「最近の事」過去ログ'14.4月〜'14.7月「エッセイ・インデックス最近の事」へ
「話し出す人形」14..7/27
今、駅のホームにゆくと、異常な多さで、
iPhoneやスマホを、さわっている人を見けける。
まあ、ちょっと前だったら、携帯電話でメールを打っていた。
みんな時間を大事に使っているというか、
充実した携帯メディア活用をしているんだな。
たしかにインターネットが普及してから生活は大きく変わった。
だんだんと慣れてくると、インターネットに追われるようにもなってしまった。
・・・・・・・・・・・・・
ずっと歌の創作をしてきてはいるが、
どうも最近、創作のペースがつかめないでいる。
部屋に戻ってきても、ずっとパソコンとインターネットがそばにある。
バスに乗っているとき、ふと思い出したことがある。
以前は部屋にいると、とても静かで、部屋のものが語り出したものだったなと。
今はぜんぜんそんな気配がしてこない。
すべてのものと距離が近くなったということもあるだろう。
インターネットが良い面は多いけれど、空間や時間を変えてしまったのかもしれない。
やっぱり創作には、必要な時間というものがあるだろう。
もういちど、人形が話し出すようにならないとなと思う。
ここは少し、落ち着いて、そんな時間まで戻ってみようと思う。
「ブラボー私見」14..7/27
先日のライブでは、小さめのスペースであったのに、
演奏が終わるやいなや「ブラボー!」と声を出すおじいさんがいた。
正直に、それは気持ちの表現であり、それを伝えるということには、何の問題もない。
たしかに力の入った演奏ではあった。
クラシックのコンサートなどでは、演奏が終わったあと、ブラボーと叫ぶ声をよく耳にする。
それはやはり感極まってという表現と思える。
「ブラボー」と叫ぶことにも、長い歴史があり、それはすでに常識の域にまで来ているとは思う。
しかしだ。やはりそれは常識であったとしても、「ブラボー」は、イタリアの言葉。
僕にしてみたら、やっぱりかなりの違和感がある。
「ブラボー」の意味については、嬉しいとか、最高とか、よくやったとかの意味合いであろうか。
いかにもハッピーな言葉である。
しかし、音楽の感想としてそれは、いかがなものかと思う。
悲しみ苦悩を表現した楽曲にも、ブラボーであろうか。
ブラボーなのかもしれないが、、。
僕のよく聞くライブでは、演奏が終わったあとに、
「イエッ!!」「フゥーッ!!」とか「ワオッ」とか、叫ぶ人が多い。
それでいいんじゃないか。決してほめている言葉でなくても。
その演奏の意気に何かを感じた。それでいい。
どう良かったかについては一言ではいえない。
それでいいんじゃないか。
「CD発送」14..7/25
レーベルのCD注文もやっているので、
毎日のように、CDを発送したりしているが、
全国、いろんなところに送れるのが、ほんとに嬉しいし、
やってて良かったな実感できる。
昨日も熊本の方にCDを送ったのだが、
そのアルバムを熊本に送ったのは、たぶん初めてであろう。
地方に送るときは、いっておいでと言う気持ちになる。
次々と注文の来るアルバムであるのなら、
すぐに47都道府県にアルバムがいきわたるだろうけれど、
たまに注文がくるアルバムであればあるほど、
地方からの注文が嬉しい。
僕も中学・高校時代、柏崎からいろいろアルバムを注文をした。
アルバムが届くのは嬉しいものだ。
「ひとつ前の携帯」14..7/22
最近知り合った友達が、
以前の僕の使っていた携帯電話を持っていた。
機種も色も同じ。
メールや電話があったときのピカピカと光る小さな光も同じ。
よーく知っている。その明りを。
と゜んなにか、その光を見たことか。
その携帯は今も箱の中にあるけれど、明りがつくことはない。
誰かからメールが届くことはない。
その前に使っていた携帯は、はじめての携帯であるが、
それもとても懐かしい。
まったく反応はないけれど、、。
それはもう遠い思い出。
ひとつ前の携帯、まだ生きていたんだな。
よかった。
「かっこいい歌」14..7/20
最近のライブを観にゆくと、
弾き語りでもそうだけれど、かっこいいメロディーを歌う人が多いなという印象だ。
まあ、歌作りは本人の創作なので、それが合っていると思うなら、
それはそれでよい。
でも、せっかく一曲作るのだったら、オリジナリティーあふれる歌になるといいのにと思う。
