「図書館の沿革」トップへ戻る

東京農工大学附属図書館年表

この年表は「大図研論文集」(大学図書館問題研究会発行)第19号(1997年8月刊)および第20号(1998年3月刊)に掲載された年表をもとに書き改めたものです(和田 長丈編)

目次
 年表1(農学系)
 A−1 農事修学場時代
 A−2 駒場農学校時代
 A−3 東京農林学校時代
 A−4 帝国大学農科大学時代 
 A−5 東京帝国大学農科大学時代 
 A−6 東京帝国大学農学部時代
 A−7 東京高等農林学校時代
 A−8 東京農林専門学校時代
 A−9 東京農工大学農学部時代
 A−10 東京農工大学附属図書館・同農学部分館時代
 A−11 東京農工大学附属図書館時代

 年表2(工学系)
 T−1 農商務省蚕病試験場時代
 T−2 農務局蚕業試験場時代
 T−3 農務局仮試験場蚕事部時代
 T−4 農務局蚕業試験場時代
 T−5 蚕業講習所時代
 T−6 東京蚕業講習所時代
 T−7 文部省東京蚕業講習所時代
 T−8 東京高等蚕糸学校時代
 T−9 東京繊維専門学校時代
 T−10 東京農工大学繊維学部図書館時代
 T−11 東京農工大学繊維学部分館時代
 T−12 東京農工大学工学部分館時代
 T−13 東京農工大学小金井分館時代

主要参考図書


年表1(農学系)

1 農事修学場時代

明治4年(1871年)
開拓使次官黒田清隆がアメリカ合衆国よりケプロン外3名のお雇い外国人を連れ帰国した。ケプロン等の進言を受け高等農業教育の動きが始まる。

明治5年(1872年)
開拓使仮学校が開設された。のちの札幌農学校である。

明治7年(1874年)
4月 内務省勧業寮内藤新宿出張所に農事修学場を設立することが議決された。この地は、現在の新宿御苑の一郭である。

明治8年(1875年)
開拓使仮学校が「札幌農学校」となり開校した。
10月 農事修学場は駒場野に設立することが議決された。内藤新宿の土地では狭い、という理由である。

明治9年(1876年)
6月 内務卿大久保利通達示で農事修学場の入学資格及び学則大要が示された。
10−11月 富田禎次郎の招聘により英国人教師5名が逐次来日した。3年の約束のお雇い外国人教師である。
10月9日−11日 入学試験実施。農学、49名中より20名、獣医学、57名中より30名を選抜。他に予科27名、試業科29名を決定した。

明治10年(1877年)
2月 1日 農事修学場授業開始。駒場野における準備が間に合わず内藤新宿の勧業寮農学課農業博物館を仮教場とした。
2月初旬−3月下旬 生徒教授用の農書2593冊ほか機械類多数が西洋より到着。
7月−10月 駒場野5300坪を教師、生徒で開墾した。
10月 農事修学場という名称を農学校と改めた。
10月 農学校規則、生徒寄宿舎規則、書籍室規則ほかが施行された。農学校分掌事務の一節に、書器掛 第一 書籍並教場用諸器械を整備し各品部類を分て簿冊に詳記し之を保管すること。 事務掛 第二 教育用の書籍器械其他必用の物品を購求し家屋を修繕新築する等の手続を為す事、等とある。

目次へ戻る
2 駒場農学校時代

明治11年(1878年)
1月24日 天皇を迎えて駒場農学校開校式がおこなわれた。書類・書籍を展示した。
7月 専門科生徒用及び参考に供する書籍が英国より到着した。英文の教科書を貸与し、英語で(通訳つきで)教育をおこなった。

明治14年(1881年)
4月 内務省勧農局が廃止され農商務省が新設された。駒場農学校の所管は農商務省農務局となる。

明治15年(1882年)
1月 農商務省山林局所管の東京山林学校が東京府下北豊島郡西ヶ原、樹木試験場内に、あらたに設置された。東京山林学校は明治19年に廃止されるが、跡地に農商務省蚕業講習所(のちの東京高等蚕糸学校)が移転することになる。
12月1日 東京山林学校開校式。修学上必要な書籍、椅子、机、臥具、食什等は官より貸付。


明治17年(1884年)
2月 駒場農学校規則が改正された。第20章に「書籍及器械 附閲覧人心得」がある。
7月 獣医学本科と別科を合併し駒場農学校獣医学科と呼ぶことになった。
8月 東京山林学校細則改正。第10条に「学生には授業用図書器具及寄宿舎備品を貸与す」とある。

