「最近の事」過去ログ'02.11〜'03.1月
ここ最近、僕はひとつのことをずっと考えている。それは、、
「若者はなぜ、話声が大きいのか」ということだ。
電車の中でも、ファミリーレストランでも、若者の話声は例外なく大きい。
特に電車の中では、すぐ隣に立ってるのだから、充分に聞こえると思うのたけれど、そういう問題ではないようだ。
喫茶店とかで、大声で話されるとさすがにきつい。そんなとき僕はなんとか、若者の気持ちを理解しようと努める。
・・・本人たちは普通に話しているのだ・・・
自分のことを思い出してみる。やっぱり高校生の頃までは大声で喋っていた気がする。特に教室ではそうだ。教室はみんなが喋っているので、必然的に大声になってしまう。
喫茶店の彼らには、見えないクラスメートたちの声が聞こえているのか? ホントにそうかもしれない。
若者たちは居酒屋では絶好調だ。これ以上の声は出せないと思えるほどの声で話す。と、いうか叫んでいる。
それが若者たちなのか。
きっと、それが若者たちだ。
そこで疑問が、ひとつある。20才を過ぎた頃の僕らもそうだったのだろうか? たしかに町で、よくばか騒ぎとかしていたけれど、大きな声で普段も話していたのだろうか・・。記憶がない。
若者たちは、きっと記憶なく話しているのだろう。
こうも考えてみた。
若者たちと、僕らの流れている時間の濃さが違うのではないか。若者たちが、ノーマルモードの録音だとしたら、僕らはロングモードの録音なのだ。僕たちは単三電池2本で、若者は単二電池2本なのだ。
そんなふうにきっと時間の濃さが違う。それが声の大きさになっているのではないか。
「雪だるま式」1/26
昨年買ったあたたかいコートを洗濯した。そのコートなしで、道を歩いていると今年の寒さが体にこたえた。
しかしよく考えてみると、毎年、このコートなしで冬を過ごしてきたのだ。
友達はまだ、僕よりずっと薄い、ジャンパー一枚でこの冬を過ごしている。まだコートの季節ではないのだと言う。
僕もまた思い出していた。どんな寒い日も、一昨年まではコートなしでやって来たのだ。
今はコートを着ていても震えている。
じゃあ、犬はどうなのか? 犬は、ずっと同じ毛皮ではないのか。
僕は、このままでは、雪だるまになってしまう。これは困った。
・・総武線の電車の中のエスキモー・・。
「どんどん着込むと、もっと着込みますよ」
「水中歩行プール」1/22
今、近くの銭湯で「水中歩行プール」なるものを作っている。
いったい「水中歩行プール」とは、いかなるものなのか? 外からはシートが張ってあり、その実体ははわからない。
「水中歩行」とは・・・? プールとは?
男風呂と女風呂の真ん中に作っている。長さは7メートルくらいだ。
普通の温水プールのようなものならば「水中」とは何か?
プールと呼ぶくらいなのだから、水着を着て入るのか?
プールの外はガラスなのだろうか。そしたら洗い場がまる見えだ。
もし、洗い場とも独立したプールだったら、大人も子供も水着だろうか?
