青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'02.11〜'03.1月


「若者たち」
1/29

 ここ最近、僕はひとつのことをずっと考えている。それは、、

 「若者はなぜ、話声が大きいのか」ということだ。

 電車の中でも、ファミリーレストランでも、若者の話声は例外なく大きい。

 特に電車の中では、すぐ隣に立ってるのだから、充分に聞こえると思うのたけれど、そういう問題ではないようだ。

 喫茶店とかで、大声で話されるとさすがにきつい。そんなとき僕はなんとか、若者の気持ちを理解しようと努める。

 ・・・本人たちは普通に話しているのだ・・・

 自分のことを思い出してみる。やっぱり高校生の頃までは大声で喋っていた気がする。特に教室ではそうだ。教室はみんなが喋っているので、必然的に大声になってしまう。

 喫茶店の彼らには、見えないクラスメートたちの声が聞こえているのか? ホントにそうかもしれない。

 若者たちは居酒屋では絶好調だ。これ以上の声は出せないと思えるほどの声で話す。と、いうか叫んでいる。

 それが若者たちなのか。

 きっと、それが若者たちだ。

 そこで疑問が、ひとつある。20才を過ぎた頃の僕らもそうだったのだろうか? たしかに町で、よくばか騒ぎとかしていたけれど、大きな声で普段も話していたのだろうか・・。記憶がない。

 若者たちは、きっと記憶なく話しているのだろう。

 こうも考えてみた。

 若者たちと、僕らの流れている時間の濃さが違うのではないか。若者たちが、ノーマルモードの録音だとしたら、僕らはロングモードの録音なのだ。僕たちは単三電池2本で、若者は単二電池2本なのだ。

 そんなふうにきっと時間の濃さが違う。それが声の大きさになっているのではないか。

 まだまだ研究途中なので、今日はこの辺で。。


「雪だるま式」1/26

 昨年買ったあたたかいコートを洗濯した。そのコートなしで、道を歩いていると今年の寒さが体にこたえた。

 しかしよく考えてみると、毎年、このコートなしで冬を過ごしてきたのだ。

 友達はまだ、僕よりずっと薄い、ジャンパー一枚でこの冬を過ごしている。まだコートの季節ではないのだと言う。

 僕もまた思い出していた。どんな寒い日も、一昨年まではコートなしでやって来たのだ。

 今はコートを着ていても震えている。

 じゃあ、犬はどうなのか? 犬は、ずっと同じ毛皮ではないのか。

 僕は、このままでは、雪だるまになってしまう。これは困った。

 ・・総武線の電車の中のエスキモー・・。 

 「どんどん着込むと、もっと着込みますよ」

 そのことを、正式に発表してくれた学者はいない。


「水中歩行プール」1/22

 今、近くの銭湯で「水中歩行プール」なるものを作っている。

 いったい「水中歩行プール」とは、いかなるものなのか? 外からはシートが張ってあり、その実体ははわからない。

 「水中歩行」とは・・・? プールとは?

 男風呂と女風呂の真ん中に作っている。長さは7メートルくらいだ。

 普通の温水プールのようなものならば「水中」とは何か?

 プールと呼ぶくらいなのだから、水着を着て入るのか?

 プールの外はガラスなのだろうか。そしたら洗い場がまる見えだ。

 もし、洗い場とも独立したプールだったら、大人も子供も水着だろうか?

