいるけれど、どうも東京は夏がメインの土地のような気がする。

 新潟にいた頃は、十分に冬があった。そして夏もそれなりに暑かった。

 それが四季だと思っていたが、東京では冬がどうも中途半端だ。

 夏の力が一番強く。それに釣り合う冬のパワーがもうひとつ弱い。

 ここ数日の暑さで、僕の体は夏を思い出していて、「さて来たね」と、声が聞こえてくるようだ。

 体にとっては「冬」も「春」も「秋」も、夏のためのお休み期間のようだ。

 東京は日本の首都ではあるけれど、季節の首都ではないな。

 冬が嫌いな人はたしかに多い。しかし、季節はしっかり四つあった方がいいな。

 一年という一本のロールケーキを、ちゃんと四つに分けたいな。

 夏ばかりが大きいのはちょっと困る。


「ローランド・カーク」'05.4/26

 ここ数日、珍しくジャズを聞いている。

 先日、ジャズのライブハウスでかかっていたアルバムが妙に気に入ったのだ。

 たいがいのジャズのアルバムには、そんなに反応はしないのだけれど、そのサックスと笛の音は僕でも気に入るほど魂を感じた。

 マスターに聞くと、ラサーン・ローランド・カークと言って、三本も同時にサックスを吹いてた盲目のプレイアーだという。

 僕がただ知らなかっただけで、たぶんジャズを知っている人ならば有名すぎる人なのであろう。

 僕の聞けるジャズと言ったら、ギターのジャンゴ・ラインハルトくらいだった。

 その僕が今、サックスプレーヤーローランド・カークを聞いている。

 ついには昨日、映像まで借りてきてしまった。「すごい」の一言につきる演奏とパフォーマンスであった。

 一人で、10コくらいの吹き物。鼻まで利用して吹く。そして足ではシンバルを打つ。盲目なのに、なぜ、そこまで。

 しまいには、客席まで降りてゆく。銅鑼を叩く。その精神は素晴らしい。

 ローランド・カークは息継ぎをしない循環呼吸ができる人で、その演奏もかなり魅力的だ。

 なぜいままで僕は、彼の事を知らなかったのだろう。

 ・・・・・

 そのライプハウスのマスターは、自ら「ラサーンラサーン」というユニットを持っていて、

 ローランド・カークについても、もちろん良く知っているはずだろう。良く知っているどころではないかもしれない。

 「マスター、これ誰ですか?」そう、聞いた僕。

 「ラサーン・ローランド・カークよ。三本一緒にサックスを吹く人ね。すごいよ。」

 「へぇー!!」

 まだまだ音楽の出会いは続くようだ。


「歌の故郷」'05.4/24

 歌にも故郷と呼べる場所があるだろう。

 ライブ当日に歌が出来るというのは、よくあることである。

 最近の僕のパターンだと、荻窪グッドマンライブ(※)前日の夜にメロディーが出来る。

 メロディー作りは歌詞も付いているので、一番の歌詞は出来ている。

 次の日の午前中に、二番のだいたいの歌詞。

 そして午後2時くらいまでに三番の途中まで作る。

 まあ、ここまで来たら、歌が完成したも同じだ。

 ここであせって、三番の半分や、うまくつながらない歌詞を作ると失敗する。

 あとは電車に乗ったり、缶ジュース飲んだり、リハの用意をしたりしながら、ぼんやりするに限る。

 そしてリハのときに、実際にマイクの前で、一番から歌ってゆくと三番の終わりが自然と出てくる。

 なぜかはわからないが。。だいたいそれで歌が完成する。「最後はあせらない」が信条だ。

 歌にしてみたら、生まれた故郷が荻窪グッドマンということになるのだろう。母親かな。

 「いやぁ、俺の主人ってさ、ひどいんだよね。ライブ会場に着いてから歌詞作ってんの。」

 「えっ、おまえも!! 俺もそうだよ。まあ、グッドマンが半分、親みたいなもんだな。故郷だよ。」

 「実は、おれもよ。」

 そんな歌たちの会話が聞こえて来そうだ。