考えれば考えるほど、謎が多い。
「水中歩行プール」はそしてもうすぐ完成する。あのシートがとれる日が来る。
「糸切り歯」1/19
先日、硬いねり梅を噛んでいたら、左の糸切り歯が、また欠けてしまった。
糸切り歯が欠けるのは悲しい・・。
前、飼っていた猫の糸切り歯はやはり欠けていた。「にゃー」と、口をあけるたびに見える、その歯。
遠い日のいっとき、硬い物を食べたのだろう。
犬で言ったら、犬歯なのかな。いや、糸切り歯が犬歯なのか。
僕の糸切り歯が最初に欠けたとき、ものすごく悲しかった。それは、遠い犬の日の記憶が、悲しませたのかもしれない。
糸切り歯が片方欠けている動物や人は、みんなどこか物悲しい。まるで友達のようだ。
古代よりつながる、糸切り歯の欠けた友達たち。
・・まだ片方残っているからいいか・・。
実は本人は、ほとんどの時間、そのことは忘れている。そしてときどき「そうだったなぁ・・」と思い出すのだ。
「レコードプレイヤー」1/15
最近の事、友達がレコードプレイヤーを買った。
そのプレイヤーには、小さなスピーカーも付いているという。友達はそれに感動して買ったらしい。
ここ数日、友達は中古のレコードを買いまくったという。なんだか天国のようだって言う。
「だって、欲しいレコードが200円すよ」
友達はあまり豊かな電化生活をおくってはいない。テレビもない生活だ。
「もーう、大きくて最高すよ。」
友達は、とても嬉しそうだ。そこには、果てしなくひろがる楽しみが広がっているようだ。
「腹ペコの話」1/12
さて、今とても腹ペコだ。
銭湯からの帰り道、路地の風を受けながら「腹ペコ」について考えてみた。
・・「腹ペコ」。
「HARAPECO」はとても語呂がいい。いかにもお腹が空いているという感じだ。
「お腹ペコペコ」から来ているのだろう。さて「ペコ」って何だろう?
イメージ的には、「お腹が空きすぎて、くっついてペコペコと音がするよ、かあちゃーん」という感じだ。
擬音語に「ペコペコ」はある。しかしこの場合は「ペコっとしている」から来ているのだろう。
「ペッコリしている」という言葉もある。「ペコっと頭を下げる」という言葉もある。
「ペコ」は「へこむ」と似ている。「へこむ」を変換すると「凹む」が出てくる。
「腹ペコ」は「ハラペーニョ」と似ている。
「腹ペコ」は「青べこ」とも似ている。
さて、結論。結論なんて無いんですが、やっぱり僕としたら、
「お腹が空きすぎて、ペコペコっと音するくらいだ。かあちゃーん」でゆきたいと思う。(おんなじじゃん)
それは♪♪「かあちゃん、かあちゃん、お腹と背中が、くっつくぞ!!」の、
「ものすごく大きな夢」1/8
もうずっと、新しい楽器を欲しいと思っている。
ギターを改造したような感じで、弦を二本づつにしたりしたいのだ。
・・・実はもうそのギターは見たことがあった。
吉祥寺のとある店で、改造されたギターを売っていたのだ。そのときはただ(あーあ、ギター改造しちゃって)と、くらいしか思わなかった。
イメージ的には、世界の民族楽器を、ギターで再現したという感じだ。(ギターにはフレットがあり、大変に弾きやすい)
今、僕が作ろうと思っているのもまさにそんな感じだ。
その吉祥寺の民族楽器屋さんは、そしてなくなった。・・と、思っていた。しかし、ついたった今インターネットで調べたら同じ場所にあった。
あれぇ。。
時間が出来たら、さっそく訪ねてみようと思う。あきらめていた夢がそこにある。奇跡のようにある。
「正月餅」1/5
正月になってから、ずっとお餅を食べている。
年末に大きな袋をふたつ買ったからだ。みかんもけっこう食べた。
・・今年は、とても正月らしい。
僕にとって正月はお餅の数と比例しているのか。
どうやら、そうみたい。単純すぎて嫌だなぁ。
来年は「正月」の形にお餅を並べてどんどん食べてゆくかな。
「正月の東京」1/2
「アオキさん、正月の東京はいいねぇ」
遠くからいつもくる、いかつい顔のその友人は僕に、帰る前に一緒に街を歩こうという。
「たのむからアオキさん、最後にちょっとだけ一緒に街を歩いてくれんか。俺のわがままだ」
そのいかつい顔の友人は僕を車に乗せて、高円寺の駅前までゆくと、一緒にちょっと歩こうという。
ほんの50メートルほど歩いて、一軒の古本屋さんに寄り、そして言った。
「満足したよ、アオキさん」
正月の東京は確かに人がいない。僕も東京に来て、10年くらいはそう感じていたが、ここ高円寺に住んでからは、夜中の風景とそうはかわらない、見慣れた風景だ。
ずっと、ずっと前の僕の記憶をたどってみると、確かに僕もそんなふうに思っていような気がする。そう確かに思っていた。そのときも同じ友人と歩いていた。しかし、今ではどうやってもそのときの記憶に帰ることが出来ない。
僕も正月になったら、どこかの街に出かけて、友達に会ったりしたいな。
「そのうち」12/30
12月31日の次に、ぜひもう一日。
その日はみんな誰にも会わない。
その日は、ない一日なのだ。
電話はもちろんならない。一日、どんな顔で息をしていてもいい。
その日、みんな今年一年のビデオテープを観る。
・・・どこかで・・・
それがどうと言うことではない。
みんな遠くに出かけるのだ。家には居ない。
家には居ない。
うるう年があるならば、ぜひそれは12/32日を作って欲しい。
「キャノン・エプソン・限定小話」12/27
もう見た人もいるだろうか?
