かつて、治安の良さにかけては折り紙付きと言われた、この日本という国の首都圏も、
「スクール・ウォーズ」以来、荒廃し暴力と抑圧にまみれた地となっていた。武装した
学生、武装した教師、武装した地域の父兄、三すくみの状態がお互いを抑制し、和平条
約もあって奇妙な安定を保っている。が、現在もいたるところで小競り合いが繰り返さ
れ、いつ大規模な紛争が始まるか、知れたものではない。
 その東京の一角、夕闇に包まれたビル群の中、「それ」は建っていた。周囲の十数m
級のビルを睥睨するかの様に屹立する「それ」の異様は「テクノ・ゴシック」と呼ぶに
は余りにも凶々しい。一種、縁日のお化け屋敷のような俗っぽい雰囲気も漂うが、それ
よりは奇怪な神殿と言う方がふさわしいであろう。所々で明滅する照明に照らされた「
それ」は、胸騒ぎがするほど美しく、また吐き気がするほどにシンメトリカルな空間を
創造してさえいる。地元でGODと呼ばれる建築家が設計し、湯水のごとき金にあかせ
て造られた「それ」は、まさに暴力であり、狂気だった。周囲全てを飲み尽くすかのご
とく無限の広がりを見せるかとも思えば、ただ一点に収束し、遥か天空へバベルのごと
く伸びていくかにも見える。全てを支配する権力の象徴とも取れ、またエゴを剥きだし
にしたがため崩壊した制度の残滓とも取れる。「それ」は夕暮れの陽にさらされた光景
の中で恐ろしい程に映え、また笑いがこみ上げる程に場違いですらある。一個の生物、
いや、まるで人間そのもののようにさまざまな表情を見せる「それ」は、まさに「サイ
バー・マニエリズム」である……「私立アルゴンキン・ハイスクール」。
 地上百mにそびえる剥きだしの鉄骨、わずかにフロアとなる肉片をまつわりつかせた
骸骨のような、高層建築。一時代前なら、とても学校の校舎には見えないデザインだが、
制度の崩壊した今、そんな事を言っても無意味である。だが、外面のデザインはともか
く、建物の周囲に張り巡らされた鉄条網付きの鉄柵、到るところに仕掛けられた赤外線
警報装置と監視カメラなどは、まさにここが学校である事を感じさせてくれる。いつの
世も学校は管理と背中合わせの支配によって成り立ってきた。
 完全に陽が落ち、夜の帳が下りた後に、ようやく街灯がともった。それとほぼ同時に、
校舎が所々ライトアップされる。漆黒のスケルトンが身体の何ヶ所かを白く照らされ、
さながら斑模様の牛の骸骨である。
 馬鹿な描写である。牧場にいる乳牛はたしかに白黒のぶちだが、その骨は真っ白に決
まっている。虎だろうがパンダだろうが、骨は白いのだ。このふざけた表現が、文才の
無さ故か、あるいは生物学的知識の欠如から来ているのかはわからないが、何を考えて
いるのだろう。
「まるで牛の骨だな」
 手に平べったい箱を捧げ持った、ジャージ姿の男が入り口のフェンスの前で、ビルを
見上げながらそう呟いた。年は四十がらみか、小柄な太めの男である。ジャージの色は
黒、足元は同じ黒の運動靴。なのに頭には、赤ヘル軍団広島カープの帽子をかぶってい
る。胸に名札が付いており、そこに書いてある名は「暮井」と読める。
 雲に覆われた空に、突然雷鳴が轟いた。暮井は一度、空を見上げると、ポケットから
鍵を取り出し、フェンスの南京錠を外し中に入った。鍵を掛けなおし、校舎の方に向か
う。「アルゴンキン・ハイスクール」は、今だ未完成である。建設が途中まで進んだ所
で戦争が始まり、中途半端なままで工事がストップしてしまった。外壁周辺には今だに
足場が組まれ、あちらこちらに幌が垂れ下がっている。工事が進めば自動ドアが設置さ
れるはずだった入り口をくぐり抜け、中に入る。剥きだしのコンクリートの壁、無数の
柱、何の配線かもわからない赤や緑のチューブ、それ以外は何もないただの無味乾燥と
