A monk is dying.









text/Kotaro Inaba


無期限の断食行

 信じられない話を聞いた。
 今、三人の男が飢えて死のうとしているのである。食料を買う金がないのではない。病気でもない。ある願いのためにみずから食を断ち、寒風のなかで祈っているのだ。
 三人の名前は森下行哲さん、大津行秀さん、釘宮海証さん。禁欲的な生活、厳しい修行、過激な平和運動で知られる日本山妙法寺の僧侶である。
 十一月のなかばごろ、一通の封書が届いた。大津行秀さんからだった。ぼくが書いた『コンビニエンス・マインド』(大蔵出版刊)を読んでくれたひとはおぼえているかもしれないが、三年前の中東の湾岸紛争のとき、即時停戦を祈ってのべ三十二日間の断食をやりとげたお坊さんだ。
 何気なく封を開けたぼくの目に「無期限断食」という文字が飛び込んできた。今国会に提出されている自衛隊法改正案の廃棄を目指して、国会議事堂の前で十一月一日から無期限で断食するというのである。一瞬、ことの重大さが飲み込めなかった。自衛隊法改正反対というのも、恥ずかしい話だがピンと来なかった。
 十一月一日から、というのも、間違いではないかと思った。なぜなら、すでに二週間以上も断食しているのだとしたら、なんらかの形でニュースなどで取り上げられているはずだからだ。
 それから何日かしてぼくはC+Fワークショップの「セラピー塾」のワークのひとつとして「旅のエキササイズ」を行った。目的地も決めずに自分の足にまかせて歩きながら、自分に向かって問いかけをする、というワークだ。そのとき、ぼくの足は無意識のうちに皇居を回って国会へと向かっていた。


十キロの体重減

 国会に向かって右側の、国会図書館の手前の道路から少しひっこんだところに、大津さんたちは座っていた。ひと目見て、大津さんが衰弱しているのが分かった。顔色が黒っぽくなり、全体に縮んだように見えた。題目を唱える声も、あの朗々とした艶のある声ではない。それでも近づいて挨拶をすると、ニコニコしながら、
「稲葉さん、痩せられたんじゃないですか」
 という。冗談ではない。痩せたのは大津さんのほうなのだ。聞けば断食開始前の体重は六十二キロ。今は五十二キロ。十キロの減少である。
「もう断食のからだになっていますからね、そんなにきつくないです。あとは少しずつ体重が減って、衰弱していくだけです」。
 湾岸紛争のときと同じように、口にするのは梅干しを溶かしたお湯だけ。週に一回はキャベツや人参など生野菜を食べるが、断食している胃腸が受けつけるはずがない。それらはすぐに激しい下痢として出てしまう。こうしてお腹を掃除するのだという。また今回は長期戦になることを覚悟して、大津さんと釘宮さんは少量の蜂蜜をなめている。だが、今年五十六歳になる森下さんは、週に一度のお腹の掃除以外は飲まず食わず。トイレに立つこともほとんどないという。
「覚悟されているのでしょうね」
 と大津さんはいう。ぼくは、うなずくことしかできなかった。
 今回の断食は、自民党が自衛隊法改正案を安全保障委員会に提出した十月二十七日から始まった。
 湾岸紛争のときの渋谷ハチ公前と違い、今回は国会のまん前で座り込んだから、警察の圧力はケタ違いだった。一日目、首相官邸の目の前に座り込んだが、機動隊によって強制排除された。三日目、国会の真ん前に座ったら、また排除された。
「三、四人に両脇と足を掴まれて、日比谷公園まで運ばれたんですが、からだがバラバラになりそうでしたよ。腕にあざは出来るし、逆さずりにされてお袈裟は破られるし、ズボンはずり落ちておけつ丸出し(笑)」


自殺する日本人?

 それでも座り込みを続けていると、ついに機動隊のほうが音をあげた。もう運べない、と地元の麹町署と喧嘩を始めたのだ。そこへ国会の衛士がやってきて、早く連れていけとこちらでもいい合いがはじまる。
 たまらず麹町署の人間が渋谷道場にやってきて、なんとかしてくれと泣きついてきた。話し合いの結果、麹町署が国会が見えるところに場所を確保する。ただし他の政治団体などの手前、許可を出したことはいわないでくれ、という。結局、月曜から金曜は朝九時から午後五時まで憲政会館の敷地で座り、土日は渋谷ハチ公前で座ることになった。
 それにしても、こうした一連の騒ぎが新聞でもテレビでも報道されないのはなぜか?
「マスコミは、この法案の恐ろしさが分からないのでしょう。この一〇一条の八というのはPKO法案どころじゃなくて、ほとんど規制のない恐るべき法案なんです」
 この改正案は、有事の際、海外在住の日本人を救出するため、民間の飛行機をチャーターするのではなく自衛隊機を使用してもよい、とするもの。
 ところが第二次世界大戦でも、日本軍が大陸に兵を進めた直接の理由は、在留邦人の生命財産の保護のためだったのだ。昭和二年五月の第一次山東出兵、昭和七年の上海事変、昭和一二年の蘆溝橋事件も同じである。そして最近では一九八三年十月のアメリカによるグレナダ侵攻も、米国人救出が口実だった。
 さらに邦人の輸送中に自衛隊機が攻撃された場合、自衛権の侵害とみなして武力行使ができるという。もうほとんど戦争をしかけに行くようなものである。
 ぼくは以前、断食というのはもっともゆるやかな自殺だと書いたことがある。でも今思えば、それは間違っていた。自殺しようとしているのは彼らではない。日本人そのものなのではないかと思う。


