<犯罪研究2>

岩の坂もらい子殺し

出席者=芹沢俊介・別役実・山崎哲
1993年度 第4回 子ども研究会にて(10月25日収録)

●今年になってからなにか、残酷な殺人事件が続いているように思う。大阪の愛犬家連続殺人に始まって、福岡の美容師殺し、井の頭公園のバラバラ殺人、大阪ではほかにもバラバラ殺人が起きている。犯罪は時代を映すというけれど、確かに政治の世界も与党がバラバラ状態になって、なるほどなと思う。それにしても、救いようのない、シンパシーの持てない事件ばっかりだ。どの犯人も、被害者に対して愛情を持っていないのはもちろん、憎しみさえも持っていなかったのではないかと思える。それだけクールな感じがするのだ。これから語られる「岩の坂もらい子殺し」は、救いようがないという意味では同じなのだが、犯人が被害者に対して抱いていた感情はちょっと違う。もうちょっとどろっとしたものがあるような気がするのだが、どうだろう。


別役
次の岩の坂もらい子殺しについて、概観を説明します。犯罪を理解するということは、ぼくの場合、その犯罪を好きになるということなんです。好きになると、ああ、こういう事件だなあと理解できるのです。だからなるべく好きになるようにしているのですが、これはなかなか好きになれない事件なんです。全体を見ると、好きにならないまでも感じは掴めるんですけど。
 この事件は板橋区の岩の坂というところで起きたんですが、場所が重要です。中仙道の宿場町。川ひとつ渡ると向こうは埼玉県で、東京のはずれ。昔はけっこう栄えたところなんですけどね。女郎宿や木賃宿がいっぱい並んでいたところが貧民窟になりましてね。昭和5年頃には地方からの流入者、旅芸人、ちんどん屋が溜まっていた。ここで事件が起きました。
 昭和5年4月12日、永井病院で菊次郎という生後一ヵ月の子どもが窒息死したんです。病院で調べたところどうも死因がおかしいということで警察に届けて事件になったんです。これは貰い子でして、小川きく35歳という念仏修行者の尼僧、ようするに門付けして小銭をもらうという、乞食ですね。これが貰い子として引き受けたのが死んでしまった。
 調べてみたところ、かなりあやしいことがわかったんです。前の年に勇蔵という1歳の子どもを風呂場で落としたと、小川きくが届けている。調べてみると女一人男3人が死んでいる。実際には各地からもらい子を貰ってきては、小川きくさんのところに預けている。もらい子というのは養育費がついてくる。あとは着物いくつか、それをせしめて子どもは殺しちゃう。そういうことをやっているんではないかと騒ぎになったんです。
 具体的に発端になった菊次郎さんの場合、お父さんは無職の村井藤助さん、妻こうさん。板橋の金井病院で入院していて、亭主が失業中でどうしようかと相談していたところ、同じく入院していた出谷こよのさんが聞いて、それじゃあもらい子に出したらどうか、と言ったそうです。条件は養育費18円と衣服13枚、出谷さんがそれで貰ってきて、もらい子の斡旋人、よいと巻け人夫の福田はつさん40歳が貰ってきて小川きくさんのところに10円払って預けた。これが殺されたという事件です。
 調べたところ、東京中からもらい子を引き受けてきて殺したり乞食に仕立てて物乞いをさせたり、少し大きくなったのは娼婦にしたり、監獄部屋に売り飛ばしたり、処理していた一大集落だということが分かったんです。