した空間がそこにある。
 暮井はその玄関ロビーであるはずの空間を横切り、その一角に設けられたブースに向
かった。壁面の幾つものブラウン管に、監視カメラのものであろう外部の画像が映し出
されている。それらを管理するパソコンのキーボードと計器類。ここはいわば学校の管
理のための、警備用の設備である。
 手に持っていた箱を計器の側の机に置いて、暮井が一息ついた時、突然、背中に何か
固いものが押し付けられた。続いて、散弾を銃身に送り込む耳慣れた音がし、それがシ
ョットガンだとわかる。
「……どうするつもりだ」
「その、くそったれの箱を開けてもらおうか」
 低い男の声だ。暮井は言われるままに箱に手を掛けた。
「ゆっくりだ」
 言葉通りにそっと、平べったい蓋を外す。チーズの匂いと共に、少し冷めたピザが姿
を見せる。
「くそっ、マッシュルームだ」
 背後の男は暮井の肩をつかんで振り向かせ、顔に銃口を突きつけた。
「嫌いだと、言ったろうが!」
 憎々しげな表情で怒鳴りつける。が、暮井が黙っていると、片目をつぶって見せ、す
ぐに笑いだした。
「ンヒヒヒヒヒ、ヒャアッハッハッハッハ」
 笑いながら暮井を押し退け、ショットガンを放り出してピザをのぞき込む。
「全部見つけ出して、始末してやる」
 手袋をはめたままの手を、ピザに突っ込んでマッシュルームをつまみだし、コンクリ
ートの床の上に捨て始めた。
「冗談じゃないぞ」
「ヒャハハハハ」
 暮井が呟くのを聞いて、また笑った。聞く者を不快にさせる、少し甲高い声だ。
 三十代後半ぐらいの、長身の男。青いジャージの上下、青い運動靴、福岡ダイエーホ
ークスのマークの付いた黒の帽子、胸元の名札には、「小原」と書いてある。手入れを
していない長髪と、口髭、彫りの深い痩せた顔と、陰険そうな目つきの男である。
「ビールをやる。機嫌を直せよ、先生」
 一缶を暮井に向かって放ると、悪びれる様子もなく、小原はまだ開けていない缶ビー
ルを振ってみせた。
「宿直なんざ、二日で飽きちまう」
 缶を開けると泡が勢い良くこぼれ、床に捨てられたマッシュルームに降りかかる。
「退屈な夜だ」
 こぼれて缶のまわりに付いた泡をなめ取ると、一気に喉に流し込んだ。一つげっぷを
して、
「刺激がほしくなるだろ?」
「お前と一緒にするな」
 せっかく買ってきたピザだったが、暮井は完全に食欲を失っていた。腹立たしげにビ
ールを突っ返すと、さっさと背を向けて歩き去ってしまった。
「そうかい」
 一人取り残された小原は、暮井の消えた方向、校舎の奥の方に向かって肩をすくめて
みせた。もう一缶、ビールを開ける。
「乾杯」
 雷雲に覆われた空と、時折きらめく稲光に照らされる校舎を見上げる者がいた。地元
では略して「アル高」と呼ばれる学校の制服を着た、長身の青年。学校指定のバッグで
はない大きな鞄を肩に掛けている。長めの髪、特に垂らした前髪は校則違反だろう。履
いている黒のスニーカーも、むろん禁止である。
頭髪の決まり
(男子)
 1.短髪が望ましいが、長髪でもよい。ただし長髪の場合は、
  == 前髪は眉にかからないようにする。うしろは下を刈り上げて制服の襟にかから
    ないようにする。

1.学校指定の白のスニーカーを着用する事。
 少し前の時代、これらの校則に違反したらどうだっただろう。おそらく校門前の教師
にまずチェックを受ける。その結果、減点1を付けられて明日は「ちゃんとした服装」
で来るように言われるか、学校に入る事を許されずに、帰宅して「ちゃんとした服装」
にしてから来るように言われるか、まあそのどちらかであっただろう。
 だが、この時代においては……。しかし、青年はそんな事は考えなかった。頭を巡ら
せて辺りの様子を窺うと、ゆっくりと校舎の周囲、鋼鉄のフェンスの周りを一周する。
