北海道立 北方四島交流センター 
(通称 ニ・ホ・ロ)



北方領土問題の啓発・四島交流の拠点施設として、2000年にオープンしました。


建物の全景。写真をクリックすると拡大します。

住所:北海道根室市穂香110−9
電話:0153-23-6711
URL:http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/section/nihoro/top.htm


1F展示室

床面積386m2と、最大のスペースの部屋。

『北方四島の歴史、生活、交流、返還運動の状況などを最新の映像機器などで紹介しています。』(パンフレットの説明文)

 
 
 

1F展示室入り口の説明


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(展示の説明には次のように書かれています。)
四島の<歴史>  日露の接触と開国

四島ははじめ、アイヌの生活の場であった。
江戸時代になると、高価なラッコの皮などを求めて松前藩の交易船やロシアの人々がやってきた。
そして四島は日露の交流の舞台となった。

北方領土の歴史は、史実を忠実に説明するのではなくて、日本政府の領土要求を、日本人がその通りだと思い込ませるために、日本政府に都合の良い事実だけが強調され、都合の悪いことは、なかったかのような扱いを受ける傾向があります。でも、この説明は、史実を忠実に説明する姿勢が現れているようです。



 
 
 
 

展示室(写真をクリックすると拡大します)

四島の歴史の説明 四島交流の様子
展示品 ロシア人形のディスプレイ
ミニシアターがあります


 中左の写真は、展示室にあった「エトロフ島の消印のある封筒」。
 戦前、エトロフ島で使用された封筒を展示したものですが、差出人住所が「千島国(留別局配達区内)留別港」となっています。日本はサンフランシスコ条約で千島列島の領有を放棄しました。エトロフ島は千島に属することが明白にわかる展示品です。


2F 北方資料館展示室(78m2の部屋が2部屋あります)

 ここは、北方同盟(社団法人 北方領土復帰期成同盟)の展示館として使われています。
  『北方領土に関する歴史的な写真、資料、物品等を多数展示しています。』(パンフレットの説明文)
 1Fの展示室は歴史を正しく説明しようとする姿勢が感じられるのに対して、この展示室は、自分達に都合の良いことをつなぎ合わせて、自分達の主張を押し通すことを目的としているように感じました。

北方資料館展示室(写真をクリックすると拡大します)

北方領域に進出した和人の
業績を称えているようです。
日本の学校教科書地図。
戦前と最近の教科書のみ展示されています。
  


 戦前、千島は日本の領土だったので、学校教科書地図では千島を日本の領土と記載していました。戦後になると、北方領土を含む千島の施政権を失ったので、学校教科書地図では日本の領土では無いように記載されました。1960年代になって、東西冷戦が深まり、日本政府はソ連を仮想敵国とするようになると、それに呼応して、学校教科書地図では、「北方四島を日本の領土・それ以外の千島と南樺太を帰属未定地」と書くことを、強制しました。
 ここには、戦前の学校教科書地図と、北方四島を日本の領土と記載することが強制された以降の本のみが展示されており、北方四島が日本の領土では無いように書かれていた教科書地図は展示されていません。


大日本地名アトイヤの標柱(レプリカ)

北方資料館の説明
 
1800年(寛政12年)松前御用取扱近藤重蔵が、択捉島のカムイワッカオイの丘
に「大日本恵登呂府」の標柱を建てた。この標柱は1860年(万延元年)頃、腐朽
していることがわかったのでこの島を守備していた仙台藩士が再建したのがこの
「大日本地名アトイヤ」の標柱。しかし、調査がっ不十分であったためこの標題と
なった。1875年(明治8年)持ち帰った。  (模型)  市立函館図書館蔵