2002年のこの冬。先日、パソコンのスキャナーが調子悪くなったので、電気店に買いに出かけた。
2002年のこの冬。スキャナーといえば、キャノンかエプソンである。だいたいこのふたつのメーカーくらいしかどこも品揃えていない。
実はすごい不平等だ。。しかし僕もまたこの二社から選ぼうと思っていた。
大型店に行って眺めてスキャナー売り場を眺めていて驚いた。性能情報のカラーブックが置いてあり、キヤノン社は某E社として、スキャナーのいろんな早さを比べては「キヤノンが早い」と表を作ってあるのだ。
・・これはまた、直接な・・
そしてその情報を信じてしまった僕は、エプソンのコーナーにて、カラーの性能情報のブックを見つけた。中を開いてみると、みごとにまったく同じ作りで、すべての面でエプソンの早さの方が勝っていると書かれていた。
「エプソン・WIN!!」とか、書かれている。
どーなってるの?
きっと、どちらかの会社が性能比べを仕掛けたのだろう。
「部長、こんなことされて黙っているんですか!!」
「よし、やれー」
可笑しいくらいに、性能が逆に表示されているのだ。
真実はどっちにあるの?
「100円ショップの時計」12/20
先日、100円ショップで、小さな目覚まし時計を買った。
単純な、ホントに単純な文字盤の数字の付け方だ。外側に向けて数字を付けてしまったのだなと思って、よーく見ると、6時の所だけが逆だ。
この文字盤を作った人は、数字を付けるとき、何の疑問ももたかったのだろうか?
100円の価値としたら、そのことのほうが価値がある。
この時計を中国(たぶん)で、大量生産しているとき、誰も言わなかったのだろうか?
日本に持ってきて、最初にこの文字盤を見た日本の業者はどういう顔をしただろう?
しかし、この時計は、ひとつの面白いことを教えてはくれている。それは、四面のうちどこを上にしても、時計になるということだ。朝の9時を中心にして、一日を始めることができる。それはそれなりに素晴らしいアイデアだ。
しかし、6時の数字が逆なので、それも出来ない。
それとも、6時だけ逆にするというのは、その人なりの素晴らしいアイデアだったのかもしれない。
それとも、中国(たぶん)では、こういう時計の文字盤も一般的なのか。。
「日本の朝」
どんなに朝早く起きても、テレビの中の人は元気だ。
・・これが日本の朝か。
外はまだ薄暗く、人影もない。路地という路地は小さなトンネルのようだ。
それなのに、いつもテレビの中だけは、まだ暗いのに、パワーいっぱいだ。
なぜ、テレビの中も徐々に明けていかないのか。
電車に乗っても、駅を降りても、どんこ行っても、朝はそれなりに静かだ。
「電車の中」12/14
最近、バイト先へは「快速」に乗るようになった。それはただ、時間が早く着くという理由だけだ。
しかし思い出してみると、僕の歌の創作のほとんどは電車の中だったような気がする。
今だって、歌を作るときは各駅停車に乗っていったりしている。
それは人によって違うとは思うけれど、なぜ、電車の中はあんなに創作できるのか?