もらい子産業

別役
これがなぜすごいかというと、全部システム化されているんです。木賃宿を中心に、もらい子を供給するところがある。その当時大分失業が多かったり、いなかからの流入人口が多かったり、性風俗も相当乱れていた。主な供給源は桐生の機織り工場というのがあったんです。女工さんがお父さんがいない子どもを生んだりして、各地で病院に網を張っていると、生んだけど育てられない子どもがいる。そういう情報があったり、上流階級の未亡人とか令嬢が人に言えない子どもを生んでしまった。それを出谷とよのさん福田はつさんという斡旋人が養育費もろとも貰ってきて、小川きくさんのところに届ける。するときくさんがほとんどものを食べさせないで殺してしまう。あるいは木賃宿、太郎吉長屋だとかお化けの清さん長屋、北海道長屋にちんどん屋、旅芸人、よいとまけ人夫、屑屋、たわし行商、お情け屋さん、乞食ですね、こういうのがいっぱい巣くっている、そこへ払い下げるとか、そこに殺すひとがいる。養育費が当時の相場では50円から100円というんです。かなり高いです。あの界隈で家賃が3円50銭ですから、今で言えば50万100万でしょうか。子どもをもらい子に出すに当たって、かなり親が出すわけです。
 そのように養育費といっしょに子どもが来ると、長屋中がどんちゃん騒ぎをして騒いだそうです。もらい子の数は大正13年以後、システマチックに動きだして、大正13年ころは17から18名。昭和に入ると30名から40名。ほとんど大産業なんです。逮捕者は78人。実際はその村の2300人の人間がこのシステムで生活していた。これはたんに殺したり売るだけじゃなくて、死亡した場合は市民医大の解剖室に売り払うとか、乞食、監獄部屋、娼婦としてきちんと仕分けして売り払う。これが完全にシステマチックに成立していた。もらい子産業ですね。
 都市というのが成熟して、混乱して、お父さんのいない子ども、不義の子どもが出てくる。それを処理するかなり公然とした処理機関であった。これが発覚したときは新聞でかなり話題になりましたけれど、その後検事が実情をずっと調べていくと、問題は問題だけど、止むを得ないところがたくさんある、そういうものを処理する機能が都市にはない、それが岩の坂ではかなり合理的に処理していた。ある意味では必要悪、それを引き受けてシステマチックにやっていたというのが重要なところだろう。
 もらい子が来てどんちゃん騒ぎをしたというのも、たんにお金が入ってうれしかったのではなくて、ひとつの浄化作用の意味合いがあっただろう。典型的な大都市が抱えている最暗部の世界があからさまになった事件だといえます。当時どんどん近代化されていて、銀座あたりではモボモガが出てきて近代都市文明が花開くんですが、それを支える最暗部にこういう現実があったということは、当時のひとにもかなりの衝撃を与えただろうし、よくよく考えてみると、なければならなかった機能だったという意味でも大きなショックだったろう。


女の事件

毛利
あのときは国土狭隘にして人口過多なりといって、人口問題で政府は頭を抱えていたんですよね。
別役
大陸へ移民しろという政策が出てくる。
毛利
その前は北米でした。ハワイ、満州、そういう時代背景があったんでしょう。
芹沢
この事件でいくつか気づいたところがあって。わりあい女のひとがクローズアップされているんです。
別役
女なんです、中心になったのは。巫女的な存在のひとがいて、ようするに宗教集団みたいなものらしいんです。戦後同じような寿産院事件というのがあって、この主人公も女。このひとはかなりはっきりしてまして、自分は慈善事業でやっているんだ。良心に恥じるところはなんにもない、といっている。ただ、にもかかわらず、女のひとが中心になって宗教的なある環境みたいなものがあったんじゃないか。
芹沢
新聞なんかも念仏修行者の尼の小川きくさんというのは夫小倉幸次郎さんの内妻というんですが、夫のほうは年齢を書いていないんです。福田はつ、これも年齢が書いてある。出谷こよの、これも書いてある。他はぜんぜん書いていない。それだけ女のひとが突出しているんです。
別役
女性組織です。斡旋人からほぼ女性なんです。
山崎
小川きくさんのだんなは、最初は疑われているんだけど無罪になっちゃう。
芹沢
だから男がタッチできない領域というかね。
山崎
生死を司るのは女性、という感じがしますね。生死の宗教的側面を司るのは。
芹沢
産院という場所だから、わりと女の人が入りやすいんですよ。女から女へというふうに子どもが手渡されていく。わりと早くから医師の水村清さんというのが証人として呼ばれて、大正12年以来患者の名簿を提出しているんですが、そのときの談話があって、「いつもいよいよ死に際になってから連れてくる。もらい子だといわず、自分の子どもだと頑張る。菊次郎さんのときも、もらい子だろうというと、そんなこというんだったらこの子を置いていきます、と脅迫する」という。それこそ落語の看看能、死体を踊らすぞというのがあるんですが、あれと同じやり方をやっている。
別役
この場合、医者が関わっているんですが、永井さんのところに持ち込んで告発されているんです。ふつうは水野さんなんです。水野さんは、ぼくは知っていたという感じがあるんです。暗黙の了解。戦後の寿産院事件では、葬儀屋がからんでいる。区役所の職員もからんでいる。おそらく職員も知っていただろうと思うんです。当事者は最暗部でうごめいているんですが、知っているけど言わないというひとたちがかなりいた。この場合もかなり知っているひとがいるという気がします。