全体の印象がかっこいい歌って、やっぱり作りやすいのかもしれないな。
でも、できれば、最初の大元の元のところで、これぞこの曲というフレーズを作れたらと思う。
それがかっこいいとはいえないメロディーでもいいじゃないか。
そのメロディーやリズムのフレーズが、どう進んだり、生きてくるかが、
大事だし、そこに美しさも生まれる。
それで十分だと思うんだけれどな。
「夢を見ている」14..7/15
新しいアルバム「ブルーブラック」が完成して、
電車の行き帰り、朝と夕にほぼ毎日聞いている。
イヤホンで。
目の前の40代と思われるサラリーマンの男性もイヤホンをしている。
オフィス勤めと思われるきちんとした服の女性もイヤホンをしている。
(ああ、この仕事帰り、みんなが「ブルーブラック」聞いていたりしないかなー)
なんて妄想もするわけである。
そんな日が来ないかな、、なんて。
しかし実際に聞いている人もいる。
それは僕だ。
ブルーブラックを聞いている一人として、
少なからず、夢に近付いている。
そんな気持ち。
「学校に行くみたい」14..7/12
今夜は、ニューアルバムの発売記念ライブがある。
プレゼントやCDも用意して、もうすぐ出かけるところ。
そこはライブハウスではなく、ふつうの雑貨店である。
なんだか、学校に行くみたいな気持ちである。
そこには、きっとよく会っている友がやってくるだろう。
まるで学校のクラスメイトのように。
放課後、クラスの中で創作したり打ち合わせしたりして、
みんな完成までの過程も知っているのだ。
そして、発表の日が来る。
なんだか今日はそんな気分だ。
学校であったなら、終わってから、
ファンタなどの炭酸飲料で乾杯をするだろう。
今夜は、ワインで乾杯したい気分。
「文字が浮かんでもいいよね」14..7/8
昨夜はエッセイを四つほど書いたのだが、
どれもボツにしてしまった。
まるまる夜がつぶれてしまった。
どれもいい感じのエッセイだったんだけどなぁ。
少しメッセージが強かったようだ。
でも、それを書いているときの文がそのまま、
ホームページに出てきてもいいなぁと思った、
どんどん書き上げていって、
最後には、いっせいに決してしまう。
それならば、残らないし、読んでいる人も、
ああ、ボツなんだなぁ、やっぱりとか、思うだろう。
チャットみたいな感じか。
それもいいなと思う。
次々と文字が出てくるなんて、
リアルでいいな、
「旅に出る歌」14..7/6
一度は、しまわれてしまった歌が、
また命をもらい、録音されて、みんなに少しずつ届いている。
それがほんとに嬉しい。
歌詞ノートにしまわれてしまった期間の長さのぶん。
アルバム制作の話が始まってから、その歌の録音日まで四か月ほどあった。
その間、僕はずっとどきどきしていた。
うまく形になるだろうかと。
できれば、ベストテイクで残したい。
そして生き生きとした楽曲にしたい。
やがてマイクの前に来る日が来て、録音はされた。
うまく、命を吹き込めて気がした。
ひと安心。
アルバムに入った歌が、変化することはないのだけれど、
その歌が素敵な旅をしているように思えてならない。
アルバムを手にした人のぶん、そのアルバムをかけた回数のぶん。
「道ききオヤジ」14..7/3
外仕事をしていると、よく道をきかれる。
普通にきかれても、たいがいはわからない。
けんとうちがいのところに来ていることが多いからだ。
いろんなタイプの人に道をきかれる。
ある女性は、
「どうしてわからないの?」と、逆に言われた。
ありえるか? ても、そういう人もいます。
昨日は、またすごいおじさんに道をきかれた。
つかつかと近付いてきて、あたりまえのようにきいてきたのだ。
まるで友達のように。
名前は知っているが、近くにはないはず。
「ここらへんにはないですね」
「近くだと思うんですけどね」
「住所ってわかるんですか?」
「16-7くらいだと思うけど」
「ここ15ですから、近くですね」
「で、おまえは知っているのか?」
「わからないですよ」
「知らないなら、知らないって言えばそれでいいんだよ!!」
おいおい、人に道をたずねておいて、
そりゃないだろう。
なんなんだ、あの人は。
帰宅してその建物をネットで探したら、2丁も離れた場所であった。
では、あの言った住所はなんだったんだ。
住所くらい知っていると言いたかったのか。
