不機嫌そうに眉を寄せている顔。 拗ねて唇を噛む癖。 瞳を煌めかせて、見つめる綺麗な表情。 柔らかくて澄んだ声。 紡がれる言葉が例え乱雑でも。 時々笑ってくれるのが、嬉しい。 花が咲き誇るように微笑む、艶やかで、可憐な神。 どんな表情も、感情も、彼が自分に向けたものなら、何よりも代え難いものだ。 「今回出陣命令が出ましたので、下界に行ってきますね」 「下界・・・現実はどんな所なんだ?」 金蝉は天蓬からの話にしか、聞いていない。 「貴方は降りた事がありませんものね。そんなに、ここと変わりませんよ。住んでいるのが人間と妖怪なだけで」 「そうか・・・」 「何か、下界でお土産でも見繕って来ますよ」 しばらく逢えない、と天蓬は自覚していた。 今回は長くなる。 だから、その前に金蝉に逢っておきたかった。 愛おしい存在に、自分の心の返ってくる場所に。 だから、にっこり微笑んで、 「行って参ります」 そう告げた。 見送る金蝉の瞳はどこか寂しげだった。 天蓬が下界に討伐の指揮官として出陣した。 今まで暇を見れば逢っていた天蓬が館に来ない。 1ヶ月、2ヶ月・・・。 時間は過ぎる。 金蝉は庭にある四阿で一人座っていた。 天蓬から借りた本も読み尽くしてしまった。 咲き誇る花々も、青い空も、柔らかな空気も金蝉を満足させなかった。 意識が身体から抜けて、どこか空中にあるような気がする。 そして、考えることは一つ。 元気だろうか? 下界に降りてしまえば、連絡などない。 どこにいるのか、何をしているのか、さっぱりわからなかった。 はあっ。 金蝉は、らしくなくため息を付いた。 女官が持ってきたお茶でも飲もうと、蓋椀に茶器からお茶を注ぐ。 ゆるやかな湯気が漂う。 一口飲むと、落ち着いた気がした。 全く、何であいつのことを考えないといけないのか。 自分の思考が少し腹立たしい。 「金蝉」 そこへ、観世音菩薩がやってきた。 「ばばあ?」 金蝉は不審に思う。 いつもなら、「よう!」と笑い、からかいながらやってくるのに、今日は真面目な顔をしている。ふざけた様子がないのだ。 金蝉は眉を寄せた。 「金蝉、天界軍が帰って来た。けれど、天蓬が怪我をした」 金蝉はその言葉に息を飲む。 「・・・怪我?」 「ああ。出血が酷かったらしいが、手当をして命に別状はないらしい」 「でも、出血って・・・」 金蝉の顔から血の気が引いて行く。 信じられないが、天蓬は怪我をして、出血したらしい。 青い顔のまま金蝉は立ち上がった。 「行ってくる!」 「ダメだ、お前は行けない」 観世音がきっぱりと言う。 「どうして?」 「お前はまだ、少しの血にも身体が持たない。もともと上級神は汚れ、特に血に弱い。お前はその上子供だ。天蓬の側に寄れば、お前が倒れる。きっと血の匂いに酔って、天蓬に近づく前に意識がなくなる。天蓬が怪我をしているだけじゃない。恐らく、血臭がするはずだ。あいつは闘ってきたんだから。わかるか?」 「でも、それでも・・・」 金蝉は唇を噛む。 「お前が倒れたら、奴が責任を感じる。怪我人だっていうのに、だ。これ以上負担を増やしたくたいだろう??」 「・・・そんな!」 わかっている。 自分は弱い。 すぐに、熱を出す。 汚れと言われる、血臭ー「血」に弱い。 金蝉は上級神の上、子供の身体。ものすごく血に弱いのだ。清浄な存在は、汚れに弱く、側に寄れないのだ。 こんな弱い身体捨てたくなる。 天蓬が怪我をしていて苦しんでいても、側にも寄れないなんて。 せめて無事な顔を見ることもできない。 なんて、情けないんだろうか。 金蝉は己の弱い体を呪った。 待っている間は長い。 金蝉はずっと寂しげな、辛そうな顔をしていた。 心がここにないのだ。 ずっと逢えなくて、心配していたら怪我をして帰ってきた。 自分の知らないところで、天蓬が傷ついていた。 軍人で、元帥の天蓬が危険と隣り合わせだという認識が今まで金蝉には欠けていた。 そして、自分はここから出られない。 逢いに行けない。 悲しみと、不安と、はがゆさ、腹立たしさ。 