 考えれば考えるほど、謎が多い。

 「水中歩行プール」はそしてもうすぐ完成する。あのシートがとれる日が来る。

 そしたらまた報告しよう。


「糸切り歯」1/19

 先日、硬いねり梅を噛んでいたら、左の糸切り歯が、また欠けてしまった。

 糸切り歯が欠けるのは悲しい・・。

 前、飼っていた猫の糸切り歯はやはり欠けていた。「にゃー」と、口をあけるたびに見える、その歯。

 遠い日のいっとき、硬い物を食べたのだろう。

 犬で言ったら、犬歯なのかな。いや、糸切り歯が犬歯なのか。

 僕の糸切り歯が最初に欠けたとき、ものすごく悲しかった。それは、遠い犬の日の記憶が、悲しませたのかもしれない。

 糸切り歯が片方欠けている動物や人は、みんなどこか物悲しい。まるで友達のようだ。

 古代よりつながる、糸切り歯の欠けた友達たち。

 ・・まだ片方残っているからいいか・・。

 実は本人は、ほとんどの時間、そのことは忘れている。そしてときどき「そうだったなぁ・・」と思い出すのだ。

 そのへんが、同じ悲しみを持っている。


「レコードプレイヤー」1/15

 最近の事、友達がレコードプレイヤーを買った。

 そのプレイヤーには、小さなスピーカーも付いているという。友達はそれに感動して買ったらしい。

 ここ数日、友達は中古のレコードを買いまくったという。なんだか天国のようだって言う。

 「だって、欲しいレコードが200円すよ」

 友達はあまり豊かな電化生活をおくってはいない。テレビもない生活だ。

 「もーう、大きくて最高すよ。」

 友達は、とても嬉しそうだ。そこには、果てしなくひろがる楽しみが広がっているようだ。

 東京23区、いや、全国に彼の楽しみはひろがっている。
 


「腹ペコの話」1/12

 さて、今とても腹ペコだ。

 銭湯からの帰り道、路地の風を受けながら「腹ペコ」について考えてみた。

 ・・「腹ペコ」。

 「HARAPECO」はとても語呂がいい。いかにもお腹が空いているという感じだ。

 「お腹ペコペコ」から来ているのだろう。さて「ペコ」って何だろう?

 イメージ的には、「お腹が空きすぎて、くっついてペコペコと音がするよ、かあちゃーん」という感じだ。

 擬音語に「ペコペコ」はある。しかしこの場合は「ペコっとしている」から来ているのだろう。

 「ペッコリしている」という言葉もある。「ペコっと頭を下げる」という言葉もある。

 「ペコ」は「へこむ」と似ている。「へこむ」を変換すると「凹む」が出てくる。

 「腹ペコ」は「ハラペーニョ」と似ている。

 「腹ペコ」は「青べこ」とも似ている。

 さて、結論。結論なんて無いんですが、やっぱり僕としたら、

 「お腹が空きすぎて、ペコペコっと音するくらいだ。かあちゃーん」でゆきたいと思う。(おんなじじゃん)

 それは♪♪「かあちゃん、かあちゃん、お腹と背中が、くっつくぞ!!」の、

 「くっつくぞ!!」の部分が、かなり好きだからだ。


「ものすごく大きな夢」1/8

 もうずっと、新しい楽器を欲しいと思っている。

 ギターを改造したような感じで、弦を二本づつにしたりしたいのだ。

 ・・・実はもうそのギターは見たことがあった。

 吉祥寺のとある店で、改造されたギターを売っていたのだ。そのときはただ(あーあ、ギター改造しちゃって)と、くらいしか思わなかった。

 イメージ的には、世界の民族楽器を、ギターで再現したという感じだ。(ギターにはフレットがあり、大変に弾きやすい)

 今、僕が作ろうと思っているのもまさにそんな感じだ。

 その吉祥寺の民族楽器屋さんは、そしてなくなった。・・と、思っていた。しかし、ついたった今インターネットで調べたら同じ場所にあった。

 あれぇ。。

 時間が出来たら、さっそく訪ねてみようと思う。あきらめていた夢がそこにある。奇跡のようにある。

 ここ高円寺から切符160円のところに。


「正月餅」1/5

 正月になってから、ずっとお餅を食べている。

 年末に大きな袋をふたつ買ったからだ。みかんもけっこう食べた。

 ・・今年は、とても正月らしい。

 僕にとって正月はお餅の数と比例しているのか。

 どうやら、そうみたい。単純すぎて嫌だなぁ。

 来年は「正月」の形にお餅を並べてどんどん食べてゆくかな。

 それで売り出してもいいのに。伝統のように。


「正月の東京」1/2

 「アオキさん、正月の東京はいいねぇ」

 遠くからいつもくる、いかつい顔のその友人は僕に、帰る前に一緒に街を歩こうという。

 「たのむからアオキさん、最後にちょっとだけ一緒に街を歩いてくれんか。俺のわがままだ」

 そのいかつい顔の友人は僕を車に乗せて、高円寺の駅前までゆくと、一緒にちょっと歩こうという。

 ほんの50メートルほど歩いて、一軒の古本屋さんに寄り、そして言った。

 「満足したよ、アオキさん」

 正月の東京は確かに人がいない。僕も東京に来て、10年くらいはそう感じていたが、ここ高円寺に住んでからは、夜中の風景とそうはかわらない、見慣れた風景だ。

 ずっと、ずっと前の僕の記憶をたどってみると、確かに僕もそんなふうに思っていような気がする。そう確かに思っていた。そのときも同じ友人と歩いていた。しかし、今ではどうやってもそのときの記憶に帰ることが出来ない。

