青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'13.12月〜'14.3月エッセイ・インデックス最近の事」へ

「エスニック」14..3/30

  パリの街を歩く、日本のお嬢さん。

 見上げるパリの街並みは、エスニックそのもの。

 マクドナルドハンバーガーとか、あるかも知れませんが、

 個人的には、思い切りわがままなパリであって欲しいはずです。

 多少は時代の流れがあると思いますが。

 ああ、こんなにもエスニックだな、、と日本のお嬢さんが感じるパリの街並みで

 あったとしたならば、それは、パリ自身が、自然にしているからでしょう。

 そんなふうに、一番リアルなエスニックは、気付かないほどの自分自身の中にあると、思うんです。

 たとえば外国の人が日本にやってきて、どんなふうに一番エスニックを感じるかは

 実際はわかりませんが、僕はやっぱり、話し言葉の中のリズムの感じるのではないかな。

 よーく、思い出してみてください。知り合いの人のそれぞれの人柄と、話し言葉のリズムを。

 ひとりひとりが持っている一番の自分らしいエスニックは、話し言葉のリズムの中にあるのではないかな。

 よく、自分らしいリズムを探しなさいと言いいますが、もうすでにみんなが持っていると思うんです。

 日本のお嬢さんが、パリの街並みを見上げたときに感じるものと同じものが。



「スポーツじいさんの世界的発見」
14..3/27

  区役所通りの手前の、小さな信号機のところ。

 足どりの軽い、ひとりのおじいさんが、信号待ちをしていた。

 ほぼジョギングの途中のように。

 そして、信号が青に変わったときのこと、

 右左の確認のついでと思われるのだが、

 体操のように、体の左右に手を一緒に回したのだ。

 なるほど、どうせ左右を確認するなら、

 体操のひとつとして、やったほうが、健康のためってわけだ。

 それはたまたまだったのかもしれないが、

 僕には、とても慣れたように思われた。

 たぶん、信号が青になるたびにそうしているのではないかな。

 おじいさんにとっては、それは世界的発明だったにちがいない。

 なんと健康的な発見。

 しかし、誰も、そんなことはしていないじゃないですか。

 おじいさんは、きっとはがゆいのです。

 この大発見をみんなが知らないということを、、。



「ギター奏法」
14..3/24

 今回のレコーディングでも、

 ギターをがんばって弾いた。

 いろんな指を使って、、。

 でも、録音されたものを聞いてみると、ギターはさほど目立ってはいない、

 細かいこといろいろやっているのだけれど、それがうまく伝わっていないようだ。

 よーく聞くと、低音弦がいろいろと動いているのはわかるだけれど、

 なじみすぎているのか、ぼやーっとしていまう。

 おかしいなぁ。指動かしすぎているのかな。

 ディランとかレナード・コーエンのギターとかは、しっかりと効果的に弾いている。

 それに比べて僕の弾き方は、効果的ではない。

 なぜだろうと思っても、わからない。

 なぜだろう。。



「ナイロン袋のエスカレーターのぼり」
14..3/22

  祭日の午後、西武線の長いエスカレータをのぼってゆくと、

 隣の下りエスカレーターの手すりのところを、

 下からナイロン袋が何度ものぼってゆくのを見た。

 のぼっては、また少しく下り、またのぼり、、。

 鯉の滝登りという話は、よく聞くが、、

 ナイロン袋のエスカレーターのぼりがあるのは、はじめて知った。

 手すりのところを、ふわふわと、、。

 がんばれっ、がんばれっ、、

 こんなところにもドラマがある。



「フォークウエイズのレコード」
14..3/19

  いろんなところから、レコードを処分したという話をきく。

 僕はまだ、たまたま全部残してはある。

 ふと今日思い出したのは、若い頃に集めた「フォークウエイズ」のレコードで事ある。

 フォークウエイズ社はレコードのレーベルで、アメリカントラッドフォークソングを中心にしたレーベルである。

 今のように試聴できるわけではなく、僕は一枚一枚、ジャケットを見て、

 フォークウエイズというレーベルを信じて、一枚一枚集めていった。

 レコードに針を落としてときのあの感覚。

 ほとんどのフォークウエイズのレコードは僕の愛聴盤となった。

 あの四畳半の部屋で。

 そんなふうに僕の東京での生活が始まった。

 まだ、僕はそのときのレコードを持っている。

 レコードをかけたなら、当時と同じ音が鳴るであろう。

 僕は泣いてしまうかもしれない。

 そのときにはわからなかった未来。

 まだ生まれていなかった歌たち。

 目をとじてみれば、当時の四畳半に戻れそうな気がする。



「BLUE BELL」
14..3/16

  中学、高校時代、ギターをもーれつに調べた。

 当時、アコースティックギターブームだったせいもあるが、

 ギター雑誌も数多く出ていて、ギターも試し弾きのコーナーも充実していた。

 とうぜんそのギターを買えなかった僕は、ギター評を読みながら音をイメージして、

 自分の中で、そのメーカーの音を響かせていたのだ。

 そんな中、ギター雑誌に「BLUE BELL」というメーカーもギターの広告が載った。

 高級ギターという感じで。

 マーチンタイプのギターで、ギター雑誌の評価も抜群であった。

 今、思えば、普通のマーチンモデルなわけだけれど、

 僕はこの「BLUE BELL」というネーミングに非常に影響されてしまった。

 普通のマーチンのサウンドなのだが、鈴のような音で響くのではないかと、、。