本も読める。いろんなことが頭に入る。逆に言えば部屋の中だと、うまく集中できないのだ。
喫茶店もだめだ。言葉に集中すると、他の人の話声が大きく聞こえてきてしまう。
電車の中だってみんな話ているだろうに、なぜだろう。
それはきっと僕が、ずっと電車の中で歌を作ってきたからかもしれない。
それとは別に、もうひとつ不思議な感覚が電車の中にはある。それはライブのステージみたいな集中力になるということだ。
僕の場合、スタジオでのリハーサルとライブハウスのステージでは、まったく感覚がちがってしまう。
それは集中力というか。リラックスした集中というか。感覚がさえてくるのがわかる。
電車の中もまた、多少見られているという点では、ライブと近いのかもしれない。
「弦の切れないギター」12/11
もう何度も言っていることだけれど、
この電子文化の中、いろんなものは進化しているのに、弦の切れないギターはまだ開発されていない。
とか、ライブハウス「グットマン」のマスターに言ったら、
「弦が切れるからいいんだよー」と、逆に言われてしまった。
それは何か「人生には終わりがあるからいい」とかいう話と似ている。
それは僕の思うところと、意味あいがちょっとちがうようだ。
僕も以前に比べたら、ライブでかなり弦を切らなくなったけれど、それは相当無理をして、弦を切らないように努力して弾いているからだ。
すべてのギター弾きの悩みの種といったら、やっぱり弦が切れたときだろう。先日はライブでベースの弦を切った人を見た。
それも、ギターの弦は一番いいところで必ず切れる。それには理由がある。
カラテで言えば、不意をつく、ここ一番の一撃という感じか。カラテの試合では、それは必要で大事な一撃である。ライブでも、必要な一音には間違いないのだけれど、それはギターにとっては不意打ちになり、弦が切れてしまう。
むやみやたらに強く弾いて弦を切る人もいるけれど、それとはまったく別の次元だ。
まあ逆に言えば、ギターの限界を知るという意味では、とてもいいことだけれど・・。
「僕の好きなこと」12/8
最近、高級なレトルトのカレーが出ている。値段も400円近くする。
食べてみるとそれなりに美味しい。と、言うか、なかなか出会いない味だったりする。
そんな高級レトルトカレーを食べるときは、箱に書かれているいろんな高級話を読みながら味わいたい。
「このカレーは南インドのケーララ地方に伝わる・・・、秘伝の・・、北海道の・・、特別に・・、etc・・。
ただ食べることもできるけれど、せっかくなので、あれこれ驚きたい気持ちもあるのだ。
・・僕はそういうの好きみたい。。
動物園の象や、トラ、オランウータン、他のエピソードを読んで、動物を見るのが好きだ。
つまり、エピソードってのが好きなんだな。
なーんだ、もう答えがでちゃった。
「石油ストーブ」12/6
今日、久し振りに四角い石油ストーブを目撃した。
あの煙突の先にドーム形の網目のついた、反射板のついた石油ストーブだ。
それはそれは、70年代の応接間には必ずあった石油ストーブだ。火の付け方は、自動点火。。
それはそれは、80年代の作業場には必ずあったストーブだ。火の付け方は、真ん中をグワッとあげてマッチ。。
あの反射板に映った大きなオレンジ色。手のひらを当ててみると、あったかいんだなぁ。
90年代、石油ストーブはどう進化したのだろう。まったく今の僕には情報がない。
2002年の今年、四角いストーブは、なんだか時代に取り残されているように見えた。
「冷たいBOSS」12/5
あなたも知っているだろう。・・・これは、かなりがっかりするね。
バイト先のある駅前に、100円のジュースの自販機がある。この自販機はけっこう人気で、朝にはすぐに人が後ろに列んでしまう。
冬の朝、ポケットから手を出して、肩をふるわせながら、100円玉を自販機に急いで入れる。サントリーの缶コーヒーBOSS。好きなのは微糖ブラックだ。
ガチャ!!
そして落ちて来たのは、冷たいBOSS。
(うわぁ・・)
あなたも知っているだろう。冷たい缶コーヒーを押してしまったときのショックを・・。
(あっ・・・、ガチャ!!)
