かつて、世界を席巻した「スクール・ウォーズ」。
 世界規模での紛争はすでに鎮静化しているが、水面下ではいまだに激しい権力争いが
続いている。「スクール・ウォーズ」が始まった当初、幾人かの天才的指導者に扇動さ
れて立ち上がった中学生、高校生は、自分達の通う学校内で武力を行使し、一時はその
絶対数の多さを利として、内部の教師を駆逐する寸前までいった。
 ここから先は、日本に限った話になる。「スクール・ウォーズ」は世界規模で勃発し
たにもかかわらず、公式記録からは抹消され、各国は公には事態を明らかにはしていな
い。組織に所属して世界中を飛び回っている"狙撃者"ですら、自分も身を投じたあの戦
乱がどういうかたちで決着を見たのか、把握してはいないのだ。
 国内における「教育の危機」を重く見た文部省は、しかし学校内に警察、その他公的
権力の介入を許さず、少年法が改正されると共に独自予算で学校に戦力を投入し始めた。
 大っぴらに人員を送り込めない私立高校には大量の火器を援助し、支配下にある公立
高校にはずさんな教員試験によって、戦闘力のみ強力な盲目的に文部省に従う教師を、
次々に派遣した。この教師の中にはこの「教育の危機」を憂い「荒れている」学校を自
分の手で良くしようと、本気で考えていた者もいたという。
 闇ルートから手にいれたわずかな銃器しか持たぬ学生側は、自衛隊などから払い下げ
られた強力な軽火器を持つ教師側に対抗する術を失い、逆にその勢力を抑え込まれ、再
び屈服するかに見えた。所詮は子供の集まり、本気を出した大人にかなうはずもない。
誰もがそう思った。
 が、しかし、ここで日本にも一人の天才が出現する。「少年A」という呼び名だけで
知られるその中学生は、関西のある中学校で、学生のみで構成された強力な戦闘集団を
組織し、さらには地元のアンチ学校の機運を高めていた父兄の協力を取り付け、ついに
全国で初めてその地域の教師側勢力を壊滅させるに至ったのだ。それと共に日本全国に
幾人もの「少年A」が出没し、瞬く間に勢力を拡大させていった。
 今となってはわからぬ事だが、おそらく「少年A」と呼ばれる学生など、始めからた
った一人しか存在しなかったのだろう。誰かがそういったカリスマ的虚像を名乗り、そ
れによって学生の意志を一つにした。虚像は分身を生み、その虚像の群れの元、学生は
団結した。教師側は最初からいもしない、無数の「少年A」という存在におびえ、その
残像に目をくらまされた。
 だが、戦いが学生に有利に進んだかというと、そうはならなかった。地域全ての父兄
が、自分達の子供を愛しているわけではなかったのだ。当初、PTAを中心とする地域
住民はやはり子供可愛さに、教育と称した殺戮の限りを尽くす教師に対抗した。が、誰
もが殺戮に慣れ、血の匂いを嗅ぎ飽きた時、PTAのメンバーはこう思った。学校が悪
くなったのは、自分達の子供に問題があるのではないか? 戦いを起こしたのは学生で
はないか? 教師が正しく、学校に行かないうちの子達が悪いんじゃないか? 