 いろんなマーチンモデルが出ている中で、「BLUE BELL」はとても、いい位置にいた。

 いい感じで、メーカーデビューした。

 それも、6万円がおすすめ器種となっていた。

 あれ欲しかったなぁ。

 ネーミングとは、影響力のあるものである。

 たぶん「BLUE BELL」は草花の名前から来ていると思われるが、

 僕には鈴の音が聞こえてくるようなのだ。



「いいんです」
14..3/13

 ここ最近、ビートルズを聞いている。

 知らないわけではなかったが、アルバムを一枚一枚、じっくり聞いている。

 聞いてことのある歌が数多くあるし、サウンド作りもとても勉強になる。

 そのうち、歌もメロディーもサウンドも憶えてしまうだろう。

 もう何度も聞いているけれど、あきてこないのはさすがである。

 今は、これでいいんです。

 どんどんビートルズを聞いて、頭の中を壊しているところ。

 こうやって、頭の中を、くずしていかないと、だめなんです。

 そんなの必要? って、言う人もいるかもしれないけれど、

 必要なんです。それがブルースでも、ロックンロールでも、

 クラシックでも、ジャズでも、サンバでも、かまわないんです。

 あと数ヶ月は、ビートルズでつっぱしって、

 頭の中の化石を、やわらかくしないとね。



「レコードと時代」
14..3/9

 ビートルズのファーストアルバムを聞いてみた。

 「プリーズ・プリーズ・ミー」

 シングルヒットになった歌も、数多く入っているが、

 アルバムなので、他の楽曲も入っている。

 今はCDの時代なので、1曲飛ばしとか簡単に出来るけれど、

 LPレコードやテープだった時代は、次にかかる歌は、そのアルバムの通りである。

 この楽曲の次には、あの歌がと思うけれど、それは飛ばせなかったわけだ。

 僕はなんと言っても、レコードアルバム派である。

 アルバムにはA面、 B面とあり、それぞれに曲順がある。

 そこには感情や印象の流れがあり、そこがいいと思う。

 ビートルズのファーストをフルアルバムで聞いていると、

 二曲、三曲目と、当時そのアルバムの流れを聞いていた人の気持ちが、

 浮かんでくるようなのだ。

 それはレコードなので飛ばすことができなかった楽曲。アルバムというのはそういうものだった。

 そのアルバムがかかるということは、その流れを聞くということだった。

 A面、 B面と、、。

 もちろん現代なら、歌をシャッフルして聞くこともできる。

 次の曲に飛ばすこともできる。

 しかし、僕はあえてそうしない。

 曲順どおりに聞いてゆくと、発売当時のみんなと会えるような気がするからだ。

 その時代が、なんとなく浮かび上がってくるようなのだ。 


「おしゃれギター」14..3/6

 先日、ライブハウスで、おしゃなギター演奏のアルバムがかかっていた。

 よく聞く感じの。

 1曲が終わり次の曲になるのだが、それもおしゃれで、

 僕には同じようにしか聞こえてこなかった。

 たしかに楽曲の演奏はちがうことをしているのだが、

 なぜに、こんなにおしゃれにするのか。

 たぶん、楽曲はオリジナルだとは思うんだけど、

 つかっているのは、ピックアップマイク付きのクラシックギターだと思うんだけど、

 前の曲も、次の曲も、同じ響きのように聞こえた。

 たしかに弾いているメロディーとリズムはちがうのはわかるんですが、

 弦の鳴らし方が同じ楽曲の続きのようです。

 僕自身が、そんなふうにギターを弾けるわけではないのだが、

 「おしゃれギター」っていうジャンルがあるのかな。

 何度も聞いているうちに、ちがいがわかってくるのかな。

 とても初歩的な質問なのだが、

 どうして、こんなに、おしゃれなギターが好きなのか、

 それを尋ねてみたい。たぶん、逆に、

 「おしゃれのどこが悪いんでしょう」と、訊かれるだろうけれど。



「平和」
14..3/3

 近くに大きな空地があり、年に何回か草刈が行われる。

 今、ちょうど暮れに草刈りがあって、今、少しだけ草が伸びている状態。

 昨日の昼間通りかかると、ヒヨドリにスズメ、そしてハトも一緒になって、

 空地の地面をつついていた。

 その数、半端なく。

 なんか、平和だな。鳥たちは必死かもしれないが、、。

 鳥たちもお互いわかっているようだった。



「ビートルズ」
14..2/28

  最近、よくビートルズを聞いている。

 シングル曲も含めて、よくこれだけヒット曲を作ったなぁと思う。

 1962年から1970年まで、次から次にヒット曲を出していった。

 僕は1961年生まれなので、ビートルズの解散の頃からしか記憶がないのだが、

 約10年間も、次々と後々に残るヒット曲を、出すなんてことは、普通は出来ないであろう。

 その当時、僕が青年であったなら、それは生活の大きな楽しみになっていたであろう。

 なかなかできないよね。

 ビートルズが居ただけで、何か生きる力が湧いてくるようだったろう。

 そうやって時間がすぎた。

 あっぱれだったというしかない。



「君の大きな存在、月末編」
14..2/25

  ボブ・ディランに「ユー・アー・ビック・ガール・ナウ」という歌がある。

 訳せば、「君の存在は、今や大きい、、」ということかな。

 この月末は、ふところ具合がかなり厳しかった。

 財布の中に千円札が一枚残るいうことはよくある話だが、

 今回はたまたま、500円玉が残った。

 その500円玉がどんどん大きな存在になっていった。

 (まあ、銀行にいけば、それで済む話なのだが・・・)

