第二章  瘤起

     1

 数十m先まで続いているはずの廊下は、今は漆黒の闇の中に没していた。
 二人の男女が、その闇の入り口で立ち尽くしていた。保健室という札の付いた部屋と
、その前の廊下は明かりがつき、その二人を照らし出していた。
 一人は、黒ずくめの格好をした長身の青年。年齢は二十歳そこそこだろうか。黒のス
ーツ上下と、その下のシャツも黒、どこか影のような印象を与える男だ。陰気そうな表
情と、やる気なさげにぶら下げられた腕。
「どういう事だ? 誰もいないのか?」
 いらだたしげな口調で、薄い唇から言葉が紡がれる。
青年のいる位置より、少し前に立っている女は、それに答えなかった。唇を噛み、眼
前の暗黒を凝視している。
青いパンツスーツを着た中背の女。歳は青年と同じくらいか、少し上に見える。青白
い肌をした生気の薄い女だ。痩せた身体、細い腕。だが、不思議と不健康そうな印象は
受けない。その瞳のせいだろう。かすかに目尻が下がった眼の中の瞳は、どこか危険な
光を放っている。
瞳と言えば、男の目も変わっている。彼らの目の前の空間は、照明が落とされ、午後
九時という時間も手伝って、少しの光も指していない。だが、青年はその暗闇の向こう
を見通しているように見える。彼の目の焦点は、明らかに闇の奥に合わさっている。そ
して、気のせいだろうか。時折彼の眼が、赤い光を放つような気がするのは……。
「職員室の手前も、防火扉が閉まってる。完全に復旧した訳じゃないのか」
先を見通そうと暗闇に目をこらしていた女の背後で、青年はあっさりと呟いた。
「見えるの!?」
 女が驚いて振り向くと、青年はしまった、という風な顔をして、ばつが悪げにうなず
く。 青年の名は荒光景。女の名は掛川多岐美。
かつて、「私立城之刻中学校」で同級生だった三十人ほどの生徒が、同窓会に招待さ
れた。不登校児だった荒光景の元にも、招待状は届いた。
青年は同窓会にやって来た。彼が不登校になった本当の原因を、自分と中学校の間に
見いだすために。彼はそれを見つけだした。
 そして、家に帰ろうとした矢先に、荒光は同窓生である掛川多岐美という女と共に、
誤作動を起こしたらしい防火扉によって、校舎内の一角に閉じ込められてしまったのだ

すぐに誰か、助けに来るだろうと思われたが、誰も現れなかった。三十分ほどしてよ
うやく、鋼鉄の扉は開いた。だが、人の気配はすでに校内から消えていた。
「もしかすると、置き去りってやつか?」
 セキュリティの故障なら、今頃、教師たちは泡を食って対応に追われているはずだろ
う。だが、校内は真っ暗。そんな様子がない。
 しかし、二人が閉じ込められたのは、同窓会が解散してすぐだった。防火シャッター
が閉まったのには当然誰かが気づいたはずだし、扉の向こうから声をかければ、人がい
るのもすぐわかる。やはり置き去りというのは考えられない。
 その時、不意に暗闇の向こうから光がさしてきた。すぐに、それが懐中電灯の光だと
わかる。
「おーい、誰かいるか?」
 光の向こうから、足音と共に、若い男の声が聞こえる。
 その声を聞いて、荒光はあからさまに嫌そうな顔をした。
「ここにいる」
 その表情のまま、不機嫌な声で返事をする。
 光が二人の方を向き、近づいて来た。懐中電灯の持ち主が走ってくる。
「いやーっ、申し訳ない。二人とも、大丈夫か?」
 闇をかき分け、ジャージの上下を着た背の高い男が現れた。歳は荒光と同じくらい。
スポーツ刈りの頭髪と日焼けした肌が、健康そうな印象を与える。二人の同窓生であり
、今年からこの学校の体育教師になっている、水島栄吉である。
「どういう事か、あちこちでシャッターが閉まってしまったんだ。俺も閉じ込められて
て、ようやく出て来れた」
さも申し訳なさそうな顔をして、水島は頭を下げる。
「……で、状況は? 外には出られる?」
 掛川が尋ねると、水島は首を振った。
「今から行って見ればわかるが、正面玄関もシャッターが下りてて、校舎から出られな
い。山野先生や水島先生が、今、校舎の外で復旧作業をしてるんだが、なかなかはかど
ってない。別の校舎にいた人には、もう家に帰ってもらったけど、この校舎の中に、も
う何人か閉じ込められてる。君らの他に六人ぐらいだ」
「修理の業者なんかは、来ないのか?」
 荒光の問いにも、水島は首を振った。
「連絡はしたらしいが、よその修理に出払っていて、すぐには来れないという話だ。申
し訳ないが、少し待っててもらいたい。一時間ぐらいで、多分正面のシャッターも開く
と思う。セキュリティの操作は本当は職員室で出来るんだが、そっちも閉まっていて、
中に入れない。外から電気系統をいじくってるから、どうしても時間がかかる」
 水島の答えに、荒光は舌打ちをした。一瞬、水島は眉を寄せたが、すぐに平静な顔に
戻る。
「とりあえず、上の階に行くからついて来てくれ。視聴覚室で指示を待つことになって
る。復旧したら、携帯から連絡が来るはずだ」
「やれやれ、また逆戻りか」
 荒光の言ったのは明らかに嫌みだったが、これも水島は、気にしない、といった顔を
した。
「帰れないのは俺たちも同じなんだ。申し訳ないが、もう少し我慢してくれ」
 水島は振り返ると、懐中電灯で先導して歩きだした。
「四階で、三人待っている。彼らと合流してから、視聴覚室に行こう」
 先を行く水島に続いて、荒光と掛川も歩きだす。
「三人っていうのは?」
「桜本くんに、吉井さん、それから南尾くんだ」
 指を折って、水島は掛川の問いに答える。すべて、同窓生の名だ。
「他に閉じ込められてるのは?」
「橋本くんに、向井くん、あと、鳥飼の姿が見えない。帰った人の中にはいなかったか
ら、まだ校内にいるはずだ」
 鳥飼という名だけを、水島は呼び捨てにした。
 廊下を抜けて、真っ暗な玄関ロビーに出る。校舎正面のガラス戸は閉まっており、ガ
ラスの向こうに鋼鉄のシャッターが見える。
「この通りだ」
 一瞥して、水島は肩をすくめる。荒光はさらに不機嫌そうになる。掛川の表情は変わ
らない。ロビーの左側にある階段を、足元を照らしながらゆっくりと上る。
 それにしても、夜の校舎というのは不気味だ。照明が無いからなおさらである。昼間

学生服の生徒がたくさんいて、色は地味だが生命感にあふれている。だが、今はそれは
全て消失している。生徒がいないだけで、こんなにも無機的な雰囲気になるのだから、
学校というのは不思議な構造をしている。建物に遊びと言うべき装飾が無いからだろう
。あくまで効率と機能を重視し、見かけの華美さを排した設計だからだ。
「水島くん?」
 足音を聞き付けたか、階段の上の方から女の声がした。
「ああ、大丈夫か? ちゃんと三人揃ってるか?」
「いるぞ」 
太い男の声が返ってくる。
水島に続いて、荒光と掛川が四階にたどり着く。四階の廊下も、一カ所だけ明かりが
ついており、そこに三人の男女が固まっていた。
 浅黒い肌をした痩せた男、桜本千春。仕事帰りのOLのような格好をした髪の長い女
、吉井真知子。Tシャツにジーンズ姿のラフな格好の男、南尾進。以上の三人である。

