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過去ログ「私の引越し」2013.12月〜'14年3月青木タカオ「ちょっくら〜」メインに戻る
「部屋」'13.1/6
近々、引越す可能性もあるが、
まだどうなるかは、不明。
部屋のことを想ってみる。
いままでのいろんな時間は部屋とともにあるんだなぁ。
ここは、もう16年も住んでいる。あっというまだった。
もしここを引越したら、ここでの時間は、こことともにある。
もう戻ってこない時間の中に、今はまだ居るんだな。
泣きたいくらいに、ここには愛着がある。
東京に来て、いままで二回引越ししているが、
どの部屋もよく憶えている。
人生はこのくらいの変化があってもいいのかな。
「帰り道」'13.1/9
部屋探しをしている。
いくつか実際に観にいったりもした。
考えてみると、僕が借りてきた部屋は、
いつも商店街を抜けて帰ってきていた。
商店街を抜けて、ちよっと行くとそこが部屋であった。
今回は、その条件ではきびしい感じで、
商店街のない道を、10分ほど歩く物件もみた。
その道の向こうにはもう部屋しかない。
部屋を目指して歩くわけだ。
そういえば、そういう道もあった。
そういう帰り道を歩くひとも多い。
そのことを忘れかけていた。
帰り道が変わりそうだ。
「レコード」'13.1/11
自分の部屋にもレコードがかなりある。
ざっと数えても600枚くらい。
むやみやたらに買ったわけではなく、どれも大事な音源はかりだ。
かと言って、この一年で聞いたレコードは数枚なわけだが、
かなりのスペースをとっているのには、まちがいない。
どうすればいいのかな。いいアイデアはないものか。
CDは700枚くらいある。どうしたものかな。
レコードと言って思い出すのは、ライブハウス「グッドマン」が、
荻窪にあった頃。
トイレに向かう通路のところに壁一面にレコードがあった。
もともとジャズ喫茶であったから、まあ当たり前なのだが。
僕らが通い出した1984年頃には、もうそうであった。
約10年であれだけレコードを集めたのであろう。
あのレコードの壁は見事であった。
ほんとうらやましかった。
毎日のようにせっせと集めたのであろう。
レコードの壁って、よく見ると、
ジャクソン・ポロックの即興絵画のようである。
もうそれだけで・・。
「不動産屋」'13.1/12
引越しのために、いくつか不動産屋さんを回った。
僕がかつてお世話になった不動産屋さんは、どれもおやじさんがやっている所ばかりだった。
いかにもと言う、おやじさん。
今回、訪ねたところは、30代と思われる人たちが対応してくれた。
とても丁寧に。インターネットを使い、いろんな情報や物件を探し。
時代は変わったね。
不動産屋と言ったら、おやじさんがいろいろ世話をしてくれたものだった。
今回、契約書だって、こと細かくいろいろ書かねばならなかった。
まあ、それはそれだが。
不動産業もサービス業になったんだな。
希望する物件を一緒に探してくれる。
とても丁寧で良い感じの人ばかりだったが、
でも、毎日がそうだったら、それにも限界は来るだろう。
今回、とてもお世話になった人。とても感謝している。
でも、仲介だったので、もしかしたらもう会わないかもしれない。
不動産屋のおやじさんたちは、大家さんとも仲がよく、いろいろ相談にも乗ってくれた。
