美学の完結

TIN DRUM:JAPAN

 

完璧主義とはこういうもの

まずジャケットがね、すごく格好良かったんです。お箸でご飯を食べてるシルビアンの後ろに毛沢東の写真、あの超有名なジャケット写真です。これを越えるインパクトを持ったジャケット写真は未だにないです。しかしこのレコードの内容はジャケットどころではなく、僕の想像を遥かに絶するものだったんです。

「す、すっげー!!」

初めてこのレコードを聴いた僕(当時16歳)は、1曲目が終わる前に腰が抜けてしまいました。とにかく凄い、凄すぎる。もちろんルックスは超美形だし、こういった音楽をやるのにふさわしいことこの上ない何から何まで完璧なグループ、完璧なレコードと言えましょう。音楽からこれほどの衝撃を受けたことはそれまでなくて、一瞬にして僕はJAPANの虜になってしまいました。17-8歳のころはそれこそ毎日このレコードを聴いていて、あっという間に溝が擦り切れちゃってもう1枚買ったのも思い出の一つです。

 

時代背景

このアルバムが出たのは1981年の暮れでした。今から思い出しても81年というのはけっこうすごくて、なにしろJAPANのこのアルバムだけでなくYMOの"BGM"そして"TECHNODELIC"がリリースされた年なんです。この3枚のアルバムは後世の、特に日本の音楽シーンに非常に大きな影響を残すことになるわけです。それで、時代背景からの要因としては、とにかくエレクトロニクスの発達に尽きると思います。具体的にはシンセサイザーで、もっと具体的にはSequential Circuits社のProphet-5の登場です。このシンセのおかげで、電気系の音楽制作は大きく変わり、さらに直後にサンプラーが登場してポップ・ミュージックの作り方そのものが変貌していくことになります。このアルバムやYMOのアルバムはそういった音楽制作や録音技術の変貌の幕開けを告げた点からも、歴史的価値が非常に高いのではないかと思います。

 

突然の中華三昧

このアルバムの大きな特徴は何といっても大胆なオリエンタル・フレーバーの導入です。"Canton"や"Visions of China"といった曲のタイトルからも想像できるように、とにかく中華してます。中華なメロディといえば初期のYMOですが、彼らは「西洋人から見た【東洋=中国】といった歪曲イメージをパロディ化したメロディをもとに、ポップでダンサブルなサウンドを生む」というかなりひねくれたコンセプトでした。それが西洋人の東洋コンプレックスをくすぐるような形で成功をおさめていたわけです。ところがJAPANはこのアルバムでは正攻法でオリエンタルに取り組んでいて、しかもそのアプローチが非常に深いんですよね。90年代になっても中国と日本の区別がつかない西洋人が多いようですが、このアルバムはどの曲も正しく中華していて脱帽です。

ところで、それまでのJAPANはそのバンド名とは裏腹に、非常にイギリス的というかヨーロッパ的な、暗い感じのエレクロト・ポップをやっていました。曲もアレンジもかなりオシャレでした。この"TIN DRUM"の1作前のアルバムまではそういう感じでしたし、このアルバムに先駆けて発売されたシングル"The Art of Parties"もサウンドは複雑になったものの、オリエンタルムードはありませんでした。ところが、このアルバムはいきなり中国なんです。David Sylvianが何に触発されたのか全くわからないのですが、まさに突然の中華三昧と言えましょう。

単に中華三昧するだけならそれまでにも他のアーティストがやっていたんですが、このアルバムで凄いのは中華三昧したあげく、JAPANとしてのサウンド・アイデンティティを確立してしまった、というところにあると思います。このアルバム以前のJAPANの曲は、ロキシー・ミュージック風であったり、あるいはYMOの「カスタリア」風であったり、他のバンドの影響が見えるものが多かったんです。当時のメンバーは22-3歳ですから、そろそろ自らの音楽アイデンティティを確立してもいいのですが、JAPANの場合はそれまでの4枚のアルバムと比較して、5枚目の本作のレベルが違いすぎるんですよね。もう完全に別次元に入ってます。しかし、"JAPAN"なんていうバンド名ながら全然日本や東洋的なものに関係のない音楽をやっていた彼らが、このアルバムにおいては東洋・中国といったものから格好のインスピレーションを得て自らのアイデンティティを確立させたというのは、非常におもしろいことだと思います。

