「黒猫のワルツ」5月の憂鬱4





「盛況やなあ」
「すごいね!」
 忍足と芥川が顔をひょっこりと出し歓声を上げた。
 リョーマの周りを美しく囲んでいた薔薇は現在ほとんどないに等しい。完売も間近だ。
「まあね。そっちは、どう?売れている?」
「上々だよー」
 そう言いながら芥川がリョーマにぎゅっと抱きついて笑う。そして、胸元にある薔薇を直し、一輪減っていることに気づいた。
「リョーマ、花が足りないけど?」
「ああ。別にいいでしょ?一輪くらい」
 首を捻る芥川にリョーマは素っ気なく答える。まさか、少女にあげたとは自分の口から言うはずがない。
「ふーん、いいけどさ。俺たちの方は食器を売ってたけど、セットで買っていく人が多かったよ。カップとソーサーだけじゃなくて、ティポットも入った豪華なセット。あと何とか焼きの皿。ついでに花瓶もあった」
 テニス部員が持ち場にしている一角では、売られるものは分野によって分けられ並べられている。食器関係がやはりかなりの割合をしめるが、それ以外にも衣料品や電化製品、生活雑貨とあらゆるものが揃っている。
 なにせ、家にあって使わないものなのだ。どんなに高価でも趣味があわなければ使わないものが家に埋もれている。高級な傘やシャツ、ブランドの財布、コーヒーメーカー、オブントースターとお値打ちなもの集まるものだ。
 そんな中でも今回の目玉は……跡部が毎年出す薔薇は別格として……エスプレッソマシンと古伊万里の壷、オメガの時計だ。古伊万里の壷は収集に飽きたという生徒の祖父が、オメガの時計は、すでに同じものを持っているため二つはいらないという生徒の父親からの出品だ。
 当然だが、あっという間に売り切れた。元値から考えれば破格の値段だから必然だろう。
「この調子なら今年もテニス部が一番やな」
 くすくすと忍足は笑いを漏らしながら売り切れ間近の薔薇を見回す。だが、反対側を見て首をひねった。
「なあ、リョーマ。あっちのが思ったより売れてないな」
 忍足が示したあっち、とは香水やアロマグッズが並べてある方だ。多少は売れているようだが、まだまだ在庫がある。
「あー、あれ。俺も香水やアロマグッズには詳しくなくてさ、どう売っていいか、よくわかんないんだよね。売れ残るとKeyが何か言うだろうし、彩子さんが悲しむかもしれないもんな、どうしよう」
 困ったようにリョーマは眉寝を寄せる。
「香水ねえ。なんぞいい手でもあればいいんやろうけど」
「俺の時も余ってたら、跡部が来てさっさと売ったよ?女性に香水を吹きかけて、お嬢さんとか声をかけて笑うと一発!跡部だよねー」
 芥川は、声を上げて笑いながらそう語った。
「……」
 一体、何をやっているのだろう、Keyは。
 リョーマは目眩を覚えた。頭が痛いと思いながら手で押さえて、そんな詐欺まがいの方法ではない正当なやり方で売る方法を考えないとならない、と心中思う。
「あー、誉められた方法とちゃうけど、かなり効果覿面やったで?多分、リョーマにもできると思うし」
「俺に?できる訳ないじゃん!」
「同じにやれとは言わへんよ。香水をもう一度付けて瓶を両手で持ちながら、こう、可愛く小首を傾げて、お願い買ってってお強請りすれば一発やと思うで」
「……ユーシ!」
 なにを言い出すんだ、ユーシは!リョーマは叫んだ。
 だが、忍足は結構真面目な顔で、本当やんと付け足す。
「……それに、リョーマ負けず嫌いやろ。そのくらい売り切るためなら出来るんとちゃうか?」
 ふるふると羞恥に振るえるリョーマだが、忍足の言葉は正しかった。
