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散乱した瓦礫、朽ちた建物、人々の叫び声、絶え間無く轟く爆音、その全てが夕闇の
中に呑まれようとしていた。
 何年も続いた戦乱によって、もはやこの街は全ての機能を失っていた。ただ、傷つい
た人々が細々と暮らしているだけだった。
 しかし、教師と学生はお互いに血を求め、この街で争い続けた。彼らにはもはや宿る
べき学校は無かった。だが、もはやそんな事には意味がないのだろう。ただ相手を、教
師を、生徒を、殺す事だけを考えている。たとえ関係の無い、とうの昔に学校など卒業
した者、あるいは学校に行かない者を巻き込んだとしても、敵を殺せればそれでいいの
だ。
 正午前から始まった戦闘は、日没が訪れても終焉を見なかった。間近に迫った第二地
点に、脱出のために向かっていた"狙撃者"と"監視者"は、この戦闘のまっただ中に飛び
込むはめになった。
 流れ弾を喰らって、タイヤが音をたててパンクした。
「くそっ」
 車を運転していた"狙撃者"は、ハンドルを離すと後部座席に置いてあった荷物をひっ
つかんだ。"監視者"も慌ててそれにならう。が、車のドアを開けた瞬間、流れ弾がその
ドアで弾けた。
「飛び出せ、すぐに走れ!」
 思わず身をすくめた"監視者"にそう叫ぶと、"狙撃者"は石ころだらけの道路に飛び出
した。助手席から這い出た"監視者"を助け起こすと、彼女の手を引いて駆け出す。走る
二人の周囲を銃弾が飛び交い、手榴弾が頭の上を飛んでいく。背後で起こった爆風が背
をあおった。
 転がっていた学生の死体を飛び越え、隊を整えようとしている教師の間をすり抜け、
人のいない路地に駆け込む。複雑につながり入り組んだ、建物の隙間をくぐり抜け、奥
まった場所に二人は逃げ込んだ。
 物陰に身を潜め、"監視者"は荷物を地面に落とした。息が大きく乱れている。"狙撃者"
は銃を抜くと、背後、今来た方向の様子を窺った。誰かが追ってくる様子はない。
「第二地点は、まだ?」
 切れ切れだった呼吸をようやく整え、"監視者"は"狙撃者"に尋ねた。
「もう少しある……な」
 曲がり角の向こうを覗きながら、"狙撃者"は答えた。
「もう駄目」
 少女はやけになったように、地面に座り込んだ。
「逃げ切れっこないよ。二人とも死ぬわ」
 だが、青年は首を振って、少女の側に膝を突いた。
「心配するな。逃げきれる」
 反論しようとした少女は、青年の顔に浮かんだ笑みを見て、口をつぐんだ。それは、
今までに見た冷たい笑いではなかった。
「こんな所で、死にたくないだろう。……君も」
 青年の手が伸び、少女の肩を優しく抱いた。
「……うん」
 "監視者"が素直にうなずくのを見て、"狙撃者"は立ち上がった。 
「ここを動くなよ。この先の様子を見てくる」 もう一度、今度は不安気に少女はうな
ずいた。青年はもう一度微笑むと、
「すぐに戻るよ」
 そう言って走りだした。
 来た方向とは反対の方角へ、路地を抜けていくと、すぐに広い通りにでた。そこでは、
戦闘はなかった。同じように建物は崩れ、破壊の爪痕は残されていたが、殺し合ってい
る者はいなかった。いるのは、ただ傷ついた者と死んだ者だけだった。
 市街地での戦闘に巻き込まれたのであろう民間人が、そこには集まっていた。まだ学
校にいくような年ではない幼い子供の、手を引いた母親。学校など、とうの昔に卒業し
た老人。生きている者も死んでいる者もそこに集まっていた。死者は歩道に並べられ、
生存者がその周りを取り囲んでいた。今さら泣いている者はいなかった。この戦いはず
っと続いていた。何年も、何年も。誰もが、人の死に慣れっこになっていた。
 通りに現れた青年に、人々の視線が集まった。そう、もうここにいる者にとっては生
きた人間のほうが珍しいのだ。この街にいるのは、死者と、じきに死ぬであろう者と、
無意味に殺し合いを続けているもう人間とも呼べない者ばかりだった。
 誰かがナイフを振りかざして始めた教師への復讐は、持ち物検査から始まる新たな弾
圧を生み、教育そのものを崩壊させ、わずかな選択肢を押し付けられた多くの人間の未
来を奪った。
 たとえ誰であろうと、殺し合う事は無意味だった。「スクール・ウォーズ」は学校が
振るい続けた権力が、抑圧された時代の膿を吐き出させた結果だった。そこには意味が
あったかもしれない。だが、少なくともここにいる一人の青年にとっては、もう意味を
為す存在ではなかった。後悔の対象でしかなかった。狂った時代に生まれても、何百人
もの人を殺した事は、重すぎる事実だった。
 ならば、これ以上、時代に流される事はすまい。いつか"狙撃者"はそう思うようにな
った。時代が、歴史が、状況が、大義がどうあろうと、惑わされず流されずに、一人の
人間として自分の信じた道を歩く。そこには大きな責任も伴うが、一人一人がそうやっ
て生きていけば、それを一人一人が子供達に伝えて行けば、無駄な血が流される事も無
くなるだろう。そう考えるようになった。
 ふと、頭に浮かんだ少女の顔が、青年を現実に引き戻した。周囲に敵はいなかった。
今なら苦もなく脱出する事が出来るだろう。
 "狙撃者"は人々の視線を背に受けながら、もと来た道を引き返した。
「……応答願います、「0」! こちらイーグル2、応答願います!」
 戻った先で、声が聞こえた。第一地点で捨てたはずの無線機に"監視者"は呼びかけて
いた。
「私だ」
「現在、第二地点の手前です。救援を……」
「彼を殺したか?」
 無線機からは、相変わらず冷徹な「0」の声が聞こえていた。"監視者"は"狙撃者"が
戻って来た事に、気付いていなかった。
「戦場にいるんです。敵の真っ直中なんですよ、とても……」
「命令だ。イーグル1を殺せ」
「彼は、私を……」
「やるんだ。組織では命令の不履行は、死によって償わなければならない」
「そんなの、勝手よ……」
 そこまで言って、"監視者"は"狙撃者"が側に立っている事に気付いた。
 青年は何も言わなかった。裏切られたとは思わなかった。ただ、無線機から聞こえる
声だけが、耳に届いていた。
「命令だ、イーグル2。イーグル1を殺せ」
 殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ。
"狙撃者"は彼を見上げる少女から、顔を背けた。自分が、捨てられた子犬のような顔
をしているような気がしたからだ。
 何か言いかけた少女に背を向けると、青年は一人で歩きだした。振り返りはしなかっ
た。やがて、彼は走りだした。
続きへ。