青木タカオ「ちょっくら・おん・まい・でいず」

「最近の事」過去ログ'13.8月〜'13.11月エッセイ・インデックス最近の事」へ

「柿の種6袋パック13.11/30

  亀田の柿の種「6袋詰スーパーフレッシュ」という有名なお菓子があり、

 僕もずっと愛食している。お菓子業界での売り上げもすごいとも聞いた。

 コンビニとかにも売っていて、値段は280円ほどだ。

 正式の値段はないとしても、たぶん300円であろう。

 薬局などの店頭セールでは、180円台になることはある。

 それも安いと思うが、先日は、とうとう150円台になっていた。

  150円台で、柿の種6袋ですよ。

 缶コーヒーが一缶120円の時代に。

 それこそ、柿の種自身が「けなげくん」ではないか。

 安すぎるよ。ものには相場というものがある。

 柿の種6袋の時間は、意外と長い。

 やっぱりそれは300円の時間だ。



「マダムの時間13.11/28

  いままであまり気にしていたことはなかったが、

 世の中には「マダム」と呼ばれるみなさんがいることを、最近実感している。

 平日の昼、そして午後はマダムの時間なのだ。

 ふと、店内を見渡せば、マダムたち。

 最近、近所に、品のいい喫茶店が出来たので入りたい思っていた。

 オープンの土日は、行列が出来ていた。それはわかる。

 平日になれば、ある程度は入れるだろうと思って、訪ねてみたら、

 うーん、マダムたちが行列をなしていた。

 そうか、、平日はマダムの活動時間なんだな、、。

 強敵だ。

 平日は,マダムの時間。



「アイ・スリュウ・イット・オール・アウェイ13.11/26

 今日はマニアックな話題で、すいません。

 ボブ・ディランの1969年ワイト島でのライブ映像を観た。

 曲は「アイ・スリュウ・イット・オール・アウェイ」

 ザ・バンドをバックに、ステージの二曲目でこの歌はうたわれた。

 この歌の映像がよくぞ残っていたものだ。

 観てみれば、わかるようにディランの歌い方は、なんだかやさしい感じである。

 ファンであれば知っていることではあるが、突然にこの声で、ディランは二枚のアルバムを作ったのだ。

 そのうち一枚は、いろんな人の歌をとりあげていて、サウンドもポップス調であった。

 高校時代に僕は、この二枚のアルバムをよく聞いていたのだが、

 最初、ディランのこの声は、何かの遊び心なのかなと思ったものだった。

 実際、また以前のディランのハスキー声にアルバムは戻ってゆく。

 しかし、歌う映像を観てみると、しっかりと豊かに歌っているのがわかった。

 アルバムで聞いた印象と、まるでちがう。

 ある意味、声の魔術師のようでもある。そして、歌ととても合っている。

 特にこの「アイ・スリュウ・イット・オール・アウェイ」では。

 歌詞の内容は、

 ・・・・君は手に山を持っていた。そこに川が流れていた、、。

 いまでもいるわと言ってくれたのに、、、私は、ぽいとほおってしまった、

 愛、愛なんだ、、誰がなんといおうと、それが世界を動かしている・・・

 正確ではないが、そんな感じの内容である。

 高校時代も含めて、これは愛する人へのラブソングなんだなと僕は思ってきた。

 しかし、ワイト島でのフェスティバルではロックのファンが多いなか、

 二曲目にディランがこの歌を持ってきたことを思うと、なんだか、

 ・・・ロックがすべてではないよ、、愛された歌たちには、

 手のひらに山もあった、川も流れていた、それらの歌を、ぽいとすててはいけないよ・・・・

 そんなふうなメッセージにも、聞こえてくる。

 そういう歌だったような気もしてくる。たぶん考えすぎだが、、。

 この歌には、この歌唱が実によく合っていると思える。

 映像を観て、ほんとびっくりした。聞きほれてしまった。



「江戸諸国百物語13.11/24

 本屋さんで「江戸諸国百物語」の東日本編・西日本編と二冊買ってしまった。

 ここ数日読んでいるが、かなりはまっている。

 江戸の当時のイラスト入りであるのも、わかりやすくてよい。

 そして、地方に言い伝わる、ちょっとした話も多く載っていてよい。

 珍妙な事件とか、、。たとえば空から髪の毛が降って来たという話も載っていた。

 僕も柏崎の実家にいた頃、いくつも言い伝え話を聞いた。

 残念ながらその話は百物語にはもれていたが、そんな感じのちょっとした話が載っている。

 今で言う「都市伝説」とも少しちがう。

 読んでゆくと、とてもリアルな感じがする。実際に起こった可能性が高い話もある。

 江戸の頃って、何でも起こりそうだ。

 たとえば、道で子供に「医業を学びたいので、江戸につれていって欲しい」と頼まれ、

 そのまま連れてゆく話があるのだが、

 現代では、ありえないであろう。

 それらは何気ない話ではあるが、地方地方で話継がれている話だ。

 その話を言って聞かせる光景が見えてくる。

 おどろく子供らの顔が見えてくる。

 どの話も、味わい深く読まさせてもらっている。


「ノートパソコンの世界13.11/21

 先日の朝、こんな夢をみた。

 この世界がノートパソコンに支配されるという夢。

  えーっ、うそっ!! と思うかもしれないが、夢の中なので、それは現実だ。

 (いよいよ、これが現実となったか、、。そんな予感もしていたんだ・・)

  と、僕はイメージしながら歩いてゆく。なぜかまだ下町の景色の中を。

 僕の住んでいるアパートの二階に、一台のノートパソコンが住んでいて、

 アパートの大家さんもやっていた。そこから無線LANを使い、

 住人の僕らもまた管理されていた。

 これがノートパソコンに支配された世界。

 僕はノートパソコンの大家と勝負することになった。

 アパートの二階の窓に向けて縄を投げた。

 引いてみると手応えがある。もっとぐぐっと引いてみると、

 縄をくわえているノートパソコンが窓から現れた。

 綱引きだ。

 ノートパソコン対フォークシンガー

  それはまだ夕方前の明るさの頃、

 とある下町にて、その戦いは始まった。

 がんばるがんばるがんばる。

 ここに人類の運命をかけて。

 僕が思い切り綱を引くと、、ノートパソコンの中身が飛び出した。

 勝った・・。ここに小さな戦いは終わった。

 晩秋の朝、そんな夢を見た。


「なぜ起きられるのか13.11/19

  最近、特に朝が眠く、

 乗り換えがとてもたいへんだ。

 この一週間でも、四回も乗り過ごしてしまった。

 朝いつも一緒になる男性がいるのだが、

 その人はいつも熟睡しているのに、

 乗り換えの駅になると、さっと起き上がるのだ。

 奇跡のように。

 どうしたら、あんなことが出来るのか?