市民の汚れ

毛利
もらい子の場合、出生届けは出していなかったんじゃないかなあ。馬鹿なことしましたね。
山崎
ようするに不義の子が圧倒的に多いんです。そうすると市民生活を営んでいるひと、登録されたひとたちが登録できない部分、つまり市民のなかのケガレですが、ぜんぶあのひとたちに押しつけている。もうひとつ特徴的なのは、娼婦たちというのは私生児が生まれたりするだろうと思うんですが、ここにはぜんぜん出てこない。
別役
だから、娼婦のルートはまた別なんです。あるいはその場で殺しているか。だから芸者、娼婦、その関係の水商売はいないんです。斡旋屋さんは、堅気のところへ行くんです。
芹沢
その斡旋人が産院に入り込んでいるというのは、黙認ということでしょう。
山崎
医者も儲けてたんじゃないの。
会員
これは最後に亡くなっちゃったときも病院に届けるんですか。どこかに埋めちゃうというんじゃなくて。
芹沢
ええ、死亡診断書を書いてもらうんです。
毛利
戸籍がなければ診断書もいらないと思うんですけど。
別役
ただね、ないことはないと思うんです。東京ですからね。戸籍はあって、医者が診断書を書かなければいけないから、必ず医者のところへ行くんです。それで、永井医院でばれることになったんです。
芹沢
ただ、無籍者が多いというのは確かみたいです。
別役
たとえばこれ、数は分からないんです。どれくらいが死んでどれくらいが乞食になっているのか。売り飛ばしも多い。乞食だけで74人もいたんですから。
芹沢
親子を騙る乞食ですね。ぽかんと殴られてわーっと泣く。そういう役をやる子どもですね。
別役
このあたりは無籍の子どもが多いかもしれないですね。
山崎
寿産院のほうが違うのは、ぜんぶ籍があるんです。どうしてかというと、配給のミルクだとか出産のときのお酒だとか貰っていたらしいんです。それを手に入れて闇で売るために籍のある子ばっかりなんです。時代を表しているんでしょうか。
毛利
昭和15年に妊産婦手帳というのが降りまして、手帳を持っていると配給物が手に入る。
会員
あれは今度は生めよ増やせよ、という時代に入るんです。
毛利
10年代に入るとがらりと変わるんですね。
芹沢
ここはとりあえず、貰われてきてから10日か15日くらいで死ぬ例が一番多いんです。一応ミルクを買いに行っている。薬局へ押しかけていって、5銭とか7銭分計り売りで買ってきて、数日間形式的に育てて、栄養不良で死ぬとか、乳房で圧迫死したとか。「おちかっけ」ってなんですか、かっけのことですか。それから過失致死で死ぬ例があります。巧妙な形で殺す。そのなかで何人かは育つんですが、女は娼婦、男は監獄部屋へ売り飛ばす。ただこれももうひとつよくわからない。新聞の見出しを読むと昭和5年4月15日の朝日新聞なんてすごいんです。「世にも恐ろしい殺人鬼村、下板橋岩の坂もらい子殺し被疑事件、ますます怪奇な殺人鬼部落の暗黒面、板橋所長みずから先陣に立って敢然大活動を始む」というような見出しなんです。最初から怪奇な村というふうに入っていく。
会員
知ってたんじゃないの。
芹沢
だから、手を付けられなかったんです。ずっと狙いは付けていたみたいなんですけど、菊次郎の一件で司直の手がわっと入った。
山崎
新聞記者も知らなかったと思うんです。でも実際に周辺で生活していたひとたちは知っていたでしょうね。ぼくが面白いなと思うのは、加害者ばかりあつかうわけですけれど、救われたひとたちがずいぶんいたんじゃないか。預けたほうです。面白いのは板橋警察署警部貫具正勝という人の文章が資料として出ているんですが、「帝都暗黒面の実相」。どうしてこの事件が起こったか延々と調べて書いているなかで、岩の坂はどうして出現したのかと書いている。岩の坂は、板橋の宿場町だった。そのころは中仙道で江戸から第一泊の町ですよね。そこに宿屋が出来て、雲助が集まってくる。もうひとつは宿場町の裏には刑場があるんですが、ここは近藤勇が処刑されたところなんです。明治維新のときに、そういう形で女郎屋ができたりしているんですが、面白いのは明治16年に上野から高崎に至る鉄道が開通した。するととたんに中仙道の活気が寂れた。そこに宿場の仲で糧を得ていたひとたちができなくなった。そういうひとたちがどんどん乞食になっていった。
 このひと読むとね、日共のひとかなと思うんだけど、非常に正義感に溢れていまして「失業者がますます増大し、彼らが彼らの要求と抗議を待って驚愕するのでは怠慢すぎる」。国になんとかしろと堂々と言っている。おそらく国の側にとっては、ここは都市に入っていないというか、自分たちの計算に入っていないというのが分かる気がします。当時の状況からするとここは東京の外部への入口になっていて、都市化されていない東京の地下に市民区域としてどういわれていくのか、また計算に入っていなかったんじゃないか。それを行政の側があわてて調べてどうやって都市化していくのかという論文としてこれは読めるような気がします。


