一踏は1983年に心身訓練を開始し1988年に舞踏を始めた。
35年目となる2023年…。あっという間の出来事だった。
生きていることは死につつあること。
死につつあるということはまだ生きていること。
土方巽は、一踏がアスベスト館で初めて寝泊まり稽古した数年前に他界…。
2003年に元藤Y子夫人が亡くなり、2010年に大野一雄が103歳で亡くなった。
コロナ禍の2020年、慶人さんが81歳で死去。そして、
大野一雄や元藤Y子や慶人さんが踊った釧路の「ジスイズ」は東さんが倒れ、すでに鬼籍にいる…。
すでに棺桶に片足を突っ込みながら、自分たちはいったい何をしていたのだろうか。
長いような短い歳月の中、
舞踏という本当の夢をひっそりと見てきた…
生と死の狭間での密かな救いとして、いまだ舞踏という夢を生きる。
舞踏「偶成天」 森田一踏・竹内実花
追伸。
フランスにて、裸体・白塗りの異様な舞踏グループ「山海塾」が爆発的にデビューした1980年代…。そして、昨年2024年にボスの天児牛大(あまがつ・うしお)が逝去し、2025年には蝉丸がセンターを務めた30数年ぶりの札幌公演に見入った。
その姿に接して歳月の進む速さとともに、しかしそれでもまだ自身のそこかしこに漂う「舞踏」を感じとりまだ少し先へと進む―。 森田一踏 2025, 8月吉日
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