 実はアラームでもセットしているんだろうか。

 僕なんか、前の駅でしっかり目をさましていても、

 ああ、次だなぁ〜と、安心してしまうと、つい眠ってしまう。

 最近はこのパターンが多い。

 あの人はどうして起きられるのか。

 熟睡しているのに。ぜったい無理だ。

 ぜったい無理だと思い見ていると、彼はすっと起きる。

 すっと起きる。奇跡のように。

 僕はまだ修行が足りないようだ。



「復活の日13.11/17

  今回のレコーディングでは、想いのある一曲が入る。

 それは10年前のセカンドアルバムの録音のとき、

 録音途中で、パスしてしまった歌が入る予定なのだ。

 そのときの録音では、まだなんだが歌がつかめない感じがしたのだ。

 録音していながら。そして途中で見送りとなった。

 とても気に入っていた歌だったのだが。

 それからライブでも一度も歌わなかった。

 今回、無事にその歌を録音出来たなら、

 アルバムの中でも、とても重要な歌になる。

 そういう意味でも、ちゃんと録音してあげたい。

 10年前、とてもかわいそうなことをした。

 録音メニューに入りながら、置いていかれてしまった。

 それも、それ以降、歌われなくなってしまった。

 復活の日。歌をつれていこう。



「マーチングバンド奏法13.11/14

  今回のレコーディングで、何度も録りなおしたテイクがある。

 アルバムの中でも、一番シンプルなストローク奏法とハーモニカの演奏。

 シンプルではあるけれど、とてもむずかしい弾き方をした。

 ギター一本とハーモニカであるのに、まるでマーチングバンドのような音を作ったのだ。

 特に難しいテクニックではないが、音の聞こえ方を、再現してみたのだ。

 もたついて聞こえる感じとか、五人くらいでストローク奏法のギターを弾いたような感じかな。

 ハーモニカも、絶妙な吹き方をした。10人くらいで、ハーモニカを吹いたときのような。

 録音では、何度もやり直しをした。あきれるほどに。

 弾いていって、ついつい一本ギターのような響きになったり、

 ソロハーモニカのような響きになったりしたからだ。

 演奏的にはまちがっていないので、失敗の意味がわからなかったであろう。

 (また録りなおし??)って、思ったであろう。

 しかし、そこは妥協しなかった。単純にノリの問題であった。

 最後までマーチングバンド風な弾き語りをできたテイクを採用した。

 単純なストローク奏法とハーモニカなんですけどね。

 あの音はなかなか出せないんです。

 アルバムをお楽しみに。聞けばすぐにわかります。



「薄めで小さめの革の肩掛けカバン13.11/10

 もう少ししたら、詩人の山之口獏さんのイベントが隣街である。

 娘さんのトークイベントもあるということなので、出かけてもいいなと思っている。

 山之口獏さんのファンといったら、僕と同年代の人も多いだろう。

 年齢で言ったら、40代後半から50代前半か、、。

 '70年代のフォーク世代の人たちでもあるだろう。

 それは、特に話さなくても、お互いにわかる。

 席が隣あわせにもなるだろう。語ることは少なくてもいい。

 ちょこっとだけ、話をしようかな、と思うくらいだ。

 そんなイベントにそっと訪ねてゆくとき、

 少し薄めで小さめで、数年は使っている感じの革の肩掛けカバンを肩から下げていきたい。

 僕は今、そんな革のカバンを持っていない。黒くて厚めのショルダーバックしかない。

 まあ、バックなんて、どうでも、、と思えば思えるものだが、

 やっぱり古い詩人さんイベントには、薄めで小さめの革の肩掛けカバンで行きたい。

 もうそれだけで、何も会話はいらないと思えるほどだ。

 (私のお気に入りは、こういうカバンです・・)

  それが伝われば、もうそれで良い。

 そういうカバンを買おうかな、、。



「カレーパン13.11/8

  先日、仕事場の人よりカレーパンをもらった。

 とっても美味しいから、また買っちゃったという。

 お腹がいっぱいとのことで、ひとつもらった。

 ほかほかではなかったので、数時間はたっているであろう。

 仕事帰りに、お腹もすいたので、そのカレーパンを食べてみた。

 表面はカリッとしてて、それでいてあぶらっぽくはない。

 パン生地は、とてもやわらかくて、もちっとしていた。

 中身のカレーはスパイシーで、入っている肉は、

 絶妙にやわらかかった。

 こんなに美味しいカレーパン、おいらはじめて食べたよ。

 カレーパンあなどるなかれ。

 こんなにも、美味しくなるのだ。

 たぶん値段もそんなには高くはないであろう。

 こりゃ、はまるわ。

 おもわず、もうひとつ買いたくなるね。

 そしてあげたくなるね。



「引越しのごたごた13.11/5

  毎日のように、探し物をしている。

 引越しをして、一応片付けはしたのだけれど、

 それでも見つからないものがある。

 やっと探してみると、とんでもないところにあったりした。

 引越しのごたごたとはよく言ったものだ。

 今日もずっと探し物をしていた。

 それは、ある30センチ以上はあるもので、

 ぜったいに捨てはしないものであった。

 引越しで、どこかに隠れているとしても、限界はある。

 部屋のすみから、きちんと探してゆけば、必ずあると確信していた。

 どんどん部屋を探していったが、どうしても見つからない。

 しかし、ないわけがないのだ。引越しっておそろしいな、、。

 どうしても見つからないものでも、きっとどこかにあるのだ。

 そのまま探し続けたが、結局、見つからなかった。

 ふと、そこで、それを友達に貸していた可能性があることがわかった。

 連絡してみると、やっぱりそれは友達のところにあった。

 どうりで、、探してもないわけだ、、。

 引越しのごたごたとはよく言ったものだが、

 ないものまで、あるように思えてしまう。

 引越しのごたごたはマジックまで使うらしい。



「もうすぐですね13.11/3

  昨年の暮れのこと、

 生命保険の手続きで、支店営業所を訪ねた。

 30年満期の保険に入っていて、積み立て金もかなりたまったので、

 受け取りに出かけたのだ。

 まだ満期まで少しあるのだが、もし満期になれば、少しまとまったお金も戻ってくる。

 一緒に書類を見ながら、窓口のお姉さんがこう言った。

 「あら、満期まであと少しですね〜」

 あまり気にかけてはいなかったが、満期まであと少しらしい。

 窓口のお姉さん満期になったときのことを一応説明してくれた。

 ・・・・もうそんなたったのか、、。

 満期は11月であったので、僕は今年の11月を楽しみにいろいろ計画していた。

 11月、それは今月。それも15日が満期。僕はいろいろと計画を立てていた。

 ・・・そろそろ連絡が来るかな、、。

 ふと、生命保険の契約の書類を見たら、

 満期がH26年11月とあった。。

 (えっ、来年じゃん、がっくし、、)

