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年表2 工学系

 T−1 農商務省蚕病試験場時代
 T−2 農務局蚕業試験場時代
 T−3 農務局仮試験場蚕事部時代
 T−4 農務局蚕業試験場時代
 T−5 蚕業講習所時代
 T−6 東京蚕業講習所時代
 T−7 文部省東京蚕業講習所時代
 T−8 東京高等蚕糸学校時代
 T−9 東京繊維専門学校時代
 T−10 東京農工大学繊維学部図書館時代
 T−11 東京農工大学繊維学部分館時代
 T−12 東京農工大学工学部分館時代
 T−13 東京農工大学小金井分館時代

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1 農商務省蚕病試験場時代

明治4年(1871年)
開拓使次官黒田清隆が北米合衆国よりケプロン外3名を連れて帰国した。ケプロン等の進言を受け高等農業教育の動きが始まった。

明治5年(1872年)
開拓使仮学校が開設された。のちに札幌農学校となる。

明治7年(1874年)
4月 内務省勧業寮内藤新宿出張所(現在の新宿御苑の一郭である)に農事修学場を設立することが議決された。

明治8年(1875年)
札幌農学校が開校した。

明治10年(1877年)
農事修学場で授業が開始された。内藤新宿の勧業寮農学課農業博物館を仮教場とした。生徒教授用の農書2593冊ほか機械類多数が西洋より到着した。この年、農事修学場という呼び名を農学校と改めた。

明治11年(1878年)
駒場農学校が駒場野に開校した。駒場野は現在の東京大学教養学部、近代文学館、東京大学先端研、駒場公園、駒場野公園一帯の広い土地であった。駒場農学校は、現代の以下の学校のルーツとなった。東京大学農学部、東京農工大学農学部、筑波大学第2学群。

明治17年(1884年)
4月 農商務省が蚕病試験場を設立した。これが現在の東京農工大学工学部のルーツである。
場所は東京府下麹町区内山下町で、現在の帝国ホテルのあたりである。

明治19年(1886年)
3月 東京大学は帝国大学となった
4月 師範学校令、小学校令、中学校令が公布された
4月 駒場農学校、東京山林学校ともに農商務省の直轄学校となった。
7月 駒場農学校・東京山林学校を廃止し東京農林学校とした。
10月 東京農林学校開校式。
10月 蚕病試験場は東京府下北豊島郡西ケ原村旧山林学校跡地へ移転した。現在の北区西ヶ原2丁目、大蔵省印刷局の病院があるあたりである。

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2 農商務省農務局蚕業試験場時代

明治20年(1887年)
3月 東京農林学校で火災 建物14棟を焼失。駒場農学校開設当時の建物が失われた。
4月 蚕病試験場が農務局蚕業試験場と改称し、伝習課程を設置し蚕種検査法の伝習を始めた。

明治21年(1888年)
7月  本多岩次郎が東京農林学校農科本科を卒業し、農商務省に入った。明治36年7月に東京蚕業講習所長、大正3年4月16日から昭和11年4月30日まで東京高等蚕糸学校長をつとめた。

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3 農商務省農務局仮試験場蚕事部時代

明治24年(1891年)
4月 農務局蚕業試験場が農務局仮試験場蚕事部と改称された。

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4 農商務省農務局蚕業試験場時代

明治26年(1893年)
4月 農務局仮試験場蚕事部が農務局蚕業試験場と改称された。

明治28年(1895年)
第4回内国勧業博覧会(於京都)に際し蚕業試験場同窓会設立規約が制定された。同窓会は後に東京高等蚕糸学校設立のおおきな力となった。

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5 蚕業講習所時代

明治29年(1896年)
3月 蚕業講習所官制が公布された。
4月 蚕業講習所が発足した。農商務大臣管理下で独立的官庁となり、蚕糸業の指導者養成が本格的にはかられることになった。
5月 蚕業講習所伝習規則が制定された。

明治30年(1897年)
4月 蚕業講習所研究科規程が制定された。

明治31年(1898年)

明治32年(1899年)
1月26日 学生談話会復興の機運。各級より創立委員3名を選出した。
1月28日 西ヶ原蚕友会総会が開かれ会則を定めた。学生談話会が改組されたもの。 
2月 6日 実業学校令施行*勅令第29号 
2月25日 西ヶ原蚕友会発会式
3月 蚕業講習所官制中改正*勅令第89号<2カ所。増員計13名>

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6 東京蚕業講習所時代

4月 京都蚕業講習所開所。従来の「蚕業講習所」は東京蚕業講習所と改称。
6月 京都及び東京の蚕業講習所の位置及び名称を定める農商務省告示第61号<東京:東京府下北豊島郡瀧ノ川村元西ヶ原 京都:京都府下葛野郡衣笠村>
6月 伝習規程改正、研究科規程改正、制服制帽制定。
11月 図書館令<初めて公布された>