一回りして、最初にいた場所、ちょうど校舎の側面に戻ってきた時、制服の胸ポケット
からリモコンのような物を取り出し、左右に作動している正面の監視カメラに向かって
スイッチを押した。
「おい、あれは何だ」
 警備ブースに戻って来た暮井は、壁のモニターの一つを指し示した。他のモニターは
カメラから送られてくる校舎周辺、あるいはビル内部の映像を映し出しているのに、一
台だけが停止している。
「家のテレビは大丈夫かな。日ハム×ダイエー戦を録画しているんだが」
 ビールを飲みながら、目の前に広げた週刊誌を眺め、さらに右手に鉄アレイを持って
上下運動を繰り返している小原は、はなからそんなものは気にしていなかった。
「放っておく気か?」
 暮井は計器の上に広げられた週刊誌を押し退けると、幾度もスイッチを叩いた。
 カメラが動きを止めると、青年は今度はペンチを取りだした。金網の何ヶ所かをねじ
切り、人一人が通れるくらいの隙間を作ると、鞄を持ったままもぐり込む。鉄柵をくぐ
り、カメラの死角になっている校舎周辺の足場に向かって走った。たどり着いた所で再
び、カメラに向けてリモコンのスイッチを押す。カメラは再び作動し始めた
 暮井がスイッチを押していると、不意に映像が戻った。先ほどまでと同じ、校舎の周
りが映っている。
「ビンゴ! 直ったぜ」
 何もしていない小原が、ビールを飲みながら言う。これで録画も大丈夫だとでも言わ
んばかりだ。
「見てくる」
 一雨来そうな空模様だったので、暮井は学校の備品のレインコートを被ると、さっさ
と歩きだした。
「おい、待て。俺が嫌いならそう言え」
 つっけんどんな態度を示す同僚に腹を立てたか、小原が呼び止めようとする。
「嫌いだ」
 しかし、暮井は足を止めない。
「それなら、俺が教頭に言って、お前を宿直から外してやる。虫が好かねえ!」
 暮井は取り合わずに、出ていってしまった。小原は一瞬、憎々しげに頬を歪めたが、
すぐにまた笑いだした。
「ご苦労だな、熱血先生」
 またビールを開ける。もうすでに酔っているようだ。
 正常に作動している監視カメラの周囲を、暮井は懐中電灯を持って歩き回ったが、特
に異常を発見する事は出来なかった。だが、もう少し勘が鋭ければ、校舎外壁に組まれ
た足場の側を通った時、背後の幌の向こう側に、雷光によって浮かび上がった、制服を
着た青年の姿を捉える事が出来たかも知れない。もっとも、気付いたところで、青年の
抜いたナイフに倒されるのが落ちだっただろう。
 暮井が外に出て、幾度目かの雷鳴を聞いた時、不意に大粒の雨が振りだした。フード
を頭に被せ、暮井は校舎の中に戻ろうとした。
 その時、入り口付近で、鉄柵を叩く音がした。振り返った暮井は、一瞬、錯覚を起こ
したかと思った。間もなく深夜だというのに、傘をさした人影が、暗闇の中に白々と立
っていたからだ。
 明かりを向けて近づくと、それはこの学園の女生徒だった。しかし、この時間は登校
時間ではない。鉄柵を挟んで光が目に入ったか、その女生徒は顔を背けながら言った。
「暮井先生……でしたか? 国語科の」
「そうだ。君は?」
 ざっと、その女生徒の頭のてっぺんから爪先までを見て、校則違反が無いかどうか確
かめてから、暮井は頷き、尋ね返した。靴は学校指定、靴下は白、ストッキング無し、
スカート丈は膝より5==上、白のシャツに灰色のブレザー、ネクタイ、学校名の入った
ワッペン、首の後ろで一つに束ねた髪、学校指定のサブバッグ、特に問題はない。
「一年D組の甍草といいます」
 そう言って、女生徒は生徒証を差し出した。
「学園祭の準備に来ました。担当の渡辺先生の許可を得ています」
 この学校に暮井は十日程前に転勤してきたところだった。数百人いる生徒の顔を一人