プライドの高い道ききオヤジか。
迷っていないって言いたいのか。
迷いオヤジよ。
「夜中」14..6/30
これから何げなくも、大切な送りものをしなくてはならないのだが、
時間はあるのに、どうしても作業をすることができない。
夜11時をすぎたら、手紙を書き始めようと思う。
どうしても、その時間でないと、大切な手紙が書けない。
静かな時間が必要だ。
なぜかはわからない、大事な手紙は夜おそく書いている。
「みらいのひとつ」14..6/29
新しいアルバムがやっと完成した。
これまで四人しか音源を聞いたことがないものが、
やっと他のみんなにも届けられるようになった。
ジャケットも音源も手作り感でいっぱいで、
ぱっと聞いたり見たりしたら、
丁寧さが足りないように思われるかもしれないが、
生き生きとした歌と演奏になっている。
そのバランスがむずかしい。
ずっと残る作品となると、ついつい作りすぎてしまうからだ。
それが良い場合ももちろんある。
・・・・・・・・・・・
ひとつのアルバムを作るのは、
やっぱり一曲を仕上げるのと似ている。
アイデアから始まり、歌詞の題材、メロディー、リズム、
それから演奏、歌唱。
長い時間がかかるときもあれば、数日でできるときもある。
どれをもって完成とするかは微妙だが、
いつもどおりに作ればいつもどおりのものになり、
それなりのものに仕上がってしまう。
作り出すとき、すっとアイデアも出てくるが、
それはぐっと抑えて、みらいのひとつをイメージする。
なるべく、新鮮さが消えない作品になるように、
ひとり歩きできる作品になるようにと。
・・・・・・・・・・・
今回のアルバムは、とてもシンプルである。
タイトルも含めて、少し古めかしい感じもする。
昔からあった一枚のようでもある。
いえいえ、みらいの一枚なんです。
あきない色でできています。
「缶コーヒー・ジョージアヨーロピアン香るブラック」14..6/26
缶コーヒーは山ほど新作が出ているが、
ジョージアから出た「ヨーロピアン香るブラック」は、かなり気に入っている。
説明を読めば「猿田彦珈琲店」が監修しているという。
なんとも味わい深い珈琲の味がする。
缶珈琲の裏を見ると、(コロンビア26%、ブラジル25%、グアテマラ25%)、香料
とある。
最近、珈琲豆から珈琲をいれているので、豆を選んで、
自分で作れるわけだ、、、と、ここまで書いて、もう一度見たら
(コロンビア26%、ブラジル25%、グアテマラ25%) これでは、全部で77%ではないか、、。
残りは香料ってこと???
そこが問題だ、、。やっぱり再現するのは無理だったのか、、
でも、だいだい似ている味になるかもしれない。
ほんとの猿田彦珈琲店では、香料は使っていないだろうし、、
試しにこのブレンドで作ってみたい。
小さな夢。2014、私の小さな夢。
「いいんです」14..6/20
ここ半年、ずっとアルバム制作に集中していたので、
新曲作りは、してこなかった。
夜にわっと歌詞を書いて、朝に曲をつけるなんて、
僕にはとてもできない。
そんなふうに歌ができたら、ほんといいのになぁ。
新曲のアイデアはあったのだが、
それをどう形にしたらよいのか、、
メロディー作りにひと月半、歌詞のアイデアにも、
けっこうノートをつかった。
おとといのライブに合わせて作っていたのだけれど、
なんとか歌ってみれたものの、完全に未完成であった。
でもいいんです。
ラスト三日はほんとに集中して創作した。
でも出来なかった。
半年も新曲作りをしなかったら、こんなものだろう。
でも、ここからはじめないと、、。
次の歌のためにね。
「FOLK NOTE」14..6/16
最近、仕事中に小さなノートを一冊買った。
まあ、一日の予定などを書くノートなわけだけれど、
そのトップページには「FOLK NOTE」と書かれてある。
一日の予定を書くときもまず、
FOLK NOTEと書いてから続きを書いている。
なにを今さら「フォーク」などと、、
やっぱりね。仕事をするにしても、電車に乗るにしても、
音楽を聞くにしても、創作するにしても、
フォークの人でありたいなって思うわけです。
やっぱり基本はフォークなんですよ。
何をもって「フォーク」というかは難しいところですが、
常に歌と居たいという願望でしょうか。
とりあえず「FOLK NOTE」続けてみます。