明治33年(1900年)
11月9日 西ヶ原同窓会発足。西ヶ原同窓会大会が午前9時、東京赤坂区溜池1、2番地3会堂堂内で開催された。11月6日−8日に赤坂溜池の大日本農会にて大日本蚕糸会第6回品評会開催を機として。

明治35年(1902年)
3月 蚕業講習所官制中改正*勅令第106号<舎監強化、職員定員増計10名>
4月 蚕業講習所処務規程改正 報告庶務の2課を置いた。*農商務省訓令第9号
<第4条 報告課に於ては左の事務を掌どる 
  一、養蚕製糸に関する諸報告の編纂 
  一、図書報告類の保管 
  一、養蚕製糸に関する統計>
6月 蚕業講習所伝習規程廃止、講習規程制定。
11月 西ヶ原蚕友会に図書部を組織。西ヶ原蚕友会図書部仮規程をつくった。

明治36年(1903年)
3月27日 専門学校令施行*勅令第61号
3月31日 専門学校入学者検定規程*文部省令第14号<本科 中学卒男子17歳以上、女子16歳以上>
8月24日 文部省直轄諸学校官制中改正 *勅令第86号 <生徒監設置>
7月27日 東京蚕業講習所所長に本多岩次郎が任命された。
11月12日 西ヶ原女子蚕友会発足。西ヶ原女子蚕友会会則がつくられた。

明治37年(1904年)
3月 西ヶ原女子蚕友会が会報創刊。

明治38年(1905年)
5月  講習所規程改正<修業年限を3年に拡大。本科入学資格21歳以上が17歳以上に。徴兵令第13条、第23条の認定(徴兵猶予)>

明治39年(1906年)
3月 帝国図書館新築開館。第1回全国図書館大会開催。

明治41年(1908年)
3月 日本文庫協会が日本図書館協会と改称。

明治42年(1909年)
政府内に蚕糸専門学校創立委員、置かれる。

明治43年(1910年)
長野県上田町に蚕糸専門学校が創設された<信州大学の前身の一>
4月1日 東京蚕業講習所分課規程制定<庶務課で「報告書及図書等に関する事項」>

明治44年(1911年)
3月10日 東京蚕業講習所火災 教室ほか3棟を焼失。
5月 原蚕種製造所官制施行。蚕業講習所は教育に専念することになった。

明治45年(1912年)
4月 蚕業講習所官制改正*勅令第96号<定員減ほか>
6月 東京蚕業講習所処務細則制定<図書係等8係を置く>
9月 東京蚕業講習所長本多岩次郎君開講25年祝賀会広告<趣旨、発起人等あり。記念事業の一に”紀念文庫を設くること(東京蚕業講習所に寄付する見込)”とある。>

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7 文部省東京蚕業講習所時代

大正2年(1913年)
6月 蚕業講習所官制一部改正*勅令第198号<所管が農商務省から文部省に変わった>
6月 *直轄諸学校長職務規程<第3条 左の事項は校長之を専攻すべし
    第3 俸給月額85円以下の雇員の進退に関すること>
11月9日 本多所長開講25年記念祝賀会開催 同会より講習所に図書館等寄贈される。
   <1、記念図書館壱棟 建坪 32坪5(5541円62銭)
          1、書庫   壱棟 建坪  9坪
          1、渡廊下         2坪
          1、書架、備品     計15種(852円97銭5厘)
          1、図書 新スタンド<ママ>大辞典外181冊計182冊
                            (626円78銭)>
     当日午後5時より築地精養軒で祝賀大夜会開催、来会者300余名
10月24日 西ヶ原同窓会創立総会<明治33年創立後加入少なく再度>

       
大正3年(1914年)
3月31日 文部省直轄諸学校官制中改正、蚕業講習所官制廃止*勅令第44号
文部省直轄諸学校専任職員定員令改正*勅令第45号<校長1、教授9、助教授10、書記4>東京高等蚕糸学校規程制定*文部省令第9号

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8 東京高等蚕糸学校時代

4月1日 東京高等蚕糸学校発足 校長事務取扱に本多岩次郎教授が任命された。
「東京高等蚕糸学校一覧(大正3年度)」には、校長(教授)本多岩次郎、生徒監・学生課長(教授)土屋泰、教務課長(助教授)坪井啓作、図書標本課長(助教授)丹羽四郎などとある。
東京高等蚕糸学校規則ほか制定<庶務規程、図書取扱規定など>
4月16日 校長に本多岩次郎教授が任命された。
12月 西ヶ原蚕友会図書部は廃止され、全蔵書が学校に寄付された。
東京高等蚕糸学校記念図書館の設立年月日は大正3年12月とされている(全国図書館に関する調査 文部省普通学務局編 大正11年10月発行による)

大正4年(1915年)
6月13日 午後10時50分 東京高等蚕糸学校第5号養蚕室より出火 蚕室6棟焼 失<事務室、講堂、図書室、寄宿舎は無事>
10月24日 創立記念日を改訂<3月18日を10月24日に」
10月  校歌、校旗制定
12月 「東京高等蚕糸学校一覧 大正4年」版発行<第1冊目>

