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◆「暗黒舞踏」 The world of Butoh Dance ◆

〜 舞踏「偶成天 ぐうせいてん」2024 年 〜




"Oxford Handbook of Dance and Wellbeing" (2017)

第14章 「舞踏ダンス、野口体操そしてヒーリング」
 〜 AI翻訳です! (PDF) 〜 (6/9, 2024 追加)
  • [ A ] ― 舞踏の簡略的な歴史と野口体操
  • [ B ] ― 舞踏と野口体操のエクササイズ
  • [ C ] ― 舞踏と野口体操の身体心理社会学
by Paola Esposito, Toshiharu Kasai/ Itto Morita.
山海塾が取り入れた野口体操と舞踏との関係、
舞踏が舞台芸術に収まりきらない理由が指摘されています。



令和6年3月 「山海塾」天児牛大、逝去…。

山海塾―。 1980年代、今から40年以上前は20代だった山海塾は、フランスのナンシー演劇祭での衝撃の登場から、「舞踏 butoh dance」という白塗り裸体の舞踏手によるパフォーマンスによって、欧米に一気に認知されました。その後、世界の43ヶ国以上で公演を行うなどで世界的に高名な山海塾は、かつての日本の土俗的な要素とともに、極めて洗練された舞台とで知られています。
 その山海塾を主宰する天児牛大(あまがつ うしお)が3月25日に逝去しました。74歳でした。長年の舞踏活動に敬意を込め謹んでご冥福をお祈りいたします…。
 札幌では一昨年、公演が予定されていましたが、出演者がコロナウィルスに罹患したため急遽中止となりました。ホールの入り口の「公演中止…」を張り紙を見て本当に残念に思いました。
 
 さて―。昔々、東京は目黒に舞踏の拠点「アスベスト館」があった頃、故土方巽の奥さんで館主だった元藤Y子(あきこ)さんが話してくれた言葉を思い出します。「山海塾が半年間の海外公演を終えて東京に戻って来るたび、天児牛大が挨拶に来るんだけれど、私はいつも言うのよー『あんたたちのは舞踏じゃない!ってね』…。
  世界に冠たる山海塾の踊りが舞踏ではない―?! その理由はとうとう聞けず仕舞いでしたが、自分としては次のように感じていました―。  
  • 欧米のパフォーミング・アートにおける「アート的な志向」に引き込まれて(1980〜2024)、日本の土俗的なものを少しずつ薄めていったこと。
  • 大正時代から言われていて、舞踏手の多くが影響されていた「エロ・グロ・ナンセンス」的な要素は極力、排除していたこと。
  • 野口体操を取り入れそれを動きと舞台とに活かしていった山海塾のスタイルは、それ以外の舞踏集団とは異なっていること…。
 元藤さんの真意は分かりませんでしたが、自分自身は歪み捻れてしまう心身を抱えていたことから、後年の山海塾の美しさはあまりにも眩しかったことを書いておきたいと思います。

3〜4月、突然の座骨神経痛により身動きできずにいた
森田一踏 記 (2024/5/6)