「昭和の工場」14..6/14
仕事で下町の工場をよく訪ねる。
僕が訪ね始めた25年前は、まだ下町の工場にも活気があった。
そしてどんどん小さな工場はなくなっていき、
残った工場も、人が少なくなっていった。
それでも、今も残っている工場も多い。
しかし、機械も工場も人もそのままのようだ。
続けてゆくむことが精一杯のようだ。
ふと、訪ねる下町の工場。
薄暗いその工場。
その工場を見ているとなんだか泣きそうになる。
先日も、ひとつ工場が仕事をやめてしまった。
工場に残る機械たち。そして人はいない。
人はいない。
昭和の時代の音はもうしないのだ。
その工場にたたずみ、ひとつひとつを眺めていたい。
まだ動いている時計を眺めていたい。
「そして気付いたこと」14..6/10
地下鉄に揺られて、、
揺られて、、茅場町、東銀座、銀座、
霞ヶ関、国会議事堂前、赤坂見附、四谷、
シートに座っていると、目の前にハイヒールの女性が、
当たり前のように、立っている。
なぜに、そんなに高いヒールでなければと思うけれど、、。
もう一年以上も、そんな地下鉄に揺られていると、
頭の中のバランスがおかしくなってくるようだ。
ちょっとここには異文化があるんじないかと思えるほど。
じっと、イヤホンで好きな音楽を聴いている。
もうなんだか、アフリカの木彫り人形になったような気分。
ここではほんとに仕事優先で、、
いろいろ文句も言いたくなるのだけれど、
一年、じっとしていたわけです。
さて、僕に何ができるんだろうと思ったとき、
やっぱり歌しかないんだろうなぁとわかった。
僕に何かできるとしたら、、。
「スピーカー試聴」14..6/8
いろんなスピーカーも、今は、
インターネット動画サイトで、試聴することはできるのだが、
これがなかなかにあいまいで困ってしまう。
その音を録るビデオカメラのマイクの質にもよるからだ。
まあ、比べられるスピーカーとふたつ聞かせてくれるという方法もあるのだが、
それでも、実際の音はなかなか伝わらないであろう。
もったいない話。
やまほど、スピーカー試聴の動画はあるんですけれどね。
もし、これが本当に、耳で聞いたように再現されるなら、
楽しみも倍々であろう。
生ギターの試聴動画もあるけれど、これが微妙なんだよね。
もしリアルに音が再現できたらなぁ。
「プロモーションビデオ」14..6/4
新しいアルバムが出来たら、
プローモーションビデオを何曲か作りたいなとか思っている。
ライブで歌っている映像ではなくて、
別の感じで、イラストレーションでもいいな。
イメージはあるのだけれど、それをどう形にしたらいいものか。
もし、ちゃんとしたレコード会社での発売であったら(無理ですが・・)
それなりのプロモーションビデオを作ってくれるような気もするのだが、、
いや、もとい。。
いままでになかったものでもいいじゃないか、、。
イラストレーションがいいな。
自分では描けないけれど。
夢があります。
新しいアルバムを聞いてくれたみんなも、
きっとそう思うような気がしているんだ。
「振り返ると、そのスピーカーは」14..6/1
とある老舗のライブハウスに出かけた。
30人ほど入るスペースで、音響機材も充実していた。
店内に飾られているもの、ちょっとお宝ふうのものばかりであった。
こだわりの店という感じであろうか。
流れている音楽は、60年代のカントリーであった。
僕はカウンターに座っていたわけだけれど、流れている音楽が、
妙に心地よく聞こえてくるのに関心していた。
どんなスピーカーを使っているのだろうと思った。
JBLか、BOSEの101か、他のメーカーか、、。
振り返ってみると、それはSONY製のほんとに小さいスピーカーであった。
直径10センチもないような正方形のスピーカー。
それはほんとに意外だった。
ちゃんとベースの音もドラムの音もリアルに聞こえていたからだ。
でも、どこか、ラジオ音質に近い感じはしたのだが、
録音自体が、50年代60年代という感じなので自然であった。
お店自身にこれだけこだわりがあるのだから、
もちろんスピーカーにもこだわりがあるのだと思う。
たしかに、この小さなスピーカーから流れてくる音は、
新しい録音のものであっても、どこかラジオに近い音になるであろう。
店内は、古いアメリカン酒場というふうでもある。
やっばりそこに流れているのは、ラジオの音質の音が似合っているのかな。