大正5年(1916年)
5月16日 文部省専門学務局通牒<大学予科卒業と認定>
10月 西ヶ原同窓会機関誌「蚕糸学報」発刊<大正8年12月に廃刊>
    西ヶ原蚕友会会報廃刊
10月27日 東京高等蚕糸学校創立三十年記念祝賀展覧会に皇后が来校。
10月29日 東京高等蚕糸学校創立三十週年記念式。三十年季史を発刊した。
30日より三日間、一般公開。
11月26日(日) この日以後、日曜開館、月曜休館になった。 
12月 文部省直轄諸学校専任職員定員令が改正され教授9人が11人 、助教授10人が11人に増員された。

大正6年(1917年)
 大正5年度の利用状況(開館日数227日、借覧者数1198人(1日平均5人強))

4月10日 立神高一郎氏は辞職。後任は魚落源治氏(雇)。
5月20日付発行の「東京高等蚕糸学校一覧 大正5年/大正6年」名簿には図書標本課 雇 立神高一郎 と記載されている。

大正7年(1918年)
9月15日付「東京高等蚕糸学校一覧 大正7年/大正8年」版の名簿に、図書標本課 雇 魚落源治 と記載されている。
12月 授業料値上げ。第1次大戦後の物価高騰による。

大正8年(1919年)
12月 文部省直轄諸学校専任職員定員令改正により教授11人を13人、助教授11人を12人に増員。

大正10年(1921年)
6月 文部省図書館員教習所が開設された。
「全国図書館に関する調査」(文部省普通学務局編 大正11年10月刊)に大正11年3月31日現在の統計がある。
第4表 大学並学校附属図書館
(1)官立 東京高等蚕糸学校記念図書館
大正10年度経常費予算 図書購入費 1、150円 蔵書冊数  和漢3、928冊
洋1、260冊 閲覧人員(大正9年度)917人 (一日平均)3.4人。
4月 文部省直轄諸学校専任職員定員令改正により教授13人を16人に増員、助教授12人を10人に減員、書記4人が6人に増員された。
12月 授業料値上げ。

大正11年(1922年)   
1月 本多岩次郎校長は蚕糸業同業組合副会長に就任した。校長と兼任、大正13年11月まで。
10月 瀧野川三軒屋に運動場施設が設置された。1周250メ−トルのトラックができた。

10月24日 西ヶ原蚕友会第19回陸上運動会。

大正12年(1923年)
3月 西ヶ原同窓会機関誌「蚕糸学報」が再刊された。
9月1日 関東大震災。東京高等蚕糸学校に避難者。「図書館及書庫(煉瓦造)屋根破損し壁落ち柱砕け出入危険にて閉館す」(蚕糸学報「本校震災日誌」)
9月5日 戒厳令が公布され、東京高等蚕糸学校に中隊本部歩兵60名が駐屯した。
9月8日 村松歩兵第36聯隊第11中隊ほか160名が先遣隊と交替、駐屯。
9月20日 避難者が全員、学校から退出した。
10月 規則改正。養蚕学科、栽桑学科、製糸学科と改称。
10月15日 授業が再開された。

大正13年(1924年)
10月15日 第三高等学校図書課より全国専門高等学校図書館協議会開催趣意書、日程書、回答書等が全国157校に発送された。東京高等蚕糸学校図書標本課は出席通知及び議案をただちに回答した。
11月 東京高等蚕糸学校図書館の仮建築がおわった。「貯繭庫に隣接、木造平屋ですこぶる狭隘」であったが、昭和15年3月、小金井へ移転するまで、このままの状態が続いた。

          

(下の写真の右手前、カード箱と中央の人物の間に辞書台が見える。大正2年に寄贈された備品のひとつである。現在、小金井分館に保存されている)


11月13日 全国専門高等学校図書館協議会第1回が京都・第三高等学校で開催された。15日まで。 図書標本課長鈴木美雄教授出席。第3日、東京高等蚕糸学校は理事校(東京5校、広島4校、京都5校)に指名された。
11月15日 全国専門高等学校図書館協議会理事総会(第1回)。
12月13日 同上 東京理事会開催(諸学校@創刊号)<鈴木美雄教授は公務上差支あり欠席>