目次へ戻る
3 東京農林学校時代

明治19年(1886年)
3月 帝国大学令公布。東京大学は「帝国大学」となる。
4月 師範学校令、小学校令、中学校令が公布された。
4月 諸学校通則が制定された。(農務局)駒場農学校、(山林局)東京山林学校ともに農商務省の直轄学校となった。
7月 「東京農林学校官制」が制定された。駒場農学校・東京山林学校は廃止され東京農林学校となった。
8月 東京農林学校校則ほか制定。「東京高等農林学校校則」第17条に、教官会議に於ては左の事項を議定すべきものとす 一、図書器品購入に関する事項、とある。
8月 東京農林学校学生生徒心得事項制定。第9条に、(前略)左の事項を禁止す
13 放歌高吟踏舞其他猥褻の談話をなし或は小説稗史を読み無用の玩具を弄する事
15 貸与の図書物品を他人と交換し又は取締なき場所に放置する事、などとある。
10月11日 東京農林学校開校式。

明治20年(1887年)
3月2日 東京農林学校で火災 建物14棟を焼失。
7月27日 東京農林学校第1回卒業生39名卒業。

明治21年(1888年)
7月 本多岩次郎、東京農林学校農科本科卒業。農商務省入省。本多岩次郎はのちの明治36年7月27日、東京蚕業講習所長に任命され、大正3年4月16日−昭和11年4月30日、東京高等蚕糸学校長をつとめた。
9月 東京農林学校別科生が農話会結成。翌年?講農会と改めた。本科には農学会があった。別科は、のちの実科の母体であり、独立して東京高等農林学校へと発展する。    

明治22年(1889年)
2月11日 大日本帝国憲法制定公布。
9月 東京農林学校校則改正。学科を学部と改称。第65条に、研究満期に際し在校中研究せる課目に付論文を作り之を校長に差出さしむ其優等者に賞状を授与し其論文は永く本校の図書館に保存し閲覧に供すべし、とある。

目次へ戻る
4 帝国大学農科大学時代

明治23年(1890年)
3月 「官立学校及図書館会計法」「官立学校及図書館会計規則」制定。
6月11日 東京農林学校は帝国大学に吸収され農科大学と改称、文部省の所管となった。別科は乙科と名称変更された。
8月 諸物件を文部省に引き継ぐ。図書21、557点。

明治24年(1891年)
3月 「官立学校及図書館支払命令官処理方」
4月 講農会会則改正。

明治26年(1893年)
2月16日 「文部省直轄各部年報一覧等印刷物差出方」
8月 文部省直轄諸学校官制施行
12月 「官立学校及図書館会計金庫出納事務規程」

明治30年(1897年)
2月21日 帝国大学農科大学講堂火災 旧駒場農学校本館を焼失 器械室、標本室も焼けた。
6月22日 帝国大学を東京帝国大学と改称、京都帝国大学を新設。

目次へ戻る
5 東京帝国大学農科大学時代

明治31年(1898年)
5月 帝国大学農科大学乙科を東京帝国大学農科大学実科と改称。

明治32年(1899年)
2月6日 実業学校令施行 
3月 「教育基金特別会計法」
5月 「文部省直轄学校一覧進達方」(昭和10年6月29日「学校一覧提出の件」をも参照)
11月 図書館令が初めて公布された。

明治35年(1902年)
9月 東京府下、府中に演習林13町歩購入。この地に、のちに実科が独立して東京高等農林学校となり、移転することになる。現在の農学部キャンパスである。

明治36年(1903年)
3月27日 専門学校令施行
3月31日 専門学校入学者検定規程で本科、中学卒男子17歳以上、女子16歳以上と定められた。

明治39年(1906年)
3月 帝国図書館新築開館 第1回全国図書館大会

明治41年(1908年)
3月 日本文庫協会が日本図書館協会と改称

明治44年(1911年)
3月 学事年報取調条項及諸表様式

大正5年(1916年)
5月16日 文部省専門学務局通牒。専門学校卒業を大学予科卒業と認定、大学進学へ途がついた。

大正7年(1918年)
大学令・高等学校令公布 和田万吉、東京帝国大学文学部で図書館学講義

目次へ戻る
6 東京帝国大学農学部時代

大正8年(1919年)
2月 東京帝国大学農科大学を東京帝国大学農学部と改めた。実科は存続。

大正9年(1920年)
「学事年報取調条項及諸表様式」
12月 東京帝国大学農学部実科独立期成同盟会発足。実科独立運動がはじまった。

大正10年(1921年)
6月 文部省図書館員教習所開設。
7月 公立図書館職員令公布。
2月 駒場交友会誕生。
3月31日現在 「全国図書館に関する調査」(文部省普通学務局編 大正11年10月刊)