「どうだった? 水島くん」
「ああ、二人は見つけた」
水島の後ろから現れた荒光を見て、三人の表情は一斉に凍りついた。当然である。同
窓会の真っ最中に、荒光と水島は危うく大乱闘をやらかしかけたからだ。その二人がこ
うして、揃って校内に閉じ込められている。何かが起こるのを想像しない方がおかしい

「あと三人、いるはずなんだが、いったいどこにいるのか」
「まだ閉じ込められてるのか」
首をひねる水島に、南尾が尋ねる。
「ともかく、視聴覚室に移動しよう。あそこで待機だ」
 再び水島は、先頭に立って歩きだした。五人が後に続く。
「でも、先生がいると、やっぱり心強いよね」
 おぼつかない足取りで階段を上りながら、不意に明るい口調で、吉井が口を開く。先
生とは、むろん水島の事だ。世辞とも媚びとも取れるセリフに、後ろでつまずく様子も
なく、確かな歩みを見せていた荒光は顔をしかめた。
「おいおい、俺じゃ不安だったってのか?」
吉井の横を歩いていた南尾が、不満そうに言う。
「うん。やっぱり南尾くんじゃ、頼りないし」
 にべもなく彼女が言うと、水島は快活そうに笑った。
「やっぱりね、俺は教師として、学校に対して責任を背負ってるからな。そこらへんの
違いだろうな。やっぱり、責任を持つと人間は違うよ」
「水島君は、昔から責任感が強かったもんね」
「ああ。まして、今やプロだからね」
 本気か冗談か、いささか偉そうな水島の物言いに、後ろで聞いていた荒光はますます
不機嫌そうになる。その顔は、もう渋面と言っていい。今にも、
「ケッ!」
 とか言い出しそうで、彼の表情を見ている桜本は、かなり緊張している。
 校内は真っ暗だというのに、吉井は先ほどからさして不安そうな様子も見せず、よく
喋る。むしろ桜本や南尾の方が、多少気色悪げである。とは言え、みんなでいれば怖く
ないと言うように、六人も揃っている。さして緊張はしていない。
 五階だけは、フロア中に照明の明かりが灯っていた。最初に来た時にあった、階段口
の同窓会会場を指し示した張り紙は、すでにはがされている。
水島は懐中電灯の明かりを消すと、廊下を進む。すぐ後ろを吉井と南尾、その後を桜
本、荒光、掛川の順で続いている。
先ほどまで同窓会をしていた視聴覚室は、扉が開放されたままだった。中の電灯は消
えており、廊下の照明が部屋の入り口付近だけを照らしている。水島が先頭で中に入り
、吉井と南尾が続く。前の三人が奥まで行かず立ち止まったため、後の三人は中に入ら
ず、手前で止まる。
「そこの横の壁にスイッチがあるから、つけてくれ」
 入って二、三歩の所で立ち止まった水島は、振り返って室内の壁を指さした。すぐ後
ろにいた南尾が、指し示された方向に向かう。
「これかな」
扉の側にあった三つほどのスイッチを一度に押す。一、二度明滅した後、天井の蛍光
灯によって、室内は明るく照らし出された。
「キャーッ!」
「なっ!」
 甲高い悲鳴が周囲を引き裂いた。その最後に水島のうめき声がかぶる。振り返った南
尾も、
「うおっ!」
 うなり声をあげた。
「どうしたんだい?」
 入り口で立ち止まっていた桜本は、中に飛びこんだ。荒光と掛川も、立ちすくんで入
り口をふさいでいた吉井を押しのけ、中に踏み込む。そしてそこで、三人とも立ちすく
んでしまった。
 同窓会が終了した後、適当に並べられていたパイプ椅子や、料理は片付けられていた
。元から教室にあった机や椅子も今はどこかに移動していて、ここにはない。今、室内
にあるのは、先ほどまで料理が並べられていた羊羹状のテーブル一つだった。
 そのテーブルの上に、それは横たえられていた。大の字に手足を広げ、手首はテーブ
ルの端からはみ出している。坊主刈りの頭が同じように端からはみ出しており、首が不
自然に曲がって、白目を剥いた顔が、逆さにぶら下がって入り口を睨んでいる。
「む、向井……!?」
 南尾が、どもりながらも声を絞り出した。
「な、なんて、事だ」
 水島も喘ぐ。
かつて、向井崇(むかいたかし)と呼ばれていた荒光たちの同窓生は、同窓会の会場
で物言わぬ死体となって、彼らを出迎えていた。

「キャーッ!」
 再び吉井の喉から、悲鳴が上がる。
「キャーッ、キャーッ、キャーッ、ヒーッ!
六度目の絶叫は、かすれて声にならなかった。
「見るんじゃない!」
 少し遅かったが、水島はそう叫ぶと吉井を抱き寄せ、彼女の顔を自分の胸元に押し付
けた。それを見て、荒光は死体から目を離し、隣に立っている掛川を見やった。
 掛川は、悲鳴は上げなかった。代わりに目を見開き、食い入るように死体を見つめて
いる。
「そ、そんな、む、向井くんが死、死んでる!」
 いまさら桜本が言わなくとも、見ればわかった。向井崇は死んでいた。少し離れてい
ても、首の骨が折れているのがわかる。
「う、うそだろ?」
 南尾は、それでも半信半疑の面持ちで、歩み出た。一歩一歩ゆっくりと、テーブルに
横たわっている男に近づく。焦点の合っていない白目と、南尾の視線が合う。
「ひっ」
 目を反らし、南尾は立ち止まった。足がすくんでしまったらしい。それを追い抜いて
、掛川が死体に歩み寄った。
「お、おい!」
 恐怖に泣きじゃくる吉井を抱いたまま、水島が声をかけて止めようとしたが、掛川は
構わずに死体の手首をつかんだ。無言で首を振る。
「やっぱり、死んでるのか」
 荒光も怖々近づく。掛川は側に来た荒光を一瞥すると、死体に目を戻し、顎をしゃく
った。
「さわって見て。まだ温かい」
「い……」
荒光が躊躇していると、掛川は冷静な声で、独白するように続けた。
「たぶん、三十分も経ってない。私たちが閉じ込められてた間に、死んでる」
「おい、触るな!」
水島が怒鳴る。だが、掛川はそれを無視し、テーブルの周囲を一回りした。
「首の骨が折れてる」
背後で、桜本が呟いた。どうも見ればわかることしか、言えなくなっているらしい。
掛川はそれに対してうなずき、そして首を振った。死体の、首と同じように不自然に曲
がった、手足を指さす。
「首だけじゃない。両手、それに両足も折られてる」
「折られてっ、て事は……」
 荒光は、思わず唾液を飲み込んだ。
「殺されてる」
「ッヒイィィィィィィィィーッ!」
殺されている、という掛川の言葉を聞いた時、かすれた喉を振り絞って、再び吉井は
悲鳴を上げた。
「やめないか! 彼女が怖がってる!」
 怒気もあらわに、水島が怒鳴る。その一方で、彼は吉井をさらに強く抱き締めた。
 だが、掛川はそんな二人を完全に無視して、死体の側で腕組みをした。
「どういう事?」
「何が?」
独りごちた彼女に、荒光が尋ねる。
「そ、そうだ。おかしい」
急に、南尾が声をあげた。死体に少し近づき、丸坊主の頭を指さす。
「髪の毛が、無くなってる。さっきまで、同窓会の時までは金髪だったはずだ!」
「……そうだったか?」
全然覚えていないらしく、首をかしげる荒光に、あきれたような掛川の視線が突き刺
さる。睨まれて、荒光は肩をすくめた。
「そう。彼は髪を金色に染めてた」
そう言って、手を自分の頭の上、三十==ぐらいのところにかざした。
「こんなにおったててね」
「おい、いいかげんにしろ!」
業を煮やしたか、水島は吉井を離して、顔を真っ赤にして掛川に詰め寄ってきた。
「探偵ごっこはやめろ! 人が死んでるんだぞ!」
「そうよ!」
 顔を泣き腫らしたまま、ヒステリックに吉井が叫んだ。掛川に指を突き付ける。
「なんで、そんなに冷静なのよ! 殺されてるって、あんたが殺したんじゃないの!?