大正14年(1925年)
1月8日 同上 理事総会(第2回、10日まで3日間開催)。東京高等蚕糸学校鈴木美雄教授は「公用のため差支あり」立岩亨教授が代理で出席。
2月 東京高等蚕糸学校入学料、授業料値上げ。大正時代にはいって3度目。
4月13日 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第1回を学士会事務所で開催した。
文部省直轄諸学校専任職員定員令が改正され、助教授10人を9人に、書記6人を7人に減増
があった。
7月1日 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第2回を学習院図書館で開催。第2回全国大会の準備のため、以後、頻繁に会合がおこなわれた。
10月3日 午後1時 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第3回を学習院図書館で開催。
10月14日 午後4時 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第4回を学士会事務所で開催。
11月6日 午後4時 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第5回を学習院図書館で開催。
11月13日 午後4時 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第6回を学習院図書館で開催。鈴木美雄教授は第1・2類の議案印刷の分担になった。
11月18日 午前10時 全国専門高等学校図書館協議会理事総会第3回を学習院図書館で開催。鈴木美雄教授出席。
11月19日 全国専門高等学校図書館協議会第2回開催(21日まで 東京・学習院)鈴木美雄教授は大会役員のひとりとして会場係(受付)にあたる。柏原忠吉氏(東京高等蚕糸学校雇)が写真係、自動車係で手伝った。東京高等蚕糸学校は第2回まで理事校をつとめ、図書標本課長鈴木美雄教授が出席した。
12月12日 午後4時 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第7回を学習院図書館で開催。
12月 東京高等蚕糸学校西ヶ原蚕友会学芸部が「天らい(たけかんむりに頼の字を書く)」発刊。のちに「西ヶ原学芸雑誌」、さらに「西ヶ原」と改題。通号14号(昭和15年2月)で廃刊となった。

大正15年(1926年)
2月9日 午後4時 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第8回を学習院図書館で開催。大会のあとしまつの会議が続いた。
3月4日 午後4時 全国専門高等学校図書館協議会東京理事会第9回を学習院図書館で開催。
11月4日 全国高等諸学校図書館協議会第3回開催(6日まで 大阪・中央公会堂)図書標本課長鈴木美雄教授出席>

昭和2年(1927年)
 紀伊國屋書店開業 春陽堂「明治大正文学全集」発刊(圓本時代始まる) 岩波文庫発刊
 蓄音機、レコ−ド販売始まる 金融恐慌 国民皆兵制度 青年図書館員聯盟結成

4月 日本図書館協会会員名簿(昭和2年4月現在)に「東京高等蚕糸学校嘱託 図書標本課柏原忠吉」という記載がある。
11月17日 全国高等諸学校図書館協議会第4回開催 19日まで 広島・広島高等師範学校。図書標本課長鈴木美雄教授出席>
12月27日 文部省直轄諸学校専任職員定員令改正で助教授9人が8人に減員され、助手2人が新設された。

昭和3年(1928年)
 左翼団体一斉検挙(3・15事件) 特別高等警察設置 左傾教授追放 株式暴落
 専門学校令改正 陸軍委託学生委託生徒規則制定

3月 卒業写真アルバム「1928年の紀年」(小金井分館所蔵)に鈴木美雄、石川、伊東広雄教授肖像、旧図書館、仮図書館外観、閲覧室内の風景写真等がある。
7月 教授会で規則改正。庶務及び会計課長は書記中より、教務・学生・図書標本課長の三課長は教授中より校長が命ずる、となった。
7月 全国高等学校長会議で思想善導につとめることが決議された。
9月 閣議決定「思想善導の機関を設置」
10月14日 全国高等諸学校図書館協議会第5回開催 16日まで 金沢・第四高等学校。図書標本課長鈴木美雄教授出席。東京帝国大学農学部は不参加。文部省諮問「生徒訓育の有効なる方法如何」(大学図書館きのうの話第8回「 図書館の使命は「思想善導」である」参照)

10月 文部省専門学務局に学生課を設置、大学・高等・専門諸学校に学生主事・生徒主事を置いた。
12月 学生生徒主事会議を定期化し訓育費(年間予算総額62、400円)を措置した。

昭和4年(1929年)
 共産党員大検挙(4・16) 大学専門学校卒業者の就職難深刻化 世界恐慌始まる

2月 東京高等蚕糸学校は小金井町に土地49、318坪を購入した。
4月 東京高等蚕糸学校授業料値上げ(寄宿料12円が18円に)
7月 文部省学生課が学生部に拡充され、学生課と調査課が置かれた。指導が強化される。
11月 東京高等蚕糸学校規則が改正され、「移植民講話」を毎週1時間課すことになった。
11月5日 内務省、3・15事件の報道を解禁(下記協議会で関連発言あり)。
11月7日 全国高等諸学校図書館協議会第6回開催 9日まで 名古屋・名古屋高等商業学校。図書標本課長鈴木美雄教授出席、東京帝国大学農学部図書館主任の高橋勝治郎教授も出席。文部省諮問「思想上特に注意すべき図書の取扱いを如何にすべきか」
「全国高等諸学校図書館協議会会報第6号」に蚕糸学専門学校附属図書館標準図書分類案大綱、高等農林学校(宇都宮、鳥取、鹿児島、三重、宮崎の各校)図書分類表が掲載されている。

昭和5年(1930年)
 財政経済最悪 失業者300万人 農産物暴落 東北地方凶作

6月 東京私立大学図書館協議会創立総会
7月 文部省が東京高等農林学校校長小出満二教授に図書館事務講習会講師を嘱託した。
8月 文部省主催「図書館事項に関する夏期講習会」開催。昭和12年まで毎年開催された。
10月16日 全国高等諸学校図書館協議会第7回開催 18日まで 彦根・彦根高等商業学校。東京高等蚕糸学校、東京帝国大学農学部は欠席。