 千円札が数日一枚残るということはよくあることなのだが、

 今回は500円玉であった。

 ・・・君は大きな存在、、。

 と言っても、100円玉は山ほど持っているのだが、、。

 100円玉いっぱいと500円玉一枚財布に入れて、

 スーパーマーケットのレジで列んでいた。

 会計は1200円ちょっということで、僕は、

 レジのところに、500円玉一枚と100円玉二枚を並べた。

 あと足りない分を。

 もちろんの話だが、レジのお兄さんはじっとしている。

 あれっ、、。

 そうだよ、これは1200円ではない、700円じゃないか。

 あわてて、僕は100円玉を5枚追加した。

 みなさん、そんなばかなと思われるかもしれませんが、

 500円玉であっても、存在が大きくなると千円になってしまうのです。

 そんなぱかなと思うかもしれませんが、、。



「最近はね」
14..2/23

 部屋で、マホガニー材でできたエレキギターを、

 生音で弾いている。それも消音器付きで。

 それが実にいい音を出してくれていてびっくり。

 いろんなフレーズが指が弾き出してくれる。

 ほんとうならギブソンの生ギターを、普通に部屋で弾きたいところだが、

 状況的にそれは今できない。

 小さなエレキギターで、そっと弾いていたのたのだが、

 もっと大きな音で、もっと大きな音で、と思ってきた。

 ギターを弾き始めた中学の頃から、ずっと大きな音で弾いていたので。

 そうでないと、生まれてくるフレーズも出てこないのではないかと。

 そして、ふと思い立って、押入れにしまってあったマホガニー材のエレキギターを

 生音で弾いてみた。その音が実に良かったのだ。

 耳を澄ましてみると、音の中に入れる。

 ずっと忘れていたような、ギター感覚が戻ってきて、

 またいろいろと創作できそうな予感がしている。

 うーん、やり方は、逆の方向にあったのだな。



「1973」
14..2/19

  雪が降った。新潟にいた頃を思い出した。

 外仕事で、今日、たばこ屋のおばさんと話をした。

 おばさんは、座布団の敷いてある椅子を残して、奥の部屋に行った。

 雪の日は寒い。空になったたばこ屋さんを眺めながら、

 小さなラジオが鳴っていた。

 僕はなぜか1973年の頃を思い出していた。

 雪の日、柏崎の商店街を中学生の僕は歩いていた。

 楽器屋に本屋さん、文房具屋さんに寄りながら。

 街には、フォークが流れていた。

 楽器屋には新品のフォークギターが大量に列んでいた。

 セーターはあったかい。

 そのたばこ屋さんのとなりには、大きな下町デパートがあった。

 今は、大きなマンションになってしまった。

 たばこ屋のおばさんも若かっただろう。

 商店街から入った路地には、古いアパートがならんでいた。

 今は、すっかりさびれてしまった。

 1973年、街にフォークが流れていた。

 大きな下町のデパートがにぎわっていた。

 路地奥のアパートにも、みんなが住んでいた。

 1973年は、なにか町中がフォークで満ちていたようだ。

 そんな時代があったのです。  

 夢のようだった。1973年。



「フォークシンガー」
14.2/16

 中学のとき、将来なりたいものという欄に、

 僕は「フォークシンガー」と書いた。

 後日、先生に呼び出されて、進路について、

 よく考えなさいと言われた。

 しかし、僕は、がんとして考えは変えなかった。

 僕はそして今、フォークシンガーになれただろうか。

 先日、高円寺の改札を、ギターのハードケースを持った、

 僕と同年代と思われる、無精髭の男性が、

 自信たっぷりに改札口を抜けてきた。

 これから今夜はどこかでライブであろう。

 自信たっぷりにお得意のナンバーを歌うのであろう。

 僕がなりたかったフォークシンガーは、あの人とはちがう。

 それははっきりとわかる。

 だって、僕はあの人ではなく、ここにいるのだから。



「エレキギター」
14.2/11

  ここ最近、エレキギターをアンプなしで弾いている。

 スペース的にことも考え、安くてさ小さいものを弾いていたのだが、

 ふと思いたって、以前よりもっていたウッド感覚あふれるエレキギターを出してみた。

 ボディもネックもすべてマホガニー材で出来ているエレキギター。

 生音で弾いてみると、アンプを通さなくても、まるい味のある響きがする。

