金蝉は思った。 出かけよう!と。 天蓬に借りていた本を返しにいこうと決めた。 前回行ったので場所もわかっているし、一人で出てみたい。 今日は天気もすこぶる良く体調もいい。 これ以上の日はないような気がした。 しかし、内門で女官に止められるわ、外門で門番に止められた。 「どうして駄目なんだ?」 と金蝉が聞くと観世音菩薩に確認するので待って欲しいという。 金蝉は腹を立てていた。 どうして、外出もできないのか! 自分は一人でどこにも行けないのか。金蝉ははがゆさに、唇を噛む。 一方、知らせを受けた観世音は、思案していた。 その結果は、「ま、いいか」であった。 可愛い子には旅をさせろというし、獅子は子を谷に落とすというし。 下界のことわざは面白いなと思いつつ、観世音は考える。 何かあったら、その時だな。 これから、こうゆう経験も必要だし。 無事に天蓬に会えればその後は大丈夫だろう。 それにしても、ずいぶん懐いているな。あいつ。 そして、観世音のありがたいのかありがたくないのか、許可が下りた。 金蝉は一人、外に出た。 道を歩く。 初めて一人で歩く道はなぜか景色が違って見える。 普段気が付かない所に気付く。 観世音邸から軍の庁舎はそんなに距離はなかった。 観世音邸は城内でも大宮殿寄りだが、軍の官舎は城外寄りだ。城内と城外を結ぶ橋には絶えず見張りが付いている。天帝のいる大宮殿にも当然軍関係の者が常駐していたので、どこにでもすばやく行けるように、実は軍の庁舎は城内のちょうど真ん中に位置していたのだ。もっとも天蓬は元帥だからこそ、庁舎に私室と執務室があるのだけれど。 そんなことは金蝉は知らなかった。 軍の庁舎の入り口。正門には門番がいる。 部外者が立ち入らないようにとの、見張りである。 が、金蝉の姿に門番は固まった。 どう見ても、上級神。そして、少年。 こんな場所に来る人物には見えない。 もし、今日の門番が以前金蝉が天蓬と一緒に訪れた時に居合わせた者なら、すぐに気付いただろう。しかし、今日は違う者だったのだ。 だから、彼は一応聞いてみることにした。 「あの、どちらに?」 金蝉は「天蓬元帥に会いに来た」と返した。 「そうですか・・・」 門番もそれ以上聞けなかった。なぜなら、上級神だったから。 普段だったらとても口を聞けない人物だったから。その上、極上の容姿。 門番は金蝉の麗しい後ろ姿を見送った。 そして、庁舎に入った金蝉はものすごく目立っていた。 どこにいても一目で見つけられるほどの煌めく金髪。 綺麗な瞳、花のかんばせ、美麗な姿。 以前金蝉を見かけたことがある人物が当然何人もいたから、彼らは興奮していた。 まさか、もう一度逢えるとは思っていなかったのだ。 前回天蓬元帥が連れて来た時は陰から見ているしかなかった。 しかし、今日は一人で歩いている。 これは絶好の機会ではないのか?と思う者がいても不思議ではなかった。 「あの、どちらまで行かれます?」 金蝉におずおずと声を掛ける者がいた。 見ると、一人の男が立っていた。軍服を着ていることから、軍人とわかる。 金蝉は階級などわからないが、詰襟には少佐の階級章が付いていた。 「天蓬元帥の所までだが?」 金蝉は、なぜ聞かれるのか疑問に思いながらそう答えた。 金蝉に見つめられた男は顔を紅く染め、 「ここは広いですから、ご案内します」 と言った。 正直建物の中はさっぱりわかっていなかったので、金蝉はありがたく受けることにした。 「それでは、頼む」 「はい。よろこんで」 男は満面の笑みで答えた。 金蝉は全くわかっていなかった。 なぜ、声を掛けられたのか、男が赤面したのか・・・。 そして、疑うことを知らなかった。 大いに、問題である。 二人が並んで歩いていくと、周りで様子を伺っていた者共がぞろぞろと付いて来た。 それは一種異様な光景だった。 金蝉を先頭に、ぞろぞろと軍服を着た男達が後を付いて行く・・・。 そして、人数は増していく。 側に寄りたい、一言でも話がしたい、せめて近くで見つめたい、という願望。 