昭和6年(1931年)
 大不況続く 官吏減俸(約1割) 満州事変 株式暴落 失業者42万5千人余


10月8日 全国高等諸学校図書館協議会第8回開催 10日まで 横浜・横浜高等商業学校。図書標本課長鈴木美雄教授(写真左)、東京帝国大学農学部高橋勝治郎教授(写真右)出席。学生生徒の思想傾向を調査し文部省へ報告することを決議した。

         

10月26日付 思想傾向調査報告の依頼が理事校からあった。140校中67校(東京高等蚕糸学校含む)が回答した。東京帝国大学農学部は回答しなかった。       

昭和7年(1932年)
 第1次上海事変 血盟団のテロ続発 「日本資本主義発達史講座」発刊 国民精神文化研究 所設立 第10回オリンピック

1月30日付 文部省専門学務局と学生部に思想傾向調査報告書を提出した。
8月30日 第63回帝国議会衆議院製糸業法案委員会第3回。東京高等蚕糸学校の小金井移転遅延で質疑。震災復旧事業優先のため昭和14年から17年の予定である、と政府答弁。 
10月6日 全国高等諸学校図書館協議会第9回開催 8日まで 神戸・関西学院大学。東京高等蚕糸学校は欠席。東京帝国大学農学部高橋勝治郎教授は出席。夜間開館問題を協議。農学分類大綱を承認。
12月 文部省直轄諸学校専任職員定員令改正で助手2人を1人に減員。移転経費の一部20万円が昭和8年度予算に計上された。大正13年第49議会で震災復旧予算成立後、数次繰り下げ延期になっていた。昭和8年度より現小金井キャンパスへの移転準備が始められた。

昭和8年(1933年)
 三陸大地震・大津波 ナチス選挙で大勝 ナチス焚書 国際連盟脱退 外国為替管理法公布 滝川事件 経済界活況回復 綿布輸出量世界一

2月 諸規程改正・学生生徒心得全面改正。大正3年4月制定の諸規程を部分改正。学生生徒の取締りが強化された。図書借覧規程全12条を制定。学生生徒に図書閲覧票を交付。室内借覧3冊以内のみ。教職員は帯出可、冊数無制限、年度限り。
4月 移転改築予算20万円が議会通過。着工へ。「蚕糸学報 第15巻 p.224」に移転地略図、敷地略図を掲載。
5月 全国実業専門学校長会議開催。文部省諮問要旨「一層精神教育を徹底し教育の実際化を図る」。答申案のうち(12)に図書標本の充実を図り其の活用に力むること、とあった。
9月 閣議で思想取締方策決定。
11月9日 全国高等諸学校図書館協議会第10回開催 11日まで 丹波・天理外国語学校東京高等蚕糸学校、東京帝国大学農学部は欠席。
?月 卒業生・山内源登博士が図書162冊を図書館に寄贈した。「蚕糸学報 第15巻 p.813」には、洋書153冊、和書9冊とあるが、図書台帳には洋書125冊、和書9冊が登録されている。山内源登氏は大正4年の「図書館宿直日誌」に借覧者として頻繁に登場した学生のひとり。

昭和9年(1934年)
 丹那トンネル開通 満鉄超特急あじあ号運転開始 室戸台風 ベ−ブル−ス来日

1月18日 図書標本課長鈴木美雄教授 文部省在外研究員として米国へ出発した。昭和11年3月18日帰国。図書標本課長の後任は伊東広雄教授(写真)。

             


6月1日 文部省学生部が思想局に改組され思想対策がさらに強化された。この年度の訓育費配当額東京帝国大学1800円、東京高等蚕糸学校600円。
10月31日 全国高等諸学校図書館協議会第11回開催 11月2日まで 東京・立教大学。東京高等蚕糸学校図書標本課長伊東広雄教授出席、東京高等農林学校は不参加。

昭和10年(1935年)
 東京宝塚劇場開場 綿布輸出量史上最高 小作争議件数最大 天皇機関説が不敬罪
 政府「国体明徴」の声明 衆議院でも国体明徴決議

4月27日 帝国ホテルで本多先生古希祝賀謝恩会が開かれた。醵金者芳名録に、鈴木美雄殿 金20円、魚落源治殿 金7円50銭とあり。
10月31日 全国高等諸学校図書館協議会第12回開催 11月2日まで 京都・大谷大学。東京高等蚕糸学校は欠席、東京帝国大学農学部は山崎誠一教授出席。これ以後は昭和16年(第16回(最終回))まで出席しない。東京帝国大学農学部実科が分離独立する東京高等農林学校は昭和12年4月に加盟する。

昭和11年(1936年)
 ロンドン軍縮会議脱退 総同盟結成 総選挙で社会大衆党、無産各派多数当選 一部陸軍の 反乱(2・26) D51完成 「モダンタイムス」上映 第11回オリンピック