 常軌を逸した言い掛かりである。掛川多岐美は荒光と一緒に、同窓会が終わった直後
から、ずっと保健室に閉じ込められていた。同窓会にいた人間を、殺せるわけがない。

「彼女は、俺と閉じ込められてた。殺しなんて、してる暇はなかったはずだ」
 だが、荒光がそう言うと、吉井はまた金切り声をあげた。
「じゃあ、あんたが一緒になってやったんでしょ! 人殺し! 何で、あんたたちみた
いなのが、学校に来てるのよ! 来ないでよ! あんたたちみたいなのは、学校に来な
いでよ!」
 そう叫んで、憎々しげに二人を睨みつける。
「そ、そうだ!」
 南尾が、不意に吉井の叫びに同調するかのように声をあげた。唇を噛んで立ち尽くし
ていた掛川を指さす。
「この女は、昔……」
「やめろ!」
 それを遮るように、荒光は叫んだ。が、叫んだ直後、戸惑ったような表情を見せる。
何故、自分が大声を上げたのか、わからないようだった。だが、頭を振ってすぐに続け
る。
「俺は殺してない。彼女も同じだ。言い掛かりはやめてもらおう!」
「嘘よ! あんたたちは、昔、向井くんにいじめられてたじゃない! だから殺したん
でしょう!」
「何だと……!」
 荒光は押し殺したような声をもらした。吉井はなおも気違いじみた声をあげる。
「人殺し! 最低よ! 学校に来れなくなったからって、逆恨みして! あんたたちな
んか……」
「やめてよ!」
 不意に、吉井の声よりも、荒光のそれよりも大きな叫びが、視聴覚室を引き裂いた。

「……もう、やめてよ……!」
力無い、しかしよく通る声で、桜本は呻いた。
「昔の事なんて、今言ったって、意味がないよ……。早く、帰ろうよ……」
 一言一言、桜本は必死に言葉を絞り出しているように見えた。吉井も、それを見て、
言葉を失う。
「おい。警察を呼ぼう」
 荒光は、気を取り直したように、立ちすくんでいる水島に言った。
「携帯を持ってるんだろう。外に電話しろ」
「あ、ああ」
 水島はうなずくと、ジャージのポケットから、携帯電話を取り出した。素早く番号を
叩く。
「駄目だ。圏外だ」
 小さな液晶モニターに、圏外につき使用不能という表示が出る。
「何だって?」 
電話が通じないなら、この場で待機するのも、無意味という事になる。
 掛川が自分のハンドバッグを開けて、携帯電話を取り出した。同じように、吉井も携
帯を胸ポケットから取り出す。
「駄目だわ、通じない!」
吉井が悲鳴を上げる。掛川も黙って首を振った。
「おい、なんで通じないんだ?」
「距離が遠くなると駄目らしい。一階にいた時には、山野先生の携帯に通じた」
 南尾の問いに、水島は苦々しげに答える。
「だったら、すぐに下に降りよう!」
「……これを置いてか?」
水島は死体を指さす。
「私が残る」
 役に立たない携帯をしまうと、掛川が手を上げた。
「ここで見張ってるから、その間に助けを呼んできて」
「そ、そうだ。橋本と鳥飼も、探さないと」
思い出したように、南尾が叫ぶ。
「それは後だ。まず、山野先生たちに連絡だ」
扉に向かいかけて、水島は振り返った。
「南尾君と吉井さんは、俺について来てくれ。バラバラに行動するのは危ない」
 続いて、他の三人の方を見て、
「三人は、ここに残っていてくれ。余計な事はするなよ」
それだけ言うと、水島は吉井の手を取って、視聴覚室の外に出た。慌てて南尾も、そ
れに続く。
「フン、偉そうに」
 出て行った三人の姿が見えなくなると、荒光は吐き捨てた。どうも水島のやることな
すことに、反感を持っているらしい。
掛川は水島たちがいなくなると、それを待っていたかのように死体に近づいた。
 死体に腐臭はない。まだ体温が残っているぐらいなのだ。腐敗はおろか、ほとんど硬
直さえもしていない。
「とんでもない事になったな……」
荒光も呟くと、死体の側に歩み寄る。
向井崇の死に顔に浮かんでいる表情は、恐怖だろうか。黒目がでんぐり返って瞼の向
こうに消えているため、判別がつかない。
桜本は、そんな死体を見ていられない、という風に部屋の隅、戸口の側に行ってしま
った。青ざめた表情で、壁に寄りかかっている。
 死体の左腕の辺りを、掛川は調べている。向井は半袖のシャツを着ていた。そのため
、二の腕の真ん中ぐらいから下は剥き出しだ。その腕は、無残に折れ曲がっていた。肘
と手首のちょうど中間辺りが、折られている。まるで、肘が二つあるかのようだ。右腕
も同様の態を示している。
「これは?」
 荒光は、腕の折られた辺りを指した。骨が折れている部分は紫紺に腫れ上がっている
が、その近くに、二か所ほどもっと薄く紫色に染まった部分がある。
「たぶん、手形」
 自分の腕を荒光の方に差し出し、その部分、手首より少し上と、肘を指し示す。
「こことここを掴んで、こう、ボキッ、て……」
 擬音と共に、棒を折るようなジェスチャーをして見せる。
「とすると、やった奴は、かなり力の強い奴だな」
「むろん、男でしょうよ」
手形の辺りに触れる。
「かなり大きい。手を出して見て」
荒光が自分の手を差し出すと、彼の手首を不意に掛川は掴んだ。強引に引っ張る。
「わ、ちょっと待て!」
そんな荒光の抵抗に頓着せず、その手を、死体についた手形に押し付ける。
「ほら。きみの手より、全然大きい」
荒光は嫌そうだが、なすがままになっていた。自分の手と手形を比べてみる。荒光の
手は決して小さくはないが、指が細く、繊細な印象がある。そんな彼の手より、死体に
ついた手形ははるかに大きい。指の太さなど、恐らく三倍はあるだろう。まして、彼の
手首を握った掛川の手など、比較にならない。
「こいつは、まだ近くにいると思うか?」
荒光は尋ねた。彼の言っているのは、手形をつけた人間についてだ。
先ほどから、吉井以外、誰もこういう事を言わなかった。つまり、犯人についてだ。
死体がある、殺されている、殺した者がいる。火を見るより明らかな事だ。そして、校
舎が脱出不可能になっている現在、犯人はまだ校内にいるはずなのだ。
「……わからない」
しかし、掛川は首を振ると、ひざまづいてテーブルの下を覗いた。何も無い。続いて
、死体の頭に近づく。
「バリカンか何かで剃られてる」
死体の頭だが、ついさっき剃られたばかりだというのが、すぐにわかる。青々とした
丸刈りだ。
「剃られた髪は? どこにいった?」
 もっともな疑問を、荒光は発した。答えずに、掛川は首をかしげる。それを考えて、
テーブルの下を覗いていたのだろう。バリカンを使えば、髪の毛が散乱するのは当然だ
。だが、床にはそれらしきものは落ちていない。掃除したにしても、一本たりとも落ち
ていないのはおかしい。
テーブルの下に、荒光もひざまづいてもぐりこんだ。
「フンフンフン、フンフン、クンクン」
床に顔を近づけて、鼻を鳴らす。
「……何やってるの?」
「いや、匂いが残ってないかな、と思って」
真面目な顔で答える荒光を無視して、掛川は立ち上がった。
「……まさか」
「へ?」
「まさか、これが?」
「何だって?」 
うつむいて掛川は、まさか、と繰り返した。やがて、目を見開いて、顔を上げた。
「……とすると、あの二人も危ない……!」
「おい、さっきから、何を言ってる?」
 怪訝そうな顔で荒光は尋ねた。その時、
「うあっ!」
 背後で悲鳴があがった。同時に、木の板が砕けるような、乾いた音がした。
 荒光と掛川は、振り返った。戸口の側に立っていた桜本が、頭を押さえて床にうずく
まっていた。押さえている手の指の透き間から、赤い液体が滴っている。
「だ、誰だ、おまえは!?」
戸口に人が立っていた。廊下も視聴覚室内も照明がついているため、その人影の姿は
はっきりと見て取れた。そこにいるのは、漆黒のゆったりとしたローブのようなものを
着た人間だった。照明がかなり明るいため、余計にその黒さが際立つ。
 人影は、荒光の問いに答えなかった。いや、答える言葉が無いのだろうか。人影は頭
にフードを被っている。そして、本来そのフードの下にあるはずの顔は、荒光らには見
えなかった。顔は覆い隠されていた。真っ白な、笑い顔の仮面によって。学校という堅
苦しい空間に、その仮面の嘲笑的な笑みは、場違いにも似つかわしくも見える。
人影は、ローブの袖からはみ出した手に握っていた物を、床にほうり出した。そして
、足元にうずくまってうめいている桜本の襟首を掴むと、恐ろしい力で引きずり起こし
、軽々と自分の肩に抱え上げた。
「あうっ」
桜本が苦痛に喘ぐ。
「貴様!」
 自失していたのは、ほんの数瞬だった。荒光は、怒りに顔を歪め、その人影に殺到し
ようとした。
人影はその仮面の笑顔を荒光らに向けたまま、数歩後ずさって廊下に出ると、桜本の
身体を抱えたまま、不意にローブの裾をひるがえして走りだした。
「待て!」
荒光は追おうとして、襲撃者のほうっていった物につまずきかけた。
「これは……!?」
 桜本は、背後からこれで殴られたらしい。角に血が付いている。その凶器自体も、壊
れていた。木が砕ける音はこれから聞こえたらしい。
 それは、一個の楽器、バイオリンだった。
「まさか」
 立ち止まった荒光を、掛川が追い抜いた。
「早く!」
 駆け抜けざまに荒光を促し、教室の外に飛び出す。荒光も、気を取り直したように、
続いて廊下に走り出る。
 仮面の襲撃者は桜本を抱えているにも関わらず、恐ろしい速度で走っていた。もう廊
下を駆け抜け、階段口まで到達している。
 追おうとしたその時、不意に視界が暗転した。
 二人は思わず立ち止まった。照明が一斉に消灯したのだ。今しがた飛び出てきた視聴
覚室と、今立っている廊下の蛍光灯が不意に消えた。
走りかけていた掛川は、立ち止まったものの、たたらを踏んでよろめいた。不意の暗

