butoh/itto ankoku butoh



偶成天 舞踏セラピー

「舞踏セラピー」という表現をずーっと避けてきました。
しかし、2011年の震災を目の当たりにして、怒りの悲嘆の波をなだめ鎮めるため、
この言葉でのアプローチを開始しました。

その後、特に「舞踏セラピー」という言葉に執着することなく、
生きることにつきまとう様々な感情を、良いものもつらいものも含めて
舞踏という場の中で深めてきています。
そうしているうち、舞踏セラピーは「痛みを癒やす」…
ということに近いものとなってきています。

…この文章を書いたのが2017/1/3でした。ちょうど三年前のことです。
しかし、「セラピー」という言葉を安易に使う世の中の風潮が気になり
この言葉を明示的に使うことはできるだけ避けてきました。

ただし、身体心理療法の要素を丁寧に見通しながら進める「ボディラーニング」や舞踏のレッスンでは、実際的にセラピー的な展開が多くありました。
そのため、依然として注意を払いながらですが、 誤解の恐れがない範囲では、必要に応じてこの言葉を用いることにしています。
(森田一踏、1/3, 2020)


舞踏セラピー

森田一踏・竹内実花

(10/23,2011)


舞踏セラピーに先立って ...

 1988年に舞踏を始めたが、それに先立つ5年前の1983年に竹内敏晴と出会ったことが身体心理的アプローチへと方向を切り替える大きなきっかけとなった。そうして仲間たちと一緒に竹内レッスンを行っていたのだが、じきに自分自身にはそうしたレッスンを指導するだけの経験と感性とが欠けていることを痛感する事件があった。今思えば、当時はそれなりに必死にがんばっていたと思うが、やはり経験量とそうした経験から深まる身体心理的な感性が不十分だったとは思う。
 そうした中でどうしようかと悩んでいたときに山海塾・蝉丸による舞踏ワークショップが札幌近郊の小樽市であることを知り参加した。それが1988年だった。当時、小樽市に拠点をおいていた「古舞族アルタイ」に参加し数年間、稽古と公演に関わったが、じきに自分自身が目指していることとのズレを感じ離れた。その後いろいろとあったが1996年に竹内実花と舞踏集団「偶成天」を旗揚げして2011年に至っている。
 ところで、「舞踏セラピー」という言葉をここで用いているが、1988年からこれまでその言葉を公的に使ったことはない。何かの書き物で舞踏セラピーと書いたことはあったと記憶しているが、「舞踏セラピー」ということを基本にすることを宣言したことはない。その理由は、これまでの舞踏の稽古や公演の中で、舞踏ということが心理的に不安定な者にとってはしばしば危険であることを体験しているからである。
 あるとき、偶成天デュオの公演の最中に観客の女性が大声で嗚咽し始めたことがあった。周りの観客にも迷惑になるような声だったが、それはそれとして舞台は終わった。後で知ったのだが、その女性は公演があったシアターに知人がいたので、入院していた精神科の病院から遊びに来ていたということだった。偶成天の公演「あれは私の世界だ」とその女性が言ったという。歓喜なのか恐怖なのが安堵なのか…。その女性の嗚咽の理由は分からないが、私たちの舞踏がそうした反応を引き起こしてしまうことはその後も何度もあった。  ある公演では舞台が終わった後も数人の観客が固まったままズーッと席を立たないままいたりしたが、これはそれほど珍しくはない光景だったし、先ほどの女性ほどの大声での嗚咽はないにしても、そうした感情的な反応をしている観客は舞台で踊っている私たちの目にもしばしば届いている。
 