 プライドが高いリョーマはそれを守るためなら時々方法を選ばない。忍足の方法で完売できるならしてみる価値はある。リョーマが決心すれば、行動は早い。
「That is right!でも、ユーシとジローも一緒にやってよ。今、暇そうじゃん」
 にこりと艶やかに笑うと綺麗にウインクを決めて、いいよね、もちろんと言いながら香水のボトルを二人に握らせる。拒否をする暇もない。押しの強いリョーマに二人が敵う訳がなかったのだ。
「やったるわ」
「一緒に、売ろうねー!」
 了解を得たリョーマはにやりと口の端を上げて、sold out以外ないからねと不適な笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 
「Hey. Please hear a request. Please buy this perfume.(ねえ、お願い。この香水を買ってくれないかな?)」
 小首を傾げ漆黒の大きな瞳で見つめられると、声をかけられた人物は目を離せるものではない。まして、少年からは甘い薔薇の香りがする。
「Are you no use?(駄目?)」
 綺麗な顔と魅惑的な眼差しに否を唱えることができる人間はいないだろう。
「では、これを一つ」
 思考する暇もなく、勝手に声が先に出て香水を買っている。
「Thanks」
 しかし、お礼を言われてにっこりと微笑まれると、買って良かったと思える。後悔なんて欠片も思い浮かばない。
 男は呆然としたまま、まるで雲の中を歩いているようにふらりと歩いて去っていく。その背中に、ありがとうございました、と3人の声が響いた。
「やー、リョーマにかかれば男も女もイチコロやな」
「すごいね、リョーマ!残り3つだよ」
 忍足は腕を組み些か俗っぽく、芥川は素直に感嘆してリョーマの手腕に感心しながら誉めた。
 開き直ったリョーマの行動は素晴らしいの一言に尽きた。英語でお願いするのもリョーマらしいと言えばリョーマらしいし、これ以上ない効果も上げていた。流暢な美しい英語を耳にし蠱惑的な笑みを目にすれば、人智を越えて虜になる。
 幸い氷帝の学生は簡単な英語くらい聞き取り話すことができたし、一般の客に声を掛ける場合は人選に余念がない。
 果たして、リョーマの誘惑は大成功だった。
 忍足は、例え罪作りやなと思っても口には出さなかった。もちろん、誘惑などと言いはしない。それがばれたらリョーマの機嫌が悪くなると想像できたからだ。それに、このやり取りが跡部にばれたら何か言われることは必至だ。跡部はリョーマを兄弟、家族のように心配しているのだから。
 ちょっと今回は目立ち過ぎたし、やり過ぎたかもな、と忍足は心中で呟く。
「ふん、これだけやってるんだから、売れなきゃ困るって!ユーシもThanks。ところで、あの台詞は気障だね。貴方にはこの香りがなんて似合うんでしょうって、相手の指先触りながら囁くなんてさ。そのうち、背後から刺されるよ。……ジローもThanks。ジローが、買って?って素直で率直に言うだけで買ってくれるんだから、ジローもやるね!」
 協力した二人にリョーマは正直な感想とお礼を述べる。
 3人がやる気になれば、香水やアロマグッズが売れるのは瞬く間だった。
 忍足が、主に女性相手に気障な仕草と言葉で丸め込み売るのに対し、芥川は相手を選ばないが、どちらかというと年輩の女性に受けが良く言葉は巧みではないが売っていた。
 そこにリョーマが老若男女問わず口説き落とした。3人の中で一番男性に効果的だったのも当然だがリョーマだ。
 