  ・・・来年はまだ遠すぎる、、。

 窓口のお姉さんにしてみたら、2年先であっても、もうすぐだったのかもしれない。

 でも、もうすぐと言ったら、僕にとってはやっぱり来年のことだ。

 二回も冬が来て、二回も春が来て、二回も夏が来て、二回も秋が来るなんて、、。

 まだちょっと遠い先。



「未来予想士13.11/1

  先日の自分のライブの映像を観た。

 なんと言っても気になったのは、新曲。

 なにしろ出来たばかりだったし、リハの時にギターの弾き方を変えたからだ。

 完成というにはまだ遠く、未完成のアレンジのままで歌ったのだった。

 映像を観ながら、その歌の未来のことを予想していた。

 お客として、その歌を聴いていて、もの足りないと思うところ、

 ここがもっとこうだったら思うところ、

 そして、この歌の良いと思うところ、

 歌詞のひき込まれ方、イメージのつながり、

 サビのくりかえしの感じ方とか、

 その歌のちょっと先の未来を思ってみた。

 アレンジがどうなっているか予想してみた。

 未来予想士。

 つい一昨日の私を観る。



「仕事13.10/30

  昨夜のライブで、なんとか新曲を歌えた。

 約ひと月がんばって作ってきた歌であった。

 いつものことながら、ライブハウスに着いてから、

 ギターの弾き方を変え、歌詞のアクセントも変えた。

 本番でも、それなりに歌え、みんなにも好評であった。

 ひと月前は、イメージしか、なかった歌。

 いままで歌を多く作ってきたけれど、今回はかなり時間がかかった。

 普段は、60パーセントから70パーセントは、出来た状態から、

 完成へ向かうのだが、今回はほんと最初からであった。

 こんな歌があったらいいのにと思っていたが、

 それをどう形にしていいか、、それがわからなかった。

 映画を作るのと似ているかもしれないな。

 ストーリーから考えるような、、。

 ライブの数日前まで、歌詞の多くの部分が虫食い状態であった。

 肝心なサビの部分も、虫食い状態であった。

 いろんな作業をしながら、街を歩きながら、散歩をしながら、

 ご飯を食べながら、ずっと、言葉を選び探した。

 そして昨夜のライブではなんとか歌うことが出来た。

 イメージしていたことの80パーセントくらいは伝わったかなと思う。

 それにもまして、歌になっていたということが嬉しい。

 なんとかボツにはならないで済みそうだ。

 歌が一曲生まれたということは素晴らしい。

 なんだか、今回は仕事をしたという気持ち。

 ほんとの仕事もしていたのだが、ほんとのほんとの仕事。

 出来上がってしまえば、シンプルにイメージは伝わる。

 決して難しい歌ではない。

 そんな経験、誰でもあるだろう。そんな歌になった。



「うたこごろ13.10/28

  ディランの最新のブートレッグシリーズを何度も聞いている。

 1969から1972年までのアウトテイク集。

 当時、ディランはいろんな人の歌をうたっていて、

 このブートレッグシリーズでも、いろんな歌をうたっている。

 それが実に良い。

 二枚組みの正式アルバム「セルフポートレイト」では、

 ディランの歌とギターの上にポビュラーソングアレンジがついていて、

 なんだか、ディランらしくないなぁとか思って、高校時代は聞いていた。

 それが今回のブートレッグシリーズでは、そのポピュラーアレンジになる前の

 ギターやピアノなどの弾き語りと数名という編成で、多くの歌が入っていた。

 バックの演奏がシンプルであればあるほど、ディランのボーカルが生きて聞こえてくる。

 録音のテイクも、ワンテイク、ツーテイクめと思われるものがあり、リアルに歌を感じられた。

 1974年くらいから、またロックサウンドに戻り、オリジナルディランメロディーも復活し、

 ボーカルも力強くなる時代に入る。

 今回、このアルバムを聞いていて、思ったことは、

 他の人の作品を歌うときほど、うたごごろの勉強になるなぁということだ。

 ディランは原曲を自分なりにくずして、生き生きと歌っている。

 それが大変に勉強になる。

 いつかのインタビューで、デイランが、この当時のレコーディングについて、

 「わたしはこの録音で、はじめて、うたうということを知った」みたいなことを答えていたが、

 それが伝わってくるアルバムだ。



「効果抜群やね13.10/21

 今週から、新曲の歌詞うめをしているが、

 効果抜群の作詞法がある。

 それは、日本武道館でもいい、渋谷公会堂でもいい、

 中野サンプラザでもいい、そこで新曲を弾き語りで歌っているイメージを、

 自分で作るのだ。何千人もの前で、ひとつひとつ歌詞を歌いながら伝えてゆく。

 そのイメージで、歌詞を歌い作ってゆくと、

 おのずと、歌詞ははっとして、ピンとくる言葉になってくる。

 これ、ほんとに効果抜群。

 効果抜群やね。



「戻ってきている13.10/19

 ボブ・ディランの1969年から1971年までの

 アウトテイク集のアルバムが最近発売され、ずっと聞いている。

 トラディショナルの歌や他の人の作品も含めて、いろんなタイプの歌をちゃんと歌っているのだ。

 ちょうどディランが30歳の頃。

 その数年前のロックアルバムでは、かなり独特のボーカルで歌っていたが、

 この作品の頃は、きちんと歌っていて、その分、ボーカルの変化が伝わってくる。

 あらためて、ディランのボーカルのうまさを実感した。

 いろんなタイプの歌を、ディランなりに歌っていて、それが僕の何かに火をつけてくれた。

 中学の頃、高校の頃、いろんな歌をギターで歌って、そして歌を作っていた。

 フォークに限らず、ロックやレゲエの歌も作った。

 どんなタイプの歌でも作れるような気がしていたものだった。

 それからずっと歌を作ってきて、この頃は、だんだんと似た感じになっていたが、

 なんだか、また中学・高校の頃の気持ちが戻ってきている。

 一日、歌を作っていたい気分。

 今回のディランのブートレッグシリーズには、不思議な力がある。



「遠くに見えていた怪獣13.10/16

  手探り状態で今、新曲を作っている。

 やっとメロディーのアイデアを見つけたところ。

