ソ連の対日参戦について





1、日ソ中立条約

 ソ連の対日参戦を日ソ中立条約違反とする主張があります。国際法や国際政治の専門家ならば、それぞれいろいろな考えがあるのでしょう。法的には、次のようになります。裁判では、唯一の確定判決である東京裁判で、ソ連対日参戦は正当なものと認定されている。政治的には、日ソ共同宣言で、正否判断無しに、解決済みの問題である。
 なお、ソ連対日参戦は米大統領ルーズベルトの提案によるものですが、提案者米大統領を不当と非難する意見を日本であまり聞きません。


まず、日ソ中立条約は、四条よりなる、短い条約です。

 第一条 両締約国は 両国間に平和及友好の関係を維持し 且 相互に他方締約国の領土の保全及不可侵を 尊重すべきことを約す
 第二条 締約国の一方が 一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には 他方締約国は該紛争の全期間中 中立を守るべし
 第三条、第四条 (有効期限に関する条文)
 

 ソ連の対日参戦を日ソ中立条約違反とする主張の根拠には、大きく分けて次の3つがあるようです。

 @第一条違反とするもの、あるいは第一条前段違反とするもの
 A第一条前段を訓示規定とみなして、第一条後段違反とするもの
 B第二条違反とするもの

 @の主張は、東京裁判で弁護側が行ったものです。判決では、完全に否定されています。関東軍特別大演習をみれば、「両国間に平和及友好の関係を維持し」に日本は違反していたことは明白でしょう。
 第一条前段違反は、日本もソ連も同じでした。詳しく数えると、双方共に200回以上の第一条前段違反があるそうです。

 Aの主張は、@の主張が否定されたために考え出されたものと思います。第一条に「且」の文字が入っているので、前段を訓示規定、後段を実質規定とみなしうるのか、こような解釈がそもそも可能なのか、疑問です。
 さらに、「締約国の領土」とありますが、締約国の領土とは、ソ連から見たら日本の領土であることは自明です。満州は含まれません。このため、満州関東軍相手の戦闘が第一条後段違反との主張には無理があるでしょう。もっとも、ソ連の宣戦布告は日本国に対して行われたので、このあたりは、どのように解釈すればよいのでしょう。

 Bの主張は無理だと思います。「第三国よりの軍事行動の対象と為る場合」とあるので、他国から侵略を受けた場合のことを言っています。積極的に他国を侵略した場合は、第二条の適用範囲外です。このため、第二条を根拠とするためには、米国が日本を侵略したとの主張が必要になり、戦後の政治情勢を考えたら、このような主張は不可能です。

 ボリス・スラビンスキー氏は「日ソ中立条約」の中で、東京裁判の判決を批判しています。判決では、日本が第一条に違反していたことが指摘されていますが、スラビンスキー氏はソ連も同様に違反していたと主張しています。しかし、この主張は、無意味です。日本が違反していたか否かが、ソ連が不当か正当かに関係してきますが、ソ連が違反していても違反していなくても、ソ連の対日参戦の正当性には関係が無いことです。

 敗戦濃厚になってきた日本政府は、ソ連に対して対米講和を斡旋しようと試みます。この時点で、すでにソ連とアメリカとは、ソ連対日参戦の合意ができていたので、日本の望みはかなうはずも無かったわけです。敗戦間近の侵略国家に、講和を斡旋することがあろうはずも無いので、その点からも日本の望みがかなうはずも無かったわけです。あまりにも甘い日本政府の見通しにはあきれるばかりです。日本政府の甘い見通しに対して、ソ連外務省は明確な態度を示さず、ソ連対日参戦の準備を感ずかれないように情報統制を図っていました。戦争の準備としては、ごく当たり前のことでした。戦争とは敵国を欺瞞するものです。戦争準備期に、正確な情報を与えないことは、ごく当たり前のことです。
  


 作家の、半藤一利氏は、「ソ連が満州に侵攻した夏(1997.7 文芸春秋)」のなかで、次のように書いています。

 ソ連の侵攻にたいして、いまなお多くの人は中立条約侵犯を厳しく告発する。本文中にその点については明確にしておいた。が、書きづらいことながら、昭和十六年夏「関特演」作戦計画の実施か否かが真剣に論議されたとき、陸軍中央も外務省もほとんど日ソ中立条約を考慮にいれていない。当時の軍や外交のトップは政治や外交は本質的に揺れ動くものであり、約束が紙くず同然になることは百も承知していた。それが世界政治の現実なのである。その非をソ連にだけ負わせるわけにはいかないのである。
 紀元前一五〇〇年から紀元一八六〇年までのあいだに、八千四百の条約が結ばれたが、その寿命の平均は二年であった、という(ジャン・バコン『戦争症候群』竹内書店新社)。この調査以後の百年、平均寿命はもっと短いかもしれない。不戦の誓いは脆いのである。




2.ソ連の対日参戦は正義か否か


 政治に対して、どのような評価を下すかは、それぞれ個々人によって異なります。ソ連の対日参戦は正義と見る人も不正義と見る人もいるでしょう。
 ソ連が勝者の側であることは明白です。ソ連対日参戦は米国の要請・英国の支持・中国の歓迎と協調の元に行われました。戦後、国連安保理常任理事国はこれら4カ国とフランスが勤めています。国連安保理常任理事国のうち1カ国でも反対すると決議案は成立しません。常任理事国のうち4カ国までもが、ソ連対日参戦に一体となっているのだから、戦後政治でソ連対日参戦を不正義とする考えが受け入れられる余地はないでしょう。
 なお、ソ連対日参戦は米大統領ルーズベルトの提案によるものですが、提案者米大統領を不当と非難する意見を日本であまり聞きません。

 ソ連の対日参戦に対して、どう考えるべきか、中国東北部・南樺太・千島でそれぞれ異なると思います。
 中国東北部は中国が評価すべきことです。中国は、ソ連軍を中国解放のための協力者と評価していますので、私はその考えに従っています。
 南樺太・千島はどうでしょう。そもそも、評価すべき正当な主体は誰なのか、よく分かりません。
 ソ連対日参戦の大部分は中国東北部であるため、ソ連対日参戦を大雑把に評価するならば、中国の認識に従って、「正義の解放者」は正しい認識でしょう。この認識は、南樺太・千島には当てはまりません。どのように評価すべきなのか、評価すべき正当な主体は誰なのか、良く分かりません。







北方領土(あるいは千島・南樺太)の領有は日本とロシアと、どちらが正義か

 千島や樺太にはもともとアイヌの人たちが住んでいました。北からはロシアが、南からは日本が侵入し支配しました。北から侵入するのと、南から侵入するのとでは、どちらが正義かといったところで、全く無意味です。

 以下の、和田春樹氏の考えは全く正当です。
 『クリル諸島とサハリンというアイヌの土地に攻め込んだロシアと日本は支配したところを自らの領土としようとして、互いに争いあった。第二次大戦後はソ連がサハリンもクリル諸島もすべてをわがものとしてしまったのに対して、日本はそれではあんまりではないか、すこしは日本によこしなさいと言っている。理屈はいろいろつけているが、赤裸々に言えば、そういうことである。だから、争いがあっても、本質的対立にはならない。 』
 http://www.wadaharuki.com/

 北方領土問題は、お互いにいろいろと理屈をつけていますが(日本のほうがずっと多いですね)、要するに、お互いの力関係から見た場合、どこに線引きしようか、それだけのことでしょう。



2005年07月


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