本音と
建て前

山崎
ぼくの感覚なんかでは不義の子はどう処理するかというと、都市の内部ではどんどん浄化されていってるわけですから、市民生活を要求される。でも実際に不義の子が出来る。このころは堕胎が許されていたから、それはたくさんあったと思うんですが、そういう裏のことはぜんぶ周辺に押しつけていた。この子のお母さんとか女性たちはこういうこを直観的に知っていた。あずけに来るんだけど、それはもらい子としてあずかってくれというのではなく、処理してくれと持ってくるんだと思う。そのへんは男では分かりにくくて、女同士の暗黙の了解があったんじゃないかなあ。寿産院の場合ですと、たしかにもらい子としてあずけていて、死んだとなると実際の親が出てきてどうして殺したんだとわめくわけです。ここではそういう反応というのは……。
芹沢
出ていないですね。戦後の寿産院だと建前というのが本音の上に乗っかってきたと思う。つまり「なんで殺したんだ」というのは建前だと。本音では処理してもらうというのがあったはずなのに、建前と本音が分裂している。岩の坂の場合はそういうのはない。女のひとたちが貰ってきた金で女の宴会をやるというか、祝祭をやって、それが子どもたちがこの世からあの世へと移っていくときの祝祭になる。その意味では寿産院と岩の坂を区別する重要な相違でしょう。
別役
そうですね、スマートなところがぜんぜんなくてね。たとえばこの場所が重要だと思うんです。「尋ね来て見よ、イヤな坂、押戸の川の涙橋」という歌があるんです。つまり都市におけるある特殊な地域であるという歌われ方があって、そこで公然とかなり残酷なことが行われている。しかし都市機能が発達してくるとどっかの病院で非常に清潔な手術室かなんかで堕胎手術が行われる。この残酷さと岩の坂の残酷さとどう違うか。岩の坂は目に見えている。それに耐えきれなくなったやつが子どもがやってくると酒飲んでどんちゃん騒ぎをして耐えていた。それはドーミエの絵みたいに、子どもをひとり殺すことによって食べていくんだよ。そういう残酷さも人間が体験して耐えてみせているという現場。その現場を都市が近代化することによって見えなくしてしまう。さっきの新聞記者が書いた、大袈裟な言葉に反応してなにやるかというと、もっと清潔な手術室で堕胎手術をしましょうというほうにすり換えていく。


ある意味での淘汰

毛利
さっき日共という話が出たけれど、当時はアナキズムのほうが強かったんでしょうが、左翼のアナキズムの医者たちが堕胎手術をばかばかやっていたんです。労働者の救済のためとかって。ずいぶんパクられているんです。太田典礼を始め。だからあれは共産主義者たちの近代志向なんですね。それからお聞きしたいのですが、菊次郎ちゃんは1ヵ月で殺されている。大体これくらいの日数で。
芹沢
みなさん1歳以下ですね。
毛利
そうするとまだ神の内だよね。3ヵ月くらいまでは生きるか死ぬか分からない。乳児死亡率は非常に高かったですからね。
会員
昭和前半は1000人中150人くらいですか。死因のなかでも先天性弱質というのが上位を占めている。ようするに分からないんです。生まれつき弱かったとか、育たなかったとか。それから新生児期というのは死産届けというのがすごく少ないんです。それは今の途上国でもそうで、ある程度育つ見込みが出てくるまで届けない。だから生きて生まれてきたか死んで生まれてきたか、境目があいまいです。
毛利
15パーセントの死亡率といっても死産は除けてあるから、もっと高かったでしょうね。気持ち的には、1ヵ月から3ヵ月だったらまだ楽だったろうね。
会員
このころは東北では公然と間引きが行われていた時期です。だから戸籍はあったにしても、届け出るということに対する国民の義務意識というのはなかったでしょうね。
別役
このひとたちもある程度は生きていないといけないというのでミルクを買って育てるんです。育ったのは乞食にする、娼婦に売る。やっぱり選択しているのでしょうね。生命力があるのは生き残る。
芹沢
一種の淘汰ですね。
会員
今の途上国でぼくらの近代医学の感覚で、弱い子どもに栄養をつけて守ってあげるというのは通じないです。それは近代西洋の発想であって、もう生き残ったのを育てたほうが手間がかからない。
毛利
お戻しするというんだよね。あれは女のひとだよね。どうしておんなのひとが中心になったんだろうね。