なんとも心地よい。
ただ単に小さなスピーカーではこんな自然の音にはならないであろう。
やっぱり音のことがわかっているのですね。
あっぱれであった。
「高校時代のストローク」14..5/28
中学の頃はいいから、やっぱり高校時代だな。
ギターはよく弾いていたけれど、
中学時代は、ただのジャカジャカジャカのギターストローク。
高校時代は、本気、まるで空気を鳴らすようなギターストローク。
ああ、あのときのストローク、ほんとうに良かったなぁ。
もう二度と、あんなふうにストロークは弾けないかもしれない。
高校時代は奇跡のような三年間だった。
アンソニー・スカデュトという人の書いた、
「bob dylan」という伝記本をバイブルのように読んだ。
その本の表紙は、暗いバックの中、エレキギターを弾くディランが写っていた。
僕の高校時代の時間は、あの本の表紙に集約されている。
しっかりと手ごたえのある時間が流れていた。
「珈琲ガム」14..5/25
今はほとんどガムをかまなくなったが、
小さい頃は、ロッテのガムをよくかんだ記憶がある。
ふと、気付いたときは、ロッテのクールミントガムがベストセラーだった。
例のペンギンのやつね。
小学生だった僕が好きだったのは、
そうそうこれ、コーヒーガム。
しかし、いつしかコーヒーガムは絶滅しました。
こんなに愛されている珈琲なのに。
コーヒーガムは絶滅しました。
その理由は不明ですが、
きっと缶コーヒーが出てきたからでしょうかね。
もしずっとコーヒーガムが残っていたら、独自の進化をたどっていた気がする。
そういえばコーヒーガムってあったなぁ。
「ヤマザキのジャム&マーガリンコッペパン」14..5/22
消費税が8%になり、
各店舗では、やたらに「税抜き」価格を前面に出している。
2990円(税抜)って何だ???
コンビニストアーに入ってパン売場にゆくと、
やっぱり税抜き表示になっていて、税込みにすると138円とかになってしまう。
パンひとつ、138円の時代かぁ。もうすぐ150円じゃないか!!
いやだいやだいやだいやだいやだ。
つい手は、お買い得な、「ヤマザキのジャム&マーガリンコッペパン」に伸びてしまう。
ああ、おじさんは結局、またこのパンだよ。
こんなにパンがあるのに、またこれだ。
これがおじさんの証拠であろうか。
袋には「超ベストセラー商品」と書かれてあるが、
まだまだそれは続くであろう。
「二十人くらい」14.5/18
'70年代のことを思い出していた。
地方にいた僕は日本のフォークシンガーというと、
有名どころの人たちしかしらなかった。
二十人くらいの有名どころ。
僕はその二十人くらいのシンガーさんたちに夢中になった。
でもその頃だって東京にはライブハウスはあり、
信じられないほどの弾き語りシンガーさんたちがいたのであろう。
地方にいたら、それは伝わってこない。
まるで二十数人のシンガーさんたちが、時代を作っているように思えたものだった。
アメリカのフォークシンガーさんたちも、やっぱり二十数人くらいのみなさんが有名どころだった。
アメリカっていったら、日本の数十倍の弾き語りシンガーさんたちがいたであろう。
なんだか不思議。。
不思議なんですよ。その二十人という数が、、。
もしかしたらね、親しい友人というのも、二十人くらいというのが、
ちょうどいいのかも。
今、動画サイトのYou Tubeなどでは、シンガーたちがあふれていている。
きりがないというのが実情だと思う。
世界はもちろん広いけれど、
僕が思うに、やっぱり二十人くらいのひとグループの中にいるのが、
落ち着いてちょうどいいのではないかと思う。
「どれもいい音」14.5/15
先日、友人の家で聞いたアルティックのスピーカーは、
ほんとに良い音であった。どの音源を聞いても良く聞こえた。
こんなスピーカーが欲しい。ほんとに。。
以前もっていた携帯用カセットテープ再生マシンには、
「ライブモード」というスイッチが付いていて、
どんな音源も、ライブのように変えてくれて、
どれも良く聞こえた。魔法のスイッチであった。
どんな音源も、生き生きと素晴らしく聞こえるスピーカーが欲しい。
高性能になって、荒いところが拡大されるようなスピーカーではなく、
どんな音源も味わい深く聞こえてくるスピーカーがほしい。
アンプも欲しい。
「長い夜」14.5/10
