「黒猫のワルツ」思い出の彼方に 1






「ああ……。そうだったな」

 跡部はベッドの中で気だるげに半身を起こし、小さな欠伸をして乱れた髪を掻き上げた。 自分の隣で身体を丸めて寝ているのはリョーマだ。隣で跡部が動いても、ぐっすりと寝入っていて、全く起きる気配がない。
 すーすーと健やかな寝息を立てて、幸せそうに寝ている。いつもは大きくてきつい眼差しを人に与える瞳は、瞼の下に隠されていて長い睫毛に彩られている。まだ丸みのある頬に整った鼻梁、桜色をした唇からは小さな息が漏れている。
 寝ている姿は、本当に天使にようだ。小さな頃と同じように、保護欲を掻き立てられる。実際は、なかなかの性格に育ってしまったのだが、年月とは残酷である。
 まあ、それでも可愛げはあるが……。
 跡部は白いシーツに散らばるさらりとした黒髪を撫でて、白い頬をつつく。それでもリョーマは目覚めない。
 本当に、よく寝ている。
 昨日の酒が効いているのだろう。まったく、十五歳に飲ませるんじゃねえよ。
 跡部はテニス部員、レギュラー陣に悪態を付く。
 

 先日練習試合を有意義に行いその直後しっかりとミーティングをして、待ちに待った休日が来た。
 通常、氷帝テニス部は休日が少ない。だからこそ、跡部邸に集まってお疲れさま兼試験終了パーティをすることになった。試験が終わったからこそ、練習試合が組めたのだ。学生の本分が勉学である以上、部活より試験の方が間違いなく上だ。氷帝に練習試合を申し込んでくる高校は多々あるが、今回はその中でも指折りの相手だった。なんと青学だ。皆の力が入っても仕方ない。相手高校も力が入っていたらしく、闘志が漲っていた。
 熱戦を繰り広げ、足りなかった部分を話し合い、これからの練習を考えた。
 そして、やっと休日だ。
 ある意味打ち上げのようなものを跡部邸に集まり、跡部の私室の居間で美味しいご飯を食べ話しジュースを飲んでいたら、当然酒が入って来た。全く、誰が開けたのだろう。これがばれたら、テニス部は不祥事発覚だ。跡部邸であるから、ばれる可能性は少ないがそれでも用心はしなくてはならないはずだ。個人的に家で親と飲むなら、そう問題にはならないが、部活の打ち上げで飲むのはまずい。
 それでも、いつの間にどこから出してきたかビールやワイン、ブランデー、ウイスキーが回っていた。
 跡部はそんなもので酔うような可愛い人間ではないため、酔っぱらう事もなければ、こんな場で安酒を飲む必要もなかった。
 馬鹿な奴らだと思いながら、それでも十七、十八歳の高校生だから好奇心もあるし、ここで止めても白けるしなと思っていると。
 なんと、あいつらはリョーマに飲ませやがった。
 あいつは、まだ子供だ。十五歳だ。
 そこのところをわかっているのだろうか?自分達より小さな身体では、アルコール摂取量の上限も低い。アメリカで暮らしていたリョーマが親元で一度もアルコールを口にしたことがないとは思えないが、あちらはあちらで子供の教育が厳しい国だ。親の責任が重い国だ。あの母親はリョーマにアルコールなど飲ませないだろう。父親は、ノリで飲ませることもなきにしもあらず、といったところか。
 そして。リョーマは潰れた。
 ほろ酔い加減で、酒癖も悪くないようだが、ぱったりと寝た。
 ふわふわしていて、機嫌よそうに笑っているし、なぜか昔からの馴染みである忍足とジローに珍しくべたべたひっついているなと思ったら、跡部の見ない間に飲んでいたのだ。
 リョーマ、と跡部が声をかけた時はすでに酔っていた。
 誰が飲ませた?とレギュラー陣を怒ってみても、リョーマは笑って跡部にひっついて来る。ひょっとしたら酔うと甘えるタイプかもしれない。
 水を飲めと言っても聞き入れず、にこにこして、やがて寝た。
 仕方なく、跡部は寝室へ運び寝かせた。すでに、居間は酔っぱらいの屍が横たわっていた。このまま放っておいても跡部邸の温度は一定に保たれているから大丈夫だろう。毛布くらいかけておくか、あとは放置だと決めて跡部は適当に毛布を運び背中にかけて、その部屋を後にした。そして、自分もベッドに入って寝たのだ。
 
 
 キングサイズのベッドは二人で寝ても余裕がある。まして、相手はリョーマだ。小柄なリョーマなら、全く邪魔にもならない。
 幼い寝顔を見ていると、昔を思い出す。
 そう初めてあった時のことだ。
 まだ跡部も小さくて、リョーマは幼児といっていい年齢だった。母親が連れてきた子供は、可愛らしい女の子だった。伸ばしている黒髪を赤いリボンで結び、白いワンピースを着ていた。瞳も大きくて、じっと見つめられると困るほどだった。
「リョーマちゃんよ」
 母親に紹介されたリョーマは、にこりと愛らしく笑った。跡部も自分より小さな子供をいじめる趣味はなかったから、俺は景吾だと答えた。
「けい?けー、ご?」
 辿々しい発音で、名前を呼ぶリョーマに跡部は首をひねった。自分の名前はそう難しい名前ではないと思っていたからだ。それを見守っていた母親が説明した。
「リョーマちゃんは外国で暮らしているのよ。生まれたのは日本だけど、あっちに行ったり来たりしているの。だから、ちょっと言葉も英語と日本語混じっているわ」
 なるほど、と跡部は思った。跡部は、外国の子供ともあったことがある。当然、英語も聞いたこともある。最低限の挨拶くらいなら出来た。我ながらに、幼少のことから出来た子供だったものだと後に思う。
「しばらく、リョーマちゃんをうちで預かることになったの。景吾、よろしくね?」
「ああ。わかった。リョーマちゃん?」
 さすがに女の子に呼び捨てはしてはいけないから、跡部はちゃん付けをした。それに、小首を傾げてリョーマはにこりと無邪気に笑った。なかなか将来有望な子供だと跡部は思ったものだ。見目は確実にいい。母親が、上機嫌な訳である。跡部は知っていた。母親は可愛いものが大好きだった。
 そして、リョーマは跡部の後を付いて歩き、少しずつ話をしてすぐに馴染んだ。片言の日本語と英語しか話せないリョーマに、跡部は臆せず話しかけた。子供が使う言葉だから、そう難しい単語はなく跡部はリョーマの言いたい事がある程度わかった。
 そして、リョーマが女の子ではないと知った時は驚きだった。というか、言っておけよ、母親めとつっこみを入れたかったものだ。
 リョーマが跡部と一緒にお風呂に入ると言って聞かなくて、掴んだ服を離さなくて、どうしたものかと跡部が困っていたら母親が「いいじゃない。一緒に入れば」といってリョーマのワンピースを脱がし始めたのだ。
 幼心に、衝撃だった。
 外見に惑わされてはいけないという経験だった。苦い経験だ。
 
 




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