 僕も正月になったら、どこかの街に出かけて、友達に会ったりしたいな。


「そのうち」12/30

 12月31日の次に、ぜひもう一日。

 その日はみんな誰にも会わない。

 その日は、ない一日なのだ。

 電話はもちろんならない。一日、どんな顔で息をしていてもいい。

 その日、みんな今年一年のビデオテープを観る。

 ・・・どこかで・・・

 それがどうと言うことではない。

 みんな遠くに出かけるのだ。家には居ない。

 家には居ない。

 うるう年があるならば、ぜひそれは12/32日を作って欲しい。


「キャノン・エプソン・限定小話」12/27

 もう見た人もいるだろうか?

 2002年のこの冬。先日、パソコンのスキャナーが調子悪くなったので、電気店に買いに出かけた。

 2002年のこの冬。スキャナーといえば、キャノンかエプソンである。だいたいこのふたつのメーカーくらいしかどこも品揃えていない。

 実はすごい不平等だ。。しかし僕もまたこの二社から選ぼうと思っていた。

 大型店に行って眺めてスキャナー売り場を眺めていて驚いた。性能情報のカラーブックが置いてあり、キヤノン社は某E社として、スキャナーのいろんな早さを比べては「キヤノンが早い」と表を作ってあるのだ。

 ・・これはまた、直接な・・

 そしてその情報を信じてしまった僕は、エプソンのコーナーにて、カラーの性能情報のブックを見つけた。中を開いてみると、みごとにまったく同じ作りで、すべての面でエプソンの早さの方が勝っていると書かれていた。

 「エプソン・WIN!!」とか、書かれている。

 どーなってるの?

 きっと、どちらかの会社が性能比べを仕掛けたのだろう。

 「部長、こんなことされて黙っているんですか!!」

 「よし、やれー」

 可笑しいくらいに、性能が逆に表示されているのだ。

 真実はどっちにあるの?

 まあ、仲がいいってことか。


「100円ショップの時計」12/20

 先日、100円ショップで、小さな目覚まし時計を買った。

 単純な、ホントに単純な文字盤の数字の付け方だ。外側に向けて数字を付けてしまったのだなと思って、よーく見ると、6時の所だけが逆だ。

 この文字盤を作った人は、数字を付けるとき、何の疑問ももたかったのだろうか?

 100円の価値としたら、そのことのほうが価値がある。

 この時計を中国(たぶん)で、大量生産しているとき、誰も言わなかったのだろうか?

 日本に持ってきて、最初にこの文字盤を見た日本の業者はどういう顔をしただろう?

 しかし、この時計は、ひとつの面白いことを教えてはくれている。それは、四面のうちどこを上にしても、時計になるということだ。朝の9時を中心にして、一日を始めることができる。それはそれなりに素晴らしいアイデアだ。

 しかし、6時の数字が逆なので、それも出来ない。

 それとも、6時だけ逆にするというのは、その人なりの素晴らしいアイデアだったのかもしれない。

 それとも、中国(たぶん)では、こういう時計の文字盤も一般的なのか。。

 文句を言いにゆく人もないと思うけど・・


「日本の朝」

どんなに朝早く起きても、テレビの中の人は元気だ。

 ・・これが日本の朝か。

 外はまだ薄暗く、人影もない。路地という路地は小さなトンネルのようだ。

 それなのに、いつもテレビの中だけは、まだ暗いのに、パワーいっぱいだ。

 なぜ、テレビの中も徐々に明けていかないのか。

 電車に乗っても、駅を降りても、どんこ行っても、朝はそれなりに静かだ。

 その風景に、ヒットSONGが聞こえている。


「電車の中」12/14

 最近、バイト先へは「快速」に乗るようになった。それはただ、時間が早く着くという理由だけだ。

 しかし思い出してみると、僕の歌の創作のほとんどは電車の中だったような気がする。

 今だって、歌を作るときは各駅停車に乗っていったりしている。

 それは人によって違うとは思うけれど、なぜ、電車の中はあんなに創作できるのか?

