天女の羽衣 後編


「お帰りなさいませ、金蝉さま」
長い間金蝉に仕えている女官が金蝉を出迎えた。
「何かあったのか?」
彼女が待ち構えたように、声をかけてきたことから、不審に思う。
いつもは構われることが嫌いな金蝉にあわせて、あまり干渉しないように努めているというのに。
この館には女官がそれなりの人数いるが、金蝉がしっかり相手を認識し、なおかつ頼りにしている者は少ない。その数少ない女官が彼女だ。名前を連翹という。
「はい。観世音菩薩さまから、お呼びがございました。今夜、お部屋までいらっしゃるようにと」
「ばばあの部屋にか?」
金蝉は眉間に皺を寄せて不機嫌そうに言う。
それに動じない連翹は、
「今日は、観世音菩薩さまの宴があるそうでございます。1年に一度のことですので、是非にとの、お誘いでございました」
「そうか、今日か・・・」
金蝉は納得したが、しかし不機嫌は変わらないままだ。
「お出かけになっている旨、お伝えしましたら、悟空さまと天蓬さまもご一緒にお連れされるように、とのことでした」
「二人を?」
「はい」
「ふん。おい、天蓬、今夜大丈夫か?」
隣で話を聞いていた天蓬はにこやかに微笑んで、
「もちろんですよ。喜んでお供しましょう」
片手を胸に前に持ってきて、軽く会釈した。貴方に従います、という了承の証。
天蓬の仕草を金蝉は目に留めて、後ろにいた悟空を振り返った。
「悟空、今夜ばばあのとこに行くからな」
「うん。いっぱいご飯食べれるかな?」
「食べられるんじゃねえのか?仮にもばばあ主催の年に一度の宴だからな」
面白くもなさそうに金蝉は言う。
「だから、拒否しないんですね、金蝉」
いつもだったら、絶対に嫌がり、拒否しているだろう。しかし、しょうがないとは言え、納得していたようだから、それなりに理由があるのだろうと天蓬は推測していた。
「これだけは、絶対に拒否できねえ。これを無視するととんでもない報復が待っている」
それは、今までに無視してとんでもない報復を受けたことがあるんですね、と天蓬は思ったが口には出さなかった。賢明である。
「金蝉さま、それでこれをお預かりしております」
連翹は両手に布の包みを持っていた。
どうぞ、と金蝉に差し出した。
金蝉は、眉を寄せながら、あまり見たくなさそうに受け取った。
包みを開くと、そこには・・・。
「何だ、これは!!」
金蝉の腕の中には衣装があった。真っ白の裾の長い着物。金色の飾り帯。紫水晶の細工を施した、簪。
怒りのためか金蝉はふるえていた。
それをさも当然として受け止めた連翹は、
「今日のお召し物でございます。観世音菩薩さまより、申し遣っております」
はっきりと断言する。
「くそばばあ〜〜〜!!!!」
金蝉の声が部屋に響いた。


連翹は金蝉に衣装を着付ける。
前合わせの着物を金蝉の身体にあわせる。
二枚重ねになっていて、一枚は真っ白の着物。その上に薄物の光沢がある、後ろになるほど裾の長い着物をあわせる。帯は金色に銀糸の模様の入った豪奢なもの。それを垂れ流す形で結ぶ。一緒に瑪瑙の飾りの付いた紐を結ぶ。
いつも覆われている手は今回何もない。代わりにあるのは繊細な細工の腕輪があるだけだ。髪は結い上げ後ろに垂らしている。
連翹の無駄のない作業によって、金蝉は時間をかけずに、宴用の衣装に替えられた。
それを部屋の隅で、邪魔になるから部屋から出て行けと言われたのを説き伏せて、見ていた天蓬と悟空はあまりの美しさに声もなく見惚れていた。
その眼差しに金蝉は嫌そうに顔をゆがめる。
こいつらどうにかしてくれ、という心境である。
最後の仕上げとばかりに連翹が金細工で紫水晶の付いた簪を付けようとした時、金蝉はおもむろにそれを止めて、連翹から簪を取った。
「天蓬」
そして、惚けている天蓬を呼ぶ。
天蓬は「はい」と返事をして金蝉の前までやってきた。
金蝉は天蓬を見つめると、簪を差し出し、
「付けろ」
と言う。
一瞬天蓬の時間は、止まった。
思ってもいなかったことを言われたため、顔もまぬけな顔になる。
が、次の瞬間にはにっこり嬉しそうに微笑むと、簪を受け取った。
金蝉に近寄り、簪をまとめられた髪に刺す。
それを当然のように受け止めて、金蝉は天蓬を見た。
「どうだ?」
挑むような瞳に天蓬は決して目を逸らさずに、
「天女のように美しいですよ。でも、貴方は天女ではありませんから・・・。だから・・・僕が側にいますよ」
言い切り、手を差し出した。
金蝉は満足そうに小さな微笑むを浮かべると、天蓬の手に自分の手を預けた。
そして、思い出したように言う。
「ああ、天蓬」
「はい?」
「さすがに今日は白衣は脱いで行け」
「・・・畏まりました」


