太平洋戦争の終了

 太平洋戦争(十五年戦争、大東亜戦争)は、いつ終了したのでしょう。小学校の教科書では、8月15日と書かれていることが多いようなので、小学生的には8月15日でよろしいかと思います。法的には9月2日です。高校生の日本史教科書では、たいてい9月2日になっています。

山川出版、詳説日本史の記述

 昭和天皇のいわゆる「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定され、8月14日、政府はこれを連合国側に通告した。8月15日正午、天皇のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表された。9月2日、東京湾内のアメリカ軍艦ミズリー号上で日本政府および軍代表が降伏文書に署名して、4年にわたった太平洋戦争は終了した。

 この記述からも分かるように、8月15日は「戦争終結が全国民に発表された」日です。実際に終結した日ではありません。ポツダム宣言13条では、『全日本国軍隊ノ無条件降伏』 が定められています。このため、8月15日にポツダム宣言を受諾したとなると、樺太・千島で起こった戦闘の多くは、日本軍の犯罪行為になってしまいますが、ポツダム宣言の受諾は9月2日なので、日本軍人は犯罪ではありません。
 日本の国内向けの気分で、終戦記念日を8月15日とすることに、問題は無いのですが、法的には9月2日が停戦合意の日です。9月2日以前は通常の戦争、9月2日以降はポツダム宣言13条・降伏文書に従った武装解除・占領と言うことになります。

 当時、終戦はどのように説明されていたのか、参考に8月17日の朝日新聞の記事を掲載します。(旧字を新字にしています。○は文字がつぶれて読めなかったところ。)
昭和二十年八月十七日、朝日新聞の記事

講和までに三段階  戦闘状態未だ脱却せず
 大詔渙発せられてこゝに四箇年を○した戦争は終了したが、現在日本の直面してゐる状態は、未だ戦闘行為を完全に脱却した事態ではないことを注意しなくてはならない。即ち現在の自体はいはば相互に攻撃をかけると云ふ積極的な戦闘行為が休止されてゐる状態なのであり、国際慣習からいつてこの状態から完全に平和な状態に到達する為には更に三つの段階を経なければならない。
 即ち、第一の段階において帝国は陸、海、空、総ての軍隊に対して何月何日何時を以て一切の戦闘行為を停止すべきことを命令しこれを大陸戦線、南方戦線、太平洋戦線のすべての前線に完全に徹底せしめなくてはならない。これで次で四国側に於て戦闘を一切停止するのである。
 第二の段階はこの一切の戦闘停止状態において四国側は停戦協定に調印すべき我が軍事代表を指定の箇所に到着するやう要求し来るのであり、これに対し我方よりはおそらく陸海軍代表が派遣せされ、米英支ソ四国代表との間に停戦協定の正式調印を行ふのである。既に米国においてはマツクアーサーを米国側代表に任命したとも伝へられてをりその他の三国も速急に代表が任命されることにならう。かくて一切の戦闘行為の中止が法的根拠を持つてくるのである。
 第三の段階としては休戦条約の締結である。この条約は停戦協定と平行して準備せられるがその締結は更に若干の日時を要するものとみられ、この条約はポツダム宣言の条項を履行すべき具体的な事項が取り決められるのである。
 例えば軍艦とか武器の引渡し、軍需工場の処理、保障占領、賠償等の問題が夫々具体的に決定せられるのである。休戦条約の成立により戦争の自体は完全に脱却するのであり、この休戦条約の事態は相当長期間継続するものとみられるのであつて、例えばイタリアの如きは昭和十八年秋以来引続き休戦条約の状態におかれてゐるのである。そして、この間にあつて帝国の主権はなお完全に恢復せず陛下の大権行使も制限せられてゐるのである。
 帝国が独立国家として完全なる主権を恢復するのは保障占領の軍隊が悉く撤退して講和条約が締結された後のことである。その時はじめて帝国は戦前の国際的地位に立ち直り交戦国との大公使も交換しうるのであつて、この日に到達するまでに我々は如何に○苦に満ちた道を歩まねばならぬかを全国民は覚悟しなくてはならない。


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