 ほどよいリバーブ感があり、特にアンプを通さなくても、充分に弾けると思えた。

 この音のまま、アンプで出しても、良い音になるとわかった。

 僕は生ギターぱかり弾いてきたので、エレキに関しては、まるで素人だ。

 エレキギターは、やっぱりアンプから音を出してみないとわからないと思うが、

 大元から出てくる音のよしあしも関係あるのだろうなぁ。

 エレキギターのことを見直してしまった。根はいい奴だったんだなぁ。



「♪思い出してごらん〜」
14.2/7

 新しいCDアルバムの青写真がだんだんと出来てきた。

 12曲入りなのだが、どの歌もちがう感じだ。

 1曲目から始まって、次、そして次と歌が続いてゆく、

 それが、いい感じではまっている。

 1曲目は1曲目らしく、2曲目は2曲目らしく、

  12曲目まで鮮やかに入れ替わってゆく。

 早く完成しないかなぁと思う。

 中学時代、いろんなフォークアルバムを聞いた。

 何度も何度も、聞いたアルバム。

 1曲目からラストの曲まで、吸い込まれるように聞いた。

 中学時代は、基本、受け入れるばかりだったから、

 それが出来たのであろう。

 今もう一度同じアルバムを聞いてみると、意外とつめこんであるだけだったかもしれないが、

 その気持ちをもう一度、思い出せるようなアルバムになっているような気がしている。

 楽しみに待っていて欲しい。



「みゅーじしゃんみたいな風景」
14.2/3

  先日レコーディングした音源を、

 携帯プレーヤーに入れて電車の中で聞いていた。

 僕のもっている携帯プレーヤーは、平たく、映像も観ることのできるタイプだ。

 一応、曲のタイトルは入力したので、画面には歌のタイトルが出ている。

 タイトルの下には、曲の進んだ分数がYou Tubeのように、グラフで進むようになっている。

 僕は、じっとそれを眺めて、歌を聴いているってわけ。

 電車の中のほかの人が見たら、きっと動画か、テレビでも観ているのかなぁと思うであろう。

 でも、実際はじっと歌のタイトルだけを眺めているってわけ。

 何度観ても同じなんだけどね。

 まるでカセットテープのケースに書いた文字を眺めて、音楽を聞くような感じかな。

 歌のタイトルをずっと眺めるなんて、ちょっと自分がミュージシャンみたいだなぁと思った。 



「サウナ室の哀しい出来事。」
14.2/1

   先日、近郊の温泉に出かけた。

 平日であったが意外と混んでいた。

 しかしそれでも土日のような混みようではなかった。

 露天風呂の続きに、小さめのサウナ室がついていた。

 室内にもサウナがあるのだが、そこは広い。

 露天風呂の続きの方は、左右に10名ほどずつ、座れるようになっていた。

 サウナ室の扉を開けると蒸気でいっぱいであった。

 メガネを外している私は、ほとんど中が見えない。

 混んでいるなとは思ったが、どこか座れるだろうと、

 ふらふらと中に進んでいった。

 左右に黙って座っている人の真ん中を、ゆっくりと。

 メガネを外しているとこんなにも、見えないものかと思うほど、

 蒸気の中はよく見えない。

 ぐっと椅子に近寄って、やっと人が座っているのがわかった。

 私は蒸気でいっぱいの中を、まるでタオルを持った幽霊のように、

 空いているスペースを探して、ゆっくりと奥まで歩いていった。

 しかしながら、残念なことに、すべてのスペースに人が座っていた。

 私はまたゆっくりとUターンして、入口のところへ戻った。

 そしてそのままサウナ室のドアを出た。

 なんて哀しい、ひとときだったんだろう。


「手帖」14.1/29

  二年前から、もう法令手帖のハンディメモリーシリーズはなくなってしまったが、

 実は、それまでとても気に入っていて、

 1990年から2012年までの22年も同じ手帖を使っていた。

 小さめの深緑の手帖。

 中身の予定を見ると、ずっとライブを続けていて、

 順調に過ごしていたのだとわかる。

 大きな病気もせず、健康であった。

 信じられないほどの企画ライブもした。

 22年間。

 同じ手帖。緑の手帖時代。

 歌もいっぱい作りました。

 いつでも緑の手帖がポケットにあったなぁ。

 とてもラッキーだったと思っている。

 それがいひとつの時間だったように。



「僕らが徐々に失った表情」
14.1/26

  土曜の中央線の電車に乗ったとき、

 前のシート席に20代前半の男女が話していた。