の中、壁にぶつかりかける。荒光の手が伸び、彼女の肩を掴んで支えた。掛川は自分を
支えた手の方を振り返り、そこで息を飲んだ。
暗闇の中に、二つの赤い光が灯っていた。光は一二度瞬き、すぐに襲撃者の消えた方
向に向き直った。
「こっちだ!」
叫ぶと、両の瞳を赤く爛々と輝かせたまま、荒光は掛川の手を引いて走りだした。
照明が消えたといっても、廊下に窓がついている以上、真の闇とはならない。すぐに
掛川も目が慣れ、荒光の手を振りほどいた。
だがようやく薄闇が見通せるようになった掛川に対し、荒光はどんな暗闇でも見通せ
るようだった。まったく危なげない確かな足取りで、階段に向けて走る。
階段口まで到達すると、先ほどは真っ暗だったはずのそこは、すでに照明がついてい
た。足音が響く。襲撃者が、階段を駆け降りているのだ。
「逃さんぞ……!」
 荒光は跳躍した。二十段程ある階段を、一気に踊り場まで飛び降りる。着地と同時に
向き直り、同じ事をもう一度。しなやかな動きで、あっと言う間に彼は四階入り口に降
り立った。
 四階も、フロア全体に照明が灯っていた。荒光の視界の右隅で、黒ローブの裾が動く

「そっちか!」
 掛川が追いつくのを待たず、階段から右に伸びた廊下を走る。
 ローブを着た人影は、廊下の途中で立ち止まって振り返った。
「ヒヒヒウヒヒヒヒヒ」
 不気味な高音の笑い声が、廊下に反響した。嘲笑するような声。仮面に張り付いた笑
みは、この声にひどくマッチする。
 襲撃者は、突進する荒光を尻目に、側の教室の戸を開け、中に滑り込んだ。荒光が扉
の前にたどり着いたのと、中から鍵のかかる音がしたのは、ほとんど同時だった。
 荒光は扉に手をかけ、開こうとした。が、やはり無駄だ。他の部屋と同様、鍵は電子
ロックになっている。扉自体も木製ではない。一度中から鍵を掛けられると、そうそう
開く物ではない。
「くそっ!」
 荒光は怒りに駆られたように、扉を蹴飛ばした。
 遅れること十数秒、掛川もその教室の前までやって来る。彼女は、扉の上の札、教室
の名を見た。
「音楽室……!」
その音楽室の入り口は二つあるが、襲撃者が入らなかった方も、鍵がかかっている。
鍵を壊さない限り、侵入できそうにない。
教室の中から、何か重い物が倒れるような、鈍い音がした。
「……ぁ……ぅ……」
 桜本のものらしい小さなうめき声が、断続的に聞こえる。
状況の危険さに焦燥した表情で、荒光は周囲を見回した。廊下の隅に置かれた、消火
器が目に入る。荒光はそれを掴み、振り上げた。扉の鍵の部分に、全力で叩きつける。
二回、三回と続けると、鍵どころか、扉自体がひん曲がってきた。ねじ曲がって二度と
開かなくなる可能性もあったが、しかし荒光は、消火器をぶつけ続ける。
 ちょうど十回叩きつけたところで、鍵の周囲の樹脂で固定された部分に亀裂が走った
。それと同時に、
「ギャッ!」
 と、部屋の中から悲鳴が上がった。荒光は青ざめたが、消火器を少し角度を変えて再
び扉に叩きつける。さらにもう十回続けたところで、とうとう戸は内側に大きく曲がり
、曲がった事で、上下のスロープのかみ合わせがずれた。
 消火器をほうり出し、荒光は戸の曲がった部位を蹴飛ばした。二分程かかったろうか
。ついに戸は枠から外れ、音楽室の内側に倒れ込んだ。
 室内にはむろん明かりがついている。音楽室の中は、生徒の机がわりのオルガンが並
んでいる。その所狭しと並んだオルガンの間に、二つの人影が倒れていた。
 近い方の人影に、荒光は駆け寄った。
「う……」
桜本は自らの首を押さえて、呻いていた。
「大丈夫か!?」
彼を助け起こし、首に何かが巻き付いているのを、荒光はほどいた。これで首をしめ
られていたらしい。ピアノ線のような細い紐、いや違う。それは、バイオリンの弦だっ
た。
掛川は、もう一つの人影に近づいていた。黒いローブを着た人間。その仮面の襲撃者
は、桜本の首をしめようとして揉み合う内に、振りほどかれたらしい。よろめいてオル
ガンにぶつかり、倒れたところをそのオルガンの下敷きになったようだ。
人影はうつ伏せに倒れており、その上半身はオルガンに潰されていた。完全に、即死
らしい。胸骨と肺を潰されて血を吐いたか、早くも血溜まりが出来つつある。上半身は
オルガンに隠され、ローブの袖から、ねじ曲がった手だけが覗いている。
咳き込む桜本を椅子にかけさせると、荒光も襲撃者に歩み寄った。
黒ずくめの格好と鮮血の、赤と黒のコントラストの中、その手はやけに目立っていた