 歌たちも故郷をなつかしむだろう。

 ※ジャズの老舗のライブハウス。弾き語りライブもあり、僕と山下由で、'92年から定期ライブを続けている。25席。


「僕と犬とで」'05.4/20

 飼ってた犬はもちろん今はいない。

 でも、どうしようもなくひとりぼっちになるとき、

 僕はきっと犬とふたりでいるだろう。

 そこは海岸沿いかもしれない。

 部屋のコタツのそばかもしれない。

 そして、僕は思う。

 僕と犬とで、これから何ができるだろうかと。

 向かい合って相談してみる。

 おまえは何か言ってくれるだろうか。

 これからのこと、これからの時間。

 僕と犬とで、何ができるだろう。

 きっと何かできるはずだ

 こうして僕は今も犬といる。


「まず横になる男」'05.4/16

 「さて、歌を作るか!!」

 と、創作を始めようとするとき、まず僕は横になる。

 エッセイを書くにも、とりあえず僕は横になる。

 部屋を片付けようとするときも、同じだ。

 なんというかな。心の手帖を開くというのか。。

 一度、今していることをリセットして、他の動作にとりかかるのだ。

 まるで、DVDを入れ替えるように。。

 CD-ROMをパソコンに入れるように。。

 何か次の事に自分が進むためには、OFF状態が必要だ。

 体を横にすると、心の手帖が開く。

 そして心の手帖に、心の言葉でスケジュールを書き込む。

 しばらくすると、体と頭が反応してくるのだ。

 パワー全開で何かを始めようとするのだけれど、

 どうしても、まず横になってしまう。

 突然動き出すエジプトのミイラ?

 「1」の前には「0」が、あるものなのだ。


「古いマッチ」'05.4/13

 僕らが生まれるよりもずっと前からあった古いマッチ。

 いつかどこかのお店で、なんとなくポケットに入れて持ち帰り、

 部屋の小さな引き出しの中にしまったままのマッチ箱。

 もしかしたら、もう着忘れた背広のポケットに入ってるままかもしれない。

 朝のカーテンの窓の端っこにそのまま置いたままかもしれない。

 古いマッチは、当分の間は何もしない。

 しゃれた紳士のイラストは横を向いたままだ。

 手書きのローマ文字も煙の中、ななめのままだ。

 歩いて来た道もモノクロームになってしまい、振り返っても思い出せないとき、

 遠いどこかの椅子で、今日も疲れて眠くなってしまうとき、

 古いマッチ箱はカサリと音を立てて、引き出しの中、ちょっとだけ動く。

 モノクロームの景色の中で、古いマッチ箱だけが色がついている。

 からからに乾いて、もう何もなくなってしまった物語も、

 やがてはもう一度、続きがあるだろう。

 古いマッチが香ばしく、そこに残っている。


「つきあたり古物屋」'05.4/10

 高円寺に妙に人気の古物屋がある。

 ちょっと古めの生活用品をただ並べたような店ではあるが、けっこう人が入っている。

 そして最近、ある事に気が付いた。

 商店街と商店街をつなぐ細路地の、その突き当たりに、古物屋さんがあるのだ。

 その裏路地を夜に歩いてくると、その古物屋さんの明かりがずっと見えている。

 これはすごい宣伝効果だ。そこはもと米屋さんであった。米屋さんだった頃は特に感じなかった。

 夜道、細路地を歩いてくると、その先に古物屋さんが見えている。

 物入れ、電子レンジ、ギター、ポット、柱時計。。

 人生の突き当たりもまた、そんなふうなリサイクルショップで出来ているような気持ちにもなる。

 何かそこにはひとつの「運命」を感じてしまう。

 (ああ、私は客なのだ・・)

 その店屋さんの前までやってくると、なぜかとても懐かしい気持ちになる。

 いつか見た、風景のようだ。(さっきまで見ていたが・・)