つきつめてゆくと、おやじさんたちの方が、親身になってくれる人たちかもしれない。
親代わりのように。
「新しい部屋」'13.1/25
引越すことになり、物件探しの日々が続いた。
不動産屋さんに寄り、紹介され、実際に観にゆくことになった。
条件に合う物件がふたつあったという。
ひとつは、ほんとに良い物件であった。一緒に歩いて現地まで。
アパートが見えて来た。ドアを開けてもらうと、とてもきれいで、
なかなかであった。部屋の中をいろいろ歩いてみる。
なんだか、そこに自分が住んでいるような気がしてきた。
窓を開けて見える景色も、なんだか観たことがあるようであった。
(ああ、ここに住んでいるのかな・・)
「では、もう一件に向かいましょう」と、不動産屋さんが言う。
(でも、たぶんここに住むんじゃないかな・・)と、思いながら歩いてゆく。
「こっちの方がもっといいんじゃないですかね」
「えっ??」
僕はさっき観た物件の方が、本命の方だと勘違いしていたのだ。
そして、次の物件の玄関が見えてきて、部屋に入ったとき、
今度もそこに住んでいるような気がしてきた。
それもさっきよりもより強く、そこに住んでいるような気がしてきた。
人生って不思議なものですね〜。
「四畳半」'13.1/28
もう5年ほど前だが、
最初に借りた目白にあるアパートを訪ねてみた。
二階の7号室に住んでいたのだが、僕の住んでいた部屋だけがサッシ戸になってはいなかった。
たぶん、借りてがいないのではないか。そして今でも空部屋なのではないか。
四畳半。下が大家さん。1979年から10年ほど住んだ部屋。ほんと懐かしい。
24年前に引越して高円寺にやって来たのだ。
もうすぐその高円寺を離れることになるのだが、
もし荷物が少なかったら、またあの目白の四畳半に住んでもいいなぁと思う。
あの部屋で、ほんとよく勉強した。詩の本をたっぷり読んだ。
散歩もした。唄も作った。
同じ部屋に戻るのもいいなと思う。まだ空いているのならば。
一階の大家さんはまだ健在だろうか。もう80歳くらいになったかな。
「あら、青木さん」と、言って驚くであろう。
しかし、、現実問題として、それは無理だ。あまりにも荷物が多い。
あの頃は、インターネットがなかったからね。本を買うしかなかったんだ。
まあ図書館に行くという方法もあったが。
もし今、上京して来たなら、
ギター一本にノートパソコン、着替えが少々の生活でやっていけたかな。
そしたら、またあの四畳半に戻れたのかな。
「玄関ライト」'13.1/29
引越先の玄関ドアの真上には、お洒落なライトがついている。
夜に訪ねてみたら、ライトをつけている部屋もあった。
そんな玄関ライトがあるなんて、僕は知らなかった。
仕事で分譲マンションを訪ねたら、今までは気付かなかったけれど、
各部屋の玄関ドアの上にライトがついていた。
夜はとても暗い。玄関ライトがあれば明るい。
しかし、玄関ライトは自動でつくわけではなく、
自分でオン・オフをするしくみだ。
どうしましょうかね。
待ち人のためにつけましょうかね。
部屋のためにつけましょうかね。
悩むところである。みんなどうしているんだろう。
玄関ライトには、現代人が失ったものが、
たくさんあるような気がする。
「ギター」'13.1/31
引越しに際して、いろんなものを処分しようとは思っている。
ギターも多いが、今持っているギターは、どれも処分できないものである。
ギターは一本あればいいのではないか?