就学旅行で、夜、トイレに起きたりすると、
ロビーとか静まりかえっていて、大きな柱時計の振り子が揺れ、
「まだ2時かぁ・・」なんて、つぶやいたりしたものだった。
思い返せば、夜は長かったなぁ。
ちゃんと「夜中」というものがあった。
今、僕は朝は5時に起きているので、夜、寝たと思ったら、
いつもあっというまに起きる時間になってしまう。
小学校の頃、夜中によくトイレに起きた。
ああ。あれはちゃんとした夜中だったなぁ。
1時半、2時、2時半、3時、3時半、4時、4時半、5時、5時半、、。
ああ、なんて夜が長かったんだろう。
もう、この部屋には、あの長い夜はない。
ない。
「突然にわかったのだ」14.5/7
なんだか急にぼろぼろの風が吹きて来た。
さて、どうしたらよかんべえなぁ。
何が必要かなと思ってみた。
扉を開けると、そこには机があり、
そこに乗っているものがある。
まるで夢の中のシーンのようだけれど、、
扉を開けると、そこには机がある。その上に乗っているものは、
突然、わかったのだ。
それは、今年の手帖だ。
その一冊がただ乗っている。
「結局ね」14.5/5
新しいアルバムのMIX最終確認のために、
ヘッドホンやイヤホン、そしてCDラジカセ、
なんとか、良いものが欲しいと思った。
安いイヤホンしかなかったので。
音の確認ができないのは困った。
大きな家電量販店に行って、いろんなイヤホン、ヘッドホン、
そしてCDラジカセなど、試し聞きをした。
最高級のイヤホンやヘッドホンでも、MIXした音源を試し聞きをした。
CDラジカセでも、MIX音源を聞いてみた。
それで結局、MIXの最終確認は、店頭の高級ヘッドホンですることが出来た。
そうなってくると、もう買わなくてもよくなってくる。
うーん、イヤホンだけは買ったのだが、CDラジカセとヘッドホンはパスしてしまった。
MIX確認を、家電量販店でするなんて、想像もしてなかったこと。
「しぼりでる夢」14.5/4
休日、いろいろやろう思っていたこともあったのだが、
ついつい眠ってしまった。
普段、あまり夢も見ないのだが、昨日は夢見が悪かった。
とても怖い夢をみっつも見た。
まるで記憶の中からしぼり出したような夢。
昨日は何もしなかったけれど、その夢を見たということで、
仕事をしたようなものだろう。
それでよしとした。
「それは一理あり」14.4/30
ああ、CDラジカセが欲しいなぁと思いながら、
家電量販店に行き、あれやこれやと見ていた。
もちろん音が第一優先ではある。
とある大きな総合デパートに行ってみると、
小さめのモニターが付いた、DVD再生機能もついたCDラジオがいくつかあった。
そうなんだよね。
パソコンで音楽DVDを再生して、音楽を楽しむことは多かった。
映像を見ていないとしても、音楽を楽しむということは出来る。
そんなの邪道だととおっしゃる方も多いとは思いわれますが、
DVDの再生が出来たほうが利用はかなり広がる。
大手メーカーさんも、ちょっとだけその辺に耳を向けてくれるといいな。
デパートにあった、DVD再生機能付きCDラジオ。
確かに一理ありますね。
「それを伝えずして、、」14..4/28
持っているお気に入りの生ギターをポロポロと弾いてみると、
実に音が良いのがわかる。ほんとかすかに弾いただけでもそれはわかる。
やっぱり何かがあるんですね。
もう10年ほど前のことだが、とある駅まえを乗り換えで通ったとき、
ぞくぞくっとするような生ギターの音を聞いた。
駅前のストリートで唄っている人がいたのだが、使っているギターが、
ギブソン社の「DOVE」であった。
ギブソン社の「DOVE」と言えば、高級ギターで、僕の憧れのギターでもある。
値段も高い。
僕はその唄っている彼から7・8メートルは離れたいただろう。
耳に、言葉で言えない、独特の「DOVE」の響きが届いた。
これは鳴っている音とはまた別の響きでもあった。
マーチンのギターでも、ギブソンでも、他の有名ギターでも、
鳴っている音の回りにある、ふわっとした残響音のようなものを感じる。
僕の使っているギターで言えば、ほんとにかすかに小さく弾いたときに、
それは聞こえてくる。
理屈は抜きで、その音を伝えなくてはならないなと思う。
ひとりのギター弾きとして。
ギターテクニックとか、リズムとかいろいろあるけれど、
僕はそれも伝えたい。
なんとなくでよいから。