 カップルではないだろうが、男性の方は彼女のことが好きなるではないかと思えた。

 若者の男性は、彼女の話を興味津々で聞いていた。

 その表情、、なんだが誰かに似ていた。

 僕が東京に出て来た'80年頃に知り合った友達。誰だっけ・・・。

 いやいや、それは誰というわけではなくて、その頃、みんなが、

 よくそんな表情をしていたような気がした。

 友達が話してくれる話にいちいち驚いて、へえーっとうなづいて、、。

 思い返せば、みんなそうだったじゃないか。

 友達との話の中に、新しい知識や知らなかった雑学や豆知識があった。

 僕らはむさぼるように、友達の話を興味津々で聞いていたよね。

 テレビやラジオではわからなかった情報を。

 そうそう、いたんだよ。あの表情のみんなが。きっと僕だってそうだった。

 あんなふうに友達と話す若者は今、ほとんどいないように思えた。

 この15年かけて徐々に失ってきたように思う。

 インターネットとともに。

 今、僕も含めて若者も、インターネットでいろんな話やエピソードを得ている。

 友達の話よりもっと驚く話も多い。

 きっとそれが原因ではないだろうか。

 今だって、普通に友達の話に、へえーっと驚きながら聞くことは多い。

 でも、何もかもというふうにはいかなくなった。

 僕らは徐々に、あの表情を失ってしまった。

 たぶんインターネットがなかったら、今も電車で普通に見たであろう、

 あの興味津々な表情を。



「それはあるかもしれない」
14.1/23

  今朝の話。自転車に乗って下町を走っていると、

 マフラーをした女子高生が二人、話でもりあがりながら歩いていた。

 横を走る通るとき、こんな会話が聞こえてきた。

 「どこかの国の王様だったりしてね〜」

 通りすぎ、僕は思った。

 ・・・それは、あるかもしれないと。。



「関東の連れション」
14.1/19

 こんなことを思い出した。

 高校三年のとき、夏休み柏崎から東京に住んでいる兄貴のところに遊びに行った。

 兄貴のいろんなジャズ関係の友達と喫茶店に入ったりした。

 一人がトイレにたつと、もうひとりの友達もトイレにたった。

 そのとき僕にこう言ったのだ。

 「これは関東の連れションって言ってね。ふふふっ」と、軽く笑った。

 僕は、(そうか、ひとりがトイレに行きたくなると、

 自分も行きたくなるのが、関東の連れションって言うんだな・・)

 それは僕の中のひとつの常識としてそのとき記憶にインプットされた。

 しかし、あれからはるばる35年たったが、

 「関東の連れション」のことを、話してくれた友達は一人もいなかった。

 話題にもならなかった。

 僕があのとき、常識としてインプットされた記憶は、まだそのまま。

 ネットで検索してみると、

  豊臣秀吉と徳川家康が並んで、小田原城に向かっておしっこして、

 約束事をしたという逸話から来ているというが、

 僕の中では、あの人が、

 「友達がトイレにいきたくなると自分も行きたくなる」と言ったことが、

 今でも定説となっていた。

 その後、誰一人そのことを口にしなかったので。

 僕の中では、関東の逸話のベスト5に入っていた。



「両目を入れる」14.1/15

  新しいアルバムにあと二曲録音が残っている。

 そのどちらもアルバムの中ではメインになる歌で、

 存在感としたら、アルバムの中の右目と左目のような感じだ。

 その二曲の録音が残っているんですわ。

 たぶん、どちらもワンテイクが僕は決めると思うけれど、

 そんなこと出来るだろうか。

 普通に歌ったなら、普通になってしまう。

 力を込めて歌ったら、力んだ歌になってしまう。

 1曲をこんがりと焼いたパンのように歌わねばならない。

 どちらも、そこそこに良くではなく、

 美味しく歌わねばならない。

 アルバムの中の、右目と左目となる歌。 

 その二曲が残っている。

 だいじょうぶか、おれ。



「いらっしゃい高円寺14.1/12

  明日のお昼までは、中華「大陸」のオヤジさんは、

 高円寺で一番静かに眠っている。

 なんだろう、なんだかとても世界が安らかに思えてくる。

 高円寺、中華「大陸」のオヤジさんは、もう二年ほど前に引退していた。

 その少し前、すぐそばに住んでいた僕は、オヤジさんが家から自転車に乗ろうとして、

 よろよろと転げてしまうのを見た。

 (オヤジ・・・)