大正13年(1924年)
10月15日 第三高等学校図書課が「全国専門高等学校図書館協議会」開催趣意書、日程書、回答書等を全国157校に発送した。東京高等蚕糸学校はただちに出席を通知し議案(各学校蔵書目録発行交換の件)を提出した。東京帝国大学農学部図書館は昭和3年に加盟し、昭和14年に退会した。帝国大学でこのほかに本協議会に参加したのは大阪帝国大学図書館工学部分室、医学部分室だけで、この2分室も昭和9年には脱退した。

大正14年(1925年)
4月 陸軍現役将校配属令公布。学校教練の開始である。
5月 東京帝国大学農学部に駒場畜産研究会設立。
6月 東京帝国大学農学部に駒場農業調査会設立。当面の計画として図書館改善、とある。

昭和2年(1927年)
 紀伊國屋書店開業 春陽堂「明治大正文学全集」発刊(圓本時代始まる) 岩波文庫発刊
 蓄音機、レコ−ド販売始まる 金融恐慌 国民皆兵制度 青年図書館員聯盟結成

11月 緊縮財政のため東京帝国大学農学部本郷移転計画延期、実科独立の予算も削除。

昭和3年(1928年)
 左翼団体一斉検挙(3・15事件) 特別高等警察設置 左傾教授追放 株式暴落
 専門学校令改正*勅令第8号 陸軍委託学生委託生徒規則制定*陸軍省令第4号

6月 東京帝国大学農学部が全国高等諸学校図書館協議会に加盟申請。
7月 全国高等学校長会議で思想善導を決議。
9月 閣議決定「思想善導の機関を設置」
10月 全国高等諸学校図書館協議会第5回開催 16日まで 金沢・第四高等学校。東京高等蚕糸学校の鈴木美雄図書標本課長出席。東京帝国大学農学部は不参加。文部省諮問「生徒訓育の有効なる方法如何」
10月 文部省専門学務局に学生課を設置、大学・高等・専門諸学校に学生主事・生徒主事を置いた。
12月 学生生徒主事会議を定期化 訓育費を措置。年間予算総額62、400円。

昭和4年(1929年)
 共産党員大検挙(4・16) 大学専門学校卒業者の就職難深刻化 世界恐慌始まる

7月 文部省学生課が学生部に拡充、学生課と調査課を置く。指導を強化へ。
11月5日 内務省、3・15事件の報道解禁。下記協議会で関連発言あり。
11月7日 全国高等諸学校図書館協議会第6回開催 9日まで 名古屋・名古屋高等商業学校。東京高等蚕糸学校教授鈴木美雄図書標本課長出席(写真左)、東京帝国大学農学部教授高橋勝治郎出席(写真右)。文部省諮問「思想上特に注意すべき図書の取扱いを如何にすべきか」
蚕糸学専門学校附属図書館標準図書分類案大綱、高等農林学校(宇都宮、鳥取、鹿児島、三重、宮崎の各校)図書分類表が「会報」第6号に掲載されている。

          


昭和5年(1930年)
 財政経済最悪 失業者300万人 農産物暴落 東北地方大凶作

6月 東京私立大学図書館協議会創立総会
7月 文部省が東京高等蚕糸学校小出満二校長に図書館事務講習会講師を嘱託。(小出満二校長は鹿児島高等農林学校長兼九州帝国大学教授を経て昭和13年、東京高等農林学校校長に任命される)。

8月11日 文部省主催「図書館事項に関する夏期講習会」昭和12年まで毎年開催。
東京帝国大学農学部実科独立予算再び削除される。
10月16日 全国高等諸学校図書館協議会第7回開催 18日まで 彦根・彦根高等商業学校。東京高等蚕糸学校、東京帝国大学農学部不参加。

昭和6年(1931年)
 大不況続く 官吏減俸(約1割) 満州事変 株式暴落 失業者42万5千人余  

10月 8日 全国高等諸学校図書館協議会第8回開催 10日まで 横浜・横浜高等商業学校。東京高等蚕糸学校教授鈴木美雄図書標本課長、東京帝国大学農学部教授高橋勝治郎出席。学生生徒の思想傾向を調査し文部省へ報告を決議。「会報」第8号に農林諸学校図書館分類(農学)大綱を掲載。
10月26日付 思想傾向調査報告方依頼。140校中67校が回答。東京帝国大学農学部は回答せず。       