「こいつが、向井を殺った奴か……?」
 荒光の呟きには疑問符が付いていた。掛川も黙って首を振る。二人の視線は、襲撃者
の手のひらに注がれていた。艶の無い不健康そうな皮膚の色と、肉厚で汗ばんだ指。問
題は、大きさだった。小さいのだ。指は太いが短い。向井の死体の腕に残っていた手形
には一致しない。さらに、人の骨を素手でへし折るような筋肉は、明らかに付いてはい
ない。
靴の爪先で、荒光はそっと死体の腹の辺りをつついて見た。弾力のある脂肪の、不快
な感触がする。
「……女か?」
掛川は、襲撃者の死体を潰しているオルガンの端に、手を掛けた。
「そっち持って」
 反対側の端に顎をしゃくる。
「……」
 渋々と、荒光はそちらに手を伸ばした。せーの、で引き起こす。
 死体はフードを被っているので、オルガンを起こしただけでは後頭部さえ見えない。
掛川は自分の爪先を死体の腹の下に突っ込むと、力を込めて引っ繰り返した。自分の方
向に骸を転がされ、荒光は後ずさる。
 己の血溜まりに突っ伏していた死骸の仮面は、やはり真っ赤に染まっていた。転がし
たはずみでフードが少しずれ、死体の耳が仮面の横から覗いていた。耳には悪趣味な赤
い石のついた、ピアスがはまっている。肌の色は不健康に白い。仮面からは紐が伸び、
後頭部へとまわっている。
 息を飲んで立ち尽くしている荒光を、一度見やると、掛川はひざまづいて、仮面の血
がついていない部分を掴んだ。そのまま物も言わずに引っ剥がす。
「な……!」
仮面の下から現れた、怒りに引き歪んだ死に顔を見て、荒光はたまらず声を上げた。

「……やはりね」
 手の中の仮面をほうり出すと、掛川も呟いて唇を噛む。言葉を、荒光は振り絞ろうと
した。だが、出来なかった。こう言うのがやっとだった。
「こ、こいつは……!」

「な、なあ、水島君、大丈夫なのか?」
 一階へ向けて階段を下りながら、南尾は脅えたような声で、懐中電灯で足元を照らし
ながら先頭を進む男に、声を掛けた。
「何がだ?」
 水島は振り返らずに聞き返した。どうせ、振り返ってもお互い顔は見えないからだ。

「こ、こんな三人だけよりさ。やっぱり六人固まってた方が、良かったんじゃないか」

 こう南尾が続けるのを聞いて、二人の間を歩いていた吉井が、脅えたように身を縮め
る。 が、水島はそれを聞いて、声を上げて笑った。
「ハハハハ。なに言ってるんだ。大丈夫さ。こう見えても、先生は空手三段だぜ」
 先生、とは、むろん一人称、つまり水島自身を指している。水島は笑って続けた。
「荒光みたいな不登校児や、桜本みたいな腰抜けがいなくたって、平気だよ。ハハ」
その声には、後ろを歩く二人のように脅えたようなところや、強がっているような響
きはまるで感じられなかった。
「それに、本当に、あいつらが犯人かも知れないしな」
「み、水島くんもそう思う?」
声を震わせて、吉井が尋ねる。
「ああ」
 暗闇でよく分からないが、水島はうなずいたように見えた。
「君らも覚えてるだろ? 掛川と荒光は昔の、あの事件に関わってる。二人してな」
「だが、あれは事故じゃ……」
「わかるもんか」
南尾がためらいがちに言うと、水島は吐き捨てた。
「全国で、ナイフを振り回してキレるガキが、問題になってる。罪もない、正しい教育
をしていただけの教師が、殺されてる。あいつらも同じかもしれない」
階段を照らしていた光が、平らな床を捉えた。
「一階についたぞ」
 足元に向けられていた懐中電灯を、水島は正面に向けた。
「……おや?」
 光は一階の玄関ロビーの暗闇を貫き、正面入り口に向けられていた。本来なら、光は
正面入り口を塞いだシャッターに当たるはずだった。その光が、ガラスを貫通して外に
伸びている。
「開いてる」
 吉井が拍子抜けしたように言った。正面玄関に降りていた防火扉は、すでに開いてい
た。校舎の中と校庭を隔てる物は、玄関ドアの一枚のガラスだけだった。懐中電灯の光
が、校庭の端を照らしている。
「復旧してるぞ。さすが、山野先生だ」
少し急ぎ足になって、三人はロビーを横切った。難無く玄関にたどり着く。ドアも、
別に鍵はかかっていない。
扉を開けると、恐怖感と圧迫感が充塞したようだった校舎内に、冷たい外気が流れ込
んで来た。
「た、助かった」
心底そう思ったらしく、南尾は外に飛び出すと、グラウンドの地面に座り込んだ。
「ちょっと待て。何かおかしいぞ」
 が、水島は、南尾のように気を抜かず、辺りを見回した。
「なぜ、山野先生たちがいないんだ?」
「他の場所で、何かしてるんじゃないの?」
「それにしても、誰もいないのは……」
 グラウンドは、不気味に静まり返っていた。時折、雲間からのぞく月が、切れ切れに
地面や校舎、校庭横の運動部部室や、校門などを照らす。そんな薄明かりの中、聞こえ
るのはその場にいる三人の息遣いだけだった。
「山野せんせーい」
「水島先生、いないんですか?」
周囲に呼びかけて見るが、応答無し。
「電話は?」
吉井に言われて、水島はジャージから再び携帯を取り出した。
「……妙だな。山野先生、出ないぞ」
「そんな……」
「呼び出し音はなってるんだが」
「ま、まさか、先生たちも……」
南尾は脅えたような声を上げた。
「まさか」
 水島は首を振った。
「先生たちは十人以上いるんだ。そんな簡単に……」
 ふと、水島の言葉が途切れた。
「あれ、何だ?」
 彼は先程から、懐中電灯でグラウンドのあちこちを照らしていた。光が校庭の真ん中
辺りを横切った時、彼は手を止めた。そこに何かがあった。
「な、なに!?」
 そこにあったそれを照らしながら、三人は恐る恐る歩み寄った。近寄るにつれて、そ
れが何かわかって来た。仰向けに、男が倒れている。手足を大の字に広げて、グラウン
ドの真ん中に横たわっている。
 何だろう、男の腹や胸から突き出ている幾本もの、棒のような物は。そして、身体の
下に溜まっている、赤い液体は……。
「キャーッ! キャーッ! ギャーッ!」
 立て続けに、吉井から悲鳴が上がった。
「し、死んでる」
他に言葉も見つからないらしく、南尾が放心したように呟いた。
 そこにいたのは、彼らと同じく同窓会に来ていた、鳥飼英二(とりかいえいじ)だっ
た。つい先程、実家を手伝って車の整備工をやっている、と近況報告をしていた大柄な
男は、今は冷たい亡骸となっていた。
「ひ、ひでえ」
歩み寄った南尾は、思わず顔を覆った。鳥飼の身体には、無数の矢が突き刺さってい
た。ボウガンのような物で、近距離から撃ち込まれたのだろう。上半身はまるでハリネ
ズミである。
近くに歩み寄って、水島は死体を照らした。鳥飼の死に顔にあったのは、やはり恐怖
の表情だった。顔が無傷なので、はっきりと見て取れる。
「お、おい。ここ、照らしてくれ」
 不意に南尾が声をあげた。水島を振り返り、死体の手の辺りを指さす。
 グラウンドには砂が敷き詰めてある。その砂に、何かが描かれている。水島が照らす
と、そこに文字が浮かび上がった。
「アルファベットだ。C、H……」
C・H・A・T・E・R・E。
「CHATERE。チャテレー? どう言う意味だ?」
側の水島に尋ねる。水島は黙って首を振った。心なしか、顔が青ざめている。南尾は
背後に立ちすくんでいる女の方を見た。
「吉井、チャテレーって意味わかるか……」
「キャーッ!」
 南尾の質問は、再度の悲鳴にかき消された。
吉井は、横たわる鳥飼の死骸や、水島たちを見ていなかった。校庭の隅、運動部の部
室と体育倉庫のある方を見ていた。
 水島はそちらの方向にライトを向けた。二軒のプレハブが光の中に浮かび上がる。や
がて、光の中に吉井の見たものが飛び込んできた。
 体育倉庫の側に、野球部のバッティング練習用のネットが置かれている。そのネット
に、吊るされているものがある。
「うわあっ!」
 南尾も悲鳴をあげた。そこにあるのも死体だった。枠付きのネットに手首をくくり付
けられ、首をかしげてぶら下がっている。
「は、橋本くんだわ!」
 吉井は、死体の着ている衣服に見覚えがあったらしい。そうでなければ分かるはずが
ない。死体の顔面は鈍器のような物で叩き潰されたらしく、血塗れになって相好の判別
などつかなくなっていた。何故か、死体の周囲には、野球のボールが幾つも転がってい
る。
 不意に、空の雲が晴れた。秋の空は高く澄んでおり、月は大きく煌々とした冷たい輝
きを放っている。その光が、校庭、いや学校全体を照らし出した。
そこにいる三人と、命を失った二つの身体も、月の光は平等に包み込む。だが、そこ
に一つの影がさした。
光のさす空間に、一つの空洞があいたかに見えた。体育倉庫の屋根に、黒い影が立っ
ていた。そのシルエットが月の光を遮り、大きく膨らんで三人の上に落ち掛かっている