 まるで吸い込まれてしまうように、つい古物屋をのぞいてしまう。。

 その気持ちは、縁日の出店の並びの明かりを、遠くから見ながら歩いて来た気持ちと似ている。

 ・・・そっくりだ。

 そして体が反応してしまうのだ。


「薄い紙で出来たような人が」'05.4/6

 今朝、大きな荷物を片手に、フラフラと歩いてゆく人を見た。

 徹夜明けであろう。何かもう、疲れ切っている様子だ。

 しかしそれは一場面であり、彼は復活するために、その道を歩んでいると思える。

 「立て、立つんだ、ジョー!!」

 明日のジョーは、何も言わず、ゆっくりと立ち上がる。

 よく人は「頑張れ!!」という言葉を使うけれど、

 パワーと言うものは、結局、自分の中から生まれて来るものであり、

 それは自分という、薄い紙で出来たような人形が、

 心の中で起きあがって来るようだ。

 きっと、力を込めるということではない。

 どこか遠いワンシーンが磁石のように、呼ぶのではないか。


「古い店屋」'05.4/2

 ブルース・スプリングスティーンの'95年のアルバム、

 「ゴースト・オブ・トム・ジョード」を最近、聞いている。

 弾き語り+αのサウンドのアルバムで、トラディショナルソングを意識した作りになっている。

 発売された頃、友達は「なかなかいいよ」と、薦めてくれたが、

 僕には、あまりにトラディショナルソングのメロディーが耳について、素直に聞くことが出来なかった。

 (買って、失敗だったかな・・)。そんなふうにも思ったものだった。

 しかし、さて、それから、十年たって、また聞いてみると、

 どうしたことだろう、良い出来のアルバムに変わっているではないか。

 どの曲も、聞き馴染みのあるメロディーではあるのだけれど、何か伝わってくるものがある。

 雄叫びに近いボーカルで有名なスプリングステイーンは、このアルバムでは、なにげなく歌っているだけだ。

 商業的にも失敗したといわれる、このアルバム。

 地味といえば、地味すぎるアルバム。

 でも、今、聞き直してみると、実にスプリングスティーンのボーカルが、いい味を出している。

 叫ぶわけではないが、曲をいかした歌い方になっている。

 本当に事を言えば最初は、ボーカルがトラッドを意識しすぎているなと思っていたのだ。

 ・・・・こんなたとえ話を考えてみた。

 ある商店街に古いようで新しいお店が新規開店した。しかし地味すぎてあまり話題にもならなかった。。古物好きのお客が寄ってみるけれど、置いてあるものは、新しいものばかり。「なんだぁ、みんな新しいじゃないか」。。

 それから10年たって、その店は本当に古くなった。置いてある商品は変わらない。10年前に寄ってくれた古物好きのお客さんが、また来てくれた。あのときと同じ品物なのに、「すばらしい、すばらしい」と言って、嬉しそうに買っていった。

 お客とはもちろん僕の事である。


「東京に帰ってくる」'05.3/31

 ほんの5日間だけ実家に帰っていた。

 久し振りでもなく、また東京、そして高円寺に戻ってくると、やっぱり違う。

 5日間と言えど、かなり新鮮に感じられた。もしタイムマシンに乗って、5日間後に戻って来たら長い時間を感じるだろう。

 高円寺の駅を出ると、街じゅうのお店やビルが、僕の知っているとおりなので、まるでオモチャの街にいるようだ。

 部屋に帰ってくる。パソコンの画面がなんだか変に思える。

 いつもいつも眺めていたものなのに。。

 ここで思えることは、日々見ているものほど、ちょっと離れると別もののように感じるということ。

 当たり前か。。

 時々にしか行かない街に電車で降りても、懐かしいなんて感じないのにな。

 ・・・・

 東京に戻ってくると、いろいろとやっぱり刺激があり、体が何かやろうと動き出すのがわかる。

 実家に戻ると、眠くて眠くてしかたがなかった。

 まったく違う時間の世界に行っていたようだ。

 タイムマシンの小旅行だったにちがいない。


「遠山の金さん」'05.3/29

 実家にて、久し振りに「遠山の金さん」を観た。

 平日の午前中。映像も古い感じで、出ている役者の人たちも思い切り若い。

 平日の午前中というのは不思議な時間だ。リアルさがピンと来ないというか。。

 僕が外回りの仕事をしている担当場所に「遠山金四郎」の碑が建っている。生誕の場所だったかな。

 まあ、その場所は江戸時代は下町であったのであろう。テレビで観ているそのままがここにあったかもしれない。

 平日の午前中、僕はその場所をまわる。玄関も訪ねるので「遠山の金さん」のテレビも、ふと観ることもある。

 その舞台の場所を歩く。どこかになごりがないか。どこかの路地の向こうに、江戸時代のままがあったりしないかな。

 平日の午前中、タイムマシンの扉のように。


「どうしてこんなに眠いんだろう」'05.3/27

 眠い。。実家に帰って来てからずっと眠い。そして横になっている。

 まるで体の細胞から何かが生まれかわっているようだ。

 それは自分ではどうすることもできないようだ。

 僕の歌に「田舎の眠りにたおされ」という歌があるが、その中の「顔がふやけている」のフレ―ズのとうりである。

 まだ田舎の言葉に戻っていないが、明日くらいには出てくるだろう。

 日本で暮らしている外国の人が本国に帰ると、きっとすごく眠くなるはずだ。(時差の関係もあるが・・)