断食は、楽しい

 朝は五時半に起床。お勤めをして、バンで国会まで移動する。座り込みは九時から。段ボールを敷いた上に胡座をかき、うちわ太鼓を叩きながら、「南無妙法蓮華経」と唱題。雨が降ろうが風が吹こうが、その場を動かない。午後五時、お経をよんでその日のお勤めは終了。道場に引き上げ風呂に入った後は、バッタリと眠ってしまう。
 最初の二、三日は意気込んでみたり、落ち込んでみたり、気分の上下があった。それが一週間過ぎると、こころが冴えたようになり、気持ちも安定してくるという。
「からだはきついですよ。頸が凝ったり、背中が痛んだりします。あと、私は前立腺が悪いので、寒い日は痛んだりします」
 もう止めたい、投げ出したいと思うことはないのだろうか。
「朝起きるのが大変ですね。だるいし、貧血も起こすし、このまま布団のなかにいたいという気もします。でも、断食を途中で止めたいとは思いませんね。断食しているときが、一番有り難いです。余計なことにとらわれずに、お題目さまに始まり、お題目さまに終わる。このまま通せたら、清らかな出家生活が送れるなあと思います」
「今、冗談じゃなくて、楽しいです。もし日本山妙法寺に入っていなかったら、今ごろ何をしていただろうと考えるんです。田舎にいて、嫁さんもらって、テレビ見て酒呑んでカラオケ行って……。それが一生の楽しみだと思うと、ぞっとします。今は国家のちょっとした動きにも耳をすませて、生きているという充実感があります。体力、知力、霊力をフル回転して勤めさせてもらっています」
 一日勤めたな、と思って布団のなかで目をつぶるとき、なんともいえない充実した感じがあるという。
 大津さんたちのこんな思いは、国会の中に届いているのだろうか。
「いやあ、面白い話があるんです。安全保障委員会の開催中に、傍聴のため国会に入っていったんです。そうしたら、驚きました。中までお太鼓の音がガンガン響いているんです。議事堂は石作りだから、かえって響くんですね。よう今まで許しておったなあと不思議に思いました(笑)」
 それでもこの断食を報じるマスコミは今のところ皆無だ。断食中の彼らの前を通るひとは九割までは無視。なるべく見ないように、足早にとおりすぎていく。
「でも人間が何かを見て、感じて、行動するまでにはものすごい時間がかかるものでしょう。無関心な世の中で、ひとりでもふたりでもいい、気づいてくれたひとは救われると思います」


倒れるまで、やる

 十一月二十八日、ぼくは大津さんたちと一緒に、渋谷ハチ公前に座り、太鼓を叩き、題目を唱えた。最初は小さな声しか出せなかったが、だんだん気持ちが乗ってくると、思いっきり腹から声を出すのがすごく快いことに気づいた。それと同時に、それまでは通行人が気になってキョロキョロしていたのに、意識が自分の内側に向かって行った。そのうちぼくが題目を唱えているのか、題目がぼくをスピーカーとして使って世に生まれ出ようとしているのか、分からなくなってきた。
 気持ちのいい体験だった。
 唱題を終えて、
「いつまで続きそうですか」
 大津さんに聞くと、
「あまり深く考えないで、倒れるまで続けます」
 と笑みを浮かべながら静かにいう。生きるか死ぬかぎりぎりのところで、なぜこんなふうに笑えるのだろう。いや、それとも、生死の境目をかいま見ているからこそ、こんなに屈託なく笑えるのだろうか。
 彼らがこんなにまで自分を捨てられるのは、信仰があるからだ、というひとがいるかもしれない。でも世の中を見渡してみると、信仰ゆえに自我を捨て軽やかになっていくというのはむしろ希有なことで、信仰によって自我が肥大化し身動きができなくなっている宗教者がいかに多いことか。宗教とはほんらいひとを自由にするはずのものなのに、逆に宗教に囚われてしまうのはなぜだろう。
 信じるということは、ホントのところ、どういうことなのか。ますます分からない。


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