FATBACK BEAT since 1998

1982

快賊船 創刊号
1982年12月26日発行(200部)
「表紙イラスト」
「地球防衛軍」
▼参考:
週刊少年サンデー 第5回 同人誌グランプリ結果
編集部門準入選: 快賊船
入賞作紹介: 快賊船
作品部門次点:
 −ある街勇者物語/ゆでみかん
 −地球防衛軍/鶴田謙二

1983

快賊船 the 2nd sailing
1983年7月7日発行(300部)
「表紙イラスト」
「AFRICA」
快賊船乗組員名簿
▼創刊号の反省(?)をふまえ「智くんの快賊まる悲白書」「快賊船通信すぺしゃる」「快賊船乗組員名簿」等のコーナーをつくって万全かと思われ た2号だったが、第6回 同人誌グランプリ(編集部門)での評判は今一つだったようだ。作品部門では、ゆでみかんさんが連続で次点に選ばれた。みやけさんも選ばれていたような気もするのだが、古い話なので記憶が定かではない。ちなみに鶴田謙二氏は選外であった。まあ、ラブコメ全盛(当時)の少年サンデーで「AFRICA」が評価されるはずもなく、かえって良かったのではないかな(笑)。

1984

快賊船 THE 3rd SAILING
1984年6月15日発行(400部)
「表紙イラスト」
「宇宙船野郎のマーチ」
快賊総進撃

▼「智くんの快賊まる悲白書」によると、6月3日の時点で(全体の)47ページしかあがっていなかったようだ。「へんしゅーだけはやめたがええ。やめたがええ。」と書いておきながら後に編集の仕事についてしまいましたね、小西さん(爆笑)。この3号は実質3ヶ月余りで完売となった。表3・表4と 「快賊船通信ど・すぺしゃる」に4号の告知がある。鶴田謙二氏は「表紙イラスト」と「宇宙船野郎のマーチ」「快賊総進撃」(作家紹介イラスト)の他、奥付けのイラストも担当している。
カセットテープ「VOICER」
「カバーイラスト 」
ジンバブエの田所博士(声)
第2号編集長(声)

▼このテープ、鶴田謙二氏の声の出演はそれほど多くない。これは録音(スタッフ)側にまわっていたためだと推測するが、間違っているかもしれない。肉声が聞けるのは「ニュースセンター快賊」「快賊通信ダイナミック」「緊急特別報道番組・快賊船は訴える」「連続ドラマ・快賊道」「快賊通信ダイナミック・パート2」。基本的に快賊対逆賊の構成であり、逆賊関係では「逆賊クラッシュ」でShoiの元ネタ(宇宙防衛軍)が聴ける。あとは「快賊船読んでる人、旗あげて」「はーい」ダダダダ(機関銃音)・・・の逆賊政府広報が笑える。
月刊ぱふ 12月号
1984年12月1日発行
「豊饒の月」
▼「豊饒の月」は星野之宣特集のブルー・シティー/バトル・ブルーのキャラクター紹介、ストーリー・ダイジェスト等の後ろに掲載された。之宣ファンにはなんともうれしい逸品である。ぱふ読者の中には「快賊船=パロディ軍団」と思った人もいると言われている。ただ、SF名物で初めて読む人の中には、元ネタを知らない人も存在すると思われる。中には、なにがなんだか(笑)の人もいるようだ。
快賊通信「快賊船 4 予告特集号」/逆賊通信
1984年12月発行
「表紙イラスト」 (逆賊通信)
「かぐや姫王座奪回」予告イラスト

▼予告特集号まで出したが、結局は幻となった快賊船 4号。この4号、予定では1985年の6月に800部発行だったようだ。初めて塚原洋一さんの作品が登場する、と思ったのだが実現しなかった。塚原さんは鶴田謙二氏より先にプロデビューを果たすのだが、実は快賊船では創刊号から目次書きと作家紹介イラストしかやっていないのだった(笑)。この予告特集号は12P構成で、表4が鶴田謙二氏の手による逆賊通信サイドの「表紙イラスト」となっている。

1986

週刊コミックモーニング No.38
1986年11月13日発行
「広くてすてきな宇宙じゃないか」

▼単行本に The spirit of wonder 0 として収録された投稿作品(コミックオープン'86年後期入選作品)。難波家の名前の由来は、当然ながら難波弘之(SENCE OF WONDER)。塚原洋一さんがコミックオープンに入選して「こちらツカハラ探偵事務所」でデビューした関係もあって、最初から投稿先をコミックオープンに絞っていたようだ。これは余談だが「こちらツカハラ探偵事務所」には謙二氏が描いたと思われるコマ(背景など)が存在する。