 最初は、どうやって、この歌を作ったらいいかわからなかった。

 いろいろやってゆくうちにヒントが出てくることにかけていた。

 少し遠くに見えていた怪獣。

 どうやって攻めたらいいか、まったくわからなかった。

 でも、少しずつ近づいていって、岩陰から怪獣をそばで見ていたら、

 それでも攻め方が見えてきた。

 今、怪獣をなんとかしようとがんばっているところ。

 新曲作りは、今、最初の八文字がやっと出てきた。

 たぶん、なんとかなるのではないかと思っている。

 まだまだ先は長く、未知のままだが、

 怪獣はやがて、歌になるだろう。


「帰り道に歌を見た13.10/14

  ここ数日、出先でいろんな想いを感じた。

 いつもは平穏な日々を、過ごしているのだが、

 みんなそれぞれに変化してゆくことを実感した。

 すんなりとゆくこともあれば、そうでないこともある。

 なんだかここ数日で、へとへとになってしまった。

 計画していたことも、なんだかもうひと苦労ありそうな予感もあった。

 もう深夜になった帰り道、アパートへと続く細道は、

 灯りがかすかに照らしていて、とても静かであった。

 それは、いつもと変わらない帰り道であった。



「TIME PASSES SLOWLY」13.10/12

 ここずっと、ボブ・ディランのブートレッグシリーズvol.10

 「ANOTHER SELF PORTRAIT」を聞いている。

 1969年から1971年までの、レコーディングアウトテイク集の正式発売盤だ。

 アルバムで言うと、「セルフポートレイト」と「新しい夜明」の頃。

 どちらのアルバムも、高校時代によく聞いた。

 特に「新しい夜明」は、お気に入りだった。

 「時はゆっくり過ぎてゆく」という歌があり、

 その別テイクのものも今回アルバムに入っていた。

 本アルバムでは、ピアノで始まる地味な感じの歌なのだが、

 ロックバンドバージョンのテイクも録音されていたと知った。

 なかなかに良いテイクなのだが、やっぱりアルバムに入ったテイクの方が、

 自然でいい。曲の内容とも合っていると思う。

 他にも、コーラス入りのテイクも入っていた。

 聞いてみると、やっぱり本テイクがしっくりきているなと思う。

 このブートレッグシリーズが出るまで、別テイクの存在さえ知らなかった。

 ト キ ワ ユ ッ ク リ ト ス ギ テ ユ ク

 ここ最近、このブートレッグの正式盤のアルバムを聞き続けている。

 何度も聞いていると、まるでスタジオの中のリアルな時間を感じられてくる。

 今までの僕だったら、レコードを出して針を落とすことが、

 この時間に戻ることであった。高校時代の僕にも戻ることが出来た。 

 しかし、このブートレッグシリーズvol.10を何度も聞いていると、

 時のカーテンをどんどんと戻り、そこにスタジオのドアが見えてくる。

 そのドアを開けると、レコーディング中のディランに、ギターのデビット・ブロムバーグが見えてくる。

 「オーケーテイクワン  レディ?」

 時をさかのぼり、そこにスタジオのドアが見えてくる。

 今まで、時をさかのぼるのに、

 レコードに針を落とすことしか知らなかった僕に。



「動き出した録音魂」13.10/8

 アルバム制作ための、予定が入りそうだ。

 徐々に準備をしてきたが、実際となると、

 いろいろと、心が動き出す。

 一番最初にアルバムを録音したときは、とにかく必死であった。

 ボーカルもギターもハーモニカもみんな頑張った。

 そのぶん力のこもった作品にはなった。

 あれから、何枚かアルバムを作ってきて、ずんぶんと考え方も変わった。

 心落ち着けて、いざアルバム制作に向かう。

 曲順は大事だね。アルバムタイトルも大事。

 もちろん入れたい歌は多いのだけど、どれもこれもではだめだ。

 涙をのんで、今回はパスする歌も出てくる。

 ジャケットも大事だ。

 (まあ、音源が良ければ、どんなジャケットでも素敵に見えてくるものだが)

  一曲目は大事だ。二曲目も大事。三曲目も大事。

 ラストの曲も大事。ラスト前の曲も大事。

 10曲なら、10曲の役者をそろえねばならない。

 それがひとつの物語になるように。

 曲にはリズムがある。そのリズムを、どうつなげてゆくかも、

 大事にしないといけない。

 演奏にも力が入ってはいけない。歌も、歌になっていないといけない。

 いいテイクを、ワンテイクで、録音するつもりだ。



「ごんぎつね13.10/6

  先日、ふとしたきっかけで、「ごんぎつね」の朗読を聞いた。

 「ごん狐」は、新美南吉の書いた昔ばなしである。

 有名であることは知っていたが、はじめて聞いた。

 朗読しているのは、落ち着いた声の女性であった。

 イメージを自分の中で作りながら聞いていたのだが、

 実に描写が的確であった。

 話の展開はごく普通の話し言葉で続いてゆくのだが、

 ときおり、ほんの少しだけ文学的な表現描写が入り、

 そのときにぐっと、イメージが浮かぶ。

 絵本のワンシーンのように。

  ひるがすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、

  六地蔵ろくじぞうさんのかげにかくれていました。

  いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦やねがわらが光っています。

  墓地には、ひがんばなが、赤いきれのようにさきつづいていました。

 もしこれが動画であったなら、同じようなシーンが映っても、

 印象的ではあるだろうけれど、ぐっと心に迫るかどうかはわからないだろう。

 朗読で聞いていたとき、鮮明にシーンが目に浮かんだ。

 ごんの心とつながった画面のように。


「一行探しの旅13.10/4

 新曲を作ろうと思っている。

 が、漠然としたイメージしかない。そんな歌があったらいいな、くらいの。

 まだ一行の歌詞もメロディーもリズムもギターのフレーズもない。

 ようするに、漠然としたイメージしかないのです。

 いままでいろいろ歌を作ってきたけれど、一行でも歌詞があれば、

 メロディーも出てきやすいものです。その一行がない。

 さて、ここからどうやって、その一行を探すか?