優しさと
残酷さ

別役
女性の残酷さと優しさが両方出ていますね。残酷であることと優しさは相反するものではなく、両立している感じがする。寿産院では、これは世直しのため、慈善事業である、私やらなかったら誰がやるという。これは開き直りではなくて、苦しんでいるひとを救ってあげたという自負があったんだろう。そこが女なんです。女が不義の子を運で困っている、これは私にしか分からない。だから救ってあげましょうという。
芹沢
寿産院になると、わりにお金もうけになっているでしょう。人助けというのはそのままいくと戸塚ヨットみたいなところへつながる。寿産院の場合はそうだけど、岩の坂のは祝祭をやるし、もらってきたお金もみんな使っちゃう。蓄積していないんですよ。
山崎
あれはえらいですね。
芹沢
ここは細民村というんです。俗称岩の坂。つまり貧民窟です。木賃宿が11軒、長屋が10数軒。木賃宿というのは泥棒やスリ、流れ者が利用する。それが交通のルートが変わって、がーっと落ちていく。「深川の富川あたりの生活に輪をかけた最下層の部落生活」という表現があるんですが、シンボリックな意味を持っていたんでしょう。貧民窟で岩の坂といえば、ああ、というくらいのイメージがもたれていたようです。
別役
小川きくが扱った大正15年以来、11人、年間30人から40人が殺されている。彼女たちがどういう形で動いたのか、それは分かりませんけど。
芹沢
たとえば37歳になる女房が、14、5人の子どもを持つ。戸籍上では一年間に3人ずつ子どもを生んだことになっている。こういうことが平然とまかりとおっていた。1日20銭くらいがそのひとたちの生活費。だら残飯をもらって、さらに残飯屋さんがその残りがもったいないからといって豚を飼うという。
毛利
汚い仕事をやってくれるひとは世の中に必要なのに、やっぱりあいつ汚いと蔑むところがありますね。
芹沢
でも、今ほどではなかったみたい。新聞記事ですけど、非常に不思議だと書いている。とにかく汚いのに、路地という路地は掃いたようにきれいになっている、と。なんなんでしょうね。
別役
乞食というのはかなりの商売なんです。だから子どもひとりは乞食をすれば食っていけるでしょう。財産なんです。それこそ大金持ちにはなれないでしょうけど産業としては有効な手段だった。残酷は残酷なんですが、システムとしてかなり持続性があったんです。
会員
乞食は岩の坂でやっていたんですか。
山崎
定期券を持っていたらしい。定期を持って毎日子どもを連れて銀座、新宿へ行って、夜になると戻ってくるという。
会員
泥棒の村には泥棒がいないのと同じで。
芹沢
すごく仲間意識の強いところなんです。新聞では、だから悪習が行き渡るというんですが、それだけじゃなく相互扶助的なところあがる。
会員
生活レベルがみんな一度に落ちたから、仲間意識ができたんでしょうね。
芹沢
それで落ちぶれたひとがまたそこに集まるという。2600人から2700人の人が住んでいたそうです。
会員
さきほどの数字では、最後のほうで年間50人くらい、50円から100円ですよね。それが2600人とするとひとりあたり2円にしかならない。だとすれば、殺したというのはほんの一部で、乞食にするとかそのへんをふくめないと成り立たない。殺したということが前面にでちゃうと、このシステムのすごいところが分からなくなっちゃうでしょうね。
別役
ただ、寿産院とは比較できませんけど、4年間で204名を預かって164名殺している。ほとんど死んでるんです。これは死んだあと配給の砂糖やミルク、葬式用の酒を横流しするという目的があります。ただ養育費として5000円か1万円は相場からすると安いです。だから、こっちが目的で殺したということがあると思う。感じとして、これより少ないということは考えられない。やっぱり200人くらいはいっているんじゃないか。
芹沢
意外なほどほじくってないですよね。人数なんかも分かっていない。
別役
もうちょっというとね、殺すことも優しさであるというのもあったと思う。この念仏僧が、私が引導を渡してあげるという、それは残酷さであり優しさである。そのへんの愛情と憎悪が我々の日常生活のルールとぜんぜん違ってきてる。愛情であると同時に憎悪であるという得体の知れない感情が出てきている。だから近代の市民感覚ではちょっと想像できない感じだったでしょうね。この当時これだけの事件なのに、作品がないんです。耽美派もここまでは書けなかった。大衆作家もやっぱり書けなかったんですね。想像を絶していたと思うんです。 同性への憎悪
山崎
ぼくは別役さんのいったとおり、女性的な事件だと感じるんです。ぼくがつい最近取材した例なんですが、女子高生の売春がいくつか起きて騒がれていますよね。男と女では扱いがぜんぜん違うんです。男だとけっこう優しくて、部屋に集めて女子高生がたくさんいるんですが、お嬢さんというか、人間としてきちんと扱う。そうしないとうまくいかないんでしょうけど、女は違う。びっくりしたんですけど、いきなり有無をいわさず従業員に強姦させちゃう。で、そういう体にしておいて、あらためて売春させるんです。こういうやりかたって、男にはできねえな、と思うんです。暴力団なんかがやるのは玄人の女性をもっと下にたたき込む。素人の女性をこういうふうに仕立てるというのはちょっとね。
芹沢
同性に対する憎悪ってすごいですから。
山崎
そうなんです。そこはちょっと女性特有だな。
芹沢
少女非行みたいなので、女の子が女の子をいじめるのはものすごく残酷なことをやりますよね。ただ岩の坂の場合はちょっと違う。もすこしぬくもりがある。
山崎
医者に疑われたとき、じゃあこの子を置いてくという。あれが一番効きますよね。じゃああなたはどう処理するの、とぼくらが問われているような気がします。ここはあたしたちの領域なのよって主張しているような気が。
会員
この念仏修行僧っていうのは、ほんものですか。
芹沢
いやいや、門付けです。乞食ですね。
会員
どういう気持ちで念仏してたんでしょうね。
別役
ぼは無意識の商売だと思うんです。子どものころから流れ者でブツブツ念仏してお金をもらっていて、それが習慣になった。
会員
じゃあ、贖罪とかじゃなくて。
芹沢
それはあんまりなかったんじゃないでしょうか。どうやって金を引きずり出すかということについては徹底的に磨かれていたという感じがします。
会員
渡すほうも、念仏をやっているひとだと渡しやすいとか。
別役
このひとは斡旋人じゃないんです。
芹沢
小川きくさんは最終事業者というか。
別役
斡旋人は堅気だと思うんです。