一人覚えてはいないし、おまけにまだ一つの授業も受け持っていない。転勤してきて以
来、彼がやっているのは事務処理や宿直のような仕事ばかりだった。
 だが、集会の時に転任の挨拶はしたので、この少女が暮井の顔を覚えていても不思議
はない。
 暮井は無線機を取り出すと、警備ブースに向けて呼びかけた。
「小原」
 しかし、応答が無い。
「いるんだろ、小原!」
 小さなガラス板の上にまぶした白い粉、もといコカインを吸っていた小原は、何度目
かの呼びかけに、ようやく応答した。学校の正面入り口が映ったモニターを見上げる。
「ああ、何だ?」
「学園祭の準備に来たという生徒が来てる。照会しろ、一年D組の甍草だ」
 手元のコンピュータを叩いて、小原は生徒名簿を画面に呼びだした。
 一年D組
  == 甍草裕美枝  
     年齢     十六歳
     編入試験成績 (B)60、52、55、53、57
     入学金 納入済み
     資産調査 問題無し
     家族構成 両親
     編入時期   '08年九月一日
 今日が九月十五日だから、二週間前に転入してきた生徒という事になる。そのためか、
個人情報の項目が異様に少ない。他の生徒なら、身長、体重、中学、家族の思想、過去
の賞罰、両親の勤務先、戦時中に通っていた学校など、ありとあらゆる個人情報が登録
されている。その項目はおよそ七十。それが、この生徒は六項目しかない。だが、とり
あえずこの学園の生徒である事については、間違いない。
「確かに在籍してる。クラスの準備か、部活動か?」
 無線機に答えると、モニターの中で暮井と女生徒が話している。小原はその間に画像
を拡大した。少女の顔のアップが映る。落ち着いた知的な感じの横顔と、白い首筋。小
原は嘗めるようにカメラを上下させた。
「情報処理技術部だそうだ。渡辺の許可証を持ってる」
 個人情報に部活動の項目は無かったが、入部したのがここ数日ならば、まだ登録され
ていないだけかも知れない。しかし、顧問の渡辺からは、許可云々といった連絡は受け
ていない。
「学園祭だって? 遅くにご苦労だな」
 わざと大きな声で応答したのが聞こえたか、画面の向こうの少女が暮井から無線機を
受け取った。
「展示用のプログラム作成が遅れてるんです。許可が出てませんか?」
「さあな。忘れたのかもしれん」
 少し小原は考えたが、これは彼流に言うところの「刺激」だった。
「よし、通っていいぞ。別に長居はしないだろう」
 暮井がうるさい事を言っても、黙らせればいい。この学園のやり方を、新米教師にも
転校生にもわからせておく必要がある。画面の中の二人が校舎の方向に消えるのを見て、
小原はほくそえんだ。
 警備ブースに二人が近寄って来た所で、小原は立ち上がった。
「数学科の小原だ。俺が案内する」
 一瞬、疑わしそうな目を向けたが、暮井は何も言わなかった。女生徒の方は軽く会釈
する。
 小原がビルの奥を指さすと、女生徒はそちらに向かって歩きだした。小原もそれに並
ぶようにして歩く。その先に、元々は作業用に使われていた、教員専用のエレベーター
がある。
「情報処理技術部はペントハウスだったな。何であんなややこしい所に、コンピュータ
ーが置いてあるのか、俺にも解らない。ここに来て三年にもなるが、まだ行ってない教
室があるくらいだ」
 どうでもいいことを喋りながら、小原は少女の横顔から身体の線、スカートから伸び
た脚に視線を這わせる。
「外から観てもよくわからんしな。近所の奴らは何て呼んでたかな。確か、テクノ……」
「Techno shit?」
「……多分、そうだったろう。ぴったりだ」
 エレベーターは、ビルの中心にシャフトは通っているが、それ自体は仮組みされた作
業用のもので、上下動や停止などの操作も全て一本のレバーで行う。手動の扉と天井、
