成毛は日頃から「高くていいのは当たり前、安くていいのが素晴らしい。」と言って、自分が使う物は何でも「高い物より安い物」、「有名ブランドより無名ブランド」、「本物より○○もどき」を好む。そのため成毛が現役の間に使った40本以上のギターの殆どが安い「○○もどき」であった。

 

ウソラトキャスター ('63〜65年)


ウソラトを持つ成毛 (上, '65年7月)と、本来のグヤトーン LG-65T(下)


 

 成毛が高校2年の時に買った初めてのエレキギター「グヤトーン LG-65T (¥12500)」に白い下敷きを切って作ったピックガードとピックアップカバーを付け、ヘッドにチョコレートの包み紙を切って作ったフェンダーのロゴを貼付けてストラトに似せようとしたもの。成毛は自分で「ウソラト」と呼んでいた。
又、速弾きができるようにネックの裏側をナイフで削って薄くし、当時プールサイドやデパートの屋上で開かれた「アマチュアバンド・コンテスト」に出場しては賞品をさらい、主催者から「コンテスト荒らし」と呼ばれるようになった。
その頃17万円もしたフェンダーのストラトを持っているバンドに勝った時、成毛は「12500円で17万円に勝ったぞ !」と大はしゃぎした。

 


 

テルスター ('65〜68年)


フジTVの「勝ち抜きエレキ合戦」でテルスターを弾く成毛(上, '66年7月)と、グヤトーン LG-160T(下)


 '65年12月にグヤトーンが発売した「LG-160T (¥25000)」で、国産のギターにしては珍しく外国の「○○もどき」ではない。
成毛がずっと提唱してきた「ナローネック、スリムネック、ミディアム・スケール」を初めて採用したギターで、その意味で「成毛モデル 第1号」と言え、後のグレコEG、SEシリーズ、フェンダー・ジャパンのSTMシリーズの原典となったギターである。
このギターが作られたおかげで成毛は「チゴイネルワイゼン」「荒城の月」等の曲を弾けるようになり、フジテレビの「勝ち抜きエレキ合戦」で「エレキ日本一」に選ばれる事になった。

イッケンバッカー ('67〜68年)


イッケンバッカーで"How Do You Do, Dr.Siegel" をレコーディング中の成毛('67年11月)

 

 

 グヤトーンの「SG-42T (¥32000)」であるが、「一見リッケンバッカーに見える」という事から成毛は「イッケンバッカー」と呼んでいた。
この頃はベンチャーズ風エレキ・インストを卒業してジェファーソン・エアプレイン、グレートフル・デッド風サイケデリック・サウンドのオリジナルをやるようになり、アメリカン・スクールのパーティーなどでは大受けし、「あれが日本のバンドの曲だとは思わなかった」と言われた。
そして'67年11月にテイチクでオリジナルの "I'm In Love"、"How Do You Do, Dr.Siegel" の2曲をこのギターでレコーディングしたが、ディレクターに「これじゃまるで外国の曲みたいじゃないか! 」と言われてレコーディングの途中で打ち切られた。

 

ニテレキャスター ('68〜69年)


ニテレキャスターを持つ「ジミヘンもどき」の成毛('68年12月)

 

 '68年にエルクが「CUTLASS (¥36000)」の試作として作ったギターで、手を加えなくても「フェンダーのテレキャスターだぞ」と言ってゴマカせるぐらいよく似ていた事から成毛は「ニテレキャスター」とか「ゴマキャス」と呼んだ。
このギターを作ったのは、後に神田商会へ移ってグレコの「EG、SEシリーズ」、その後フェンダー・ジャパンで「STM、STSシリーズ」を作った斉藤任弘氏である。
斉藤氏は「エルク」「グレコ」「フェンダー・ジャパン」と、'68〜'98年の間に成毛が使ったギターの殆どに拘わっていたわけで、その斉藤氏と成毛とを最初に結び付けたのがこのギターであった。


成毛はジミヘンにかぶれてこんな顔をしていた時期もあったが(間違いなく成毛である)、ストラトはネックが太くて弾けないので代わりにネックが薄いニテレキャスターを使ったらジミヘンぽく見えず、不評であった。

 

Fender Jaguar ('69〜71年)


10円コンサートでジャガーを弾く成毛('69年10月)

 成毛のギターでは唯一20万円を超えるギター「フェンダー・ジャガー(¥240000)」。
成毛は'62年に高校進学祝いとしてアコースティック・ギター(¥5000)を買ってもらい、初めはカントリーを弾いていたが、'63年にクリフ・リチャードの映画 "Young Ones" でザ・シャドウズを見てエレキもやりたくなり、ザ・ベンチャーズのアルバム・ジャケットでドン・ウィルソンもストラトを持っているのを見て、ストラトに憧れた。しかし当時の高校生に17万円のストラトは買えず、代わりにグヤトーンのLG-65Tを買って自分で「ウソラト」に仕立てて弾いていた。


 その後、ジミヘンを見てやっぱり本物のストラトが欲しくなり、銀座の山野楽器でストラトを弾いてみたがあまりにもネックが太く、フレットの間隔も広くてとても成毛には弾きこなせなかった。
と言って、諦めきれない成毛は一か八かアメリカのフェンダーに「ナローネックでミディアム・スケールのストラトを作ってもらえないか?」‥と手紙を出してみた所、フェンダーのエクスポート・マネージャーから「当社はミディアム・スケールのストラトを作るつもりはないが、ジャガーはショート・スケールでナロー・ネックのオーダーもできるので、手が小さいんだったらこれをお勧めする」という返事が来た。


