「旅」のエクササイズ

text by Kotaro Inaba


 このWHO ARE YOU?も第2号を出すことができましたが、何でWHO ARE YOU?などというタイトルがついたのか知りたいという意見を何人かのひとから聞きました。そこでこのWHO ARE YOU?というタイトルを思いついたきっかけである「旅のエクササイズ」について、紹介しておきたいと思うのです。

 このエクササイズはC+Fワークショップの「セラピー塾」の、2回目の宿題として出されたものです。以下は、エクササイズを終えて、その日のうちに書き上げた記録です。この文章の続きが、WHO ARE YOU?の0号で書いた「国会議事堂の断食行者」というルポです。そちらのほうも読んでいただければと思います。

 急いで書いたのでおかしなところもたくさんありますが、なぜWHO ARE YOU?なのか、というのがわかると思います。読んでみてください。


歩き始める

  1.時間 1993年11月22日午後0時から
  2.場所 千代田区内 皇居周辺
  3.やり方 以下のとおり

 午後0時ちょうど、家を出る。ヴィジョン・クエストならスエット・ロッジで身を清めるべきところ。それは無理でもスポーツ・クラブでサウナでも入ってこようかとも思ったが、時間がなく断念した。この時間がない、というのがくせものだ。時間がないからという理由で、今回も宿題をやるのがずるずると延びてしまった。でもこれはぼくが宿題をやるときのいつものパターン。とはいえ宿題をやらない度胸もないから、前日になって、なんとか辻褄を合わせようとする。小学校以来、これは変わっていない。

 でもまあ、自分を責めてもしょうがない。とにかく歩きはじめよう。
 靖国神社の塀に沿って、日本武道館の方向へ進む。

 自分は誰なのか。どこから来たのか。どこへ行こうとしているのか。自分に問い掛けてみる。
「おまえは誰だ。おまえは誰だ。お前は誰だ」

 お昼どき。歩道には昼食に向かうビジネスマンやOLたち。彼らには目的地がある。でもぼくにはない。いや、あるのだろうか。とりあえず、今は、見えない。
 しばらく行くと、「千鳥が淵緑道」という表示。そのまままっすぐ行って「北の丸公園」へ行こうかとも思ったが、緑道のほうへ曲がる。「北の丸公園」も緑が多くてひとが少なくて自分を見つめるのにいいところだが、歩いたことのない道のほうが新しい発見があると思ったのだ。
 お掘りを左側に見ながら、ゆっくりと歩く。細い並木道。通行人はまばら。東京の真ん中にもこんな場所があるのだ。

 フェアモント・ホテルが見える。急にトイレに行きたくなり、ホテルのきれいなトイレを借りる。そういえば小学校のころ、運動会でもこんなことがあった。かけっこのスタートの直前になって、トイレへ行きたくなったのだ。本屋へ行くとトイレへ行きたくなるひとが多いという記事を読んだことがあるが、ぼくの場合、緊張があるとお腹がおかしくなるようだ。


問うことが道になる

 トイレから出ると、当たり前だけど、すっきりした。古来、すっきるすると、いいアイディアが生まれるものである。再び歩きながら、「お前は誰だ」と自分に問いかけたとき、ふと、

 Who Are You?
 という英語が頭に浮かんだ。

 そして目の前には道
 WAY
 が延びている。

 これは出来すぎだ。
 お前は誰だ=Who Are You? と自分に向かって問うことが、
 道WAYを歩くこと=生きることなのだろうか。
 だとしたら、このまま、歩きつづければいいのだろうか。

 しかし、
 だとしたら、この問いには答えはなく、問うことそのものが大事なのだろうか。
 だとしたら、答えのない問いを問いつづけるというのは、どういうことなのだろうか。

 ぼくらはどこかに答えがあると思うからこそ、問いを発する。最初から答えがないと分かっていたら、問う気力も出ない。
 だとしたら、問うことは必要ないのだろうか。
 問うてもしかたがないのだろうか。