  それが問題。

 僕はどうしようかと、考える。

 たとえば、ノートのような畑に言葉の種を蒔く。

 いろんな言葉の種を蒔いてみる。

 やがて芽も出る、葉も育つ。

 いろんな歌詞の種を蒔いてみる。

 そのうち、おやっと思う葉っぱが出てくる。

 やっと、一行見つかるかもしれない。

 その一行はメロディーを持っているだろう。

 そしたらもう歌は、完成へと向かう。



「10分前13.10/1

  毎朝早く、地下鉄の駅まで向かう。

 歩いて10分。

 29分発の電車なのだが、いつも22分くらいに着いてしまう。

 ホームに行くと、ほとんど誰もいない。

 しかし、25分を過ぎたあたりから、ホームに人が集まってくる。

 ほとんどのみんなが、4分前くらいに着くように家を出ているのだ。

 僕なんか、約10分前くらいに着いてしまう。

 心配性ではないんだけれど、、。

 歩いて10分のところからだと、のんびり歩いたり、信号で待ったりすると、

 12分とか14分とかかかってしまう。

 しかし急ぎ足で、信号も待たなかったりすると、8分くらいで着いてしまう。

 僕だって、5分前をめどに歩いて来ているんだが、、。

 なぜだか、いつも、ホームにほとんど誰もいない。

 まるで僕は心配性の人みたいだ。

 高円寺にいた頃は駅まで7分だった。いつも10分前に部屋を出ていた。

 だから、3分前くらいに着いていたわけだ。

 ねっ。

 と゜うして、僕は毎朝、10分くらい待っているんだろう。

 不思議だ、、と、思いながら、いつも待っている。 



「ギター聴診器」'
13.9/29

 ここだけの話。

 今、そっと100円ショップで、聴診器を探しているんですわ。

 あることはあるんですがね、それがあまりにも子供用なんですわ。

 ピンク色で。

 もっと普通の聴診器って、おもちゃ屋にありませんでしたっけ。

 何に使うかって、、?

 それはギターに使うんです。正確にはエレキギター。

 最近、何千円か出して、エレキギターのジャックとヘッドホンをつなげられる、

 ミニアンプを買ったですけどね、

 電池代もかるし、なんだか、ごついんですわ。

 それで、ふと聴診器のことを思い出したってわけ。

 吸盤みたいものを、エレキギターに付けて、

 直接、聴診器を耳へ。たぷん、いけますわ。

 それなりの音で出るはず。

 これで電池いらず、アンプいらずでエレキギターが練習できますわ。

 まだ試してはいないんですけど。

 一家に一台、ギター聴診器。

 エレキギターケースにギター聴診器。

 夜中の生ギターにもギター聴診器。

 これって、発明?? 製品化しないかな。

 製品化されなくとも、私、作りますわ。



「記憶」
'
13.9/27

  ボブ・ディランの公式ブートレックシリーズで、

 '71年のアルバム「ニューモーニング」の別テイクの音源を聞いた。

 それで、もともとの正式アルバムの音源を聞きたくなった。

 「ニューモーニング」は高校時代によく聞いたアルバムで、

 レコードで持っていたので、すぐに聞くことが出来なかった。

 たまたまカセットに録音してあったので、なんとか聞くことができた。

 高校二年から三年にかけて、ボブ・ディランのアルバムを二十枚以上次々と買って、

 聞き続けた。あれから35年。

 テープで音源を聞いてみると、ほぼ記憶の中のサウンドと一緒だった。

 まるで、記憶の中に録音されていたかのように。

 高校時代、なにげなく聞いていたのに、よく憶えているものだ。

 ベースの音もドラムの音もキーボードの音も、ちょっとした音も、

 鮮やかに記憶から再生される。

 35年もたっているので、忘れてもいいのになぁ。



「なにかちがう」'
13.9/25

  ボブ・ディランの'70年代最初のアルバムに、

 「ニューモーニング」というアルバムがあるのだが、

 そのデモ録音、アウトテイクなどの音源が、正式に最近発売された。

 ここ数日ずっと聞いているのだが、

 聞き慣れた楽曲の別アレンジヴァージョンがとても印象に残る。

 ホーンセクション入りの同じ楽曲があるのだが、

 それは本アルバムでは、ホーンセクションは、めだたなくなっていた。

 できあがった音源を聞いて、「なにかちがう」と思えたのであろう。

 せっかくホーンの人たちに吹いてもらったのだがら、

 それをなしにするのは、多少の勇気がいる。

 他にも、完全なバンドアレンジに仕上げられている音源もあるのだが、

 それも使われず、地味な弾き語りに近いテイクが使われていた。

 「なにかちがう」と、感じたのであろう。

 その判断はきっと正しかった。

 その歌のイメージが、やっぱりどこかずれた感じがしたのであろう。

 やっぱり、本アルバムに入ったテイクは、イメージに無理がない。

 一曲目の「イフ・ナット・フォアー・ユー」には、ピアノとバイオリンヴァージョンがあった。

 これはこれで、素晴らしいのだが、やっぱり「なにかちがう」と思えたのであろう。

 「なにかちがう」とは、いったい何なのか??

