学園狙撃者
 荒椋とし果てしなく広がる大地を、男が走っていた。ジャージの上下を着込んだ、角
刈り頭の体格のいい男。だが、普段は強面で威勢が良いであろうその男の顔は、今は恐
怖に引き歪んでいた。汗みどろになりながらも、何もない地平線に向かってひた走る。
時折後ろを振り返りながら、なおも走り続ける。乾いた風が男の身を切り、砂が足元に
絡みついた。
 ……どれだけの距離を走っただろう。道無き荒れ地を抜け、男は湿地に入り込んだ。
一度、泥に足を取られて地面に倒れ込む。だが、男は息を切らし、喘ぎながらも立ち上
がった。もはや振り返ろうとはせず、ただ背後から迫る存在に恐怖し、走り出す。
 やがて、男の胸元が弾けた。男は衝撃に一瞬身を震わせ、やがて静かに倒れ込んだ。
 なぜ、今になってこんな夢を見たのか、青年にはわからなかった。数限りない戦地を
くぐり抜けて来た中では、さして珍しくもないはずの1シーンだった。夢に見るような
印象に残る出来事が、この時あっただろうか。
 陽光の射し込む、自分が仮住まいにしているマンションの一室、家具らしきものはダ
ブルサイズのベッドと、小さなラジカセと時計、それと携帯電話が無造作に放り出して
ある小さな棚、ただそれだけである。広さが十畳ほどもある部屋にそれだけの物しかな
いので、殺風景な感じは否めない。その部屋のベッドの上から、青年は半裸の身体を起
こした。昨晩から小さな音で音楽がかかりっぱなしのラジカセを止め、フローリングの
床の上を歩き回る。何もない部屋だが、不都合は感じなかった。新しい任務の度に幾つ
もの家、幾つもの土地、幾つもの国を転々としてきていた。今度の任務が終わり次第、
また別の場所に行く事になる……。ふと、青年は考え直した。今回ばかりは、そうはな
らないかもしれないのだ。
 突然に鳴りだした携帯電話のベルで、青年は思考を中断された。かかって来た内容は
出ずともわかっていた。今回の標的を指示し、作戦開始を促す指令である。
 青年は、鳴り続ける呼び出し音を無視して、部屋の窓際に歩み寄った。鍛え上げられ、
隆々とした筋肉が、陽光に照らし出される。すでに任務を遂行する場所と日時は知らさ
れていた。今夜そこに向かい「監視者」と合流し、標的を殺す。「狙撃者」として……。
 ベルはまだ鳴り続けていた。だが、彼はそれを無視し続け、再び自らの回想の中に没
入していった。
続きへ。