 

「 everything sold out!(完売だよ!)」

 最後の客を見送って、リョーマは嬉しそうに声を上げて喜んだ。
「ほんまやなー」
「完売だよー、すごいねー」
 もちろん忍足も芥川も一緒になって喜ぶ。
 もう、薔薇の一本も香水もグッズも一つも残っていなかった。机の上は綺麗なものだ。
「二人とも、Thanks!Keyに早く見せたいもんだよね。Words do not let you say.(文句なんて言わせないんだから)」
 晴れやかに、満足感で一杯の笑顔のリョーマだ。その笑顔を見ていると自分たちまで幸せになってくる。
「跡部も驚くやろな。……じゃあ、後かたづけするか。リョーマも役目果たしたんやから、後で見てきたらええわ。うちのバザーろくに見てないやろ?」
「そうだよね。ちょっと興味あるかも……」
 リョーマは思案する。薔薇を売り切ることだけを考えていたせいで、他の生徒がどんな風に売っているか見る暇がなかった。
「じゃあ、俺が案内するよ、リョーマ。一緒に回ろう?」
 自分の仕事を放棄して……とはいえ3年生だから分担は元々少ない……調子よく芥川が誘うため、リョーマはうんと頷いた。
「やった!そうとなれば、早く片づけよう」
「そうだね」
 機嫌良さそうに笑う芥川にリョーマも同意してお金の入った菓子の缶にまず蓋をする。そして鼻歌を英語で歌いながら作業をする。その横で芥川も手を出している。
 二人の様子を見ながら、仲がええよなー、ええことやなー、と忍足が思いながら自分も手伝い始めた。
 
 
 
 
 
「店終いか?」
 ほとんど片づけを終えて、これからバザーに繰り出そうと思っていたところに跡部がやってきた。瞳を面白そうに細目ながら、口の端を上げてにたりと笑う。
 どうやら多忙な中、時間を作り様子を見に来たようだ。
「もちろん!everything sold out!」
 リョーマはきっぱりと答えた。片づけられた場所には何も残っていない。
「へえ、有言実行か。やるじゃねえか」
「当たり前」
 ふふんとリョーマも不敵に笑い跡部を見返した。
「よかったな。桜田も喜ぶだろう」
「そうだといいけどね!まあ、桜田さんが育てた薔薇なんだから売れない訳ないもん」
 これだけ美しく立派な薔薇はなかなかない。その上、店頭で見かけることができない薔薇ばかりだ。
 その桜田を自慢するかのような台詞に跡部は苦笑を浮かべた。
 本当に、リョーマは跡部邸に勤めている使用人が好きだ。執事とも仲がよい。屋敷にいる人間全てを家族扱いしている節があるのだが、それがいかにもリョーマらしいと跡部は思う。
「桜田には、お前の口から報告しておけ。その方が喜ぶ」
「するけどさ、Keyもしないの?Keyもする必要あるでしょ?」
 跡部にとっては全うな事を言ったつもりだったが、首を傾げて問うリョーマに軽く肩をすくめてわかったと了承した。
「俺は俺でしておくから、それでいいだろ?」
「うん」
 屋敷の主人であるKeyにはKeyのやり方があるのだろうとリョーマも理解する。
「これが売り上げね。俺たちこれからバザー見に回ってくるから」
 薔薇と香水とアロマグッズの全売り上げが入った缶を跡部に押しつけると、リョーマは背後で様子を面白そうに伺っていた忍足と芥川に、ねーと顔をあわせた。
 それに忍足は笑いを堪えながら、そうなんやわと続ける。芥川は反射的に笑いながら、俺が案内するんだよと喜んで答えた。
「ああ?」
 どこか不服そうな跡部だが、リョーマはあえて無視をした。
「じゃあね、行こう」
 軽く手を振り芥川と連れだって走っていってしまった。それを眉を寄せながら見送る跡部に忍足は小さく吐息を付き、俺も一緒に見張ってるからと言って二人の後を追いかけていった。

 後には、似合わない売り上げ金の入った菓子の缶を持った跡部がいるだけだった。
 
 
 
 
 
 だが、後日。
 リョーマがいかにして香水やアロマグッズを売ったか噂を耳に挟んだ跡部が、リョーマに説教をするのだが、それは別の話だ。





                                                      END






BACK