 人にある才能のようだ。ものすごく眠いときは、体が再起動しているのかもしれない。


「本と瞳の話」'05.3/25

 ここ数年、じっくりと本に向かうという時間がなくなってしまった。

 もともと本は集中して読む方で、楽しみながらのんびりとなかなか味わえない。

 そのかわり、ちょっと普通ではない本の読み方をしたりするときがある。

 僕はイギリスの詩人「ディラン・トマス」(ボブ・ディランじゃないよ)の詩集を、

 三年以上、かばんの中に入れて持ち歩いていた事がある。

 ほんとにホントに時々、電車の中で、思い出したように、カバンの詩集を読んだ。

 それも、ほんの1ページか2ページ。

 毎日、部屋と仕事先まで電車に乗り、詩集も一緒に往復していた事になる。

 君とどこかのライブハウスで会ったり、お好み焼き屋に一緒にいたときも、その詩集はかばんに入っていた。

 僕は本はじっくりとは読まないが、そんな愛し方をする。

 話はずれてしまったが、今日は本と瞳の話である。

 僕は本を楽しみながら読んでいける人がとてもうらやましい。

 インターネット文化は文字をたくさん読むけれど、どこか映像的だ。

 ・・・・

 その人は、ライブハウスでの待ち時間の間、ひとり文庫本を読んでいた。

 「こんにちわ。」「あっ。」

 こちらを見たその人の瞳は、多くの本を読んで来た時間が映っていた。

 本を愛することは良いことである。


「30分ライブ」'05.3/22

 昨日、若い頃のヴァン・モリソンのライブビデオを観た。

 30分ものだったのだが、バンドで7曲ほど歌っていた。

 最初の15分で4曲はいっていた。

 僕も最近、30分ライブをやったが、とてもそんなにふうには唄えなかった。

 30分ライブはむずかしい。

 45分ライブとは、ちがう。

 最近のライブハウスは、演奏30分という場合が多くなってきてはいる。

 しかし、やっぱりライブは45分は欲しい。

 45分あれば、十分に自分のライブが出来るからだ。

 30分。30分というのは僕を悩ませる。

 30分のライブをするべきなのだろうか。

 それとも45分のライブを縮めるべきなのだろうか。

 ヴァン・モリソンのように、歌い続けるというのもアリだろう。

 まったく喋りもなく、歌い続ける姿は、まるで音楽そのものになっているようにも見えた。

 それもいいな。

 30分ライブは、物足りない感じではいけない。

 テレビで言うのなら、「見たなぁ」と思える30分番組でなくちゃね。

 そういう番組は多かった。そういうライブもできるはずだ。

 そういうライブを見てみたい。


「部屋ギター」'05.3/20

 昔、使っていた「マーチン0-16NY」もいい音だった。

 みんなはギターをいつもどこで弾いているのだろうか。

 僕の場合は、99パーセント、このアパートの部屋の中だ。

 回りの迷惑も考え、基本的にテレビの音量と同じくらいで弾いている。(つもりである)