 こんなせりふを、聞いた事があるだろうか。
「学校に行かないような子は、もううちの子じゃありません!」
 血に飽きた誰かが、自分の子供にそう言った時、学校に続いて家庭も崩壊した。学生
達は自分の親を殺し、子供達の事でなく利害ばかりを考えるようになりつつあったPT
Aを、も敵にまわした。
 戦争の発端も、きっとささいな事だったのだろう。だが火種がなければ火事は起きな
い。学校という空間に淀んだ澱のようなものは、溢れだすきっかけを待っていたのだ。
吹きだした怨念に決着をつける事が出来る者は、誰もいなかった。戦いは人が滅びるま
で続くかと思われたまま、八年の時が流れた。
そして、今からちょうど二年前、爆弾テロによって文部省が爆破され、教育関係の要
人がことごとく暗殺された。テロの主犯として「少年A」を名乗る身元も解らない学生
が逮捕され、獄中で死んだ。
その後、全国各地の学校は全て私立となり、文部省を敵に回して戦っていた学生集団
も分散し、戦いは鎮静化していった。しかし、今だ教育への不信は根強い。再び戦いの
起こる日も、そう遠くないのではと言われている。
 だがしかし、文部省を爆破した「少年A」は、犯行声明を出すとともに、こう言った。
「俺には名前がない。
 だが、名前が無いのは俺だけじゃない。俺たち学生、いや、子供には名前なんかない
んだ。何をやっても、表に名前がでる事は無い。やった事が正しかろうと悪かろうと、
俺達子供はいつまでたっても少年Aだ。
 俺達に名前はない。権利もないんだ。学校は俺達に選択する権利を与えず、たったひ
とつの道に向けて追い立てる。勉強ができる、いい進学コースがたどれる、いい就職が
できる、それが人生の勝利だっていう。
 ふざけんじゃねえ。何が勝利かを決めて、それを目指すのは俺達自身だ。だが、俺達
自身の目指す勝利を、くそったれの親どもを含めた大人は、人生の敗北だと決めつける。
学校と、学校に造られた大人の作った社会の中で、子供の向かうべき道はいい就職か落
ちこぼれか、そのふたつだけだ。就職した後は週に五十時間、五十年働いて、そのあげ
くにアンタはクビ! 田舎に引っ込んで、オムツじじいになる前に死にたいと思って生
きていかなきゃならない。
 こんな世の中じゃ俺達が何を主張しようと、俺達の本当の名前はどこにも出ずに、あ
あまた少年Aが馬鹿を言ってるな、と思われるだけだ。俺達は学校に造られた、少年A
っていうだけの存在なんだ。だから俺達は今の世の中の元になってる、学校を潰すため
に戦った。そして今日、文部省もぶっつぶした。学校に、学校が決めたんじゃない俺達
の選んだ勝利を見せつけてやった。
 ……たぶん、このあと俺は、テロの主犯として逮捕され、少年Aとして殺されるだろ
う。しかし、その時が学校の最期の時だ。なぜなら、奴らは自分達で造った少年Aを、
自分達の手で殺すんだからな。
 俺達は勝つ。全国の同志よ、少年Aは死ぬ。しかしその時、俺達は少年Aじゃない、
本当の一人の人間として生まれ変わるんだ。これからは学校なんてバカげたモノに縛り
つけられないで、一人一人が学校の敷いたレールじゃない、自分だけが目指す勝利をつ
かみ取ってくれ! 夜露死苦!」
 結局、顔も名前も解らぬままに、牢獄の中で拷問によって暗殺された、一人の革命家
の言葉は、公式には記録されていない。だが、この言葉はかつて学生としてあの「スク
ール・ウォーズ」を戦った、すべての人間の胸に刻み込まれている。
「一人の人間。たったひとつでない道か……」
 この国を東西に貫く大河、その乾燥し
きった石ころだらけの河原を歩きながら、ふと呟いた"狙撃者"は、あとからついてくる"
監視者"を振り返った。
「なに? なにか言った?」
「いや……」
 東へ向けて流れる河の北岸を、流れに沿って二人は歩いていた。右手は河、左手は雑
木林である。時刻はまだ昼前、太陽が薄い雲の向こうから、陽射しを投げかけている。
第一地点であった農家を出発して、一時間が経っていた。"狙撃者"と"監視者"の二人
はその間ずっと、徒歩で移動し続けていた。
 この某国某地域では、学生側勢力は完全に敗北し、教師、あるいはPTAの傘下に取