すべては間に合わない。
僕の頭の中で、0.02秒の間をおかずに、
(夏まで待つか)と、自分を納得させ、結局また、暖かい缶コーヒーを押してしまう。
ポケットには、冷たい缶コーヒー。夏って、あとどのくらいあるんだ?
「星占い」12/2
毎朝、ニュースと一緒に聞こえてくる星占い。
毎日、それなりの事を僕に伝えてくれるけれど、はたして当たっているのか、いないのか。それは100年たっても、答えは出ないかもしれない。
ただ最近は、絶好調の星座から伝えてくれたりしてるので、全体運も、数字で考えることはできる。星占いとは関係なく、一日のラッキーさかげんを数字でノートに付けていって、星占いと比べたら何かしら共通する結果が出るのかもしれない。
それとも・・。朝、星占いを聞いて、ラッキーさに影響が出るのかもしれない? 星占いは、国民的、トリックなのか。。
高校三年のとき、同じクラスの中に三人同じ誕生日の人がいた。一人とは大の仲良しだった。この三人は、まるで一生同じ星占いの下にいるのだろうかと思ったら、可笑しかった。そんなわけがない。
しかし、、しかしだ、、、。ホントに当たる星占いが出てきたら、国民の生活も変わってくるだろう。国民総生産も変わってくるだろう。困ることも助かることも出てくるだろう。
「二本立ての映画」11/29
どんな夜になるのか、いつもほとんど想像はつかない。
もしも4時間あるのなら、映画なら二本は見られるだろう。しかしどんなに先の読めない映画であったとしても、その物語の先は、フィルムとして巻かれているだろう。それは変えようがない。
一艘のボートがあり、それは海へと出てゆく。しかし、なぜかタイムマシンのように、はるばると時を巡りどこへでも行く。その操縦はまるで飛行士さながらだ。次に行く場所は決まってはいない。
なんだか、そんなボートが時を飛ぶのにベストな夜がきっとあって、昨日は、まさにそんな日だったようだ。友人と会って、とりとめのない話をさんざんした後で、また友達と会い、別の話の旅へとボートは進み飛んだ。
帰り道、いくつもの時間を巡って帰って来た旅人のようだった。その充実感は、映画を二本観た疲労感と似ていた。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」って映画があったなぁ。まさにそんな感じの夜だった。
「宿題」11/26
おとといから眠り続けている。バイトに出かけて帰って来て、また眠るのだ。
高校時代、10日ほど、かなりがんばって夜中まで起きていたことがあった。何を思ったか試験勉強のためだ。試験の終わった後、ちょうど10日ほど、今度は毎日早く眠ってしまった。日数的にぴったりだ。
まるでそれは宿題でもたまっているかのようだ。散らかり放題になった部屋のようだ。
以前、作家の五木寛之は、2年間本を書き、1年休むという、生活を続けていたという。
郵便の重さの計りのようにものに、手のひらを乗せると、疲れの目盛りが出るような計りは出来ないものか?
ひとつの同じセリフを同じように喋って、その変化で、疲れを計ることが出来ないものか?
あるいは、体の発光体磁気エネルギー写真で、判断というのもできないだろうか?
計測結果・・『60時間の寝不足です』そんなこと言われそうだ。
「プリンターの進化」11/19
先日、パソコンのプリンターを買った。持っていたヤツは、2年前の最新型だったのだけれど、同じメーカーの最新型を買ってみてホント驚いた。
まあ、劇的に進化しているのがわかった。価格的には、安くなっているのに。。と、言うか、今まで使っていたプリンターとの差があまりにもある。ほんの2年前なのに。
作動音が前の持っていたプリンターの、半分以下の大きさだ。ほとんど音がしない。これには驚いた。。
使わないときは、ほこりが入らないように、ふたをすることができるし、CD-Rも印刷できるし、大きさも小さくなっている。デザインもシンプルに変わっている。なんだか嬉しい限りだ。
最新型になると、デザインも大げさになり、いろいろと機能も増え、使いづらくなるのが常なのだが、この機種はそれとは逆の流れになっている。こういうのは、ありがたい。プリンターの進化はこれでいいと思わないか?