  アルバム全体のイメージなのであろうか。

 こればかりは、感覚だけが知っているものだ。

 僕が「ニューモーニング」のレコードに針を落としたとき、

 すべてが自然に耳に入ってきた。



「初めての再会」'
13.9/23

  ホブ・ディランの1961年〜71年までの

 アルバムのためのスタジオで録音のアウトテイクが、

 正式盤として発売された。

 アルバムとしたら「セルフポートレイト」と「ニューモーニング」のアルバムの頃、

 この二枚のアルバムは、高校時代にとてもよく聞いたし、

 自分でもギターでよく歌った。

 新しく発売されたアルバム録音のためのアウトテイクには、

 アルバムに入らなかった歌や、別のアレンジのものを聞くことが出来た。

 もし、アルバムの中に、そのアウトテイクの歌が入っていたら、

 高校時代、何度も聞いて、今では自分の中のスタンダードになっていたであろう。

 まちがいなく。

 曲のアレンジも、別テイクがつかわれていたら、

 それが、味わい深く記憶のイメージとして残っていたであろう。

 不思議なものだ。

 そのアルバムを聞いていた頃より、30年以上たっているので、

 同じようには楽曲聞くことは出来ないが、

 なんとかそれを乗り越えてみたいと思う。

 どんどん時間をさかのぼり。

 これを再会と呼べるのかどうかはわからないが、

 感覚を戻すことは、何かの能力につながりそうだ。

「初めての再会」'13.9/23

  ホブ・ディランの1961年〜71年までの

 アルバムのためのスタジオで録音のアウトテイクが、

 正式盤として発売された。

 アルバムとしたら「セルフポートレイト」と「ニューモーニング」のアルバムの頃、

 この二枚のアルバムは、高校時代にとてもよく聞いたし、

 自分でもギターでよく歌った。

 新しく発売されたアルバム録音のためのアウトテイクには、

 アルバムに入らなかった歌や、別のアレンジのものを聞くことが出来た。

 もし、アルバムの中に、そのアウトテイクの歌が入っていたら、

 高校時代、何度も聞いて、今では自分の中のスタンダードになっていたであろう。

 まちがいなく。

 曲のアレンジも、別テイクがつかわれていたら、

 それが、味わい深く記憶のイメージとして残っていたであろう。

 不思議なものだ。

 そのアルバムを聞いていた頃より、30年以上たっているので、

 同じようには楽曲聞くことは出来ないが、

 なんとかそれを乗り越えてみたいと思う。

 どんどん時間をさかのぼり。

 これを再会と呼べるのかどうかはわからないが、

 感覚を戻すことは、何かの能力につながりそうだ。


「もし私が、お菓子メーカーの企画係だったら」'13.9/19

  ぜひ出したい商品がある。

 それは、リアル珈琲タブレットだ。

 これから冬に向けて、いっそうにその発売が待たれるが、

 さて、お菓子メーカーの人たちは、どれほど本気になってくれるだろうか。

 私は、外仕事をしているので、冬場は特に、ドリンク系のものをなかなか選べない。

 それはオシッコが近くなってしまうからだ。

 それでもも、缶コーヒーをとても飲みたくなる。

 しかし、ほとんどの場合は我慢。

 ああ、リアル珈琲タブレットがあったらなぁ。

 リアル珈琲タブレットはないが、似たような商品はある。

 それは「ライオネス・コーヒー・キャンディー」だ。

 このキャンディーはほんとに優れている。

 形がまんまるではなく、少しほそ長いのだが、これが助かる。

 なめていて、急に話たしり、話かけられたりするしとき、

 とっさに口の中に隠せるのだ。

 まんまるのキャンディーでは、こうはいかない。

 「ライオネス・コーヒー・キャンディー」は、そういう意味で、真に大人のキャンディーである。

 でも、ちょっと味がマイルドだな。

 かなり珈琲の味に近いのだが、、。

 もっと、苦いくらいでもいい。

 これからだんだんと外仕事はきつくなる。

 珈琲タイムが欲しいんだよ。

 缶コーヒーではなくて、、タブレットで。



「歌の距離」'
13.9/16

  ライブで歌うとき、歌を作るとき、

 僕には、一曲一曲はまるでちがう距離を持っているように感じる。

 それは僕が作り、僕が歌うわけではあるけれど、

 歌はそれぞれ生まれも育ちもちがう。年齢も、故郷もちがう。

 季節も、お腹のすき具合も、住んでいるアパートも、

 昨日の想い出も、今日の予定も、息の仕方も、睡眠時間も、、。

 一曲一曲、みんなちがう。曲と曲の間には、距離がある。

 歌の距離。

 僕は歌うとき、作るとき、それを意識している。

 そんなのもちろんですよ!! と、表現者はみんな言うであろう。

 歌をつれてくれば、もちろん自分は一緒で済む。

 でも、僕はそれぞれの歌の場所まで行きたい。



「西行まんじゅう」'
13.9/13

 とある人より大磯名物の「西行まんじゅう」というものを箱でいただいた。

 初めて食べるまんじゅうであったが、手にしっくりと馴染み、外の皮も中のあんも大変に美味しかった。

 西行というのは西行法師のことで室町時代の歌詠みである。

 旅をし、歌を詠んだ。

  西行まんじゅうは、ちょうどいいサイズで、皮の部分は手ざわりが自然だ。

 そこに焼印されている、西行の文字。

 それがなんとも、かすれていて渋い。

 歌詠み人と、まんじゅうなんて、どう一致するか疑問であるが、

 手に「西行まんじゅう」をとってみると、実に味わい深く、

 詩情が感じられるのだ。

 西行まんじゅうは、小型の箱にまんじゅうがそのまま並べられている。

 現代なら、ひとつひとつ個別包装になっているものだが、

 そのまま、箱に入っている。

 まるで西行法師が、そのまま訪ねてきたように、、。

 中のあんがまた、食べあきない味なのだ。

 西行まんじゅうと、今度いつ僕は会えるのであろうか。

 十年に一度でもいい、そっと西行まんじゅうに会いたい。


「久し振りに聞くと」'13.9/10

 30年ほど前、よく聞いていた弾き語りライブアルバムを、

 また最近、よく聞いている。

 楽曲そのものは変わらないのだけれど、

 今聞くと、すごい名唱だと思えるテイクがある。

 他の曲と同じように、拍手もそこそこあるのだが、

 そんなものじゃないくらい、すごいテイクがある。

 30年前には、それに気がつかなかった。

 派手で地味な唄だなぁと思っていた。

 すごい歌唱だった。驚いた。

 今の僕だったら、われんぱかりの拍手を送る。


「シンガポールカレー」'13.9/8

  ファミリーレストランの「ガスト」で今

 季節限定メニュとして、「シンガポールカレー」を出している。

 これがなかなかにスパイシーでうまい。

 夏バテしているときは、元気も出る。

 それに、肉も野菜も充実している。

 カレー自身も、辛めで良い。

 二回ほど食べたが、これは夏とは言わず、1年じゅう食べていたい。

 僕にとっては傑作に近い。

 でも、季節限定メニューなので、もうすぐたぶんなくなってしまう。

 もったいない。どんなに僕がひとりで叫んでも、

 季節限定メニューはなくなってしまうだろう。

 こんなんばっかりだ。

 気に入るものは、すぐに消えてしまう。

 なんだかね。

 企画側と、意見が合わないようだ。

 プロの仕業か。

 そうにちがいない。



「酔いライブ」'
13.9/5

  先日観たライブは、なんともリラックスした雰囲気だった。

 ほろ酔いのベテランシンガーさんであった。

 ちょっこちょっこと、しゃべっては、だんだんとお客さんとも馴染んでいった。

 ライブが終わってからの帰路、ふと思い返してみたら、

 なんだか、そのほろ酔いシンガーさんの言葉は、

 飲み屋さんで、初めて会った人とだんだんと仲良くなるかのようだった。

 考えてみれば、お客さんはビールなど飲んでライブを観ているのだから、

 歌い手も少しは、飲んでいてもいいだろう。

 まるで、飲み屋さんでうちとけあえるように。

 「まあ、一杯、飲みにいきましょう」

 そんなふうなライブがあってもいいな。

 うちとけあえるものがある。

 じょじょに、そしてだいたんに。



「孤独の孤独のグルメ」'
13.9/2

  最近、テレビで「孤独のグルメ」という番組を見つけ、

 はまってよく観ている。

 とある輸入雑貨業のサラリーマンが、商談の街の場所場所で、

 美味しい店を見つけて、いろいろと注文をするというものだ。

 主人公は、食事としたら、けっこうな量を注文する。

 メニューを見て、自分なりのセレクトをして、

 何品か並べるのだ。二人前くらいになるかな。

 そして、食べる食べる食べる。

 なんと言っても、メニュー選びが醍醐味だ。

 僕も、そうやって美味しそうなお店を見つけ、

 「孤独のグルメ」風に、食事をしたいと思うのだが、

 実際に入ってみると予算の都合で、一品くらいしか注文できない。

 一品では「孤独のグルメ」にならないんだよねぇ。

 孤独の孤独のグルメ。



「地球ゴマ」'
13.8/30

  ステージで、自分を追いかけるように、歌った。

 前日に、ギターをかき鳴らして、なんとか「カン」を取り戻そうと必死だった。

 ライブ当日、ギターの方はなんとかいつもどおりに弾けたのだが、

 歌が、自分の思うように、バランスがとれなかった。

 まるで、地球ゴマを手に持って揺らしたときのように。

 こんなことは、今までなかった。

 目の前に歌の風景を浮かべてみるけれど、なんだか、

 なんだか半透明なのだ。

 オ レ ド ウ シ チ ャ タ ン ダ ロ

 ほら、一週間くらい部屋を空けて、帰って来たとき、

 慣れたものが、実感がなくなるような、、。

 それでも、なんとか歌い続けた。

 歌がどこへ向かうのか、感じながら。

 力のバランスがうまくいっていないんだな。

 バンドで歌っていた頃、こういうことがよくあったなぁ。

 負けません。次はもう大丈夫です。



「小1、魂はないのか事件」'
13.8/26

 小学校一年のとき、担当の先生に立たされ、

 こう言われた。

 「アオキ、おまえにはタマシイがないのか?」

 そう言われ、小学校一年の僕は即座に考えた。

 (この前観たテレビでは、タマシイの存在はまだ科学的に証明されてないって言っていたな・・)