男達の心の中は一途だった。 そして、一団を引き連れて、たどり着いた先。 もちろん、天蓬元帥の執務室前である。 扉は開いていた。 そして、天蓬は机に向かい書類に目を通していた。 何事か?異様な雰囲気に気付き、天蓬は顔を上げた。 !!!!!!! 天蓬は驚いた。 止めて欲しい・・・、と思わずにはいられなかった。 なぜ、こんな所に金蝉が? そして、その後ろに控える男どもは何なんだ? ・・・。 少しばかり思考が拒否をしそうになった天蓬だったが、その様子を見て、理解した。 なぜだか知らないが、金蝉を見かけた者共がその姿に惹き付けられて、付いて来たらしい。 はあ。天蓬はため息をつきたい気分だった。 危機感とかないのか?金蝉には。 ないだろうな、絶対。 純粋培養の彼にそんなものは存在しないのだろう。 そして、よく無事にここまでこれたものだ。感心すると同時に感謝したい気分だ。 綺麗すぎて、清らかすぎて、神々しくて、手なんか出せないのだ。 男心って純情で複雑なのだ・・・。 「天蓬!」 金蝉が側に寄る。 「はい」 よく見れば今日来ている衣装は薄い水色。先日似合うのではないか?と天蓬が言ったものだ。 天蓬は感激した。 仕立てたのだ・・・。 少し首周りが開いていて、ゆったりと生地を使った胸元。 腰には細い飾り紐がゆったりと結ばれている。紐の先には紫水晶の粒がいくつか下がっていた。裾も布がたっぷり使われているため、金蝉が歩くとひらりと舞う。 肩から袖口にかけては、小さな宝石でいくつも留められていた。 胸元には観世音が選んだ、銀細工に水晶が施してあるもの。 金の煌めく長い髪は背中を覆い流れているが、一筋だけ編まれて瑠璃の簪で留められている。 「よく、似合ってますね、金蝉」 天蓬はにっこり笑って誉めた。 素晴らしく、美しく、麗しい姿だ。 それに金蝉は嬉しそうな顔になると、にっこり微笑んだ。 大輪の花が咲くのではないかと思うほどの、微笑み。 いつも素直になれないのに、今日の笑顔はとびきりだった。 今までにこれ程の笑顔を見たことがあっただろうか? なのに、何もこんなに大勢の前で見せなくても・・・と天蓬は思った。 案の定、当然、金蝉に付いてきた者は固まっていた。 惚けている・・・。 天蓬はものすごく勿体ないような気になった。 だから、さっさと金蝉を部屋に入れて、きっちり扉を閉めた。もちろん鍵もだ! 「大丈夫でしたか?それにしても、どうして突然?」 天蓬は聞く。 「何だ?ダメだったのか?」 「そうゆう訳ではなくてですね・・・」 「本を返しに来た」 「ああ、別にいつでも良かったんですよ、無理しなくても」 「ひょっとして・・・、迷惑だったのか・・・?」 金蝉の顔が曇る。 それに天蓬の方が困ってしまう。 「そんなことありませんよ。ただ、心配したんです。それにしても、よく観世音が許可しましたね?」 「ああ、簡単だったぞ」 「・・・そうですか」 天蓬は内心ものすごく不思議だった。何を考えているんだ?観世音は・・・。 天蓬が首を傾げていると、 「それにしても、煙草臭いぞ、煙が隠ってる!!換気くらししろよ」 金蝉は白く濁っている部屋に眉をひそめ、そう言うと、窓際に近寄り外開きの硝子窓を開ける。 優しい風がふわりと部屋に注ぎ込まれた。 な?と金蝉はとびきりの笑顔で天蓬を見つめた。 「はい」 さわやかな風を金蝉が連れて来たようだ。 天蓬にとっては、金蝉が突然の優しい風そのもののような気がした。 「帰りは送っていっていいですか?」 「ああ」 金蝉は当然のように頷く。 「それでは、参りましょう」 「もう、いいのか?」 金蝉は驚く。 「もちろんです」 にっこり微笑む天蓬。 金蝉より大切なものなど、ある訳がない。 このまま着飾った金蝉を連れて、どこかに行きたいくらいである。 しかし、他人に見せるのは勿体ないので観世音邸にさっさと帰るべきか?と天蓬は思った。 それは、とても幸せな悩みだった。 |
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