と、言う人もいるであろう。
たとえば、僕が池袋で25年間、ストリートで弾いていたヤマハのギターがある。
もうけっこうボロボロではあるけれど、そのギターとともに数限りない想い出もある。
たしかにそのギターを今弾くことはないのだが、手もとに置いておきたい。
そのギターもがんばったのだから。
お疲れ様と言って、処分することも出来るが、
まだ弾くことはできる。じゃらーんと弾けば、池袋での記憶が蘇る。
あと25年間、創作で部屋ギターで使っていたギブソンのB25がある。
その響きは、大きくはないのだが、弾きやすく何時間でも弾き続けることが出来た。
僕はそのギターで、100曲以上創作した。
ギターだったら、何でも創作には同じではない。
創作に煮詰まったとき、僕は今もその小さなギブソンのギターを出して弾く。
すると、浮かばなかったフレーズがすっと出てきたりするのだ。
ヤマハのFG180のギターがある。それは僕がライブで25年以上弾いてきたギターだ。
まだまだ現役である。このヤマハFG180も、僕が創作で困ったときに、
インスピレーションをくれる。
ギターなら、なんでも同じというわけではない。
古い親友と、話しをするようなものだ。
「本」'13.2/3
引越に際して、荷造りを進めているが、
本がほんとに多い。
昨年のはじめに、500冊以上整理して、
あとは必用な本しか残っていないのだが、
英和辞典、国語辞典、百科事典など、
インターネットがあれば、必用のない本もある。
またインターネットを使わなくなれば、必用かもしれないのだが。
そんな日は来るのだろうか。
・・・・・・・・
引越先から、今度は仕事場まで、約一時間ほど電車通いになるが、
本を読んでみようと思う。
それを楽しみにしている。
「高円寺行きバス」'13.2/3
今度の引越先から、ちょっと歩くと、
「高円寺行き」のバス停があり、
それに乗って、よく今住んでいる高円寺に戻ってくる。
高円寺に住んで25年。「高円寺行き」のバスに乗るとは思わなかった。
だんだんと住んでいる街が近付いてくるのは不思議な気持ち。
新居に引越をしたら、高円寺へはバスとなるであろう。
夜遅いバスには、ふたりくらいしか乗っていない。
もう現実には行くことが出来ない夢の街にでも出かけてゆくようだ。
いつかの・とおいひ・そんな・ことも・あるかも
引越先は、交通には少し不便なところがあり、高円寺には大回りしないと行けない。
もう遠い街になってしまうかなと思っていた。
しかし、どこに行っても心の中からは高円寺は近い。
すぐ近くのバス停から「高円寺行き」は出ていた。
こころの ちかく きっと バスは でている
「泣きたいほど忙しい」'13.2/7
いろいろとやることがあって、ほんとに忙しい。
数日後に引越をするというせいもあるが、、。
泣きたい。
泣いても無駄だが。
カレーを食べるか。
「本人証明」'13.2/9
引越関係で、いろんな手続きをしているが、
「顔写真付きの証明が必要です」と何度か言われた。
たしかに健康保険証だけでは、本人確認にはならないのかもしれない。
でも、それだからって、本人ではないとはいえないだろう。
本人なのだから。
運転免許証がある人は悩みもしないかもしれない。
パスボートがあればいいのかもしれないが。
これからもこんなことがずっと続くなんていやだな。
写真付きの健康保険証にして欲しい。
本人証明で苦労するなんて、でも、
ほんとばかげた話だが、、。
「船は動くか」'13.2/10
いよいよ引越も間近にせまって来た。
もうダンボール70箱が部屋にある。
もうあと20箱出来る予定である。
そして引越、ほんとに部屋は移動出来るのであろうか。
引越屋さんは頼んであるので、まあ出来るのだと思うが、
まるで船が動くようである。
船は動くか。
船は道を移動してゆく。
「私の引越し」'13.2/16
この ひと月のことは、ほんとに忘れられない。
ただ部屋から部屋に移動するだけではあるけれど、
僕にとって、引越しはほんとに大変であった。
休みの日も多くあり、荷造りもなんとかなるかなと思っていたが、
予想以上の荷物の多さにびっくり、何もかもぎりぎりになってしまった。
それでも、引越屋さんには任せなかった荷物も多く残った。