「歩き方」11/16
ここ数ヶ月前から、歩き方を変えてみた。
あまりにも自分の靴のカカトの減り方がひどいので、カカトが減らないように、そっと歩くようにしてみたのだ。
(すぐ元にもどっちゃうよ!!)
そう、僕自身も堅く信じていた。しかし予想に反して、未だにちゃんとした歩き方のままだ。靴のカカトもそんなに減っていない。
以前はどんな靴でも三週間もすれば、相当に減ってしまっていた。スニーカーはひと月ともたなかった。
人はこんなにも突然に変われるものか・・?
「時間のない子守歌」11/11
土曜日になると、いつも頭痛がしてしまう。
この土曜のやっぱり、頭痛におそわれてしまった。
やることはいっぱいある。今は古い録音テープの編集作業に追われていた。
古い録音テープは、自分自身であり、それも路上ライブのテープでもある。
作業に追われながらも、頭痛のせいで横になってしまうと、自分の古いテープが、ぼんやりと聞こえて来て、それが遠い時間と一緒になってしまい、今がいつだかわからなくなってしまう。
時間のない時間の中で、横になっていると、そのまま時間の外に行ってしまいそうだ。
時間のない子守歌。。
そのまま帰ってこれなそうだったけれど、ひと眠りして起きてみるとやっぱり今だった。
「レトロなラジオ」
最近の事。
30年前のレトロなラジオに、CDラジカセをつないでいる。
・・それがなんともいいい音なのだ。
どんなCDも、すんなりと音が、耳に入ってくる。それは自然に部屋に響いている。
部屋と部屋にあるものがが喜んでいるのがわかる。
こんな素晴らしい空気をくれるのなら、僕にも考えがある。
その音のために、部屋を作ってしまおう。
その音を中心に、部屋をもう一度、並べ替えてみよう。
もう、始まっている。
「犬かもしれない」11/4
昨日、テレビで「気配」の不思議を科学的に分析していた。
まあだいたいのところはこうだ。人にはみんな異なった電磁波が出ていて、それをちょっと離れた人が、アンテナのように受け取ってしまうというものだった。それは壁さえも通り抜けてしまうという。
その微弱な電磁波を人は、皮膚の下で感じてしまうので、ゾクゾクとした感じがするらしい。
犬は、その電磁波を感じる能力が強く、主人が来たとわかるのだという。
人が発する微弱な電磁波を、目かくしで10人のうち7人が感じられという実験もやっていた。
やっと、科学もここまで来た。
その番組の中で、もっと大事なことを言っていた。それは、その電磁波が、しばらくそこに残るということを証明していた。
これは大事だ。
たとえば人を追いかけて行って、別れ道に来たとき、どちらの道に行ったかわかることになる。それは、そこに着いた最初の直感で当たるだろう。
ずっとずっと思ってきたことが、ひとつひとつ証明されてゆく。もっといろいろとわかるだろう。
今、言われなくても僕は小さな頃から、そう信じていた。そしてそう信じて行動してきた。友達は言う。
「なんとなくって、それがわからないんだよ!!」
視力を計るみたいに、電磁波受信体レベルというものが計れるかもしれない・・・。
それもあるけれど、自分がだんだんホントに、犬のような気がしてきた。
「何の因果か・・」11/1
最近、ここ二ヶ月くらいで、ちよっと太ってしまった。
人生始まって以来の出来事(?)だ。ずっとずっと、太るなんて無縁のものだと思っていた。
思いつく原因はある。
ここひと月、立ち食いそば屋さんにはまってしまい、かならず毎日、食べていたのだ。そして近所のラーメン屋のオープン。インスタント麺もけっこう食べたなぁ。
どう考えても、食べ過ぎだ。
もう、麺類はやめようと決めて一週間。しかしなぜか毎日、麺類を食べてしまっている。自分の意志の ような意志でないような。。
「今日こそは」と、強く思うのに、とにかく毎日、麺類を食べることになってしまう。
何か麺類に、とりつかれているようだ。ちょっと怖い。。