 分からない。
 分からないけど、歩き初めて十数分で止めるのは嫌だった。もと来た道を戻るのは嫌だった。とにかくこの道WAYを歩き続けるしかない。Who Are You? とつぶやきながら。


ひとはむしろ死者の国に

 フェアモント・ホテルのすぐ横は「戦没者墓苑」だった。第2次世界大戦で亡くなった、身元の分からない遺体が葬られている場所だ。初めて入ってみる。

 第2次大戦の日本人の戦死者は200万人だという。これはすごい数字である。今の人口で考えても、60人にひとりが死んだのだ。馬鹿なことをやったものだと思う。

 中央の慰霊碑の前へ行く。ぼくは民族主義とは無縁の人間だが、自然と手を合わせていた。

 手を合わせつつ、「自分とは何か」と問い掛けると、なんだか恥ずかしくなった。死者の前では、こんな問いは無意味ではないのか。自分のことだけを考えている、エゴイズムではないか。そんな思いが湧いてきた。

 ぼくたちは死を、目に見えないもの、知ることができないもの、と考えている。でも実際には死ほど確かなものはないのではないか。ひとも、動物も植物も、死を避けることはできない。ぼくたちに平等に与えられた唯一絶対のものは、死なのではないか。

 ぼくたちはこの世は、生きているものの王国だと考えている。でも実際には、この地球が出来てから生まれ死んでいった生き物たちのほうが、圧倒的な多数派なのではないか。この世は、むしろ死者のもので、ぼくらはむしろ死者の国に生きているのではないか。

 そんなことを考えて、ぼくは隠れるように(別に隠れる必要はないんだけど。隠れようと思っても隠れられるわけがないし)墓苑をあとにした。

 道に出ると、外人のカップルが堂々とキスをしていた。


ぼくたちの中心

 そこから半蔵門のほうへ行くルートもあったのだけど、ぼくは左に折れて、皇居のほうへ向かった。恥ずかしい話だが、ぼくはいまだに皇居というのがどこにあるのか、はっきりした場所を知らない。あのお掘りの内側が皇居なのだろうけど、天皇の住んでいる建物はどのへんにあるのか。それは見えるのか。

 国立近代美術館から、毎日新聞、パレス・ホテルといった建物を左に見ながら、お掘り沿いを歩いていった。歩きつつどのへんが天皇がいるところなのかと考えていたが、どうもよく分からないのである。宮内庁の建物の隣が宮殿だということは地図にあるが、ほとんど曖昧な書き方だし、まあ、あまり一般の人間には知られたくないのだろう。

 でも、それはちょっと変だと思う。天皇は良かれ悪しかれ、日本の象徴ではなかったか。その象徴が、日本人から見えないというのは、どういうことなのだろう。そこにいるんだろうと推測することはできるけれど、はっきりとは見えない。

 まるでぼくたちの「自我」のようである。

 ぼくは今日、中心に向かって歩いてきた。皇居一周のジョガーたちとすれ違うのだが、気がつくとみんなぼくとは反対方向に走っている。つまり皇居を時計とは反対回りに走っている。ぼくは時計回りである。この夏のワークで吉福さんが、確か右回りはネジを締めるほう、求心的だといっていたような気がする。ぼくは無意識に中心へと向かっていたわけだ。ところが、いくら歩いても中心は見えない。そこにあるのだけれど、触れないのである。

 ぼくたち日本人の自我が、もひとつ確立されていないようにいわれるのは、やはりこの中心にある「あいまいさ」ゆえではないだろうか。中心を見ようとしない、触れようとしないことに問題があるのではないか。