マンドリンや、ギター、ビデオカメラなどの精密機械など。
そんなに離れてはいないところへの引越しだったので、
自転車に乗り、体じゅうに荷物をつけて、自分で運んだ。
えっちら、おっちらとペダルをこいで。重くて大変だった。
通りかかった人はみんなびっくりしたであろう。
でも、たぶん引越しだと思ったにちがいない。
・・・・・・・
部屋には古い柱時計があり、
それは最後の立ち会いの直前まで部屋でカチコチと鳴っていた。
まるで部屋を見守るように、古い部屋の時間の続きを教えるように。
何もなくなった部屋の中でも、柱時計は動いていた。
立ち会いの前、その柱時計を外し、
海外旅行に持っていったバックパックの大きなリュックの中に入れて、
片手にはギターを持ち、もう片方の手には掃除機や創始セットなどの入ったカバン、
友達からもらった、木の長い杖を持ち、新居まで小雨の中、歩いて帰った。
それはとても重く、何度も休んではやっと新居に着いた。
それを撮った写真などはないが、引越しの最後らしい光景だったろう。
・・・・・・・
住んでいたアパートの部屋は古い木造で、入居の募集もないことから、
たぶん、建て替えを前提に考えていると思われた。
僕の部屋にも、たぶんもう誰も住まないであろう。
部屋にとっては、僕が最後の住人だったかもしれない。
アパートの一室という人生。
そこにあった柱時計は、新居では使用予定はなく、
たぶん押入れの中にしまわれるか、アンティークショップに持ってゆくか、
そんなふうに思っている。柱時計にとっても、最後の現役だったかもしれない。
今は新居で、バックパックの中に入っている。
・・・・・・・・
僕は今回の引越しで、手で運びたいものは、
荷造りの箱には入れなかった。
そこにはこだわった。
僕は引越しには向いていない人であった。
最後は、部屋を綺麗に掃除してきた。
部屋にとっては、大事な一日だったであろう。
僕は最後の住人にふさわしかっただろうか。
柱時計はもう止まっている。
リュックに入れて運んでいるとき、柱時計は、
ばろんばろんと、ぜんまいのゆれる音がしていた。
「ミュージック」'13.2/17
新居に越してきたけれど、さてどこでギターを弾いていいものやら。
部屋はまだ段ボールでいっぱいだし、ちょっとしばらくは無理であろう。
電車の中でCDを聞いたりはしているけれど、やっぱり創作はしなくてはと思う。
そこで思った。ここまで来たら、自分が楽器になるしかないないと。
胸の中に弦を一本張って、鳴らすんですよ。常に。
弦一本だっていろんな音色が出るしね。
がんばります。
「疲れた亀のように疲れた」'13.2/22
引越しに際して、お金も使ったが、
パワーもかなり使った。
今はまるで疲れた亀のようである。
歩き移動し疲れた亀が一匹、そこに歩き止まる。
甲羅も乾くが、さて、一歩も動けない。
手足は伸びたままだ。
子供等が通りかかり、
「おい、この亀、死んでいるのかな」と、言って指でつつくと、
伸びた亀は、瞬時に手足を引っ込める。
「なんだ、まだ生きているぜぁ」
つつかれたと言っても、亀はもう動けない。
甲羅は、だんだんと乾いてゆくだけ。
亀はもう一歩も動かない。
一歩進んだからって、何も変わらないからだ。
亀は休む。そこにじっとして。
やがてはお腹がすいてくるだろう。その日はいつだろう。
それでもいい。それが動く日である。
「すぎ丸」'13.3/3
杉並区でも、100円のコミュニティーバスが出ていて、
名前を「すぎ丸」と言う。
部屋に戻っている道が、ちょうどその「すぎ丸」の通り道になっていて、
よく追い越されたりしている。そして向こうから来る「すぎ丸」ともすれちがう。
「すぎ丸」のコミュニティーバスは、普通のバスよりも小さく、
細道でも通れるように、横幅がより短い。
ちょっとこんな道、バスなんて通りれないよって思える道を、
「すぎ丸」は走ってゆく。
夜の帰り道、向こうの路地から、明かりをつけた「すぎ丸」が、
ゆっくりと路地を曲がってくる。ほんとゆっくりと。
その姿は、まるで路地を進む動物のようだ。
大きな犬のようにも見える。
そして、なんだかとてもいとしい。
「すぎ丸」のコミュニティーバスは、何台かあると思うが、