 本も読める。いろんなことが頭に入る。逆に言えば部屋の中だと、うまく集中できないのだ。

 喫茶店もだめだ。言葉に集中すると、他の人の話声が大きく聞こえてきてしまう。

 電車の中だってみんな話ているだろうに、なぜだろう。

 それはきっと僕が、ずっと電車の中で歌を作ってきたからかもしれない。

 それとは別に、もうひとつ不思議な感覚が電車の中にはある。それはライブのステージみたいな集中力になるということだ。

 僕の場合、スタジオでのリハーサルとライブハウスのステージでは、まったく感覚がちがってしまう。

 それは集中力というか。リラックスした集中というか。感覚がさえてくるのがわかる。

 電車の中もまた、多少見られているという点では、ライブと近いのかもしれない。

 また、各駅で行こうと思っている。


「弦の切れないギター」12/11

 もう何度も言っていることだけれど、

 この電子文化の中、いろんなものは進化しているのに、弦の切れないギターはまだ開発されていない。

 とか、ライブハウス「グットマン」のマスターに言ったら、

 「弦が切れるからいいんだよー」と、逆に言われてしまった。

 それは何か「人生には終わりがあるからいい」とかいう話と似ている。

 それは僕の思うところと、意味あいがちょっとちがうようだ。

 僕も以前に比べたら、ライブでかなり弦を切らなくなったけれど、それは相当無理をして、弦を切らないように努力して弾いているからだ。

 すべてのギター弾きの悩みの種といったら、やっぱり弦が切れたときだろう。先日はライブでベースの弦を切った人を見た。

 それも、ギターの弦は一番いいところで必ず切れる。それには理由がある。

 カラテで言えば、不意をつく、ここ一番の一撃という感じか。カラテの試合では、それは必要で大事な一撃である。ライブでも、必要な一音には間違いないのだけれど、それはギターにとっては不意打ちになり、弦が切れてしまう。

 むやみやたらに強く弾いて弦を切る人もいるけれど、それとはまったく別の次元だ。

 まあ逆に言えば、ギターの限界を知るという意味では、とてもいいことだけれど・・。
 


「僕の好きなこと」12/8

 最近、高級なレトルトのカレーが出ている。値段も400円近くする。

 食べてみるとそれなりに美味しい。と、言うか、なかなか出会いない味だったりする。

 そんな高級レトルトカレーを食べるときは、箱に書かれているいろんな高級話を読みながら味わいたい。

 「このカレーは南インドのケーララ地方に伝わる・・・、秘伝の・・、北海道の・・、特別に・・、etc・・。

 ただ食べることもできるけれど、せっかくなので、あれこれ驚きたい気持ちもあるのだ。

 ・・僕はそういうの好きみたい。。

 動物園の象や、トラ、オランウータン、他のエピソードを読んで、動物を見るのが好きだ。

 つまり、エピソードってのが好きなんだな。

 なーんだ、もう答えがでちゃった。

 今、レトルトカレーが沸騰してる間の、原稿でした。


「石油ストーブ」12/6

 今日、久し振りに四角い石油ストーブを目撃した。

 あの煙突の先にドーム形の網目のついた、反射板のついた石油ストーブだ。

 それはそれは、70年代の応接間には必ずあった石油ストーブだ。火の付け方は、自動点火。。

 それはそれは、80年代の作業場には必ずあったストーブだ。火の付け方は、真ん中をグワッとあげてマッチ。。

 あの反射板に映った大きなオレンジ色。手のひらを当ててみると、あったかいんだなぁ。

 90年代、石油ストーブはどう進化したのだろう。まったく今の僕には情報がない。

 2002年の今年、四角いストーブは、なんだか時代に取り残されているように見えた。

 四角い体全体で、それは表現されていた。


「冷たいBOSS12/5

 あなたも知っているだろう。・・・これは、かなりがっかりするね。

 バイト先のある駅前に、100円のジュースの自販機がある。この自販機はけっこう人気で、朝にはすぐに人が後ろに列んでしまう。

 冬の朝、ポケットから手を出して、肩をふるわせながら、100円玉を自販機に急いで入れる。サントリーの缶コーヒーBOSS。好きなのは微糖ブラックだ。

 ガチャ!!

 そして落ちて来たのは、冷たいBOSS。 

 (うわぁ・・)

 あなたも知っているだろう。冷たい缶コーヒーを押してしまったときのショックを・・。

 (あっ・・・、ガチャ!!)