「これは意外だった」14..4/26
今制作している新しいアルバムの中には、1曲問題作があった。
イメージはあるものの、それがうまく表現できるかはむずかしいところであった。
案の定、録音してみたものの、うまくゆかなかった。
しかたがないので、最初のミックスに、すべての期待をかけて待った。
アルバムの問題作。。
気持ち的には、ほぼあきらめて、それなりになってくれればOKという感じであった。
その曲の最初のミックスが出来上がってきたが、予想どおりというか、
うわーっ、どうしようというレベルであった。
ここは考えを変えて、シンプルなアレンジに直してみた。
なんとか、それでなんとか、、。いけた気がした。
・・・・・・・・・・・
アルバムの仮ミックスが出来てきたので、
家にある古いラジオの入力端子に、CDプレーヤをつなげて、
ひととおり聞いてみた。まるでラジオから流れてくるかのように。
そうしたら、、あの問題作だった1曲が、一番はまっているように聞こえた。
ヒットするんじゃないかという勢いも感じられた。
えーっ、そんなことってあるのか、、あるんだな。
問題作だったのに、突然にベストテイク曲になっなんて。
その歌がどれだったかは、、ここでは言わないでおこう。
楽しみに聞いてください。
「私の娘、息子、そしてCDアルバム」14..4/23
新しいアルバムを録音、そしてミックス、マスタリングをしている。
かなり気にかけてはいるものの、今回は、ある程度はほっておいて、
自然に仕上がるのを待ってみた。
まるで、まだ小さい息子や娘が普段は自由に遊び、
、
とぎどき、その成長を見守るような感じで。
(実際は、僕に子供はいませんが。。)
やっぱりね、過保護はいけませんよね。
あんまり、何もかもってやってしまうと、わからなくなってしまうでしょう。
ときどき、そっと眺めてみるから、わかるってこともあるでしょう。
CDアルバム制作も、ある程度、そのアルバム自身に任せてみて、
ここだけはってところだけ、修正してゆくって感じでいいと思うんです。
あんまりいじりすぎないで。
アルバムもまた、娘、息子みたいなものですよね。
そう思うんです。
「いつも僕は生ギターの音を中心に考えている。」14..4/20
昔ながらのCDラジカセってないのかなって探したけれど、
どうやらまったくないということがわかった。
時代は変わってしまったんだな。
各メーカー、一台くらいは以前の大きさのラジカセを出していてもいいのに。
それはないみたいね。
たぶん、どうせ壊れるCDラジカセに何万円も出すのは、もったいないのかな。何万円も出すなら、高いイヤホンを買うほうが良いのかな。
現代人はもう大きな音でラジカセを聞くことはないのかな。
小さめの音で鳴らすくらいの生活をしているのかな。
音楽はイヤホンで聞くものなのか。
生ギター弾き語りのアルバムを聞くとき、
やっぱり生ギターの音がそこから聞こえてくるようであって欲しい。
ある程度、低音が出ないとね、
小さめのCDラジカセでは、やっぱり生ギターがそこから聞こえてくようではない。
そこがとても残念。
いつも僕は生ギターの音を中心に考えている。
「まほうつかいのくるとき」14..4/17
映画「ロード・オブ・リング」の中で、
魔法使いのガンダルフが、
「魔法使いがくるときは、遅くもなく早くもない、、」と言う印象的なシーンがある。
今、新しいアルバムのミックスをしているが、
ふとしたことで、新しいアイデアが浮かび、
いっきにまとまりが出てきた。
そのアイデアが出るのは、やっぱり、
遅くもなく、早くもなかった。
ミックス作業はひと月ほど伸びてはいるが、
それでよかったと思う。
結局は、より良い作品になるであろう。
魔法使いが来るときのように。
「いなくなった先生」14..4/13
友達と学校時代の先生の話になり、
小学校一年から高校三年まで、担任の先生のことを思い浮かべてみた。
当然のように思い出していったら、高校二年の担当の先生だけ、
どうしても思い出せない。
顔はわかるけれど、名前はちょっとと、いうことではない。
すっかり顔も存在も思い出せないのだ。
高校二年のとき、一年間お世話になったのに、
なぜに記憶から消えてしまったのだろう。
いなくなった先生。。
どうしても僕には信じられない。なぜ記憶から消えたのだろう。
よほど印象がうすかったのか、、。