 今、弾いているギターは「ギブソンB25」。

 小型のギターでもあり、音量もある方ではないが、実に良い音で鳴ってくれている。

 僕は汗をあまりかく方ではなく、弦もそんなにさびないので、二三年ものの弦をつけている。

 一般的には、あまり良い事とはいえないけれど、弦が鳴らないぶん、強めのアタックで弾けるのだ。

 部屋ギターでは、そのへんが大事だ。逆にボディそのものの音も聞こえてくる。

 しかし、ライブで使うとなると別で、音量不足になってしまう。

 ステージギターはどちらかと言うと、みなに聞かせるギターである。

 部屋ギターは創作ギターでもあり、自分の心に近いギターだと思う。

 僕の心は、大音量では鳴ったりしない。

 ハートの中を回るレコードプレーヤー。そこから聞こえてくる音。

 部屋ギターを弾いているとき僕らは、

 きっと耳の内側の響きを聞いているのだ。


「六人の・・」'05.3/17

 ギターには弦が六本ついている。

 その一弦と二弦は似ている。そして五弦と六弦はとても近い。

 しかし僕にはギターの弦が、まるで六人の小人のように思える。

 僕の中ではかつて、一弦が二弦だった事がない。

 三弦が四弦だったことはない。

 それぞれがはっきりとした個性を持った人のように思っている。

 子供でもなく、大人でもなく、兄弟でもなく、親子でもない。

 友達と言えば友達だが、楽器の友達のようだ。

 弦の一本一本が、ひとつの楽器のように思えてしまう。

 六本の弦のそれぞれの歴史。代々伝わる伝説。

 幻の四弦伝説・・とかね。

 僕はいつもそんな想いとともにギターを弾いている。

 しかし、その事はどの初心者教則本にも書かれてはいない。


「一日一冊、一日一枚」'05.3/15

 今年から始めている事がある。

 毎日、一冊ずつ詩集を読もうと思っているのだ。

 詩集だけの本棚があり、そこから何かの詩集を選んでゆく。

 それと同じように、ジャンル分けされたCDの棚からも、

 最近は一枚CDを選んで出かけている。

 一日一冊、一日一枚。

 いままでは、一週間ほど同じCDを聴きながら町を歩いていた。

 それも良かったのだが、今は毎朝、CDの棚から選んでいる。

 ぼんやりとした頭で、ぼんやりと聴きたいCDを選ぶ。

 「あっ、これ聴いてみようかな・・」

 今日、選んでのだのはホセ・フェリシアーノだった。

 なぜ、そのCDを選んだかは感覚まかせという事だろう。

 しかし、聴いてみると、なんとも今日の気分にぴったりだったのだ。

 選んだ詩集の方はアポリネール詩集。これも今日の気分にぴったりだった。

 いままでなら、聴きたいものを選んできたが、今はそれはなるべくさけている。

 手に任せている。

 それがいい。それは、何かすごくいい事に違いない。


「部屋御殿化計画」'05.3/11

 ああ、竜宮城に行って見たい。。

 そこには御殿があるという。時間を忘れさせてくれる時間が待っているという。

 鯛や鮃の踊り。。乙姫様。そして玉手箱。。

 「玉手箱」だなんて、なんて懐かしい言葉の響き。

 いや、今日僕が書きたいことは、玉手箱ではなくて御殿の事だ。

 僕の部屋には何でもあると、先日書いたけれど、ホントにそう思うのだ。

 もし僕が、誰かの僕の部屋を訪ねることがあったら、それはもう感動だらけだろう。

 なにしろ欲しい本やCDやギターがすべて揃っているのだから。

 まるで御殿のようだ。

 えっ、竜宮城? それは違うか、、。

 でも我が竜宮城と思ってもいいだろう。

 思っても良いのだが、どうも部屋がそうではない。

 今作ってみたいのはDVDの棚だ。宝石のようなその内容。

 と、なるかはわからないが、自分が感動することはちがいない。

 しかし、現実はうまく取り出せない状態に部屋がある。

 探すのに快適な状態にしたいな。

 この部屋を我が御殿にしてみたいものだ。夢ではなく。

 杉並区高円寺北、竜宮城アパート1号


「僕の部屋には何でもある」'05.3/7

 いろいろ物が増えてしまって、奥の部屋が狭くなってしまった。

 本棚の前に移動式ボックスがあったりして、本を取り出すのもひと苦労だ。

 過去20年間に買いためた本や音源。今の僕の生活に必要なものは何でもある。

 本を買う基準としてはいつも、「いつか必要になるだろう」と思って買ってきた。

 おかげで、調べたいことは、僕の部屋の中に何でもある。

 そんな素晴らしい未来の一日が、本棚の前の移動式ボックスによってうまく働かないでいる。