昭和7年(1932年)
 第1次上海事変 血盟団のテロ続発 「日本資本主義発達史講座」発刊 国民精神文化研究 所設立 第10回オリンピック

1月30日付 全国高等諸学校図書館協議会が文部省専門学務局と学生部に思想傾向調査報告書提出。同協議会「会報」第8号に収録。
3月25日 東京帝国大学農学部実科建物新営費予算45万円が成立した。
7月 古在由直・前東京帝国大学総長に農学部実科建物新営の委員を嘱託。
10月6日 全国高等諸学校図書館協議会第9回開催 8日まで 神戸・関西学院大学(諸学校@9号)東京高等蚕糸学校不参加、東京帝国大学農学部高橋勝治郎出席。夜間開館問題を協議。農学分類大綱を承認。

昭和8年(1933年)
 三陸大地震・大津波 ナチス選挙で大勝 ナチス焚書 国際連盟脱退 外国為替管理法公布 滝川事件 経済界活況回復 綿布輸出量世界一

5月 全国実業専門学校長会議開催。文部省諮問要旨「一層精神教育を徹底し教育の実際化を図る」。答申案のうち(12)図書標本の充実を図り其の活用に力むること。
建議「工業、農業専門学校、高等商船学校にも専任の生徒主事・主事補配置を」
9月 閣議で思想取締方策決定。
11月9日 全国高等諸学校図書館協議会第10回開催 11日まで 丹波・天理外国語学校で。東京高等蚕糸学校、東京帝国大学農学部不参加

昭和9年(1934年)
 丹那トンネル開通 満鉄超特急あじあ号運転開始 室戸台風 ベ−ブル−ス来日

6月 文部省学生部が思想局に改組。思想対策強化。この年度の訓育費配当額東京帝国大学1800円、東京高等蚕糸学校600円。
10月31日 全国高等諸学校図書館協議会第11回開催 11月2日まで 東京・立教大で。東京高等蚕糸学校教授伊東広雄図書標本課長出席、東京帝国大学農学部不参加。

目次へ戻る
7 東京高等農林学校時代

昭和10年(1935年)
 東京宝塚劇場開場 綿布輸出量史上最高 小作争議件数最大 天皇機関説が不敬罪 政府「国体明徴」の声明 衆議院でも国体明徴決議

3月30日 文部省直轄諸学校官制改正。東京高等農林学校が設置された。東京高等農林学校定員は校長1、教授18、助教授11、助手2、書記6。
4月1日 東京高等農林学校規程公布即日施行。附則に、東京帝国大学農学部実科生徒は本校の相当学年に編入、とある。
4月 東京高等農林学校1学期の授業は東京帝国大学農学部内(旧駒場校舎)でおこなわれた。
6月 東京帝国大学農学部が本郷へ移転。
6月29日 東京帝国大学より東京高等農林学校へ所属換え。敷地水田74、603坪、立木材積4、121石852、建物1、299坪5合1勺8、附属工作物一切。建物中、書庫30坪(延べ60坪)を含む。 
7月1日 東京高等農林学校は府中町の新校舎に移転した。現在の東京農工大学農学部キャンパスである。
7月11日 東京高等農林学校、事務規程制定。
7月11日 東京高等農林学校寄宿舎規程制定。手書き草稿全5枚が現存。第14条(前後略)の委員の任務についての条文中、第三 運動部委員 一 倶楽部図書室の整備をなすこと、とある。
8月 1日付 物品監守区域の監守者並取扱主任に関する件。区分:図書課 区域:図書課「閲覧室」書庫 監守者:野沢嘱託 取扱主任:松田嘱託
8月13日付 図書館規程起案。
8月14日 職員服務規程制定。
8月26日 火災其の他非常事変に関する規程制定。
9月 新校舎(府中町)で授業、業務を開始。
9月6日 物品会計細則、物品会計規則、文部省直轄各部物品会計規程制定。
9月18日 図書館規程制定伺起案。同日付で図書館規程全19条制定。閲覧(職員5冊学生2冊)帯出(職員5冊20日学生3冊10日)。
9月20日 図書台帳に登録開始。東京帝国大学からの保管転換分から。

