僕は中学高校のとき文化祭では
「ホストクラブ」みたいなことをしていた。放送部に入ってたんだけど、それがそういうことをしていたのだ。
階段教室の周囲の壁に黒いラシャ紙を貼って、暗幕をひいて、
蛍光灯は全部はずして
4本だけブラックライト。そんで教壇に作った
DJボックスに後ろからスポットライトをあてる。その
DJボックスのなかで、各自が自分で作った番組なりレコードなりをかけて音楽を紹介するという企画。
もともとは「音楽を楽しんでもらう」ことが本来の目的だったんだけど、
ほら、お客さん(女のこ)って相手してないと他に行っってしまうから多少
お話しないといけない。それで、目的が
「音楽をバックにお話を楽しむ」企画に変質してしまったのだ。
おかげでうちの学校のホストクラブの異名をもらってしまったくらいだ。
たしかに前の年のお客さんが「〜くんいます?」
なんてくることもあった。
(ご指名!:(笑))でもそれなりに大変だったのだ。
二日間、酸素の薄い(窓は閉め切ってる)状態で、しかもスピーカーがでかいから
大声でしゃべらなくちゃいけないし、最後のほうは酸欠でフラフラだった。
混雑する時間帯(土日の午後とか)には一人あたり4つくらいそういう女のコの
グループを担当しなくちゃいけなかったし。
年に一度しかない、女のコとしゃべれるチャンスみたいなものなのに、
最後のほうは、疲れてくるのだ。
あれは多分、二日目の夕方、文化祭も終わりに近いころだったと思う。
だって、かなり疲れてたから。
たしかに、中2の3人くらいのグループとしゃべってた記憶はあったのだ。
でも、暗かったのと、酸欠気味で疲れてたのもあって、よく覚えていなかった。
そういうときこそ、気分がハイになってマシンガンのように
おしゃべりもできるというものだが。それは脳味噌がしゃべているのではなく、
口先だけが本能で動くようなものだった。
各机の上には一冊づつ「落書き帳」なるものを置いていた。
文化祭あとのお楽しみみたいなものだ。
お客さんに書いてもらうやつ。
文化祭後、みんなでそれを読んで話のネタにしていたのだが、
各ノートすべてに、
「●(僕)さん、愛してます。Y・M」と書いてあったのだ。それを見たときには
「僕にも春がきたのかな。いまはもう秋だけど」って
狂喜したものだった。
そしてお約束のように、数日後家に電話があった。
かわいらしい声だった。
どうやら、「気分がハイ」状態で調子に乗って、
住所やら電話番号やらを教えていたらしい。
結論から言うと、
「文化祭に来て欲しい」ということだった。チケットは手紙で郵送したらしい・・・。
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