壁は金網状になっており、無機質なシャフト内が丸見えである。
 乗り込んでレバーを上げると、エレベーターはゆっくりと上階に向かって動きだした。
「こんな時期に転校ってのも珍しいな。どこだってそうだろうが、最近は学生数もガタ
減りなんでな」
「信用が無いんじゃないですか?」
 ずっと目を伏せがちだった女生徒が、この時初めて顔を上げた。多少気の強そうな感
じの眉の下の瞳が、いたずらっぽく輝く。
「信用が無いのは悲しいな」
 小原は、この視線を媚びだとた受け取った。この学校の生徒なら誰でもそうだ。全て
の生徒は教師である彼に盲従し、恐れと媚びに満ちた視線を向ける。
「特に、可愛い女生徒には信用されたい」
 そう言いながら、エレベーターを階と階の間で止める。
 言葉とは裏腹に、彼は信用など求めていない。彼が頭で求めているのは服従である。
小原の見立てでは、この女生徒はまだ完全にこの学校に対して心服してはいない。生意
気さを残している。担任の教師の指導が不十分だったのだろう。代わりに自分が指導せ
ねばならない。転校生に対する指導がぬるいというのは、会議にかけなければならない
だろう。
 だが、この理屈も大した理由ではない。彼自身はあまり意識していないがここで求め
ているのは、単なる肉欲の充足である。
「来て……」
 全て分かっていると言わんばかりに、女生徒は小原をさし招いた。小原は笑みを浮か
べて歩み寄り、なれなれしげに少女の腰に手を回し、首筋に顔を近づけようとした。
「……TFBよ」
「……何だって?」
 徐々に興奮しつつあった小原は、何気なく聞き返した。
「Too fucking bad……。 この臭い手をさっさと放しなよ」
「こ、この……!」
 突然の侮蔑に小原は頭が真っ白になった。このクソアマなめんじゃねえガキのくせに
オレは教師だぞ教師にむかってそんなクチをたたくとどうなるかおもいしらせてやる教
師教師教師先生教師……。
 が、侮蔑の言葉で萎えた欲情に続いて、この激情も次の瞬間に股間に押し付けられた
物によって萎えてしまった。おそるおそる下を見おろすと、マグナムの黒光りする銃身
がある。
「5秒以内よ」
「ぐっ」
「4」
「撃てっこねえ」
 小原は強がったが、女生徒は薄笑いを浮かべた。
「ちんけな標的だけど、近いから当たるわよ」
 続いて3を数える。小原の虚勢もそこまでだった。歯ぎしりしながら手を放し、二三
歩後ろに下がる。拳銃を構えたまま女生徒は回り込み、レバーに手を掛ける。
「手を挙げたまま、壁際に下がって。自分で動かすから」
 再び上昇が始まる。
「たまげた転校生だな。マグナムまで持ってやがるとは」
「ケダモノが多いのよ」
「戦争はもう終わったぜ」
「どうかしらね」
 完全に主導権を握られた小原だったが、こんな事は全く予想していなかった。「スク
ール・ウォーズ」終結以降、こんな反抗的な生徒とは久しく接していなかったせいもあ
るがアルゴンキン・ハイスクールの管理は完全だと思っていたのが、覆されてしまった。
転入のさいの調査が不完全だったに違いない。会議にかけねば……。
 屈辱感の中にいる内に、エレベーターは最上階についた。女生徒は依然銃を構えたま
ま、扉を引き開けて通路に歩み出る。
「ご苦労様。鍵を渡してもらえる?」
 小原がペントハウスの鍵を床に放ると、女生徒は銃で下を指し示した。
「さよなら」
「また会えるさ」
 もう一度強がった小原だが、エレベーターが下に向かって動きだし、少女の姿が見え
なくなると、床を蹴りつけ、
「くそっ!」
 地団太踏んでくやしがった。
 警備ブースに戻ってきた小原は、まだくやしがっていた。くそっ、だの、畜生、など
と唸りながら歩き回り、八つ当たり気味に壁やロッカーを蹴りつける。
「荒れてるな」