「だ、誰だ!」
 水島は叫ぶと、手の中の懐中電灯の光を、その影法師に突き付けた。光の中に、不気
味な笑みが浮かび上がった。滑らかな曲線を為した白い顔に描かれた、細い目、そして
笑うように歪んだ曲線。
白い仮面を付け、漆黒のローブを着た人影が、プレハブの屋根に佇み、三人を見下ろ
していた。いつから、そこにいたのだろうか。三人が校庭に出て来た時、すでにそこに
立っていたのだろうか。
暗黒そのものの様な、翼がはためいた。人影がローブの裾をはためかせて跳躍したの
だ。三m程度の高さがあったが、その人影はさして衝撃を受けた様子も無く、怪鳥のご
とく大地に降り立った。
「ひいっ!」
 間近に飛び降りて来た仮面の人物に、南尾は脅えたような声をあげ、後じさった。身
長は2mはあるだろうか。驚くべき長身だ。
「う、うあああーっ!」
 光が地に落ちた。水島が懐中電灯を投げ捨て、その人影に殴り掛かったのだ。
「テヤ、テヤ、ハアッ!」
 立て続けに、人影の胸板に突きを見舞う。掛け声と共に三発が入る。が、人影は微動
だにしない。
「う、うわっ!」
 人影の右腕が伸び、水島の胸ぐらを掴んだ。もがくところを委細構わず、高々と吊り
上げる。水島とて、180==以上の長身である。それをまるで赤ん坊でも扱うように、
軽々と持ち上げた。とてつもない怪力だ。
 そのまま片手一本で、人影は水島を放り投げた。水島は2mほど飛ばされて、グラウ
ンドに落ちた。気絶したのか、そのまま動かなくなる。
「キャーッ!」
「ヒイーッ!」
 残った二人、南尾と吉井は、人影が彼らの方に向き直るのを見て悲鳴を上げた。だが
、パニック状態には陥ったが、わずかな本能のような物が彼らを突き動かしたらしい。
二人は身をひるがえして、校舎の方に向けて走りだした。
仮面の襲撃者は、その後を歩いてゆっくりと追い始めた。だが、恐怖に駆られて全力
疾走する二人には、むろん追いつけない。二人は、我先に正面玄関から、校舎の中に逃
げ込んだ。
完全に己を失った二人は、玄関ロビーに入ると、別々の方向へ逃げた。南尾は先程降
りて来た階段に向けて、がむしゃらに走る。吉井はロビーから右方向、職員室の方へと
走った。
吉井は南尾が反対に走っていったのには気づいたようだが、もう自分の足を止める事
すら出来ないらしかった。先程までシャッターが降りていたはずの、職員室方面の廊下
も、
すでにシステムが復旧したか、行き来出来るようになっていた。吉井は、真っ暗なその
廊下を、職員室目指して走った。
 不意に、その廊下に明かりが灯った。急に明るくなったため、吉井は目がくらんで立
ち止まった。目が光に慣れた一瞬後、その目の前に人影が立っていた。
「キャーッ!」
吉井は絶叫し、再び背後に向けて走りだそうとした。
「吉井! 吉井じゃないか!」
 が、その人影の発した声を聞いて、吉井は立ち止まった。振り返って、安堵のあまり
かその場に座り込みそうになる。
 そこに現れたのは、教師、山野隼雄だった。
「せ、先生! 山野先生!」
 吉井はその場で山野にすがりついた。ワイシャツの痩せた胸元に顔を埋め、泣きじゃ
くった。
「大丈夫か? もう心配いらないぞ。先生がいるから、もう大丈夫だ」
 山野は、優しく力強い声でそう言って、左手一本で吉井の背中を抱いた。
「む、向井くんや橋本くん、鳥飼くんが……、あ、あいつが来る、こ、殺さ……」
「安心しろ。他の先生たちもいる。もう、落ちこぼれどもの好きにはさせない」
「は、はい……」
ようやく吉井は涙をぬぐって、身体を山野から離した。
「そいつがいるのは? あっちか?」
 山野は、左手で彼女の走って来た方向を指さした。
「校庭です、水島くんもそこで……」
言いかけてふと、吉井の目線に、山野の右手が入った。山野は手に何かぶら下げてい
た。蛍光灯の明かりの下で、鈍く輝いている。それは……刃物……?
「ところで、吉井」
突然、山野が彼女の名を呼んだ。
「はい」
呼ばれて吉井は、反射的に山野が持っている物から目を離し、顔を上げた。
 山野は、にこやかに笑っていた。そして、こう言った。
「きみは今日、忘れ物をしたね?」
「え……?」
「同窓会の招待状を、持って来なかったね?」
「は、はい……」
「駄目だなあ。忘れ物をしちゃあ」
「あ、あの先生……?」
 突然、山野の表情が変わった。笑みの浮かんでいた唇が引き締められ、目が細められ
、瞬時に冷たい表情が浮かぶ。左手を伸ばし、吉井の右手首を掴む。
「い、痛い、先生……!」
手首を握り締められ苦痛にあえぐ吉井の表情を見ながら、山野は右手に持っている物
を目の前にかざした。それは、蛍光灯の光を反射し、鈍い輝きを放った。
「罰を与えなければな」
 そう言うと山野は、吉井の手首を引っ張ると、自分が握り締めているよりも少し下の
部分に、右手に持った鉈を振り下ろした。
「ギャーッ!」
 先程までとは比較にならない絶叫の下で、吉井は床に倒れ込み這いずった。骨を断つ
音と共に、一撃で彼女の左手首から先は切断された。真っ赤な切断面から、鮮血があふ
れ出る。
「ひ、ひ、ひい」
 吉井はもはや声も出ず、先程自分が来た方向に向けて、ただ這いずった。手首から流
れる血が、コンクリートの廊下を赤く染めていく。
山野はしばらく、手首を切り落とされた自分の元生徒が、床を這っているのを眺めて
いたが、やがて血溜まりをまたいで、彼女の前に回り込んだ。
「また、忘れ物だよ」
 再び笑みを顔に張り付けると、山野はそう言って、今、切り落としたばかりの左手首
を、彼女の目の前にほうり出した。
「ひ、ひいーっ!」
 これが、吉井がこの世で発した最後の声になった。山野は吉井の髪を掴むと引きずり
起こし、剥き出しになった彼女の首筋に向けて、水平に鉈を振るった。