 当時のフェンダーは各ギターにナット幅でナロー・ネック(38mm)、スタンダード・ネック(41mm)、ワイド・ネック(45mm)、エクストラ・ワイド・ネック(48mm)の4種類があり、買う時に好きなネックをえらべるようになっていた。
そしてジミヘンがジャガーを持っている写真もあったので、成毛はストラトを諦めて「ナロー・ネックのジャガー」をオーダーし、それが来るまでニテレキャスターを使っていた。


 そしてほぼ一年後にジャガーが送られて来たが、その時はすでにバンドの解散が決まっていて、その後成毛はソロギタリストとしてスタジオ・ミュージシャン、10円コンサートでこのギターを使った。しかしナローネックでナット幅は狭いもののネックの厚さが厚く、24万円のフェンダーをナイフで削る勇気は無く、ハイポジションは弾きにくかった。

 

 

Gibson SG Special ('70〜72年)


ジプシーアイズでSG Specialを弾く成毛(左)と、ベースを弾きながら唄う柳ジョージ(右) ('70年8月 撮影 赤岩和美氏)

 

 

 '70年に成毛は楽器店のショーウィンドウに飾ってあった「SG Special(¥160000)」を見てなんとなく「このネックは良さそうだ」と思い、試奏もせずに衝動買いした。
成毛の勘は当たり、このネックはナット幅40mmでレスポール等よりも狭く(レスポールは43mm)、ボディーも薄く、ダブル・カッタウェイになっているのでハイ・ポジションはジャガーより弾き易かった。ただネックの厚さは厚く、手の小さい成毛にはまだ弾きにくかったが、当時市販されていた他のギターよりは弾き易いという事で成毛はジプシー・アイズ、ストロベリー・パスでこのギターを使った。

 

ニセポール ('71〜83年)


ディタッチャブル・ネックのニセポールを弾く成毛('71年10月)

 

 

 グレコのページでも紹介した「特注EG-360 2号 (¥36000)」で、成毛は「ニセポール」と呼んでいた。
'70年代の成毛のメインギターであり、無名だったグレコをトップブランドに押し上げ、「おもちゃに毛が生えたようなもの」と言われていた国産ギター全体の評価を塗り替えた歴史的ギターでもある。
当時グレコのおまけのカセットでギターの弾き方を覚えた人はみんなこのギターの音を聴いていたのである。

 

SQUIER SST-314 ('83〜88年)


成毛のSST-314を弾くブラッド・ギルズと成毛(左端、頭だけ '83年12月)

 

 '82年にフェンダー・ジャパンができ、'83年に発売されたミディアム・スケールでナロー・ネック、スリム・ネックのストラト「スクワイヤー SST-314(¥50000)」。
成毛が提案し、フェンダー・ジャパンの斉藤任弘氏、フジゲンの牛丸寿英氏‥と、グレコの時と同じメンバーが作ったギターだが、当初アメリカのフェンダー本社に「ミディアム・スケールはギブソン・スケールとも言われるので、フェンダーでミディアム・スケールのギターを作る事は許可しない」と言われたため、「スクワイヤー」ブランドで発売された。
しかし'85年にこのギターがフェンダー・ジャパンの機種別売り上げ1位になると、フェンダー本社から「フェンダー・ブランドで販売する事を許可する」と言われ、「フェンダー ST-314(¥55000)」となり、'88年に「フェンダー STM(¥55000)」となった。
このギターのネーミングに最初「314」と付けた事から日本の楽器屋さんはミディアム・スケールの事を「314スケール」と言うようになってしまった。(本来は629スケールが正しい)
'71年からずっとグレコを使ってきた成毛は、以後フェンダー・ジャパンのこのシリーズのギターを使うようになる。

 

 

FENDER STM-60 ('88〜96年)


STM-60で「ハンマーで叩いてハンマリング・オン」を実演する成毛(フジTV ロック爆笑族 '94年4月)

 

 

 '88年にフェンダー・ジャパンが発売したミディアム・スケール、ナロー・ネック、スリム・ネックで、リアにハムバッキング・ピックアップの付いたストラト「STM-60 (¥60000)」。
SST-314で初めて採用されたストリングロック・システム「ENDROX」は初めはイマイチだったが、STMになって大幅に改良され、チューニングの狂いを気にせずに目一杯アームを使えるようになった。

 

FENDER STM-DS Custom ('96〜98年)


Lone Axe LiveでSTM-DS Customを弾く成毛('96年12月)

 

 '96年にイシバシ楽器オリジナルとして発売されたFender Japanの「STM-Dr.Siegel Custom(¥119000)」。
成毛は斉藤任弘氏、松下工房の松下 久氏等のアドバイスを受けながら、ボディーの削り方からシールディング、細かいパーツに至るまでこのギターの全ての仕様を自分で決め、ブリッジはゴトー・ガットと共同開発で新しく型を起こした10mmピッチのオリジナル・ブリッジ、販売時の弦はS.I.T.のDr.Siegel's Custom Gaugeと、'65年からずっと成毛が主張し続けてきた事の集大成となった。
このギターはアメリカの"Harmony Central"という音楽サイトで採り上げられ、高い評価を得ている。