高校二年といえば、僕がもーれつにボブ・ディランに熱中していた年だ。
レコードを集め、本を読み、歌を憶えた。
たぶん先生とボブ・ディランが入れ替わっているのだな。
高校二年のときを思い出そうとしても、まったく出てこない。
あるのはディランを聞いていたことばかり。
「もう部屋にラジカセはない」14..4/11
新作アルバムのためデモ音源を、
CDラジカセで聞いてみたいと思い、部屋でラジカセを探した。
たしかにあったはずなのだ。
それも買ってそんなに使っていないCDラジカセが。
しかし、どうしても見つからない。
たぶん、引越しで処分したのであろう。
理解できないのだが、本当に処分したみたいだ。
もう必要ないと思ったのかな。ステレオセットはあるので、
それで充分と思ったのかな。
もう部屋にラジカセはない。
なんてことだ。。
新しいアルバムは、やっぱりラジカセで聞いてみなくちゃね。
うーん、何か大きな落し物をしたかな。
「いちおうとどまる」14..4/8
新しいアルバムが、もうすぐ出来る予定だが、
まだもうちょっとかかりそうだ。
昨年の夏から準備、そして秋から録音に入っていて、
今はMIXの途中。
もう半年近く、いろいろとアルバムについて、動いているが、
その間、創作の方は、ひとまず置いてある。
やっぱりアルバムが完成するまでは、そこにとどまっていたいのだ。
理由ははっきりとはわからないのだが、
それに集中していたい。
集中することで、きっと良いものが出来るような気がするのだ。
親鳥が卵を大事に暖めるように。。
「RAM ON」14..4/5
小学三年のとき、兄がビートルズの「レット・イット・ビー」のアルバムを買った。
それがてとも良くて、続いてポール・マッカートニーの新譜の「RAM」というアルバムを買った。
小学三年なので、ただぼんやりと聞いていただけだったが、
レット・イット・ビーに比べたら地味だなぁという印象であった。
そんなポールの「RAM」、ここ最近、通勤の行き帰りに、何度も聞いているが、
実に素晴らしい。特にA面の曲順とアレンジ。
すごい才能なんだなぁとあらためて思う。
「ウイングス」の頃に出した「バンド・オン・ザ・ラン」のアルバムも素晴らかったが、
どこかやっぱり商業的な感じがした。
それに比べて「RAM」は手作り感がいっばいで、とても身近に感じる。
ほんとうなら、ホーンセクションなどを使うとイメージぴったりと思う音でも、
身近な他の楽器で、そのイメージを作る。
それが実にセンスが良いのだ。
曲順にしても、まったくあきさせない。うーん、やるなぁ。
・・・・・・・・・・
僕が小学三年といえば、今から43年も前のこと。
部屋に、あった大きなステレオセットから、ポールの「RAM」が流れていた。
聞いている同じ音源が、部屋に流れていた。それが耳に残っている。
40年たった僕と、変わらない音源。
今、聞いても、大変に良いのは当然として、
僕には、懐かしい昔ばなしのように、曲の流れが感じられるのだ。
「日本一うまい立ち喰い蕎麦屋さんを知っている」14..4/1
外仕事をしてると、月によって、
行く場所が変わってくる。
今日行った場所の近くには、とても美味しい立ち喰い蕎麦屋さんがある。
朝食は他で食べたのだけれど、どうしても、そこの立ち喰い蕎麦が食べたくなり、
出かけていった。
かなり広いスペースのお店。以前はとても賑わいがあり、
トッピングのケースには、乗せきれないほど乗っていた。
今日行ってみると、お客はひとり。トッピングケースには、
こじんまりとトッピングが置かれてあった。
たしかに、他チェーン店の牛丼とかにくらべたら、値段は高い。
立ち喰い蕎麦は、どんどん値段はあがってしまった。
それに加えて、若者があまり、入らないのかもしれない。
あんなにいつも忙しそうしているおやじさんが、お客さんの席に座っていた。
食べてみる、ここの蕎麦は、、うーん、やっぱり日本一うまい!!
と、僕が勝手に、ここで言っているだけだけれど、
他のどの蕎麦屋さんとも似ていないのだ。
でも、こんな日本一の立ち喰い蕎麦屋さんでも、こんな感じでは、
心配になってしまった。
どこの蕎麦屋さんもそうなのかもしれないのだが、、。
僕は知っているんだ。ここが大変な賑わいがあった頃を。
みんな知っていたんだ。ここの蕎麦のうまさを。
おーーーい、ここは、にほんいち、うまい、そばーなんだよー