 

サウンド概説

まず、歌詞はとっても閉鎖的かつ逃避的です。しかも主語となる人称名詞は"I"と"We"しか出てきません。すごい自己中心的な内容というか、私小説的なのよ。まあそれがSylvianの最大の特徴でもあるわけです(笑)。これはこれで大変美しくまとまった世界だと思いますが、いま歌詞だけを読んでみると「神経症じゃねえのかこいつ?」とも思えます。ま、シルビアンさんの精神状況を知るには彼のアルバムの歌詞を追うのが手っ取り早いんで、時系列順に簡単にまとめるとだいたいこんな感じになると思います。

Quiet Life

新たな表現法の模索

Gentlemen Take Poraloids

苦し紛れにひねり出した言葉の羅列。忙しかったのよね。

TIN DRUM

自分と向かい合いすぎて思いきり閉鎖的に。美学は貫いたけど。

Brilliant Trees

JAPANで疲れたので息抜きしたい気分。無理しなかったのがよかったみたい。

Gone to Earth

芸術家を気取りたかったけど、無理をすると堅くなるね。

Secrets of the Beehive

ひらきなおって散文詩をウタにしちゃった→でも、大成功。

ちょっと茶化しすぎましたか?でも、当たってるでしょ(笑)。

次にアレンジですが、これが実にお見事で、ボーカルラインとバックのサウンドが完璧に融合して、渾然一体となったサウンドを聴かせてくれます。それまでのJAPANはフツーのバンドと同じように、バックの演奏+シルビアンのボーカル、というスタイルが基本だったわけですが、ここへ来て「ボーカルもサウンドを構築する楽器の一つ」というようなスタンスが見えるのです。このようなスタンスはボーカルに限ったことではなく、ドラムもベースもキーボードもギターも全く同じという立場です。そのため、従来的なバンドアレンジでは考えられないような曲が数多く見られます。これにはメンバーがテクニック指向のプレイヤーではなかった、というのが作用した結果と考えられます。このバンドで演奏が一番上手いのはおそらくSteve Jansenで、彼はどんなドラムパターンでも叩きこなせたはずです。そこで複雑なリズムは彼とリズムマシーン(当時出たばかりのTR-808など)に任せておき、他のパートは思いきり細分化して自由にやっちゃえ、というわけです。事実、シンセサイザーなどはものすごく細分化して録音したようで、1曲あたりに登場する音色の数も軽々と両手を越えたりします。しかし、安易な音色やフレーズは一つもなく、どれをとっても十分に吟味されつくしたものです。ということで、非常に計算されたアレンジになっているように思える曲も、実際にはかなりの試行錯誤を繰り返した結果として到達したのではないかと推測できます。

そういった録音の試行錯誤をくりかえすと、整理がつかなくなってサウンドがドロドロになってしまうことがよくあります。実はこれこそが、初期のJAPANのドロドロ・サウンドの正体だったと思います。そこで重要なのがレコーディング・エンジニアとなるわけです。このアルバムではエンジニアにSteve Nyeを起用しています。録音はNyeとJAPANの4人だけで進められたのでしょうが、各メンバーがいろいろなフレーズを弾いたと思うのです。それを整理しサウンドをまとめることができたのは、個々の音色を大切にしつつ、全体としてまとまりのあるサウンドを作り上げることに長けた彼の起用が成功した証拠です。また、ドラムにしてもベースにしても、サウンドがとても太くてコシのある音色なんですよね。おそらくかなりきつくFairchildのチューブ・コンプレッサーを通してると思います。それも全曲です。これによってシンセ系の音色の多さによる散漫さがカバーでき、アルバムを通して統一感のあるサウンド構築が可能になったと思います。さらに、それまではロキシー的なエコー成分の多い音を好んで使っていたJAPANですが、このアルバムは全体を通してエコー成分が非常に少なくなりました。ボーカルなんか、ほとんどリバーブ成分がありません。この結果として前へ出る要素の強い、迫力あるサウンドになったと思います。

<第二部につづく>

 

1998.12.30

 

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