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第14章 「舞踏ダンス、野口体操そしてヒーリング」 〜 AI翻訳です! (PDF) 〜 (6/9, 2024 追加) 山海塾が取り入れた野口体操と舞踏との関係、 舞踏が舞台芸術に収まりきらない理由が指摘されています。 |
令和6年3月 「山海塾」天児牛大、逝去…。
山海塾―。 1980年代、今から40年以上前は20代だった山海塾は、フランスのナンシー演劇祭での衝撃の登場から、「舞踏 butoh dance」という白塗り裸体の舞踏手によるパフォーマンスによって、欧米に一気に認知されました。その後、世界の43ヶ国以上で公演を行うなどで世界的に高名な山海塾は、かつての日本の土俗的な要素とともに、極めて洗練された舞台とで知られています。
その山海塾を主宰する天児牛大(あまがつ うしお)が3月25日に逝去しました。74歳でした。長年の舞踏活動に敬意を込め謹んでご冥福をお祈りいたします…。 さて―。昔々、東京は目黒に舞踏の拠点「アスベスト館」があった頃、故土方巽の奥さんで館主だった元藤Y子(あきこ)さんが話してくれた言葉を思い出します。「山海塾が半年間の海外公演を終えて東京に戻って来るたび、天児牛大が挨拶に来るんだけれど、私はいつも言うのよー『あんたたちのは舞踏じゃない!ってね』…。 世界に冠たる山海塾の踊りが舞踏ではない―?! その理由はとうとう聞けず仕舞いでしたが、自分としては次のように感じていました―。
森田一踏 記 (2024/5/6) |
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