ドメスティック・バイオレンスから逃れて



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 9X+2年の夏、「コンビニに行ってくるから。」言い付けられた買い物をするために部屋を出された私はそう言い残して、二度とその部屋には戻りませんでした。
数日前にドライバーで刺された額の傷はまだ生々しかったし、出てくる前の一件で腕や脚は打撲で赤く腫れ、鼻と口元には乾いた血がこびりついていて、こんな姿で実家に戻るのは堪え難いことではあったけれど、自分が死ぬか相手を殺してしまうまで、この生活は終わらない、というところまで私は追い詰められていたし、「生き延びるために、今逃げなければ」という本能的な気持ちだけで家に向かって走っていました。

 夫婦間や恋人同士など親しい男女間での(主に男性から女性に対する)暴力、虐待(言葉による虐待、精神的虐待、性的虐待、経済的自由を与えないなども含む)のことをドメステイックバイオレンスといいます。その多くが密室で行われるため表面化しにくく、
また女性は男性に仕えるものという昔からの偏った考え方の弊害もあり、 「被害を受けた女性自身に問題があったから」という周囲の無理解や、被害女性自身も「自分さえもっと頑張れば…」 「自分が至らないから…」と思いこまされてしまうために助けを求めることが出来ず、
最悪の事態(本人の虐待死または思い余って相手を殺傷するなど)になってしまう事もあります。
私が経験した約3年半の同棲生活もまさにその通りのものでした。

 9X-2年、その同棲相手に出会う数か月前から、私は精神科のクリニックに通院していました。神経症という診断を受けての事でした。
 その頃、私には4年間付き合っていた人がいて、T市で勤めていた彼は私との結婚を考えて転職し、S市に帰って来ていましたが、1年半の遠距離恋愛を経た関係は、気まずい方向に変化して、別れ話になっていた上、私は過労からしばしば体調を崩し、生きがいにしていた仕事も辞めなけれぱいけなくなっていました。

 幼い頃からいわゆる「良い子」だった私は、反抗することもなく、言いたいことも言わず、親の(母親の)期待に添うように、殆どそれだけを考えてきました。
でも余りに頑張り続けてしまったせいか、私は「完壁にできて当たり前」で、褒められ、認められるためにはそれ以上のことをしなけれぱいけませんでした。
 恋人のこと、仕事のこと、一度に二つの大きな挫折を味わってボロボロの状態でしたが私は、家族にさえ弱みを見せられませんでした。信頼できる友人はS市を離れてしまっていたし、頼れる人はだれも居ませんでした。

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* 作成 by T.kasai (7/28,2000)   無断転載禁止