 ・・・・・・・・・・・

 僕が高円寺の中華「大陸」に初めて寄ったのは、もう32年も前のこと。

 高円寺のアパートに住み始めた友達に連れていってもらった。

 「いらしゃーい」、そうまずおばさんの高い声がする。

 フライパンで炒める音の中、厨房のオヤジさんが、低くしっかりした声で、そのあと、

 「いらっしゃい!!」と、声をかけてくれた。

 がっしりとした骨格の大陸のオヤジさん。

 1980年代、高円寺といえば中華「大陸」、それが高円寺の象徴のように思われた。

 何が高円寺らしいと言われても、うまくは答えられないが、

 何か面白いことが、そこで起こっているようだったのだ。

 お店のみんなのキャラクターが光っていた。

 大陸のおばさんはお釣りをくれるときに、ぎゅっと手をにぎってくれた。

 僕らが20代前半。高円寺にみんなが住み始めた頃、もう中華「大陸」は、長いことやっている老舗であった。

 夜遅くまでやっている中華屋さん、いつ行っても、オヤジさんは力強く「いらっしゃい!!」と言ってくれた。

 僕が驚いたのは、いつ行っても、その声が弱まらなかったことだ。

 この声には「力」があった。

 あれは、2000年くらいだったろうか、、大陸のオヤジさんが入院したと聞いた。

 そのあと復活したのだが、以前よりもかなりやせてしまった。

 それでも「いらっしゃい!!」の声は、同じであった。

 ・・・・・・・・・・・・

 僕が高円寺に来てからもう32年がたった。

  ずっと高円寺は僕を楽しませてくれた。

 その物語の始まりは中華「大陸」であった。

 「いらっしゃい!!」の声とともに。

 大陸のオヤジさんは、明日の昼までは静かに眠っている。

 心からお疲れさまと言いたい。

 ミスター高円寺。そしてありがとう。



「旅する写真14.1/9

  こんなことを考えてみた。

 映画「東京物語」で、老夫婦が子供たちの家を訪ね行くように、

 一枚の写真が、家を出て、友達のところで数日過ごしながら、

 また馴染みの友のところに向かい、やがてはまた家に戻ってくるなんて、

 いいなと思った。

 たとえばそれが、惜しまれつつも亡くなった友の写真。

 友達のところをめぐり歩いて旅して、また家に戻ってくる。

 ・・・ああ、友に会ってきたよと、、話をしてきたよと、、。

 そんな習慣があったらいいのになと思う。

 その友の写真とは、数日、生活をするだけでよい。

 ときどきちょっとチラ見するくらいで。

 なに特別なことはいらない。普段のままでいい。

 数日したら、また次の友のところへ送る。それでよい。

 そんな習慣があったらと思う。

 旅する写真。



「夜明け前、帰り忘れた、、14.1/6

 まだまだ夜明け前に、

 江戸の頃の諸国百物語の本を棚からとり、

 カバンに入れて外に出た。

 ここは街の中心より少し離れ、ところどころに原っぱのあるところ。

 いつも住宅街の細道を通り、地下鉄の駅へ向かう。

 ところどころに明かりはあり、コインパーキングの明かりも見える。

 しかし、江戸の頃は、ここは明かりもなく、畑や田んぼの道が続いていただろう。

 今時分は、月の明かりしかなくて、、。

 まだ夜明け前、真っ暗な畑道でここはあったろうに。

 たぶん、帰り遅れた妖魔のようなものたちが、

 いくらでも、その道に現れていたのではないか。

 ・・ああ、まぼろしを見た、、くらいの感じで。

 夜明け前の細道を歩いている。

 ここは昔、明かりもない田んぼ道であったとはっきりとわかる。

 いくらでもまぼろしを見たとわかる。 

 帰り忘れた、、。



「やっぱりそれは大事だったんだな14.1/4

 最近、記憶力が低下しているせいか、

 ギターのコード進行がなかなか覚えられない。

 歌詞のノートにはコード譜がすべて書いてあるので、

 それを見れば歌えるのだが、

 一度歌詞ノートを離れると、コードがわからなくなることがある。

 以前はそんなことは、あまりなかったのだが、、。

 先日のことだが、一番の歌詞にコードがついている印刷物があり、

 僕はほかの歌詞を歌いながら、ギターうまく弾くことが出来なかった。

 コードが憶えられなくなっていたのだ。

 ギターを弾き始めた頃の歌本は、コード譜が一番だけついていて、

 あとは、歌詞だけというパターンが多かった。

 僕も歌を作り初めて十年くらいは、一番にしかコード譜は書いていなかった。

 あれって、大事だったんだな。

 一応、記憶の中にコード進行が入るものね。

 自分の歌ばっかり歌っていたら、そんな歌本を弾くことがあまりなくなってしまった。

 以前はけっこう弾いていたんだけどな。

 今も弾いていれば。コード覚えもいいだろうに、、。



正月は新品ギターの匂い」14.1/1

