「黒猫のワルツ」災厄の日々3





「練習日和だよねえ……」
 蒼い空を見上げながらリョーマは呟く。手の中のカップからは2杯目のカフェオレが湯気を立てている。
「……」
 昨日よりずっと混んでいる園内は、友人同士やカップル、親子連れと関係は様々だが皆笑顔だ。
 彩子と倫子はファストパスを使って現在アトラクションを楽しんでいる最中である。その次のアトラクションも発券してあるので、続けて乗るのだとはりきって出かけていった。
 その間跡部とリョーマは、こうしてお茶をして待っている。
「早く夕方になるといいね。そうすれば練習し放題」
 遠くに視線を飛ばして、リョーマは宣った。
「ああ」
 疲れた顔を隠しもしないリョーマに跡部は肯定を返す。
 やはり、朝一番で連れ回されたのが堪えているのだろうか。自分も疲れたけれどと跡部は記憶を辿った。
 いつも混んでいる場所だとしても、朝一番なら当然空いている。一番に人気のアトラクションへ行くのがもっとも効率がいい。それはわかるが、走らされて園内を回るのはちょっと遠慮したかった。そして、バイタリティ溢れここでしか売っていないというお菓子や軽食を途中で買い食いし、これまた次の場所まで急ぐ。
 我慢も限界かという時、別行動を取ることになった。
 母親達が帰ってきたら昼食を取ることになっている。それまでここのカフェで息子達は休憩だ。
「できるだけ、早めに出るか」
 疲れが見えるリョーマにそう跡部が気遣うと、リョーマはふふと口の端を上げた。
「うん。さっさと別れるよ。ここは人が多いからゆっくりくつろぐこともできないし。こうなったら泣き落としでも何でもやる。手段は選ばない」
 人の悪い笑みを刻んでリョーマはやる気になっていた。早く解放されたいらしい。そして、テニスがしたいのだろう。
「わかった。がんばれ」
 その後はどうにでもしてやるから、と跡部は手の平をひらひらと振った。
 予約してあるテニスコートの時間より早くても、別の方法くらいいくらでも取れる。どうしても早く身体を動かしたいなら、別の場所でもいいし、ジムで身体を作ってもいい。休憩だといって昼寝させてもいいかもしれない。とにかく、ストレスを発散させるべきだろう。そう跡部は判断した。
 母親達に連れ回されることに慣れていても時に、我慢の限界が来ることがある。それを互いにフォローする癖が付いていた。
 
「Key。思い切り身体を動かそうね!」
 
 リョーマは心の底から訴えた。
 後は、跡部がその願いを叶えるだけだ。
 
 
 
 
 
 テニスを存分にして汗を流し、シャワーを浴びてから外へ出て、リョーマ好みの和食を食べて、満足してからリョーマと跡部はホテルに帰ってきた。
 すでに美容のためと母親達は就寝した後である。しかし、テーブルの上には明日の予定がしっかりと書いてあった。
 そこには、朝食の時間と明日は買い物に行く旨が書かれていた。
「買い物かあ……」
 リョーマがまた明後日な方向を見上げながら、ふふと嫌な笑みを口元に刻んだ。
「買い込むんだろうな」
 目に浮かぶようである。自分達の買い物なら、まだいい。付き合ってさえいればいいのだから。しかし、母親達は息子のものを買おうする。良さそうな物を見つけると、やれ試着してみろと煩い。
 いい加減、諦めの境地ではあるのだが。
「Key、たくさん買ってもらえば?」
「ああ?俺よりお前が買ってもらえ」
「俺はもう十分だよ。クローゼットに納まり切らないし」
 すでにターゲットにされているリョーマはにべもない。
「知ってるでしょ?母親から送ってきたものや、彩子さんが買ってきて置いていったものがどれだけあるか……。日本に来てそれほどまだ経っていないのに。俺は一人しかいないのに、あれだけの服をいつ着ろっていうんだろう」
 切実さを込めた声が響く。
 愛情を向けてもらうことに文句はない。けれど、ものには限度というものがある。着る機会のない洋服を見る度勿体ないという気持ちがむくむくとわき上がって来る。
 誰かにあげることもできないし……親しい間柄の中にリョーマと同じ小柄なサイズの人間はいなかった……まさか親なら兎も角彩子に買ってもらった物を他人にあげる訳にもいいかない。センスは良いし値段も張る上物ばかりの洋服達だ。特に、フォーマルな物は着ていく場所がない。なるべく着るようにしてはいても、袖を通さない類の服が何十着もある。
 これぞ箪笥の肥やしだ、とリョーマは嘆息した。
「買うことに意義があるんだろ、あれは」
 跡部も、力無く返した。
 女性というものは、どうしてあんなに買い物が好きなのか。特に衣類や宝飾品は殊更目をきらきらさせて選ぶ。
「親孝行とでも思って、買われてやれ。……多少は俺も我慢するから」
 買うことを止める術はないのだ。自分達には、いかに我慢し精神的に楽になるかだけしか道は残されていない。
「……Key」
 縋るような声色でリョーマは跡部を見上げた。だいぶ切羽詰まってきたリョーマに跡部はよしよしと頭を撫でてやり、できるだけ優しく諭した。
「わかった、わかった。二人で乗り切ろうな。これで予定日数の半分だ。もう半分は、希望を聞いてもらおう。どうだ、近場の温泉でも行くか?」
 こくりと頷くリョーマに、跡部も表情を和らげる。
 覚悟をしていても、母親達に付き合うのは骨が折れる。相当のストレスがたまる。多少こちらの意見も聞いてもらわなければ、爆発してしまうだろう。煮詰まりつつあるリョーマを見ていてしみじみとそう思う。
 跡部とて、かなり辛いのだが、先にリョーマの堪忍袋が切れてしまったせいで後手に回りフォローしなければと思ってしまい、切れなかっただけで本人も相当煮詰まっている。
 温泉でも浸かって、疲れを癒したいと思っても罰は当たらないだろう。
「じゃあ、寝るか」
 明日に備えて体力と気力を蓄えておかねばならない、と跡部はリョーマを促した。
 