 1999年から私は札幌市のある精神科クリニックを中心に「ダンスセラピー」のプログラムを担当している。すでに12年目となっているが、当時は統合失調症の患者さんが多くいたように記憶している。2004年からは臨床心理士を養成する修士課程のある大学で教えるようになったが、医学部などでは違い、そうした課程では統合失調症者などの患者さんたちと関わる機会は極めて限られている。精神科ディケアを含めて、多いときには週に数回別の病院でも行ったりして、精神科病院やクリニックで様々な病名の患者さんたちと関わるようになった。
 あるとき、竹内実花のソロの舞踏ライブがあり、それを見ていた若い女性が発作的な状態に陥ったことがある。(事情により内容を書き換える) それまで精神科で患者さんたちと関わっていた経験から、それが統合失調症の急性症状の一つだと私は感じた。大きく目を見開いて、恐怖というか絶望というか極度の恐慌状態の中にいた。私はたまたまその女性と話せたので、パニック状態から少しでも抜け出られるように関わった。幸いなことに、その女性は次の日には何とか通常の状態に戻っていてくれた。  23年間の舞踏活動の中で、そこまで極端なことはそれほど多くはないにしても特に珍しいことでもなかった。こうした経験があるためか、インターネットのサイトなどでButoh Therapyという表現を見ると極めて懐疑的に感じてきた。私たちが経てきたような経験を踏まえた上で「舞踏セラピー」と呼んでいるのだろうか、と。
 
 アートということが本質的に統合失調症的な精神構造と関わっていることは理論的にも指摘されているし,私自身のこれまでの経験からも肯定できることである。舞踏は、そして特に暗黒舞踏と呼ばれたかつての始まりの頃の舞踏は、山海塾のスタイリッシュな舞踏がフランスのButohの標準となった今日では考えられないくらいに、猥雑で異邦的で様々な非日常的な要素に満ちていたと思う。昔もそうだったと思うが、舞踏は「舞踏家の数だけある」。
 「偶成天」の舞踏活動の間に、竹内実花と私は日本ダンス・セラピー協会認定ダンスセラピストとなったのだが、当初必要とされた400時間の臨床経験は、精神科での「ダンスセラピー」「リラクセイション」プログラムの指導によって認定された。現在ではすでに10年以上継続しているので少なくとも2000-3000時間もの指導時間となっているが、そうした経験が偶成天の舞踏のあり方にも強く影響することになった。
 歳月を経てかつての舞踏手とのつながりもすでに切れつつある現在、海外で活動している数名の日本人舞踏家との交流の他は、私は他の舞踏家とあまりつきあいがない。その理由の一つは、正直に言うと、真正の精神的恐慌状態を見てきた私には、通常のパフォーミング・アーツとして踊られる舞踏への関心を失っていることがあるだろう。パフォーミング・アーツとして秀逸な舞台や公演は多々あるだろうが、私の身心はあまり反応してくれず残念に思う。
 
 舞踏セラピーとは何か。
 とりあえずこれまでの経験と経過(上記)を述べてその方向性だけは示す…。   
(森田一踏 10/23, 2011)



舞踏セラピーを始める ...

こちらをご覧下さい→ ボディ・ラーニング・セラピー 


「腕の立ち上げ」のレッスンを指導する竹内実花





オーセンティックな舞踏コレオグラフィー

コレオグラフィーとは「振り付け」と訳されている。オーセンティックauthenticとは「純正の」という意味である。日本では「振り付け」という言葉と「即興」という言葉にはそれほど大きな意味がないが、欧米では舞踊は「振り付け」「即興」という二分割の位置づけで捉える傾向が強い。「振り付け」なのか「即興」なのかに大きな意味があるらしく、ダンサーや各国の舞踏家にしばしば尋ねられる。しかし、この項目は日本ではあまり意味がないようにも思う。日本人は元々、二値的あるいは二分割的なものの見方をしていないためだと思う。
いわく、世の中には2種類の人がいる「物事を二つに分けて考える人」と「二つに分けて考えない人」である…という冗句自体が欧米的な発想であり、こうした一見論理的な考え方は確かに私たちにはなじまない。

 かつて土方巽には6千とか7千もの数の振り付けがあったという。これほど多いと振り付けというよりは、小さなパーツとしての動きのパターンとその変形というのがほとんどと思われるが、大事なことは実に細かな所にまで神経を使って身体の様々な部位を踊りに動員しているということがある。そうした細やかで細部にこだわった振り付けと比較すると、モダンダンスやコンテンポラリーと呼ばれる踊りの大半は四肢を振り回した大雑把な手旗信号のように見えるほどである。

ところで、ここで言う「純正の舞踏コレオグラフィー」は、土方巽の詳細な振り付けのことではない。土方巽による振り付けは「土方巽の振り付け」と呼べば良いので、ここでいう「振り付け」とは、そうしたことを意味していない。また、通常の舞踊などで「ダンサーに振りを付ける」ということでもない。そうした「振りを付ける」ことで直ちに舞踏が成立するならば舞踏ということですらないと思う。