 ただ、すべてを晒すことがいいことだとは思わない。隠された部分の大切さは、絶対あると思う。

 晒すか、隠すかは、日本人の選択である。

 もっともどうせ隠すなら、もっと隠しやすい場所、どっかの山のなかにでも行ってくれたらいいとも思う。

 皇居前広場で頭に浮かんだこと。

 見晴らしがいい。向こうにいろんな企業のビルが見える。東京海上火災。三井物産。その他もろもろ。

 ここが日本の中心だ。でもそれは、ぼくがここにいるから日本の中心、世界の中心なのだ。

 ぼくがいなければ、世界はない。
 でも、地球上の生き物の数だけ、中心は、ある。
 地球上の生き物の数だけ、世界はある。


国会の断食行者

 しばらく皇居前広場にたたずんだあと、桜田門を抜けた。見えてくるのは国会議事堂である。どうせここまで来たのだから、と、皇居からはずれて歩きだした。

 すると旅は予想もしなかった展開をみせる。

 不思議や不思議。どんつくどんつくという、太鼓の音が聞こえてくる。耳になつかしいあの音。もしや、いや、まさか、と思っていると、向こうから「南無妙法蓮華経」と書いたのぼりを持った一団が歩いてくる。知った顔がいる。日本山妙法寺の坪田上人ではないか。

 聞けば、日本山妙法寺の僧侶3人が、自衛隊法改悪に反対して、11月1日から無期限断食を行っているのだという。

 在外邦人救出のために自衛隊機を使えるようにする、という例のあれだ。新聞などではほとんど報道されていないが、もしこの法案が成立すれば、その自衛隊機を守るため、武力を行使できることになる。日本が戦争に参加することが可能になるのだ。

 断食をしている3人のうちのひとりは、ぼくが『コンビニエンス・マインド』で取材した大津行秀上人だ。

 それにしても、無期限断食とは、なんだ。今日が22日だから、もう断食20日を超えていることになる。大丈夫なのだろうか。

 とりあえずぼくは列に加わって、国会の正門前で唱題すること10分ほど、さらに首相官邸前で唱題20分。大津さんたちのいる場所に向かった。


無期限の断食

 大津さんは議事堂と国会図書館の間、歩道からちょっとひっこんだ場所に座っていた。ぼくの顔をみるとなつかしそうに合掌して、「少し痩せましたか」と話しかけた。とんでもない、痩せたのは大津上人のほうだ。頬はこけ、細かいしわが刻まれている。顔色は黒く、全体に縮んだように見えた。

 笑顔は、あのきさくな笑顔なのだが(こんなときにニコニコ笑っているなんて、なんてひとだ!)、どこか不安そうである。

 それはそうだ。無期限断食ということは、もしもこの法案が否決されなければ、そのまま死んでしまうということじゃないか。

「委員会が開かれる、今週の木曜日あたりが山ですね」

 と大津さん。湾岸戦争のときは30日間の断食をやり遂げたひとだが、さすがに無期限というのは始めてなのだ。どうなるのだろう。

「お体は、どうですか」
 尋ねると、
「先週から蜂蜜を少しなめるようにしたので、だいぶ楽ですね」
 というのだが、まっすぐ座っているのもつらそうである。

 この場所に来るまでは、国会の真ん前に座っていたのだが、何度も何度も機動隊に両手を掴まれて強制排除された。最初のうちはそれでもまた元の場所にもどって座り続けたのだが、食事をしていないので、強制排除そのものが体に応えるようになってきた。

「両手を掴まれて運ばれると、それこそ体中がバラバラになるようなつらさでした」

 そこで無駄な体力を使うのを防ぐため、場所を移動したのだ。
 ただでさえ寒さが身にしみるようになってきたこの季節。食事もせず、一日中太鼓を叩いて唱題することは、どれだけ体力を消耗するだろう。ここに座るのは朝の9時から午後5時まで。道場に帰って風呂を浴びると、あとはなにをする元気もなく寝ているという。

 ぼくは、なにもいうことができなかった。ただ合掌するしかなかった。


旅の終わり

 新聞やテレビでは、今回の自衛隊法改悪についてはほとんど論評されていないし、ましてや大津上人たちの断食行について取り上げたところはない。

 これからどうなるのだろうか。
 ぼくはどうしたらいいのだろうか。

 もうこれ以上歩く気にはなれなかった。旅は、突然終わった。時計は3時30分。
 こうしてレポートを書いている間も、大津上人は死に近づいている。


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