  元旦の今日、街に出た帰り道、

 古道具屋の店先に新品のギターが飾られてあるのを見た。

 そのボディの部分を眺めていたら、新品ギターの匂いをとても思い出した。

 元旦と言えばお年玉。お年玉と言えば、新品ギター。

 お金が足りなくても、ギター屋に通っては、眺めていた新品ギター。

 新品ギターのあの塗装の匂い。

 お金が少したまったら、どのギターを買おうかと楽器屋で眺める。

 中学二年から高校三年までのお正月、僕の頭の中はギターのことでいっぱいだった。

 正月は新品ギターの匂い。

 そうここに記しておこう。


25年前、フランスの電車は池袋行き」13.12/28

  まだ夜も明けぬ頃、

 始発電車近くの地下鉄丸の内線に、うつらうつらと乗っていると、

 発車音の合図とともに、こんなアナウンスが聞こえてきた。

 「25年前、フランスの電車は池袋ゆき」

 なんて文学的な表現なのだろう。

 もちろん聞き間違えということは知っている。

 たぷん「ごちゅういください、いちばんせんのでんしゃはいけぶくろゆき」

 と、アナウンスされていたのであろう。

 「25年前、フランスの電車は池袋ゆき」と聞いて、あるイメージが湧いた。

 25年前、ある想いから、「池袋ゆき」とかかれたフランスの地下鉄の電車が発車したのだ。

 パリ市の郊外からか、、。それを見送るパリ市民。

 そのあと、その地下鉄の電車は、童話的、SF的な旅を重ね、

 ヨーロッパを渡り、アジアを抜け、日本にやって来たのだ。

 池袋をめさ゜して。それは職員に語り継がれてきた。

 地下鉄の仕事に従事するみんなには、有名な逸話である。

 しかし、そのことを一般のお客さんはほとんど知らない。

 そこで車掌さんは、一年の暮れも近くなると、思い出したようにこうアナウンスしてしまうのだ。

 「25年前、フランスの電車は池袋ゆき・・」と。



「風景はやさしい
13.12/25

  昨年のちょうど今、引越しをすることを決め、

 あちこち物件を見ていた。

 いくつもの物件、いろんな街を探した。

 年が明けて、最初に寄った不動産屋にて、

 今のアパートを見つけた。

 あれから一年。

 もっとここに住んでいるような気持ちにもなっている。

 ここの街の中心から少し離れていて、風景がやさしい。

 不便なところもあるが、今は問題なく暮らしている。

 もし他の物件であったなら、また少しちがった生活になっていただろう。

 想像はつかないのだが。

 ここに引越しをしてきて良かったなぁと、今は素直に思っている。

 なぜならば、まるで僕らを迎えてくれていたように、

 風景がやさしいからだ。



「相撲と録音
13.12/23

  年末にかけて。レコーディングがあり、

 僕は5曲ほどベストテイクで歌わねばならない。

 なんだかオリンピック選手のような心境だが、

 競技で考えてみると、相撲が録音と近いような気がした。

 なぜって、一瞬一瞬が感覚的で、相手とのかけひきだからだ。

 思う間もなく、勝負は進んでしまう。

 イメージどおりなんてことはありえない。

 そして、土俵にあがってからでないと、

 自分の感覚も見えてこない。

 なんだか録音もそれと一緒だ。

 相手は関脇、大関クラス。

 大事なことは、関脇、大関クラスの一番だと、

 観ている側もわかること。

 もし負けてしまったとしても、

 「よくやった、よくやった」と思われること。

 これから年末にかけて、大一番が待っている。



「歌の家
13.12/21

  もう、15年ほど前のことだが、

 小さなライブハウスの企画に毎回来てれた友達が、

 とても楽しんでいますと言ってくれた。

 ちょうど新曲が「手紙」だった頃。「チャイナソング」や「ケーララ」も新しい歌だった頃。

 当時、毎回新曲も出来て、自分としても調子が良かった。

 あれから15年ほどたち、小さなライブハウスでの企画はまだ続いているが、

 僕の歌う曲は変わった。

 住んでいるところは、いまだにアパート暮らしである。

 まったく生活状況も変わっていない。

 貯金などというものは、いっさい出来ていない。

 それでも、僕は一応、別の家を建てたと思っている。

 歌の家を。

 それは大変だったともいえない。

 少しずつ建てていったので。

 途中、どんな歌を作ろうかと迷った時期があった。

 なんとか、それでも何とか家が建った。

 見えない歌の家。

 聞こえる歌の家。



「新しい場所でのリハーサル
13.12/17

  先日、生声で、まったくリハーサルもなく歌ったら、

 本番で、うまく歌がつかめなかった。

 声がすーっと吸い取られてゆくような感じになってしまった。

 (これはまずった・・・)