10月5日 東京高等農林学校傭人勤務心得及び定夫服務心得決定。
10月31日 全国高等諸学校図書館協議会第12回開催 11月2日まで 京都・大谷大学。東京高等蚕糸学校不参加、東京帝国大学農学部は山崎誠一出席。以後昭和16年(第16回(最終回))まで参加せず。東京高等農林学校は昭和12年4月に加盟する。
11月16日 独立祭 寮にデコレ−ション・写真展、開放
11月17日 第1回大運動会開催(学校に運動場無く府中青年団グランドを借用。翌年4月末、集団勤労奉仕で運動場を建設した)。

昭和11年(1936年)
 ロンドン軍縮会議脱退 総同盟結成 総選挙で社会大衆党、無産各派多数当選 一部陸軍の 反乱(2・26) D51完成 「モダンタイムス」上映 第11回オリンピック

1月29日 東京帝国大学より所属換え。建物377坪5合6勺4、附属工作物一切。建物中、図書閲覧室56坪強を含む。
5月 5日 東京高等農林学校事務規定改正。図書課を置く。
9月21日 東京高等農林学校事務規程改正案。「図書課」を「図書館」に改正、ほか。
10月28日 東京高等農林学校規程中改正 「生徒」を「学生」に改め即日実施 図書館規程ほか。
11月 8日 全国高等諸学校図書館協議会第13回開催 10日まで 山口・山口高等商業学校で。東京高等蚕糸学校、東京帝国大学農学部、東京高等農林学校不参加。
11月10日現在在籍。校長(教授)松岡忠一、生徒主事(教授)三宅康雄、大沢竹次郎、図書館長(教授)近藤康男、図書館嘱託野沢隆、同沼尻好、図書館雇内山善一、同細見脩。
11月 全国高等諸学校図書館協議会から東京高等農林学校長松岡忠一宛に協議会加盟依頼の書簡及び関係資料が届いた。
12月9日 全国高等諸学校図書館協議会加盟の件を起案。

昭和12年(1937年)
 文化勲章制定 総選挙で無産政党各派が増加(戦前最高) 日中戦争始まる 南京大虐殺  レ−ヨン糸生産高世界一 左翼本(古書価格)高騰

1月 レコ−ド鑑賞会を図書館閲覧室で開催した。集会届けの紹介教授は永井威三郎(永井荷風の弟である)。
2月 京都高等蚕糸学校図書課の照会に対し回答。夜間開館調査依頼。
4月 青年図書館員聯盟本部から東京高等農林学校図書課長宛、照会。図書館総覧資料依頼の件。昭和13年3月発行の同書に東京高等農林学校、東京高等蚕糸学校の席数、蔵書数、図書費、閲覧人数、職員録等がある。
4月30日現在 東京高等農林学校職員住所録に、図書館長近藤康男、嘱託野沢隆、雇内山善一、雇佐藤敏也とある。
6月16日 レコ−ド鑑賞会。紹介教授は永井威三郎。
7月 文部省思想局は教学局に改組された。国体観念教化活動を強化。
7月17日 東京高等農林学校長松岡忠一宛の図書館長近藤康男の文書に、雇内山善一を福島県へ図書館学講習会のため出張の件、承認依頼というのがある。
7月28日−9月1日 満州移住地学生実習団20名渡満 うち東京高等農林学校生9名(学生義勇軍 中村薫編著 農村厚生協会 1987)
8月 東京高等農林学校戦時事変防空警備計画(学生要覧 昭和12年度)。「救護所は図書館とし赤十字旗を樹立す」とある。
8月 東京高等農林学校火災其他非常事変に関する規程制定。「火災の際に於ける部署中、搬出隊付として林学科職員、図書館職員、林学科学生をあてる」
8月21日 25日まで図書館雇内山善一は文部省主催「図書館事項に関する夏期講習会」に参加した。
9月15日 文部省専門学務局長通牒「全国高等諸学校図書館協議会第14回大会に関する件」で協議会開催延期を命令した。
9月20日 レコ−ド鑑賞会。紹介教授は伊東正勝。
9月21日 全国高等諸学校図書館協議会は加盟各校に協議会開催延期を通知した。
10月4日 図書館長から関係教授宛に、東京帝国大学より移管された図書約1万冊より重複分約2000冊を取り除く件の照会がおこなわれた。