 まあ、物が増えるということも未来の一日にはちがいないのだが・・。

 いつもいる部屋の壁の半分は本棚に、もう半分は音源の棚にしたいな。

 いつでもさっと取り出せるように。。

 四畳半に住んでいた頃は、コタツの中からどんなものでも手が届いた。

 あの素晴らしい本棚生活をもう一度。

 僕の部屋にあるものが自分でうまく取り出せないなんて、、。

 あっちゃいけない。


「物語の夜」'05.3/5

 都心からは離れた場所に、友達のライブを聞きに行った。

 電車での時間も考えて、文庫本を一冊持ってゆく。

 なぜか「宮澤賢治童話集」。

 トップの話は「注文の多い料理店」。

 何度も読んでいるはずだけれど、ストーリーもおぼろげになってしまっていた。

 (そうそう、これだ・・)。

 とある二人の西洋風紳士の狩人が山に迷い込み、「山猫軒」というおかしな西洋料理店に入ってしまう話。

 「注文の多い料理店」は文句なしに、良い。いまさらにそう思う。

 そんな賢治童話の小さな感動を心に持って、都心からはなれたライブスペースに行くと、さてびっくり。

 座布団の席に座って、店内を眺めみれば、目に入ってくるものが、すべて物語のように思えてきたのだ。

 マスターはもちろん、壁の写真、置物、飼われている犬、空間、レコード、古いギター、他、何もかも。。

 (あれれれれ、、)

 そこにあるどの物をとっても、ひとつの話が書けそうだった。

 (世の中、こんなんだったっけ?)

 僕は何かにつままれている。おかしい、何かが変だ。

 ライブが終わり外に出ると、暗い夜道の向こうには、コンビニエンスストアーが見えていた。

 突然に現実に戻り、もうあの感覚はなかった。駅から電車に乗り、また普通に帰って来た。

 (ふーん、なるほど。。)

 童話とは、ひとつの時間への入口なのかもしれない。


「ライブとは、、」'05.3/3

 今、話題の「ライブドア」ではなく、

 今日のテーマは「ライブとは、、」だ。

 ここ数ヶ月、ビデオの編集をずっとやっている。

 もちろん音を表現しているわけだけれど、ライブというのは、やっぱり映像なのではないかなって思ってしまう。

 たとえば「りんご」と言ったら、それは「りんごの味」ではあるけれど、やっぱり「りんごの色」も含めた存在ではないのか。

 ライブのビデオを見ていると、音以外の情報がかなりあり、まるで演劇を見ているような感じさえするのだ。

 そこから出てくるメロディーやリズムや歌詞もすべて、もしかしたら、もう一度、動画に変換できるのではないかと思う。

 ちょっと意味が伝わらないかな。。

 100メートルを全速力で走ってゆく、オリンピック選手。その世界新記録は、その走る姿の肉体の記録でもあるのだ。

 映像なくば、ただの数字の記録かもしれない。

 それは極端な例ではあるけれど、こう考えて欲しいのだ。

 ひとつの「言葉」が口から発せられるまでの記録。。

 ライブのビデオにはそれがある。それがライブではないのか。

 「だいこん」と「だいこんおろし」の関係のように。。

 まあ、それもすべて含めて音に出てると言えば、出てるのだけどね。

 さて、「ライブとは、、」。。

 それは音を食べにゆくようなものである。


「中華街」'05.2/27

 昨日、横浜中華街まで出かけた。

 京浜東北線の石川町で降りて、赤い中華街の鳥居を越えてゆく。

 みなとみらい線でも行けるのだけれど、僕はこの門を通って行きたい。

 中華の看板と人のにぎわいはなんともいえない気分がする。

 土曜日の午後は特別のものがあるのかもしれない。

 友達とに二人でお昼過ぎに行ったのだけれど、さてどこで食べたらいいものか。

 結局、安い定食を選んでしまった。

 あれだけお店があるのに、そうやって入れるのは一軒か二軒。

 そんなぁ・・。

 しかし、それはしかたがない。

 しかたがないけれど、なんだかもったいない。

 でも、美味しくて安いお店を一軒、僕は見つけた。

 この次もまたその店に入ってしまいそうだ。

 たぶん、君とその店にゆくだろう。

 僕もまた、君のおすすめの店についてゆくだろう。

 それでいいのか。それでいいかもしれない。

 横浜中華街の奥は深い。


「寝る前グッドミュージック」'05.2/24

 昨日、たまたま寝る前に音楽をかけながら眠ってしまった。

 友達おすすめのアルバムである。

 そして今日一日、寝る間際に聞いてた歌が耳に流れていた。

 いつのまにか好きになっていた。

 (これか・・)