  歌い出してからでは、対応できなかった。

 もっと、すろーに、すろーに、自分の声を自分で、

 確認しながら歌うべきであった。

 ギターだって、もっとまるーく弾くべきであった。

 今回は二曲の参加だったので、場所に対応できないままで、

 過ぎていってしまった。

 ああ、やっぱり、少しであってもリハはやっておくべくなのだ。

 声がスペースにどう響いてゆくか、ギターがどう響いてゆくか、

 わかっていれば、ちがうように歌ったのに、、。

 スペースの響きを知ることは大切である。

 今回はそれを痛感した。

 1分でもいい、2分でもいい、

 リハをするべきであった。 



「民族音楽のアルバム13.12/12

 20年ぶりに聞いてみた民族音楽のアルバム。

 たぶん録音は、もっともっと古いものであろう。

 現代でも、それらの録音が出来るかというと、むずかしいのかもしれない。

 しかし、アルバムで聞いてみると、まったく色褪せていないのがわかる。

 もともとずっと歌い継がれてきたものばかりなのだ。

 コンピューターの時代に変わってしまったのかもしれないが、

 それはほんと最近のこと。

 古い歌が、また歌い継がれてゆくかはわからないが、

 それらの歌が、とても愛されていたのはわかる。

 20年たって聞いてみると、それがよくわかる。


「作品の物語13.12/10

  先日、ギャラリーで、

 自分の一枚の作品を、自己紹介もかねて解説されていたが、

 出会いから始まり、その作品が出来るまでを物語ふうに話されていた。

 ひとつの作品を出来るまでには、いろんな苦労があるんだなぁと実感した。

 考えてみれば、誰の作品であっても、生まれるまでは物語がある。

 では、その作品が持っている「物語」とはなんだろう。

 それは、生まれるまでが半分で、もう半分は、その作品自身が作っているものだろう。

 見て、聞いて、どう思うかはみんな自由だ。

 そこに無限大の物語が生まれる。

 解説が必要な作品って何だろうなって思う。

 その作品に触れれば、それでいいんじゃないかなと思う。

 ぐっと得体の知れないパワーが感じられる。

 それも、とても大切なこと。



カレー皿」13.12/7

 カレー皿というものを買った。

 深くへこんでいて形は「ナン」のようだ。

 色はくすんでいる。

 和風のスプーン付きであった。

 今夜はそれでカレーを食べてみたいと思っている。

 私は期待している。

 カレー皿の効果を。

 なぜならば、お皿の名前が「カレー皿」であったからだ。

 このお皿を作った人は、熟考に熟考を重ねて、作ったにちがいない。

 何度も何度も、お皿にカレーを盛り付けては、

 食べやすい最高の形にしたにちがいない。

 そうでなければ、「カレー皿」なんていうダイナミックな名前を付けないであろう。

 私は期待している。このカレー皿に。

 珈琲カップが、珈琲を美味しくみせるように。



「消え入るように強めに弾く13.12/4

  ひとつ前のライブでは、友達のエレアコのギターを弾いた。

 エレアコってやっぱり弾き方がマイク録りとちがう。

 ついつい強く弾きすぎてしまいそうになってしまった。

 先日のライブはいつもどおり、生ギターをマイク録りで歌った

 やっぱり僕はマイク録りの方が好きだ。

 ストローク奏法では、消え入るように強めに弾くことができる。

 少し遠くから、マイクの音に入ってくることもできる。

 これがエレアコのギターだと、うまく表現できる自信がない。

 強く弾きながら、音量を上げないってどうするの?

 声もマイク録りが一番だ。

 大きめの声を、マイクから少し離れて歌うことが出来るからだ。

 ギターもやっぱり、声だものね。

 僕はマイク録りが好きだ。



「夢13.12/2

  夢の中で、のどがとても渇いたので、

 夢の中で、自動販売機に向かった。

 缶ジュースを飲んだってしかたがないのにね。

 しかし、このよくわからない展開が、以前観た夢を呼び起こした。

 その夢を観てから、もう7年8年はたっているだろう。

 たしかにその夢の中でも、自販機は出てくる。

 駅のホームも出てくる。

 乗り換えも出てくる。電車に乗って、少し遠くまでゆく。

 乗り換えの待ち合わせもする。

 次から次のその夢のことを思い出した。

 今も、思い出し続けている。

 どうしよう、、、。

 夢の中でのどが乾き、自販機に向かった。

 そこから、何か別のものが目を覚ました。



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