北方領土問題とは何か
2009年2月のBlogの転載です。
その3・・・ロシアの立場
1946年1月末、GHQ指令で、日本が正式に千島の施政権を中止させられると、ソ連は、直後に自国の領土へ編入しました。このとき以降、ソ連・ロシアの国内法上、千島はソ連・ロシアの領土になっています。そして、歯舞を含む全千島はロシアの正当な領土であると一貫して主張しています。
1956年、日ソ共同宣言が締結され、ソ連は、日本国の要望および日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意しました。
ロシア政府は、「引き渡す」となっているため、引き渡す前は、ロシアが正当に領有していることが前提になっていると解釈しています。日本政府は、「引き渡す」は単なる物理的移転を意味しているに過ぎず、領有の正否には触れられていないと解釈しています。将来、日本に歯舞・色丹が返還されることになった場合、ロシアがこれまでの領有が正当であることを日本が認めることを条件にする可能性があります。
こうなったとき、日本はどうするのだろう。不当であると主張して、返還をさらに先延ばしにするのか、現実的利益を求めるのか、難しい政治判断が求められることになります。逆にいうと、現在ロシアが領有していることを不法占拠のことばで、日本国民に植え付けておくことは、歯舞・色丹の返還を阻止し、日本に領土が決して返還されないために、きわめて有効な手段です。
その4・・・GHQ指令677号と二島返還
今週末は北方領土の日なので、北方領土問題を簡単に説明します。
GHQ指令677号(SCAPIN-677)は二島返還へ重要な役割を果たしています。
行政区域では、歯舞は根室国に所属し、色丹・国後・択捉は千島国に所属しています。千島を行政区域と解釈すると、色丹・国後・択捉を含み、歯舞を含まないので、日本はサンフランシスコ条約で千島を放棄した以上、歯舞以外の請求権を喪失しています。
しかし、1946年1月末のGHQ指令677号(SCAPIN-677)では、歯舞・色丹は千島に含まれないような表現になっています。なぜ、このように書かれたのか、詳しいことは分りません。
同年2月、ヤルタ協定が公表されることにより、日本が千島を失うことが連合国の了解だったことが明らかにされると、GHQ指令677号で、歯舞・色丹は千島に含まれていなことを根拠に、日本政府は、ヤルタ協定で言う千島に歯舞・色丹は含まれないとの説明をしています。
1951年サンフランシスコ条約で、日本は千島の領有を放棄しましたが、同条約国会では、放棄した千島に国後・択捉は含まれ歯舞・色丹は含まれないとの説明がなされています。
1956年、日ソ共同宣言で、歯舞・色丹の平和条約締結後の日本への引渡しが合意されました。ヤルタ協定では千島のソ連引渡しが連合国間で合意され、サンフランシスコ条約では、日本が千島を放棄することが定められています。ヤルタ協定・サンフランシスコ条約では千島の範囲は定められていません。ヤルタ協定当時、日本で千島と言ったら、色丹島を含むことは明白でした。それにもかかわらず、ソ連が、色丹島返還に合意した事実に、GHQ指令677号が一定の役割を演じていることは充分に推定できることです。
このように、GHQ指令677号は北方領土問題と深い関係を持ち、さらに、日本の領土喪失に決定的な役割を演じていますが、だからと言って、GHQ指令が直接に領土問題を決定した法的文書であるわけではありません。
GHQ指令は日本の統治をしていた占領軍が日本政府に宛てた覚書(メモランダム)なので、GHQ指令で使われた千島の範囲が、サンフランシスコ条約の千島の範囲とみなす直接の根拠にはなりません。
GHQは米国の軍隊であると言う実質面と、極東委員会の下部組織という形式面の2面性を持っていました。GHQ指令677号も実質的な役割と、法的役割が異なります。
その5・・・今も生きているマッカーサーライン
昭和21年6月22日、GHQはSCAPIN1033を命令して、日本漁船の漁業範囲を定めました(昭和23年12月に千島・歯舞での境界を明確にした改訂がおこなわれています)。いわゆる、マッカーサーラインです。この指令は、サンフランシスコ条約締結直前に取り消され、現在は効力をもっていません。
しかし、北方四島付近での、日本とロシアの国境は、事実上、マッカーサーラインが踏襲されており、北方領土近海漁業に大きな影響を与えています。