昭和13年(1938年)
 国家総動員 電力国家管理 物価統制本格化 洋書2・3割高になる 産業報国会

3月現在 図書館長事務担当近藤康雄・農業経営。
4月15日 校長松岡忠一は文部省督学官に、後任校長に(もと東京高等蚕糸学校校長)鹿児島高等農林学校長兼九州帝国大学教授小出満二が任命された。
5月 全国私立大学図書館協議会第1回開催
6月 医科大学附属図書館協議会第12回開催。外国書輸入制限対策に写真複製案がでた。
7月 全国高等諸学校図書館協議会第14回開催。長崎・長崎高等商業学校。東京高等蚕糸学校、東京高等農林学校、東京帝国大学農学部ともに不参加。
7月−8月 学生義勇軍第1回渡満。勤労奉仕。 
9月現在 事務分課職員調に野沢隆、内山善一、佐藤敏也の身分、分掌、勤務年数が記されている。
10月 駒場教育会「教育関係者名簿」p.11に「助手 野沢隆(農明38)平井文夫(農昭13)」とある。
12月 昭和14年度学生増募決定。獣医学科5名 拓殖学科新設約40名。

昭和14年(1939年)
 満蒙開拓第1次渡満計画決定 各種統制続々 国民徴用令 集団勤労作業から勤労動員へ
 大学で軍事教練必修

4月20日 東京高等農林学校規程中改正。拓殖学科新設、3学期制を2学期制に。
5月22日 全国中等学校以上の学生生徒代表を二重橋前広場で天皇査閲。東京高等農林学校校の代表60名、校長、教官3名、配属将校が参加し一般学生は講堂で厳粛に遥拝した。
5月 東京帝国大学農学部の全国高等諸学校図書館協議会退会届を理事校・小樽高等商業学校が接受。7月承認。
6月7日 興亜学生勤労報国隊先遣隊上野駅出発。260余名。うち東京高等農林学校は農科獣医科各2名。
7月 6日 東京高等農林学校長名文書。文部次官通牒に対し別紙内容で回答したので御諒知あれ、というもの。宛名は無い。7月7日付通牒以前に文部省宛提出されたらしい。別紙中次の一項目あり。
”四 予て考慮中なりしが次の2件を此際実施せんとす (1)図書館以外に特に選定せる数十巻の書冊を陳列して自由閲覧の便を図り且つ時日を定めて一般読書の指導をなすこと。
7月 7日 文部次官通牒 発文112号? 青少年学徒に賜はりたる勅語に関する件「自今毎年5月22日に勅語奉読、分列式挙行、神社参拝、武道鍛錬、作業訓練等実施。勅語の読み方は別紙によること」
7月11日−17日 第1次興亜学生勤労報告隊 内原訓練所で準備訓練。
8月3日 全国高等諸学校図書館協議会第15回開催。5日まで小樽・小樽高等商業学校。東京高等農林学校、東京高等蚕糸学校欠席。協議会は皇軍将兵に対し感謝電報、感謝状を送る。文部省諮問「学校図書館をして精神修養道場たる機能を一層有効に発揮せしむる方策如何」。
12月 文部省教学局指導部長発 東京高等農林学校長宛「今般読書指導上の参考に資するため学校図書館の調査致度につき左記様式に依り1月10日迄に報告相成度此段及照会」
12月20日 「東京高等農林学校雇佐藤敏也依願雇ヲ解ク」(講農会々報173号(昭和15年11月15日発行)学校人事)
12月22日 東京高等農林学校国民精神総動員実行委員会会則制定。

昭和15年(1940年)
 日本労働総同盟解散 政党解散 大政翼賛会発会 静嘉堂文庫公開和漢書18万冊余    左翼出版物禁止の激化 映画雑誌一斉廃刊

東京高等農林学校元教授高嶺浩の思い出話「東京高農着任後程なく学生課勤務を命ぜられた。当時は訓育とか思想取締りのうるさい時代で専任の生徒主事(教授相当)と生徒主事補(助教授相当)が置かれ、さらに併任の教官もいた。思想善導費という予算費目もあったということで図書館の書庫には社会科学書で閲覧禁止のラベルを付けられたものもあったりした。」