1987

コミックモーニング オープン増刊 4
1987年1月2日発行
「満月の夜 月へ行く」
▼この作品がプロとしての初作品。作者紹介コーナーに「こんな生活が続くと思うと血が凍りそうだ」と感想を書いている。確かに続いてないかも(笑)。この号は、前年にデビューし「10年に1人の逸材」といわれた田中政志氏が「表紙イラスト」を飾っているが、この「10年に1人の逸材」は鶴田謙二氏にも付くことになる。さらに翌年、若林健次氏にも付くことになるのだが(笑)。ちなみにこの「10年に1人の逸材」トリオは同い年である。
コミックモーニング オープン増刊 5
1987年2月3日発行
「表紙イラスト」
「星に願いを」
▼初めての「表紙イラスト」担当号。この「表紙イラスト」が初めてのカラー原稿である。画材はキャンバスボードにアクリル(アクリラガッシュだと思う)。本編のショウコと「表紙イラスト」のショウコは髪型が少し違うが、そんなことはどうでもいい話である。
週刊コミックモーニング No.14
1987年3月19日発行
「少年科學倶楽部」
▼初のカラーページ(4ページ)掲載号。単行本にもカラーのまま収録された。見ればわかる事ではあるが、前回の「表紙イラスト」と同手法(キャンバスボードにアクリル)である。雑誌掲載時はカラー込み28ページだったが、単行本収録時(1988年)に2ページ追加されている。
▼エーテル理論:宇宙はエーテルという物質で満たされ、それが光や電磁波を伝えているという仮説。語源はアリストテレス。 エーテル理論は、後に量子力学や相対性理論によって完全に否定された。かに見えたが、、、(The spirit of wonder 8へ続く)
週刊コミックモーニング No.20
1987年4月30日発行
「リトル メランコリア」
▼連続でカラーページ(2ページ)掲載。ただし、単行本収録時にモノクロになってしまっている。この扉絵はモーニングの「最高の一コマ」コンテストで2位につけたような記憶がある。ちなみに、初めて「最高の一コマ」で1位をとった作品は90年の「水の惑星」である。こちらは何故か切り抜きがとってあった(笑)。
週刊コミックモーニング No.30
1987年7月9日発行
「潮風よ縁があったらまた逢おう」
▼鶴田弟談(2001.6.10)
「最初のコマは静岡の大岩寮ですね。懐かしいな。静大の倉谷のモデルは谷啓ですが、ネーミングソースは谷啓+倉田さん(当時の寮長)。兄貴が静大近辺の取材に来たときに、寮のみんなと飲みにいきましたしね。店は鳥八だったかな?」
コミックモーニング カラフル増刊 2
1987年8月18日発行
「時間の国のマージィ」
▼単行本収録時にモノクロになってしまっている、わけではなくて最初からモノクロ作品である。モノクロではあるが、単行本より掲載誌のほうが雰囲気は上だろう。紙色のせいかもしれないが。
コミックモーニング パーティー増刊 12
1987年8月25日発行
表紙イラスト「パーティ・ミュージックショップ」
▼表紙イラストのみ担当。今ではマンガ家というよりイラストレーターというべき謙二氏だが、仕事として「表紙のみ」書いた初めての作品だったと思われる。ただ、この号には塚原洋一さんの「ぼくの近況報告」という作品が掲載されているのだが、背景のコマは謙二氏が手伝ったっぽい仕上がりである。この推測が正しければ当時の繁忙ぶりがうかがえるというものである。
週刊コミックモーニング No.42
1987年10月1日発行
「表紙イラスト」
「夏子」
▼コミックモーニング本誌では初の「表紙イラスト」担当号。よく「夏子」は「誌帆の去る夏」からきているといわれるが、この件については本人が「鶴田先生のなんでも相談室」で否定している(1998.3.23/GAINAX) 。SFとは縁もゆかりも無い物 >ネーミングソースは「悪霊島」の刑部片帆&真帆というのが当時の本人談だったと記憶しているが、なにぶん古い話しなので間違いかもしれない。
コミックモーニング パーティー増刊13
1987年10月27日発行
表紙イラスト「パーティ・キャラバン」
「破壊王の逆襲」
▼「破壊王の逆襲」は「Captain Smith〜」のタイトル通り、キャプテン・フューチャー・シリーズへのオマージュ的作品。なお、タイトルが「Captain Smith Stories 1 破壊王の逆襲  Tale1 Black sun of danger (危機を呼ぶ暗黒星)」となっており、あたかも定期連載するかのようなタイトルが付いている。が、これはジョークであり、最初から続編は考慮されていない読みきり物である。原稿を落として打ち切られたわけではない(笑)。

1988

週刊コミックモーニング No.1
1988年1月1日発行
「少年科學倶楽部火星へ」
▼エーテル理論続き:実は今でもエーテル理論は生き残っている。例えば実用新案【実開平6−72087】「陽子融合装置」を出願された方が、エーテル宇宙モデルについて詳しく触れている(知的財産権&執筆関連情報/いなぽんの特許大図鑑(実用新案編)より引用)。学者の中には相対性理論不信論者がかなりいるそうなので、将来「エーテルの風を観測してノーベル賞」受賞者があらわれるかも。
▼完全なる余談:あなたのPCネットワークにもエーテルが介在している。エーテル(ether)=イーサー。
the SPRIT of WONDER 1
1988年3月23日発行
▼この「the SPRIT of WONDER 1」は謙二氏の1980年代唯一の単行本である。当初題字のカラーは黄色とピンクの2案が存在し、最終的に黄色になったと聞いたような記憶があるのだが今となってはもはや定かではない。
▼この後謙二氏は1990年1月1日発行の月刊アフタヌーンでスプリット・オブ・ワンダー第2弾「チャイナさんの憂欝」を発表。熱狂的なファンを生み出すことになる。

1989

週刊コミックモーニング No.22・23
1989年5月11・18日発行
「第1話 エリノア・ナンブ」
▼「the SPRIT of WONDER 1」の発売から1年後、無謀にも週刊連載として始まった「Ring The World」。数本を書き溜めた後で開始したという話ではあったが、、、、やはり無理があったようで第7話までで休止となった。
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