ぜひ、それぞれのバスに名前をつけて欲しい。
「たろう号」とか「はなこ号」とか「じろう号」とか、、。
そうしたら、より親しみが増すと思うのだが。
「すぎ丸」は、いとしい。
夜の路地をゆっくりと曲がってくる。
「新曲」'13.3/7
引越しをして、まだ80箱も荷物を開けていない状態である。
ギターも荷物の上にあり、部屋の中央に浮いている。
まだ何も落ち着いてはいないのだが、
新曲のアイデアは生まれた。
まだメロディーもリズムも、弾き方もない。
歌い出しも、サビも決まっていない。
でもアイデアだけはしっかりしているので、
うまく作れれば、これぞという歌になる予感がある。
かつて、それは誰も歌にしたことはないであろう。
そんなふうに表現した人もいないであろう。
さて、それを僕がどんなふうに作るか、
あせらない、あせらない。
三蔵法師がいる。
お供の孫悟空・沙悟浄・猪八戒も見つけなきゃね。
その歌の座る椅子もイメージしなくちゃね。
そのアイデアがひとつの歌になるためには、
たくさんの無駄もいる。
歌の中に出てくる役者もそろえなくてはいけない。
そして作り過ぎてもいけない。
メロディーが出来たら、それに合う言葉をのせなくてはいけない。
まだ何ひとつ決まっていない。
決まっていないのだが、その新曲がこれからの僕の代表作になることがわかる。
それがはっきりするのは、歌のかすかなしっぽが見えたときだ。
しっぽが見えれば、歌はあるのだ。ぜったいになんとかなる。
楽しみにしてて欲しい。
僕のすべてでその歌を仕上げようと思う。
作り過ぎないようにして。「こんな感じ」'13.3/9
ふと、メガネをよく見たら、レンズの真ん中に小さなヒビが入っていた。
たぶん、いつかどこかで落としたのであろう。
ちょっと危険なので、もうひとつの予備のメガネをしようと思う。
レンズも一枚25000円くらいするのはわかっているが、
引越でお金も使ったし、ちょっと今は交換できないな
引越のとき、パソコンは自分で運んだのだが、
その後の使い方に無理があったのか、
いままで使っていたパソコンが突然に起動しなくなった。
まだいろいろ対処はしていないが、もし復活しなかったら、
それは本当に困る。買い換える余裕などまったくない。
唯一、完璧だった靴が、、引越のせいかはわからないが、
糸がほころびかけている。新しい靴を買えば良いのだが、
その余裕がない。
引越のときに重たい荷物を運んだせいかは不明だが、
かぶせてある金属がとれ、歯医者にいかねばならない状態になった。
引越のせいかは不明だが、CD-Rを焼く高価なマシンがエラーが出るようななった。
なんだか、ぼろぼろですわ。
もうどれもこれもという状態。
でも、大きく変わるときは、こういうことはある。
ジャングルを抜けてきた人は、服も体も傷がついているであろう。
そんなことはよくあること。
ひとつずつ、復活していこうやね。「文字の人」'13.3/10
バスに乗って、高円寺の街で降りた。
久し振りのような高円寺の街は、とてもにぎやかで、
歩く人々の顔が生き生きとして見えた。
つい一月前まで、この街に住んでいたのだ。
こんなににぎやかな街に。
もう僕の顔には、高円寺が見えないのかも知れない。
それから友達に会いに西荻窪の街に向かった。
西荻窪では、落ち着いた喫茶店に寄った。
となりの席のカップルさんが、本を取り出して、
その本についてあれこれ話していた。
そのカップルさんが去ると、60歳代と思われる、
お洒落な、常連の女性が座った。
高円寺では、なんだかすべてが生き生きとはしていたが、
西荻窪のほうが落ち着きがあるのだな。
あんなふうに一冊の本が話の中心に出て来るのは、
街が落ち着いているからかもしれない。
西荻窪から、またバスに乗り、夜の道を走った。
その先に、僕の今住んでいる部屋がある。
ここまで来るともう、街のにおいはしてこない。
あるのは、夜道と、遠く見えてくる部屋のドアだ。
高円寺に住んでいた頃は、本を読むことから離れていた。
西荻窪では、本が話の主役になれるようだ。
そしてこの夜道のある住所では、本の中の文字が見えてくるようだ。
見えてくるどころではない。
人の姿となって、現れて来そうだ。
「地下鉄に乗って」'13.3/14