 すべては間に合わない。

 僕の頭の中で、0.02秒の間をおかずに、

 (夏まで待つか)と、自分を納得させ、結局また、暖かい缶コーヒーを押してしまう。

 ポケットには、冷たい缶コーヒー。夏って、あとどのくらいあるんだ?

 急ぎの自販機は要注意だ。


「星占い」12/2

 毎朝、ニュースと一緒に聞こえてくる星占い。

 毎日、それなりの事を僕に伝えてくれるけれど、はたして当たっているのか、いないのか。それは100年たっても、答えは出ないかもしれない。

 ただ最近は、絶好調の星座から伝えてくれたりしてるので、全体運も、数字で考えることはできる。星占いとは関係なく、一日のラッキーさかげんを数字でノートに付けていって、星占いと比べたら何かしら共通する結果が出るのかもしれない。

 それとも・・。朝、星占いを聞いて、ラッキーさに影響が出るのかもしれない? 星占いは、国民的、トリックなのか。。

 高校三年のとき、同じクラスの中に三人同じ誕生日の人がいた。一人とは大の仲良しだった。この三人は、まるで一生同じ星占いの下にいるのだろうかと思ったら、可笑しかった。そんなわけがない。

 しかし、、しかしだ、、、。ホントに当たる星占いが出てきたら、国民の生活も変わってくるだろう。国民総生産も変わってくるだろう。困ることも助かることも出てくるだろう。

 同じクラスの同じ誕生日の三人は、いゃーな顔をするだろう。


「二本立ての映画」11/29

 どんな夜になるのか、いつもほとんど想像はつかない。

 もしも4時間あるのなら、映画なら二本は見られるだろう。しかしどんなに先の読めない映画であったとしても、その物語の先は、フィルムとして巻かれているだろう。それは変えようがない。

 一艘のボートがあり、それは海へと出てゆく。しかし、なぜかタイムマシンのように、はるばると時を巡りどこへでも行く。その操縦はまるで飛行士さながらだ。次に行く場所は決まってはいない。

 なんだか、そんなボートが時を飛ぶのにベストな夜がきっとあって、昨日は、まさにそんな日だったようだ。友人と会って、とりとめのない話をさんざんした後で、また友達と会い、別の話の旅へとボートは進み飛んだ。

 帰り道、いくつもの時間を巡って帰って来た旅人のようだった。その充実感は、映画を二本観た疲労感と似ていた。

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」って映画があったなぁ。まさにそんな感じの夜だった。


「宿題」11/26

 おとといから眠り続けている。バイトに出かけて帰って来て、また眠るのだ。

 高校時代、10日ほど、かなりがんばって夜中まで起きていたことがあった。何を思ったか試験勉強のためだ。試験の終わった後、ちょうど10日ほど、今度は毎日早く眠ってしまった。日数的にぴったりだ。

 まるでそれは宿題でもたまっているかのようだ。散らかり放題になった部屋のようだ。

 以前、作家の五木寛之は、2年間本を書き、1年休むという、生活を続けていたという。

 郵便の重さの計りのようにものに、手のひらを乗せると、疲れの目盛りが出るような計りは出来ないものか?

 ひとつの同じセリフを同じように喋って、その変化で、疲れを計ることが出来ないものか?

 あるいは、体の発光体磁気エネルギー写真で、判断というのもできないだろうか?

 計測結果・・『60時間の寝不足です』そんなこと言われそうだ


「プリンターの進化」11/19

 先日、パソコンのプリンターを買った。持っていたヤツは、2年前の最新型だったのだけれど、同じメーカーの最新型を買ってみてホント驚いた。

 まあ、劇的に進化しているのがわかった。価格的には、安くなっているのに。。と、言うか、今まで使っていたプリンターとの差があまりにもある。ほんの2年前なのに。

 作動音が前の持っていたプリンターの、半分以下の大きさだ。ほとんど音がしない。これには驚いた。。

 使わないときは、ほこりが入らないように、ふたをすることができるし、CD-Rも印刷できるし、大きさも小さくなっている。デザインもシンプルに変わっている。なんだか嬉しい限りだ。

 最新型になると、デザインも大げさになり、いろいろと機能も増え、使いづらくなるのが常なのだが、この機種はそれとは逆の流れになっている。こういうのは、ありがたい。プリンターの進化はこれでいいと思わないか?