1月24日 「学校図書館に関する調査の件」昭和14年12月4日の回答を督促された。
1月30日付 上記の件の回答を起案。
1月31日 「成田文夫 東京高等農林学校雇ヲ命ス」(講農会々報173号(昭和15年11月15日発行)学校人事)。
2月29日 文部省教学局企画部長発 東京高等農林学校長宛*発企9号「発売頒布禁止処分図書の取扱に関する件」津田左右吉の著書4冊を指示。
3月14日 文部大臣官房文書課長発*官文81号「交戦国の宣伝印刷物に関する件」東京高等農林学校長宛 ”最近駐日各公館に於ては各学校宛図書館備付用として印刷物又は写真絵画の類を送付し居るも右は学生生徒に閲覧せしむるは妥当ならすと思料せらるるを以て受領の際は之を図書館に備付くることなく極秘裡に内務省警保局外事課長宛送付” ”之が取扱は特に厳秘”。
4月28日 東京高等農林学校落成式。校舎に図書全部を搬入。
<講農会々報172号(昭和15年7月15日発行)に各祝辞全文あり。また、講農会総会開催幹事改選11名のうち重任野沢隆君、とあり>
5月下旬  拓殖学科2年、満州移民地現地訓練。中村講師、成毛嘱託引、二龍山鎮で2カ月。
6月 6月現在の図書館。図書閲覧室 鉄筋コンクリ−ト造 平屋 56.862坪、同上2.944坪、書庫 鉄筋コンクリ−ト造 2階建 建坪30坪延べ60坪。
6月6日 寄付金受領。大正9年農学科卒、長戸公氏より2、000円。拓殖農業研究(主として熱帯地農業に関するもの)に必要なる図書購入のため。長戸氏は東京帝国大学農学部作物学教室勤務。のちの昭和X年、蔵書を東京農工大学に寄贈し、現在「長戸文庫」として公開されている。
7月5日 興亜学生勤労報国隊満州建設奉仕隊農業特技班出発。井本先生、学生5名。
7月15日 学徒至誠会南洋派遣学徒研究団第1班出帆。8月21日帰京。2年星野和雄君参加。
7月19日 文部省教学局長官発「発売頒布禁止処分図書の取扱方に関する件」発企23号が出る。157種203冊を指示。
興亜学生勤労報国隊獣医特技班に獣医学科学生が参加(講農会会報173号に記事がある)。
興亜学生勤労報国隊北支蒙彊派遣隊に林学科学生が参加(講農会会報173号に記事がある)。
7月29日 東京高等農林学校長が文部省教学局長宛に回答「該当図書2冊を閲覧貸出禁止にした」
8月 4日 学徒至誠会南洋派遣学徒研究団第2班出発、8月29日帰京。末松教授、2年大石貞雄君参加。
10月 発社378号文部次官通達で各種大会総会開催は2ヶ月前に要協議となった。
12月 本年最後の奉公日 寮生図書館も一生懸命に掃除。学生寮にも図書室があった。

昭和16年(1941年)
 国民学校(小学校の名称変更1、2年生より新課程) アメリカが対日航空機用ガソリン輸出停止 太平洋戦争開始 アメリカ映画上映禁止

3月18日−19日 全国図書館綜合協議会開催。「高度国防国家体制と図書館精神に関する決議。

4月23日 文部省教学局長官発「発売頒布禁止処分図書の取扱方に関する件」全35枚に及ぶリスト。「哲学の貧困」ほかを指示。
6月10日 上記通牒に対する報告未着ということで督促された。
6月13日付 発企23号に対する回答を起案。
10月 大西伍一東京高等農林学校助手発令。のち一時大日本連合青年団、日本生活協会を経て昭和21年、東京農林専門学校の図書館職員になる(改訂増補日本老農伝 大西伍一著 農山漁村文化協会 昭和60 奥付による)
10月25日 全国高等諸学校図書館協議会第16回開催 27日まで 伊勢・神宮皇學館。東京高等蚕糸学校、東京高等農林学校欠席。本協議会はこの回以後開催されずに終わった。
11月 修業年限が6カ月短縮された。以後毎年となる。
12月 言論、出版、集会、結社等臨時取締法、20日同施行規則公布。

昭和17年(1942年)
 アメリカ軍の日本本土空襲開始 政府が日刊新聞の統合合併を推進 行政簡素化臨時職員令

1月24日 晴天。全校生徒青梅へウサギ狩り、6匹捕獲。
5月3日 教職員の旅行会が開催された。浦安から船漁。 
12月26日付 「東京高農校内通報」第46号に、大西伍一授業嘱託(事務兼授業補助)発令の記事。

昭和18年(1943年)
 ジャズレコ−ド米英楽曲1000曲演奏禁止 南方特別留学生第1期116人招聘
 戦時非常措置方策 学徒出陣 女子学徒に勤労動員 出版事業令(出版社を統合)

