2月某日
〜 着 任 〜









そう、その日は前任者が帰国してしばらくもたたない日のことだった。

僕のここでの仕事は欧州株式のリサーチ。

しかもセクターの担当はなく、エネルギーから資本財、金融まですべてのセクターをカバーすることになる。

むしろリサーチアナリストというよりファンドマネージャーに近い。

つい先日まではアメリカ株式の、しかもヘルスケアセクターの担当だったわけだからその内容の変化は大きい。

まるで連邦軍のモビルスーツからジオン軍のそれへ乗り換えるようなものだ。

(例えがよくわかりません!という抗議は却下)

次に大きなとまどいを生んでいるのは、オフィスの勝手がわからない、という点だ。

文房具の場所もわからないし、パソコンのIDの発行を誰に頼んだらいいのかもわからない。

トイレの場所も見あたらないし、飲み物の自販機も見あたらない。

もっと言えば美人パリジェンヌの居場所も見あたらない。

フロアの女性は女性としての性を失い、男でも女でもどうでもいい年齢に達した人ばかりであった。

困ったこと、といえばやはり言葉の問題がある。

フランス語は学部時代に第二外国語として学んだだけで、会話の訓練はほとんどしていない。

学徒動員でゲルググに乗ってア・バオア・クーの戦場に出るようなものだ。

(例えがよくわかりません!という抗議は却下)

パリジェンヌを口説き落とす小洒落たフレンチジョークを飛ばすには途方もない時間がかかりそうだった。


******

「Hi, Mr...」

僕が不慣れなフランス語版ウィンドウズと格闘していると背後から声がかかった。

モニターにかすかに反射して見えた姿は、若い、そう、20代前半くらいの女性だった。

振り返ると、彼女は微笑んで、

「Nice to meet you, I'm Sophia」(ソフィアです。はじめまして)

なんだろう、この胸に去来する初めての痛みは!!

まさかこれが本物の恋?!

僕の恋の導火線に火がついたのか?!

・・・。

しかしよく考えてみると違った。

バッジの安全ピンが外れて左の乳首を突っついていただけだった。

振り向いた拍子でそうなったのだろう。

そしてソフィアは、アントニオ猪木に弟子入りができるくらい長大なアゴを持っていた。

下唇からアゴの先まで多分30センチくらいありそうだ。

: 「Hi, nice to meet you」

しかし左の薬指にリングがあることから、結婚していることがわかる。

老人のデブに欲情するホモもいるくらいだから世の中は広い、ということなのか。

彼女は僕にIDカードといくつかのイントラネットのアカウントをくれた後、言った。

ソフィア: 「If you have any question, I'm disposable」(何か質問があったら何でも聞いてね)

質問・・・。

その中には何が詰まっているんですか?

とか

おっぱいを引っぱり出したらそれは引っ込むんですか

とか

押し込んだら別の何かが出てくるんですか?

という質問は明らかな人権侵害だろう。





次に僕のデスクを訪れたのは、クライアントサービスの人だった。

名前はクリスチャン。

僕とさほど変わらない年齢に見える。

ここの運用会社で生成された金融商品を海外に売るのが仕事だ。

僕の所属する会社でもここの商品を売っているので、つまり僕は彼にとってお客さんということになる。

クリスチャン: 「I'm sitting there, if you need something, whatever, I'll do a help」(あそこに座ってるし、何かあったら手伝うよ)

: 「Thanks」

それから彼は声をひそめて

クリスチャン: 「OPAAI, OPAAI」(オパーイ、オパーイ

彼は親指を立ててにっこりと微笑んだ。

いったい何のメッセージだ?

僕は固い笑顔で親指を立てて見せるしかなかった。




僕のパリは、そんなふうに始まったのだった。






英国居酒屋

Paris 2005 巴里は萌えているか