幻想恋歌 5 


窓から見える景色が暗い。
今日は朝から、雨だ。
久しぶりに降る恵みの雨は木々や花々を潤わせる。
葉に落ちた雨粒が跳ねてぴちゃりと微かな音を立て広がり散る。
花びらに伝う滴が貯まり大きな粒になり、今にも落ちそうな情景は少し切ない気持ちにさせる。
机の前には積まれた書類が貯まっているが、一向に処理する気になれない。
残り少なくなった煙草を灰皿に押しつけて消す。
立ち上がる白煙が天井に向かって伸びる時間で決めた。
僕も心を潤しに行きましょう。
天蓬は部屋を後にした。


しばらく仕事が立て込んで来れなかった、観世音の館。
つまり、それだけ金蝉の顔を見ていないということになる。
どうりで仕事が進まないと思った、と自覚した。
心の栄養が足りなかったのだ。
しかし、女官に取り次ぐと、金蝉は体調を崩して寝ているという。
覗いてもいいか、と聞くと構わないと言われた。
女官にも知れ渡るほど、天蓬はここに通っているということになる。
そんなことに気付いて、天蓬は自分が健気だな、と少し思う。
心配しながら、部屋を覗く。
「金蝉?」
寝室の扉をそっと開けた。
様子を伺うと、寝台に目を閉じて寝ている金蝉がいた。
ゆっくり音を立てないで近づく。
熱を出している・・・。
辛そうな表情だ。
天蓬はそっと、頬に手を伸ばし指先で撫でる。
やはり、熱い。
指先に伝わる熱の高さ。
天蓬は眉をひそめた。
すると、瞼が動き、ゆっくり金蝉の瞳が現れた。
ぼんやりと見つめ、やがて視界に天蓬を認めた。
「て、んぽう・・・?」
掠れた声。
「はい」
天蓬は心配げに金蝉を見つめる。
「いつ、来た?」
「今ですよ。大丈夫ですか?」
天蓬は金蝉の顔に汗で張り付いている髪をかき上げてやる。
瞳を閉じてされるがままの金蝉。
自分でも身体を動かすのが億劫なので、ありがたかった。
もちろん、相手は選ぶ。
これが、ばばああたりだったら絶対に触るなと拒否していただろう。
「ああ・・・。昨日から熱が引かないだけだ」
「何か飲みますか?」
「水くれ」
天蓬は部屋に用意されている硝子の器に、これまた透明な硝子の茶器から水を注ぐ。
寝たままの金蝉を見て、天蓬は考えた。
「このままだと飲めないですよね、ちょっと手を・・・」
そう言って天蓬は金蝉の側に寄ると、金蝉の手を取り自分の首に回させた。
そして、腰に手を差し入れて、抱き上げる。
金蝉はあっと言う間の出来事に瞳を見開き驚く。
手際が良すぎるのではないか・・・。
一応抱き上げてもらったのは感謝はしてるけど。
起きあがった金蝉は寝台の背にもたれて身体を安定させた。
「はい」
天蓬が水の入った硝子の器を目の前に差し出した。
「ありがとう」
受け取って冷たい水を口に含む。
喉を伝う冷たい感触が気持ちいい。
ふう・・・。金蝉は大きく息を吐く。
少し気分的に楽かも知れない。
こういう時、一人は少し寂しいのか?
天蓬が側にいると、気持ちが楽だ。
器を返すと天蓬は、
「何か食べられますか?果物とか喉越しのいいもの。桃、葡萄、蜜柑・・・」
「・・・桃」
「はい。桃ですね」
天蓬は金蝉に微笑む。
食欲があるだけ、早い回復を望めるだろう。
天蓬は側にあった椅子を金蝉の寝台の横に持ってくると座り、桃の皮をむき始める。
くるくると、器用に桃が剥かれていく。
それを金蝉は見つめた。
なんだか、嬉しい。
あっという間に、食べやすいよう八つ切りにされた桃が小さな器に盛られた。
「食べられますか?」
「ああ」
器を受け取る金蝉に天蓬がひそかに笑う。
「何だ?」
「いえ、食べられなかったら、食べさせてあげようかと思っていたんですけど、残念ですね」
「子供扱いするんじゃねえ!!!」
金蝉は怒る。
しかし、体調が悪い時に怒るのは、無理がある。続かないのだ。
金蝉はあきらめると、桃を口にする。
柔らかくて、食べやすい。
口中に広がるほの甘い味と香り。
「美味しい」
「それは良かったです。食べられるだけ、食べて下さいね。栄養が付きます」
安心したように笑う天蓬。
「・・・ありがとう」
最近はちゃんと生意気なことだけではなくて、感謝の言葉も言えるようになった金蝉である。もともと礼儀自体は弁えているのだ。ただ、理不尽なことには我慢ならないだけで。
「早く良くなって下さいね」
天蓬はいう。
金蝉が辛いのは自分まで苦しいし、不安だから、という思いは言えないから胸にしまって。
貴方が大丈夫か心配で、仕事が手につきませんよ、と冗談でも言えたらどんなにいいか。
でも、言ってはいけない言葉。
だから、金蝉が桃を食べ終えると横になるように促す。
天蓬を見つめる金蝉の頭を軽く撫でて、天蓬は告げる。
「さあ、少し寝て下さい。僕も邪魔でしょうから帰りますし」
「帰るのか?」
しかし、金蝉から返って来た言葉に驚く。
「ええ、傍にいたら、寝られないでしょう?」
「・・・邪魔じゃない」
「傍にいてもいいんですか?」
天蓬の言葉に金蝉は小さく頷く。
「・・・わかりました、傍にいますよ。ただ少し寝て下さい。起きた時も目の前にいますから」
「うん」
金蝉は安心したように瞼を閉じた。
すぐに、穏やかな寝息が聞こえ始める。
天蓬はその寝顔を見つめる。
寝ていればどれだけ見ても許されるから。
でも本当は、輝く瞳で自分を見てくれるのが一番なのだけれど。
今は密やかな幸せを噛みしめようと思う。
安心して天蓬の目の前で眠る金蝉に、心を許してくれていると実感できる。
傍らにいてもいい、と言ってくれた。
けれど許されていると思える反面、あまり無防備に自分の前で振る舞われると、「保護者」として必要されているだけなのではないか、と思ってしまう。
どう考えたって、恋愛対象外でしか、ありえないと。
それが少し寂しくもあった。

いつか、金蝉は恋をするのだろうか?
それを自分はどんな顔で見守っているのだろうか?
その時が来ても、金蝉は傍らにいることを許してくれるのだろうか・・・?

いつか来る未来を天蓬は、見たくなかった。




眠る金蝉の夢の中。
そこに漂う優しい空気。
側にいてくれる、笑顔。
それに、嬉しくて、幸せで、金蝉は微笑んだ。
その寝顔に浮かんだ笑みの意味に天蓬は気付かなかった。



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