妹の力

会員
子どもをもらってきてどんちゃん騒ぎをするというのが、あとで泣くかわりに先に笑っちゃおうということのような気がします。
山崎
なんとなく浄化作用という気がしますね。女性の雛祭りとか、初潮を向かえたときのお祝いとか、ああいうのって分かりにくいんです。観念としては女性の生理がケガレだということじゃないですか。で、その女性の身体が不浄なものを浄化する身体になっているという考え方をずっとしてきたんだろうと思う。でもそれは男の観念であって、女性のなかでそれがどう意識されているのか、分かりにくい。でもそういうものをこの女性たちがかなり引き受けているなあ、という感じはしますけど。
芹沢
ジェンダーとしての女性の役割というか。
別役
もうひとつ、組織のなかにある女性の力というのがあります。柳田国男の「妹の力」というのがありますね。男兄弟のなかに女がいて、それに牛耳られたとか、赤軍事件の永田洋子の役割とか。組織のなかに女性がいた場合、ある役割を果たしていて、それによって組織が前近代的な環境が浮き出てくる。巫女としての女性の役割というか。それも無関係でないだろうと思うんです。

(以下<犯罪研究3>


■かつて東北地方では間引きが半ば公然と行われていて、生まれてきた子どもを殺す「子潰しばばあ」などというのがいたらしい。そういう時代の、最後の名残りがあった頃の事件なのだろう。ただこれを犯罪と呼ぶことができるだろうか。それよりむしろ、社会のなかである役割を背負わされた人々のすさまじい現実といったほうがいいのではないか。


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