舞踊の世界ではしばしば「何々を表現する」という言い方が使われるが、舞踏では(少なくとも私たち偶成天舞踏では)、「表現する」という言い方を使うことは絶対にない。というか、「表現する」という仕方で舞踏を考えたことがない、という方が正確である。公演の後にしばしば「あれは…何を表現しているか」と尋ねられたことがあるが、最も正確な言い方でいうと「特に何を表現するということを考え方がない」「何かを表現しようとはしていない」ということになるだろう。

こういう言い方をするとやや嫌われそうになるのだが、事実そうなので仕方がない。10年ほど前は、一つの公演は2時間の尺で考えていたので、通し稽古を2回するだけで四時間以上かかった。汗みどろでの稽古で何をしていたかというと、毎回毎回必死に踊り続けているだけで、「振り付け」とかはない。休憩時間に打ち合わせをすることがあるが、それも「振り付け」ではなく、「あの場面ではもう少し真ん中にいてほしい」「もう少し早く来て欲しい」といったような「打ち合わせ」の類である。偶成天デュオではリフト技を使うことがあるので、危険を避けるために細かな「打ち合わせ」や調整があるが、「振り付け」という言葉で表現されるようなこととは違っている。最近は年を取ってきたので適正な食事量が必要だが、かつては飢えで動けなくなるほどまで食を減らしたりしていたので、「振りを付ける」など頭を使うだけのエネルギーがない、そして、仮にそうした「振り付け」があったしても、それを行うだけのエネルギーがない中で踊っているという実態があったことも書いておきたい。

では、純正な舞踏コレオグラフィーとは何か。難解な用語を使うことになるが「舞踏は踊りが自己生成的,自己組織的に生み出される舞踊形式である」。舞踏とは(少なくとも偶成天舞踏では)、通常の思考が可能なような日常的な心理状態で踊るわけではないという大前提がある。そのため、「振り付けをする」とか「振り付け通りに動く」とかが基本的にできない状態で踊るわけで、そういう状況ではどうやって踊っているのか,踊っていくのか…という問題につながってくる。このあたりに関心のある方は以下の内容を参考にして頂けばありがたい。

「舞踏の創造についての新たな理解と創造的でオートポイエティックな舞踏―
 下意識の隠れた観察者から身心システムの摂動まで」(英文): 2009
 [日本語試訳]



Itto Solo in Oxford, UK (July, 2009)
(3 min)
Diamond Night of Butoh "Cafe Reason"
Sound composed by Tim / Video by Paola

(森田一踏 10/23,2011)




舞 踏 雑 感 …

・「本当ということ…」
・「見られるということ…」


本当ということ…

最近、いろいろとできないことが増えてきている。一つは年齢によるものだと思うが、膝や首や腰などが一定の負担で悲鳴を上げるようになってきている。ただし、それはそれで確かなリアリティとして身心に響いてくるので、舞踏ということを踊るにはそれほどマイナスにはならないが。
 若い男性のダンサー、ストリート系とかコンテンポラリー系とか、と関わる機会があるといろいろと確かめてみることがある。それは「身体のリアリティを生きているかどうか」ということだ。ただし、これは哲学的な意味合いではなく、とりあえずは「身体の重さを感じて動いているかどうか」ということから始まる。野口三千三による野口体操が初期の舞踏集団や舞踏家に伝わり舞踏の稽古に取り入れられたという時期があったことすら、最近の若い人は知らない。ステップや動きがどんどんと開拓されてきたので、そうした技術的なことをマスターして踊ることに一生懸命である。そのため、身体の重さを感じるような時間的余裕が極めて少ない。脱力してから落下するまでの短い時間すら「もったいない」ようで、時間を動きで稠密に埋め尽くそうとしていることがほとんどだ。

 痙攣や振動などの自律性の動きは、私たちの舞踏では大事にしていることなのだが、そうした動きもすべて技術的に捉えられて再現される。下肢を床に落として歩いて行く動きも、ロボット系の動きとして技術化されて動いていく…。それはそういう領域としてokであり特に批判とかではないが、舞踏ということに身心のリアリティや本当であることを追求したい私としてはいろいろと愕然とすることがある。一つにはそうした動きも「表現」として位置づけられているらしいことである。
 
