「気持ちいい!!!!」 ぱしゃりと、水しぶきを上げながら悟空は水面に潜る。そして、水底にある綺麗な石を取り、再び水面から大きな波を立てて、起きあがった。 「金蝉!!見て、綺麗な石!!」 悟空は岸辺にある大きな木にもたれている金蝉に向かって高く手を上げて見せる。 陽光にキラリと光る石。 気持ちのいい午後。 瞼を閉じて、穏やかな風に身を任せていた金蝉は悟空の元気な声に、目を開けた。 ここは天界の端にある池。 割に大きくて、当然水も澄んでいて、水浴びにはちょうどいい。 偏屈と名高い金蝉が水浴びなんてするわけはないけれど、悟空の教育?の一環として水泳(水浴び)も必要ですよ、という友人天蓬元帥の言葉に従い、この池に来ていた。 発起人の天蓬は悟空のいる側の岸に座ってこちらを見ていた。 いつもの白衣は脱いで傍らに置き、シャツに緩くネクタイをして、ズボンの裾を折り曲げて両足を水に浸けている。 眼鏡の奥の瞳が、にこやかに微笑んでいた。 金蝉はその穏やかな光景にわずかに目を眇めて、居心地のいい場所から立ち上がった。 「何だ?悟空」 大きな木陰から出てきた金蝉の長い髪がさらりと揺れて、金色に輝く。 紫色の澄んだ瞳が自分を見つめるのに、悟空は嬉しくなる。 手の中の石は金蝉の瞳の色に似ている。 綺麗な綺麗な瞳の彩。 薄紫の微妙なコントラストの石を見つけた時、金蝉に見せたくなったのだ。 岸辺に身体を折り曲げて自分の方にのぞき込む金蝉に悟空は、両手に大切な石を乗せて見せる。 金蝉は悟空の手から石を摘むと、優美な指先で目の前に持ってきて観察した。 それを見つめていた天蓬は、 「金蝉の瞳の色ですね」 と言った。 悟空はにっこり笑うと 「うん」 大きく頷いた。 「俺の?」 金蝉はその問題の瞳を見開きながら、問う。 「うん!!金蝉の瞳の色。でも、金蝉の瞳が一番綺麗だけど!」 子供は何の計算もなく口説き文句を吐く。 「猿が、生意気言うんじゃねーよ」 金蝉は顔をしかめながら、石を悟空に返した。 戻された石を見返して、金蝉にどうしたら自分が喜んでいることを伝えられるのか、悟空は悩む。 「金蝉は水浴びしないのか?」 また木陰に戻ってしまいそうな金蝉の服の裾をひっぱり、引き留める。 「するか!」 「気持ちいいよ!!」 「そりゃ、良かったな!」 「な、せめて天ちゃんみたいに、足でも浸けてみたら?」 悟空は必死に金蝉を見つめる。 「全く、何でそんなに俺に勧めるんだ?」 「だって、金蝉と一緒に水浴びしたいんだ!」 自分は金蝉と一緒に何かしたい、という気持ちが上手く伝わらず、悟空ははがゆい。 はあ、と肩を金蝉は落とした。 どうして、こう元気なんだろう? 子供は皆そうなのだろうか?金蝉は思った。 しかし悟空は特別元気が有り余っているようにも見える。 「しょうがねえな、少しだけだぞ」 「うん!!」 悟空は嬉しそうに返事をした。 隣にいる天蓬が笑っているのが気に障ったが、ふんと気付かないふりをした。 「親子のようですねえ」 のほほんと言う。 「誰がだ?」 金蝉は天蓬を睨んだ。 天蓬は金蝉の不機嫌なんて、どこ吹く風で、 「金蝉に決まってじゃないですか。お母さんですよね」 にっこり微笑みを付けて言う。 「冗談じゃねえ。誰が母親だ!!」 「だって、何を言っても悟空に甘いじゃないですか、貴方」 「違う!!例え猿でも躾るのが飼い主の義務だからだ!!!!」 頬を染めて言う金蝉を楽しそうに天蓬は見つめる。 肌が白いのでより赤みが際だつ。 美人は何をしても綺麗だなというのは心の中にしまっておいて、 「まあ、いいじゃないですか、金蝉」 そう言って、立ったままの金蝉に手を差し出した。 金蝉は差し出された手を一度見つめ、まあいいか、とその手に自分の手を置いた。 そして、隣に座ろうとした時、 「金蝉!!」 悟空が近づいて、喜びを表そうと、金蝉の服の裾を引いた。 「え?」 「え?」 ばしゃん〜〜〜!!!! 大きな水音と水しぶきが上がった。 「金蝉!!!」 「金蝉〜!!!」 二人の声が響いた。 「この、バカ猿!!!!」 金蝉は悟空の頭を思いっきり殴った。 「痛って〜〜〜!!!」 少し涙目になりながら、それでも悪かったという自覚のせいか反論はしなかった。 