3月30日 大阪商大事件(大阪商大事件の真相 上林貞治郎著 機関紙出版センタ− 1986)<学生6人検挙、12月までに関係者約100人検挙。同大学教授上林貞次郎は4月いっぱい自宅で本、資料を焼却したという>
6月 青年図書館員聯盟解散宣言発表。8月15日現在東京高等農林学校は団体会員537号で名簿に記載されている。加盟日未詳。
8月11日 東京高等農林学校図書委員会規程改正の件。各部局長宛、庶務課長発の起案書によれば「第8条 従来の図書委員会は本規程施行と同時に之を廃止す」とあるが、目的も内容も不明。
10月21日 学徒出陣

目次へ戻る
8 東京農林専門学校時代

昭和19年(1944年)
 都市部強制疎開開始 軍需会社指定 重要工場疎開 横浜事件「中央公論」「改造」廃刊
 東京に最初の大空襲 帝国劇場・歌舞伎座・日劇閉鎖 学童疎開

4月 東京高等農林学校は東京農林専門学校に、東京高等蚕糸学校は東京繊維専門学校に改称。授業料80円を100円に値上げ。
7月−10月 東京帝国大学図書館が貴重書を疎開。

昭和20年(1945年)
 東京、大阪、名古屋大空襲 広島、長崎に原子爆弾 8・15 帝国劇場再開

2月8日 戦後派座談会から(駒場寮)以下要旨。20年2月8日の大詔奉戴日だったと思う。小出満二校長が「もう私は儀式をやるのがいやだ もう負けるのだ」と明瞭に言う。水野先生も講義中に数字をあげてとても勝てないと言った(鈴木)。
3月18日 「決戦教育措置要綱」閣議決定。国民学校初等科以外は学校授業を1年間停止する。
6月17日 戦時教育令施行。学徒隊を編成。
8月15日 文部省訓令「終戦の詔書に関する件」忠節不足を反省し国体護持を強調した内容。
8月16日 学徒勤労動員解除決定。動員令正式廃止は10月10日。
8月21日 戦時教育令廃止決定。諸通達を出し10月6日正式廃止。
8月24日 文部省、教練に関する諸規定廃止「学徒軍事教育並に戦時体練及学校防空関係諸訓令等の措置に関する件」。
8月28日 学校授業再開の通達
9月12日 平時教育へ転換 緊急指示
9月15日 文部省「新日本建設の教育方針」
10月 4日 連合軍総司令部が治安維持法廃止、思想犯・政治犯釈放を指令。
10月10日 旧制松江高等学校で図書160冊余、不用につき棄却。
10月12日 治安維持法廃止。言論、出版、治安、思想犯取締法規廃止。
12月 連合国最高司令官覚書「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」教科書の回収を指示。

昭和21年(1946年)
 天皇の人間宣言 アメリカ教育使節団来日 戦争協力者公職追放 超国家主義団体解散
 新憲法公布 宣伝用刊行物の没収始まる

大西伍一、東京農林専門学校図書館に勤務。
2月26日 連合国軍最高司令官の日本政府に対する覚書00073号。すべての発売頒布禁止規程を廃止し、昭和21年4月1日以前に処置の報告をせよ、という趣旨。発秘47号3月15日付で通達。
3月17日 連合国軍総司令部「宣伝用刊行物の没収」を指令(連合国軍総司令部から没収を命ぜられた宣伝用刊行物総目録 文部省社会教育局)この年、追加第15号までの指令が伝達された。最終第46号は昭和23年4月15日付。
4月 ”直接間接を問わず修身、国史、地理に関する図書一切の徹底回収”(ある高校教師の戦後史 藤原治著 岩波書店 1974)<松江中学、図書取り返しの顛末>
7月14日 大西伍一、宝塚の図書館講習会に参加を申し込み。

昭和22年(1947年)
 内務省廃止 教育基本法 学校教育法 労働基準法 国家公務員法公布 大学基準協会「大 学基準」発表

5月 東京農林専門学校図書館の現況、蔵書数33、000冊、46席。

昭和23年(1948年)
 新警察制度 政令201号 全逓スト 東宝争議 電源スト 全学連結成 大学設置基準
 大学昇格準備作業本格化

昭和24年(1949年)
 1ドル360円に固定 国鉄10万人整理 下山事件 三鷹事件 松川事件

5月31日 東京農工大学誕生。学長田中丑雄、図書館長高山茂七郎。東京繊維専門学校、東京農林専門学校は昭和26年3月31日に廃止。

以下、準備中
9 東京農工大学農学部時代
10 東京農工大学附属図書館・同農学部分館時代
11 東京農工大学附属図書館時代

目次へ戻る

トップへ戻る