3月18日 鈴木美雄教授帰国。帰国後、西ヶ原蚕友会庭球部長に就任。
4月30日 東京高等蚕糸学校校長本多岩次郎教授死去。 
5月1日 東京高等蚕糸学校校長事務取扱に岩淵平介教授が任命された。
5月4日 本多校長の校葬が図書館前広場(職員テニスコ−ト)に於いておこなわれ、染井墓地に土葬された。
5月30日 東京高等蚕糸学校校長に伊東広雄教授が任命された。後任の図書標本課長は石井賭一郎教授(写真)。

           


11月 8日 全国高等諸学校図書館協議会第13回開催 10日まで 山口・山口高等商業学校。欠席。
12月16日 「官庁刊行図書目録の件」内閣印刷局官書掛発 東京高等農林学校宛
「11月11日付庶第11号で照会した件に対する回答」同目録への掲載方法を照会したので、規則及び原稿様式を送ってきたもの。

昭和12年(1937年)
 文化勲章制定 総選挙で無産政党各派が増加(戦前最高) 日中戦争始まる 南京大虐殺  レ−ヨン糸生産高世界一 左翼本(古書価格)高騰

4月 文部省図書館講習所第17期入所者の名簿に石川春雄、川瀬健一の名が見える。この2名は戦後、東京農工大学繊維学部図書館に勤務した。
4月 青年図書館員聯盟本部が「図書館総覧」資料の提出を依頼してきた。昭和13年3月発行の同書に東京高等蚕糸学校、東京高等農林学校の席数、蔵書数、図書費、閲覧人数、職員録等が記載されている。
7月 文部省思想局は教学局に改組。国体観念教化活動を強化。
8月 文部省直轄諸学校専任職員定員令改正で生徒主事1人、生徒主事補1人が新設された。
9月 文部省専門学務局長通牒「全国高等諸学校図書館協議会第14回大会に関する件」
日中戦争が始まり同協議会はじめ各種集会等が開催を延期するよう命じられた。これにより全国高等諸学校図書館協議会は加盟各校に延期を通知した。

昭和13年(1938年)
 国家総動員 電力国家管理 物価統制本格化 洋書2・3割高になる 産業報国会

3月7日 公立図書館司書検定試験合格者及び文部省図書館講習所修了者第17期名簿に石川春男、川瀬健一の名前がある。川瀬健一は朝鮮総督府図書館に就職した。
5月6−7日 全国私立大学図書館協議会第1回開催
5月10日 東京高等蚕糸学校雇魚落源治氏が日本図書館協会の永年勤続表彰を受賞。図書館勤続21年1月(昭和13年4月末現在)。第32回全国図書館大会に出席した。
6月 医科大学附属図書館協議会第12回。外国書輸入制限対策に写真複製案
7月17日 全国高等諸学校図書館協議会第14回開催 19日まで 長崎・長崎高等商業学校。東京高等蚕糸学校、東京高等農林学校、東京帝国大学農学部ともに欠席。

昭和14年(1939年)
 満蒙開拓第1次渡満計画決定 各種統制続々 国民徴用令 集団勤労作業から勤労動員へ
 大学で軍事教練必修

5月22日 全国中等学校以上の学生生徒代表を二重橋前広場で天皇査閲。陸軍現役将校学校配属令施行15年記念「青少年学徒に賜はりたる勅語」
7月7日 文部次官通牒「青少年学徒に賜はりたる勅語に関する件」。自今毎年5月22日に勅語奉読、分列式挙行、神社参拝、武道鍛錬、作業訓練等を実施すること。勅語の読み方は別紙によること。
7月11日−17日 第1次興亜学生勤労報告隊 内原訓練所で準備訓練。
7月18日−8月30日 生徒主事鈴木美雄教授北支蒙彊班10名を引率。
7月20日−8月30日 石川賭一郎教授満州班9名を引率。
8月3日 全国高等諸学校図書館協議会第15回開催 5日まで 小樽・小樽高等商業学校。皇軍将兵に対し感謝電報、感謝状を送る。文部省諮問「学校図書館をして精神修養道場たる機能を一層有効に発揮せしむる方策如何」。東京高等蚕糸学校、東京高等農林学校、東京帝国大学農学部ともに欠席。