池に落ちてしまった金蝉は当然ながらびっしょりと濡れた。 金の髪から滴がぽとぽと落ちて光る。 頬に湿気を含み張り付く髪をかき上げると普段は隠れている顎のラインが現れた。 長いまつ毛の先にも水滴が絡み、紫水晶の瞳を引き立てた。 濡れた白い服は細身の身体のラインを写す。 煌めく水面が反射して金蝉を彩る。 高位神だから当然なのか、その姿は艶やかで美しく、神々しい。 「金蝉」 眩しげに見つめていた天蓬は、このままでは風邪を引くと気付き、大きめな布を取り出すと、金蝉を呼んだ。 「ああ」 金蝉は身体にまといつく水を払うようにして、天蓬に近寄った。 天蓬は金蝉の身体を布でくるむようにして水分をふき取る。 優しく首筋や頬を布で拭く天蓬の手に、金蝉は顔をしかめ、 「自分でできる」 と言う。 「しっかり拭いて下さいね。風邪引いちゃいますよ。できれば、濡れてる上着は脱いで下さい。身体の体温奪っちゃいますからね。乾かしてる間よければ、これどうぞ」 そう言って、天蓬は自分の白衣を差し出した。 一瞬考えるが、金蝉はそれを受け取った。 金蝉は木陰に行って、上着を脱ぐと、布で身体を拭いた。 ぐっしょりと濡れた上着は絞ると、ぽたぽた滴が落ちた。 その上着をどうしようか?と頭を巡らせて、ちょうど目線にある枝にひっかけた。 これでそのうち乾くだろう。 天界の陽気はいつでも常春だ。 そして、天蓬の白衣を羽織る。 着てみると、金蝉には少し大きいようだ。 見た目は同じくらいの身体に見えるのに、どうして大きいのか?金蝉はなんとなく面白くない。確かに鍛えるとは、縁のない生活を送ってはいるが・・・。 いくつかボタンを止めて、気付いた。 白衣からは天蓬の匂いがする。 煙草の煙たい匂いと、本の乾いた独特の匂い、そして、天蓬の汗なのだろうか? そんな匂いが混ざり合っていて、金蝉は安心した。 「少し休憩してお茶にしましょう」 金蝉が戻ってくると天蓬はまだ池の中にいる悟空に声をかけた。 絶対悟空が「腹へった〜」ということを見越して、お茶とお菓子を持ってきていた。 さすが、天蓬である。 それ以外でも大きな身体を拭くための布だとか、いろいろもって来ていた。 それは、思った以上に効果があったが・・・。 3人は草の上に座り、お茶をのんびりと飲む。 わいわいうるさい悟空もお腹が満足したのか、眠ってしまった。 心地いい風が頬をかすめていく。 「金蝉、髪も濡れたままじゃないですか!」 天蓬は金蝉の水分を含みより濃く見える金色の長い髪を摘んだ。 ただでさえ長いのに、一つに結ばれているせいで、乾きにくいのだ。 金蝉は面倒臭さうに、天蓬を見る。 「金蝉、結び紐取りますよ」 天蓬は金蝉が何か言う前に一つに結ばれている飾りの付いた紐を取る。 背中に広がる金色の艶やかな髪。 その美しさに微笑みながら天蓬は布で髪を覆いながら、水分を取る。 「お節介だな、天蓬」 しょうがなく天蓬に任せていた金蝉は、小さくため息を付きながら言う。 それに、面白そうに瞳を瞬かせて、 「限定ですけどね」 と言う。 心地いい沈黙。 見上げる先には、風に金蝉の白い服が揺れている。 「天女の羽衣みたいですねえ」 「何だ?それは」 「下界にそうゆう話があるんですよ。天女、きっと天界人のことでしょうが、下界に行って、水浴びしていて、着ているものを木の枝にひっかけておくんです。それを人間の男が隠してしまうんですよ。天女は羽衣がないと天へ帰れない。だから、下界に留まるんです。男は天女を天に帰らせたくなくて、ずっと隠しておくんですが、ある日ばれてしまって、天女は天へ帰ってしまうという」 引き留められない、自分のものには決してならない存在を手にいれたかった、馬鹿な男の話だ。天蓬は思う。 「ふん。それがどうしたんだ?」 「貴方の服も隠しておけば、どこにもいかないんでしょうか?」 「馬鹿だな」 金蝉は吐き捨てる。 「馬鹿ですか・・・?」 「ああ。俺がどこに帰るっていうんだ?ここにいるだろう、天蓬」 金蝉の綺麗な瞳が天蓬を見つめた。 「金蝉・・・」 天蓬は真摯に微笑み返し、誓いを立てるように金蝉の髪を一束梳くい上げ、恭しく唇を寄せた。 |
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