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 床にうつ伏せで眠っている少女の、裸の背のなだらかな曲線を目で追いながら、青年
は取り留めもなく思考を巡らしていた。前回の任務の事、今日あった事、かつての戦争
の事、そして、明朝起きるであろう事。
 明日の作戦の事は、全て解っていた。だが、どうするか決めかねていた所もあった。
迷っていた。自分を殺すかもしれない少女を助けた。
 彼に身を委ねて横たわる少女は、なぜ組織に入ったのだろうか。聞く時間はもうない。
だが、青年はそれを知りたいと思った。なぜ組織に入り、何のためにここにいるのか、
明日は自分を殺すのか……。
 立ち上がると、青年は一度は脱いだアルゴンキン・ハイスクールの制服を、全て身に
つけた。
「これを着るのも最後だ」
 一度、自分に言い聞かせるように呟く。何もかも、明日終わる。それだけは解ってい
た。後は、どういった形で幕が引かれるかだ。
戸口の方で、水音がした。見ると、両開きの扉の隙間から、水が室内に流れ込んで来
ていた。
 ペントハウスを出ると、廊下は大量の水で溢れ返っていた。流れる水が、非常階段の
方にも落ちていく。流れの出所は、トイレだった。
 一応、銃を構えると、"狙撃者"はトイレの戸を開けた。開け放された個室の一つから、
水音がする。覗くと、そこに手錠でつながれていたはずの小原は消えていた。陶製の洋
式便器とともに。手錠が外れないので、水道から便器を外して逃れたのだろう。
 便器を担いで階段を降りているであろう教師の姿を想像し、青年は含み笑いをもらし
た。屋上のタンクが空になれば、自然と水は止まるだろう。"狙撃者"は銃をしまい、ペ
ントハウスに引き返そうとした。
 と、青年は足元に何か落ちているのに気付いた。それは、一発の弾がめりこんだ防弾
チョッキだった。青年は、ここであった事を思い返した。着ていたのは教師だろう。と
すると、撃ったのは……。が、青年は考えるのをやめた。どうせ、もう心は決まってい
た。
 トイレを出ると、"狙撃者"はエレベーターシャフトを覗いた。エレベーターは少し下
の階で止まっている。制服のポケットから、青年は小型のスピーカーのようなものを取
り出した。シャフト内の壁に取り付ける。
 ペントハウスに戻ると、少女はすでに目を覚まし、衣服を着ている最中だった。
「逃げてた?」
 テラスの上の"監視者"を見上げて、青年は肩をすくめた。
「重いだろうな」
 同じ事を想像したのだろう、少女は声をたてて笑った。ややあって、少女は尋ねた。
「これから、どうするの?」
「任務を続けるだけだ」
 意識はしなかったが、青年の声は自然と冷たさを帯びていた。それが伝わったのだろ
う。少女は顔を強ばらせた。
「……お互いにな」
 青年は続けると、テラスに上がり、窓際に据え付けられたライフルの側に座った。
「それで……」
 少女は何か言いかけた。だが、結局は口をつぐんだ。それ以上、二人は言葉を交わさ
なかった。
 所在無げに警備ブースの近く、ロビーに立っていた暮井は、大きな物音のする非常階
段の方を見た。何か、大きな物を引きずるような音をたてて、誰かがこちらに来る。
「ハア、ゼエ、ゼエ、くそっ!」
 現れたのは小原だった。ただの小原ではない。手錠でつながれた汚れた洋式便器とい
う、おまけのついた小原だ。
「クックックックック」
 近くの柱にもたれて含み笑いをもらす暮井に、息を切らしながら小原は怒鳴った。
「おい、手を、貸せ」
 便器をかついで最上階から降りてきたのだ。完全に疲労困憊といった体をなしている。
「まったく、拍手ものだな」
「うるせえ!」
「おまえの魅力が伝わらなかったか」
 何を言われても、もう小原には減らず口を叩く気力もない。顔は血塗れになって腫れ
上がり、顎を砕かれているので呂律もまわっていない。
「だが、安心しろ」
 暮井はさらに笑って言った。
「おまえにはその便器が、お似合いだ」
「や、やったのは、女じゃねえ」
 必死に力を振り絞り、小原は便器を持ち上げると警備ブースに入った。
「ほう……」
 暮井は、便器を机に乗せた小原の側をすり抜け、隅に置いてあるロッカーに向かった。
「男の、生徒が、いた。とんでもねえ野郎だ」
「何者だ? そいつは」
「わ、わからねえ。あ、あいつが来る」
 小原は電話の受話器に手をのばした。
「……どうする気だ?」
 背後の暮井の口調が、急に冷ややかなものに変わったのに、小原は気付かなかった。
「け、警察を呼ぶ」
「意気地の無い奴だな。俺達がここのサツなんじゃなかったのか?」
「うるせえ、悪かったな!」
 叫ぶと、小原は暮井の方を振り返った。そして、自分に真っ直ぐ突きつけられたショ
ットガンの銃口を見た。
 冷静に暮井が引き金を引くと、小原は至近距離から散弾をまともに受け、便器もろと
も吹き飛んだ。ブースの机を飛び越え、ロビーまですっ飛ばされる。床に叩きつけられ
た便器が割れて砕ける。
「……な……ぜえ……」
 泡混じりの血液と共に、小原の口から苦鳴とも何ともつかないあえぎがもれ出た。
 暮井はその顔に銃口を突きつけると、銃身に第二弾を送り込んで呟いた。
「便所にいれば良かったな」
 第一射の胸部に続いて、第二射は確実に顔面を打ち砕き、小原という一個の教師の息
の根を、完全に止めた。
 銃を下ろすと、暮井は耳につけていたレシーバーを、口元に引き寄せて言った。いつ
もの冷徹な声音で……。
「"管理者"「0」より、全員へ」
 天井の向こう、校舎の上の方を一瞥する。
「いよいよだ」
続きへ。