昭和15年(1940年)
 日本労働総同盟解散 政党解散 大政翼賛会発会 静嘉堂文庫公開和漢書18万冊余    左翼出版物禁止の激化 映画雑誌一斉廃刊

1月22日 紀元2600年記念宮城外苑整備事業勤労奉仕に伊東広雄校長以下全員参加。
2月22日 紀元2600年記念宮城外苑整備事業勤労奉仕・第2回。
2月29日 文部省教学局企画部長発「発売頒布禁止処分図書の取扱に関する件」閲覧禁止処置を求めた。
3月14日 文部大臣官房文書課長発「交戦国の宣伝印刷物に関する件」最近駐日各公館に於ては各学校宛図書館備付用として印刷物又は写真絵画の類を送付し居るも右は学生生徒に閲覧せしむるは妥当ならすと思料せらるるを以て受領の際は之を図書館に備付くることなく極秘裡に内務省警保局外事課長宛送付” ”之が取扱は特に厳秘”、とある。
4月8日 東京高等蚕糸学校が東京府北多摩郡小金井町へ移転した。
東京高等蚕糸学校職員定員令中改正で助教授8人が7人に減員された。
7月14日 18日まで 興亜学生勤労報国隊が習志野で訓練をし、壮行式で終了した。
7月19日 文部省教学局長官発「発売頒布禁止処分図書の取扱方に関する件」157種203冊がリストアップされた。
7月22日−8月21日 興亜学生勤労報国隊中支派遣隊に中川房吉教授学生3名を引率。
9月 新校舎本館3階西端の1室を図書閲覧室に充当し図書の求覧に応じた。4月に移転はしたが図書館63坪(木造平屋建)は未完成。翌昭和16年2、3月に引越した。上記、本館は繊維博物館として現存している。
9月 文部省開催の全国直轄学校長会議で校友会等校内団体再組織を決議。11月に細目を指示。これ以後、全国で報国団へ改組。
10月 文部次官通達で、各種大会総会開催は2ヶ月前に協議を要することになった。
12月 東京高等蚕糸学校報国団、同女子班が結成された。総務部理事、鍛錬部部長、生活部理事に鈴木美雄教授<元図書標本課長>文化部興亜研究班担当に石川賭一郎教授<図書標本課長>

昭和16年(1941年)
 国民学校(小学校の名称変更 1、2年生より新カリキュラム) アメリカが対日航空機用 ガソリン輸出停止 太平洋戦争開始 アメリカ映画上映禁止

3月18日−19日 全国図書館綜合協議会開催「高度国防国家体制と図書館精神に関する決議」を採択。
4月 東京高等蚕糸学校図書館開館。蔵書7286冊、雑誌11055冊。
4月23日 文部省教学局発企23号。
6月3日 東京高等蚕糸学校職員定員令中改正で教授16人を19人、助教授7人を9人、書記7人を8人、助手1人を2人にそれぞれ増員。
8月現在の職員現況 校長(教授)伊東広雄 生徒主事・学生課長(教授)小倉三郎 図書標本課長(教授)石川賭一郎 図書標本課雇魚落源治、同武笠 公。
10月 東京高等蚕糸学校創立55周年 新築落成祝賀会。「五十年史」刊行。
10月25日 全国高等諸学校図書館協議会第16回開催 27日まで 伊勢・神宮皇學館。本協議会はこの回以後開催されなかった。東京高等蚕糸学校、東京高等農林学校欠席。
11月 文部省令で修業年限が6カ月短縮された。
12月18日 言論、出版、集会、結社等臨時取締法、20日同施行規則公布。

昭和17年(1942年)
 アメリカ軍の日本本土空襲開始 政府が日刊新聞の統合合併を推進 行政簡素化臨時職員令

2月 「帝都に於ける学校報国隊連合大会要綱」文部省刊
3月 「昭和17年3月興亜学生勤労報国隊報告書」文部省教学局刊)
3月 鈴木美雄教授退官。大正10年より製糸業経営論を担当。長く図書標本課長を勤めた。

昭和18年(1943年)
 ジャズレコ−ド米英楽曲1000曲演奏禁止 南方特別留学生第1期116人招聘
 戦時非常措置方策 学徒出陣 女子学徒に勤労動員 出版事業令(出版社を統合)

5月 (教授)岡野正一郎。東京高等農林学校から東京高等蚕糸学校に転任。昭和19年から図書標本課長に就任。
10月 「 図書館研究」(青年図書館員連盟)16巻1号発行。村上清造;学校図書室より県立図書館へ”専門学校図書室に於いては、図書館員の専門的職能が法規上認められていないので、待遇も悪く、地位が不安定である”
10月21日 学徒出陣

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9 東京繊維専門学校時代

昭和19年(1944年)
 都市部強制疎開開始 軍需会社指定 重要工場疎開 横浜事件「中央公論」「改造」廃刊
 東京に最初の大空襲 帝国劇場・歌舞伎座・日劇閉鎖 学童疎開

 ? 石川賭一郎教授退官。図書標本課長に岡野正一郎教授。当時の図書予算2千円? 三角堂という書店が出入り。 魚落源治氏退職。
3月 繊維農学科新設、教授2助教授3助手2を増員。
4月 東京高等農林学校は東京農林専門学校に、東京高等蚕糸学校は東京繊維専門学校に改称。授業料80円を100円に値上げ。
10月 東京繊維専門学校規則(全70条)決定。