  「ありません!!」

 それで、またさらに先生に怒られたのだ。

 これが私の小1のときの「魂はありません事件」だ。

 ・・・・・・・

 そのときから、45年ほどたった。

 今、同じ質問をされたら、僕は

 「タマシイはあります」と、答えるだろう。

 でも、自分の思う「タマシイ」とは、生命体というよりも、

 自分の信念のようなものだ。

 その信念は、じょじょに出来てきた。

 小学校の高学年くらいから。

 だんだんと「タマシイ」は出来てきたのだ。

 だから、小学1年の頃はまだ、「タマシイ」がなかったのではないか。

 先生、やっぱり「ありません」で、合っていたのかもしれないです。

 「アオキ、おまえにはタマシイというものがないのか??」

 そう訊いた、先生がいた。


「今、下町で起きていること」'13.8/24

  先日の昼のことだが、

 どーしても、ラーメンが食べたくなった。

 それで下町の大通り沿いで、自転車を走らせていった。 

 よく知っている地区なので、どこにラーメン屋や中華屋があるかは知っていた。

 まあ、お盆だったというせいもあり、休みのところもあったが、

 ずっとやっていたラーメン店が閉店しているのもわんった。

 一軒、二軒、三軒、、

 やっと見つけた普通の中華屋さんには、吸い込まれるように、

 昼休みの会社員の人が向かってゆく姿が見えた。

 混んでいて、とても入れなかった。

 次に開いていた中華屋さんも、いっぱいであった。

 もう、何十年とやっていたラーメン屋さんが、なくなっていた。

 ここ一二年の間で。

 たった一杯の昼のラーメンを食べるために、こんなに遠くまで自転車で回るなんて、、。

 下町で何かが起きている。


「スパゲッティーとマイナー」'13.8/21

  本格イタリアンの店に入ったら、

 スパゲッティーを食べている人を見た。

 それは当然ではありますね。

 くるくるとフォークに巻いて、大きな口をあけて、

 あんぐりと食べていた。

 ちょっとした話題に笑いながら。

 ずんぷんと、スパゲッティーを食べる生活に小さな頃から、

 慣れ親しんでいるんだろうなぁ。

 もちろん私の偏見ではあるけれど、

 マイナーな歌には無縁のようだった。

 弾き語りフォークの戦いには、無縁のようであった。

 それに比べて自分は、マイナーフォークにたっぷりと関わりあっている。

 この違いはなんだろう。

 音楽CDの棚には、インディーズ系マイナー弾き語りのアルバムは一枚もないであろう。

 私は、その「ない一枚」の中で、あーだこーだと歌い戦っているのだ。

 それでも、ライブハウスにでかけたとき、マイナー弾き語りのシンガーを見ることもあるだろう。

 「もーうー、さいあくー」とか、いわれちゃってるのかな。

 「じぶんばっかり、がんがんだしちゃってさあー」とか、言われちゃってるかな。

 僕なんか、中学の頃からマイナーまみれ。

 「イタリアン」ではなく「ジャパニアン」だ。

 もうこの展開からして、マイナーだ。

 ああ、なんて、あなたが遠いんだろう、、。


「未来2」'13.8/18

  今日は温水プールに出かけたわけですが、

 まったく泳げた感じがしなかった。

 僕は海のそばで育ったので、泳ぎは得意だったし、

 小学生の頃は、バタフライで市で1位になったこともあった。

 まあ、あれから40年以上たっているわけだけれど、

 いつだって、同じように泳げると思ってきた。

 しかし、現実は、そうではなかった。まるでのろい。

 まったく進んでいるような気がしない。

 それも、すぐ足を着く。

 こんなはずではなかった。

 今でも魚のように泳げるはずだった。

 ショックだ。まるで泳げない人のようだった。

 足がちがう、腕がちがう、息つぎがちがう。

 イルカのようだったのにな、、。

 僕は自分の泳ぐ姿を見るのがこわい。


「未来」'13.8/14

 この夏、下町の工事現場を通りかかったとき、

 空気でふくれたジャンパーを着ている人を見た。

 よく見ればジャンパーの後ろの下の方、左右にファンが付いていた。

 ファン付きの作業服であった。それもかなり使いこんでいた。

 私は感動した。ファン付きの作業服の時代が来たのだ。

 それは僕らが小さい頃に、思い描いていた未来。

 誰もが考え、そりゃむちゃだと、笑い飛ばしながらも、

 心では本気で欲しかった服。

 作ってくれた人がいたのだ。

 どのくらい涼しいのか、未知であるが、

 汗をかくほど、効果はあるだろう。

 巨大な倉庫の作業では、扇風機にも限界がある。

 しかし、これならば効率がいい。

 夏はずっと外仕事なので、私はあの服が欲しい。

 できれぱ、ズボンにも欲しい。

 冬には、あたたかくなったりできないだろうか。

 あなたも街角で、ファンで膨らんだジャンパーを見るだろう。

 それは僕らの思い描いていた本当の未来なのだ。


「お盆」'13.8/14

  今日の帰り、電車に揺られていたら、

 古いことをいろいろと思い出した。

 それはもう、ずっと忘れていたことだ。

 僕の実家も、建て直す前は、木造の古い家であった。

 おばあちゃん、おじいちゃん、その子供たちの家であった。

 記憶の中にその古い家はあるのだが、

 なにしろ小さい頃のことなので、うまく思い出せないでいた。

 しかし、今日の帰り、電車で揺られていたら、次々と思い出した。

 こんなことってあるんだな。お盆だからかな。

 おじいちゃん、おばあちゃんの子供らも、もうほとんどなくなってしまった。

 記憶の中のあの古い家に集まっているのかもしれない。


「偶然」'13.8/12

 今日、出かけて、偶然のようなことが四回もあった。

 そのうち二回は、歩いていて、友達と会ったのだ。

 お互いに暑さでとっても疲れて顔をして。

 その街に居れば、なんとなく会えるような気もするのたが、

 たまたま出かけたときに会うなんて、ほんと偶然だ。