 
 
 

「あれ、いいと思わない?」
「そうね。いいデザインだと思うわ。欲を言えば色がもう少し明るめの方がリョーマに似合うと思うの」
「そうねえ。リョーマ君何でも似合うけど、これからの季節爽快感があった方がいいものねー」
「ねえ、あの奥のデザイン景吾君にいいんじゃない?」
「どれ?」
「あれよ。青いシャツなんだけどデザインが変わっているの。カットとかが大人っぽくて、でも、上品でいいわ。景吾君個性的なデザインでも何でも似合うんですもの。選び甲斐があるわよね」
「それが、あのコの利点よね〜。柄物も派手な色も変わった形もいけるわ」
「背も高いし、スタイルもいいし、ハンサムですもの。当然ね。……だって彩子によく似ているんだから」
「あら、それを言うならリョーマ君でしょ。着せてみたい服がたくさんあるの!だって、可愛いのよ、綺麗なのよ、ああん、楽しいわ」
「ありがとう、彩子。誉めてくれて。嬉しいわ」
「そう?」
「ええ」
 そんな息子からすれば、有り難くないハイテンションでぶっ飛んでいる会話を倫子と彩子は店頭で続けている。ここは、高級ショップがテナントとして並んでいる某百貨店である。ここに来る前は、銀座に店を構える高級店を見ている。そこでは、自分達の洋服や宝飾品を選んでいる。軽いものは持っているが、大きなものは自宅に送ってもらう手配をしているおかげで、4人とも身軽である。
 
「……よかったね、Key誉められているよ。何でも似合うらしいじゃん」
 母親達から一歩離れた背後でリョーマは隣に並ぶ跡部に意味ありげな視線をやった。
「ああん?お前は可愛くて綺麗で何でも着せてみたいらしいぞ」
 リョーマの揶揄に跡部は反撃した。
「俺は着せ替え人形じゃない」
 誰が見ても着せ替え人形にしたい造作をしたリョーマが顔を顰める。
「俺もパリコレのモデルのつもりはないな。……何でも似合うだろうけど」
 ふふんと鼻を鳴らして跡部は意地の悪い笑みを浮かべた。
「自分でパリコレって言う?」
「何だ、反論でもあるのか?」
 自信満々の顔で、否定されるなんて思っていない跡部に悔しいがリョーマは文句が出てこない。確かに、跡部はハンサムである。背も高い。運動しているせいで筋肉が付きありがちな貧弱さがなくスタイルがいい。そして、個性がある。国際派モデルとして難を言えば、それでも身長が足りないくらいだろうか。しかし、ここで身長が足りないという台詞は全く意味がない。それくらい跡部も承知の上の発言だからだ。
「……なら、買ってもらえば」
 ぷいと横を向いてリョーマは臍を曲げる。
「誰が買ってもらうって?これ以上必要ない……」
 すでに、二人の服は前の店で購入されている。試着してね、と強請られ言われるがまま何着も服を着た。そして、なんだかんだと意見を言われ購入の運びとなり、それぞれが箪笥の肥やしが増えたと心中思っていたのである。
「やっぱりさ、ストレス解消につき合わされているだけだよね」
 にこにこと笑いあい、楽しそうに談笑している母親達の姿を顧みて、リョーマはしみじみと呟いた。
「これさえ乗り切ればしばらくは安泰だ」
 普段の跡部らしくない後ろ向きで受け身的な思考である。しかし、それはリョーマも同様だった。
「うん。昼に温泉に行きたいって強請ったら、いいって言ったし!俺はそれが救い」
「マジにな。温泉で癒されたい」
 昼御飯を取っている時に、温泉に行きたいとリョーマが切り出した。瞳をきらきらさせて、上目遣いに甘えるような口調で強請った。捨て身の戦法である。
 その甲斐あって、明日は近場の箱根に行くこととなった。その場で彩子が携帯で電話してすぐに手配した。「やっぱり、ホテルじゃなく旅館がいいわよねー」と宣い、老舗であり、料理が旨く露天風呂が充実している旅館に決まった。
「温泉たくさんあるんでしょ?料理も和食で美味しいって」
「種類が豊富らしいぞ。料理も多分、お前が好きな茶碗蒸しが出るさ」
 それくらい彩子は注文をしているだろう。茶碗蒸し好きなリョーマの希望を叶えるくらい訳ない。
「ああ、楽しみ」
 リョーマはうっとりと目を閉じた。少々現実逃避が含まれている。ここさえ、乗り気ればという切実な思いのせいか、実感がこもっている。
「ほんとにな」
 跡部も大きなため息をこぼしながら、賛同した。
 
 
 

 そんなこんなで災厄な日々をどうにか終えた二人は、テニス部の面々から様々な質問責めにあったのだが、決して口を開くことはなかった。
 



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