菅原有悠、石井英二著『エトロフ島の青いトマト』の記述
 高田屋嘉兵衛と近藤重蔵がクナシリ島アトイヤに渡ったのが寛政十一年(一七
九九年)、エトロフに渡ったのが翌年である。近藤重蔵はそれに先立つ寛政十年
にすでにエトロフに渡り、蕊取村のカムイワッカ内の高地に「大日本恵登呂府」の
標柱を立てた。この標柱は、函館図書館に収蔵されていたといわれるが、実際に
展示されているのは、安政六年(一八五九年)に仙台藩士らが新たに立てたもの
で、現在は函館市北洋資料館に貸し出されている。函館図書館の解説の文章に
よると、寛政十二年に近藤重蔵がこの地に標柱を立てる以前、すでにロシア人の
立てた十字架があり、これを倒して重蔵は標柱を立てたということだ。

不思議な記述

 北海道立 北方四島交流センターのパンフレットでは、1F展示室の説明は『北方四島の歴史、生活、交流、返還運動の状況・・・』となっているのに対して、2F北方資料館展示室の説明は 『北方領土に関する歴史的な写真、資料、物品等・・・』と書かれています。
 展示の内容と『北方四島』『北方領土』の用語とには何か関連がありそうです。


2F 交流ホール


 187席の可動式イスを備えた、床面積284m2のホールです。北方四島ビザなし交流では、渡航に先立って、ここで北方領土問題の講習があります。各種視聴覚機器や同時通訳ブースなどを備えており、国際会議・講演会などにも使用されます。



交流ホール(写真をクリックすると拡大します)



1F 日本文化ルームとロシア文化ルーム

 日本文化ルームは、四島交流で来日したロシア人などに対して、日本文化に触れてもらうことを目的としてつくられた、和室です(床面積55m2)。
 ロシア文化ルームはロシアの楽器、民具などを展示してあります(床面積78m2)。


日本文化ルームとロシア文化ルーム(写真をクリックすると拡大します)

日本文化ルームの入り口 ロシア文化ルームの展示品 ロシア文化ルーム(ここで記念撮影します)



2F 展望室

 明るいオープンスペースで、天気の良い日には国後島などを望むことができます。双眼鏡が2台設置されています。


展望室(写真をクリックすると拡大します)




横死七十一人之墓のレプリカ
 本物は納沙布岬にあります。このレプリカは「根室市歴史と自然の資料館」にあるのだけれど、ニホロで特別展をしていた関係で、資料館のレプリカが、ここに置かれていました。
 墓石はクナシリメナシの乱で死んだ日本人を弔うものですが、碑の裏側には凶暴なアイヌの気の毒な犠牲者であるような書きかたです。
 実際は、横暴な日本人の弾圧に耐えかねたアイヌの蜂起でした。レプリカの隣に解説文があります。
 ニホロの2Fの北方資料館展示室には、横死七十一人之墓の拓本があります。


その他の施設

調理実習室
 1Fに78m2の調理実習室があります。ロシア料理の調理実習会や、地域の各種料理講習会などに利用します。ビザなし交流で訪れたロシア人に対する日本料理実習にも使われます。


対話ルーム
 2Fに82m2の対話ルームがあります。見た感じ、イスが並べてある、ちょっとした講習会室のようでした。

視聴覚室
 1Fに94m2の視聴覚室があります。ちょっと覗いた感じでは、対話ルームとの違いがわかりませんでした。使用準備中だったため、詳しく見ていません。

駐車場
 大きな駐車場があります。


(写真をクリックすると拡大します)

調理実習室 対話ルーム 駐車場


身体障害者用に、1Fから2Fへは
スロープが作られています
表示は日本語・ロシア語 併記




根室−国後島の間に敷設されていた海底ケーブル。明治33年ごろから終戦まで電話線として使用されていました。(2Fロビーに展示)
同じものが、花咲の「根室市歴史と自然の資料館」にもたくさんあります。




建物の概要  

設計 北海道岡田新一設計事務所、環境設備計画
施工 葵建設、広木建設、テラジマ、渡辺建設、石清水建設、高橋建設
着工・竣工 1998年7月着工、2000年3月竣工
工事費 20億5千万円
構造 RC 一部SRC
階数 地上2階、地下1階
建物面積 1693m2 (敷地面積 5000 m2
延床面積 2755m2
  (注:日経アーキテクチュア2000年3月号より)



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