バルセロナ・シッチェス



 

その週末、僕はスペインのシッチェスにいた。

シッチェスはバルセロナから電車で小一時間ほどの場所にあるビーチリゾートだ。

ユーレイルパスを使って深夜特急でバルセロナまで約12時間。

そしてようやく辿り着いたそこは、6月だというのにすでに真夏だった。



照りつける太陽。

輝く海。

白い砂浜。

揺れるトップレス。

それらは毎年スペインで見られる「よくある風景の一つ」だった。

父さん、母さん、僕を育ててくれてありがとう。

とはいえ、ここまであっけらかんとされると特にやらしい気分になるわけではなく、最初の数分でその感動はなくなってしまう。

さらにいえば、トップレス率は年代に正比例するらしく、20代ではその割合は非常に低い。

恥ずかしがり屋さんが多いということだろう。

反対に、50−60代のオバチャン、オバアチャンはことごとくトップレスだ。

羞恥心の捨て過ぎというものだ。

つまり、どちらかというと目の保養よりも目の毒のほうが多いのが実情だ。

ポイントは、「俺は一体、ここまで何をしに来たんだ?」という素朴な疑問に気付かないようにすることだ。

一度この疑問にハマってしまうと、鬱々として残りの時間を過ごさないといけなくなる。

ところで、僕が1人旅行でビーチですることはそれほど多くはない。

デッキチェアで本を読んで、暑くなってきたら海に浸かって肌を冷やす。

海水にプカプカ浮かんだり泳いだりして水遊びをして、ある程度身体が冷えてきたらまたデッキチェアで本を読む・・・。

という繰り返し。

***

僕がデッキチェアでうつ伏せになって本を読んでいると、人が歩いてくる気配があった。

そして僕の足元で足音はとまり、荷物を置いたりしている気配だ。

そこに陣取って日光浴を楽しむのだろう。

衣ズレの音がする。

僕は全身全霊で、

「20代のスレンダー美女でありますように」

「トップレスでありますように」

と祈った。

そして、やおら起き上がって、仰向けで本を読むフリをして足元に目を向けてみた。




え?

オッサンがフルチン?


フランシスコ・フランコ・バハモンデによるスペインの独裁は、1937年に彼が組織するファランヘ党の総統となったところから始まった。

フランコ政権はその成立時からドイツ、イタリアのファシズム政権から支援を受け、ファランヘ党の一党独裁、軍隊と秘密警察による厳しい支配を行った。

フランコは、中産階級をバックに高まる自由主義運動を厳しく抑圧したが、そのもとで1960年代から1970年代初頭にかけて、目覚しい経済復興を遂げ、「スペインの奇跡」として、日本の高度経済成長と並び称された。

1975年、フランコ死去。遺言によりフアン・カルロス1世が即位。独裁は終わりを告げる。

つまり、スペインが独裁制から民主制に移行し、人々が自由を手にしたのはわずか30余年前のことなのだ。

スペインの人々が遅まきながらもやっと手に入れた『自由』を謳歌するのは当然のことだと言える。

だが、これはフリーダムにもほどがある

トップレスどころかアンダーレスとは・・・

ついでにいえばアンダーヘアレスでもある。

昔からある日本のことわざで、『頭隠して尻隠さず』というのがあるが、その言葉を体現しているかのようだ。

しばらく呆気にとられて見入ってしまったが、どうやら周囲の視線には興味がないようだった。

そのうち彼は、ビールを片手に海を眺めながら陰嚢の袋をみにょーん、みにょーんと伸ばし始めた。

それはいったい何の健康法だ?

別に性的な意味合いがあったわけではないと思うが、しばらく伸ばしたり引っ張ったりしていた。

すると今度は、お尻を太陽に向けて四つん這いになった。

どこに日光を当てるつもりなのだろう

つぼみが花開くとでもいうのか

ともかく、僕がこちら側にいたことはとても幸運だったといえよう。

その後もしばらく奇妙な動きは続いたのだが、周囲の目はとても冷めたもので、驚いていたのは僕一人だった。

もしかすると、スペインの人々の懐の深さというのは日本人が想像する以上なのかもしれない。




教訓「スペインでは、自由だ」





英国居酒屋


2008 ベルサイユのにら