 眠る間際に誰かのことを想うと、好きになってしまうかもしれない。。

 まあ、この話はあとでよいとして。。

 普段から音楽は聞いているけれど、眠る前というのは、何か特別な時間帯なのだろう。

 その時に聞く音楽はきっと特別な作用があるにちがいない。

 昨日はたまたま音楽をかけながら眠ってしまったが、普通だったら、音楽を止めて眠りにつくだろう。

 たしかに「スリープ機能」もふつう付いているけどね。

 僕が思うのは、眠る前に、ちょっと普段は聞かないような音楽を聞くと、

 次の日には自然と好きなっているのではないか、、。

 普段聞いてる音楽と、少しだけ外れている方がいい。

 友達おすすめのアルバムとかね。

 眠る前って不思議な時間。。


「部屋ギターの音色」'05.2/20

 冬なので、指にあかぎれが出来て痛い。

 それがちょうど右の人差し指の第一関節のところなので、うまくギターが弾けない。

 弦をピッキングしようにも、柔らかく指が動かないので、固い音になってしまう。

 柔らかい音を出すには、指が柔らかくないとだめなんだな。

 固い音のギターの音は弾いていても、耳も苦しい。

 部屋の中なのに、音も大きくなりがちだ。

 ・・金属弦の固い響きになってしまう。

 たしかにスチール弦は音量もあり良いのだけれど、

 さて部屋の中ではもっと良い弦があるのではないか。

 なんというか、空気が柔らかく響くような。。

 スチール弦を良い音で弾くには、柔らかい間接が必要だ。

 音量は出なくてもいいから、タッチの良い弦はないものなのか。

 まるで、それも生きてるような音。ソフトで澄んだ音色。

 指に力が要らない、空気を鳴らしているような弦のしくみ。

 ライブギターとして、進化してきたギターではあるが、

 部屋ギターとしての進化は、これからなのかもしれない。


「高円寺インディーズ有線」'05.2/18

 僕は高円寺に住んでいる。

 そして、あったらいいなと思っている事がある。

 それは「高円寺インディーズ有線」案だ。

 ミュージシャンとライブハウスの多いことは事実である高円寺。

 その町興しのいっかんとして、「高円寺インディーズ有線」を考えた。

 ちょっと理想ではあるけれど。。

 書店・飲み屋・雑貨や・古着や・ラーメンや・定食や・パーマや・店別で契約してゆき、

 入口に「高円寺インディーズ有線の流れる店」のシール貼ってもらうのだ。

 オープンと同時に携帯用のホームページを作り、常にかかっている曲が何がわかるようにする。

 その後のことは、スタッフに任せるとして。。

 実際にやってみたら、どうなるかそれはわからない。

 意外に良いかもしれないし、苦手な雰囲気になるかもしれない。

 曲の選択にも、よるところが大きくなるだろう。

 前から、ずっと考えていた案ではあるが、実現は難しいのかな。。


「それでよし」'05.2/16

 その帰り道、どうしても焼き鳥が食べたかった。

 ・・じゃあ、焼き鳥屋に入れば。。

 と、言われるかもしれないが、なかなか一人では入りずらいというのが、僕の現実である。

 でも、どうしても今日は食べたい。

 というわけで、その帰り道、僕はひとり焼き鳥屋ののれんをくぐった。

 カウンターに座ってみるけれど、どうにもぎこちない。

 とりあえず注文して、レモンサワーかなんかも飲んでみる。

 隣では、どこかのおじさんが二人、いい感じで話していた。

 どこかの社長さん?

 それはわからないが、なんだかここに通いなれている様子だ。

 僕の焼き鳥はやってきて、七味をかけ、そして食べる。

 (やっぱり、美味しいな。。)