り込まれている。PTA軍の展開している地域はすでにくぐり抜け、二人は現在、教師
軍の勢力地に入っていた。
 "監視者"の一歩前を歩いていた"狙撃者"は、不意に足を止めた。その場に荷物をゆっ
くりと下ろし、頭を下げるよう、手で合図をする。 二人が姿勢を低くして歩を進めた
先、十m程のところから、話声がした。見ると、自動小銃を肩にかけた、ジャージ姿の
教師らしき男二人が、雑木林の間を通っている小道に車を止めて、何やら話している。
車は軍の払い下げ品であろう屋根付きのジープである。
「いつまでも、歩いて移動するわけにはいかない。あの車をいただく」
 小声で背後の少女に囁くと、青年は腰を落としたまま、ゆっくりと前に進んだ。ふと、
振り返って荷物を指さす。
「見張っていろ」
 "監視者"は銃を抜いて、うなずいた。"狙撃者"は教師達を回り込むようにして、雑木
林の中に入っていった。
 少しして、教師の一人が銃を車の上に置くと、話を中断して、道を外れて林の中に入
っていった。相棒からも見えない位置まで移動すると、下薮をかきわけ、ズボンを脱い
で用を足すべく座り込もうとする。その背後から、首筋に手刀が振り降ろされた。
 仲間の入っていった辺りから、ムギュ、という声を聞いたもう一人の教師は、笑って
言った。
「おいおい、なに変な声で、きばってるんだよ?」
 次の瞬間その教師も、不意に目の前に出現した青年に、顔面に肘を叩きこまれて悶絶
した。
 あっけなく二人を片づけた"狙撃者"は、足もとで失神している教師のポケットを探っ
て、キーホルダーのついた車のエンジンとトランクのキーを見つけ出した。
「終わったぞ」
 荷物を見張っているはずの"監視者"に、声をかける。……が、返事がない。
 慎重にその場所まで戻ってみると、少女はそこで、荷物によりかかって眠っていた。
銃を両手で構えたまま、ライフルなどが入っている"狙撃者"の鞄にもたれて、穏やかな
寝息をたてていた。
 あまりののんきさに青年は目を覆い……続いて苦笑した。しゃがみ込んで少女の目の
前でキーを振る。金属音に少女は驚いて飛び起き、青年に銃を突きつけた。
「見張り、ご苦労さん。リムジンで移動だぞ」
 揶揄するような笑みを向ける青年に、少女は自分がやっている事に気付いた。
「Shit! 眠ってた?」
「爆睡だな」
 銃を下ろしてうなだれる"監視者"を促すと、"狙撃者"はジープへと乗り込んだ。
 雑木林を抜けて、二人の乗ったジープは乾燥しひび割れた荒れ地を、東へ走っていく。
上空の太陽は、ようやく真上にさしかかろうとしていた。
「これからの予定は?」
 ぼろ布同然になったセーラー服の上を脱ぎながら、"監視者"は尋ねた。
「のんきだな。失敗したら、逃げるだけだ」
 汗ばんだ手でハンドルを操りながら、青年は答えた。行く手には見渡す限り、地平線
が広がっている。が、別に道を走っているわけではないので、石ころだらけの大地を走
るのは、いささか神経を使う。
「時間を聞いてるのよ。第二地点には、あとどれくらい?」
「日没までには、到着だろう」
 グレーのタンクトップ一枚になった少女は、自分の腕を撫でながら、"狙撃者"の横顔
を見て言った。
「どこかで、身体を洗えないかな。もう、カサカサになっちゃってるんだけど」
 先ほど通った河は泥で濁っていて、とても中には入れなかった。空気が乾いて、肌も
乾燥している。
 無言で聞いていた"狙撃者"は、不意に車を止めた。扉を開けて外に出て、"監視者"の
側に回り込む。
「ちょっと、なに?」
「運転を代われ」
 少女は少し面食らったが、
「はいはい」
 言われたとおりにした。運転席の左側に移り、ハンドルを握る。自分が、今朝からど
うも足手まといなような気がしていたので、役にたつ事があるのは嬉しかった。
 が、しかし、助手席に座り、ダッシュボードに足を乗せて、シートにもたれて目を閉
じた青年は、こう呟いた。
「これで、少しは黙るだろう」
 一瞬、"監視者"は眉をヒクつかせたが、何も言わなかった。代わりにアクセルを踏み
込み、地平線に向けて車体を突っ走らせた。
続きへ。