ここずっと地下鉄に乗って、通っている。
あまり考えたことはなかったけれど、
地下鉄って、地上の下を走ってゆくんだよね。
実感はないんだけれど、、。
外の景色のない、世界。
今、新曲を作っているのだが、
地下鉄を乗り換えて、ほんの数駅の間に、
ほとんどの歌詞とメロディーを書いてしまった。
それもサビも含めて、。
もちろん、それは書いたばかりなので、
これからいろいろと変えていかねばならないのだが。
引越しをして、ひと月の間、ギターはまったくさわれなかった。
今だって、ケースの中にある。
新居では、ちょっとギターの音が出せそうにないので、
どうやって歌を作ろうかと思っていたところだった。
それがほんの地下鉄の数駅の間で、ほぼ出来てしまうなんて、
どうなっているのだろう。
もちろん、大幅にメロディーも歌詞も変わるのだけど。
そのままでも、とりあえず歌える。
そんなふうに歌を作るなんて、想像できなかったな。
公園にでも行ってギターで作ろうと思っていたのに。
なんだか変な時間の中にいる。
地下鉄のような時間。
「若者からのプレゼント」'13.3/20
引越しをして、自分がどれだけ本を持っていたか実感した。
現代のようにインターネットの時代ではなかったので、
本が大きな役割を持っていたのだ。
今から30年ほど前のこと、僕は本を集めた。
詩集などがほとんどではあるが、評論や伝記など、
今となっては貴重本となっているものもある。
当時は家賃が安かったというせいもあるが、なんだかお金があった。
けっこうな値段もする本も平気で集めた。
集めるだけ集めたものも、なかなか読めないままであった。
それから30年、、。
引越しをして、仕事場への通勤時間も伸びて、
毎日、読めなかった本を読もうと思っている。
読めなかった本なら山ほどある。
若い頃の僕が今の僕のために買ってくれた本が、、。
今の僕では生活がきびしく、同じ本を買う余裕などまったくない。
若い頃の僕が、今の僕にくれたプレゼント。
年とった人が若者に贈り物をすることはよくあるが、
その逆もある。
僕は僕に感謝している。
若い頃の僕に、何かお返しをしないといけない。「誤算」'13.3/25
引越しをして、もうひと月以上。
そろそろ落ち着くかなと思っていたが、
愛用していたパソコンが壊れるとしいう誤算のため、
なんだが、体の方も調子がいまひとつだ。
なにしろ突然に起動しなくなったのだ。
最初は軽く考えていて、メモリー交換でなんとか復活すると思っていた。
ファイルをコピーしたら、新しいパソコンになんとか引越しをしようと思っていた。
奇跡的に何回か起動したときに、大事なファイルをコピーした。
いろいろ試してみたが、もう古いパソコンなので、
開くことの出来ないファイルがいろいろあることを知った。
もう二週間がんばっているけれど、やっぱり開けない。
あと、大事なファイルを全部コピーしたつもりでいたが、
コピーし忘れたものがあるとわかった。
また、なんとか起動して、それを取りにゆかねばならない。
ほんとに出来るのか、、。
あのパソコン、ずっと元気だったからなぁ。
まさか起動出来なくなるとは思ってもいなかった。
そしてこんなにも、体調に影響があるとは思わなかった。
古いパソコンを使い過ぎたのかな。
開けないファイルがいっぱいある。
まだパソコンに残してきたファイルも多くある。
落ち着かないんだ。
「バス待ち」'13.3/29
引越しをしてから、バスを待つことがとても多くなった。
バス待ち。
それは、いままでの僕にはなかっちたこと。
いつも駅のホームで電車で待っていた。
今は、バス停に立っている。まるでバス停のように。
先日は、大きな桜の樹に三本囲まれながら、
夜にバスを待っていた。
唄や歌詞のことを考えながら。
僕はずっと人の通る道で、唄のことを想ってきた。
今は、そこから離れて、ひとりバス停に立っている。
桜三本とバス停と。
遅れて来たバスは、ゆっくりとライトを光らせて、
角を曲がって来た。
・・・ボクハココニイマス
バス待ちには、何かさびしさがある。
それは、街にいるのと同じこと。
カードの裏表のようなものか。
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