 ふと隣を見れば、おじさんの小さな小皿に割り箸が、きれいにななめに置かれてあった。

 お皿の並べ方といい、「飲み方・食べ方」がサマになっていた。

 僕はと言えば、学校の給食でも食べているようだ。

 でも、それでいいんじゃないかと思う。そういう客なんだし、。

 となりのおじさんふたりのようには、僕はなれない。


「ギターテクニック」'05.2/13

 不思議なものだ。

 自分のオリジナルの歌の作品を創作しているとき、どんなに複雑なフレーズを考えても平気でやってしまう。

 しかし、これがもし、誰かにコピーしてくださいと言ったら、頭を抱えてしまうだろう。

 それと同じで、僕もまた、誰かのギターのコピーをするとなると大変だと思ってしまうし、きっと覚えられない。

 なぜ自分の作品だと苦にならないのだろう。

 逆に楽しいし、指も動く。

 それは何かテクニックとは別の次元にあるもののようだ。

 勝手に、指がフレーズを作ってしまう。

 そして、ある程度のところでストップする。唄うには一番いいところで。

 僕個人的には、一曲に対してテクニックを考え付け加えたことはほとんどない。

 すべて指から生まれるままにしている。

 何か他のことをするならば、それはギターを弾いていることになる。

 僕はどんなに複雑なフレーズであっても、まるでストロークをしているという意識だ。

 だから弾けてしまうのだろう。


「DOVE」'05.2/9

 先日、新宿の駅前にて歌っている人を見た。

 使っていたギターは、ギブソン社の「DOVE」というギター。

 '70年代のフォークギターブームのときには、「ハミングバード」と並んで人気を博したものだった。

 ピックガードに蜂鳥のイラストが描かれている「ハミングバード」のギターと、鳩が描かれている「DOVE」。

 一般的には「DOVE」の方が、繊細な音がするという事だった。アリスのチンペイさん(谷村新司)が使っていた。

 中学生だった僕は、レコードやラジオの中で、「ハミングバード」と「DOVE」の音色の違いを聞き分けようと必死だった。

 そして、だいたいわかるようになった。「DOVE」の音はキラキラしているのだ。

 あれから30年。ギブソン社の「ハミングバード」も「DOVE」も、使っているミュージシャンもあまりみかけなくなってしまった。

 特に「DOVE」に関してはほとんどゼロである。

 ・・・どうして、こうなったのだろう?

 先日、僕はストリートで「DOVE」を使って唄うミュージシャンの前に立っていた。

 10メートルくらい前から、そのギターの音色の響きの素晴らしさが聞こえていたのだ。

 (あっ、DOVEだ・・)

 「DOVE」は楽器屋さんで、みかけることはまれで、なかなか見る機会も、弾く機会もなかった。

 実際に聴くDOVEの音色は、まるで鈴を鳴らしているようで、震えるくらいに良い音だった。

 ギターを越えた音色のようであった。軽い音を響かせていた。

 しばらく僕は「DOVE」の音色に釘付けになってしまった。

 彼の前を、多くの人が通り過ぎてゆくけれど、なぜ、DOVEの音色に気付かないのだろう。

 ・・当たり前か。。

 僕は、ひとり感動していた。

 「DOVE」の人気は今なくなったとしても、ギブソン社は素晴らしいギターを作ってきたのだ。


「HP国会図書館」'05.2/6

 実際そんな場所はない。

 けれど僕は思う。こんなに税金を払ってるのだから、ひとりひとりにホームページ容量をくれてもいいのではないか。

 それは、今、個別に作っているホームページではなく、将来、なくならないホームページの事だ。

 たぶんどこのプロバイダを使っていても、いずれは無くなってしまう。

 50年100年たっても、もし僕の書いたことが残っていれば、情報としても役立つだろう。

 それは、50年100年まえの人のホームページを今見られるようなものだ。

 日々のいろんな事が書いてあるだろう。そして伝えたいことも残っているだろう。

 民間のプロバイダでは、できないことを国でやって欲しい。

 もしそれが可能であれば、税金を払い続けていても、少しは心も晴れる。

 無理ではない話だろう。

 (内容の修正とかはできないだろうけれど、、。)

 20メガくらいの容量でいいな。たった20メガでいい。


「パソコン本」'05.2/3

 近々、DVDの機械を買う予定なので、本屋さんにて、いろいろ情報を集めている。

 いろんな本が出てるんだね。

 「超初心者・大歓迎」「痒いところに手が届いてます」「DVDパーフェクトガイド」etc・・。

 しかし、中を開いてみると、図があるもののどれも難しい。とにかく説明文が長いのだ。

 図を多くしても、文字を小さくしたら、同じじゃないか!!

 とても超初心者にはわかりそうにもない。

 (あっ、思い出したよ!!)

 その昔、僕らが中学校の頃、参考書選びや暗記本を買うときに、極力わかりやすい本を買ったことを。。

 特に「歴史」と「地理」の参考書。シンプル暗記本もそうだ。

 できるだけカラーを使った図で、わかりやすく説明していた参考書たち。

 わかりにくいものも多かったが・・。

 なるべく頭をつかわないものが良かった。そして楽しい色づかいのもの。

 パソコンの本は、きっとどれもわかりにくいことばかりだ。

 わかりやすく作っているようだけれど、あの中学の頃の参考書のようではない。

 「超・初心者」と言っているのだから、そのように作って欲しい。

 参考書の歴史を研究しなくちゃね。「ちょっと、ひと息」のコーナーは必要だ。

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