図に『中間線』と書いてある青線は、『北海道海面漁業調整規則による参考ライン』で、この線のロシア側での漁業は原則禁止されており、この海域で密漁をすると日本でも処罰されることが有ります。赤×印は、納沙布岬灯台と貝殻島灯台のちょうど中間地点、赤丸印は、マッカーサーラインで定められていた納沙布岬・貝殻島の中間地点です。現在の中間線は、マッカーサーラインと、ほぼ同じ位置に引かれています。桃色線で囲まれた所は、日ロで認められた昆布漁海域で、ここで昆布漁をするためには、ロシアに入漁料を支払う必要があります。
国連海洋法条約第十五条では、海の国境線のことを『中間線』といいます。北方四島はロシアの領土であることを日本が正式に認めているわけでは有りませんが、事実上の海の国境になっているので、通常、図の青線ののことを『中間線』と言います。
その6・・・現状は最悪よりもさらに悪い状態です
日本は、1951年のサンフランシスコ条約で、千島の領有を放棄しました。北方領土問題とは、放棄した千島に北方四島が含まれるか否かの問題です。実際には、次のようになります。
・北方四島すべて千島・・・大雑把な地理認識
・択捉、国後、色丹は千島・・・行政区分
・択捉、国後は千島・・・明治初年の行政区分、SCAPIN-677
・北方四島は千島ではない・・・幕末・明治初年の条約誤訳の強引解釈
歯舞を千島とする考えは、かなり強引で無理があり、逆に色丹を千島でないとするのは苦しいものが有ります。
1956年の日ソ国交回復交渉に当たった、松本俊一全権によると、当初、松本は歯舞返還は可能でも、色丹返還は困難で、これが成功すれば、日ソ平和条約が締結できると考えていました。交渉をはじめると、意外にも、ソ連は色丹返還をあっさり認めたため、松本は、これで条約締結可能と思ったところ、日本政府は二島返還での妥結を禁止、条約交渉は暗礁に乗り上げました。その後、重光葵が筆頭全権として平和条約交渉を行い、二島返還で平和条約締結の条約草案を日ソ間で合意し、本国に伝えたところ、日本政府はこの草案での妥結を禁止、さらに、アメリカからは二島返還で妥結したならば沖縄を返さないとの恫喝を受け、結局、日ソ平和条約交渉は頓挫しました。(詳しくは、松本俊一著「モスクワにかける虹」)
1956年の日ソ共同宣言では、平和条約締結後に、歯舞・色丹を日本に引き渡すことが約束されました。
ロシアは、歯舞・色丹を、将来、日本に引き渡す条約上の義務を負っていますが、今は、その必要はありません。日本に引き渡すまでは、日本漁船に対して入漁料を徴収したり、歯舞・近海で漁獲した水産物を日本に輸出したりと、日本から経済的利益を得ることが可能で、現にそのようにしています。ロシアとしては、北方領土問題解決による具体的な経済的利益は無いわけです。
写真は、貝殻島を納沙布岬から撮影したもの。
貝殻島と言うから、島であるような錯覚をしている人が多いのですが、写真を見れば分るとおり、島ではなくて海中です。潮の状況によっては、海面上に姿をあらわすこともあるそうです。このような状況の場所は、国連海洋法条約で言う島には該当せず、一般には領海を持ちません。
現在、日本とロシアの中間線(海の国境)は貝殻島を基準に引かれていますが、隣のオドケ島を中間線の基準とすると、数百メートル日本の領海が広がり、貝殻島昆布漁区の一部は日本の領海になるようです。現在、日本はこの部分さえも、入漁料をロシアに支払っています。
もし仮に、日ロ間で北方領土問題が解決したとしましょう。日本にとって、ありえない最悪の解決は、四島すべてロシアの領土となることですが、この場合でも、中間線(海の国境)は数百メートル日本に有利に引かれる可能性が有ります。要するに、現在日本の置かれている位置は、最悪よりもなお悪い状態です
納沙布沖の日ロ中間線を書きましたが、範囲が狭すぎて、分かりづらかったため、もう少し広い範囲を書いておきます。
3.この指令の目的のために、日本は次のように定義される。 四つの主要な島(北海道、本州、九州及び四国)及び・・・およそ1000の隣接諸小島を含み、4条は日本の植民地を取り上げたもので、この地域が日本に残ることは考えられないわけですが、3条は、『この指令の目的のために、日本は次のように定義される』とあるように、連合軍の統治形態が、日本政府の行政権を残した間接統治の範囲を定めたものなので、そこに含まれない3条a,b,c項の領土が、その後どうなるかは、この指令では、何も分りません。
(a)鬱陵島、竹島、済州島、(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外郭太平洋全諸島、(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島を含まない。
4.さらに、日本帝国政府の政治的・行政的管轄権から特に除外される領域は次の通りである。
(a) (省略)
(b)満州、台湾、澎湖列島。
(c)朝鮮及び、
(d)樺太。