入り乱れる自分の気持ち。 天蓬のことを考えると、苦しいと思う。 胸が痛い・・・。 心が、痛い。 痛い。 痛い。 痛い。 逢いたい・・・。 自分の求める心を金蝉は見つけたかもしれなかった。 そんな金蝉の様子に、さすがに観世音も心配していた。 けれど、金蝉は知らなかった。 「こんにちは」 そして、やっと天蓬は逢いに来た。 どれだけぶりだろうか?何ヶ月も逢っていない。 「お久しぶりです、金蝉!」 いつもと同じ穏やかそうな顔。優しい笑顔。 金蝉は天蓬を認めると、 「ばかやろう!」 そう言うと、金蝉は泣き出した。 紫水晶の瞳からぽろぽろと涙の滴が玉になってこぼれる。 悔しい、すごく。 何で、涙がでるのだろうか・・・。 こんな男のために! こんな、こんな馬鹿な男のために!! 「金蝉?どうしました?」 天蓬はあわてた。 いきなり、泣き出されたら、どうしたらいいか、わからなくなる。 天蓬は慰めるように、金蝉の頬に手を伸ばし、涙を拭う。 「お前が、怪我なんてするから悪い・・・」 金蝉は天蓬を潤む瞳で見て、涙につかえながら、それだけ口にする。 「すいません・・・」 天蓬は金蝉の背に優しく腕をまわし、華奢な身体ををそっと抱きしめた。 金蝉は抵抗なく、胸に納まった。 天蓬の胸に顔を押しつけ、縋るようにふるえる指で腕を掴む。 まるで水晶の粒のような涙を流す金蝉が愛しかった。 自分のために、泣いていてくれる。 こんなにも心を砕いてくれる。 天蓬はめまいがしそうなほど、嬉しかった。 怪我をして、金蝉に逢えない間、ずっとずっと逢いたかった。でもこんな役得があるなら、無駄ではなかったかもしれないな、と思う。 そして、縋り付き、ふるえる身体に愛おしさがこみ上げる。 「愛してますよ、金蝉」 言うことはないと思っていた言葉。 伝えてはいけないと思っていた。 でも、言葉にしておきたかった。 だから、告げた。 その思いもしない言葉に、金蝉はゆっくりと頭を上げてぼんやりと天蓬を見つめる。 そして、「嘘だ」と言う。 「本当ですよ」 「信じられない」 「どうしたら、信じてもらえますか?金蝉」 天蓬は真剣な目で金蝉に聞く。 「・・・」 「金蝉?」 優しく、促す。 金蝉は瞳を揺らめかせ、もう一度天蓬を見つめると、小さな声で言った。 「・・・絶対死ぬな」 「はい」 「・・・側にいろ」 「はい。ずっとお側に」 「それから・・・、もう一度、・・・言え」 「愛してます。金蝉・・・。何度でも」 そして、 「愛しています」 と言うと、唇を額の髪の生え際に落とす。そして、こめかみに。 「愛しています」 甘く、耳元に囁く。 愛していますと、繰り返し、繰り返し、心に伝わるように。 天蓬の気持ちが身体全体に行き渡るように。 華奢な身体を優しく、強く、離さないように抱きしめて。 「・・・信じてやる」 金蝉はそっと言う。 その言葉に微笑むと天蓬は金蝉を力一杯抱きしめた。 そして、「そうだ」と天蓬は小さな包みを取り出し金蝉に差し出した。 「受け取ってもらえますか?」 「何だ?」 金蝉は袋を開けた。 中には宝石の付いただけの簡素な首飾り。 自分に、と天蓬は言う。 つまり・・・。鈍い金蝉にも何となく言わんとしていることがわかった。 だから、 「付けろ」と言うと俯いた。 何だか、顔を見れない。 天蓬はゆっくりと金蝉の首に手をまわし、留め金をする。 そして金蝉の頬に両手を添えて、顔を上げさせた。 「似合いますよ」 にっこりと、嬉しそうに笑う。 それに、金蝉も嬉しくなった。 天蓬が笑ってるなら、いい。そう思う自分が少し不思議で好きだ。 「見立てがいいんだろう」 だから、そう誉めた。 そして、とびきりの笑顔。天蓬だけに見せる幸せそうな、甘い微笑み。 その拍子に瞳に涙がまだ残っていたので、ほろりと頬を伝い首飾りの宝石に落ちた。 天蓬は首飾りを持ち上げて、宝石摘むと唇を寄せる。 そして、 「誓います」 真摯な瞳で、金蝉に伝えた。 今でも、金蝉の首には天蓬から贈られた首飾りが、変わらずある。 END |
![]() |