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●週刊コミックモーニング No.38(1986年)
■掲載作品
▼単行本に The spirit of wonder 0 として収録された投稿作品。難波家の名前の由来は、当然ながら難波弘之(SENCE OF WONDER)。塚原洋一さんがコミックオープンに入選して「こちらツカハラ探偵事務所」でデビューした関係もあって、最初から投稿先をコミックオープンに絞っていたようだ。これは余談だが「こちらツカハラ探偵事務所」には謙二氏が描いたと思われるコマ(背景など)が存在する。 ●コミックモーニング オープン増刊 4(1987年)
■掲載作品
▼この作品がプロとしての初作品。作者紹介コーナーに「こんな生活が続くと思うと血が凍りそうだ」と感想を書いている。確かに続いてないかも(笑)。この号は、前年にデビューし「10年に1人の逸材」といわれた田中政志氏が表紙を飾っているが、この「10年に1人の逸材」は鶴田謙二氏にも付くことになる。さらに翌年、若林健次氏にも付くことになるのだが(笑)。ちなみにこの「10年に1人の逸材」トリオは同い年である。 ●コミックモーニング オープン増刊 5(1987年)
■掲載作品
▼初めての表紙担当号。この表紙が初めてのカラー原稿である。画材はキャンバスボードにアクリル(アクリラガッシュだと思う)。本編のショウコと表紙のショウコは髪型が少し違うが、そんなことはどうでもいい話である。 ●週刊コミックモーニング No.14(1987年)
■掲載作品
▼初のカラーページ(4ページ)掲載号。単行本にもカラーのまま収録された。見ればわかる事ではあるが、前回の表紙と同手法(キャンバスボードにアクリル)である。雑誌掲載時はカラー込み28ページだったが、単行本収録時(1988年)に2ページ追加されている。 ●週刊コミックモーニング No.20(1987年)
■掲載作品
▼連続でカラーページ(2ページ)掲載。ただし、単行本収録時にモノクロになってしまっている。この扉絵はモーニングの「最高の一コマ」コンテストで2位につけたような記憶がある。ちなみに、初めて「最高の一コマ」で1位をとった作品は90年の「水の惑星」である。こちらは何故か切り抜きがとってあった(笑)。 ●週刊コミックモーニング No.30(1987年)
■掲載作品
▼鶴田弟談(2001.6.10) ●コミックモーニング カラフル増刊 2(1987年)
■掲載作品
▼単行本収録時にモノクロになってしまっている、わけではなくて最初からモノクロ作品である。モノクロではあるが、単行本より掲載誌のほうが雰囲気は上だろう。紙色のせいかもしれないが。 ●週刊コミックモーニング No.42(1987年)
■掲載作品
▼コミックモーニング本誌では初の表紙担当号。よく「夏子」は「誌帆の去る夏」からきているといわれるが、この件については本人が「鶴田先生のなんでも相談室」で否定している(1998.3.23/GAINAX) 。SFとは縁もゆかりも無い物 >ネーミングソースは「悪霊島」の刑部片帆&真帆というのが当時の本人談だったと記憶しているが、なにぶん古い話しなので間違いかもしれない。 ●週刊コミックモーニング No.1(1988年)
■掲載作品
▼エーテル理論続き:実は今でもエーテル理論は生き残っている。例えば実用新案【実開平6−72087】「陽子融合装置」を出願された方が、エーテル宇宙モデルについて詳しく触れている(知的財産権&執筆関連情報/いなぽんの特許大図鑑(実用新案編)より引用)。学者の中には相対性理論不信論者がかなりいるそうなので、将来「エーテルの風を観測してノーベル賞」受賞者があらわれるかも。 |