「よう、やっと来たか」
観世音菩薩が3人に声をかけた。
「僕までご招待頂きまして、ありがとうございます」
天蓬は穏やかに頭を下げた。
彼には珍しく、軍服を着ている。
「そうしてると、元帥なんだと思い出すな」
観世音は笑う。
「よう、悟空。いっぱい食ってけ」
「うん!!!」
元気いっぱいに返事をした。
悟空は食べ物をくれる人を問答無用に信用する節がある。そして、懐く。
金蝉の頭を痛める、要因の一つだ。
そして、さっきから声も出さずに一番後ろに立っている金蝉を観世音はじっくり見た。
白い優美な着物姿。金の髪を結っているため、うなじが艶っぽい。
「ふん。俺の見立てもまんざらでもねえな」
「・・・」
「何だ?気に入らねえのか?」
「気に入るか、ばばあ」
不機嫌な声の金蝉に、観世音はにやりと笑う。
「地味だったか?もっと色っぽいのも良かったんだが、一応貴様の趣味に合わせてやったのに・・・。俺の親切をわからん奴だな」
「何が親切だ!」
ぷいっと横を向く。
観世音はとても楽しそうに笑うと、「まあ入れよ」と言って皆を促した。
部屋には食べ物や飲み物、酒がたくさん用意されていた。
しかし、3人以外、誰もいなかった。二郎神は最初から観世音に仕えているから、数に入らない。だから、部屋には5人だけだ。
それを不思議に思っていると、
「如来のやつ、突然これなくなったってよ」
観世音は見透かしたように、言う。
それは、逃げただけではないのか、とその場にいたものは思った。
観世音の酒癖の悪さは定評があるのだ。
ただ、とても酒豪なのでめったに酔わないが、酔うと記憶を抹殺したくなる。
宴はどうやら自分たちで行われるようだ。
それはつまり観世音の独壇場ということである。
金蝉は心の中でため息を付いた。


「今日はどこに行ってたんだ?悟空」
「あのね、池にいって泳いだんだ。楽しかったよ〜」
「そうか、良かったじゃねえか」
「うん!また行きたい!!!!」
また、と聞いて金蝉は嫌そうだ。
「また行きたいってよ、金蝉」
からかうように、観世音は言う。
「お前に言われたくない」
なぜ、自分が水浴び、もとい泳ぎが苦手なのか・・・。
「ふん。悟空、お前は天蓬に教えてもらったんだろう、金蝉には俺が教えてやったんだぞ」
「え?そうなのか?」
悟空は金蝉を見る。
天蓬も面白いことを聞いたと、続きが気になった。
「何が、教えただ!!お前のは教えたとは言わない。忘れたとは言わせねえぞ、お前
池に突き落としただろ!!!!」
そう、強制的に池まで連れていかれ、突き落とされたのだ。
思い出すだけで、腹立たしい。
「おかげで、泳げるようになっただろう。感謝して欲しいくらだいだね」
「誰が感謝だ。俺で遊んだだけだろうが!!!」
「当たりまえだろう。俺の甥なんだから」
全く反省の色はなかった。
もとい、反省するつもりもない。
金蝉に怒鳴られようが、痛くも痒くもない観世音だった。
子供の頃から観世音のおもちゃにされきた金蝉は、観世音の性格をとことん知っていたが、自分に逆らうことができないのが、毎回悔しい。
「ほら、酌しろよ、せっかくの美人なんだから」
そう言って、怒っている金蝉に杯を差し出した。
金蝉はぶち切れそうになる自分を納めた。
今日だけは・・・と。
今だけ我慢。
瑠璃色をした杯に並々と酒を注ぐ。
「ほれ、飲め」
観世音は美人に酌をされて満足したのか、天蓬にも酒をすすめ楽しげ声を立てて笑った。


「つぶれちまったか?」
天蓬の肩に頭を預けている金蝉を見て、観世音は言う。
「ええ」
瞳を閉じて目元を染め、白い肌が上気している様はとても艶めいていた。
勧められるままお酒を飲んで、(拒否できたはずがない)眠くなったのか、いつのまにか天蓬に寄りかかっていた金蝉を、優しく抱き留めていたのだ。
「寝てると、小さい頃と変わらないんだけどな」
いつもは聞けないような優しく穏やかな声で観世音は金蝉を見ると、頬をつついた。
それを見つめながら天蓬は観世音に聞いた。
「そろそろお開きとしましょうか?」
「そうだな」
見つめる先にはこれまた、金蝉の横で、すやすやと寝ている悟空の姿があった。
たくさん食べて、しゃべって、すぐに寝てしまったのだ。
今日は1日よく動いた。きっと疲れてたのだろう。
穏やかな寝顔だ。
観世音はそれに、薄い布をかけてやった。
「悟空は寝かせておけ。明日にでも送ってやるよ」
天蓬に向かって言う。
「だから、金蝉は連れて帰れ。任せたぞ」
当たり前のように言う観世音に、天蓬は「ええ」とこれまらとろけそうな笑顔を向けた。
自分に身体を預けている金蝉を天蓬は体重を感じさせないほど軽く抱き上げた。
美しく揺れる着物を纏う金蝉を抱き上げている天蓬はなんとも絵になった。
なぜなら、美しい人を騎士のように恭しく抱きしめる天蓬の瞳がとても穏やかで優しかったから。大切なものにしか向けない瞳だったから。
観世音は安心した顔で、
「よろしくな」
と天蓬に言う。
「はい」
天蓬も心得たように、もちろん観世音の言葉の意味を理解して、返した。
「それでは、お休みなさい」
天蓬は観世音の部屋を後にした。
長い廊下を歩きながら、見上げた空には月が輝いていた。
優しく煌めく光は二人を照らしていた。


                                END




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