 少し屈曲して持ち上げた下肢を、下肢の重さのままに股関節と膝関節と足首の関節を一挙に緩めると、下肢はズシンと床に落ちる。野口体操でいうところの「脱力」そのものである。そこにある技術らしきものといえば「下肢全体を持ち上げている筋緊張を一挙に抜き去る」ということに過ぎない。ズシンと床に落ちた下肢は、フラットな足の裏から床に着地する。足首も脱力しているから当然のことだ。しかし、ほとんどの舞踊は動きの技術体系が基本的に異なっているようで、こうした単純な下肢の落下をすぐにできる人が少ない。
 足首がほとんど常時緊張している舞踊形式の場合は、足首が固まっているために足裏からフラットに床に落ちることがない。また、足首が緊張しているときは、膝や股関節もやや緊張状態にあるため、下肢をそのまま全部落下させることがなく、落ちる速度が鈍るため、落下したときに足裏全体で「ズシン」と音を立てることも少ない。音をたててみてと言うと、下肢を緊張させて固めて「ズシン」を床を踏みならす…。根本的に違うのだが,説明しても無理そうなので「まあ、いいかあ」とすぐに転身するしかない。
   
 もちろん、こうしたことは技術的なことなのでそれなりに練習すればできるようになるものである。問題は、しかしその先にある。「なぜ下肢の緊張がすべて抜け落ちて下肢がズシンと落下することになったのか」ということは、舞踏以外のダンススタイルではほとんど問われることがないということだ。ここで哲学的な議論をしたいのではなく、私が舞踏の場でこうしたことをしたときは「下肢を持ち上げていられない身心の何か」によって「そうなった」という点である。他の人にどのように見えているかは分からないが(もちろん、どう見えているかということ自体に私は関心がない…)、私には「本当に起きたこと」であり、表現でもないし技術的な反復でもない…と書いても、分かるかなあ…。あまり分かってもらえないできたこの20数年間なのだが…。
 
 とりあえず本人にとって本当かどうかということが分からないと、分からなくなることが多い。前にも書いたが、精神科ディケアなどでのダンスセラピーやリラクセイションの指導などで感じることは、多くの人が「本当に苦しんでいる」ことである。「本当に身体を動かせない」「本当に動けない」状態なのは、精神科に来訪している理由とも関わっているが、投与されている薬の影響、睡眠時間の少なさや疲れやすさなども関わっている思う。いずれにしても「本当に何々ができない」という点において、実に誠実に「できない状態にある人たち」を長年見てきたこともあり、頭で考えて何とかやり繰りしようという努力の現れ方もよく見えるようになったと思う。元々、私が舞踏の世界にはまり込んだのは、舞踏の集中合宿を主宰した山海塾の蝉丸は、動こうとする練習生の意思や意図を実によく見抜いていたことに衝撃を受けたことによる。
 「動かそう」「動こう」とする意思の真実性はよく分かる。舞踏はそうしたことからも作り上げられているが、「脱力」の意思とは何か。技術的に「力を抜く」ということが「力を抜こうとする意思」として真実であることも分かる。しかし、何かの理由でふいにスコンと力が抜け落ちたとき、それは意思ではない。問題は、「意思」ではない何かによって人が動く・動かされるということが、舞踏(少なくとも偶成天の舞踏)ではひどく重要であり、身心の「本当のこと」につながっていることなのである。
 
(森田一踏 10/23,2011)