昭和20年(1945年)
 東京、大阪、名古屋大空襲 広島、長崎に原子爆弾 8・15 帝国劇場再開

3月 「決戦教育措置要綱」閣議決定。国民学校初等科以外は学校授業を1年間停止する。
6月 戦時教育令施行。学徒隊を編成。
7月30日 午前7時30分、富士紡績小山工場にて学徒動員中の繊維学科2年吉原康雄が戦災死。8月17日合同葬儀に校長出席。  
8月15日 文部省訓令「終戦の詔書に関する件」。忠節不足を反省し国体護持を強調。
8月16日 学徒勤労動員解除決定。動員令正式廃止は10月10日。
8月20日頃 ”学生関係にあたっていた先生がみなやめた”(座談会東京農工大学の歴史を語る(日本科学者会議東京農工大学分会))飯野善治教授の発言。
8月21日 戦時教育令廃止決定<諸通達を出し10月6日正式廃止>
8月24日 文部省 教練に関する諸規定廃止 「学徒軍事教育並に戦時体練及学校防空関係諸訓令等の措置に関する件」
8月28日 学校授業再開の通達
9月12日 平時教育へ転換 緊急指示
9月15日 文部省「新日本建設の教育方針」
10月4日 連合軍総司令部が治安維持法廃止 思想犯・政治犯釈放を指令。
10月10日 旧制松江高等学校で戦時中の図書160冊余を不用として棄却。
10月12日 治安維持法廃止。言論、出版、治安、思想犯取締法規廃止。
12月 連合国最高司令官覚書「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」戦時中の教科書の回収を指示。

昭和21年(1946年)
 天皇の人間宣言 アメリカ教育使節団来日 戦争協力者公職追放 超国家主義団体解散
 新憲法公布 宣伝用刊行物の没収始まる

2月26日 連合国軍最高司令官の日本政府に対する覚書00073号<すべての発売頒布禁止規程を廃止し、昭和21年4月1日以前に処置の報告をせよ、という趣旨。
3月17日 連合国軍総司令部「宣伝用刊行物の没収」を指令(連合国軍総司令部から没収を命ぜられた宣伝用刊行物総目録 文部省社会教育局)<この年、追加第15号までの指令が伝達された。最終第46号は昭和23年4月15日付>
4月 ”直接間接を問わず修身、国史、地理に関する図書一切の徹底回収”
4月26日 東京繊維専門学校教授会 校長排斥運動につき植田文部視学員の事情聴取の件。
10月 民主化運動で伊東広雄校長辞任 第3代校長に木暮槙太教授就任。

昭和22年(1947年)
 内務省廃止 教育基本法 学校教育法 労働基準法 国家公務員法公布 大学基準協会「大 学基準」発表

10月 東京繊維専門学校施設拡充期成会を強化 資金募集 総額1536万円を母校に寄付。図書館第2閲覧室、第2書庫、図書520冊、閲覧室机椅子を含む。

昭和23年(1948年)
 新警察制度 政令201号 全逓スト 東宝争議 電源スト 全学連結成 大学設置基準
 大学昇格準備作業本格化

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10 東京農工大学繊維学部図書館時代

昭和24年(1949年)
 1ドル360円に固定 国鉄10万人整理 下山事件 三鷹事件 松川事件

5月31日 東京農工大学誕生。学長田中丑雄教授、図書館長高山茂七郎教授。東京繊維専門学校、東京農林専門学校は昭和26年3月31日に廃止となる。

以下、準備中
 11 東京農工大学繊維学部分館時代
 12 東京農工大学工学部分館時代
 13 東京農工大学小金井分館時代

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主要参考図書
東京高等蚕糸学校諸規程 東京高等蚕糸学校 昭和8年
母校独立記念号 駒場交友会発行 昭和11年10月
本多岩次郎先生伝 西ヶ原同窓会本多先生伝記刊行会会長今井五介編 同刊行会発行 昭和13年8月
東京高等農林学校沿革略 東京高等農林学校編 駒場刊行会発行 昭和15年10月
東京高等蚕糸学校五十年史 東京高等蚕糸学校編 東京高等蚕糸学校創立五拾周年並新築落成祝賀協賛会発行 昭和17年9月
製糸学科70年の歩み 鈴木三郎編 製糸学科70年記念協賛会発行 昭和48年9月
駒場の青春−駒場寮三十年 駒場寮史刊行会発行 昭和54年  
東京農工大学百年史 作道好男編 財界評論新社発行 昭和54年4月
東京農工大学百年の歩み 東京農工大学創立記念事業会記念出版専門委員会編 同事業会発行 昭和56年4月
全国高等諸学校図書館協議会会報 同協議会発行 @記号の後に号数を記した。
東京高等農林学校一覧
なお、農事修学場から東京帝国大学農学部(実科)に至る学校史については、東京大学百年史ほか多くの参考書にもくわしい。以上のほか、「旧制専門学校論」(天野郁夫著 玉川大学出版部 1993年)「日本教育史年表」(伊ヶ崎暁生等編 三省堂 1990年)を主に参考とした。

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東京高等蚕糸学校校歌

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