足元のふらつく桜本に肩を貸しながら、暗闇の中、荒光は校舎内の階段を下に向けて
降りていた。二人の前を掛川が、足元を音楽室で見つけた懐中電灯で照らしながら、進
んでいる。彼女の顔には言いようの無い焦燥感が浮かび、荒光のそれにも、戸惑いの表
情がある。
「だが、一体、なぜ奴が?」
 まだ信じられないという様に、荒光は前を行く女の背中に問いかけた。
「……」
 彼女は答えない。
「どうしてだい? ゴホッ、どうしてあの人が、僕を……?」
 咳き込みながら、桜本も問う。
「……直接聞けば、わかるよ」
 明らかに答えを知っている風だったが、掛川は、それはこう、とは言わなかった。
「聞くって言ったって、奴はもう死んで……」
「もちろん、仲間から聞き出す」
突然、掛川は足を止めた。荒光らも立ち止まる。
「聞こえたか? 女の悲鳴だ」
「まさか、吉井さん?」
掛川はうなずいた。
「気づくのが遅すぎた……」
そう呟いて、悲鳴の聞こえた階下の方向を睨む。
「……おい?」
 荒光は、その彼女に背後から声を掛けた。足音が下から上ってくる。少しすると、荒
い息遣いも聞こえて来た。
「だ、だれか、助けて……」
 声のする方に、掛川はライトを向けた。光の中で、見覚えのある男が立ちすくむ。
「南尾か?」
 荒光が声を掛けると、光の中で恐怖の相を浮かべていた男は、
「ひっ!」
 と叫び、背を向けてまた走りだした。階段を凄い勢いで駆け降りて行く。
「待って! 待ちなさい!」
 掛川は、それを追って走りだした。
「おい、待て!」
 荒光も、それを追おうとする。が、桜本はまだ呼吸が回復しておらず、走れない。
「いいよ、先に行って。僕は後から追いつく」
 しかし、桜本は気丈にそう言うと、荒光の肩を突き放した。
「だが……」
「今、危ないのは、僕より南尾くんだろう。違うかい」
桜本の顔色は悪く、まるで大丈夫そうでは無かったが、言っている事は正しく、そし
て力強かった。荒光はうなずいた。
「わかった。やばいようなら、どこかに隠れててくれ」
 そう言うと、荒光は先を行った女の後を追って駆け出した。

 月明かりの射す校庭に、四つの影がある。一つは校庭の真ん中に立った、漆黒のロー
ブをまとい仮面を付けた巨体の男。他の三つの内の二つは、かつてこの学校の生徒だっ
た、物言わぬ死体。そして、もう一つは、大地に横たわる男、かつてこの学校の生徒だ
った男、そして、今はこの学校で教師となっている男、水島栄吉。
「痛てて……」
 先ほど、黒ローブの男に投げ飛ばされ、大地に落ちた水島は、背中をさすりながら立
ち上がった。ジャージに付いた校庭の砂を払い落としながら、黒衣の男を振り返る。
「もしかして、本気でやった? 痛いよ」
冗談混じりでおどけたように尋ねる声に、男は笑い顔の仮面の下で、くぐもった笑い
声をあげた。
「ククク。本気なら、お前の骨は砕けてる」
「それもそうだね」
水島は苦笑いすると、校舎の方を振り返った。
「あとは、何人残ってるかなあ?」
 黒衣の男は、少し間を置いてから答えた。
「桜本千春は、始末がついている頃だ。後は四人……」
言いかけた時、校舎の方向から、女の悲鳴があがった。男は、それを聞いて再び笑う

「吉井真知子も片付いたようだな。残りは、南尾進、掛川多岐美。それと、お前がご執
心の荒光景、この三人だ」
水島はそれを聞いて気持ち悪げに笑った。
「ご執心だなんてやめてよ。気味が悪い。ただ、あいつは俺が殺してやらないと気がす
まない。それだけさ」
「なぜ、奴にこだわる? 同窓会での事があったからか? 教えろよ」
 答えたくは無さそうだったが、男の声には有無を言わせぬ迫力があった。水島は渋々
と返事をした。
「あいつは、昔から生意気だったんだ。よわっちい不登校児のくせに、俺を馬鹿にして
やがったんだよ」
「フフン」
男は笑った。そして、声をひそめてこう言う。
「おまえの個人的な理由は、何だってかまわん。だが俺たちは、教師として奴等を粛清
しているのだ。それは忘れるな」
「わかってるよ」
「よし、いい子だ」
 黒衣をひるがえし、男は西側の校舎に向けて歩きだした。途中で、思い出したように
振り返る。
「念のために言っとくが、荒光はもちろんおまえの好きにしていい。確実に仕留めろ。
だが、南尾はおまえの割り当てじゃあない」
 水島は、うるさげに肩をすくめた。
「わかってるって。校門の方に誘導すればいいんだろ」
「そうだ。それと、掛川多岐美も残しておけよ。後で、ご老人自らが、とどめを刺すと
おっしゃってる」
 驚いたように、水島は尋ね返した。
「あの人がとどめを? そんな事、出来るのかい?」
「さあな」
仮面の下から再び笑い声がもれる。それ以上、男は声を発さず、西側校舎の暗がりへ
と消えていった。