見られるということ…

 舞踏以外の踊りの人と話していていろいろな違いを感じるが、その一つが「見られること」についての感覚の違いである。全体的な印象としては「観客に見られることを過剰に意識している」ということだが、たまに「見られることへのノイローゼ」とすら感じることもある。舞踏における「見られること」についてすでに何度か書いたが、かつて山海塾の蝉丸は、舞踏レッスンの際には部屋中の鏡を布あるいは新聞紙などで覆っていた。見られることに意味があるはずの踊りのレッスンなのに、鏡を見ることを拒んでいるわけである。ただし、「レッスン中に鏡を見ないようにする」のには合理的な理由がある。動きのレッスンの最中に鏡を見たら、もうすでの形や動きが崩れているから「見ない」のである。それくらいならば、ビデオなどで撮影しておいて練習の後で見る方が良いというのが蝉丸の指摘だった。
 実は鏡を使わない稽古にはさらに本質的な意味がある。それは、鏡を見たりするなどのように視覚偏重にならず、自分自身の身体感覚を鋭敏にして、身体そのものへ沈潜するのが舞踏には重要だという決定的な理由がある。最近は視覚偏重の度合いがますますひどくなっているため、自分自身の身体感覚や身体的な状態への感覚がふだんの生活では養われにくい。農業や漁業や林業などの一次産業では、身体というのが重要な要素であり、自分の身体を効率的かつ適切に使っていくため、身体性と身体感覚が常に第一義的な位置づけにある。物を持ち上げたり運んだり置いたりなどの当たり前の動きの中で身体的なセンスが磨かれるからだ。かつて、小さい頃は隠れ家や林や廃墟などに誰にも見られず、自分の好きなように動き回って遊びほうけているとき、誰かに見られている…ということでは得られない自由さや主体性が嬉しかったし、身体は伸び伸びとしていたと思う。
 かつて、舞踏公演のチケットに「拝観料」と印刷されたものがありへーっと思ったことがある。観客に見ていただくとか、見られるとかの意識ではなく、見ていても特にいじめたりしないので「見ていても良いですよ」というスタンスだった。だいたい、舞踏の歴史では公演を打っては赤字の額を増やしていくことになるので、見に来た観客には感謝の念を持っているけれども、特に観客のために踊る…とかの意識は薄かったと思う。極端な言い方になるが、舞踏手として人生を賭けて踊ってきた…(確かにそのように生きてきた舞踏家の言葉)その舞踏とその公演に、たかだか数千円程度の金子を支払った程度で「観客」だとのぼせ上がられても困る…。確かに困る。
 正直に言って、少なくとも私は観客のために踊るという意識はないし、観客のために踊ったということもないと思う。わざわざ見に来てもらったという事実は本当に有り難いことなのだが、だから観客のために踊る…というようにはならない。それはそれとして、自分は舞踏という踊りの場に立つことに専心していて、そこに観客がいるかいないかはそれほど大きなことではないといえば良いだろうか。少し言い過ぎてしまえば、観客に向かって踊りを見せているのではなく、私の意識は観客を通り越していて、観客の上にある天井やその上の虚空や、自分が立っている舞台を下に素通しして観客が座っている座席の底の床下の暗がりにつながったり、ときには観客の心臓や内蔵に向かっているためである。
 それはそうなのだが、しかし、「見てくれる人が居る」という事実には本当に大きな意味がある。一人で山の中で踊る…というのとは根本的に違う意義が含まれている。「公演」という言葉には「おおやけ」という文字が使われている。「私」のものを「おおやけ」にするという意味合いだが、私のようにやや独善的な匂いのするあり方を含めて、人前に立っているという事実そのものがとりわけ重要だと感じている。もちろん、「見る・見られる」関係についての理解や観客との関わりは、最終的にはパフォーマーの考え方や思想や信念に属するとは思うので、私の姿勢は私自身の舞踏についての考え方に過ぎない。
 
 少し角度を変えてこの「見られる」ことについて考えてみる。ミシェル・フーコーと言うフランスの歴史哲学者・社会学者…位置づけは難しい…が、「一望監視装置 パノプチコン」という概念で、神の目のように一目で多数の人を見張る施設を位置づけた。監獄の構造などがその典型例だが、北海道大学の恵迪寮(けいてきりょう)は、「上から見ると雪の結晶の形で…」といった典雅な説明もあるが、構造は18-19世紀の一望監視施設である監獄と同じ設計思想になっている。それはともかく「神の目のようなもの」によって、自分が一方的に「見られる」「監視される」というのが「近代」という1-2世紀前の基本的要素としてある。小さい頃から我々は保護者などによって「見守られる」「見張られる」…などの「見られる立場」を長く過ごすことになる。それと同じような視線によって個人的にあるいは一望監視施設などに象徴される視線によって、自分自身が「見られる側」へと追いやられているとしたら、少し気味が悪い。非社会的・反社会的ないし脱社会的であるはずの舞踏が、「見られる」「監視される」というものへあっさり落ちてしまうなら、かつての前衛芸術・アバンギャルドの「暗黒舞踏」の面目がすたるように思う。

(森田一踏 10/24, 2011)