「黙ってろ。無口でいたほうがいいぞ」
 椅子に座って冷ややかに笑う暮井に、小原は怒鳴った。
「あの女に銃を突きつけられた。くそ、どんな指導をしてるんだ。誰だ、担任は!」
「ほう、銃をね」
「学校の中に、マグナムなんか持ち込みやがって。いったい、何を撃つつもりなんだ!」
 大声を張り上げる小原に、暮井は、そんなもの決まっている、と言わんばかりに即答
した。
「ケダモノを撃つのさ」
「同じ事を言うんじゃねえ!」
 憤懣やるかたなし、といった風情でなおも歩き回る小原に、暮井はもう取り合わなか
った。側に置いてある電話の受話器を取りあげる。
「おい、何をやってる」
「警察に連絡して、銃の記録を照合してもらう」
 「スクール・ウォーズ」以来、日本にも大量の銃器が出回るようになり、民間レベル
での銃の所持も、許可さえ取れば可能になっていた。そういった許可の記録は警察が管
理している。問い合わせれば、不法所持かどうかがわかるし、個人情報も手に入る。
 が、小原は暮井の手から受話器をひったくると、たたきつけるように電話機に戻した。
「いいか、新入り。よく覚えとけ。サツなんざ必要ない。この学校じゃ、俺達がサツだ。
いいな!」
 暮井は肩をすくめ、それに従った。歯をむいて詰めよる小原から目を反らし、先ほど
の女生徒がいるはずの、上階の方を見上げた。
 最上階に建てられたペントハウスには、校舎内から直接、通路がつながっている。通
路は、作りかけの階下よりかなりすっきりしており、複雑でもない。屋上の方に上がる
階段とトイレ、エレベーターの動力部がある以外は、全てのスペースがペントハウスに
なっている。
 通路を通り抜け、正面にある摺り硝子の入った両開きの戸を開けると、ペントハウス
内に出る。少女は背後を確認すると、戸を閉め再び鍵を掛けた。
 この階の他の部分は違ったが、このペントハウス内もまた、複雑怪奇な構造である。
フロア二つ分の高さがあり、奥行きも教室二つ分程あるだろう。扉の正面、ちょうど校
舎の正門側は一面の窓ガラスになっており、三m弱の高さから、コンクリートのテラス
が内側に向かって張り出している。天井も、真ん中はガラス張り。床も工事中らしく、
半分ほどはコンクリートだが、残りの半分は金網で仮組みされていて、その下の通気孔
や配線が見えている。所々その金網が外れており、作業をする時はそこから潜り込むの
だろう。隅には古いピアノや姿見、そして配線済みのパソコンが三台置かれている。こ
の部屋は、今現在何に使っているのか解らないし、この先、完成することがあるとして、
その時はどういう形になるのか、また何に使うのか、さっぱり解らない。
 情報処理技術部であるはずなのに、女生徒はパソコンには目もくれず、一度周囲を見
回した後、テラスの方に向かって歩きだした。
 その時、気配を感じる間もなく、背後から男の手が伸びてきて彼女の口を塞いだ。続
いて喉元にナイフが突きつけられ、行動を封じられる。
「赤」
 背後の男が耳元で囁く。同時に口を覆っていた手がずらされる。女生徒は正面を見た
まま、
「2の5」
 と、答えた。
ナイフが引っ込められ、少女は身体の向きを変えられ、近くの柱に背を押し付けられ
た。正面に立ち彼女の顔をのぞき込んできた、男と目が合う。「アル高」の制服を着た
二十歳頃の青年。無造作に伸ばした前髪の下の顔からは、何の表情も読み取れない。が、
少女はこの男を知っていた。彼女は驚愕の面もちで囁いた。
「……あなた……だったの……」
 青年は女生徒……もとい、組織の"監視者"に向けて、薄く笑って見せた。彼女を壁に
押し付けたまま、片手で自らのネクタイをほどく。そこにいるのは、アルゴンキン・ハ
イスクールの男子生徒などではなく、同じく組織の"狙撃者"だった。
続きへ。