 ひとっ飛びに跳躍することで、荒光はようやく掛川の背に追いついた。南尾は二人よ
りさらに先に行っている。
「桜本君は!?」
 走りながら、掛川が荒光に尋ねる。
「後から来るそうだ。今は自分より、南尾が危ない、と」
「……かもね」
階段を駆け降りる南尾は、完全にパニックに陥っているように見えた。よくこの状態
で転ばないものである。
 一階は全体に明かりが点いている。階段口のロビーが明るい。
 南尾はロビーを横切り、グラウンドに出る玄関の方に向けて走った。
「開いてる……」
すでに、防火扉は開いていた。
「俺たちが閉じ込められたのも、計算ずくだった訳か」
 荒光が呟く前で、南尾は校庭へと飛び出して行く。
それを追って掛川も校庭に走り出かけ、不意に立ち止まった。荒光もその方向を見る
。蛍光灯に照らされた職員室前の廊下に、血溜まりが出来ていた。あまりに大量で、ほ
とんど小さな池のようだ。その真ん中に、死体が横たわっていた。
 死体には首が無かった。
「吉井か」
 目を反らし、荒光は呻くように言った。
「何故だ? なぜ奴等は、こんな真似を?」
 掛川は数秒間、立ち止まっていた。横たわる死体を、その間、見つめ続けた。まるで
、自分の目に焼き付けようとするように……。
「今は、生きている人間を助けるのが先決だよ」
自分に言い聞かせるように呟くと、再び南尾を追って走りだす。
 二人は校庭に飛び出した。南尾は、すでにグラウンドの中ほどまで達している。それ
を追う二人の視界に、次々と死体が飛び込んでくる。
 野球部のネットに吊るされた死体。無数のボウガンの矢が突き立った死体。
「なぜだ、何故なんだ!」
 荒光は、校庭の半ば、ハリネズミの様になって横たわる鳥飼英二の死骸の側で、立ち
尽くした。
 突然、校庭の周囲にあるナイター設備に、光が灯った。瞬間で、グラウンドは真昼の
様に明るくなる。目がくらみ、南尾と掛川も立ち止まった。
「今度は、何だ?」
八方から照りつける光の向こうから、規則正しいエンジン音が響いてくる。音の主は
、数瞬の間を置いて、光の中から姿を現した。中型のバイクに乗った、ツナギを着てヘ
ルメットを被った男が、校庭の左右から砂塵を蹴立てて飛び出してくる。
二台のバイクは円を描くように走り、掛川と荒光の二人をその円で囲んだ。直径十m
ほどの、真円。突っ切ろうにも、どうにも身動きが取れない。それほど二台のバイクの
速度は速い。
「くっ!」
 飛び散る砂礫から目を覆いながら、掛川は南尾の姿を目で追った。ちょうど、襲撃者
によって彼女らから分断された形になった南尾は、しかしまだ立ちすくんでいた。だが
、襲撃者の一人が走りながら、手に持った物を彼に向けると、南尾の逡巡は吹き飛んだ
。それは、小型のボウガンだった。おそらくは、鳥飼の命を奪った凶器……。
悲鳴をあげ、南尾は再び走りだした。校門は開いていた。彼の進路上には、彼の逃走
を妨げるものは、何も無かった。
「待て、止まれ!」
荒光は叫んだ。彼の目線の先には、校門があった。高さ3m、幅も広さもある、大き
く重厚な門扉。重さは数トンもあるだろうか、とても人の力では、動かせそうもない。

 南尾は、走った。校門の向こう、学校の外の自由に向けて走った。彼がその校門を横
切ろうとした時、その門扉は、殺意をはらんで動いた。
 門は大きく開け放たれ、十mも空間があったろうか。ちょうどその真ん中辺りを、南
尾は走り抜けようとした。その瞬間、門は閉まった。彼が通り抜けようとした、文字通
り瞬きする程の間に、爆発音のような音と共に、スロープの上を門扉は走った。
 瞬時に、南尾進の身体は、鋼鉄の門扉とコンクリートの柱に挟まれ、原型をとどめぬ
程に叩き潰されていた。十mの空間が音を立てて閉じるのに、一秒もかからなかった。
一呼吸する程の時間に、南尾はミンチになった。
「ハハハハハハハ!」
 言葉を失って立ちすくむ荒光と掛川の回りで、バイクに乗った二人は笑った。笑いな
がら今まで回っていた円を崩し、校舎側へと回り込む。
「ハッハッハッハッハ、ハハハハハハハ」
「いったい、お前たちは、何なんだ!」
荒光は絶叫した。その側で、掛川は側にある鳥飼の死体の手元にひざまづいた。
「これを見て」
 促す声に、荒光は大地に膝を突き、視線を下に落とした。鳥飼が、最期の力を振り絞
って書いたのだろう。アルファベットが、地面に刻まれている。C・H・A・T・E・
R・E。
「何だ……? チャテレー……?」
「違う。アナグラムになってる」
首を振ると、掛川は側の地面に綴りを並べ換えて書いて見せた。
「T・E・A・C・H・E・R」
「Teacher……」
「そう」
 掛川はうなずき、立ち上がって、笑い続けるバイクの男たちを指さした。
「彼らは教師」
「その通りだ、掛川多岐美」
校舎側、バイクの男たちの背後、眩いばかりの照明灯の光の向こうから、声がした。

声の主は、光の中からゆっくりと歩み出て来た。
「我々は教師だ。おまえたちを管理する者だよ」
 そう言って、ジャージ姿の体育教師、水島栄吉は傲然と腕組みした。
「残念ながら、おまえは後回しだ」
 水島は、掛川の足元に座り込んでいる荒光に、顎をしゃくった。
「まずはそこの腰抜けからだ。立てよ、荒光」
荒光は、立ち上がろうとはしなかった。顔を伏せているので、その表情は水島からは
見えない。
「……なぜ?」
代わって、掛川が言葉を紡いだ。
「どうして、こんな事を?」
「フン」
 水島は荒光が反応しないのに、苛立ったような表情を見せていたが、掛川が問うと鼻
で笑った。
「なぜだと? これは粛清だ。処刑なんだよ」
近くの照明の光は、かなりの熱を持っているらしい。水島の頬を汗が滴たる。だが、
水島はそんな事には頓着せず、酔ったように続けた。
「今日選ばれた貴様ら八人は、社会の落ちこぼれだ。この中学校の卒業証書を持ってい
るというのに、社会生活に適応できず、腐っている。まともな職にもつかず、ついても
会社のゴミになっている。この城之刻中学の恥だ。だから、死を持ってこの中学の卒業
資格を返上してもらう」
「そんな事? ただそれだけのために……?」
「おまえが、その最たる者だ。掛川多岐美」
 水島は、彼女を指さして続けた。
「この学校で、贖い難い罪を犯したおまえが、のうのうと社会に出て生活している。そ
れが許されるはずがない! 荒光の後は、おまえが裁かれる番だ!」
 掛川は首を振り、静かな声で言った。
「……それなら、なぜあの時、私を裁かなかったの? あなたたちには、それがしたく
ても出来なかった……。裁かれるのはこの学校の方だったから。本当に贖えない罪を犯
し、そして今も犯し続けているのは、あなたたちだから……」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ!」
 それを聞いて、水島の形相は明らかに変わった。
「我々教師は、人間を管理し導く存在だ! 俺たちはその使命を遂行しているにすぎん
! 俺たち教師は、社会にとって必要かつ有益な人間を育成し、人類そのものをより秀
でた存在へと導く使命を負っているんだ! そのためには、落ちこぼれや、登校拒否児
のようなクズは、排除し淘汰する! 我々にはその資格があるんだ!」
「……どこにそんな資格が?」
 低い、押し殺したような声を、掛川は出した。
「仮面を被って、大袈裟な仕掛けを造って、スプラッタ紛いの方法で人を殺して。そん

子供じみた真似をする人間に、そんな資格があると思う? あなたたちは、この殺戮を
楽しんでる。貴方たちは裁かれなければならない」
「……フン。なら警察を呼ぶか?」
 言葉に詰まった水島に代わり、バイクの教師の一人が馬鹿にしたような声をあげた。

「くだらん夢は捨てて、現実を見ろと教えたはずだ。おまえらは脱出不可能だ。ここで
死ぬ。裁くのは俺たちだ」
バイクの教師二人は、ボウガンを構えた。つがえられた新たな矢が、掛川を狙う。
「そうだ! おまえらは死ぬ! さっさと命乞いしたらどうだ!?」
 水島が唾を飛ばして叫ぶ。
その時、鈴の音がなった。

続きへ。