 たぶん会いたいと思って、街を歩いても、なかなか会えないだろうに。

 何も考えなくて、すっと歩いてゆくと、すっと会うのだ。

 ふたりとも、誰もいないような道の向こうから、歩いてきたのだ。

 にぎやかな道を離れて。

  たぶん、何も考えずふらふらっとしていたから会えたのであろう。


「安いスポーツシューズ」'13.8/10

  見た目はとっても良かったので、ついつい安いスポーツシューズを買ってしまった。

 1000円。1000円にしては、ものすごく作りがしっかりしていたのだ。

 それも「すごいスピード」という意味合いのメーカーブランドだった。

 しかし、これがはいてみると、ほんと足に合わない。

 マジックテープで、しめるようになっているのだけれど、これがまったくサイズが合わない。

 もし、このマジックテープをふつうにつけられる人がいたら、

 信じられないほどの大きな足の幅を持った人であろう。

 完全な製造ミス。それで安かったのか、、。

 「すごいスピード」が出るどころか、うまく歩けないほどだ。

 それでも、しばらくはき続けていれば、たいがいは慣れてくるものだが、

 今回に関しては、さすがに無理であった。

 作りはしっかりしているんだけどなぁ。この靴は他の誰がはいても、

 うまくはけないであろう。

 ・・・・・・・・・・・・・・

 それで思い出したのが、スニーカーブームだ。

 1975年くらいから、軽い感じのスニーカーが流行出した。

 ごつい感じではなく、紐の部分が短いものとか、左右がゴムだったりしたもの。

 最初はそれなりの値段であったが、だんだんと安くなっていった。

 最初は2000円くらいしたなぁと思っていたら、そのうち1200円。

 次は980円、それから780円。ついには680円のワゴンセールもやっていた。

 みんながスニーカーだった頃。

 680円のスニーカーでも、意外としっかりしていた。

 今、私はあの680円のスニーカーが欲しい。

 異常に足の疲れる安スポーツシューズを買うくらいなら。。


「湯気の文化」'13.8/6

  アジアを旅したとき、夜明けに宿を出ることが多かった。

 人気のない野道を通り、駅やバス停に向かい、

 町に入ってくると、湯気のたっている店があり、

 もう営業しているのが、すぐにわかる。

 営業というか、お店をやっているのだ。

 人の姿が見えているせいもあるが、なにかざわめきがあった。

 活気というより、静かなにぎわい。

 まだ、動き始めていない町に見えてる、あたたかさ。

 それは湯気のような、あたたかさ。

 それは日本、江戸の頃であっても、

 朝の湯気の出ている店が見えていたであろう。

  そば屋、とうふ屋、おにぎり屋、飯屋、、etc

 湯気の文化ってあるんじゃないかな。

 朝に人を向かわせる、そんな湯気、

 もうやっていますよと、知らせる湯気。

 100メートル離れていても、わかるしるし。

 現代では、朝の街を歩いていても、

 店をやっているかは、看板が出ているかとか、

 「営業中」が出ているかで、なかなか遠くからではわからない。

 湯気の文化が、失われているような気がする。


「タイムワープ」'13.8/4

 部屋の壁から、何もしていないのに、

 ピンでとめていたものが落ちた。

 当然のことながら、ピンも、その下に落ちいるはずなのだが、

 その下に落ちていて当たり前なのだが、

 誰が考えても、下に落ちているのが正解なのだが、

 なぜか、ない。。

 (また、これだ・・)

 こんなことばっかり、、。ぜったいあるはずのところにない。

 こんなんばっかり、、。ここ数年、この繰り返しだ。

 さっき、そこに置いたはずのものがない、とか、

 手から落ちた小さなネジが、どうしても見つからなくなる、とか、

 おれはもう、この展開にはあきたよ。

 探して、あればいい。しかし、時々はほんとに見つからない。

 なぜだ。なぜなんですか??

  思うに、落ちる途中で、タイムワープしてしまうのではないか。

 みんなは、そんな馬鹿なと言うだろう。

 しかし、僕は本気でそう思っている。

 ぜったいあるはずのものが、いつもないからだ。

 時のすきまが、そこにあるにちがいない。


「歯医者で聞く音楽」'13.8/1

  ここ一ヶ月、歯医者に通っている。

 明るい雰囲気の歯医者さんで、落ち着いた洋楽がかかっている。

 たいがいポップスのボーカルもの。

 約30分ほど治療を受けながら、その洋楽ポップスを聞いているのだが、

 実に耳にしみいるように、聞こえてくる。

 まあ、歯の治療の痛みを感じているよりは、他のことに集中したいものだ。

 その聞こえ方といったら、なんだか、脳で直接聞いているようにも思えてくる。

 楽器のひとつひとつの音や、ボーカルの微妙な変化もわかる。

 そのうち、自分だったら、こう作るのにとか、余計なことも考えてしまう。

 それほどまでに、歯医者では、歌の浸透力がすごい。

 ・・・・ああ、ここで僕や友達の歌を聞いてみたいな。流れないかな。。

 たぶんイメージがぐーんと広がり、まるで短編の映画でも観ているように思えるのではないか。

 いいなぁ、、ライブハウスでじっくり聞いてもらうよりも、もっと伝わるような気がする。

 もしかしたら、30分の歯の治療が終わる頃には、何か人生観が変わっているのではないか。

 それは極端だが、、。

  日本のJ-POPを流している歯医者さんならありそうだ。

 気に入った一枚のアルバムを流して、

 受付で、そのCDをひかえめに紹介、販売もしていたら、けっこう売れそうだ。

 「すいません、、このCDください」

 聞いていたら、、歯医者を思い出すかもしれないが、、。

「最近の事・過去ログ '13年4月〜'13年7月まで」

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