「歩き方」11/16

 ここ数ヶ月前から、歩き方を変えてみた。

 あまりにも自分の靴のカカトの減り方がひどいので、カカトが減らないように、そっと歩くようにしてみたのだ。

 (すぐ元にもどっちゃうよ!!)

 そう、僕自身も堅く信じていた。しかし予想に反して、未だにちゃんとした歩き方のままだ。靴のカカトもそんなに減っていない。

 以前はどんな靴でも三週間もすれば、相当に減ってしまっていた。スニーカーはひと月ともたなかった。

 人はこんなにも突然に変われるものか・・?

 どうやら歩き方は変えられるらしい。


「時間のない子守歌」11/11

 土曜日になると、いつも頭痛がしてしまう。

 この土曜のやっぱり、頭痛におそわれてしまった。

 やることはいっぱいある。今は古い録音テープの編集作業に追われていた。

 古い録音テープは、自分自身であり、それも路上ライブのテープでもある。

 作業に追われながらも、頭痛のせいで横になってしまうと、自分の古いテープが、ぼんやりと聞こえて来て、それが遠い時間と一緒になってしまい、今がいつだかわからなくなってしまう。

 時間のない時間の中で、横になっていると、そのまま時間の外に行ってしまいそうだ。

 時間のない子守歌。。

 そのまま帰ってこれなそうだったけれど、ひと眠りして起きてみるとやっぱり今だった。


「レトロなラジオ」

 最近の事。

 30年前のレトロなラジオに、CDラジカセをつないでいる。

 ・・それがなんともいいい音なのだ。

 どんなCDも、すんなりと音が、耳に入ってくる。それは自然に部屋に響いている。

 部屋と部屋にあるものがが喜んでいるのがわかる。

 こんな素晴らしい空気をくれるのなら、僕にも考えがある。

 その音のために、部屋を作ってしまおう。

 その音を中心に、部屋をもう一度、並べ替えてみよう。

 もう、始まっている。


「犬かもしれない」11/4

 昨日、テレビで「気配」の不思議を科学的に分析していた。

 まあだいたいのところはこうだ。人にはみんな異なった電磁波が出ていて、それをちょっと離れた人が、アンテナのように受け取ってしまうというものだった。それは壁さえも通り抜けてしまうという。

 その微弱な電磁波を人は、皮膚の下で感じてしまうので、ゾクゾクとした感じがするらしい。

 犬は、その電磁波を感じる能力が強く、主人が来たとわかるのだという。

 人が発する微弱な電磁波を、目かくしで10人のうち7人が感じられという実験もやっていた。

 やっと、科学もここまで来た。

 その番組の中で、もっと大事なことを言っていた。それは、その電磁波が、しばらくそこに残るということを証明していた。

 これは大事だ。

 たとえば人を追いかけて行って、別れ道に来たとき、どちらの道に行ったかわかることになる。それは、そこに着いた最初の直感で当たるだろう。

 ずっとずっと思ってきたことが、ひとつひとつ証明されてゆく。もっといろいろとわかるだろう。

 今、言われなくても僕は小さな頃から、そう信じていた。そしてそう信じて行動してきた。友達は言う。

 「なんとなくって、それがわからないんだよ!!」

 視力を計るみたいに、電磁波受信体レベルというものが計れるかもしれない・・・。

 それもあるけれど、自分がだんだんホントに、犬のような気がしてきた。

 犬かもしれない。。


「何の因果か・・」11/1

 最近、ここ二ヶ月くらいで、ちよっと太ってしまった。

 人生始まって以来の出来事(?)だ。ずっとずっと、太るなんて無縁のものだと思っていた。

 思いつく原因はある。

 ここひと月、立ち食いそば屋さんにはまってしまい、かならず毎日、食べていたのだ。そして近所のラーメン屋のオープン。インスタント麺もけっこう食べたなぁ。

 どう考えても、食べ過ぎだ。

 もう、麺類はやめようと決めて一週間。しかしなぜか毎日、麺類を食べてしまっている。自分の意志の ような意志でないような。。

 「今日こそは」と、強く思うのに、とにかく毎日、麺類を食べることになってしまう。

 何か麺類に、とりつかれているようだ。ちょっと怖い。。

「最近の事・過去ログ '02年・7月〜10月まで」

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